2002年1月31日(木)
 風邪をひいた。熱があがるというより、下がってゆくという感じで寒気がする。ひざなどの関節が痛い。娘が幼稚園の送り迎えをすませてやっと横になれたものの、ハイテンションな子供達にねむらせてもらえなかた。学科の復習もできず。仮免、実技ともに学科もかなりヤバい。
オットが「漂流教室」というドラマにはまっているのだが、これが私はこわい。「世界が滅亡する」系の話は本当にダメなのだ。昨夜はオットがこのドラマを見ている横でネットをしたりして自分を誤魔化していたのだが、夜はしっかり漂流教室にさまよいこんだ夢をみた。しかも場所は自動車教習所。うなされてるよ〜。

2002年1月30日(水)
 教習効果のみきわめ、というのをパスした。仮免まであと一歩。今週末検定を受けることになった。一回の検定料金が結構な金額なのでプレッシャーだ。最近、やっと車にはなれてきた気がする。教習所にはイヤミな教官がつきものだときいていたが、私が通っている所はどの先生もみんな優しく親切で、だからまあ私でも続いているのだろう。ちょっとだけど、人生観は確かに変わっている気がする。身近に毎日接していることをたくさん知らずにいたことを実感。例えばちょっとした道路標識や標示を理解するようになって、車の運転をする人の気持ちがわかるようになってきた。それって新鮮。

2002年1月29日(火)
 当たり前かも知れないが家族の中で一番先に起きる。みんなが寝静まっている時に、ゆっくりコーヒーを飲みながらネットをして、じっくり目覚めていくのが好きなのだ。コーヒーを飲み終わった頃パソコンも閉じて、娘のお弁当をつくり、朝食の支度をしてみんなを起こす。しかし今日の息子は早起きで、私独りになれる時間はまったくなかった。しかも、血便をした。今日は教習所も幼児教室もお休みだしのんびり掃除でもしようと思っていたが(毎日忙しくて、本気で手抜きをしていたら家の中がホコリっぽくて辛い〜)、結局またドタバタと13キロの歩かない息子をひっかかえてバスを乗り継いで、小児科に駆け込むことになった。下痢気味で全体に血液が混じっていたらヤバいそうだが、息子がだしたのはそうではなく、またいたって元気そうな様子で熱もないので、単にウンチが堅くて腸の一部がちょっと切れちゃっただけでしょう、と言われた。何ごともなくてホッとする。
それにしても子育ては本当に気を使うものだ。全然心配しないって訳にはいかないし〜。

2002年1月28日(月)
 仮免にむけて効果測定もギリギリで合格し、あとは実技一回クリアで検定、というところまできた。教習所で仲良くなった女の子は全然オーバーすることなくストレートで進んでもう第2段階だそうだ。年令をきいたら、ちょうど私の半分だった…。
私は教習所ではすでに顔と名前がうれてしまっている。いかに滑稽な生徒かということだわ。でも先生方と冗談を言い合うのは楽しい。

2002年1月27日(日)
 バケツの底をひっくり返したような雨の後、急に晴れるのを見るのは気持ちがいい。なんか絶望から希望への心象風景のようで。
 娘がやっと自転車をこげるようになった。今までどうしてもベダルをふむ、ということが理解できなかったのだけれど。息子は相変わらず、かるがものヒナのように私についてまわって目をあわせると抱っこをせがむ。でもこの数カ月のやや表情や欲求に乏しかった様子から比べれば自然でとてもうれしい。
 教習所では実技はまあまあ順調に仮免に向けて進んでいる。が、効果測定は一問足らず不合格だった。必死で仮免用問題集を解く。なんだか本当に学生時代に戻ったようだ。
やっとアン・ライスの「幻のヴァイオリン」を読み終わった。悲しい物語だが、結末には救済がある。でもしばらく再読することはないだろう。今の私にはちょっと辛い物語だった。今、眠る前はもっぱら自動車教習所の学科教科書を見ている。車好きの息子は、車の絵がふんだんに載っているこの教科書がお気に入りだ。

2002年1月26日(土)
 私にしては珍しく自動車教習所通いをサボる。家族でのんびり過ごしたかったし、効果測定を受けるのに備えて、第一学科の復習をきちんとしておきたかったのだ。しかし、頭にはいらない〜!記憶力の低下はいかんともしがたく、オットには実技は何度落ちてもいいけど、学科は落とすなと言われ、その度にプレッシャーを感じる。
 最近、ちょっと人が変わって超のつく甘えん坊になった息子は、手のりインコ状態。いつも一途な目をして私の方によってきてはパッと両手をさしのべて抱っこをせがむ。時間の許す限りほぼずっと体を密着させている感じだ。私が出かけようものなら大変な騒ぎである。お医者様の助言に従い、集団生活をさせるべく2才児保育のある幼稚園や保育園などを色々調べはじめる。それにしても教育費の高いこと。子供の為を思えばできるかぎりのことはさせてあげたいというのが夫婦の一致した意見。宝くじを買ってみるが、かなり高い確率で下3桁と1桁があたり、買った金額よりちょっと得する、というて程度で終わる。風水、本気でやろうかな〜。

2002年1月25日(金)
 息子はいつも冷静だった。痛い時眠い時、泣いてグズる程度の手のかからない赤ん坊だった。でも敏感に私の顔色を読んで自分を押し殺していたんだなあ、というのが今になって判る。私自身が態度を改めて以来、息子は普通の幼児らしく手がかかるようになってきた。それがうれしい。一日中、私の後追いをしている。私が出かける時は泣いてくれる。帰ってくると抱きついてくれる。
正直、育児に疲れているし、疲れ過ぎて鬱になっていたくらいだけれど、今は母もいてくれるし、手のかかる子供がいることを楽しい、幸せだ、とポジティブに考えられるようになってきた。毎日時間に追われるような生活だけれど、楽しい。
 今日も教習所で2時間の実技。そろそろ効果測定を受けなくてはならない。学生時代以来、ひさびさの一夜漬けか。

2002年1月24日(木)
 発達医学の専門医の診察を受ける。結果、100%自閉症の可能性はないと断言してもらえた!単に、家庭にひきこもりすぎ、引っ越しが多すぎて、対人関係に慣れていないだけだと。一刻も早く、集団生活に入るように、とアドバイスを受けた。
この一ヶ月の重苦しい、胸のつかえがおりたような、すがすがしい喜びを感じながら帰宅。のんびり子育て、というのは私にとって口で言う程たやすいことではないのだけれど、それでもそうなるように心がけてみよう。
障害、という言葉の痛みを肌で感じていたこの時間のことを、ずっと忘れてはいけない気がする。私は光を見ることができたけれど、悲しみと不安の闇の中を模索しながら歩んでいる人もたくさんいる、ということを知った。人にやさしく、とただ願う。
 今日は、午前中も運が良く、自動車教習所でキャンセル待ちで2時間も実技を受けることができた。今の所3時間オーバーっていうペースだ。私としてはこんなものだよ。明日はしっかり予約がとれているのでまたまた頑張る。やっとやっと、車を動かすのが楽しいと思えるようになってきた、気がする。もはや、自分で自分に「私は車が好きなんだ、好きなんだ〜」と暗示をかけている状態だが、それでなんとかなってしまえ、という感じなのだ。
今日はもう一つ嬉しいことがあった。義妹が待望の第2子妊娠!不妊治療を続けてきた結果、というのだから嬉しさもひとしおだろう。ハワイ在住なので、ベイビーにすぐに会いにいけそうもないが、それでも新しい親族の誕生は楽しみで待ち遠しい。

2002年1月23日(水)
 恐い夢をみて、泣きながら目をさます。オットが交通事故で亡くなったと言う妙にリアルな夢で、目が醒めて夢だと分かってからも恐怖と悲しみで胸がドキドキしてしまって、もう安らかには寝つけなかった。こんな人に笑われそうなささやかなことで、改めて平凡な毎日のありがたみを実感してしまう。というか、私にとっての彼のかけがえのなさを身に沁みて感じた。物質的な保証はさまざまあるが、精神の保証はなにもない。彼ほど私を分かってくれる人はほかにおらず、誰も彼の代わりにはなれない。子供達ばかりでなく、彼の事も大切にせねば!と涙にかきくれた明け方から誓ったのだった。
 息子は今日から2才7ヶ月。区立の福祉センターへ聴力検査を受けにいく。オットがつきあってくれたのが非常にありがたかった。息子は玩具に気をとられて、ちゃんと検査に集中するなんてできなかった。40デシベルまではそれなりに反応らしきものをみせていたが、ほとんど玩具に夢中で何が聞こえても気にならない、といった風。言語発達遅滞児の育児グループは正直言って気に入らなかった。ああいう子達を固めてしまうことに何かいいことがやはりあるのだろうか?それを感じることができなかった。
この3週間程で息子の言葉はポツポツと増えている。私達がコミュニケーションに気をつけてあげれば、人並みになるのではないかという希望を、どうしても持ってしまう。
 こんな非常な、多望な毎日だが、時々無性に人形遊びはしたくなる。縫ったり編んだりしたくなる。

2002年1月22日(火)
 ぽかぽかとあたたかな一日。息子と幼児教室に行くのものんびりと、バスを楽しみながらの外出。子供が通っているのは七田式の教室で、たくさんのカードを次々に見せる、というのが主体。大人が見ていても「へえ!」と思うような知識がつめこまれているのだが、それを0才からの子供に見せる。理解、なんていうのとは違う次元で子供は感覚として掴んでしまうらしい。うちの娘も夢中だったが、息子も授業が始まるまではよその子の車の玩具を欲しがってないていたのに、始まるとじっとカードを見つめて集中していた。先生ともあとで面談したけれど、息子とは目もあうし上手にカードを見てくれるし心配ないと言われた。息子の発達が、今の私の願い。今週は息子関係の予定がめじろ押し。明日は保険福祉センターで聴力検査、明後日は発達医学の専門医のカウンセリング、と母としてふんばりどころという感じだ。自分としての自分より、母としての自分に悩む。とことん悩む。いつか光を見出せればいいけれど。

2002年1月21日(月)
 月曜日はドッコイショ!という感じにただでもなるものなのだが、雨が降っているとなおさらだ。冬が好きで雨降りが好きだった昔の私はどこへいってしまったのだろう。
 娘が新しい幼稚園でモテモテなのだと他の子のお母さん方からきいた。男の子達に人気がある、とは先生からのお手紙で呼んだことがあるが、毎日娘の席の隣を男の子達がとりあっているとか。我が娘ながら羨ましい。しかし、人にはモテる時期が人生に2度あるという。その一度目が3、4才できちゃっちゃ、困るんじゃないの?と心配だ。
 教習所に通い続けて第一段階の学科は受講完了。効果測定を受けなくてはならない。実技もやや慣れてきた。順調に仮免ににじりよりたいものだ。

2002年1月20日(日)
 娘の幼稚園が休みで教習所の予定も夕方から…ということで、久しぶりにおもいっきり寝坊をする。憂いなく眠る、ということすら近ごろの私にはできなかった。でも息子も毎日少しずつ言葉が出てきているし、車にもやっと慣れてきたし、私的に事態は好転している気がするので、やっと心がのんびりできたのである。
 冷やかしにオットと近くのマンションのモデルルームを見学する。豪華な仕様のモデルルームは行くだけで楽しいが、ここに大量のお人形をどう飾るべきか、などと色々悩んでしまった。マンションは管理がいい。でも月々のローン以外に修繕積立金とか管理費とか駐車場代とかルーフバルコニー、あるいは専用庭使用量などコマコマとお金がかかるのがイヤ!

2002年1月19日(土)
 狭い直角の道、S字に苦戦し、初めて教習所の実技でオーバーする。2時間練習しても体得できたと思えない。はたして私は何時間かかるのだろうか。車を自在に操れるようになったら楽しいだろうな、とは思う。人生観がちょっと変わるかも、なんて期待している。
 娘のお友達の御両親が離婚したそうだ。5才と2才の女の子二人をひきとって、ただ苗字が変わるだけであとは何も変わらないの、とサバサバお話している様子に感心した。もちろん、そこまでに色々な葛藤はあったと思うけれど、私にはすごい勇気があることに思える。誰にも頼らずに生きる、という心の強さ。今の私に一番欠けているものだ。

2002年1月18日(金)
 好きこそものの上手なれというが、だったら私は車の運転が好きではないのかも知れない。8時間も乗っているのに、全然カンがつかめない。毎日ユーウツ。意地で教習所通いをしているのだ。
 でも今日は大好きな親友に、4年ぶりくらいに会えた。成城駅前のケーキ屋の喫茶室で4時間もおしゃべりをしてしまった。オットとの出合いの時からを知っている夫婦共通の友人でもあり、とても楽しかった。作家の林真里子さんや女優の五十嵐淳子さんを見かける。さすが東京、というのもあるが、この友人と一緒の時は有名人に遭遇することがままある。
久しぶりに、子供を置いて羽を延ばしてしまったが、やはりずっと子供の事が気になって何度か電話を入れてしまった。母親だなあと自分でも思う。
息子が初めての2語文を喋った!気がする。食事の時に「もぐもぐ、美味しい」と3回くらい言ったのだ。それはいつも私が食事の時にかけている言葉なのだが、その時には私が声をかけるより先に言った。大丈夫、きっと自閉ではないと改めて思える。どうかこのまま、健やかに成長していってくれますように。
息子が自閉症傾向といわれて、私は今まで知らなかった胸の痛みを知った。それは想像以上のものだった。傷付いて思ったことはドラマのタイトルではないけれど「人にやさしく」ありたい、ならなければ、ということだ。自分が幸せでありたいように、人にも幸せであって欲しいと思う。みんなが互いにやさしければいい。

2002年1月17日(木)
 ジェニーズクラブS会員ドールのリナがブリジットボディになって帰ってきた。やはり、いい。リナ様はこの体でなければ、なんて一人で納得してしまう。教習所と子供の事で明け暮れていると、なんとなくアップしそびれてるなー、というお人形がたまってくる。仮免まではやくとって、ちょっと心の落ち着きを取り戻したい。
今日は、急発進と急停止の実技勉強をした。今まではヘロヘロなりにすんなりきたけれど、これからは難しくなるそうな。教習所に通いはじめてから、とにかく車に乗るのがこわくなった。タクシーにのっていてもブレーキをかけたくてウズウズしてしまう。

2002年1月16日(水)
 初めて、教習所で空振りした。キャンセル待ちをしていても乗車できなかったのである。受講できる学科もやっていなかったのでスゴスゴと帰ってきた。とっても空しい。これから学生で混雑する一方だという。私は娘の幼稚園の送り迎えの合間にしか受講できないので、結構なハンデである。できれば今月中に仮免まで、という目標を立てていたけど無理そう。
 空いた時間でひたすら子供達とコミュニケーションをとる。手のかからないと思っていた息子が実は、娘とはまた違ったナイーブな面を多分に持ち合わせていたことに気付く愚かな母だ。まだ取り返しがきくと先生達に言われた言葉を励みに頑張る。でも私の母の助けがなかったら、この毎日を到底すごしきれなかった。このままいつまでも母と暮らしたい。

2002年1月15日(火)
 火曜日は教習所が定休なのでホッとできるな…と思ったら、今日から息子の習い事はじめなのだった。福岡で娘がずっと通っていた幼児教室である。これで火水土曜日は子供の習い事でうまった。あと免許を取得するまでは毎日教習所通いである。取りあえず、仮免めざしてがんばるしかない。前向きに!子供の習い事の送り迎えを車でスマートにこなしている自分をイメージする。願わくばその通りになりますように。

2002年1月14日(月)
 3連休も最後の日ということでオットが子供達と随分遊んでくれる。それだけで、本当にとても助かる。やはり我が家の太陽はオットなのだ。私は子供にハイテンションで接することが苦手だ。
 オットとアメリカのドラマを少しずつレンタルしてきて観るのを楽しみにしている。ちょっと前は「ER」だったが、今は「アリーmy love」で、まだ一シリーズを見始めた所。中で時折バービーの話題がでるのが面白い。いわく、主人公のアリーの同僚のジョージアが大変な美人で、しょっちゅうバービーに例えられるの。アリーはスキッパーとかミッジなんて言われている。その度に私がオットにどういうお人形か説明するのだ。
 「SMAP×SMAP」でついに稲垣吾郎復帰。でも番組の半分以上が前説って感じでつまらなかった。復帰はファンとしてうれしいけど。

2002年1月13日(日)
 毎日、教習所通いで休日もへったくれもない感じである。私は基本的に午前中しかいきたくないのだが、他の人は夕方あたりに集中するらしく、今のところいつもキャンセル待ちで乗車できている。しかしカンはまったくつかめない。坂道発信、バック、狭道での切り返しなどさっと駆け足で教えられても、体得してる実感はまったくない。納得いくまで車に乗って練習したいものである。免許は純粋に子供達のために取得したいのだけれど、大切な子供達を乗せて走れる日は本当にくるのだろうか?不安でいっぱい。
 子育てにだって悩む日々。ひとりでは頑張れない。幼稚園の先生や幼児教室の先生方にサポートしてもらってやっと何とか、な私って本当に頼り無い母親だと思う〜。

2002年1月12日(土)
 気がつけばこのサイトをオープンして1年が経った。来て下さった皆さんに本当に感謝。ただ有り難い思いでいっぱい。今年はお人形を増やすより、可愛がる年にしていきたいと思っているのだけれど、ドタバタと要領の悪い主婦なので、なかなか充実もままならないかと思いますが、よろしく〜。

 今日も教習所に通い、学科と実技で3時間頑張ったが、どうにもヘロヘロで本気でヤバい。こんなことで道幅が狭く曲がりくねった所が多い世田谷の街を走り回れるようになるのだろうか??
 午後は息子の幼児教室の面接に行く。息子は自閉症ではない、ときっぱり診断されて嬉しかった。母親は太陽であるべき、と言われその難しさに絶句する。私は太陽というタイプではない。相当、無理をしなければならないみたいだ。我が家の太陽はオットである。私は典型的な月なのだ。太陽ぶって子供に接していかなくては、と考えるだけで疲れるが母親の義務とあれば仕方ないかなあ。

2002年1月11日(金)
 生来の出無精、めんどうくさがりやの私がこのところ毎日活発に行動している。全部仕方なくしぶしぶ動いているだけなのだが、やればできるものだなあ、でもいつまで続くことやら、という感じだ。
 今日も、キャンセル待ちをしてうまく自動車教習の実技を受けることができた。右折、左折の練習。車両感覚が身についているのかいないのか、縁石にのりあげることはなかったが、まだまだハンドルのきりかたなどヘロヘロだ。車の運転はすごく緊張する。教習所内でこんなでは路上にでたらどうなることか、と我ながら不安。学科は授業って感じが久しぶりなのでなんとなく楽しい。
 午後、また地元の保険福祉センターへ出向き、保健婦さんと面談する。3才すぎて言葉が出るようになった子もいるというし、とにかくがんばる決意を固める。福岡に住んでいた時に娘が通っていた幼児教室の先生にも電話で相談する。かなり希望が見えてきた。最近は家族でよってたかってかまっているので、息子の表情が随分よくなり(もともと悪いわけではなかったので自閉症の傾向なんて感じなかったわけだが)今日は、3語ほど言葉もでた。意味のある言葉だ。大丈夫、きっと良くなると喜ぶことができた。ささいなことだが、涙が出る程に私達にはうれしい。
 母に子供達を預けてばかりで気がひけながら、夕方オットと美容院へ行く。2ヶ月ぶりにああいう場所へ行くと、華やかさにくらくらする。気分転換にたまにはいいものだ。

2002年1月10日(木)
 午前中、福祉センターに息子と二人で行く。広々した遊戯室で目を輝かせて遊ぶ息子の姿は健康そのもの。言葉の遅れなんてどうってことないんじゃないの?と思えてしまう。でも気を緩めず、できることはめいっぱいしてあげなくては。
 午後、教習所にてついに実技研修。生まれて初めて車を動かした。正直、向いてない〜!と思ってしまった。時速40キロがすごく早く感じられて、とっても恐かったもの。先生は初めてにしては筋がいいといってくれたが、あれは絶対誰にでも言ってるね。

2002年1月9日(水)
 初めて自動車教習所に通う。といっても今日は学科だけだったが。適性検査なども受けた。とにかく混む時期ということで実技の時間をとるのが本当に大変そうである。キャンセル待ち、面倒くさい〜!
 娘は新年初めてのバレエ教室。同じ4才のお友達が二人はいってきた。昨年末、見学にきていた方たちでうちの娘ががんばっている姿をみて、やらせようと思いましたと挨拶されて恐縮。しかし、娘に変な癖ができた。ラジカセや玩具、パソコンなどからでる音楽を極端にこわがるのだ〜。テレビやカーステレオは平気なのだが。息子の事で私が連日めそめそしているのがやっぱり良くない、とオットに言われて辛い。子育ての難しさにうなだれるばかり。

2002年1月8日(火)
 福祉センター、児童相談所、保育園の数々に電話をいれ、自閉症傾向があるかもと言われている息子のことについて相談しまくる。涙と鼻水でべしょべしょになり、食欲は落ちよく眠れもしない私をオットや母はかえって子供に悪影響だと叱咤する。新年早々きつい出だしとなった。当の息子はどこ吹く風、毎日ごきげんよく楽し気に遊んでいる。その姿にまたホロッと涙が出るのだが、それを長女が気にしてたどたどしく「ママ、泣かないでね」と慰めてくれる。確かに子供の為に悪いよなあ。がんばりすぎるな、と周りの人は言うけれど、頑張る以外に誠意を尽くす術を私は知らない。

2002年1月7日(月)
 この年になってもまだ母に依存している精神状態に苦笑してしまう。きっと母は永遠なんだろう。今、私は育児の事で本当に悩んでいて思いつめているので、母がいてくれなかったら辛くていたたまれなかったと思う。2、3ヶ月前まで息子の発育になにも不安を感じていなかったのだが、2才半になったとたん心配でならなくなった。損な性分、のんびり子育て、と他人はいうけれど、胸から不安が消えてくれない。今までの自分の子育てをひたすら反省する。私の育て方が下手で息子が遅れているならいいのだが…。
 七草粥をつくる。大人には美味しかったが子供達には不味いものだったらしい。

2002年1月6日(日)
 ついに自動車教習所に入学。でも知らずに新年から〜、と決めたんだけど一年で一番混む時期ときいてがっくり。どうしても子供が幼稚園に行っている午前中に通いたいので、しっかり予約をとって頑張らないと〜。
 神戸から母がきてくれた。しばらくいてくれる予定。おばあちゃんがいると子供達が喜ぶ。母は私の息子をみて何も異常なんかない、とても賢そうにみえる、と言ってくれるが、私は真剣に息子のことを心配している。

2002年1月5日(土)
 息子の発育の事について、年末からとっぷり悩んでいる。大丈夫!と強気にふっきれた気持ちになったり、でも自閉症?とものすごく不安になったり、揺れうごいて気持ちがざわめきどうにもならない。なんとかこの不安を払拭したい。それができれば今年はハッピー!ともう断言してしまおう。

2002年1月4日(金)
 トイザらスに出かけて、子供達と公園に行く。昨年よりもっと子供達にかまってあげる年にしていかなくては、と気をひきしめる。
できるだけ子供達に背中を見せないように、ネットも本当にほどほどにしなくちゃね。
 オットがお年玉としてTNTリプロのファーアウトを買ってくれた。今まで欲しいなあと思いつつ中々買うふんぎりがつかなかったものなので、うれしい。バービーはまだ何体かアップしていないものがあるので、とても基本的で珍しくないものばかりなのは相変わらずだけど、そのうち更新していきたい。年末年始はなんとなく「風と共に去りぬ」な感じなので、そのあたりのバービーから箱だしして写真を撮ろうかな。私はやっぱり箱だし派だ。箱からだした状態をとっくり皆さんに観ていただけるように、がんばるっす。

2002年1月3日(木)
 朝、起きるとお湯の蛇口からお湯が一滴も出ない。7時頃の事である。
昨夜、寝る前まで景気よくお湯は出ていた。こういう時、管理がしっかりしている賃貸住宅のありがたさ、24時間年中無休のサポートホットラインがあるので、さっそく電話して相談。その結果、玄関外にある給湯器のお湯の元栓が閉められていただけのことがわかった。事は簡単に解決したのである。
しかしながら。無気味なのは、それが明らかに人為的なものだということ!夜更けから明け方にかけて誰かが、我が家が困るであろうことを想定して、その元栓を動かしたのだ。ホットラインの人がいうには、ままあることらしい。まあ、セールスの人が勧誘を断られて腹いせにする、などなどあるそうである。でも昨日なんか一日家にいなかったしなあ。オットが水道局にまず電話をした。誰でも簡単に水道をいじることができる状態を何とかできないか、と相談。十数万円かけて給湯器を移動工事するしかないとの答え。さらに、一応警察に届け出たら、とのアドバイス。それで警察に連絡。今後、近くの交番のおまわりさんが我が家周りを念入りめにパトロールしてくれることになった。

2002年1月2日(水)
 子供の義務として、オットの実家にお年始に伺う。ついこの間拙宅にお迎えしたばかりだが、孫が遊びに来るのはまた格別の喜びになるらしく、一杯遊んでもらってお年玉をもらって、祖父母と孫のコミュニケーションにつくし、義理を果たした気になれた。それにしても近くて遠いオットの実家。行きはしっかり渋滞にまきこまれ3時間半、帰りは1時間半のドライブ。
 オットの冬休みも残り少なくなってきた。ちょっとくらいお裁縫してみたいな、くすん。でも子供に求められている限り母はがんばるのだ。でも母もお年玉ほしいぞ。オットにもらってトイザらスにでもかけこみたいぜ!

2002年1月1日(火)
 私の理想のお正月は寝正月である。簡単な食事でシンプルに家事をこなし、のんびり、ほわほわと気をゆるめて過ごす。
が、二人の幼児を抱えた女にのんびりまったりはあまりないものらしい。おせちなんて子供も食べないけどオットも嫌いだし、私だって好きじゃないので結局普通のごはんをつくってしまう。洗濯物もたまるし家の中だってなんかホコリっぽいと掃除機をかけたくなる。それでやっぱりバタバタしちゃうのだけれど、家の中にいられるだけまだまったりしていられた。
明日はオットの実家を訪れなければならない。これが結構気をつかう。近くて遠い、行楽地のまん中にある家。車でかなり渋滞覚悟。やれやれ。お裁縫道具でもひろげて、ちまちま縫い物でもしていたいなあ、というのが本音。自分の趣味、なんていうものは、先にやるべき家事子育ての必須事項の夢の彼方に遠く霞んでゆくものなのだった。