2003年7月15日(火)
楽しく過ごすはずだったのに、悲しい日になってしまった。
娘のお友達二人を招いた。女の子達は可愛く、また例によってお姫さまごっこを始めた。今日集まった女の子達には偶然にもみんな弟がいた。一人は息子よりひとつ年上、もう一人は同級生。Kちゃん、K’ちゃんとしておく。Kちゃんは娘と同じ幼稚園にかよっているが、K’ちゃんは定員一杯のため空き待ち、幼稚園浪人である。Kちゃんは元から幼稚園一か?と言われる程の活発少年、K’ちゃんは最近ちょっと様子がおかしい。些細なことで金切り声をあげてなきじゃくり、母親をバシバシ叩く。おもちゃの剣を振り回すのが好きで、それをしているとご機嫌なのだが、前回女の子達にそれがあたってみんな泣くやら怒るやらの大騒ぎになり、お母さんが剣をとりあげ、後に捨てられたそうである。K’ちゃんはそのことに納得がいかない3歳7ヶ月児。体は中くらい、力はかなり強い。我が家には格闘武器系のおもちゃはまったくない。だから安心していた。
子供達は子供部屋で遊び、母親達はリビングでくつろいでいた。女の子と男の子は別の部屋に分かれて遊んでいたのだが、娘が心配そうに、息子が泣いていると知らせにきた。階上にあがると幽かな泣き声がして、なぜドアを閉め切ってるのかといぶかしかった。開けたとたん聞いたことがないような悲痛な慟哭に近い息子の泣き声。部屋の隅に追い詰められ、真っ赤になって両腕で顔をかばって全くの無抵抗で力の限り大泣きする私の息子を、先におもりがついた堅くて長いバトンで激しい勢いで殴打し続けるK、K’ちゃんの姿があった。
次の瞬間のことを私はよくおぼえていない。
声をあげ息子をかばいながら、力強く殴打を続けていたK’のバトンを払い除けた瞬間、手がK’ちゃんの顔にあたった感触があった気がする。ぽかんとしたK’ちゃんの表情も覚えているような。「やっていいこととわるいことがあるのよ!」私の声は大きくて、Kコンビは泣き出した。この辺りから、私の記憶がある。二人の母親が駆けつけてきた。
お母さん達は泣き、手をついて謝ってくれた。私も泣いた。
喋らない、はなせない息子。人とコミュニケーションをとれない息子の、こんな姿をいつも予想しおびえ続けていたのに、なぜ目を放してしまったのか。それは子供達に混ぜておいたら、息子にいい効果があるかもしれないと期待したから。甘い願望だ。
私が好きな人たちの息子さん達だから信じた。娘の大の仲良しの女の子の弟さん達だから信じた。それが過ち。
Kコンビの暴力性を私は感じていたのに。うかつだったのは私である。
「これを大きくなってからやったら犯罪だから!」私の叫び声はKちゃん達のお母さんの心に突き刺さってしまっただろう。
Kちゃん達は狂ったように泣き、謝り続けた。
K’ちゃんが言うには、彼が持っていた車を息子がとろうとしたのだという。その正当な理由を得て、K’ちゃんはむしゃくしゃするもの、日頃の運動不足(お姉ちゃんの幼稚園の送迎に付き添うしか運動していないらしい。つまり往復15分ということだ。公園あそびなど全くしないとのこと)の鬱憤をこれでもか、とばかりに手近な武器(まさか娘の可愛い綺羅綺羅したバトンとは!)にこめたのである。
母親同士、たくさんの言葉でお互いのショックを和らげようとしたけれどうまくいったのかどうか。
さまざまなトラブルの予感に心が震える。
男の子を育てる難しさ。息子の障害(とはまだ断定されていないのだけど)を思う苦しさ。
普通であれば、息子もやり返し、男の子同組んづほぐれづ、もみくちゃになっていたのではないか。そうしたら私は笑いながらそれをふりほどき、皆をたしなめただろう。
息子の、全くの弱者ぶりが、幼い男の子(男と言うのは天性、暴力性をもっていると本当に思う)達の嗜虐性を誘ったらしい。昔、障害児を虐める子供達がたくさんいたように。
今日は…終業式で、無事に1学期を終えられた喜びを先生に感謝したっかりだったのにな。
息子の顔と首筋は赤く腫れている。眠っては泣きながら起きる。どうしたものか…
関係者一同の心の傷は、案外深いのかも知れない。
私からの話で私以上にショックを受けてしまったオットと話し合う。
息子から目も手も放さない。彼が自己の責任に於いて人間関係を築けるようになるまで。今さらながら得た教訓。
重い。なのに、仕事は面白いほど入ってくる。運がいいと人に言われる。人生、こういうものなのかな。
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