2004年10月13日(水)
雨の音を聞きながら、朝ゆったりとパソコンの前に座る。リンクを貼って頂いているサイト様にご挨拶に回りながら(一部、私がBBSに入れないサイトさまがありまして、ご連絡が遅れております。ごめんなさい)ふと思う。
昨夕のことは悪夢だったのかしら、と。
昨日、サイトの移転を果たし気分がよかった私に、娘がふと気持ちが悪いと言った。
彼女は最近凝っているアイロンビーズの作品を途中でやめてソファに横になり、気持ちが悪いと繰り返した。
根を詰めすぎたのだと思って私は娘をそのままにしておき、その間に夕食の支度を始めた。次第に娘が泣き声をあげ始めたのはそれから10分後。どうしたの、とかがみ込むと頭が痛いと泣く。テレビをじっと観過ぎたのよ,とも私は言った。
それから数分後のうちに、娘のなきごえは切羽詰まったものになり、私はかかりつけ医に電話していた。時間外でも診てくださるとの了承を得て電話を切って、慌ただしく出かける支度をしはじめたのだが、娘は泣き叫びつづけ、あっというまにそれは絶叫に変わり、文字通り,彼女はソファから転がり落ちて,痛い痛い、頭が痛い、ママたすけてよ、ママ助けてよう!と、床をのたうちまわったのである。
みぞおちがボゴッ!と打たれたように、それから鉛が胃の腑に落ちたように、私の中に恐怖が広がった。再び受話器をとりあげ、119番した時には手が震え、息子はおびえて私の膝にしがみついていた。
救急車が着たのは5分後。恐ろしい時間だった。でも息子が一生懸命にティッシュで姉の涙をふきとり、タオルケットを冷えきった体にかけてくれたのに感動した。そう、娘の体は信じられないくらい冷たくなっていた。泣き声を上げていなかったら死亡した?と思ったかもしれないほどに。
近くの病院に搬送される。救急隊士の冷たい事務的な口調がかえって私をしっかりさせる。救急隊員は言う。最寄りの病院は混んでいて、搬送しても待たされることになるけれどそれでも良いか、と。
そう言う場合どうすればいいのですか?と聞く私にじれったげに「いや、奥さん、それはあなたがきめてください!」と突き放すように言う。いざという時の問題回避のためのマニュアルだろう。他の病院に行けばすぐ診てくれるという保証もなく、道の込み次第で早くつけるかどうかも判らないという。ということは、このまま最寄りの病院に行った方がまだましということですか?と聞く私にまた、いらだったように怒鳴るように「だーかーらー!そういうことは奥さん自身が決めてくださいって言ってるんですっ」という。私は短く最寄り病院を頼み、搬送後も救急隊員に丁寧に頭をさげて礼をした。
娘には意識があった。オットが駆けつけてくると「パパ!パパ!」と泣いたけれど、それは安心して喜んでのことだった。私も息子も、オットの顔を見た瞬間、詰めていた息をふ〜っと吐き出した。
それから娘は泣きじゃくりながら医師の質問に答えることができた。アンヒバという座薬が投与された。
娘は20分後には顔色がよくなり、普通にしゃべりはじめた。
病院に運ばれたのが19:40過ぎ。帰宅したのは23:00。
医師の診断…それは「偏頭痛」…………。いくつかのストレス要因が重なり、風邪気味の体調とあいまって現れたものだろうとのこと。
娘よ。7歳にして偏頭痛デビューは早いんじゃないかい!?
小学校が娘にはきついだろうということは、予測していたことである。だからこそ、朝はオットが送り、帰りは私が迎えに行く生活をしていたのだ。それでも娘は数人の男の子に虐められたとぐずる。が、それが過保護な両親の目をもってしても虐められているようには見えないので困る。年齢と性別を考えたらごく自然な行動の範囲で、男の子達は娘にかまっている。それはどうも「好き」という感情であるように思える。だから私はとりあわなかった。とりあわなかったことがたぶん、娘を追いつめたのだろう。
担任の先生への手紙を書き、朝オットがそれを届けた。
休むと決めた日の今朝は,雨がまたたっぷりと降っていて、でも静かで、家にいられるのが贅沢な気がした。本来なら幼稚園に学校、幼児教室にバレエと飛び回る予定の日である。
娘は起床後また泣いたので体調が悪いのだと思ってドキッとしたが、よくよく聞けば「お腹がすきすぎて気持ちが悪い」とのこと。。。昨日のあれはなんだったの?と聞くと,判らないけどという。でも本当に痛かったのは判る。あの体の冷たさはしようとおもってできることじゃない。痛みで血管が収縮し、血流が悪くなることに寄って体温が下がると医師が説明してくれた。
私も、私の母も妹も、バリバリの偏頭痛持ちである。のたうちまわる苦しみを経験している。私自身も体が凍えたように冷たくなる。そんな経験をして以来,怖くていつも頭痛の予兆を感じると素早く鎮痛剤を飲んでしまうのだ。
あれほどの痛みをひきおこすほどの悩みを、娘が人並みはずれて小さな体に抱え,悩んでいたんだと思うと切ない。
母として、もっときちんとしなければ。
夕方、担任の先生からお電話があった。娘がいじめっこと指摘する男の子達は娘を好きなのだと言われた。そう言われるだろうなあと思っていた。いい先生なので、信頼して娘をお預けするともう一度決める。でも登校のきっかけはあくまでも娘の意志によるものであって欲しい。さしあたり、明日はどうなるかしら。
これからはまた、あまり予定をいれず、いざという時にすぐに駆けつけられるようにしておいた方がよさそうだ。
嵐がさった後の今日は、平凡で楽しく穏やかにすぎた。ネット、楽しいな。blogも用意しておくことにした。この新しいサーバーでダウンはないと思うけれど、万が一に備えて。
オットはうれしそうにデジカメの話ばかりしている。それは私の誕生日プレゼントなのだ。でもそのテのものを買うということ自体が、彼にはものすごく心トキメクものらしい。
しくしく。人形の方が安いのになぜ人形を買うことは喜んでくれないの、オット…。
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