2002年6月19日(水)
娘が5才になった。
はっきり言って難産だった。妊娠8ヶ月の時に胎盤が完全に子宮口をふさいでいる前置胎盤になっていることが判り、自力出産は無理、帝王切開が確定した。しかも少しでも出血したらそのまま一気に多量出血のおそれがあり母子共に生命の危機、したがって絶対安静が必要と言うことで、まさにハンプティダンプティよろしく危なっかしくバランスをとりながら、1ヶ月半入院して24時間点滴(お腹の張り止め)を打ち続ける生活を余儀無くされたのである。
妊娠38周になり、赤ちゃんの推定体重が2500gを越えた頃を見計らって、6月20日に手術することになっていた。
ところが前日の早朝、あっという間に血の海に身を浸したほどの大量出血をみた。
急遽、全身麻酔で2700ccの輸血を受けながらの手術、辛うじて母子共に一命をとりとめた次第である。厳しい副婦長さんや主治医の先生、保健婦さんまでがみな「危なかったね〜」と額の汗をぬぐい、涙ぐんで喜んでくれた程の大騒ぎだった。というわけで、この日は下手をしたら命日になっていたかもしれない、ほんと、生きてるだけで丸儲けという感慨を持つ、娘の誕生日なのだ。
私とオットの人生が大きく変わった瞬間でもあった。命がけで守るべきものができた、すごい日。無事に、私達の元に娘が来てくれたことを感謝する日。子供達が大きくなって、友達や恋人なんかと外へお祝に出かけるようになっても、私とオットは死ぬまで子供らの誕生日を祝福し続けると思う。あの感動を忘れることはできないだろう。
なんとなく、今さらだけれどファーアウトバービーをアップ。ずっと箱ごと眺めて楽しんでいたのだけど、ついに箱から出したくなったからね。
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