部屋を暗くしてツリーをライトアップしてみました。
付属の豆電球には,使い回しなのでしょう、しっかりクリスマスの絵柄が。
それを見てしまったせいか、娘はともかく息子はクリスマスツリーと言って譲りません。

2004年10月31日(日)  
 今日一日の自分一人の労働を思うと嬉しくない日曜日の朝である。一昨年オットは子供の発達心理科の女医に「どうせお父さんはほとんど子育てできないんでしょう。だったらせめて頑張ってるお母さんの足はひっぱらないであげてくださいね!」と言い放たれていた
。その瞬間はぐうの音も出ない状態だった。しかし物忘れがいいという幸福に恵まれているので、せっかくの人の助言もなにも役に立ってないみたいである。
 私の不機嫌にもめげず、オットは私に白いタキシードと蝶ネクタイを用意させて元気はつらつと出掛けて行った。掃除、洗濯、料理、アイロン掛けに娘のバレエ教室に行くので仕上げ。私の日曜日は大汗をかいて終わる。私は単純で、簡単なことで幸せになれる人間である。それなのにあんまり幸せ気分を盛り上げられない時は、生きていればまあ、ある。私を幸せな気分にする簡単な手段をいくつか、オットは知っているはずなのになあ。
私はオットの幸せを知っている。綺麗に片付いた家(生活感がいっさいなく、おしゃれでなければならない!)で、機嫌のいい妻がやさしくにっこりしてすべてをゆるしてくれる状態である。
……お互いに夢は叶わないわねー。
帰ってきたオットに待っていたのはいわゆる針のむしろというやつです。ほほ。




ハロウィン・ツリーってかわいいです。
気に入ったのでさらにアップ。

2004年10月30日(土)  
 私は旅行が好きではない。何度も何度もいつでもどこでも言っているのでもう大概の人は私のその傾向を知ってくれているのだが、意外に身近で判っていない人がいる。オットである。
大型連休にお金をかけて体力減らして旅行する、というのは私の考える「ハッピー〜♪」とは違うのだ。それを納得していると言いながらオットはそれでも会社の保養所を申し込んだ。場所は熱海。近距離で優雅なつくりなので、社内で大人気のところである。滅多なことでは当選できない。が、それに当たったと言う。無邪気に喜んでるオットに迷惑…とも言えないので、11月の初めの祝日前夜から1泊することになった。ちなみにそこからオットの実家は車で15分かかるかどうかという距離。子供達を祖父母にあわせるいい機会でもあると思ったのは確かだ。オットがそこへ、自分の両親を招待したいというのも了解した。ささやかな親孝行とは思う。オーケー。が、今朝、義母から電話がかかってきた。何やら感涙している。なになにふんふん、「私の誕生日をこんなに盛大に祝ってくれてありがとう!もう嬉しくて嬉しくて…」とな。おおお。。。全然気にしていなかったけどそうだったのだ、たまたま。
と言う訳で朝からいきなり気重になった私。義母の期待に何か答えるしかない状況に否応なく追い込まれたような気がするのである。それって全然休暇じゃないし!
当然、私はオットに冷たい視線をそそいだ。間の悪い、使えない奴でこれがまた明日、趣味の合唱のコンサートに出演するために一日いないという。遠くのバレエ教室に通う日曜、運転し、息子の面倒をみてくれるのを一番期待している日だというのに。
しかも彼がたてた休暇の計画は掃除、模様替え、また掃除、買い物、と本当に私がうれしくないものばっかし。私の機嫌が雪崩れていくのがわからないのだろうか、と逆に感心してしまう。夫婦仲修復は不可。オットが私に尽くす、という言葉の意味がわからない。とにかくツボずれまくり。いて欲しいときにおらず、やりたくないことばっかしさせる、それのどこが愛情なのか判らないんだもん。それで「いつも優しくして」と言われると、かえって逆上しそうになる。しゃべっていると腹が立つ一方なような気がしたので、会話を中止し現実逃避にいそしむ。アン・ライスくらいの毒をもって毒を制そうと本棚を探したが、結局アン・ライスそのものを読むことにした。数年ぶりに「メイフェアの魔女』シリーズの再読開始。あらら。数年前に読んだ時より面白いのはなぜ?…たぶん、愛について感じる私の感覚が変わってきたからだ。数年前よりもっと、多種多様な人の愛があることを実感してきたからだ。

雨の中、息子の体操教室、娘の塾。子らがいない1時間を有効活用して買い物。戻って子供達を回収。イライラ解消に寿司屋で昼食。昼間から熱燗1合を飲む。オーダーしたとたん、吹き出した板前さんは若くて、笑ったことを年配の板さんにとがめられていた。いいのよ、笑ってくださっても。自分でも笑うしかないもんね。
誰かを好きになるのに理由はいらず、嫌いになるのにも理由はいらない。でもしいて理由をあげるなら、私は私を消耗しない人が好きであり、こき使う人は嫌いである。自分の中に、人によりかかって行きて行きたいと言う願望がある。相手の責任はもちろん自分の責任さえ全部引き受けさばきながら、私を支えて行きてくれる人を切望する気持ちがある。でもそんな人に会ってもきっと私は幸せになれない。好きな相手を消耗させて自分は幸せでいられる、なんてこと私にはできない。あ、でも「気がつかないでいる」という方法をとれればそれでいいのかな。そうなるための器用さが必要だろうけれど。
 この世でただ二人、娘と息子には私は消耗されてもいいと思う。しかし、その最愛ちゃんたちにも夜の9時以降起きて騒いでいられると、かなりうんざりするのだった。家族を持つのは幸福か不幸か。それはたぶんにその人の性質による。私はきっととても中途半端な人間なのだ。これを友人に相談されたとしたら「自分で選んで決めた相手である以上、欠点全部も愛さなくちゃ!」とゲキをとばすであろう私。仕方ないので自分にとばします…。



これは、本日の衝動買い。
ハロウィンツリーです。

2004年10月29日(金)  
 オットのリフレッシュ休暇が始まりました。その昔、過労死が流行(というと申し訳ないのだけれど)していた時に、オットの会社に出来た制度の一つで、たまりにたまって中々消化できない有給休暇を、せめて1年に1度はどどーんと一週間続けて使ってもらいましょう、というもので、前後の土日をくっつけると9日間は休めるというもの。ま、大体の人は海外に行かれるのだけど、我が家は行きません。私は『夫婦仲修復キャンペーン期間』と呼んで友人達に受け、オットは私に尽くすために頑張ると言う。ふーん、んじゃ、がんばってみて。
というわけだけど、今朝も立哨当番。そしていつもより1時間早く息子の園に。今日は遠足なのだ。たぶん私が今、この世で一番信頼し尊敬している先生が待っていてくださって息子の手をひいてくださる。心配だけれど、それでもこの瞬間私はすうっと楽になる。入園して1年半。1年前から私はこの先生を信じようと心底から決めた。あれこれ考えては悩んでしまう私の性格に対し、常に「今は先のことは心配しないで、リラックスして」と言ってくださる先生のお言葉に甘えようと思ったのだ。あと1年半しかこの幸せはないのだけれど、それまでせめて十分に先生の愛に感謝して生きよう。
オットと合流してまずは整骨院へ。凝りに凝った肩をほぐしてもらう。冷たい足先もそうだけれど、全体的に血流が悪くなっているそうで、十分にストレッチ体操をするように言われた。そうそう、最近それをサボっていたのさ。すぐに体に出るのね、や〜ね〜。冷たい足は青竹踏みを十分にすることでかなり解消できるそうである。それは朗報。早速友人達にその旨を連絡網せねばと思いつつ、今度はオットと渋谷に向かう。この時点ですでに時間がなかったので駆け足でロフトを回る。そしてついついハロウィン・ツリーなるものを買ってしまったよ、半額だったから〜!おもしろ可愛くて一目惚れしてしまったのだ。子供達にも来客にもウケると思ったし。
まあまあいい気分でドライブして息子の園に戻る。途中で、息子と先生が手をつないで歩いてるのをみかけてはっとした。片道30分の公園から、たぶん集団を嫌がる息子にあわせて抜けてきてくださったんだろうなあというのは察しがついた。人と手をつなぐのが嫌な息子もこの先生とはつないでいる。ゆったりと息子の歩調に合わせて歩いてくれている先生の後ろ姿に暖かさが溢れて見えた。

最近、私が遊び歩いているので全体的に荒れ果てている我が家だが(^_^;)、ことに庭の荒れ方はひどい。私は、「ま、いいか」とあきらめる質だが(!)そうはいかないのがオットである。我が家のエントランス部分の荒れ用を心から悲しんでいたらしく、早速にも庭仕事に着手。私も巻き込まれた。アプローチに植えてあったゴールドクレストがこの2年で信じられないほど成長して、なんだかどうにも収集がつかなくなっているのを意を決してオットが伐る。まずは3本のうちの1本。テレビインターホンカメラの前に人が立てなくなるほどに一番じゃまになっていたものである。我が家には園芸鋏しかないから、伐ると言っても大変だな〜と思っていたのだが、気がつくとギコギコのこぎりで伐採しているオット。うちにのこぎりなんかあったっけ?と聞いたら、ちょうど我が家のそばで工事している工務店の方のところに行ってちょっと借りてきたと言う。ちょっとびっくり。
そんなこんなであっというまに夕方、娘の体操教室に行って本日の予定終了。疲れた…。



昨日、衝動買いした一品。
ピーターラビットのブラシ、コーム、爪切りのセット。
ベビー用品コーナーにあったのだけれど、小1の娘にぴったりです。
むしろ赤ちゃんには大きすぎるんじゃないかな。

2004年10月28日(木)  
 「交通安全」と大きく書かれた黄色いビニールの旗を、朝7時45分から振りながら道行く小学生、中学生、高校生、果ては犬を散歩させるご老人にまで挨拶をした。娘が所属する地域班ブロックでの立哨当番である。空気は既にキリリと冷たくなるシーズンなのだと実感した。短いソックスをはいて立っていた20分で全身が冷え込んでしまった。感心したのは、大概の子供がきちんと挨拶してくれること。一見ひねこびた中途半端に成長したような外見に見える思春期の少年でさえ、である。が、意外に身なりがいい(と言ってもその住宅街の住人は皆、身なりがいいにきまっているのだけれど)数人の子供があえて視線を反らし、挨拶をしない。少数なのでかえってとても目立つ。一人きりなのに挨拶しない子はいない。友達同士でいると挨拶しない数グループがいたという感じ。グループになることが悪いのではない。6人グループ全員で気持ちよく挨拶してくれる子も多数いれば、二人で歩きながらコソコソと品の悪いネズミのように(ネズミに失礼かな)わざとらしく無視していく子もいる。
あとでそんな話を友人達にしたら全員口をそろえて「親が悪いよ!』といい、でも自分たちが知らないところで、自分の子もそうだったらどうしよう〜、と気を引き締め直した。母親同士、自分たちの弱点がまぎれもなく自分が産み落とし育てている子供であることを認め合い、愚痴をこぼし、悩み慰められ、もしも自分が気付かないことで子供に問題があれば教えてくれと頼み合う。これって大切なことだと思う。…疲れるけど。
私は運がよくて、所属する地域班の班長さんがとても優しく、親切で、私が下に子供がいて通園に不便なのに当番を割り振ってしまって本当にごめんなさいとこの半年間謝り続けてくれているのだ。友人の一人が所属する班の班長さんは「乳幼児がいるとか、寝たきり老人の介護とか、理由はみんなあって、聞いてたらきりがありませんから!」と突き放されたと言うから、私は十分幸運だったと思う。
確かに息子をどうしようと思ったが、オットのちょっとした協力でことなきを得た。当番時間を終えて息子をオットから引き取ったら園の開門までまだ40分あったので、Mr.ドーナツで息子と二人でモーニングを食べる。息子は朝から元気に汁そばをすすり、私は熱いコーヒーのありがたさを嫌というほど感じていた。と、そんな突拍子もない時間なのに娘のクラスメートの女の子のおばあさまが店内に入ってらしたのでご挨拶。図書館のボランティアの仕事で人と待ち合わせだという。お互いに労をねぎらいあっていたら、その待ち合わせ相手の人が来た。娘の体操教室でご一緒していて、クラスはお隣、出身幼稚園は息子と同じ、という男の子のお母様だった。こんなふうに、私たちは地域の中でものすごく密にいろんなところでつながっている。もう本当に引っ越しはしたくないものだと思う。
ポイントカードが集まったので、またポンデライオンの景品をもらった。今度は湯のみと菓子皿のセット。急須を既に持っている以上、これは必須だろうと思ったのである。
足が冷えきっていたので、コンビニで思わずハイソックスを買い、ホームセンターのトイレで履き替えたら一気に足元の暖かさがアップ!その効果の絶大ぶりに驚き、感心。やっぱり靴下って侮れないわ。
息子を園に送り届けてから庭の外からのぞく。友人が来るまでの暇つぶしであったが、ついつい見入ってしまう。天気がいい日は大体こうしてストーカーしてしまう私って…。私をそうやって待たせていた友人が堂々とやってきて「ねえ、ちっとも隠れてないんだけど」と笑うので、いいのよ、園の中から見えなければ!と返事をしていたら数分後に保育主任の先生がやってきてお話をしてくださった。息子の成長を伝えてくださるありがたいお話だったのだが、友人に「ね、中からもちゃんと見えてるんだよ」と言われてがっくり。先生方は毎日挙動不審な私の覗きに耐えてくださってたのね〜。
保護者会までの時間つぶしに友人とゆったりとブランチ。子供がいない時間の外食の楽しさはたまらないものがあります。同世代の友人だと、どんな音楽を聴いてたか、誰のファンだったか、読んだ本、見た映画、ドラマなどなど共通の話題がいっぱい。互いに知らないことを教え合ったり。友人に「電車男」なるものをすすめられました。私たち「冬ソナを見て泣けなかった女同士の会」みたいなノリなんだけど、その友人が人の温かさに泣いたと言うからただごとではない。
保護者会を終え、子供達を拾い集め、一旦帰宅して夕方からは娘の英語教室のハロウィンパーティー。
上の子らが出席している間に下の子らを連れて母たちはまたカフェーでお迎え時間までスタンバる。忙しいのに潰さなければいけない暇があるのが、育児で一番辛いよねというとみんなに激しく共感される。あと、忙しいのに運動不足、とか。結婚の話でももりあがった。彼と一緒にいたくて、ただそれだけで結婚したのに、今、いない方が楽だな〜と思ってしまう瞬間があるのはなぜ?とか。生活感というものなんでしょうね、たぶん。全部がスマートにスタイリッシュに、おしゃれで綺麗なものだけだったらきっと女もそんなに老けないでしょうに。。。



「PJ」という通販の新しいカタログが届いてびっくり。
裏表紙がしっかりリカちゃんなんです。
あれれと本を開くと中程にこんなページが。
人気の女性雑誌「ViVi」と「PJ」が提携して
オリジナルリカちゃんが限定生産されるとのこと。
PJらしい着せ替えが写真の通りたくさんついて¥12000。
うーん、高い。赤いバスタオルが一番可愛いかな。

色黒に、イケイケファッションのリカちゃん。
私はパス…です、たぶん。

2004年10月27日(水)  
 起きたら、とんでもない声になっていた。喉の痛みとしては少しなのだが、とにかく声が変。息子を園に送り届けて急いで病院に行く。ドアをあけてギクリ。超満員状態である。ざっと見積もって計算。息子は本日お弁当なしの2時間保育。とても2時間で順番が回ってきそうにない。あきらめてそのままドアを閉めた。
暖かいコーヒーが飲みたくて最寄りのMr.ドーナツに入って固まる。友達がまさにテーブルにつこうとしているところだったのだ。まあ、毎日たくさん出歩いて四方八方知り合いだらけ状態で生きてはいるが、この友人がこの店にいることは大変珍しい。私も最近は以前ほど頻繁に出入りしていなかったので、すごい偶然だねと一緒にテーブルを囲んで息子の園のお迎え時間までコーヒーとドーナツを楽しんだ。
彼女の用事を足しがてらのぞいた店でまたハロウィングッズと早くもクリスマスキャンドル、季節と関係ないけどベビー用のピーターラビットのブラシと爪切りセットがあまりにも可愛かったので購入。うふふ、こういうときは子供、特に女の子がいてよかったなあと思うのである。
笑いさざめきながら駅前から園に向かっている過程で、新潟でまた震度6の地震があり東京も震度4だったというのだが、私はそれを全く感じず、のんきに子連れでスーパーで買い物をしているところへ心配して電話をかけてきたオットにそれを知らされたのだった。
恐怖心がまたよみがえる。酷暑の次は台風の連発、そして大地震。歴史はたびたびこんな天変地異を繰り返しているとはわかっているものの、当事者になる怖さは本当にたまらない。
ちなみに珍しく本日は娘の給食がない日だった。私はそれを全くしらなかったので危なかった。友人に出会えてラッキーだったのである。その友人も、朝たまたますれ違った知り合いに教えられたというから、類は友をよぶのんき者同士だと思う。
おかげでつつがなく娘も迎えられた。元気にでてくるので一安心。例の男の子は今日はとても優しかったと言う。先生の魔法か、あるいは先方のお母様のご教育か。元々が優しい子だと判るので私もこれ以上深刻には悩まないことにしたい。
一旦帰宅して娘の宿題をさせてから息子の幼児教室へ。最近、園でもこの幼児教室でも成長を喜ばれている息子である。その後、速攻で娘のバレエ教室へ。バレエはいいなあ、やっぱり。バレエを習っている小さな女の子の可愛さったらもうたまらないものがあります。そこに男の子が一人いるのがまたいいんだけれどね。
帰宅後、すぐにテレビをつけたら、新潟で行方不明だった母子3人のうちの2歳の赤ちゃんが4日ぶりに救出されたという。お母様は死亡が確認、上のお子さんはまだ不明…泣いてしまった。赤ちゃんが生きていた嬉しさと、お母様が亡くなられたその辛さ、無念さを思う気持ちと、行方がまだしれない子のことが案じられて、わっと涙が出たら止まらなくなり、何分間も泣いてしまった。私の子供達が「ママ、もう怖くなるから地震のテレビをみるのはやめましょう」というまで。
幸福にのんきな毎日の繰り返しながらのこの災害。
私とほぼ同年齢のそのお母さんは、二人のお子さんを連れてお友達を楽しく会食し、その帰り道の突然の災難に、どれほどの恐怖を感じたことでしょう。埋もれながら生き続けた赤ちゃんは、一体どんな気持ちで過ごしていたことでしょう。その子を残して死ぬ悲しみはどれほどのものであったことか。
悲痛、とはこのことを言うのだ。

 気をとりなおして、娘の宿題の残りを手伝う。毎日本を一冊は読む、という宿題である。まずは簡単な本から始めようと、昨日は「ちいさなおうち」を読ませたのだが娘に言わせると字がたくさんで大変だったそうだ。だから今日はさらに簡単にしようと、「しろいうさぎとくろいうさぎ」を読ませた。
大変言いにくいのだが、またホロッと泣いてしまった私。だってこれって本当に単純でまっすぐな、純粋な愛の物語なんだよね。恋の痛みと喜びが、こんなに可愛く淡々と描かれている。大好きな大好きなガース・ウィリアムスの絵で。改めて名作だなあと思い、恋を思う。恋ってこんなに素敵で優しい、暖かいものなんだよね、本当に。単純なこと。好きになることに理由はいらない。ただそばにいたいだけ。ずっとずっといつまでも一緒にいたいと思う。だから結婚というものがあるのでしょうね。
しろいうさぎとくろいうさぎの幸福を改めてしみじみ思った。



このハロウィンリースが我が家で大ヒットしたのです。
子供達も大喜び(娘は内心、骸骨が怖いらしいけれど)
今年は今までになく、ハロウィンに力が入っている我が家です。

2004年10月26日(火)  
 今日も息子の園は振替休日である。祭りのために母達は確かに土日返上ではあったが、振替休日は1日でええっちゅうねん!という感じである。
娘は心配だけれど、朝とくに愚図ることもなかったので親としても何事もないような顔をして学校へ行かせた。偏頭痛=学校休める、に安直になっても困る、と思ったからである。雨が降る、降る。万一、娘に何かあったらと思うので、自宅で待機。そこへ携帯にメールが。
幼稚園の友人で、なんと間違えて幼稚園に行ってしまったという!雨なのに!!
気の毒で言葉もなかった。私も昔そういうことがあったなあ。幼稚園じゃなくて習い事だけど。悔しい気持ちは判るわ、今度一緒に憂さ晴らししましょと返信。またサイトの更新をしたい私は黙々と作業をする。
 娘を迎えに学校に行く時が一番雨の勢いが激しかった。息子はレインコートと長靴で装備して雨の中を大はしゃぎしながら歩く。雨でも、外出が嬉しくてたまらないらしい。さすが男子だ。
娘がいい顔をして出てきたので一安心。長靴を履かせているところへ弾丸が!娘の隣の席の男の子が激突したのだ。わー!!っと号泣する娘。なまじ母親である私の面前で行われたことだけにとっさに言葉もない。その男の子の親友らしい二人が男の子をたしなめている。クラスメートが集まって一生懸命娘を慰めてくれる。そこへさらに第2弾。同じ男の子が今度は私も突き飛ばすようにして娘にわざとぶちあたって帰っていったのだ。娘、もう一度号泣。
その男の子とは2学期の席で隣になって以来、トラブルが絶えない。娘は虐められていると訴えるのだが、周囲の子供達もそういう認識を持って男の子をたしなめ、娘にやり返せとアドバイスするのだが、大人達から見ると、過保護すぎるくらい過保護な私とオットの目をもってしてもその男の子から溢れているのは『愛?』なのである。
でもこの勢いじゃあちょっとやっぱり娘には受け入れられないよなあ、下手すると怪我をするわねえと悩みつつ、娘とその友達を英語教室に送り届けてから学校の担任の先生に電話した。
今日、娘はくだんの男の子と喧嘩をし、蹴飛ばされて泣き、なんと叩き返したそうである。人生初めての暴力であろう。よくよく悔しかったようだ。相手の男の子も泣いたと言う。うーん、小学校1年生。担任の先生は繰り返し、男の子の屈折した愛を言うけれど、怪我をすることにならないように注意すると言ってくださったので安心する。しかし感受性が強すぎ、プライドが高すぎる娘に体する親と教師と一体になっての指導ということで話し合う必要があるとも先生と合意。やれやれ。思えば誕生した瞬間から気難しい娘であった。退院する時に助産婦さんが心をこめて「この子はきっと大変難しくておかあさん、ノイローゼになるかもしれない。がんばってね」と言われた。3ヶ月後に保健所からやってきた保健婦さんには「こういう顔が四角い輪郭の赤ちゃんはものすごく頑固なんです」と言われた…。
すべて当たってました。
運に恵まれて今のところは幸福な娘の、その幸福が確固たるものになるように、親としては何でもしたい心境ではあります。
2学期になってから再三、ほぼ関係のない息子の幼稚園の保育主任の先生についつい、娘のことまで相談していた私。先生は
「○○○くん(息子)は僕らがしっかり見てますから、お母さんは○○○ちゃん(娘)をしっかり見てあげてください」
と言われた。ありがたくも心強く思う。おかげさまで息子の方は絶好調である。育児の深い深い悩みの峡谷をさまよいながら、私は生きる。

新潟の被災者の誰彼を、なんとか少しでも助けてあげられないものかとテレビをみて身悶えする。おむつとミルクを!と訴えている人達をみるともうたまらない。今すぐおむつにミルク、暖かい毛布、着替えをもって駆けつけたい。疲れ切り、不安で青ざめたお母さん達を慰め、小さな子達をだっこしてあげたい。安全なところへ連れて行ってあげたい。でも。日本のどこが安全なんだろう?明日は我が身。心底から地震に怯えながら暮らしてもいる。



これもママ友達製作のコサージュ。
リバティプリントで作られているのです。

2004年10月25日(月)  
 息子の園が振替でお休みなのを忘れて、歯医者さんの予約を入れてしまった。歯の方も切実なので息子を1時間託児室に預けて行く。それがとてもよかった。やっぱり子供を安心して預けられる場って必要だと思う。子供にも違う刺激になるし、親も余分なストレスをためこまないですむ。
地震の話をきいていてなんて私の気分と似ていることとちらっと思ったのだが、ずっと表面穏やかにたもっていても地殻変動のパワーは矯め込まれていて、それが一気に噴出すると大地震になるという。こまめにちょくちょく揺れていた方がいいそうだ…。
歯の治療前にまたドキドキする。昨日、園のお祭りの際に知ったのだけれど、今年役員をしてくださっている明るくて素敵な人柄のママがいて、でもその方もパニック障害で私と同じ薬を飲んでいるというのだ。きっかけは虫歯の治療中に怖くなりすぎたことだと言う。私はきっかけはインフルエンザの注射
であった…………。同志愛を一気に高め合った私たちは今後メル友としてお互いを励まし合って生きて行こうねということになった。
それからお祭りの最中の休憩タイムに、別の友人から言われた。その友人の友人で最近私とも話すようになった方の末のお子さん、来年度入園を控えている子なのだけれど、公汎性発達障害を診断を受けたらしいという。様子を見て、経験者というか当事者の母として私から相談にのってあげてくれないかとのこと。了承する。相手のお母様は今はまだ淡々としている。私も最初はそうだった。それから勉強を初めて、奈落の底に落ち込むような絶望感に浸されて行った…。あの暗黒の時代を再現するのは嬉しいことではない。でも体験を話すことで救われる人がいるのなら、私にできる努力として相談に乗らせてもらおうと思う。

本日は珍しく娘がお友達をつれて返ってくることになっていたのだが、相手のお母様から急用ができてしまってとお断りの電話を頂く。疲れ切っていたので少しホッとした。でも家を掃除できたからよかった〜。
と思っていたら。また娘が偏頭痛を訴えだす!今日、学校で些細な事件があったせいかと思う。教師や親から見たら本当にどうということがないことが、娘には重くて精一杯の我慢の限界になってしまうらしい。悩める母達と愚痴をこぼし合いつつ頑張る。娘には前回、救急病院で処方されていたアンヒバという鎮痛剤を与える。20分ほどで効果発揮。そのまま寝てしまった。

忙しくしながらじわじわ更新計画、すすめている。PCの前でお人形のページを作っているとき、癒される私。洗濯物とアイロンものはすぐに溜まって私を悩ませるのだけれど、更新がすむまでうっちゃっておこうっと。



ママ友達が作ったファーのバッグ、
園にだされたお店の中で一番人気でした。
それを見事にゲット!
今年の祭りはツイテた私。

2004年10月24日(日)  
 いよいよ、息子の園のお祭り日到来。この日のためにみんな微妙に4月から緊張感を高めてきた訳で、嫌でも気合いが入る。幸いお天気は良好。トラブルもなく無事にイベントが終わった。
楽しくてでも疲れた。

 新潟の人達を気にしながら過ごした。出かけに知ったニュースのことを思い出すたびに胸が痛んだ。
何人かのショック死した方達…中でも生後2ヶ月の赤ちゃん…!
私の娘も息子も、2ヶ月の頃まではオットのくしゃみにも驚いて大泣きしたものだった。首の座らない状態で、極端な揺れを感じ、驚くどころではなかったのだろうと思うと可哀想で可哀想で…!ご両親の、特にお母様の気持ちを考えるととても他人事ではなく胸が潰れるような思いがしてしまう。その赤ちゃんの姿は、私の娘、息子の姿に重なるのだ。あの、2ヶ月児の柔らかい重み、ぬくもり、希望と幸福そのもののような切なくなるくらい愛おしい命のこと…。
そしてもちろん、倒壊した家屋の下敷きになって亡くなった方達のこと。その中の3人の子供達。
親になって思い知ったことがある。
この世で一番恐ろしいことは、子供を失うことだ。傷つけ、病気になられることすら怖い。怖くて怖くて、なんとかあらゆる病、怪我、心の傷からさえも守ろうと、親達は予防に必死になる。私は日夜そういう世界の中の一員として身近なおかあ様方とタッグを組んでいるのだ。交際嫌い社交嫌いもへったくれもない。子供を愛すればこそ、できる努力は全部しようと思う。それほどに子供につく傷が怖い。
まして死は、自分の死そのものよりもっともっと恐怖なのだ。
その恐怖に一瞬のうちに見舞われてしまった方々のことを思い、悲しい。

同じ空の下なのに、私たちはお祭りをし、笑いあった。でも本当は全国民が救助に駆けつけ、できることをすべきなんじゃないのかと思ってしまった。今、私に何ができるだろう。何かしたい。何かしたい。


 
ミスタードーナツでポン・デ・ライオン急須を当てました♪

2004年10月23日(土)  
 夕方6時前から新潟で十数回にわたる地震。最初の地震では東京も大きく揺れ、ひやっとさせられた。ドキドキドキ…地震のあとはしばらく動悸がおさまらない。新潟の方達の安寧を祈るしかできない…。震災の悪夢がまた繰り返されませんように!

 本日は娘の小学校のお祭りであり、息子の幼稚園のお祭りの準備日でもあった。娘の方には悪いけどノータッチにさせてもらいオットにまかせることにして、私は幼稚園で出来る限り働く。恐ろしいことに明日はこの私が、あるコーナーの受付をしなくてはならない。この人選にも何か誤解を感じるのだが、仰せとあらばやるしかない。清掃係も引き受けたからお祭り終了後はトイレから部屋から庭から狂ったように掃除するのみ。がんばるわ〜!たとえ燃え尽きようとも。
お肌が荒れて来たのでさすがの私もパックを試みる。ふんふん、4日に1度はしろと説明書に書いてある。前にしたのはいつだっけ…。すくなくとも3ヶ月は立ってるだろう。だめじゃん〜!

再び地震速報。相次ぐ震度4以上の地震。ああ、新潟の方達はどんなに怖いことでしょう。こんなとき、どうやって周囲は助けることができるのかな?


 
一目惚れして買ったランプ。
キャンドルを灯して家族で喜んでしまいました。
大きさは大人の拳骨くらいで、値段は400円しないのです。
いいでしょ〜?

2004年10月22日(金)  
 「冬のソナタツアー」を終えて帰国した友人と、二子玉川で待ち合わせ。お土産話と写真で盛り上がり、韓国岩海苔をお土産にもらった。韓国、とっても素敵らしい。頭の上までどっぷり韓流ブームに浸っている彼女の楽しそうな顔をみていると、私ももっと韓国ドラマを見てみようと思う…でもたまに見る「ホテリアー」とか「美しき日々」とか、主役の気障な台詞に身悶えしてしまうの(涙)
しかしながら友人曰く、韓国男性はどこか違う、すごく魅力があるとのこと。ちなみに友人は何十年も前に結婚している。韓国男性だろうが日本男性だろうが宇宙人だろうが、そんなに生活に影響なかろうにと思うんだけどなあ。私が韓国に感じる魅力は言うまでもなく人形と、基本的にソウルには地震がないらしい、ということかな。韓国の美術も好き。美しい。
韓国ドラマの影響が私に与えた一番の大きなものは、返って和の魅力を気付かせてくれたということである。
どちらかといえば今までローラ・アシュレイ的な世界を愛してきて、今もそれは変わらないものの、それでも和の色彩、柄、を見るたびにその美しさに衝撃的な新鮮さを感じる。私のお人形の世界はやはり洋物的な要素が強いのだけど、生身ではまといきれない美しい日本の着物を、人形達に着せてあげたいと思う。小物も和小物メインにさがすようになった。
ちなみに有名100円ショップでミニドールにいい感じの和風ミニチュア家具を置いているのだが、いかんせん貧乏臭い…。人形とはいえ長屋の庶民風よりはやはり、姫、若君、あるいは大店のお嬢、奥方様的イメージを追求したいのに、それらをみているとつい傘貼り内職をしているやつれた浪人とか、病気のおとっつぁんを抱えて苦労している健気だけどやっぱりやつれてる娘なんかのイメージばかり浮いてきちゃうのね〜。でもあれを素体にして漆風につややかに黒く(もしくは朱)に塗り、金の彩色をすれば一気にグレードアップするのかもしれない…。でもそれにチャレンジする前に更新しろよ!って話ですね。
日が高いうちになんとか人形の撮影をせねば…。



友人が誕生祝いにくれたバッグ。
これを持ってどこに行けばいいか、ずっと悩んでます。
バービーにだったらきっとすごく似合うでしょう。
でも普通のオバサンはどうすればいいの…?

2004年10月21日(木)  
 早朝6時過ぎに幼稚園の連絡網で、「遠足、様子見。準備をして待機」だったけれど、その後小雨がふりだして「中止です」と再連絡。でしょうねえ。
今年、我が園はたたられていてこのパターンがすごく多い。結局子供は普通に登園することになった。
今日はママ友達3人とランチである。ランチタイムが始まるまでお茶を飲む。一人、人間関係でたいへん不愉快な目にあったお母さんがいてみんなで慰める。人、というのは不用意な発言であっけなく他人の心を傷つけるものなんだなあと感慨深い。好き嫌いがあるのは仕方ないけど、「私はあなたを嫌っています」という言動を強く示してみせる必要ってあるものだろうか???理解できない。
 子供がいない場での食事のあの安らぎ、そこから得る喜びはなんて大きいのでしょう。ちゃんとご飯の味が判るっていいよね、と言い合いながら食べる。子供がなんとか人の形になるまで、ろくにご飯を食べられないという現実を、みんな生んでみて初めて知った、という話にうなづく。
まだまだ育児の先は長いが、とにもかくにもたまにこういう楽しみがあるだけで幸福!(って最近、ちっともたまに、じゃなくなっている私)
帰りに通りかかった花屋さんの店先で目に飛び込んできた映像に、思わず
「あ!リカちゃん!!」
と叫んでしまった。綺麗なパンジーにリカちゃんの写真が印刷された札がついていたのである。見ればそれが虹のリカちゃん、新種改良されたパンジーの会社とタカラさんのコラボらしい。みんなにさすが人形フリークと冷やかされた。
そのお花屋さんは気の利いた雑貨も売っていて、今いちばん素敵なのがハロウィングッズ。子を喜ばせたいといいながら、自分のためによろこんで色々買った母達。
わたしもしっかり何点かゲット。今年から妙にハロウィンがお気に入りのイベントの一つになった。

子供の習い事がない日だと何でもできそうでワクワクして帰宅するが、普通に生きて行くための最低限度の家事をしているだけで終わってしまうのはなぜなんだろう。幼稚園のバザーで演出に使う小道具作りを宿題として頼まれていたのにちょっと没頭はしたけれど。
実はこのサイトを事実上40日ほどやすんでいた間に、携帯電話メル友が増えてしまったのだ。オットは言う。なぜ母達はそこまでメールにハマるのか?と。子供のいない友人もきく。なぜ、いちいち「さっきバス停にいたでしょ、見かけたよ」なんてメールをやり取りする必要があるの?と。
そうねえ、育児は騒がしいのに孤独な世界だから、かな。みんな仲間を確認したくて、そのためのコミュニケーションの一環なのじゃないかしら。「あしたお弁当持たせる日だよね?」という連絡事項は、母達にはものすごく大切なことでもある。落ち込んだことうれしかったことを報告しあうのも愛だし、おつきあいなんだなあと、私も確認中。それと、黙っていて勝手に誤解されるのも生き方の一つとしてありかなと思うけれど、私はこんな人間ですよ、勝手に決めつけないでね!って今の私は言いたくてたまらなくなっているのかもしれない。
ご飯食べたりメールをやりとりしながら「あなたって○○なイメージだったけれど、案外××だったのね」と言われるたびに、愕然とする快感というのも癖になってます…。



安価で気軽に帰るコンパクト。
これはオットが買ってきてくれたソニーのもの。


2004年10月20日(水)  
 ちょっと来過ぎな台風。今日は23号が到来。朝のうちに色々用事をすませておこうと息子をそそくさと幼稚園に連れて行ったら、東京にも午前7時半に大雨注意報が出たので、休みたい人は休んでもいいとのこと。私は家が近いしたとえ午前保育2時間の日でも息子は園に行かせてあげたいと思っているのだけれど、遠くに住んでる友人達にはメールで、休むように連絡。
でも「もう家でちゃったよ…」と涙マークつきの返信をしてきた友人とは待ち合わせて、結局子供を連れて帰る時間まで近くのお店でおしるこを食べてあったまっていたのだった(^^)
今週、午前中家にいる日がこれで1日もなくなった。ちょっと私、出歩きすぎの感がある。交際苦手の自分に逆らうように、あえてなぜ人に近づきたくなるのだろう。何かヘソマガリの虫が騒いでいるようだ。
おしるこを一緒に食べていた友人と話していると、音楽の趣味が異様に合うことにびっくり。彼女がマイナーなバンドのこともすぐにわかるのに驚いて話していると、あるバンドのメンバーにファンとして本当に心酔していたときいて驚いた。それはオットの同期で同僚であり、私もお友達である。世の中、不思議なつながりがあるものだと感心。
子供達を拾い集めて帰る途中、オットからも早く帰るように社長からメールが来たからもう戻る、との電話あり。娘のバレエ学校からは危ないので本日のレッスンはお休みにしますと連絡網が回ってきたが、息子の幼児教室はやるというので行く。根性!
でも帰りにオットが迎えにきてくれた顔を見ると、なんだかとてもホッとした。同じ間違いを繰り返さない人が好きさ。

雨はすごいけれど、風は思ったほどでもなし。でもほぼ確実に明日の息子の遠足はないと信じている。



子供の時に母に買ってもらったキャンディの缶。
長い間私の宝物入れでしたが、今は娘の宝物入れになっています。


2004年10月19日(火)  
 息子がムクッと起きたので、ありゃ?と思って時計を見た。瞬間青ざめた。もう7時半!
久しぶりに寝坊しちまったのである。見ると目覚まし時計が止まっている。電池切れだ。私は日頃、目覚ましが鳴るよりずっと早く起きる。今日も早くに目が覚めていたけれど、体が重く睡魔がいつもより深く私を押さえこみにかかっていて、もう一度目をつむった。空は薄暗くシンと静かで、まだまだ夜明けのはじめのうちだと思い込んでいた。時計はまだ5時前をさしていたのだ。その辺からもう止まってたのねー。
 規則正しい体内時計を持つ息子に感謝。大急ぎで支度した後、オットも娘もごく普通に登校、出勤。私も洗濯し、お弁当をつくり息子を園に連れて行った。

 またまた歯医者さんである。先日のことを謝り倒し、もう一度診察椅子に座る。もうこの時点で緊張している。でも麻酔を打っても大丈夫、何事もなく終わることができた。
終わったあと、すぐに家に帰りたかった。色々したいと思うことがあったのに、なぜかぼんやり商店街を歩いてしまう。いつもはじっくり見て回ることができない大きなドラッグストアの中にどれくらいいただろうか。
私はあまりコスメに興味をもたずにきた。これは無関心だからじゃない。興味を持ち出したらいくらでも、どんどんのめりこんでしまえそうな予感がありありとするので、用心してきたのである。手に余る道楽は人形一つにしておきたい、という深遠なる配慮故である。
が、洗顔フォームがなくなっていて、どういうのがいいのか探したかったのだ。
尿素そかイソフラボンとかヒアルロン酸とかコラーゲン入りとか、心惹かれるものがたくさんある。
それから普通に化粧品。服もそうだけれどコスメにもさほどブランド志向がない私。ファンデーションとか口紅、シャドーなどで重視するのは、そのものの色目はもちろんだけれど容器のルックスの良さなんである。子供の頃から大好きなのがコンパクトで、これはひみつのアッコちゃんの影響も会ったと思うけれど、大きくなったら絶対すごく素敵なコンパクトを持ち歩くようになると心に誓っていた。今では大きくなり過ぎなのであるが、いまだに納得したものに逢ったことがない気がする。長四角いシステマティックなシンプルなものばかりが歴代、私の手元にある。フランスのランコムは大好きな薔薇のレリーフがあるので、強いて言えばかなり好きな方ではある。がその値段とブランドの効果が私の中で実感として、充実感にはつながっていない…。マリー・クワントのコンパクトは四角い銀色であのシンボルである花のレリーフがやはりある。リピートするならこれかなあと思っていたのだが、先日オットが誕生日のプレゼントの余興としてつけてくれたのはソニーラボの象牙色のコンパクトで四葉のクローバーをモチーフに彫りがある感じのもの。これも面白い。キスミー化粧品の金色の丸いコンパクトを私が気にしていたら、ちょっと安っぽいんじゃないかと彼は感想を述べていたのだ。
そんなこんなで見ていたらオ!と思ったのが資生堂のマジョルカのシリーズ。金色に王冠のレリーフがとても可愛いと思ったら、それはアイシャドーやチークをセットしていれるためのパレットコンパクトで、私が欲しいファンデーション用は真っ白なプラスチック…王冠柄はついているけれど、ちょっとデザインが落ちる感じで残念。でも口紅が小さくて可愛い。総じて、私の化粧品は減らない。あまりにも減らない。実は20年間のアイシャドーをまだ毎日薄くつけている。当時一緒にそれを買った友人に言ったら驚き呆れられ、「いい加減に捨てな!」と一喝されてしまった。たいていの化粧品が、私には量が多すぎるのだ。
バッグを小さくしたいと思ったら化粧ポーチだって小さくなければならず(実は持ち歩いていないことも多い私)そのためには化粧品も小さくあってほしいのだけれど。
そんなこんなでさんざん悩み楽しみ、洗顔剤を一つ買って帰ってきた。これも悩んだあげく尿素配合のものにしたのだが、夜に使ってみると失敗。しっとりした洗い上がりというのに期待していたのに、規定量(手のひらに2センチくらい出せと書いてあった)の半分しか使っていないのにピンピンに肌がつっぱって痛いよう。実家の母に送ろう(親不孝)
と比較的贅沢に自分のためだけに午前の時間を使った本日。よくよくカレンダーを見たら、人と会う約束をしていないのは今日だけだった。交際嫌いと言いながら、なぜいろんな人と会い、楽しんでいるのか。交際上手ではないけれど、私はやっぱり人間が好きなんだなあ。
好きな人に嫌われたくないから引っ込んでいたい。でも母はそうしてはいられないから頑張る。
矛盾の海を泳ぐような生活です。
でもランチって人と交際するのにちょうどいい楽しい時間だ。お店も気楽だし、1時間そこそこはとても楽しくお話して過ごせるのだから。有効な社交時間である。

台風が二つ来ているとか。予兆の雨の中、子供とその友達を習い事先へ送迎。娘が朝、登校する時はまだ雨が降っていなかったので普通のスニーカーを履かせていたのだが、それがすっかりびしょぬれで靴下まで染み通っている。可愛そうなことをした。幼稚園なら母はみな、長靴を持参して履き替えさせて帰る。小学生でそれをしてもらっている子をみたことがないからな〜、なんて変なことをためらってしまって、私が悪かったとまた反省。



昔、もらったオパールの指輪。

2004年10月18日(月)  
 いいお天気で嬉しいと思っていたら明日からまた雨だそうだ。町を歩いていると、どのご家庭も必死で布団を干していた。そうよね〜、やっぱりお布団をフカフカにしておくことと、せんたくものをためないことは主婦の命だわ〜。
のんびり歩きながら,半年ぶりに精神科の先生のところに行く。
この際、ズバッとパニック障害がなおる強めのお薬をください〜とたのんだけど、私程度にはいらないと却下される。ルボックスというそれは、たとえば一人で電車などの乗り物に乗れない、広いところにもいけず、従って普通に生活していくことが困難を極める人のためのものだそうで、私のように緊張し疲れた時に過呼吸発作を起こす程度では必要ないとのこと。
結局だらだら愚痴をきいてもらって終わった診察。早い話があなたは疲れてるのよと言われてそうだなあと思い、でも私は十分に楽しんでもいるのにと納得がいかない。その「楽しんでる」という気持ちが大事だからもっともっと楽しむようにね、と言われた。疲れの蓄積を自分でうまく分散できないなら、疲れないようにするしかなく、そうするには隠遁生活にでもはいるしかないんだよと思いながら先生のところをでる。待合室には女性がいっぱい。年配のご夫人が多いけれど、私くらいの人もいる。幼稚園でも気心知れた人と話し合うと,案外精神科を受診したことがある人がいるので驚いたけれど、いいことだと思う。私の母くらいの世代の人間だと精神科に行くこと=屈辱的な恥、のような対応をすることが多いのだが、きちがいという言葉に代表される昔の人の認識は極端で、それゆえに精神のバランスを崩した人は相談することさえ恥ずかしいというような罪悪感を持つ。でも心に荷物を抱えたまま生きて行けるほど強い人がどれくらいいるだろう。
天気がよく、お腹がすいていたので友人に電話をしてランチに誘った。しばらく会っていなかったから声をききたかったのだ。最初はちょっと今日は残念ながら…と言いかけた友人が気を変えて会いにきてくれた。二人で,子供がいると入りにくい優雅めのお店にはいって素敵なランチをたべる。ものすごくいい気持ち!友人も喜んでくれて、誘ってくれてありがとう、と何度も言ってくれた。私こそ、会いにきてくれてとてもうれしかった。
私が人づきあいを嫌いだと言ってしまうのは、先に相手に嫌われるのが怖いからだということをあらためて思う。
人の目を気にせず、人に何を言われても気にせず。自分に強い信念があって何かを目指している時は,確かに私の中にそういう強い面が生まれてしばらく私を操縦している。でもそれが引っ込んでしまった状態の私は、たよりなく風に揺れる木の葉のようだ。そんな自分を哀れみ,呆れながら、仮そめにでも強いふりをして生きて行こう。
ちなみに今日は、娘が4時間授業なのに5時間授業と間違えていて迎えに行くのが10分遅れた。もう娘はさめざめと泣いて、同級生達に心配をかけていた。これもなんとかならんのかねえ。
子供達におやつをあてがい、宿題の監督をして一休みしたらもう夜です。ああ。



今年の娘のコートはこれで決まり.

2004年10月17日(日)  
 娘のために「プリンセス・チュチュ」というアニメのDVDをレンタルしたら,子供達がそうでもないのに私がハマった。幼児っぽい絵柄だけれどおじゃ魔女ドレミ的可愛さがあるし、全編これバレエというストーリーがいい。バレエ専門の寄宿制の学園を舞台に、絵本の中から飛び出した大鴉の呪いに捕らわれた王子と彼をすくいたいアヒルの女の子のお話である。ピンチの場面でプリンセス・チュチュに変身、最大の危機のときには華麗に舞い踊りながらバレエの技をいかして敵を打ち破るのだ。おもしろすぎ。
このDVDの返却期限が実は昨日だった。今日の朝10時までに返せばセーフなのである。で、飛び起きて家族を巻き添えにしながらビデオ屋さんにかけつける。ついでに隣のファミレスでモーニングを食べた。満足。これからはもう節約しましょうと言いながら,の外食は禁断の美味さであった。

 そのあと、日曜日だというのにオットが趣味で所属している合唱団のコンサートがあるので出かけるというので,盛大に文句を言う私。蝶ネクタイと白のタキシード(うげげ)を用意しながら、あなたもこんなに家族を犠牲にして遊んでるんだから、私がちょっとくらい人形を買ったってもう文句いわないでちょうだいよっ!と送り出す。ちょっとじゃないでしょ〜と言いながらうなだれてオットは出て行った。
とにかく毎日忙しいと必然的に家の中は荒れる。家ってこまめに手入れをしなければ綺麗を維持できないものなのだ。人は動いていなくても,埃は生きているもののようである。増して人がピチピチ生きていれば、埃もゴミも盛大にでるものだ。季節の変わり目は着るものの手入れも忙しい。週末は子供達が持ち帰った着替え袋や上履きも洗って干して、アイロンをかえたりしなければならない。なにはともあれ生活の場を日曜のうちに綺麗にしておかないと、これからまた始まる1週間を気持ちよく動き出せない。最低限の掃除はしておく。
それが済んだ頃に娘のバレエ教室に行く時間になる。息子を連れて行くのは気がすすまないなあと思いながらお出かけ。息子は2歳の時から姉のバレエレッスン風景をみているわけだが、先月からちょっと踊りたそうにしている。バレエを習っている小学校3年生の素敵なお兄ちゃんに触発されているのかもしれない。でもなあ。軽度とはいえ障害のある息子にはどんな習い事をさせるにも覚悟がいるのだ。先生に受け入れてくださいなんてとても言えない。息子と一緒に外に出ながら、もしも息子が普通だったら今頃たくさん友達ができていて、サッカーをやったりキャッチボールをしたり、そしてバレエやピアノを娘と一緒に習ってたりして、なんて、つい普段考えないようにしていることを考えてちょっと泣きたくなった。
おまじないとして、幼稚園の先生の顔を思い浮かべる。先生なら笑って、そんなことは考えない考えないと首をふるだろう。
本屋さんでいい気晴らしをみつけた。「ゴスロリ」という雑誌が何冊かあって、その中の1冊に目を奪われ、ついフラフラと買ってしまう。面白い!なんて面白いの!
それはゴスロリドレスを手作りしたい人のための本なのだった。そしてスーパードルフィーが掲載されていた。ミミと陵である。二人をモデルにしてそのドレスの作り方が2パターンのっている。
息子と13アイスクリームのお店に入ってアイスを舐めながら,その本をものすごく楽しんだ。それで思ったのだけれど、やっぱり私はゴスロリが好きなのかもしれない。今の時代に青春を送っていたら、この世界にハマっていたかと思う。中で掲載されているのと似たアクセサリー類を、私もかつて買い集めて持っていたし,18才の頃、ライブに行く時に決めていたのは胸元がリボンで編み上げのトップに長いレースのスカート、指なし手袋、レースのヘアバンド…色は全部象牙色で統一していたのだけれど、あれはかなりゴスロリだったと思う。当時は聖子カットの熱いブームがすぎて、いきなりみんなバサバサ髪を切り落とし、うなじをそりあげて、前髪で片目を隠したりしていた…確かテクノカットとか言われていたと思うけどそんな髪をし、 三宅一生から始まって大流行の黒い服に身をつつんでいたのである。私ひとり浮き上がり、でも髪を長く垂らすことも可愛くてエレガントな服をきることにもこだわって譲らなかった。その後,時代はワンレングスヘアにボディコンシャスなドレスへという風に移行するのだが、この頃には私はスーツに凝り始めていて…それっきりゴスロリ風なものからは遠ざかっていて。でも心の中にずっとあったのだと思う。娘が生まれた時に生まれたイメージはゴシックなロリータ、黒とか血とか棺桶、コウモリじゃない感じのね、薔薇と王冠、天使の模様というふうに(笑)人形にはゴスロリが確かに似合う。とすれば私は、好きになるべきものを、なるべくしてなっているということなのかな。
浸り切っているところへオットが合流。コンサートは大成功のうちに終わったらしい。今日は、たぶん日本一高級と言われる老人ホームでの慰問コンサートだったのだ。中はやっぱりものすごく、住人達も老人といっても普通ではないエレガントさだったという。だてに億を積まねばはいられないところではない。最高齢の方は100歳をとっくに越えていらっしゃるとか。すごい。本当に世の中,色々な人がいるものである。
さあ,今夜は録画してある「大奥 第1章」の第2話でも見よう。みんな浅野裕子のよりいいと言ってるけれど、私にとってはあれはあれ、これはこれ。松下由樹の演技が迫真なのは予想通りだけれど、いかにもという感じで軽視していた高島礼子のなりきりぶりにびっくり。すごい熱演。あの目の演技素晴らしいです。が、何よりお衣装が美しくてよいです。娘は「おひな様の言葉が難しい』と言いながら一生懸命見ているのだが、それがまた私には面白くてたまらない。娘は着物を着ている人をすべて「お雛様」というのだ。元気に明るくしゃべっている娘を見るとほっとして、思わず抱きしめたくなる。


 
これも友人が手作りしてくれた、ビーズの携帯ストラップ。
着せ替え好きな私に会わせて、ストラップまで着せ替えできるようにしてくれたのです。

2004年10月16日(土)  
 実は歯が痛いのです。それで予約していた歯医者さんに午前中に行く。そこで久しぶりにやってきたのがパニック障害。もう情けなくてかなりトホホ〜!

 私はその歯医者さんご夫婦が大好きなのだ。思えば息子が入園前で,自閉傾向だと診断されて、もういろんなことがごっちゃになって人生で一番精神的に恐慌状態にあったときで、息子の虫歯16本という悲惨な結果に呆然として,精神的に歩く大型台風状態になっていた私に気の毒にもぶちあたってしまった先生方である。育児ノイローゼ状態の私に根気よくつきあいながら息子を治療してくださり、それからもたびたびお世話になっている。
尊敬し,信頼している先生のところにいくのはまた楽しみなくらいだった。
先生ご夫婦と幼稚園のお話などしながら麻酔を打ってもらい,レントゲンをとり、談笑しながらまた席へ。いい具合に麻酔がかかってきた感じが頬にひろがっていた…その時である。急に全身が重くだるくなり、しびれ始め、呼吸が苦しくなった。唐突だった。
さっと考えをめぐらし、どう考えても物理的にどうということが原因ではなく、これは久しぶりのパニック障害だと結論づける。いい加減になれているので,過呼吸発作を自分が起こしかけた時の気のそらし方もわかっている。正直に先生ご夫妻に話して待って頂き、しばらく呼吸を整える。
治療が済んで先生に平謝りで次の予約を入れてもらって帰る時に、半年ぶりに精神科の先生に電話をした。おじいちゃん先生の飄々とした声をきいたとたんじわっと目に涙がでて、鼻をすすった。すっ、と呼吸が楽になっていた。

どうしてなのか理由は簡単で、疲れてるのだ。いつもこうだ。来年の秋もきっとこうだろう。下手をしたら来年は役員を引き受ける羽目にもなりかねないから、そうしたら来年の今頃はかなり血相が変わってるはず。やれやれ。自分の弱さに本当に泣ける。
娘の救急車騒ぎのショックもあったかなあ。あと、本能的な歯科治療への恐れね。それが最大かも。

娘を塾に送り、息子を体操教室に連れて行く。子供達がいない間、オットと小1時間喫茶店にはいってこれから年末にかけての予定を色々たてる。買いたいもの、しなければならないこと、人とのおつきあいのこと、行かなければいけないところなど。
時間はあっという間にすぎて、まず息子を回収。幼稚園の保育主任の先生にバッタリ会い、お芋堀遠足を無事に過ごせたことへのお礼を言わせて頂き、さらに今月末に控えている遠足に私も付き添いましょうかとお尋ねする。ただでも先生方は大変なのだ。うちの息子に余力をさいて頂くことが心苦しいのである。でも先生は優しく拒否。ひたすら感謝する。この先生との出会いがなければ、我が家の運命は今とはずいぶん違っていたものになっていただろうと,本当に思う。

夕方、バースデイケーキをとりだして、また誕生日のお祝い。昨日もしゃぶしゃぶだったが,今日もまた鍋にする。手軽で美味しくて華やかで、肌寒い風が吹いた日にはとてもうれしい。こういう食文化のある国に生まれてよかった。
オットが昨日もやたらに忙しかったがお前はいつもこうかという。こうです。車にも自転車にも乗らないのでもっと多忙だよ。車に乗れ!と言われた。が,前に自分が私に轢かれかけたことを思い出し、もう一度教習所に通った方がいいかもしれないなと気弱に発言。子供は可愛いけれど、1日中一緒にいると疲れるなあとも言う。でしょう。だったらご褒美に私にお人形くらいかってあげようと思うでしょ?というと、思う,思うけれどSDは高いと言われた。そりゃそうですね、あっはっは。
でも先週のアド街っく天国という番組でボークスのフルチョイスシステムを知り(ちなみにこのことはもうずっと前から私はオットの前でピーチクパーチクとさえずってきたのであるが、彼は見事に雑音として切り捨てていたことが判明した)これがいいんじゃないか、なんとか買ってあげたいと思ってはくれているそうだ。でも昨日の私のお祝いだけで、すでに軽くフルチョをして既成のMSDも買えるくらいの金がかかってる、という。だ〜か〜ら〜!!人形の方が安いって言ってるのにー!!単にあなたが電化製品買うのが好きで,人形嫌いなだけでしょう?しくしくしく。



 
友人がプレゼントとして

焼いてくれたケーキ!とっても美味しかったのです〜♪

2004年10月15日(金)  
 思い出す限り、誕生日が憂鬱だったことはない。加齢されることも別にどうってことがない。若さを惜しむより,積んだ経験を喜ぼうという気持ちが本当だ。今でもおバカな私だが、若い頃はもっと馬鹿で浅はかだった。確かにあの頃,いくら何を食べても太らず、お肌もツヤツヤで人にもチヤホヤしてもらっていたけれど、それでももう昔に戻りたいと思わない。今の自分が大成功だなんて夢にも思っていないけれど、やり直したところでたかが知れていると思うのが本音…少なくとも私は、曲がりなりにもなんとか頑張るべきところでは頑張ってきたと信じているのだけれど、やり直せばやり直すほど後悔することが出てきそうで、それならいっそ若さを惜しむより前を向いて年をとりながら、恥ずかしいことは全部あとにしていきたいと思うのだ…。

 天気もよくて、それだけでも今日はもうハッピーという感じだ。家族と和やかに過ごしたいところである。娘は昨日から元気で嫌がらずに登校。オットも午前だけ出勤して帰ってくるというので私もオットとのランチを楽しみに息子を園におくっていった。友人がきて、手作りのケーキと素敵なビーズのストラップをくれる。感激。照れくさくて言葉が思うようにでない。
それから小学校の委員会に出席。いよいよこれから年末にかけて大役を果たさなければならないのだ。
みっちり2時間のミーティングのあと帰宅。自分にではなくよそのお嬢さんのための絵本バッグとうw靴入れを縫う。子供がいないと1時間足らずで作業終了。帰ってきたオットと一緒に息子を迎えに行く。
ところがどうしたわけか今日に限って息子と付き添いの先生がおらず、25分も待った。これが誤算でオットがずいぶん青ざめると思ったら、私が好きなイタリアンのお店にランチの予約をいれておいてくれたというのだ。のこり50分を切る状態でレストランにとびこむ。私が大好きなランチにワインを楽しんでエスプレッソも飲んで、いい気分で出ようとしたら厨房からプレゼントだといって、アイスクリームに赤と青の火を灯したろうそくを立てて持ってきてくださったので感激。
娘を迎えに行って二子玉川の高島屋へ車を走らせる。幼稚園の時から、母子でとってもお世話になっていたKくんは今日限りで転校してしまうのだ。プレゼントを買って渡したいからと必死。K君とそのおにいちゃまのR君に柄違いのトイストーリーズのマグカップを買ってラッピングしてもらう。
アフタヌーンティールームに飛び込み、お茶をしながら娘にお別れのカードを書かせる。取って返してケー君家へ。仲良しのTくんの家へ行っているというのでTくんの家に押し掛ける。と、公園で遊んでいると言うので、公園に突撃。7人の友達に囲まれて遊んでいるKくんをやっとキャッチ。プレゼントを渡して、男の子達と一緒に写真をとって、Kくんママにもう一度お別れを言いに行って…。
次はもうディナーであった。しかしながら、家族のうち誰もお腹がへっていない。しかしオットが、しゃぶしゃぶのお店をもう予約してあるというので、ふくらんだお腹をさすりさすり向かう。
驚いたことだが、美味しいしゃぶしゃぶはお腹が一杯の状態で食べても美味しく頂けることを発見。
プレゼントにジェニー・フレンド2体と(ずっと前から買ってあったので別に新鮮ではないのですが)化粧品(もっと化けろってことですかね)、それから新しいデジカメ!をもらった。
パナソニックのLUMIXというもので、色がいい。ピンクブロンズという色なんだけどとっても好み!
これで私のヘタレ写真も少しは向上するかもしれません。
最後にはピンクの薔薇の花束が。オットはいつも記念日の最後に行くお店の人に花束を準備しておいてもらって、それをくれるのだ。思えば16年前にコロリとこの手にひっかかったのよねえ…。まあまあ今回もありがと、いつも嬉しいわと手際よく貰う私は、もうなんて初々しくないんでしょう(^_^;)

バースデーケーキが1ホール丸々あったが、あまりにもお腹が苦しいので,ケーキ屋さんには申し訳ないけれど、明日いただくことにする。とても今日1日では祝いきれないので明日も誕生祝いだあ!と宣言しながらオットと子供達は寝た。はっぴーばーすでい・とう・みー。
生まれてきてよかったのかどうかは判らない。それはたぶん、子供達が「私たち生まれてきてよかった」と言ってくれた時に,私の中でやっと帳尻があうもののような気がする。行きて行くのはしんどくて、でも面白い。悲しさとか寂しさとか、いろんな痛みもひっくるめてすべてが面白い。時々切なくて仕方なくなるけれど、それもたぶん生きて行くことの醍醐味のうちなんでしょう。珍味ってことかな。
よくB級映画の悪役なんかが「生まれてきたことを後悔させてやる」という台詞を吐くが、それを聞くたびに、「あらそんな。もう十分に後悔してますからお気遣いなく」と返事をしてしまう私だ。でも生まれ的からには楽しく、楽しんで行きていこう。人生というお祭りの参加者として。



こんな可愛い缶にはいったキャンディを頂きました。

2004年10月14日(木)  
 朝5時から芋袋を縫う…。

 最近の私はちょっとどうかしている。季節柄またおかしくなってきたというのか、信じられない物忘れをするのだ。確かに秋は忙しい。いろんなお役目を受けて、PTAとしてがんばらなければならないし、園や学校のお母様方すべてがお友達で大好きな人♪という幸福な人間では私がない以上、気をつけて注意深くおつきあいしながら,無事に役目を果たしていかなければならないので、精神的に疲弊する。子供二人もそれぞれにかなり注意が必要で、だから私はいつも心身ともにバタバタしている。
が、だからといって、これを忘れるのはどうか、というようなものを私は忘れるのだ。
来た友達が驚くほどにカレンダーにたくさん書き込みをし、大切なプリント類を目につくところに貼っておくにもかかわらず。
 息子の園でのお芋掘り遠足が10月14日だと、ずっと前から知っていた。フェイスタオルをつかって、それ用の簡単なリュックサックを縫ってくださいと言うプリントをもらってきたとき、楽しく構想を練った。それをつくるのを楽しみにしていた。
なのに、綺麗さ〜〜〜〜っぱり!忘れ切っていたのである。私の中でカレンダーがとまり、まだ息子の遠足までに数日あるような錯覚をしていた。
それが夜明けに眠りからさめかかったまどろみの中にいたとき、雨ではない、それなりのお天気になりそうな予感を感じたとき、ピカッと稲妻のように
「あれ!?今日が14日なんじゃない!?」
とひらめいたのである。ガバッと布団をはねのけ飛び起きた私は一気に顔を洗った。フェイスタオルをひっつかみ、ミシンをセットしてガガガガガガガガーー!!と縫い始めた…クレイジーである。
我ながら心から呆れた。
なんて私は抜けているのだろう。これはいくらなんでもあんまりじゃないかしら。
7時に家族が起きてきた時には、無事に芋掘りリュックは完成し、何事もなげに一日が始まった。

 息子を園に送り出し、娘の学校からまた娘が倒れたなどと電話がこないかとドキドキして半ば携帯電話を握りしめながら、クリーニング屋に寄ったり、買い物をしたりする。友人達から、知る人しか知らないような住宅街のど真ん中に、可愛いコットンとちょっとした手芸品をおいたお店があると聞いたので、探検、発見!おお、これからちょっとしたことならここで間に合わせられるかも!と嬉しくなる。
高価だったけれどいかにも娘が喜びそうだったので、ディズニーのシンデレラ柄のキルティングの布を買う。防災頭巾を可愛いのにして、とのリクエストを受けているのだ。1メートル頼んだら,ほとんどのこりものだったので、全部どうぞと20センチほど余分に頂いてしまった。ラッキー♪

というわけで、気がつくと明日が誕生日の私なのだった。
息子が山のように掘ってきたさつまいもを洗いながら、せめて明日だけは穏やかに過ごさせて、と髪に祈る。穏やかも穏やかじゃないも、全部は自分のせいなのにね。

 私の苦手に,女子校のり、というのがある。女の子同士の密着感が時として極端に苦手になる。仲良しは、何人に増えてもいいと思うけれど、中には一人の人を自分だけの親友にしたいという気持ちを持つ人がいて、今までに何人もそういう人を回避してきた。
狭く浅くを交流の基本にしている私は、とどのつまり人間不信なのだ。人を簡単に好きにならないかわりに、簡単には嫌いにならにようにしている。嫌いと言う感情は私の中では「好き」という気持ちと同じくらいに重いから。それを避けるためには人と深く関わるのを避けることになるわけで、そんな私は幼稚園や小学校に子供がはいったから、といって自分も誰かと大親友同士になろうなどという野望を持つ訳がなく、大きめの猫の皮をかぶってそれごしに人とおつきあいし、ニコニコ淡々とやりすごしているのだった。
が、そんなふうにしていても気がつくとウマが合う人というのはいて、気がつくとなんとなく寄り添い合いおしゃべりするようになるのである。だからといって愛嬌をふりまくる私ではない。(この性格は見事に子供達に遺伝しており、遠目に子供達の社交性をみるたびにため息がこぼれる)
なにかと不思議な縁がかさなって、別に友達になる気はまったくなかったのにたまたま気があってしまった友達がいて、なにげなくつきあっていたのだがその彼女を大好きでたまらない、という別のママが登場した。その人は大変女らしい人で、彼女にあらん限りの友情を示し、その証拠として尽くす尽くす。雨の日は車で迎えにいき、手作りのケーキをプレゼントし、手料理で家でもてなしもする。彼女がいいと言った本や映画や音楽にかたっぱしから触れ、私も好き好き、やっぱりあなたはとっても素敵とさえずる。幼稚園や小学校の帰りにも待っていて、いつも腕を組まんばかりにして歩く。その人は、彼女の傍らに私がいるとふっと必ず失望したような…う〜ん、嫌悪感の方だな(笑)を示すので、もちろん私はさっと身を引く。私も彼女のことは好きだが、レズ的にのめりこむほどの友情じゃないので、あの〜どうぞご自由に,という感じだ。この世でただひとりの異性でさえ、人ととりあうなんて嫌なこった、というくらいズボラな私である。
そこへさらに熱心ママが追い打ちをかけてきた。私と彼女の子供が一緒に通っている英語教室に自分の子も入れたいとのこと。彼女の方から相談のメールがきた。男の子同士で騒ぐことになると、うちの娘が落ち着かなくて嫌なのではないか、と。なのでかまいませんとメール。どうしても駄目ならこちらで日時をずらすわ、と。彼女がそれは寂しい、熱心ママの方には私から少なくとも来年の4月まではちょっと無理、と返事をしておく、という。それで憂鬱になった私は仕方なく、率直に、熱心ママの好き好き光線の真ん中を私がつっきるような無粋な真似をしたくないのだと返信した。
すると彼女が言うには、私のことをとても好きなので、そんなこと気にしないで、と。
知れば知るほど私と自分の性格が似ていることに驚き、私は私であなたにずっと好き好き光線をだしてるつもりだったんだけれど?とのメールに、ついつい私も笑ってしまった。夜更けに女同士で愛の告白をしても仕方ないのにね、じゃまたよろしく、ということで本日は終了。毎日なんとなく色々あるものだわ。



この素敵な金色のサンダルは私のではありません。
SDの薔子にと、お友達から頂きました(^^)

2004年10月13日(水)  
 雨の音を聞きながら、朝ゆったりとパソコンの前に座る。リンクを貼って頂いているサイト様にご挨拶に回りながら(一部、私がBBSに入れないサイトさまがありまして、ご連絡が遅れております。ごめんなさい)ふと思う。
昨夕のことは悪夢だったのかしら、と。

 昨日、サイトの移転を果たし気分がよかった私に、娘がふと気持ちが悪いと言った。
彼女は最近凝っているアイロンビーズの作品を途中でやめてソファに横になり、気持ちが悪いと繰り返した。
根を詰めすぎたのだと思って私は娘をそのままにしておき、その間に夕食の支度を始めた。次第に娘が泣き声をあげ始めたのはそれから10分後。どうしたの、とかがみ込むと頭が痛いと泣く。テレビをじっと観過ぎたのよ,とも私は言った。
それから数分後のうちに、娘のなきごえは切羽詰まったものになり、私はかかりつけ医に電話していた。時間外でも診てくださるとの了承を得て電話を切って、慌ただしく出かける支度をしはじめたのだが、娘は泣き叫びつづけ、あっというまにそれは絶叫に変わり、文字通り,彼女はソファから転がり落ちて,痛い痛い、頭が痛い、ママたすけてよ、ママ助けてよう!と、床をのたうちまわったのである。
みぞおちがボゴッ!と打たれたように、それから鉛が胃の腑に落ちたように、私の中に恐怖が広がった。再び受話器をとりあげ、119番した時には手が震え、息子はおびえて私の膝にしがみついていた。

救急車が着たのは5分後。恐ろしい時間だった。でも息子が一生懸命にティッシュで姉の涙をふきとり、タオルケットを冷えきった体にかけてくれたのに感動した。そう、娘の体は信じられないくらい冷たくなっていた。泣き声を上げていなかったら死亡した?と思ったかもしれないほどに。
近くの病院に搬送される。救急隊士の冷たい事務的な口調がかえって私をしっかりさせる。救急隊員は言う。最寄りの病院は混んでいて、搬送しても待たされることになるけれどそれでも良いか、と。
そう言う場合どうすればいいのですか?と聞く私にじれったげに「いや、奥さん、それはあなたがきめてください!」と突き放すように言う。いざという時の問題回避のためのマニュアルだろう。他の病院に行けばすぐ診てくれるという保証もなく、道の込み次第で早くつけるかどうかも判らないという。ということは、このまま最寄りの病院に行った方がまだましということですか?と聞く私にまた、いらだったように怒鳴るように「だーかーらー!そういうことは奥さん自身が決めてくださいって言ってるんですっ」という。私は短く最寄り病院を頼み、搬送後も救急隊員に丁寧に頭をさげて礼をした。

 娘には意識があった。オットが駆けつけてくると「パパ!パパ!」と泣いたけれど、それは安心して喜んでのことだった。私も息子も、オットの顔を見た瞬間、詰めていた息をふ〜っと吐き出した。
それから娘は泣きじゃくりながら医師の質問に答えることができた。アンヒバという座薬が投与された。
娘は20分後には顔色がよくなり、普通にしゃべりはじめた。
病院に運ばれたのが19:40過ぎ。帰宅したのは23:00。
医師の診断…それは「偏頭痛」…………。いくつかのストレス要因が重なり、風邪気味の体調とあいまって現れたものだろうとのこと。

娘よ。7歳にして偏頭痛デビューは早いんじゃないかい!?

 小学校が娘にはきついだろうということは、予測していたことである。だからこそ、朝はオットが送り、帰りは私が迎えに行く生活をしていたのだ。それでも娘は数人の男の子に虐められたとぐずる。が、それが過保護な両親の目をもってしても虐められているようには見えないので困る。年齢と性別を考えたらごく自然な行動の範囲で、男の子達は娘にかまっている。それはどうも「好き」という感情であるように思える。だから私はとりあわなかった。とりあわなかったことがたぶん、娘を追いつめたのだろう。
担任の先生への手紙を書き、朝オットがそれを届けた。
休むと決めた日の今朝は,雨がまたたっぷりと降っていて、でも静かで、家にいられるのが贅沢な気がした。本来なら幼稚園に学校、幼児教室にバレエと飛び回る予定の日である。
娘は起床後また泣いたので体調が悪いのだと思ってドキッとしたが、よくよく聞けば「お腹がすきすぎて気持ちが悪い」とのこと。。。昨日のあれはなんだったの?と聞くと,判らないけどという。でも本当に痛かったのは判る。あの体の冷たさはしようとおもってできることじゃない。痛みで血管が収縮し、血流が悪くなることに寄って体温が下がると医師が説明してくれた。
私も、私の母も妹も、バリバリの偏頭痛持ちである。のたうちまわる苦しみを経験している。私自身も体が凍えたように冷たくなる。そんな経験をして以来,怖くていつも頭痛の予兆を感じると素早く鎮痛剤を飲んでしまうのだ。
あれほどの痛みをひきおこすほどの悩みを、娘が人並みはずれて小さな体に抱え,悩んでいたんだと思うと切ない。
母として、もっときちんとしなければ。

夕方、担任の先生からお電話があった。娘がいじめっこと指摘する男の子達は娘を好きなのだと言われた。そう言われるだろうなあと思っていた。いい先生なので、信頼して娘をお預けするともう一度決める。でも登校のきっかけはあくまでも娘の意志によるものであって欲しい。さしあたり、明日はどうなるかしら。
これからはまた、あまり予定をいれず、いざという時にすぐに駆けつけられるようにしておいた方がよさそうだ。

 嵐がさった後の今日は、平凡で楽しく穏やかにすぎた。ネット、楽しいな。blogも用意しておくことにした。この新しいサーバーでダウンはないと思うけれど、万が一に備えて。
オットはうれしそうにデジカメの話ばかりしている。それは私の誕生日プレゼントなのだ。でもそのテのものを買うということ自体が、彼にはものすごく心トキメクものらしい。
しくしく。人形の方が安いのになぜ人形を買うことは喜んでくれないの、オット…。



息子の水筒もこれで3代目。
ひどいのになると半月と持ちません。
男の子は首からさげた水筒や鞄をバッコンバッコンと
ブロック塀やコンクリートの階段などにぶつけるような行動をとるからです…
しくしく(T_T)
このバズの寿命もきっとそんなに長くない予定〜。

2004年10月12日(火)  
 虫の知らせで朝6時から突如,掃除しようという意欲に駆られる。なにしろ子供達がいつも私にまとわりつき、常にこものをパラパラと床一面にまき散らしているので、彼らが眠っている時にしか掃除のチャンスがないのだ。エアコンのフィルターも掃除し、ガスレンジまわりも綺麗にした。
家族が起きてきた時にはかなり美しい状態になっていたが、誰も気付かず。いいんだけどね。
それが1時間もしないうちに散らかっていたのには参った。
息子は一瞬でも空間を見逃さないのだ。瞬く間に積み木が、切り散らかした折り紙が振りまかれる。
その状態で登園。娘は運動会の代休でお休みなので、通学には切られないような裾の長い空色のドレスを着て、髪を長く流して、ご機嫌でひらひらと歩く。
幼稚園の後、小1時間したら娘は英語教室なのだ。そこで同じ姉弟そろってそれぞれ同級生のお友達と会い、お茶をして時間をつぶす。友達の家は遠くて不自由なので園から徒歩5分の我が家でお昼を食べて、園児たちのお迎えまで待つことになった。
これが虫の知らせ。いつもなら人を呼べる状態になく、こういう時は人非人ぶりを自己嫌悪しながら逃げるように立ち去ることになるのだから。
楽しく過ごして、そのあと、やっとサイトのお引っ越し終了。
とても、嬉しい。
突然のサーバーダウンから、のろのろのろのろ時間をかけて引っ越し作業をしている間、どうも気分にメリハリがつかなかった。私の中の整理として始めたこのサイト、やっぱり私の中のけじめなのだ。
これからまた更新する楽しみができて、今、とても気持ちが華やいでいる。まだまだ2学期の行事は忙しいのだけれど、なんだか意欲が湧いてきた。
去年の秋は体調最悪でせつなかったけれど、今年は好調。いい秋を過ごそう!



もう何十年もフェリシモという通販とつきあっているのですが、
こういう食器とかは好きだし、また重宝しています。
20年以上前だけれど、母が白い食器に狂ったようにのめりこんだことがありました。
「白は飽きないから」と。
焦げ茶色のインテリアに真っ白な食器。統一感は生まれたけれど、
家族全員、飽きました…。
素敵なお宅をたまに訪問してシックな白い食器で頂くのはうれしいけれど、
自分で買うのはいろんなもの。
いつも同じ気分じゃない私は、気分次第で変わるものがうれしいのです。
それが着せ替え人形にのめりこむ私の性格の原点な訳ですが。

2004年10月11日(月)  
 疲れていたけれど家族で吉祥寺に行く。車上狙い未遂に遭遇。
 
 昨日から我慢ばかりの息子が不憫だとオットが言う。そうか、たいていは私の方が我慢を強いられており、そのストレス解消のために吉祥寺で好きなものを買いなさいというオットのありがたい申し出だったけれど、やはり彼は私ばかりが楽しんでいるのは理不尽だと思ったらしい。人形と布地を買い込んだ後、井の頭公園に行く。
私は動物園は嫌いではない。だけど明らかに子供が主役となるべき場にきて、やくたいもない嬌声をあげながらいちゃつくバカップル、あるいはどうにも暇をもてあまして目につく幸せ家族の悪口をいいながらふてくされてあるいてるコンビなどの人が交じり込んでる状態が嫌いなのだ。同じ家族でも、えさをあげるべきでないのに我が子をヨロコバセたい一心で餌をあげてる親、子供と動物を一緒に写真に撮りたいからと,動物に向かってバシャバシャとフラッシュをたく親にもイライラしてしまう。まあ早い話が人ごみが嫌い、の一言なのだけれど。
子供のために忍耐してその間、100円パーキングに1時間ほど車を停めていたのだが、戻ってみると運転席の窓ガラス周りのゴムパッキンみたいなもの(??)が引っ張りだされ、半ば切られるという状態になっていたのだ。
後部座席においていた人形の包みが良いものに見えたのかなと思われます。世の中いろいろあるものね。人形も布地もとられなくてよかった〜♪



運動会の後、直行したファミレスで頼んだサーロインステーキ。
ハロウィン気分満載でいい気分になりました。

2004年10月10日(日)  
 夕べの天気予報ではさんざん晴れる晴れると言っていたが、私は信じられなかった。どう考えてもまだ後を引くでしょう,この台風は!?みたいな確信があった。絶対寒くて小雨でじとじとよ、だからまた運動会は中止よ中止と鼻息も荒かったのだが…思ってた通りでしたね。
「私の方が正しかったじゃん〜〜〜〜!!」
と、小学校の校庭で怪気炎をあげた8時間でした。ええ、娘の運動会が無事に終わりましたの。朝6時20分に連絡網が回ってきて「今日は運動会やります」と。慌ててお弁当をつくりあげた。も、ほとんど冷凍食品。いや〜、最近の冷凍食品って本当に品質向上してるのね、と実感しました。あとできいたらほとんどの人がお弁当ヅクリに消極的で「うちも今朝はレンジがチンチン言いっぱなしだったよ〜」なんて笑い合ったのだが。
でも辛かったわ〜、拷問だったわ,運動会。学校大きすぎて人多すぎ!演技してるのが誰が誰かわからない。我が子を見守るだけで精一杯。でも我が子の出番なんてちょっとだし、あとはみんな淡々と出て去って行くだけ。そのくせ、どの演目も間延びしていてつまらない。特に花形として先生方も力をいれていたであろう騎馬戦と組み体操、あまりの長さにうんざり。もうみんな大ブーイング。しかも小雨です、寒いです。私が魔法瓶にいれていった熱いコーヒーが受けるほどに肌寒かった。盛り上がらない運動会はだらだらと予定を1時間もオーバーして終了し、私たち下の子供の入学を控えてる親達は
「これをあと7年経験するのか〜」
「うちなんか9年だよ!」
と言いながらくたびれ果てて帰宅。可哀想に我が家の長男を始め、幼い子達は寒空の下で親に抱かれて悲しげに眠ってしまい、片親が続々と帰宅。我が家も途中でオットが息子を抱いて一足先に引き上げて、帰りに迎えにきてくれた。でも予定を1時間超過していたわけだから疲労度は彼も高く、運動会が終わるともうバレエ教室には間に合わなくなっていて仕方なくお休み。腹いせにデニーズに直行して、ワイン2杯にステーキをやけ食いした。
暑い日の運動会も嫌だけれど、寒空の下のだらだら運動会もかなり嫌。どうしてもどちらかを選べと言われたら,寒空の方をえらぶけど。
ううう、でもこれでとりあえず、10月の家族弁当付き行事は終了。あとは幼稚園のバザーに学校祭、芋掘り遠足と普通の遠足。これをこなすだけでオーケーよ。ほほほほ、あと何回ミーティングして、係こなして、リュックサックとかお弁当袋とか縫えばいいのかな〜?おほほほほほほ、楽勝よ楽勝!ちょっと今月末には廃人になりかけてるだけのことなのよ。



私にはかなりがっかりだったこの本。
確かに写真は綺麗だけれど、聖典というほどにはSDデータが揃っていないと、
私は思うのですが…。
この値段でこれ!?とこの1週間以上、ずっと悶々としています。

2004年10月9日(土) 
 やってきました台風22号。午前中に娘の学習塾の先生から今日はお休みしてくださいとの電話を頂き、ほっとして、それでもまだ穏やかなうちにと家族でレンタルビデオ店とスーパーに行ったのだが。これがかつてないほどの人出!考えることは皆一緒で、台風で外に出られないから食料品をきっちりっそろえて、あとはビデオでも見て過ごそうということらしい。でも連休の初日に台風が来るのってうれしくないね、と密かに大人同士で会話。どうせなら平日にどかんときて、思いがけないお休みを得るという形になる方が、大人も子供も嬉しかったと思うのだが。そう思うのはかなりの「家好き」として知られる我が家ならではのことなのかしらん。
 夜、テレビ東京の「アド街ック天国」という番組が秋葉原特集。私よりオットが気にしたボークスの登場。出るか出るかと期待していたら確か15位に登場。スーパードルフィーも1分くらい時間を割いて紹介されていた。でもなんだか痛い紹介のされかた(>_<)なような気が。どの分野を紹介するにしてもまあ、一番濃い、こってりした部分をとりあげるのがメディアの常だとは思うものの…という感じ。SDにしても一際アニメチックな癖のある子が大写しされていたように思う。
最近のSDについて私も色々思うのは愛すればこそなのだ。愛しているし、しょぼいながらユーザ=だけど、でもボークスというメーカーの信者ではないので、忌憚なく考えてしまう。
SDのニューラインナップ、気に入った子は一人もいない。なんだか…そうだなあ、日本人てここまで目玉コンプレックス、大きな目愛好家かね?とため息をついてしまった。
 数ヶ月前にお友達の方の影響で、久しぶりに韓国のお人形サイトを見てまわってハッとしたことがある。目が小さくて可愛いじゃない、ということ。オットに言わせれば、いや〜、これでも一般のアジア人種の顔からしたら目が大きいべ?ということなのだが、では今のSDはどうだろう。私も最近はご縁が薄めとはいえ元はアニメ、漫画好きである。三原順先生(ご冥福をいつも心よりお祈りしております)のはみだしっ子なんか私の母を始め,教師や漫画に興味のない子達など、どれだけの人に「目玉大きすぎてちょっと」などと言われたことだろう。2次元世界でのデフォルメを可能な限り2次元に再現すると思っているとしてそれはいいのだけれど、例えば海外進出はどうでしょう。外人の美意識ってかなり厳しいと思うぞ。ちなみにくだんの三原順先生が、語録本かなにかの表紙で、リアルはみだしっ子をデッサン調に描かれているものがある。それはちゃんとした、人間の造形美だ。顔半分が目玉、なんてことはない。まあ、人の好みはそれぞれな訳で、私はあまり好きじゃないというだけのこと。当分は、欲しいお人形のことを思って悩まなくていいので良かった,とほっとする気持ちになれた。
こはくというお人形も、私がおもっていたイメージと違っていたのでなんだか緩んでます。
世の中には素晴らしい才能を持つ人達がたくさんいらっしゃる。その方達の手で生まれ変わるニューSD達を見て、私も好き!って思う日はすごく近いかもしれないし、遠いかもしれない。私が今でも一番に好きなキラが消えるのもまた運命かな。ある一点で私の好みは大衆からピン!と外れる。でも迎合しきれないときにはどうしてもしない。結局世間の流れを気にしつつ、それに添う気持ちが私には少ないのかもしれない。そういえば友人達によく言われるのが「好きなように生きてるね」だ。そんな、ひどい。こんなに色々我慢して、努力してるのに…。


ポンデライオンには一目惚れというわけにはいかなかったけれど、
これは可愛いと思って家に持ち帰りました。
水鉄砲なんですよん。

2004年10月8日(金) 
 週刊天気予報をみて皆で恐れていたことではあるが、雨どころか台風の直撃で,明日の娘の小学校の運動会はほぼ絶望的という見通しになった。というわけだから、今日はお弁当の材料を買いそろえに行くのはやめようと思いながら雨の中めずらしく電車に乗る。なんと10ヶ月ぶりに美容院に行くのである。
 私たち夫婦は人に言うのがちょっと恥ずかしいような美容院に行っている。いわゆるカリスマ美容師とか芸能人御用達のお店である。弁解させていただければ最初からそんな所に行く気持ちを持っていた訳ではない。
 お気に入りの美容師さんという存在を持っている方は多いと思うが、私とオットも福岡から東京に戻ってきてまずそういう人を捜した。それでたまに自由が丘に行く理由が欲しい(新婚時代、都立大学に住んでいたので夫婦でよく15分から20分歩いてでかけた街なのだ)と、いくつかの美容院を回り、ものすごく素敵な人にであった。私もオットもプロ意識を凛と持って仕事をこなしている人には敬服し、ぞっこん惚れ込む質である。信頼してその人の仕事ぶりに身をゆだねる快感というか。その人は人柄もよく、ブラックユーモアも人情話も巧みに解して話術も上手な好青年だった。この人がオットにソフトモヒカンという髪を提案し、長年より自分らしさを模索してきたオットをしてついに「究めた!」という気持ちにさせてくれた人である。3年2ヶ月くらい前だろうか。(後にイングランドのサッカー選手、ベッカムが全く同じ髪型をしていたので、オットはベッカムヘアの人と呼ばれるたびに『俺の方が先だ!』と怒ることになる)この人が出すカラーもいつも素晴らしかった。金にするにしても安っぽくない,実にいい感じの染め上がりになるのである。カラーリングというのは美容師さんそれぞれの個性だそうで、先輩や同僚から盗んだり独自に研究を重ねて生み出すセンスのなせる技だそうで、このSさんという人のそれは、文句なく素晴らしかった。それひとつとっても私たちにこの人は欠かせない存在になった。と、ここまで書くとお分かりと思うが,ある日この方がたいそうすごい美容室に引き抜かれてしまったのだ。私たちには選択肢はなかった。この人を追うのみである。
値段も一気にアップ。それゆえに時々、私もオットも浮気した。もっと庶民的ででも腕のいい美容院があるのでは…と。ところがさんざん浮気を重ねたあげくにやはり美容師Sさんのすごさが判りすぎるほどの判ってしまったのである。オットなどはSさん以外の人に切らせるともうただのオジサンになりさがる。まあもともとそう容姿に恵まれて産まれた訳でもないのだが、Sさんマジックで5割増男前に作り上げてもらってなんとかカッコつけてるのだ。それは私も同じで…なのでお金も時間もなかったこの10ヶ月、耐えに耐えて決して他の美容師さんの所に行こうとは思わなかった。
今日やっと一人でのんびりSさんに髪を切ってもらいに行く。時間より早く尽きそうだったので表参道で電車をおりて、ゆっくり歩いた。傘をさして歩くことも一人なら辛くない。ついたお店は天井が高く、ガラス張りのシンプルで開放感がある空間である。カウンセリングのあとシャンプーを丁寧に2回、髪をカットしてもらって乾かし、また切ってもらってまた髪を流す。そしてスタイリング。これだけで2時間かかったが、その間に贅沢な心のゆとりをたっぷり感じた。雨の日の光の、あの独特の柔らかさが好きで、それを味わうにはこのお店はうってつけなのだ。雨にぬれた表参道沿いの街路樹の葉の緑の美しさが目から心にしみこんでいくようで、硝子越しにそれを眺める幸福にしばし浸る。出された冷たい麦茶も美味しかった。(でもこれがシャンパンならもっと良かったのに)スノッブであろうとできれば捨てたくない贅沢がこの美容院だと思いながら店を出る。
息子の幼稚園のお迎えにはきっちり遅れ、預かりものをしていた友人には平謝りのメールを送らなければならなかったが、それでもまた数ヶ月後私はこのお店に行くでしょう。

 午後、久しぶりに駅前のマクドナルドに行く。改装してから行くのは初めてだったがシックでおしゃれになっていたことにびっくり!なんだか高級感もアップ。月見バーガー、美味しかったです…。
そのあと、1ヶ月ぶりの心理カウンセリングに息子を連れて行く。たまたま幼稚園の先生が持ち帰らせてくれた息子の工作品を見て、心理の先生が大変喜んでくださった。息子はワニを作ったのだが、ちゃんとそれらしく見えるのである。丁寧にきちんと目も描いてある。小学校からの生活について先生と話し合う。色々な希望と不安のせめぎあいを、最近の私はうまくごまかして余計には考えないようにしていたのだけれど、定期的に,逃げ隠れせずにきちんと考えてみるようにもしている。。そうしたらやっぱり不安の方が強いのだけれど。
ここにきて急に疲れてしまった。娘を迎えに行きながら、雨の勢いも強くなるし、もう今日も体操教室を休もうと決めた。頑張ろう,台風の直撃は怖いしね。娘が、明日の運動会は中止です、というお手紙をもらって帰ってきた。


通販のフェリシモで数ヶ月前にもらったノベルティ。
ソルト&ペッパー入れなんです。

2004年10月7日(木) 
 友人達との昼食会はあるし、良いお天気なので昨日に引き続きスカートをはく。昨日今日とストッキングに違和感を感じている自分が悲しい。素足にコットンパンツ、サンダルという生活に慣れすぎていたのね…。
 小さな赤ちゃんがいる友人のひとりのことも考慮して、和食屋の座敷をとったが、飲み仲間の一人がビールを飲みたいから、あなたもつきあえと言う。私はビールがほぼ飲めない。ところがそのお店は和食屋の意地か、今流行りのワイングラスを置いていなかった。日本酒で小徳利ならございますと言われ、うっと言葉につまる。友人の生ビールが450円、日本酒の小徳利が380円。安い。調子にのって頼んでしまった。そのお店はお刺身とお蕎麦が美味しく、それらを頂きながらちびちび飲む冷酒のおいしいこと。手酌が好きな私のことも友人達は笑うのだが、誰かと一緒に飲むのは好きだけれどお酌に気を使うのも使われるのも嫌いなのだ。ほっといてもらって,好きなペースで飲ませて頂くのが一番。
今日は習い事がない日でもあり、あとはゆったりしたペースで一日を送ろうと子供を拾い集めて帰る。が、子供達は、洗濯してアイロンかけるべき汚れ物を山ほどもって帰ってきていた。息子は2日間でズボン6枚、パンツ4枚、靴下5足、トップも5枚くらいを私に洗わせる。ちと多すぎないかい!?ちなみにオットもどういうわけかやたらに服を汚し、しかも潔癖性なので服を着替えるのが好きである。そろそろ実家から母を取り寄せた方がいいのではないか、という気がしてきた。
人形遊びするべき時間が本当にない。それでも時々届くお人形に心が癒されるの。早くこの子達をアップしたいなあ。
名古屋から帰ってきたオットが、私の大好物の天むすを買ってきてくれたので、太るというのに夜食をいただいてしまった。このカロリーの分,明日は動かないとなあ。

 
こんなハンドタオルを見つけたのです。嬉しい。

2004年10月6日(水) 
 三日ぶりに晴れた♪この夏さんざん苦しめられた太陽だけれど、やっぱりいいものだと思う。嬉しくて珍しくスカートなどはいてしまう。今日の予定は息子の幼児教室と娘のバレエ。習い事二つのかけもちはかなり辛い。ほんと、いい加減に運転できるようにならなきゃと痛感する。毎週、一番大変なのが水曜日でこの日の夜は大変疲れた私はいつも機嫌が悪い。疲れた。ホームページの引っ越しも終わりそうでなかなか終わらない。これが案外一番ストレスだったりして。本当におちおちPCの前にすわれないのだ。家族を持つって、かなり自己犠牲が必要なのね、くすん。


増水した川に美しく降り立った純白の鷺。

2004年10月5日(火) 
 今日で3日間連続、雨の中に降り込められている。素朴な喜びだが,子供達と私とで完璧なレインコートと長靴、もちろん傘という雨具が充実していてちゃんと装備されているというのは気持ちがいいものだ。でも、子供と一緒に歩くには辛い雨の降り方ではある。いつもなら子供達が楽しみにしているスーパーの買い物も、いない間に一人ですませておく。そうしたら同じことを考えていた人がいっぱいいて、みんなで笑ってしまった。息子なりにやはりこの雨は厄介だとそう思っていたのか、彼を幼稚園から迎えたあと、娘を迎えに行く、英語教室に連れて行く、また迎えに行く、という繰り返しに泣いて抗議した。日々、姉の付き添いじゃあそりゃつまらないよね、ごめんね。でも母も辛いのだ。だってこれだけで一日が終わっちゃうんだもの。休む間もなく、生き物の世話に追われる毎日を幸福だと自己暗示にかけなければいられない。でも自己暗示電池は私の場合14時間で切れる。朝7時から夜9時まで。この間に子らが眠ればお互いに幸福である。この時間外に帰宅したオットがもうひとりの子供だ、という現実に気付くまではね…。


娘にこのシール帳をねだられて気軽にレジにもっていったオット、
そこで言われた値段に絶句。
こういう時の¥800てとても痛く感じるものですね。

2004年10月4日(月) 
 夕べのお酒が残るということももちろんなく、元気に1週間をすべりだすべく早起きしたが、外は本気で降りすぎる雨だった。この間片付けたと思っていたアイロンかけの仕事が文字通り山になっている。今日はランチもお茶も約束を入れていないのを幸い、子供の送迎以外は家にこもってひたすら地味に家事をこなす。私も母に似てきたなあとつくづく思う。私は母が洗濯とアイロンにかける情熱が判らなかった。暴走する凝り性という遺伝子を私に伝えた人らしく、母はなにかこうと感じた道はとことん突っ走る。母がいつ、洗濯をライフワークを定めたのか知らないが、私が物心ついた頃から彼女はいつも懸命に,懸命すぎるくらいに何かを洗っていた。私はいつも洗い物をしている母の背中にばかりはなしかけていた。「ふん、ふん」とうなづいてくれればいい方で、荒いものに熱中している母はよく私の話を黙殺していた。家族のためと思いたいが,今でも母の熱中ぶりには上記を逸したものを感じることがあり、なんのためにと言いたくなる。
が。私が最近やっぱり洗濯にはまりつつあるのだ。子供達にいつもきりっとした格好をさせていたい(ついでにオットもね)という純粋な気持ちからである。ちょっと前は原始的にひたすら生きて行くことにていっぱいで、衣類は清潔であればよかった。アイロンをかける暇もなかったのだ。でもここのところゆとりができ、きちっとアイロンのあたった服を着ている子供達のこざっぱりした雰囲気がとても目に快く感じられるようになってきたからたまらない。それに他のお母さんとか幼稚園の先生とか、そういうところをよく見ているのも判った。息子がまた、しょっちゅう幼稚園で着せ替えてもらってくる。置き服を凌駕してしまう汚しっぷりなので頻繁に幼稚園の服を貸して頂いて帰ってくる。それはやはり全力で綺麗に洗い、きちんとアイロンをかけるべき筋のものであろう。となると、他の洗濯物だって同じ扱いをするのである。子供に着せたい素材はやっぱりコットン。これはでもアイロンが必要。
じっくり取り組んでいると午前の数時間など瞬く間に飛んで行く。そうしながら、一生懸命手でもんだり,ブラシで叩いたりして落としたはずの汚れがそれでもうまく落ちていない屈辱感に震えたり、逆に見事に綺麗になっていると誇らしい気持ちになったり。これが私の母の快感と同質のものなのかどうかは定かではないが、価値ある家事だなあと思っている。ま、そうでも感じないとやってられないけれどね。今ほしいのは洗濯板。100円ショップで売っていると聞いたので、また近いうちにいかなくては。
家事を片付けたら午後はゆっくり趣味を楽しもうと思っていたが、子供達が私を自由にしてくれる時間はなかった。娘の宿題に一緒に取り組む。1年生の宿題は親あってのものであることが多い。おやつに飲み物、トイレに一人で行くの怖いよと言われ付き添い、だっこしたりおんぶしたり、もちろん外での話も聞く。テレビの見過ぎにならないようにするためにはこちらから刺激を与えてあげなくては行けない。ふたりとも絵を描くのがすきなのでいつもあっという間に1冊のスケッチブックを埋め尽くすのだが、新しいスケッチブックを買っておくのを忘れたのでアイロンビーズを出してきて,母子で製作。娘が思いのほかハマって次々に可愛い女の子や男の子を作るのに思わず親バカ丸出しで感心してしまった。息子は私がつくった犬や猫がとても気に入った様子。習い事がない1日はそれでもやっぱり忙しかった。


友人がくれたハワイみやげ。
こんな可愛い箱、捨てられなくて困る!

2004年10月3日(日) 
 雨が降っていて大変うっとうしく、家にいたい気分はやまやまだったのだが、娘が明日学校の持って行く材料を調達するために商店街にでかける。娘が作るものがリースで、モールやリボンが必要だったのだ。狙いは100円ショップであるが、ここでまた罠にはまる。ついつい買ってしまうのがこの手のお店の怖いところである。出る時には結構な大荷物をつくりあげてしまっていた。家に戻って食事して、今度は娘のバレエレッスン。オットが息子を連れ出してくれているので、ゆっくりレッスンを観られるのがとても嬉しい。つくづく、バレエってなんて素敵な芸術なんだろうかと思う。肉体美の極みを見る思いであり、そこに美しい音楽と衣装がからむと至福のこころもちである。これほどに娯楽があふれかえった現代の中でさえその魅力の色褪せないバレエという芸術は、昔の世にはどれほど輝かしい感動を人に与えていたことかと思う。娘をバレリーナにという野心はほぼないが、一時でもこの世界に関わることができたのは、娘を産んだ喜びのひとつだと思う。
このレッスンの終了後、迎えにきてくれたオットと合流して3人分のお弁当を買い、待ち合わせた居酒屋の前まで送ってもらってから私だけおりる。おほほほほ、女同士の飲み会の始まりよ〜♪
気が合う3人で、「今日は軽く」「明日からまた1週間が始まることだしね」「そうそ、軽く、軽くね」と言い聞かせあいながらいそいそとのれんをくぐる。私は本当にその誓いを守るつもりだったので、自分は飲めないのに健気にも「えっと、最初はビールくらいから始める?」と言い出したのだが、友人の一人が「ごめ〜ん、私そういうの駄目なのよ。最初からロックでもい〜い?」というので私も遠慮なく冷酒から始めた。おしゃべりとお酒が共にもりあがり、気がつけばラストオーダー。でも今夜はそれほど酔ってないの,本当に。


本当は運動会の日に欲しかった魔法瓶を今日買いました。
今度、オットとドライブに行く時にコーヒーを入れて行くのが楽しみです。

2004年10月2日(土) 
 息子の幼稚園のバザーの準備のために、朝の9時からお母さん方だけ幼稚園に集まる。それからみっちり3時間作業。かなりみんなマニアックに浸った,ある意味楽しい時間を過ごした。ゲームに使うクマの製作に燃える。段ボールを芯に茶のラシャ紙を、細かくちぎって毛皮っぽく見せるように貼付けて行く。手足の肉球は毛糸をクルクル巻いたものを貼付けて感じをだす。みんなで「可愛い!このクマいけてるよね!」「すごくいい感じじゃない?」と自画自賛、自己陶酔しながらハマる。さすがみんな育児中の母。そう、育児だってそうとでも陶酔しなきゃやってられないもの。
しかし実は私は朝から割れるように頭が痛かった。早朝にバファリンを飲んでもききゃあしない。明日は友人との飲み会を控えている。これはいかんと思い、作業終了後、家族と合流して娘を学習塾に送り届けた後すぐに整骨院にとびこんだ。ゴリゴリに張り切った方を、若い男性の先生が(私と同じ午年で、でも丙午というものを知らなかった好青年)がせいいっぱいほぐしてくれる。
「平気ッスか?」
「全然平気っす」
「いや〜、そりゃあもうかなりヤバイですねえ」
なんてやりとりをする。頭痛はややましになった。夕方バファリンを飲んでさらにだめ押ししておく。今日もくたくただ〜!

 
くすんだグリーンの硝子ビーズの感じが好きで
買ってみたリングキット。
これは正解かな。

2004年10月1日(金) 
 疲れてるだろうと思った息子ではなく、娘の方が昨夜急に熱をだした。いつもどおりの時間に特にぐずることもなく眠った娘の寝顔に何気なく触れたら、とても熱くて驚いた私。熱をはかると38.6度あった。まずすぐにポカリスエットを飲ませる。それから半年前に風邪を引いた時にもらって手つかずだったカロナールという頓服薬を飲ませる。娘はすやすや眠り、数時間後に熱は下がったが、今朝起きてみると咳をしていた。
 今日は前から楽しみにしていた娘の幼稚園の同窓会ピクニックの日だった。空は素敵に晴れている。でも残念だけれど出席をキャンセル。病院に行った。扁桃腺は腫れていないけれど咽頭が腫れているとのこと。薬をもらって帰宅。今日は家にいることになった。
がっかりだったけれど、実はこれでよかったのかもしれない。9月中のあまりの忙しさに実は家の中が荒れ果てているのだ…(^_^;)ここで家にいられるのは不幸中の幸い。なんと1日かかっても家は片付かなかった。アイロン掛けをずっとさぼっていた祟りである。出ないとなれば買い物に行くのさえ億劫で,冷蔵庫の中の有り合わせで料理することになり、そういう意味で掃除にもなって2重によかったかも。
ちなみに娘は起床以来ずっと大変元気で,一日中小鳥のようにさえずっていた。
 夜、稲垣吾郎の「八つ墓村」を観る。同じ原作でドラマ化されたものを今までに2作みた記憶があるけれど、今日のはよかった。キャストとして一番納得。美人であるべき人にそうでもない人が配置される適当なドラマが今まで許せなかったのよ,実は。若村麻由美さんと中山忍さんの美しさだけでほぼ満足。不気味な人はきちんと不気味だったし。このお話は実は本当にあったことだと岡山の、この話のモデルになった村出身の知人に聞いた。そういう現実があったということが一番怖い。