2002年12月31日(火)
 2002年最後の日がきた。ざっと掃除をすませて、穏やかに一日をすごす。冬晴れの空が好き。家族水入らずで過ごせる休日を有り難いと思う。夕方、えびのテンプラを求めて買い物に出た。前から気になっていた高級住宅街の中のスーパーに行ってみたけどつまらなかった。値段が高い割に品揃えもサービスもイマイチ。混んでて店員の指示が悪くて、不愉快だった。しかも買ってきた和菓子は固くて不味く、マグロの刺身はあまりにもどうってことのない味だった。もう2度と行かないだろう。主婦をなめてるスーパーって嫌な感じよ。
この近くのファミレスの玩具コーナーにはプチブライスのコージーケープちゃんがぽつんと売られている。なんかいつかお迎えに行きたいかも、と思いつつ今日は立ち寄らずにさる。縁があれば、また来年ね。
 夜は紅白を観て、年越し蕎麦を作って食べた。昔のように19:00からレコード大賞、21:00から紅白っていう風にテレビ局も配慮してくれたら両方観るのにね。潰しあいしても仕方ないのになあ、とオットと言いながら観る。年のせいか昔程演歌も嫌いじゃなくなってきた。氷川きよしのせいかしらん。演歌の世界って現代では一種のギャグに私には聞こえるので、それ風にたのしんで聴いたりしている。オペラをきいて年越し、なんてしてみたいなあ。

2002年12月30日(月)
 私は完全なるメカ音痴だ。その私がパソコンに触ってるなんて無謀だと常に思ってきた。ほとんどまぐれみたいなものだ。なもので、なにかトラブルがあるとすぐ泣きたくなる。最近はパソコンの調子が明らかにおかしくて、だましだまし使っているようなもの。最近ではDVDが見られなくなって、ついに修理に出す時がきたかなあと観念している。それをオットがいじりまくって、インターネットもなにもできなくしてしまったので、今年最後にきて夫婦喧嘩をしそうになった。それを回避できたのは神戸に住む妹のおかげだ。彼女の電話指導で、また私はパソで遊べるようになった。危なかった、冷や汗をかいちゃったよ。ありがとう、のりちゃん!
 今日はまた家族で商店街をぶらついて、美味しいスパゲティ屋さんを発見した。好きなキッチン雑貨店でセールをしていたので、ついつい買ってしまった。ほっけの開きを乗せられるくらいの大きさの角皿。夫婦茶わんを探していてもう少しでいつもみたいな有田焼のものを買いそうになったけれど、オットの意見でピーターラビットのお茶碗を買ってしまった。ディズニーのアリスの絵柄、ピーターパンの絵柄の耐熱ガラスのマグカップを買った。散財散財。でもかなり楽しかったけれどね。店内はすごく込んでいて動きがとれないと思ったら、そう広くもないお店にベビーカーで入店している人が3組もいたのだった。ちょっとどうかと思う。私は常にベビーカーを外において赤ん坊を抱っこして入店するか、いっそ買い物を諦めてきた。横浜の元町のお店なんかだと、入り口に『ベビーカーでの入店をお断りします』としっかり書いてあった。(当時は横浜に住んでいた)こういうふうにちょっと人が興奮して変なアドレナリンをだして、非常識になっていたりするからセールって好きじゃないんだけど、なんだかノリで今日は入ってしまった。まあ、イいものがかえたからいいか。夫婦してモノ好きなところはこれからもずっと変わらないのかも。オットはやたらに収納家具を買いたがり、空間があるとまだモノがはいる、はいると興奮する。思うに、空間は余らせておく方がいいとおもうけれど…。ドタバタな、それでも平穏な毎日。平凡な生活が好き。

2002年12月29日(日)
 今日になってやっと年賀状完成。ふう、毎年ギリギリ。んで、ほとんど毎回住所が変わってるわたしン家。友達からは住所録の欄がもう一杯だよ!とブーイングが聞こえてくる。ごめんね、今回で最後だと思いますと書き添えつつ、でもきっと後一回、もしかしたら2回は変わるなあなんて思いを巡らせた。まず老後、オットの定年後ちょっとしたらきっとオットの実家に戻って過ごす。それからどうしようもなく老いたら、老人ホームに行くなあ、たぶん。
考えてみたら人間の人生で若者と呼ばれる時期は短く、私は案外満足にその期間を過ごせたと思う。長いのはオバサン期だろう。田辺聖子先生の本が好きでよく読むけれど、中年が楽しい、とよく書いてある意味が分かってきた。今がいつも一番楽しいというのは幸福ってことかな。この調子で来年もゆっくらゆっくら、あるいはキリキリ舞いで、運命の流れと折り合いをつけつつ生きて行きたいなあ。と、さしあたり年賀状を書き終えてこざっぱりした気分になった。

2002年12月28日(土)
 息子を病院に連れて行き、色々お正月の買い物をする。鏡餅や、里帰りした時の親戚へのお土産、それからお花。帰ってから超特急で年賀状の印刷にとりかかった。風邪から回復した息子がやけにおとなしいな、と思ったら、お正月用の花の中のセンリョウの実をむしりとって遊んでいた!千円もしたのにイ〜!くくく、しかし男の子らしいことよの、と思って諦める。これもいい笑い話。

2002年12月27日(金)
 今日はたいがいの人が仕事納めの日だと思うけれど、オットもそうで、美容院で髪を銀色にして帰ってきた。4回くらいブリーチしたらしく、なかなかの出来映え。もう単なる金髪には飽きてたからね。(でも堅気のサラリーマンだ)
そして娘に可愛いお土産を買ってきた。メゾピアノのピンクの幼稚園バッグとサイモンのピンクの上靴。3学期から幼稚園で使う。毎日何かもらって娘は満足そう。2ヶ月後くらいには息子の幼稚園の準備もしなくてはならないけれど、子供のものをそろえるのは可愛くて楽しい。
冬休みに入って娘は毎日女優修行をしている。こちらも大変で、娘が何になりきっているかを常に把握していないといけない。適切なセリフで応えなくていけないので、娘が凝っているものを一緒に研究しなくてはならない。母親業は大変なのである。
 息子は1日置きに元気がない。もう熱は下がったけれど元の食欲には及ばず、ひたすらぼんやりとしていてよく眠る。鼻水はまだとまらない。また明日も病院だあ。実は私も年明けにでも病院にいかなくてはならない。今年2月に水疱瘡になった訳だが、はしかもおたふく風邪にもかかったことがないのだ。しかるに今近くではハシカが流行っているそうで、とても恐い。注射は大嫌いだけど、この年でハシカにもかかりたくないから予防注射をしなくては〜。小さな頃から決して体が丈夫な方ではなかったのに、なぜ流行りものにはかからないできたのか、我ながら不思議。子供達はすべてばっちり予防接種済みだけどね。

2002年12月26日(木)
 クリスマスツリーとリースを片付け、お正月リースと羽子板を出して、門やリビングルームに飾る。クリスマスツリーを片付ける時、息子がポロポロ涙をこぼして「いやだあ、いやだあ」と泣いた。そんなにツリーを好きだったの〜。そういえば、ちょっと飾りを触っても彼にしては丁寧に扱って、また飾りなおしてたもんね。息子が生まれた年にオットが「4人家族になったんだから、もっと大きなツリーにしよう」と買ってきた1メートル30センチくらいの真っ白なツリー。来年飾る頃には息子ももっと成長しているだろう。
 それにしても医学の進歩のありがたいこと。昨日まで、熱と鼻水、涙でぐったりしていた息子が2回程薬を飲んだだけでかなり復活。鼻水以外の症状は収まって、悪戯も復活。私のデジカメをいじってはガコン!と床に落とされるのが泣ける。1、2回は優しくたしなめていたが5回目にはこちらの手も痺れるくらいのゲンコツを頭に落としていた。あああ、私は体罰大嫌いなのに〜!でも男の子を育てている人はみんな言うけれど、男の子を叩かずに育てるのは難しい。娘は一度ダメと言われたら、しかも身の危険がからむことはすぐに納得して注意深くしてくれるが、息子はあえてこちらの言うことを無視している。彼を主としてコントロールするものは好奇心だけだ。彼が本当に危険なことをした瞬間、ガン!と殴りつけて痛みとともに覚えさせないと、それが彼の中でのタブーにならないのである。11年前、オットの会社の先輩のお子さん、ちょうど今の我が家の息子と同じ3才の男の子が、マンション6階の自宅の窓から転落死した。両親が隣室で寝るために布団をしいているほんのちょっとの隙に、高い位置にある小窓の下に椅子を持っていってよじのぼり、身をのりだしたところ落ちたのだった。当時5才のお姉ちゃんがそれを見ていて両親に教えたという。今、それがまざまざと私達夫婦の心を戒める悲惨な思い出になっている。息子を叩いてしまったあとは、こちらも涙ぐんで抱き締める。嫌いで叩いた訳ではないと分かって欲しい。
 年賀状もまだ手をつけていないのに、1日中子供達と遊ぶ。クリスマスプレゼントにもらったおもちゃで遊びたおす。まずはトミカの立体マップ。これには娘も夢中。女の子だって案外車遊びは好きなのだ。それからそれから娘の楽しみにしていた「おじゃ魔女どれみの手織り機」を娘にやいやい催促されてセットする。わたしもこういうのは好き。添付の毛糸を使って縦糸をはり、シャトルに横糸を巻いて織りはじめる。なかなか面白い。5才の娘も仕組みをすぐに飲み込んで、なかなか上手な手付きで織りはじめた。さしあたり小さなポシェットになるよう、正方形を2つ織ってみた。機織り、本格的にしても楽しいだろうなあ。もう何年も前から手織り教室に通ってみたかったんだけどね。しばらくはこの玩具でわたしも遊ぼう。

2002年12月25日(水)
 熱も出てきた息子を連れて病院へ行く。わが子達の場合、熱性けいれん(ひきつけ)とかおこしたことないし、中耳炎にもならず、比較的安定した状態でいつも風邪をのりきってくれるのだが、なんとなく今回は心配。先生にも肺炎に注意するように言われる。冬休みはやっぱりのほほんと過ごすように心掛けよう。
息子がこんななので、娘のバレエ教室をお休みする。今年最後のレッスンだったし、お天気もいいから残念だった。今まで子供達がかなり健康だからあまり困ったことがないけれど、子供が何人かいる核家族な場合、一人が体調を崩したらどうしているのかな?高熱がある子を連れ歩くなんて論外だものね。やっぱり体調が悪い子にあわせて幼稚園なんかも休ませるのかなあ。折角取った運転免許、こういう時に生かさなくてはと思うけど気が重い。来年の目標は運転を楽しむこと、かな。
 念願のソファが届いた。真っ白な人口皮製で形が可愛いくてシック。テーブルも届いた。これはお雛様や5月人形などを飾る予定のもの。普段はコンパクトに畳めて、使う時に広げられるのだ。これも真っ白。さしあたり、クリスマスツリーはもう片付けるので、娘のガラスケース入り羽子板と、鏡もちを飾る予定。
 昨日のクリスマスイブに赤ちゃんが生まれたと友人からファックスが来た。昨年のイブにも別の友人が出産。前の年にはオットの会社の人が出産していて、なんとなく毎年クリスマス生まれの赤ちゃんが身近にいる感じだ。私と同じ年の同級生が現在かなり真剣に不妊治療している。来年は彼女の所にも赤ちゃんがいるクリスマスになってくれるといいな、と心から思う。すべての子供達が祝福されて生まれ、愛されて育ちますように。きっとそれだけで世界はかなり幸福になるはず。

2002年12月24日(火)
 メリー・クリスマス!なんとか平和で家族水入らずのクリスマスを祝う。昔はオットと結構豪華なイベントとして楽しんでいたけど、最近では家族みんなの好きな食べ物をつくり、美味しいケーキを食べ、家族写真を撮る、という本当にのどかなホームパーティに変わっている。しかしながら息子がまた風邪をぶり返し、涙と鼻水にまみれ、くしゃみと咳を繰り返し、あまりにも苦しそうで、クリスマスのミサに夜でかけていくのは差し控えた。ぐったりしていた息子だけど、プレゼントを開ける時はさすがに元気だった。山のようなトミカのミニカーのトランクケースが大小あわせて三つに、双眼鏡や、は虫類のジオラマセット(これには私が泣ける。すごくキモチワルイよ〜!)、娘は魔法のほうきに木琴、手織り機(おそらく私が使うことになる)バービーの100枚のステッカーセットにビーズのセットなどなど。わたしも義妹から日本未発売のお人形、クールブラッツのメーガンをもらったので御満悦。実物をじっくり手にとって眺めると、なるほど、今こういう感じがウケるのかなあと興味深い。冬休みはあまり忙しく過ごさない予定だから、この子からアップしようかな。
 引っ越してきて1ヶ月弱。最初から快適に過ごしているけど、今まで使ったことの綯い食器洗い乾燥機に本日初めて挑戦。結婚以来ずっと念願だったのだが、改めて便利さを痛感。実は3年前、食器洗い機を買うつもりで貯金していた。それが、急に人形にハマりこんでしまい、その貯金はみんな人形に化けてしまったのである。以来私は食器洗い機のことを口にしなくなっていたのだけど、今度の家には最初からキッチンに組み込まれていたのだ。ラッキー。これからちょっとパソコンに向かう時間が増えそうな。

2002年12月23日(月)
 クリスマスシーズンの恒例に、オットが趣味で所属している合唱団のコンサートがある。相当年季のはいったOBたちで結成された男声合唱団にはいっていて、テノールだ。もうひとつOBが結成している合唱部、こちらは女声男声の4部合唱団があって、この二つには日本が世界にほこる指揮者の方が深く関わっている。今年はたいそう忙しいので帰国していらっしゃらないが、ほぼ毎年その指揮者の方が棒を振るというので、実は知る人ぞ知る、素人にしてはかなり人気のコンサートだ。オットが「人生で一番楽しかった」というキャンパスライフを送った大学の聴講室を借りてのコンサートには、今年もかなりの人数が集まった。私がこのコンサートを観るのはひさしぶりだ。今まで地方をさすらっていたし、子供が小さすぎてコンサートに行ける状態ではなかった。娘はお気に入りのドレスを着てちんまりと椅子に座って舞台に立つパパを見つめている。ほんの5年前は生後半年の赤ん坊で、パパが歌っている時に唇をぶ〜ッと震わせて遊ぶので、慌てて会場から抜け出したりしたものだ。その時指揮者の方に抱いて撮ってもらった写真は、我が家の自慢の一品である。息子は開場前にロビーで顰蹙寸前まで運動したので、抱いて暖めて揺すると寝入ってくれてラッキーだった。イビキがすごくて恥ずかしかったけど。オットは音楽を仕事に選び、人生を楽しんでいる。その原点を観る思いがいつもする。好きなことを仕事にできるのは、とても幸せなことだよね。
 クリスマスを目前に、新居の中もやっと整ってきた。息子の体調がよければ、明日はクリスマスミサ。

2002年12月22日(日)
 家から出ないで、オットと二人黙々と家の整理に励む。ついに私の人形を出すことができた。1ヶ月ぶり近い。再会の喜びは自分で思っていた以上で、改めてお人形好きを確認。一体一体取り出して並べるのを娘が手伝ってくれて、二人でとても楽しんだ。娘は『東京ミュウミュウリカちゃん』がお気に入りになってしまい、特別な場所、玄関を入ってすぐの特等席に飾ることになった。キャッスル・エリカを見て「セーラームーンみたいねえ」と喜び、クリスティーやニッチェルを見て「茶色くて可愛い」という。おかしい。ショックなのは一ヶ月も箱の中だったので、お人形の髪のカールが潰れてしまっていること!(><)うううう、あっと言う間の一ヶ月だったんだけど、お人形達には長すぎたのね。いずれ時間ができる日がきたら(来るのか?)みんなお湯パーマしてあげないとね。
 昨日から怪しいくしゃみをしていた息子が早朝から39度の発熱。滅多にないことだけど、本人はいつもどおり遊んでいる。強いて言えば悪戯にいささか切れがない感じ。でも夕方には熱が下がっていた。鼻水も止まる。健康〜。我が家の子供達は比較的体が丈夫であまり発熱せず、風邪もわりとあっさりやり過ごす。親孝行でありがとうって感じ。
 何があろうと一日何回かは御飯を作って食べさせて後片付けをして洗濯、掃除、アイロンかけ、入浴、子守りで日々は過ぎる。ルーティンワークをこなしているだけで一日は終わってしまうけど、いつか私も趣味に没頭できるかしら。
今の所はパソコンに向かうのさえ家族の目を盗んで、という感じ。オットが一番嫌がるの。

2002年12月21日(土)
 予報では雪だったらしいけど、雨のままびしょびしょと降り続けるとても寒い一日になった。でも心はちょっと暖かい。オットに一足早くクリスマスプレゼントを買ってもらったからだ。っていっても新しくでたブライスの着せ替えセットなんだけどね。最寄りのトイザらスにはまだ入荷してないようだったので、吉祥寺のユザワヤに行った。ここはお店の人がかなりブライスに力を注いでいる。「スケートデートは完売しました」とはり紙してあった。残念だけど縁がなかったのね。オーソドックスなところがかなり魅力的らしいスケデちゃん、一目会いたかったけど。でもオーソドックスといわずなんでもお任せのルルドがいるではないの。彼女のためにも今回のヅラ付きの着せ替えセットは欲しかった。実物見ても可愛かったから嬉しい。開封するのはクリスマスまでお預け。
 本当は桃子を買ってもらおうかなって思った。OL桃子に揺れる。目もとのグリーンのシャドウがいいなと思って。でもとりあえず、今いるお人形を可愛がりぬいた暁に縁があれば、お迎えしようと決めた。
 明日は雪かな。

2002年12月20日(金)
 「そして僕は途方に暮れる」という曲が発表されたのは18年前の9月だった。私がその曲の存在を知ったのは晩秋の頃だっただろうか。カップヌードルのTVコマーシャルの曲に使われていたと思う。その頃の事は鮮明に覚えている。なぜなら父が死にかけていたからだ。
父は、胃ガンを宣告され余命6ヶ月と言われたが、4年生きた。中学時代の途中から高校を卒業するまで、思えば家庭は暗かった。読書と音楽、絵を描くことが私の喜びであり、心の支えだった。音楽はビートルズから始まってカーペンターズやアバなど母の好みから入っていって、高2の頃「戦場のメリークリスマス」を観たあとから YMO、デヴィッド・ボウイにはまり、色々聞くようになり、ラジオを聴くのがとても楽しくなった。父の闘病生活は永遠に続くのではないかと思うくらい長く、ともすれば息詰まりそうな空気の中で、まさに心の中に風が吹き抜けて行くような癒しを感じさせてくれるのが音楽であり、ラジオのDJだったと思う。「次の曲はコマーシャルでおなじみ、タイトルが素敵です。『そして僕は途方に暮れる』」私は何気なくラジカセの録音ボタンを押した。当時はレコードをレンタルするのだってお小遣いを必死にためなくてはいけなかったから、一番いいのはいつもカセットをセットしておいて、これは、と思う曲を録音しておくことだったのだ。父の看病に付き添って不在の母の代わりに中学生の妹と家を守る真似事をしていて、それなりに気がはりつめていた。でもその心を緩めるように自分で仕向けながら私は一時耳を澄ました。そして人生で一番の衝撃を受けたのだった。フルコーラスちゃんと聴いたのは初めてだった。歌っている人の名前を覚え、顔を音楽雑誌から探し出し、ようやく記憶の中の断片がつながった。夏に、母が音楽番組をみていて「この人、歌ええなあ。踊りもなんや変わってて面白いわあ」と言っていた人。(歌は『その気×××』だった)かなり顔だちの濃い人。大沢誉志幸という人。とりあえず、その曲は私の心の中でいつも鳴り続ける、いわば応援ソングになった。六甲おろしの吹きすさぶ寒い冬の風に逆らうように、神戸の坂道を自転車で漕ぎのぼりながら、マフラーの中に口までうずめて、私はいつも歌っていた。冬の鉛色の空に海に、山々に、父の事を祈りながら、自分を励ますように歌っていた。
私は18才だった。12月27日に父は亡くなった。
 オットが久しぶりに出た大沢誉志幸のベスト盤アルバムをくれたので、今日聴いた。18年前のようにふとした気紛れだった。子供達が観ているアニメの合間にちょっと時間が空いたから何気なくCDをセットしただけ。今ではドライブ中くらいしか音楽を聴こうと思う余裕はないのだけど、少し気持ちがよくなりたいから…。音楽が魔法のように時間を引き戻す力を持っていることには、いつも驚かされる。不意打ちのように、私はショックを受けた。それは18年前と似ていた。
 父が亡くなってすぐに年は明け、祖母や叔父がくれた新年のお年玉を持って私は三ノ宮という神戸で一番の繁華街へ出かけた。『そして僕は途方にくれる』のシングルレコードを買うつもりだった。レコード店の店頭では大沢誉志幸コーナーが展開されていた。アルバムを買えばポスターなどのおまけをもらえるというのだった。アルバム¥2500は当時の私には大金だったし、別に大沢誉志幸の顔が好きな訳ではない。でも、あまりにも好きな曲が一曲あるなら、そのシンガーソングライターのアルバムを1枚くらい買ってみたっていいのではないかな。そんな気紛れでわたしは最新のアルバムを買い、帰宅してすぐにレコードの針を落としたのだった。1曲目は『そして…』とは対照的な、突き抜けるようロック、アルバム表題作の『CONFUSION』。その大沢さんの第一声を聴いたとたんに、私の頭の中、心の中の何かがバン!と大きく爆発した。あんなに驚いたことはない。私は自分が一番求めていた音楽をみつけたのである。呆然としている私にたたみかけるように『そして僕は途方にくれる』…『雨のタップダンス』『Free Wayまで泣くのはやめろ』『その気×××』などなど、すべてが衝撃的であまりにも新鮮だった。そのアルバムは大沢誉志幸3枚目のアルバムだった。翌日私はすぐにレコード店に行き、有り金をはたいて他の2枚も買った。短期間で一気にアルバムを3枚買ったというと、友達全員に「気でも狂ったか」と言われたけど、私はすっかり夢中だった。私の中に煌めく星がひとつ生まれたのである。
 大沢さんに会うというのは私の夢の一つになった。辛いこと面白くないことはたくさんあったけど、大沢さんの歌をきいて頑張っていたらいいこともたくさんあった。そして今、幸せだ。間違いなく、幸せ。だから今はもう、好きなだけ泣いていいんだ。いいんだ。泣いたってもう立ち上がれなくなる心配はない。
 今の私の半分の年令だった私、結構がんばってたね。あの頃は寂しかったよね。今は寂しいどころではないからね。

2002年12月19日(木)
 最初にジェニーにハマったのは初めて手に取ったドールブックがジェニーのものだったからだと思う。でもきっと少女漫画が好きということにも影響されていたのだ。あのお顔のそれぞれが、魅力的に見えた。今はもうそれも冷めて、なーんて言えたらいいのだけど、やっぱり好きである。どうしてもお人形の整理ができない。ということは無限大に増え続けるのか、とオットに詰め寄られる時が一番辛い。自分でもかなりピンチ!と思ってるんだもの。願わくば宝くじを当てて、さらに部屋数の多い家を建てたいな、なんて、本気で夢見てしまう。いや、いっそ人形用にワンルームマンションでも購入するべきかしら。ワンルームで足りるよね、いくら何でも。人形ってもしかして、お金がある人しかハマっちゃいけないものだったんだなあと、後になってから気付いても遅いのねー。
 名古屋に住んでいた頃、近くに公立幼稚園はなく皆、私立幼稚園に通っていて月謝の相場は¥12000ときいていた。入園金が¥30000とか。ちょっと高級なところで¥80000。福岡で娘が通っていた所は¥20000弱で入園金¥200,000。そして現在。東京の私立の相場は私が知る限り月謝が¥25000で、入園金¥150,000〜300,000が相場だ。すごいところだと月謝が¥60,000で入園金¥1,000,000とかね。我が家は最低ラインで頑張ってます。でも来年は息子が入園するので、月謝は2倍。それぞれ習い事しているのが現在¥30,000くらい。さらに娘はピアノと英語をならいたがっている。も、物理的に無理。出無精の私は現在週に3回習い事に付き添うのでも苦痛だから、もっと出番が増えるっていうプレッシャーにも耐えられないし。育児の苦労は精神的なもんだけではないのでございます。可愛いからやっぱりたまにはお洋服や靴も買ってあげたいしね。どちらを切り捨てるべきが、オットに説教されるまでもなく明らかなんだわ。ガックシ。「人形はもう十分持っているでしょう」というオットの言い分はまったくもって、筋が通っているのでした。わーん(><)もう玩具会社の誘惑に負けまいと思いつつ、心はゆらぎ、ヘソクリの術に思いをめぐらせる。新しい人形を欲しがらない最良の方法はネットしないこと、なのかも。

2002年12月18日(水)
 娘が冬休みに入り、ひとまず朝はちょっとのんびり。その分いつもより丁寧に掃除できた。我が家の床は白木の色に近い。今までダークブラウンのフローリングが殆どだったので、それに比べたら汚れがすごく目立つ。しかし、3階建ての家は掃除機をかけるのが面倒だ。コードレスな掃除機がすごく欲しくなってきた。うっかりそう言って、オットにそれをクリスマスプレゼントにされると嫌だから黙ってるけど。年内に家を整え、年があけたらちょっとだけあるお庭に花を植え、お客さまを迎えるようになりたいかな。オットがカラーボックスと棚板を使ってキッチンに細長い配膳台を作ってくれたのが、すごく重宝している。さすがの私でもちょっと料理をする気になってきた。とはいえ、自分がおせち料理は嫌いなので、お正月はどうやって凌ごうか思案〜。ほかの主婦の人ってちゃんとおせち料理つくってるのかな〜。特別な日でなく普段の日に、ささっと食卓を整えられる人って主婦の天才だと思う。私も結婚して12年半。精進が足りないのは明らかなのだわ。
 今頃になってやっとクリスマスツリーを飾り付けた。娘は飾り、息子ははずす。この二人の喧嘩を仲裁しつつ、クリスマスのお気に入りの本を読む。創元推理文庫、シャーロット・マクラウドの「にぎやかな眠り」。長いシリーズの第1作目でユーモアたっぷり。これがきっかけで私は「ティー§ケーキ」と呼ばれる類いのミステリーにハマった。今年はちょっと間に合わなかったけど、来年は家の外観にもちょっとイルミネーションしてみたいな。やりすぎない程度にね。と思うのはこの本のせい。
本といえば、14才の頃から読み続けていたグイン・サーガの最新刊「ヤーンの時の時」も読んだ。今年最後を飾るのに相応しい内容だったかな。作者の栗本薫先生も書いておられたが、私も一読者として感無量な気持ちになった。14才の頃の私は神戸の公立中学校に通っていた。仲良し5人組だった。当時、自分が30才を超えるまで続く予定の小説を読む、なんてすごいことだった。けれど、そういう息の長い作品はそれなりにあるよね。漫画だけど、終わってないもの一杯よ。作者の責任として最後まで続けて欲しいなあ。「ガラスの仮面」はどうなるの。「王家の紋章」は私が11才の頃から「助けてメンフィス!」「おお、キャロル!!」をやってますが、進展はあるのかいな。「エロイカより愛をこめて」はずっと続いて欲しいかも。
なんにせよ、物語の世界にハマるのは楽しい。私は特に読みはじめた頃から現在に到る道が波乱にとんでる方なので、感無量になりやすい。なんで今、36才で、東京に住んでいて、子供が二人いるのでしょ。そんなことが不思議に思えることがあるんです。
 オットが、私の青春のアーティスト大沢誉志幸さんのサインをもらってきてくれた。なんと私の名前入り。これは。なんだか初めてサインを嬉しいと思ったわ。私は基本的にあまりサインなんて欲しい人間じゃないのですが、(一緒に撮った写真の方が断然いい)自分の名前を書いてくれたと思うと嬉しいかも。というわけで、パソコンの上にお供えしています。

2002年12月17日(火)
 ソファを探している。長年愛用していたソファはあまりにも形が崩れてしまったため、愛着は深かったけれど引っ越しを機会に処分して、現在我が家にはソファがない。それはそれで空間が広くとれていいのだが、やっぱりホッとしたい一時、ソファに腰を落ち着けてもたれかかる快感は忘れがたく、子供達も寝そべる場所をなくして戸惑っている様子。もう何ヶ月も探しているのだけど、これは、というのになかなか巡り合えない。値段が高すぎたり(ン十万以上っていうのはちょっとね…)、サイズが合わなかったり。我が家は縦に細長く幅が狭いので、本当はトリプルかL字型ソファが欲しいんだけどそうするとソファで部屋が一杯になってしまうのだ、くすん。ラブソファ(なぜ二人がけをラブソファっていうのかな?)をとりあえず一脚買うつもり。色は白がいいな。
 仕事が楽しくない人、というのは世の中にたくさんいるんだろう。そういう人ってイライラしているなあといつも思う。他人に対する常習的な敵意、闘争心をくすぶらせている。そんな人が図書館にいた。中年の男性。いかつい仏頂面で児童書を物音あらく片付けている。息子がぬいぐるみで遊んでいたら「遊んだら片付けてね!」と驚く程敵意のこもった語気荒い口調でぶつかってきた。「すみません、まだ遊んでいる途中なんです。終わったら片付けますから」という私をにらみ、「こっちは片付けてるんだ」とつぶやいた。世田谷区砧図書館のおじさん。あなたの人生がいくらつまらないからといって、一部のほんわかとした世界にいる幼児にまでその毒を吐き出さないでよね。人生が面白くないのはきっと、あなた自身のせいなんだから。たぶん、息子に付き添っていたのがわたしではなくて、髪をツンツンに逆立たせて堅気風でない服を着たマイダーリンだったら、あのオヤジは沈黙を決め込んでいたに違いない。女子供にだけ強い奴、というのが世の中には確かにいるのである。
 明日から娘が冬休みにはいるので、やっと家の中の整理にとりかかれそう。ゆっくり手紙を書きたい友達も何人かいる。最近、東京を引き払ってご主人のお父さんと同居するために地方都市に去って行った友達がかなり苦しんでいたり、ね。価値観が違うもの同士の同居ってすごく辛いもの。環境の変化、育児の悩み…私には話を聞いてあげることしかできないんだけど、距離は離れてしまったけど、友情はいつでもどこでも寄り添っていられると思うから、その気持ちを伝えたいな。

2002年12月16日(月)
 週末の忙しさでぐったりとしてしまった朝。体力も気力も低下しているなあと目覚めた瞬間に思ったのだけど、自分一人の人生ではないので、いやいやながらに家事をこなす。娘を送って行って迎えにいくまでの2時間は息子とのデートタイムと割り切る。引っ越してきたばかりで駅周りのことも詳しくは知らないので、色々探索。でもまずはMr.ドーナツでゆっくりコーヒーとドーナツを味わった。となりに座ってたサラリーマンのおじさん二人がポイントカードをくれた。今はピングーのあったかグッズプレゼント期間。でもこういうノベルティものでも家の中に増えると辛いから、ちょっとくらい可愛いからってほいほいもらうのは考えもの。本屋でひさしぶりに「主婦の友」を買ってみた。家計節約術、収納、簡単にできるおせち料理、楽にできるシェイプアップ体操など私のニーズにぴったりの内容じゃないですか。あー、つまり私、典型的な主婦ってことなのねえ。オホホ。まあそれも幸せかな。
 オットがデアゴスティーニのバービーをお土産に買ってきてくれる。バービーが世界を旅するという趣向で、絶対的に子供向け。着せ替えのドレスが毎回ついているのならいいけど子供用ネックレスだったりするしなあ。初回についていたお人形もまあピンクボックス以下って感じの子。それなりにバービーらしくはあるけれど。

2002年12月15日(日)
 引っ越すと、いつも出るものがあって、それに極力用心している。なのにやっぱりちらっとでも出てしまう。それが私の喘息とオットの腰のヘルニアなのである。私の方は引っ越しの最中からちょっちょっと出ていて、万が一の為に持ち歩いているエアゾールという吸入器を使って事なきを得ているが、オットの腰痛は出るとくどい。ちょっとやそっとではおさまらない。ひどいと寝返りもうてなくなる。ただでも育児で手がかかるし、引っ越し後の家は色々男手がいるので気をつけて欲しいのだ。今くるかくるかと恐れていたら、がんばりすぎた昨日から腰が痛い痛いと言い出した。
 しかしオットの暴走はとまらない。毎回、引っ越しの度にインテリア熱に浮かされるのはオットなのだ。彼はかなりのインテリア好きで、TVも建物探訪問とか必殺リフォーム計画とか神業ルームメイクとか録画しておいてあげるととてもヨロコブ。生活感のない空間を理想とし、見えない収納をこよなく愛する。ゆえに、家が変わる度に収納家具を求めて飛び回り、あっちもこっちも隙間を埋め、写真や絵を飾り、照明に凝り、カーテンにこだわる。その情熱はほっておくと暴走し、家計に多大な痛みを与えてくれるので、今回は私はとっても用心深く抑えていたのだ。例によってそわそわと収納家具を欲しがりはしたけれど、とりあえず新築の家ということで彼もかなり満足していると思ったら。リビングの中で食器棚とバーカウンターが浮いちゃったんンですね。我が家は白にこだわって作った。しかしながら子供ができる前の私達夫婦の好みは黒だったのだ。で、白いリビングの中で新婚時代に揃えた家具が浮くのである。モノがよくデザインは気に入っているので、色さえ白なら落ち着くのにねえ、とため息をついていたら、オット、塗装屋さんを呼んじゃった。
おかげで今日一日が潰れました。塗装屋さんは気のいい青年二人で丁寧な仕事ぶり、でも食器棚とバーカウンター、椅子4脚を塗るというのは半端じゃない大仕事だったのね。棚からだした食器でキッチンが埋まっちゃっって何も作業できないし、油性ペンキのにおいはすごいし、出費も痛いし(ビンテージバービーが買えるのよ、何体も!)、私はすっかりヒステリーを起してしまった。そりゃ、白ければいいのにね、とは言ったけど、何もこの年末の引っ越ししたてのクリスマス前の忙しい時、物入りな時に大胆な計画してくれなくていいよ〜(><)塗装屋さんにお茶だしたり、お菓子差し入れたり、子供達が寄り付かないようにお守して機嫌をとったり、アメリカの姪甥に送るプレゼントをラッピングしたりで、今日は予定していたことが何もできなかくて、ショック。貴重な週末が…。しかも塗装は1日では終わらない!今日は1度塗りしかできなかったので来週また塗るということになった。なんか年内、私は人形を箱からだして飾ることができない気がする。
つくづくショックなのは人形って生活必需品じゃないんだな、ということ。もうずっと箱からだすこともできずに半月以上いる。なくてもいられるもの、やっぱり純然たるただの道楽なんだ。自分の中の物欲を整理し、今あるお人形達を愛し抜くことを考えなくては。新しい子ばかり欲しがるのはよくないのかな、たぶん。。。

2002年12月14日(土)
 小さな教会でやっている小さな幼稚園のクリスマス会!ちょっとした興奮状態で朝を迎えた。お母さん達もみんなお洒落をしてるけど、子供達が可愛い。女の子達のフォーマルドレスはもちろんうんと可愛いけど、男の子達がそれぞれ小ちゃなスーツを着こなして、きちんと小ちゃなネクタイまでしめて、照れくさそうにしゃっちょこばって歩いている姿が思いがけずとても可愛い。息子にも来年は小さなスーツを買おうと決意した。はめ込まれたステンドグラスからの光が柔らかく降り注ぐ聖堂の中は特別な雰囲気で本当に美しい。キリスト教の持つ美しさについて考える。神父様(兼、園長先生)は在日40年のフランス人。ミサが素敵。子供達の歌声があどけなくて可愛くて、年長さんが難しい「千と千尋の神隠し」を歌った時には胸がじ〜ンとしてしまった。第2部はオペレッタということで年長さんが聖劇と呼ばれるキリスト誕生の日、最初のクリスマスの日を演じる他は、それぞれの年令に合った可愛いお芝居をする。娘は「ねずみさんのおてつだい」という劇でねずみ役のひとりだった。この幼稚園に入って10日ちょっとなのに、異様にお芝居が上手だった。演劇が相当得意らしい。前の幼稚園の発表会でもすごかった。普段は内気で人前ではもじもじして声も小さいのだが、演技にはいると我を忘れるらしい。そう言えば家の中でもしょっちゅう、何かの役になりきっている。お気に入りのアニメとか映画とかはセリフを丸暗記してしまっているのだ。最近の当たり役はモンスターズインクのブー、ハリー・ポッターと賢者の石のハーマイオニーかなあ。劇団にでもいれようか、とか思ってしまうくらいだ。こういう親ばかのために子供のプロダクションってあるんだねえ。親の心理をついた商売がちゃんとあるわけだ。
正午には会も終わり、神父様がサンタに変身して、みんなにプレゼントをくださった。どうぶつかるたである。これがまた娘のお気に入りになった。
家族でクリスマス会の感想をいいながら、デニーズで食事。住宅街の中にぽつんとあるそこは異常に込んでいたけど、小さな子連れと言うことで窓際の禁煙席という良い場所をとってもらえた。可哀想な息子はお姉ちゃんのクリスマス会、別に何も楽しくなかったのである。退屈で窮屈で辛いだけ、しかもお腹がすいていたのでストレスが相当なものだったらしい。ここでその憂さを晴らすべく、お子さまランチを一気食いした。その食べっぷりのすごさは周囲のお客さんの目をひくくらいで、恥ずかしかった…&、息子が不憫だった。すまぬ。
 お疲れの娘だがしっかりバレエ教室に通った。オットが息子を連れて買い物をしておいてくれた。その後、車に乗ったらさすがに娘は眠り、ちょうど渋滞していた車の中でずっと気持ちよさそうな寝息をたてていた。渋滞を押してどこへ夕方からでかけたのかというと、トイザらス!クリスマスプレゼントを買いにでかけたのである。
いや〜、すごい熱気だった。なんかみんな殺気立っていた。うちの子供達はとにかくすごい玩具持ちなので、漫然とした様子でぼんやりおもちゃを見回している。熱烈に何かを欲求してくれないと、こちらもプレゼントを選びにくく、しばらくくるくる歩き回った。まずは姪と甥へのプレゼント選び。アメリカに住んでいるので、選びにくい。なんでも向こうの方がよさそうな気がするものね。とりあえず、日本オリジナルかな〜ということで、姪にはシールを作る玩具、甥にはうちの息子にすごく受けていた車のセットを送ることにした。後は別のお店で本のセットとお洋服を買うつもりである。
そうこうしているうちに子供達も欲しいものが見つかった。娘は念願の魔法のほうきをみつけたのだ。数カ月前におじゃ魔女どれみやハリー・ポッターの真似をしたくてほうきを欲しがった時、イメージにあうほうきをみつけてあげられなくて、オットが苦肉の策でいい感じのハタキを買ってきたのだが、その時どうして商魂逞しい玩具会社は魔法のほうきを商品化しないのかな、と不思議だったのである。がついに、おじゃ魔女シリーズで出ていた。それから河合楽器の本当に音が綺麗な木琴が娘の気に入った。息子はいつも絵本の広告掲載でうっとり眺めていたトミカのミニカー用ミニトランクを2種類ゲット。
私もどさくさまぎれにプチブライスの「スノーワンダー」ちゃんをさらってきたわ。
と言う訳で、今日も忙しい週末だった。充実度は満点。家の中のお引っ越し荷物はまだ片付いていないし、クリスマスツリーもリースも飾っていない。ううう、時間が足りない!

2002年12月13日(金)
 今週から来週の終業式まで娘の幼稚園はずっと午前保育で9:30に送って行き11:30にお迎え。駅周りは10:00開店だしそうそうお金もつかってられないでしょう、ということで律儀にいったん家に帰っていたら、おやつをたべて玩具で遊んで、TVをみて、まったり気分を楽しんでいた息子が、また出かけると言う段になって怒り出すので、やっぱり11:30まで幼稚園のまわりで時間を潰すことにした。大人の足ですぐ、というところも家の息子にとっては遠い遠い。とりあえず図書館に行く。2階の児童書コーナーは私にとっても宝の山に見えた。いまだに児童書が大好きだ。子供の頃、図書館の児童書全部を読むのが夢だった。いまだ、その野望に燃えてしまう。それからマクドナルドで子供達と自分の昼食を仕入れて娘をお迎え。こう書くとスムースで充実した時間だったようだし、実際今まで住んでいた玉子ひとつ、ジュース一本買う場所もなかった不便な所から比べたらなんと生活が快適になったことかとおもうけれど、後半、息子はずっと歩きながら泣いていて耳が痛いくらいだった。ほんの800メートルかそこら、歩くのが嫌になって抱け、とねだっていたのである。私に手をひかれながらぶら下がるように歩き泣きわめく。柳にとびつくカエルのように私の前に躍り出てきてぴょんぴょん飛びつく。すぐそこ、の駅がとても遠く感じられる道のり。あーあ。こういう時私が恨むのはオットである。彼はせっかちだ。子供の足にあわせて歩くと言うことがいたたまれず、徹底して子供をどこにでもベビーカーに乗せていき、それがだめならいっそ、といつも担いで歩いていた。結果、生まれつき不精な性格のわが子らは見事なまでに歩き嫌いになってしまったのである。息子の発達が遅めなのには歩かない、走らないと言う日頃の生活習慣の影響あるらしい。今さらのようにオットは反省しているが、日々私は苦労している。息子の事では悩みがつきない。2番目の子供は楽…とは到底思えない現状なのだった。
 パソコンの不調に悩みながら久しぶりにオークションをじっくり見た。欲しいお人形を物色。スペース無視はできないけれど、あと1体くらいはなんとか…と思うのは浅はかなことかしら。

2002年12月12日(木)
 パソコンの調子がすごく悪い。恐い、恐すぎる。なんだかクラッシュの予感なの。ネット中にいきなりシュインって消えたりするんだもん。お願い、今は引っ越しで色々物入りすぎてお金がないから、もうちょっと頑張って、壊れないで〜!
いや、オークションを覗いている時に限って消えるのは、またまた神のお告げなのかしらね〜。性懲りもなく、クリスマスプレゼントにオットにねだるものを物色しているのだけど、やっぱりだめ〜?
 娘の事で心配。なんとなく幼稚園についた時、浮かない顔。じっと立ち尽くしたまま、先生に挨拶もせず、靴を上履きに履き替えようともせず、顔をこわばらせている。先生に付き添ってもらって渋々ゆっくり保育室に入って行く姿を、気を揉みながら見つめている私。帰る時はニコニコして元気一杯。先生にも挨拶する。そして良く眠る。疲れてるんだね。環境がすごく変わってばかりの可哀想な娘。これからはじっくり落ち着いて育ててあげたいんだ、本当に。
 というわけで、オットの会社の人事部に今後転勤がないように強力にお願いする。パニック障害という病気をかかえているひとはオットの会社にもとても多いらしい。オットの会社もな〜。知らない人がいない感じのブランドだけど、いろいろ進んでいると言われている会社だけど、たとえばオットが有給休暇を全部消化しようとすると、クレームをつけられる。家族を大切にしすぎると先日の上司との面接で言われたそうだ。これは上司のあたりはずれの問題かな。前のオットの上司はオット以上に家族思いの人だったのでそんなことは言わなかったしね。ま、とにかく私はノイローゼってことで通します。

2002年12月11日(水)
 スーパーの袋。我が家には生活必需品です。スーパーでは、「袋が不要な方はお申し出ください」なんてレジの所に大きく掲示してるし、不要というごとにスタンプをくれるというスタンプカードまでつくってある。(なんか割り引きなどがあるのよね)だけど。私には必要だ。家中にこまめにゴミ箱があって、そのひとつひとうにスーパーの袋をセットして、そこにゴミを捨ててるんだもの。資源節約のためというけれど、スーパーの袋がなかったら別のビニール袋を使う訳だから、我が家的には全く節約にならない。みんな、袋と使わずに直接ゴミ箱に捨ててるの??疑問だ〜。
 あとね、バスタオル。家族全員分、最低4枚あって、フェイスタオルも4枚あって、ね、それって使用後はどこに収納してるんでしょ?湿ってるから、すぐにたたんでしまったりしないでしょ。毎回、毎晩洗って外に干すの?私はいつも洗面所に突っ張り棒をして、そこにハンガーでつるしてるんだけど、これって合理的。でも見栄えがよろしくない。生活感丸出し。たまのお客さんに洗面所を貸す時恥ずかしいよう。オットは「全部綺麗なブランドものでそろえればいいじゃん」というのだが、果たしてそれで解決になるのかいな。うむむ。
 さて、娘がバレエ教室の出席100回目となり、めでたく1枚目のカードがいっぱいになって、記念にchacotteの可愛い小さなポーチをもらった。(もしかしてお財布かも)それでホクホクの娘。私も感無量。小さくても重い騒ぎやの息子を抱えてよくぞ付き添い続けたと、自分を讃えたい気分。周りのお母さん方にもそれを言われたよ。
二人目は育児が楽、っていうのは家の場合嘘です。男の子だからか。きっと二人目の女の子は楽なんだわ。息子の手をひいて毎日外出する時、ちゃんと歩かなくて手にぶらさがるようだし、かと思うと私の手をふりほどいて、車道に飛び出そうとする。心臓が縮み上がるような思いを日に何度するだろう。毎日危機一髪。あまりのことに思わず頭をパコーン!そして自己嫌悪。外を歩いている私の顔はとっても恐いはず。

2002年12月10日(火)
 週末にアメリカの義妹から一足早くクリスマスプレゼントの箱が届いた。娘のプレゼントが息子へのものより一つ多いなと思っていたら、今日メールが来て、中身はクールブラッツのお人形だという。もし娘が気に入らなければ私に…とのことで、もう小躍りして喜んでしまった。娘に聞くまでもなく私のものにするつもり。ゆきんこさまのサイトでハワイのお土産プレゼントにミニブラッツちゃんをもらってから、これ以上人形の種類を増やすのをやめようという決意でいたのがグラグラと揺らいで、にわかにクールブラッツを揃えたくなっていた。場所と家計の節約を心に誓い、欲望を制御するように努めていたのだが、もらってしまっちゃ仕方ないでしょお〜(ニンマリ)くふふ、人形の神様に愛されてるかも!クリスマスに包みをあけるのがひたすら楽しみ。
 人形遊びができないできないと思いながら、気がつけば私は毎日着せ替え遊びをしている。娘と息子が人形なのだ〜。毎日さまざまなコーディネートを楽しんでいる。これにはオットも参加してくれるから楽しい。可愛い服カッコいい服、靴を買うと彼も喜ぶし、最近では彼が娘のドレスや靴、息子の靴などを買ってきたりする。それでかなり欲求不満は解消されているんだよね。子供ができる前から私の頭の中は女の子を着せ替えることでいっぱいだったから、思惑通り第1子が娘だった時はすごく嬉しかった。次に息子がうまれることになった時、一気に頭を切り替えて、基本はアメカジ路線のファッションと決めた。時々、貴族の子弟のような格好も楽しんでみる。息子は人があっと驚く程目が大きく、睫毛が長いが、男の子らしい。意外にも男の子のファッションも楽しいのだった。毎日、人に愉しみにされている我が家の子供達のコーディネート。人形遊びを犠牲にしても、育児に専念する価値はある。なにかしら楽しみの見返りがあるものなのだ。

2002年12月9日(月)
 朝、起きると雪。外は真っ白。私の故郷神戸は、六甲山以外は滅多に雪が降らない温暖地方なので、私は積る雪が珍しい。オットの転勤のおかげで広島や名古屋でも積雪は経験したけれど、いまだにね。
 娘は咳やくしゃみ、鼻水もなくただただ38度ばかりの熱をだし、一日眠っている。起きている時はぐずって機嫌が悪い。食欲もない。滅多にないことなので心配。息子はオットが雪の中病院に連れて行きレントゲンを撮って、骨に以上はないことが判明。今日は昨夜ほどは足をひきずっていない。3階建ての家って、住むの始めてだからまだなんとなく使い勝手が判らないけど、子供の気配がいつでも感じられるように、最大限注意してつくったつもりではある。体調のよくない子供達を見守りながら仕事。
オットと協力して猛烈に働いて、家の中をかなり片した。倉庫のようだった私の部屋に空間が出現!あとはお人形をだして飾るだけ。それでダンボ−ル箱がほぼ消える。人形の多さは言う間でもないが、私の物はなんでも多いの。とほほ、だよ。本も多すぎるし、今まで書いてきた何冊もの日記帳もすごくかさ張る。これからはもう、厚手の日記帳は買わないことにした。大学ノートでいいな。何でも好き、というのは生きる意欲に溢れているということかもしれないけど、身辺は片付かないし無駄な散財も多い。人形などは無駄、とは決して呼びたくないんだけど、ドールハウスはものすごくかさ張る〜(T_T)
しかし、部屋に空間ができて、こぢんまりお針仕事やアイロンかけなどできそうなのでとっても嬉しい。早速、カーテンを縫わなきゃ、なのだ。
 夜遅く、オットに親友さんから電話。もうかなり長い間、奥さんと仲が悪かったのだが、最近は一触即発、離婚の危機らしい。結婚歴は私達夫婦よりも長く、この親友さんが奥さんを熱愛していた頃を私はよく覚えている。何かボタンをかけ違えるのかな。私の身の回りにも離婚した人は多い。みんな結婚した頃はテンションが高く、相手を褒めたたえていたのに、離婚する時はきっぱりと嫌悪感を表明していた。他人同士が共同生活する難しさ…。愛ってなに?私はさみしがりだし、甘ったれだからな〜。オットは父性愛が強い人で家庭的なので、子供ができるまで7年間、私は存分に彼に甘やかしてもらっていた。今も子供達ともども甘えている。依存しすぎるのは良くない…よくオットに指摘される私の欠点だけれど、実はそれでうまくいっているのかもしれない我が家である。

2002年12月8日(日)
 朝から娘の元気がない、と思ったら珍しく熱をだしている。無理もない。引っ越しと言う環境の変化はもちろん、私達親が深夜まで荷物相手に奮戦していて毎日のリズムがいまひとつしっくり軌道にのっていない。そんな生活の中で娘はよくがんばってくれていたと思う。娘を寝かし付け、息子はお気に入りの自分の部屋で遊んでいて、私はオットとふたり自分達の荷物の整理にとりくんでいたら、息子が階段から落ちる音が響いた。鳴き声に駆け付け、抱き上げる。その時はちょっと泣いてすぐ泣き止み、また遊びはじめ、食欲もあった。21時すぎ、ふと気付くと息子はびっこをひいて歩いている。その姿は痛々しくてぎょっとした。夫婦で気が動転したが、幸いすぐ近所に子供向け救急病院がある。電話してかけつけた。が結局、明日また正式に整形外科の外来に行くことになった。本人はいたそうなそぶりをみせない。が、明らかに歩き方が変。娘は38度まで熱があがる。心配。心配。階段の事はずっと気にしていて、滑り止めをつけるべく用意していた。でも家中の床に特殊なワックス加工コーティングをしてもらうためにつけずにいて、速くつけなきゃな〜、と気にしていた矢先の事故。明日は娘の幼稚園も息子の幼児教室も休んで病院へ。可哀想な子供達。母としての未熟な自分を痛感。
病院では、息子は全裸になって調べられた。さりげない調子でいわれたけど、きっと虐待の跡がないかのチェックだよね。必要なことだと思う。

2002年12月7日(土)
 娘の幼稚園グッズを飾るためのワッペンを買いにユザワヤに行く。幼稚園ではそれぞれ印が決まっていて、娘の印はりんご。ちょうどぴったりのりんごのワッペンを中心に、可愛いウサギや名前のものを買いこんだ。文房具売り場もさまよって、レイに寄ってまた文具をいろいろ買ってしまう。来年のスケジュール帳を選ぶのを楽しみにしていたのだが、娘の強力な推薦でディズニーのバンビのものになった…。私がバッグの中で使っているポーチもバンビものなので揃っていいかな、と思う。昔私はシステム手帳を愛用していたが、子持ちの今はそんな重くてかさ張るものを持って歩けやしない。薄くて軽くて、そのくせ最低限必要なことが書き込める気のきいたもの、そして子供に受けるのがいい。子供が愚図った時の玩具にもなりうるからだ。
 それからバレエ教室にいって、帰宅後、オットと力をあわせて、引っ越し大作戦に取り組んだ。今日は3階のふたつの子供部屋を完成させて大満足。女の子らしく、男の子らしく。子供達の顔が輝いた。3才にしてもう自分の部屋と自覚を持った息子。カラーボックスに並べたオシャレ用品やお気に入りの絵本の前に小さな椅子を持っていって座ってうっとりしている娘。彼等が満足そうにしてくれると、私も彼もとても幸福なのだった。

2002年12月6日(金)
 娘が新しく入った幼稚園は年少・年中・年長それぞれ1クラスづつのこぢんまりしたところである。古い小さな教会は可愛くて味があり、その奥に可愛いお庭と園舎があって、一目惚れして入園を申し込んだ。その印象は間違ってなくて、今週だけで娘はかなり園に馴染んでくれた。お母さま方も仲が良くてとても感じいい。今日は新参の私の歓迎会をしてくださったのだ。楽しいランチだったわ〜。女も30年やっていると、皆さんそれぞれに話があってすごく勉強になるのだ、本気で。育児の奥は深くて、みんな独自の哲学を持っている。母として女として人間として。生身で現在を生きている人たちの言葉は重く、手ごたえがある。
 夕方、ふいに狂ったようにネット三昧してしまった。禁断症状だったのかな。でも新しい家でいいのは、パソコンがリビングの中央に配置できるので、ネットしながら子供達を会話できるし、お互いに表情がよく見えることだ。前の家では隔絶感があり、子供達はさみしがって私の膝にはいのぼり、ひどい時には足下に丸まって眠り込んだりしていた。それで私はネットは早朝、子供が起きてくるまで、もしくは深夜少しだけと決めていたのだけど…これからちょっぴり羽をのばしちゃおうかな?
 ネットで新ブライスの「スケートデート」ちゃんを見る。可愛いと大評判なのね。うん可愛い。でもお迎えするのはきついかなあ…でか頭、あまりに場所をとるんだものぉ!(号泣)マイシーンバービーも気になる。彼女達もバービーと呼んでいいのかすごく不安。いっそ全く違う人形と言ってもらった方が、なんだか気楽なような。

2002年12月5日(木)
 人は一体、幾つ、何かに所属しているものなのだろうか。私は日常、そんなに積極的に社会人としてバリバリ生きている訳ではない、最低限度の暮らししかしていないという認識を持っているのだが、引っ越すとひたすら住所変更住所変更と手続きに追われる。どれだけの場所に、自分の氏名住所電話番号を登録しているか全く把握していなかった。これってある意味、恐いことのような気がするのだけど、どうだろう。個人情報っていう奴。子供を産むと驚くが、娘、息子の初節句に多数の人形店からパンフレットが届く。育児しながらできる在宅ワークに興味はないかと電話がかかってくる、出産後のスタイル補正用の下着、張りを失った肌に良い化粧品とやら…とにかくすごい。気軽に住所と電話番号を書き込むことにためらいを覚えるようになって久しい。否通知設定の電話を受けないようにしただけで、勧誘電話の類いはかなりバッサリと減らすことができた。しつこいのは在宅ワーク勧誘の業者くらい。これだけマスコミで悪徳悪徳と話題にされているのに、よくめげないなと感心する。
こういう騒ぎも含めて、狂乱にも等しい引っ越し騒ぎが落ち着くにはどれくらい時間がかかるのだろう。現在、全く荷物整理ははかどっていない状態。普通に家事育児だけに追われている。子供を寝かし付けてからダンボールのひと箱でも整理しようと思うけど、もう体力気力の限界っていう感じ。
 今日は、娘の幼稚園でクリスマス会のリハーサルということで写真を撮るので、当日着るフォーマルな洋服着用という連絡があり、オットが張り切って見立てて買ってきたメゾピアノの紺色のビロードのドレスを着せた。どの子も皆、おめかししていて可愛かった。綺麗な服を着るのは娘も楽しいらしく上機嫌だったのだが、インフルエンザの2回目の予防注射を打ったので、泣きべそに。可哀想なので夕御飯は好きなものばかりのご馳走にする。
 寒かった1階の寝室と私の部屋にやっとエアコンがついた。人形はまだ箱から出せない。でも本屋に寄って、新しいドールブック「リカちゃんNo.11 カジュアル&キュート服」を買った。久しぶりに心が和んだわ〜。

2002年12月4日(水)
 雨の日はヘビー。子供達に暖かい格好をさせて、歩いてバス停まで5分。バスは本数が、今まで住んでいた所と比べ物にならないくらい多くてすぐに乗れるし、たいてい座れる。ただ3才の息子は後傾姿勢で手をひいて歩くのにかなり力がいるし、片手に傘をさしているので娘の手をつないであげられないのが、雨の日の辛さだ。前の家より便利な立地になった分、車通りが激しくて恐いのだ。いつか事故にあうのではないかと思えて恐い。
 オットが出勤しはじめると、引っ越しの作業は滞る。でも勢い良く物を捨てるって気持ちいいものなのね。今日もゴミ袋8個持っていってもらってスッキリ。新聞もとりはじめた。ちょっと一週間新聞を読まなかったら、民主党の鳩山さんがなんかやつれてるじゃないですか。何があったの??インターネットもやっと繋がるようになった。ADSL、速い速い〜!びっくり。
 いつになったら、人形をだして並べられるかしら(T_T)今回の引っ越しで、オットの目がますます冷たくなった。あまりにも私の趣味が場所をとる、というのである。言い返す言葉は全く無い。ほんとにすみません、って感じだ。
でも、引っ越しの荷造りを手伝いに来てくれた業者の女性が、初代リカちゃんを大切にしている方で、楽しいお話ができた。私のドールブックを見て「こんな本があるんですか」と驚いていた。スーパードルフィーのキラ、我が家のアンジュを見せてあげたら「なんて綺麗なお人形!」と絶賛してくれた。嬉しかったっす。

2002年12月3日(火)
 ついにオットが出勤していき、新しい家を子供達事守ることになった。ちょっと緊張でドキドキ。娘の幼稚園も距離としては、前に通っていた所より自宅に全然近いのだが、通園バスがないため、歩く距離としては長くなったことになる。前は自宅から2分のところまで園バスがきてくれていたのだ。でも園バスの運転手の先生がアバウトなハンドルさばきなので、恐い思いをしていて不安は大きかった。送り迎えという点では大変になったかもしれないが、娘の園での顔を今までより見られるし、ずっといいかなと感じている。
 今回、引っ越して痛感したのだが、とにかく「なんでも好き」っていうのは良くないざます、ということだ。あれも趣味これも趣味といってたのでは、モノは無限大に広がる。四次元ポケットでも持っていない限り、限界がくるのは目に見えている。私の場合、人形趣味に入る前から、大の紙好きだった。文房具、書籍類に目がなかったのである。そして、布地と毛糸ものが好き。細かな雑貨が好き。食器が大好き…ね、片付く訳無い家なのが、想像できるでしょ?でしょ?つくづく自分をかえりみて反省し、今後生き方をかえようと思ったよ。
そんな私でもどうしても捨てられないのは、やっぱり子供関係のもの。赤ちゃんの時につかっていたベビーカー2台と食器を捨てる時はさすがのオットでさえ涙ぐんで、「さようなら、ありがとうね」と声にだして、お別れを告げていた。ベビーカーの進歩もすごくて、私が母親であった頃よりずっと軽くてコンパクトで、オシャレになっている。もう紺色のベビーカーなんて流行らないのね。私が娘を産んだ5年前は、ベビーカーといえば濃紺だった。私は娘のために真っ赤なフレームに、ベージュ地に赤いミニ薔薇もようのシートのベビーカーを選んだ。たくさんの人に特注かときかれて、自慢だった。息子もけっこう赤いベビーカーが似合っていた。横浜の山手通をさんざん散歩し、つぎに名古屋の本山を、そして福岡の中央区、東京都世田谷区をゴトゴト歩いた思い出のベビーカーはもうぼろぼろになり、お役ごめんとなってしまった。今は写真の中にだけ生きている。いくら子供のものをとっておいたって、当の子供達はきっと喜びはしないのだ。私個人の、もはやコレクションである。子供達の髪、ほ乳瓶、おしゃぶり、ベビー服など、いつか私が死ぬ時に一緒に燃やしてもらいたい。
人形は、孫娘とかが受け継いでくれるといいな。

2002年12月2日(月)
 今日までオットが休みをとってくれているのがとても嬉しい。まだまだ家の中はすさまじい有り様であるが、活路は切り開けてきた感じ。
 娘が新しい幼稚園に初登園。ろくにお支度を整えてあげられなくて可哀想だけど、とりあえず、来年からはしっかりするつもり。今度の幼稚園は私服だし、髪飾りとか通園バッグとか、靴とか、全く自由にできるのでうんと可愛くしてあげたい。娘は冬のコートは4着、パーカーは3着もっているので、日替わりで冬のファッションも楽しめる。
 さていい加減にインターネットしたいし、と思ってパソコンをつなごうとしたら、全然うまくいかない〜!復活できるのか?一応。プロバイダーに電話して聞いてみる。私がNTTの工事にばかり気をとられて、プロバイダのコース変更をしていなかったのが原因?うーん、機械音痴には引っ越しは鬼門かも。

2002年12月1日(日)
 やっとキッチンを使えそうになってきたものの、食材がなにもない。朝寝坊もしてしまったし、結局近くの神戸屋キッチンでブランチをする。それから鬼のようにダンボール箱を潰したのだが、なんだか果てしがないのだ。パソコンも一昨日、NTTにフレッツADSLの工事をしてもらったけど、全然さわれない状態。ネットなしでも生きていけるけど、やっぱりなんか寂しい。インターネットから切り離されているってかなり寂しいものなのね。