2002年2月28日(木)
 オット、会社を休んで確定申告に挑む。どれだけ還付金があるか楽しみな、とらぬタヌキの皮算用な夫婦だ。
 今日の自動車教習は縦列駐車と方向転換の繰り返し。ほんと、所内での教習は気楽でいい。帰りにようやく新しいジェニーのドールブックをゲットできた。
見事な写真集というか、私には眺めて楽しむことしかできない、手も足もでなさそうな本である。次回はカジュアル服特集らしいので、これはちょっとトライできるかな。それにしてもジェニーのボディは色々あって悩ましい。ナチュラルボディもなくなるみたいだし、靴はこれから出ないとしたら、今いるナチュラルボディ娘たちのために、ありったけの靴を買い占めておいた方がいいのでは?なんて思ってしまうではないか。まあ私はブリジットボディが一番好きなんだけどね。
 お隣に越してきた奥さんがやってきて、近くの駅前商店街にケーキ屋はないかという。明日がお嬢さんのお誕生日なのだそうである。しかし、最寄り駅前は見事な和菓子オンリーの商店街なのだ!私も無性にケーキが食べたくなった時にかなりさすらったんだけど、スーバーのお菓子売り場以上の洋菓子は発見できなかったのである。和菓子も決して嫌いではないが、でも誕生日はやっぱりケーキだよねえ。

2002年2月27日(水)
 朝、ゴミ捨て場で挨拶をかわした人は有名な演歌歌手だった。ちゃんと早起きしてゴミを捨て、近所の人にも挨拶できるなんて立派だねえ、と感心する。
 毎日、根をつめてというかムキになって自動車教習所に通っていると、私も疲れるが息子も可哀想なので今日はお休みして(どうせ学科もなく乗車予約もできなかった)彼とのスキンシップに勤める。2才8ヶ月、まだあまりに言葉が少なく、赤ちゃん赤ちゃんしていて不安を感じる。最近爪をかむ癖がでてきて悩んでいる。私が毎日彼を母に預けて出かけることがストレスになっているとは思うのだが、爪を全部噛んでしまうほどなのか、と頭を抱えてしまう。取りあえず、免許取得をひたすらめざす。でも4月から息子もどこかに旅立たせる予定だ。どの幼稚園がいいのか悩むところだ。今日も、バレエ教室のお友達に、子供さんが非常に幼稚園を嫌がったので思いきってやめさせて、新しい幼稚園にいれてみたら、そこには見違えるように楽しそうに通うようになったときいた。子供と幼稚園との相性のみきわめも親にとっては難しいなあ。

2002年2月26日(火)
 娘の幼稚園のプール当番の日がめぐってきた。温水プール付き幼稚園で週一回プールの授業をうけているのだが、なにしろ20数人の3、4才の子供達を服から水着へ、濡れた水着から服へ着替えさせるだけでも大変なのは想像にかたくない。というわけで、父兄で順番に当番が決められ、4人づつで面倒を見るのだ。私は初めての経験である。
入る時はまだよい。脱ぎっぷりのよい子供達の手伝いをちょっとして、プールに送りだした後、着る時に簡単なように順番を考えながら洋服をたたんでおいてあげる。風邪などでプールにはいれない見学の子供達の面倒を見ながら、プールの授業を見学。娘はなかなかがんばっていたが、用心深い性格がよく出ていて笑えた。
終わって着せ替えるときは、とにかく裸の子をつかまえ名前を聞いて、その子の服を着せる。ドライヤーで髪をかわかす。さらに更衣室とシャワールームの掃除をする。
子供達は可愛い。私が誰のママか悟ってさまざまにアピールしてきてくれるし、みんな愛嬌があって甘え上手。疲れたけど中々充実した気持ちで帰ってきた。
近頃また虐待されて亡くなった子供のニュースを何度かきいて、母と一緒にさめざめとないたりしたけれど、明るく元気で幸せそうな子供達をたくさん見ると、心が癒されるような気がする。すべての子供達が愛されて幸せに育つ保証があればいいのに。
未熟でありながら親になるのはみんなそうだけれど、虐待にまでつながる未熟さは許されない。いつも思うのだけれどハムラビ法典が復活したら犯罪って激減するのでは?子供を餓死させたら親も餓死の刑。炎熱地獄のような車の中で殺したのなら、親も同じ思いをさせる。たばこをおしつけること、殴って骨折、内臓破裂させること、すべて同じ思いをさせることにしてやれば、と考えるのはいけないことだろうか。それ以外に、虐待を止める方法を思い付けない。今、この瞬間にも苦しんでいる子供がいないように、祈るばかり。

2002年2月25日(月)
 朝、教習所に出かける時、いつも息子は寂しがって泣く。今日は特別、彼なりに考えたらしく、私がコートを着はじめるとさっと玄関に走って行ってベビーカーに乗り込み、そこから私に手をさしのべて連れて行ってくれという仕種をした。胸が痛くなって抱き締めてからおばあちゃんに彼を託し、まさに後ろ髪ひかれる思いででかけた。今日は、教習所内で車庫入れの練習。路上を走ることを思えば楽勝だった。若い教官が花粉症で苦しんでいたのが気の毒だったけれども。
 ソルトレークオリンピックもついに閉会。閉会式では昔から大好きだったカタリナ・ビットをひさしぶりに観ることができた。
昔から好きだった…といえば、ネットとお人形にハマった頃から好きだったサイト様がひとつふたつと閉鎖されてしまうことになり、驚いたり寂しかったりしている。
私なんかは昨年中ずっと「がんばりすぎないで」と色々な人にいわれたのをいいことにゆっくりすることに決め、今年になってからまだ一度もサイトの更新をしていない。というくらいの気のゆるめようだが、自分のサイトを愛し責任を持っている方ほどに、運営に疲れを感じられるのだろう。
不器用な私は生活に必然順位をつける。主婦のはしくれ、人形は一番にはできない。このサイトなんて本当に、自分のコレクションの整理メモくらいのすちゃらかなつくりだ。それでも反応してくださる方がいることに、驚きと喜び、そして責任を感じる。今の私は枯れ気味で、他の方のサイトを拝見することがもっぱらの楽しみだけれど。

2002年2月24日(日)
 朝には熱が36.9度に下がっていた。自動車教習所に9時前にでかけ、応急救護処置の授業を3時間受ける。すごく退屈なのでは、と覚悟していたが、先生の話しの進め方が面白くて、そして応急救護の必然性が実感できて、とても意義深かった。自動車教習に応急救護処置のカリキュラムが入ったのはここ7、8年のことだそうである。だから私のオットや友人なんかは経験ないのだが、やはり大変重要なことだ。こういう知識は一般人の中にもっともっと浸透していいと思う。
がんばりすぎたか、帰宅後の熱は37,5度。またまた、すべてを母にまかせて眠る。でも今日はオットも休みなので子供達の遊び相手になってくれてよかった。なんの心配もしないでいいのなら、たまに軽い風邪で発熱して寝込むのは、実はちょっと気持ちのいいことかも?

2002年2月23日(土)
 路上教習も7時間になった。未だに慣れない〜!慣れるほど、どこでどうやって練習できるだろうか?子供を乗せていて万が一のことがあったら、と考えただけでもいたたまれなくなる。やはり免許は取れたとしてもきっと車にはのらず、今より便利な所に引っ越してすませることになりそうな予感がひしひしとしてきた。
 教習所、娘のバレエ教室と忙しいので、大好きなフィギュアスケートのエキシビジョンを録画してでかける。娘のバレエレッスンを見学してるときに急にゾクッと寒気がして膝が痛くなってきた。周りには風邪を引いている人がいっぱいで、どうも最近抵抗力の弱っている私はてきめんに感染してしまったようなのだ。家に帰っても、あれ程楽しみにしていたフィギュアのビデオを観る気になれず、母に謝って(とにかくずっと子供を預け、家事を任せっぱなしなのだ)横になる。今日も仕事だったオットが帰ってきてから熱をはかったら38.4度あった。どうりで辛いと思った。この間の水疱瘡以来、発熱が癖になっているのだろうか。息子の方は水疱瘡、軽くてすんだ。今日からやっとお風呂にもはいれるようになる。夏に水疱瘡にならなくてよかった。
それにしても毎日、バタバタと落ち着かない日々である。

2002年2月22日(金)
 ソルトレークオリンピック女子フィギュア観戦に燃える。ミシェル・クワン悲願達成ならず。応援していた私としては悲しい。次…はないのだろうか。選手ひとりひとりの精神力を感じて、見てる側にも力がはいった。
 自動車教習もまあまあ順調。予約は連日満車でとれないのに、キャンセル待ちでけっこう乗れてしまうものだ。相変わらず、環八を走るのは恐い。右折は少し慣れてきた。恐いと思っているといつまでも恐いぞと教官に言われる。恐いものを恐いと思わないようにするのは、自己催眠しかないのか?

2002年2月21日(木)
 セーター1枚で歩けるくらい暖かい日だった。教習所できっちり実技と学科をやって午前中は充実感たっぷり。午後は亡き実父の命日なので、静かに、無宗教なりに祈りを捧げる。
 時折、生きていることを当たり前と思えなくなって困る。子供ができてから非常に命が惜しまれるようになった。ニュースなどで無為に落とされていく命の話を聞くのが辛い。かろうじて、私達は生き延びている、という気がしてしまう。本当は危険がいっぱいで、スレスレのところで賭けに勝って生き残っているだけのことなのかもしれない。一期一会とか一日千秋とか、良く判らないがとにかく一瞬一瞬の何かを大切に思いながら生きていかねば、と早死にした父のためにも、私を頼り切って生きている子供達のためにも思う。
 お隣に越して来た方が郷里からの新鮮なお野菜をたくさんお裾分けしてくださった。嬉しい。

2002年2月20日(水)
 昨日とはうってかわって暖かい一日、春の近さを実感する。
 午前中はオリンピックのフィギュアスケート女子シングルの規定を見て過ごしてしまった。日本の村柱選手健闘。
午後は教習所で学科を1時間受ける。免許取得を目指して良く分かったのは、とにかく車は恐いものだということだ。
娘のバレエ教室にいく。いまや教室は毎回のように続々と新入生がはいり、3才〜6才まで大入り満員。今日は元横綱若乃花夫人が4人のお子さまを連れて見学にお見えになっていたわ。私の近所の人も二人程、はいりたいと言ってるし、本当に昨今はバレエは女の子にとって普通のたしなみになっているのだ。今年度の4月からは、学校は完全週休二日制になるし、小学1年生から英語の授業ははじまるし、本当に私の頃とは時代がかわったのね。

2002年2月19日(火)
 風が強くて冷たくて参った。春はもうすぐそこだから、その前の一荒れというところかしら。お隣に山口県からの転勤の御家族が引っ越してきたのだが、寒くて大変そうだった。私も普通なら今頃が異動だった、つまり今までくらいは福岡にいられたのになあ、とまだ未練がましく思う。半年住んでみて思ったのだが、3駅がそれぞれ徒歩20分というのはかなり不便である。その不便さを解消するために車の免許をとろうとしているのだが、教習を重ねる程に実感するのは、私って本当に車をすきじゃないなあということだ。免許とっても子供を乗せて走る勇気なんてない気がする。例え引っ越し貧乏になろうとも、駅の近くに引っ越すべきではないかと悶々と悩む日々だ。
 インフルエンザが娘の幼稚園で猛威をふるいだしたらしい。予防注射をしておいてよかった。数年前の大流行時に何人もの子供さんが亡くなったときいて、赤ちゃんの娘を抱えて私は心配でたまらなかった。その頃には予防ワクチンが不足で、注射したくてもできなかったのだ。外出しないよう、それこそ風にもあてないようにしてシーズンを乗り切った。以降、毎年10月には家族全員で予防注射を申し込み受けるようにしている。
昨年12月に娘の幼稚園バスのお迎えメンバーとその話になったのだが、予防注射は一回¥2500を2回うたねばならない。子供がふたりいると1万円である。ハッキリ言ってみんなそれに二の足を踏んでいた。そこまでして、インフルエンザが流行しなかったらバカみたいだというのだ。私はどんな小さなリスクも子供の為には犯すまいと思っているので、みんなのそういう考え方には賛成できなかったが、なぜかみんなの方は私が大金(?)はらって家族で予防注射をしたということを冷笑気味だったのである。おおげさだ、というのだった。以降、何度かインフルエンザの予防注射の無意味さについての話をきかされた。いわく、逆に予防注射の副作用でどうにかなっちゃう子もいる、とかアメリカでは効果がないといって裁判になっている、とか、結局今年もはやらないんじゃないの、とか。
今、彼女達は青ざめている。そしてあまり心配していない私に対して少し腹をたてているようだ。理不尽だと思う。
可哀想なので、彼女らのお子さん達がインフルエンザになどならないように祈っているけれど、その不安と危険をさけるための予防注射だとやはり思う。子供の命の管理を母親がしなくて誰がするだろう。
それにしても今まで住んできた所、福岡、名古屋の人たちの秋の合言葉は「インフルエンザの予防注射、した?」というくらいのものだった。みんなが真剣に子供のことを案じて対策を考えていた。だからこそ、ワクチンが品切れという事態になったのだと思う。正直、東京にきて予防注射をぬかりなくしておくことがずるいことのように言われて、今日の私は傷付いている。
子供の健康より、5千円、1万円が惜しいのか。自分達のランチやテニス代を節約すればすむことのように思えるけど。
 とまあなんとなくスッキリしない気分で一日がはじまり、息子は水疱瘡のピークを過ぎたようで元気。その彼のために非認可だが、なかなか素敵な4年保育の幼稚園を見学にいく。オットが今日は休みだったのだ。スポーツをふんだんにカリキュラムに取り込んだ幼稚園でオットはとても気に入っていたが、通うのが大変…。私は車でひょろひょろ送迎する自信がない。判断に迷うところだ。集団生活に入ることが必要、と言われた息子にとってはいい機会なのだが…。
 東京に来て以来、あれこれ悩みっぱなしでもういい加減疲れてきた。

2002年2月18日(月)
 路上教習で環八を60Hで走っていて進路変更をする時、危なかった。ハンドルがふらついて教官にとても怒られた。泣きべそをかきつつ帰宅。やっと息子を病院に連れていく。典型的な水疱瘡ということで、今は特効薬があるから大丈夫とそれをもらって帰る。稀に、水疱瘡のウイルスが脳にまわってしまうことがあるそうで、それを完全にブロックしてくれる薬だとのこと。私はいささか医療不信で、薬には懐疑的。子供特有の熱冷ましの座薬も極力使わずにすます主義であるが、脳炎はこわいのでそのお薬は飲ませることにする。インフルエンザも流行してきているそうだが、おたふく風邪もはやっているときいて、焦る。子供達は予防注射していないのだ〜。子供ひとりあたりにうたなければならない予防注射ってけっこう多い。育児の煩わしい部分だとつくづく思う。 
 息子は1週間はお風呂に入れない。冬でよかった。毎晩、お湯で絞ったタオルで体を拭き、軟こうを発疹に塗る。この軟こうは私にもよく効いた。ちなみに私はおとなの水疱瘡としてはかなり軽くクリアできたみたいだ。今日はお医者様に「気力だけで治しましたねえ」と10回くらい言われてしまった。気力…今、けっこう枯渇してるものなんだけど、わたしにもまだ底力は残ってたのかね。

2002年2月17日(日)
 昨日サボッた分、教習所に2時間通う。環八を60kmで初めて走ったが恐かった…。教官の指導でなんとか免許はとれたとしても本当に独りで運転できるようになるのか、すごく疑問。
 息子は案の定、熱があがってきた。発疹場所が痒いようだし、自分でもなんだろうと思っている様子。でも子供って熱があっても遊ぶことをやめないんだよね。軽く済んでくれればいいのだけれど。一時は38度7分をマークしたけれど、その後は37度台に落ち着いたりしている。
 オリンピック、アイスダンスの規定は放映されなかったのね。オリジナルだけしか見られないなんて残念。

2002年2月16日(土)
 娘は幼稚園から11:30には帰ってくるし、午後からはバレエがあるしでオットのサポートなしでは教習所に通えないのだが、そのオットがイベントの仕事なので今日は免許取得への道もお休みである。
朝、草々にオリンピックのフィギュアスケート・ペアの判定が変わり、銀メダルのカナダペアがロシアと同じく金メダルとなったというニュースに驚いた。信じていた何かがもろくも崩れ去ったような気分である。これからはあまりフィギュアの採点を信じられないような気持ちになる。今までもちょくちょく疑問には感じていたのだけれどね。
 ついに息子が水疱瘡発症!ちょうど潜伏期間2週間という感じである。まだ発熱こそないが、お腹や背中に独特の赤い発疹が数カ所でてきた。予防注射ずみの娘まで、なにやら発疹ぽいものがあるのも気になる。私とすごく身近に接していたから仕方ないのか…。明日が日曜日であることがもどかしい。こういう時、ただちに医者に駆け込みたくなるのが私の性分なのだ。九千円もの予防注射をしなくてすんでよかったね、という人もいるのだが、やはり子供に病気の辛さは味あわせたくないものである。

2002年2月15日(金)
 学科を1時間受けただけでキャンセル待ちもアウトだったので、そそくさと帰宅。オリンピックのフィギュアスケートに見入る。男子シングルフリーの演技だ。日本の本田の最初のジャンプの失敗で(転倒でこそなかったけれど)メダルがしっかり逃げたのはわかった。ヤグディン、プルシェンコ、ゲーブル、についでの4位はまったくの予想通り。それでも日本フィギュアスケート界としては快挙なのだろう。プルシェンコの気迫のカルメンもすごかったが、やはりヤグディンの仮面の男の演技には魅了された。(かつてのキャンデロロほどではないけれど。)彼はパーフェクトに滑り、そして泣いた。そんな様子に私はとても素直に感動できた。彼は希望していたようにオリンピックに勝ったのだ。
美しい情熱を胸に、目標を持って生きている人たちについて考える。惰性ではなく情熱で、生きていけるならそんなに素晴らしいことはないだろう。人生を楽しみながら生きていけるなら。それはとても偉大なことなんじゃないかしらね。

2002年2月14日(木)
 今日はキャンセル待ちで乗車できたので、ゴトゴトと路上を走る。教官に頼りっぱなしの心もとない運転だ。右折が苦手〜。運転は恐い、という意識がどうしても抜けないさ。いいのかなあ、こんなことで。
かえりに可愛い女の子が若いさわやかな教官にチョコレートをプレゼントしてる現場にぶつかった。なんだかこちらも照れくさくなってしまった。今日はバレンタインなのね。愛の狩人たちはみんなそれぞれに頑張る訳だ。私にもそう言う日…あったっけ?
オットと息子にそれぞれチョコレートをプレゼント。でもどうせ私が食べるのだ。オットはなかなか豪勢にチョコレートをもらってきていた。中には到底「義理」とは思えないようなレベルのものがあり、なぜ?と首を傾げることになったが。

2002年2月13日(水)
 教習所でキャンセル待ちの待ちぼうけをくらう。こういう時は空しい。今は本当に人がいっぱい。みんな若くして免許をとるのねえ。お金あるなあ、なんて感心してしまう。
 娘のバレエ教室では新たに4人程も生徒さんが入ってきた。今回は5才の子ばかり。みんなやる気満々で見ていて微笑ましい。この娘のバレエ教室の送り迎えをスムーズにこなすためにこそ欲しい免許なのだ。がんばらねば〜。

2002年2月12日(火)
 息子と一緒に幼児教室にいく。息子は甘えん坊で良く笑う可愛いやつである。でも子供の成長を見守ると言うのは、なかなかに難しい。親が心にゆとりを持っていなくてはいけなくて、それってつまり親がいつもベストコンディションでなくてはいけないということみたいで、私にはちょっときついことなのだ。早く成長して欲しいと願ってしまう度に、いけないいけない、この子にはこの子のペースがあると自分にいいきかせる。

2002年2月11日(月)
 自動車教習所に行く根気がついになくなってきた。仮免とって気がぬけ、混んでいて乗車できないし、水疱瘡からこっち体調がちょっとヘンというのも原因かなと思うが、一言で言うとだるい。まさに。今日は3連休の最終日だから、でかけないで家で過ごしていたかったが、我慢して一時間だけ学科を受けに行く。車の免許を無事取得し、教習所を卒業できたらさぞさっぱりするだろう。教習所そのものはサービスがよくて、嫌なところではないのだ。単に私が通うことが嫌いなだけ。本当は子供の習い事から何から全部嫌だ。私は超のつく面倒くさがりやなのだ〜。
 
2002年2月10日(日)
 やっと念願の厄払いにいく。娘のお宮参りにもいった川崎大師である。朝、早めに家をでたのにつくと周りは車でぎっしり。駐車できる場所がない。ところが周りの民家で臨時に駐車場商売をなさっているところが何軒もあり、我が家もそんな中のひとつ、あるお宅の庭先に駐車させて頂いた。川崎大師の人気はすごい。お祓いする人が山のようにいた。会計が事務的だったので、一番安い金額でも引け目を感じなかったしね。帰りは川崎BEでショッピングと食事。久しぶりに大きな書店にめぐりあったので、山のように本を買う。川崎は雑然とした町並みで美しさは感じられないけど、物質的には豊かで便利なところだと思った。成城にもこんな便利さがあればいいのに、と思わずにはいられなかった。

2002年2月9日(土)
 ソルトレークオリンピックが始まった。フィギュアスケートくらいしか見ないんだけど、それが楽しみではある。オットはスポーツはなんでも好きなので、かなりハマっている。それにしても今回の日本はイギリスのブックメーカーによれば金ゼロという厳しい評価なのだとか。確かに顔ぶれが前回のオリンピックとたいして変わってないようだし、それって若手が育ってないということかなと心配ではあるが。
 教習所はいつも満車でなかなか乗車できない。今日の所は学科だけを受けて、娘のバレエ教室に付き添って終わりとする。バレエ教室では毎回のように新しい入学希望見学者がいて、本当に今時の女の子の習い事の定番なんだなあ、と思う。ただ見るからに可哀想なのはお母さんの希望で、自分としては興味がないのに無理にさせられている子。逆に言うと、他のみんなは小さいのに自分の意志で、好きで習っている子が大半だということで、やはり好きこそものの上手なれというか適性だと思う。うちの娘は今の所、楽しい楽しいと言っているが、いつか嫌がる日がくるのかね。

2002年2月8日(金)
 教習所通いを再開、初めて路上を運転する。恐かったけど気持ちよくもあり、教官が隣に乗っていてくれる限りは楽しめそうな気がした。気持ちよく帰宅後、娘を幼稚園から迎えて、息子とお昼寝。至福の時だった…。体中はまだぎょっとするほど湿疹だらけ。全快なのかどうか自分でもよくわからないけれど、眠りの深さは病気の時特有のモノのような気がする。後は息子はいつ、水疱瘡を発症するのか。気になるところである。お医者さまはもう間違いなく感染しているというのだけれど、潜伏期間2、3週間の間になんとか打つ手はないものか、ともどかしい。

2002年2月7日(木)
 娘の保育参観懇談会。有り難いことにずいぶん体力が戻ってきた。体中の湿疹にはぎょっとさせられるけど、タートルネックのセーターを着て、顔もお化粧で隠してしまえばすっかり健康人。久しぶりに外の世界へレッツゴー。
 娘は青い色の中に埋もれて見えた。女の子はピンクのスモック、男の子は青いスモックを着る幼稚園なのである。男の子に取り囲まれ、もみくちゃにされて、ドサクサではチューされたりしていた。後で、先生に「大人気」と言われたが、他のおかあさまがたの口からも何度も「最近の子供の関心」事として娘の名がでるので、私はずっとモジモジしてしまった。愛される人になりますように、と娘が生まれた時祈ったけれど、効果抜群だったみたいだ。

2002年2月6日(水)
 半分、床上げをしてみる。熱はもうないのだけれど体がフラフラするのはずっと寝ていたせいなのだろうか。少しリハビリが必要なようだ。午前中、起きているのが精一杯と言う感じで、午後は子供の昼寝につきあってまた寝込んでしまった。
白い絵の具のような塗り薬を体中の湿疹に塗るが、なんか空しい。でも明日からこそ復調せねば。娘の幼稚園の保育参観日なのだ、行ってあげなくては〜。

2002年2月5日(火)
 昨日より、熱もぐんとさがる。でもひたすら眠れるのは病気のせいか、ただの怠惰か。口の中の痛みも一気になくなってきた。これで湿疹がなければ、快方に向かってると言う感じだけどなにしろ見た目がひどくて驚く。やがて息子も発症するのかと思うと、可哀想で悲しくなる。

2002年2月4日(月)
 朝、はうように起きて娘のお弁当をつくり、後は母とオットにまかせて寝込む。熱は38度台から37度へとさがってきている。大人になっての水疱瘡は大変だと言うが、口の中にまで湿疹がたくさんできるのはかなり辛い。しみるので、ろくに何も食べられない。おかげさまで2キロ減った。わ、わ〜い、と弱々しく喜ぶしかないのだった…

2002年2月3日(日)
 一日中寝込む。自分の情けない運命が癪にさわるったら。しかし、昨日の仮免検定の学科の結果を電話してきくと合格していた。や〜、ついに仮免取得。一ヶ月かからなくてよかったな〜。体調悪いけど、嬉しいことは嬉しいのだった。

2002年2月2日(土)
 水疱瘡、ああ、水疱瘡、水疱瘡…。

 気分はいささか悪いし、湿疹も昨日より増えているが、仮免検定に向けて武者震い。取りあえず先に病院へ行く。湿疹は水疱瘡にとても似ているが、現時点で熱はなく痛みかゆみもないので、大人の水疱瘡なら重篤になるし、あなたは違うでしょう、とビタミン剤をもらって帰る。
 仮免検定はまずは実技をパス。これが奇跡で嬉しかった。学科は言葉の言い回しのひっかけに気をつけながら苦闘する。もしかしてこれは駄目かもしれない…。でも私に取っ手は実技を合格することの方が大きいので、ホッとして、娘のバレエ教室に付き添ってから帰宅。すると、熱がどんどん出てきて湿疹も増えまくってきたのだ。
娘は予防注射をすませているが、息子はまだだ。もう間違いなくうつってると思うと可哀想で悔しくて泣けてきた。

2002年2月1日(金)
 昨日に引き続き体調が悪い〜。朝起きると口内炎が二つ、できていた。ひざの関節の痛みが背中に回ってきていやな感じだし、こころなしか胃もムカムカする。ふとんをひっかぶって寝ていたい所だったが、今日は娘の幼稚園での表現発表会という、前からとても楽しみにしていた行事があったので、家族で繰り出した。
驚いたことに、娘はほとんど出ずっぱりだった。「てぶくろ」という劇で雪の妖精ということだったので、「ああこりゃ、その他大勢、ってやつだね」なんて家族で言っていたら、ほぼ主役グループということでびっくり。親バカのオットは鼻を膨らませての大喜びである。わざわざ会社の半休をとった甲斐があったというものだ。合奏も上手だったし、娘の事をずいぶん見直した。先生の指導力はすごい〜。たくさんのひとに「あ、○○○ちゃんのおかあさんですか」とあいさつされた。ぼんやりものの娘はたくさんのお友達の世話になって生き延びているのである。
 興奮状態で帰宅後、さらに私の容態は悪化。熱はないんだけど、なんと体中にポツポツと湿疹がでてきた。ギャオ〜。やめてくり〜。これはいったいなんなの。仮免試験を明日に控えてバッタリ倒れる私。