息子を見ていると、いつも
今井美樹さんの「PRIDE」の一節が心に浮かびます。
『貴方を思うと ただせつなくて 涙を流しては
星に願いを 月に祈りを 捧げるためだけに生きていた

だけど今は 貴方への愛こそが私のプライド」

2004年11月30日(火) 
 昨日の緑内障パニックからまだ立ち直れない。いや本気で、右目だけなにやらじんじんと、痛みというのとはまた違うけれど明らかに違和感を感じる。
が緑内障は平たく言うと眼圧の高さにより視神経が圧迫され、それで失明ということになる病気。でも正常眼圧緑内障というのも多いらしく、いつも奇態な結果を出しがちな私はどうかと言うと、なんと眼圧が平均の人の半分だという。で医者は首を傾げていたのだが。どうも心がすっきりしません。眼科の名医を捜してさまようことになりそう〜(>_<) もう、欲しい人形が多くてそれどころじゃないのにぃ!!

が、今日、息子を見ていて思った。
本日はまだ代休で園がお休みなのだが、希望者には保護者付きに限り園庭を解放するという日だったので運動のためにでかけたのだけど。無心な彼の顔を見ながらついに、私の心に閃光がひらめいた。
もし。奇跡が起きて彼が自閉症の闇の中から歩みでてきてくれるなら、私は一生、もう2度と人形を買わないと。
一番好きなもの、大切なものを断って、その気持ちを神に捧げてそれで奇跡が起こるなら、私は人生そのもののような気がする人形さえあきらめる。
無神論者だけど。
もう、実は一生涯十分遊べるだけのお人形が手元にいるので、いいかなあと。それも全部処分、サイトも当然閉鎖とまで神が天使を使わしてのたまわれるなら、それでも息子の平和と幸福のためになら従おう。
それはつまり、将来息子の面倒を見て行く運命から娘が解放されるという幸福にまでつながるのだから。
今日は、そんな考えに浸る私を慰めてくれる天使は…いた。友達っていいなあ。ありがたいなあ。こんなに性格悪くても、友達でいてくれる人に感謝です。まあ類友 ということで。

ドラゴンクエスト?、グラフィックがすごくて、仕掛けも凝ってて楽しいです。
人形の夢がくるくる頭の中で踊ってます。人形か子供かどちらか選べ、なんて神様は迫ってくるでしょうか…。(っていうか、まず神様を信じてないのが問題。信仰という形では。でも惹かれるよね。神についての本てなぜか熟読してしまうの)



冬がやってくる。

2004年11月29日(月) 
 本日のタイトルを発表します「パニック」。では、どうぞお読みください。

 昨日一日でかなり元気になってきた娘だけれどオットと協議の上、学校を休ませて病院に連れて行く。膀胱炎らしいと訴え尿検査を依頼。でも娘はもう普通になったというし、実際診断は全然大丈夫です、とのことだった。私が「痛くてもがんがん水分をとってせっせとおしっこにして菌をだすこと!」と言明し、娘が溺れちゃうと泣くほどのませてはうるさくトイレに連れて行く処置がよかったと褒められた。安心して抗生物質だけ貰って帰り道、そうだ、私もついでに眼科に行っておこうと思う。コンタクトレンズを買わないと行けないのだが、これは念に一度処方箋を作り替える必要があり、それが今の時期なのだ。
そこで型通りの検査。が、1年ぶりに会う先生がなんだかしつこい。娘が待合室で待ってるし、めんどくさいなあと思っていたら
「緑内障の疑いがあります」
…………え?
40代以降の人に多いけれど、それより多少若いだけの人も例として報告があるし、近眼の人には特に多い。失明の恐れがありますので、今、もう一度検査確認しましょう。
あ、は、は、は、はい。。。。
とっさに頭の中に思考の渦がぐるぐるぐるぐる、靄が雲になるように固まって行く。いつだったかのオットとの会話が思い出される。およそ、見る、ということに集約されている私の娯楽への欲求は、視力を失ったら一気にほぼすべてが失われるのだと。そうなったらどんなに怖いでしょう、と。
呆然としながら視野検査。片目ずつ何やら機会を覗き込み、中央のオレンジの丸から目をそらさないようにしたまま、見える限りのどこかに光を感じたら手にあるボタンをおしてくださいとの看護士の指示に応える。
はじめる。我ながら快調。どれもよくわかります。両目とも快調な気がした。でも光は時にかすかで、視野ぎりぎりの範囲のところで瞬くし、それをずっと続けていると次第に自分は何か錯覚してるのではないかと怖くなってくる。瞬きしていいんですよといわれたけれど、瞬きしている間に光を見逃すのが正直こわかった。
片目5分ずつで意識全集中だから結構疲れた。でも視野は狭まってないと言う自信が自分でもあった。しかしながら、緑内障は自覚しないうちに症状が進み、失明にいたるという。怖い。ものすごく怖い。
先生は
「あ、異常なかったです」
とこともなげにいった。でもそうなりやすそうだから、半年に一度検診にきてくださいねー。はい、今日は視野検査をしたので¥4720です。
絶句。高っ!!
ショックと貧血でふらふらして駅を通り抜けて家路に着こうとしたら友人二人に会う。思わず今のことをしゃべったら、
「馬鹿ね!あの医者は有名な薮よっ!」「やだ〜、あの医者最悪ってまだ教えてなかった?ごめーン!!」
……。何がなんだか。すすり泣きながら家に戻りました。

本日は息子が代休で家でのんびりできるはずの1日だったのに、トイレ我慢癖のおバカ娘と、振って湧いた緑内障パニックで、すご〜く疲れた…なぜ?なぜ神様はこんなに私を苦しめるのでしょうか。ああ、やっぱり神様なんていなくって、地獄に堕ちたルシファーだけが、私を気にしてるってことかしら?滂沱。



先生方が心をこめて選んでくださった息子の作品のひとつ。
木炭で描かれたもので「星のカービィ」というアニメキャラ。
彼が何かを模倣して描いたのはこれが初めてなのです。

2004年11月28日(日) 
 オットと子供達を近くのホームセンターに置き捨て(「ソフトクリームでもなめてなさいよっ」と捨て台詞を残して…)一人、幼稚園に出掛け、もう一度造形展にトライ。一人で落ち着いてみると改めて子供達の力作に感動し、昨日のすったもんだの中では到底気付けなかった細かいディテールに気付く。独特の美しい姿を持つ園舎を見回しながらふと胸が痛くなった。息子の幼稚園生活も折り返しを過ぎて残り半分もないという実感が急に胸に迫ってきたのだった。
慌てて、園を出て家族と合流。一路、銀座を目指す。道がすいていたので30分で到着してしまう。人形いっさい関係なく、普通のデパートなど見てぶらりぶらり。そうそう、一応宝くじも買ってみました。当たるといいなあ。
それから東京駅へ。14:13。神戸から母がやってきました。
新幹線から降り立った母の姿に、自分でも意外なほど切ない感情がこみ上げてきて疼いて驚き、でもそれを子供達が無邪気な大歓迎で紛らわしてくれて、ふっと心が緩みました。母は私に一番厳しい人。私もたぶん一番厳しく、批判がましく見返してきた人。それでも今、母は私の子供達を通してもう一度、私に愛を送ってくれているのだと、この瞬間に感じることができた。

とても楽しい、和やかな雰囲気で帰り道のドライブ。私と娘は一旦バレエ教室に行かなくてはならない。でも教室を変わってから娘は本当にまた心からバレエ好きになっていつも楽しみにしていて、また先生の教え方が本当に素晴らしくて、私は教える人でこんなにも違うものかと、当たり前のことに目からボロボロうろこが落ちている状態なので、行くことは苦ではなく、楽しみなのだ。
ほんわりしてあったかい気分なのに涙が出てきた。華原朋美の「あきらめましょう」という歌がとても好きなんです。
♪あきらめましょう、あきらめましょう、すっきりしましょう、ぱっぱぱらっぱ
あきらめましょう、あきらめましょう、泣いたりしましょう、ぱっぱぱらっぱ。
陽のあたる坂道を歩いている…♪という彼女の歌声は澄んで高くて元から嫌いではないのだけど(今となってはあのキャラクターさえ愛おしい気がする)なんだから本当に胸にしみちゃってさ。息子の残り1年4ヶ月の園生活を思い、その短さに胸がたまらなく痛くなり、卒園式のことを想像するだけでぶあっと涙が目に盛り上がってきて、ほっぺたをずぶぬれにしてしまった。
○○○○○幼稚園という名の楽園に、私はつかの間入れてもらった。
長い、とても長い、苦しい度の途中の、つかの間の休憩ですよ、と運命の管理人に念を押されながら、そこまで素晴らしいところだと知らずにはいっていった。先生という名前の優しい守護天使達が、本当に私たちの心を体を守ってくれました。感謝と惜別の気持ちがもうこみ上げてきて止まらない。今から本気で卒園式の日の自分の号泣が怖くてしかたないです。
恐ろしい考えがふと頭をよぎります。こんな考えはもう7年前に見事娘をゲットして以来思ったことがないのに「また子供が欲しい」っと。
もちろん血迷った考えなのだけど、そうしたらまたあの幼稚園に3年通えると思う。さらにもう一人生んだらまた3年。
夜、電話をかけてきてくれた義妹とお話していてそう言ったら、子供嫌いの私にそこまで言わせるとは、よほどいい幼稚園だったのね、と感心された。はい、私が人生で初めて知った楽園だったかもしれません。



待望のドラゴンクエスト最新作?
「空と海と大地と呪われし姫君」が本日発売されました。
長々しいタイトルで語呂が悪いけれどと思いつつワクワク(≧▽≦)
ああ、これでまたサイトの更新が滞る…なんてことはないようにします。

2004年11月27日(土) 
 息子の園は、年に一度、子供達の製作物を一気に展示する催しをする。それが今日と明日である。朝一番で早速でかける。息子がちゃんと絵を描いている。大好きな「星のカービィ」、工作も粘土もちゃんと作っている。感動…に浸りたかったが、お絵描きコーナーで絵の具を混ぜ合わせて遊びたいと大騒ぎを演じたためかなり大変な苦行になってしまった。息子にとって瓶詰めのポスターカラーは初めて見るものだったのだ。普段、先生方はそれを園児たちの目にみせず、っ必要な分量だけパレットや絵皿にだして与えていると言う。その綺麗な色の瓶詰めがずらりと並んだ様子は大人の目から見ても魅力的だけれど、そこに細くて長い銀のスプーンがささっていて、とろりとした綺麗な色の絵の具をたらーリとパレットに注ぎたせるようになっている。息子が魅了された気持ちはとてもよくわかる。しかしだめなのよ、と言い聞かせても彼は納得しない。近年まれに見る大パニックを起こし、もろに広汎性発達障害の顕著な傾向を周囲に知らしめることになってしまった。
オットの傷つき疲れ切った顔、私に繰り返される泣き言が重い。なんでもないように微笑みを浮かべながら、沢山の知り合いに声をかけられ、かけながら挨拶をするという必死の演技をしている私が、まるで何も感じていないと思うのだろう、しきりに息子の状況の悪さを言い続ける。息子はこうと思ったらけしてあきらめない。泣き叫び続ける。力の強さは誰からも折り紙付き。乱暴はしないけれど、なまじ自力でなんでもできるようになってきているため、彼が親と教師の言うことを聞く、という意識を自分で持たない以上、彼を動かすのは彼自身なのだ。私たちの制止はその前には空しい雑音でしかなく、仕方ないので力づくで彼を抱きとめ、ごまかしあやしながら園を出る。
疲労困憊。でももっと当てつけがましく疲労困憊ぶりのオットに腹がたってくる。やれ辛いの限界だの、何も楽しめないのと不快指数,200パーセントの泣き言のオンパレード。言いたくないけれど、それが私の毎日の生活である。何も知らないことではないことを丁寧に声高に言い立ててもらいたくない、心が慰められない。っていうか、彼はしきりに私に慰めてほしがっているのだ。が、先週の娘の学校参観日でも同じように彼は愚痴たらたらで私を苛立たせた実績を持つ。毎週これかい!と怒鳴りたくなるのをこらえるだけで、私の方が限界であった。
それにオットが今日疲れやすいのは、好き好んで出掛けた飲み会で夜中までかえって来れなかったからである。学校や園、習い事の行事で毎週のように潰れるのは最初から判っているでしょ、それに合わせて自分の体調もコントロールしてよっと怒鳴りたい。私の手伝いになるというよりは心の負担になりがちな部分、直して欲しいです。
が、小さな町中ではどこに人の目があるかわかりません。かくて私は女優のつもり。鷹揚に微笑みを浮かべ、端然と優しい妻と母を演じる。ときどき寄りがちになる眉間のしわを手でもみほぐしながら。

風邪気味なこともあり、息子は今日全体にご機嫌が悪くて聞き分けがよくなかった。帰宅すればしたで無制限に冷蔵庫を開け放ち、次から次へ食べ散らかす。冷凍してあるハンバーグを5、6個、おやつ代わりにたべ、さらにプリン。衣類をぶちまけ8枚ほども重ね着する。クローゼットはむちゃくちゃである。
娘の習い事が済んで買い物を済ませた後、私ひとり整骨院に向かった。途中で久しぶりの激しい腰痛に見舞われたのだ。先生はすぐに、患部が熱をもっているといいアイシングしてそのあとテーピングをしてくれた。よろよろになって帰宅。
家を綺麗に片付けたと得意満面のオットはだからさあご飯つくってと待っている。家の整理は私の手伝いっていうか単なるあなたの趣味でしょ!?かえってよくものがなくなるっじゃない!?と言えたらどんなにすっきりするでしょう。
こんなに私が腰痛だと訴えているのに、腰をかがめたりのばしたりするたびに鵜うめいているのに、配膳一つ手伝ってくれないってどうなの。それってご自慢の優しさかしらん?と刺々しい気持ちになってきた、例によって。
しかも娘がトドメをさす。どうも彼女は最近、トイレを我慢しがちだったのだけれど、なにやら夕方から急に膀胱炎らしいことを訴えてきた。頭痛い〜(>_<)

そんな気分で夜、パソコンの前で考える。ウリちゃん、買えるようになっている。さすがベーシックタイプ。こういうくさくさ気分の時は迷わずポチりたいところだ。でもあんまり疲れていて、悩んでいて、かえって勢いがつかないよ。ヤバい、本当に心の電池が切れかかっています、私。こういう時は美味しいつまみに酒にドラゴンクエストだ!
生牡蛎をレモンと塩で食べながら冷えたお酒を飲み、ゲームの世界へ。ついに2頭身から脱却したドラゴンクエスト。かっこ良くて可愛い鳥山明氏のグラフィックのままにキャラクター達が動く。さながら映画の中にはいりこんだようである。最初のストーリーを一区切りしてテレビ画面に戻る。
すると韓国ドラマ放映中だった。チェ・ジウとイ・ビョンホンの「美しき日々」である。臭い台詞と演出の連続に悶絶〜。。。



夫婦で驚いた食玩、なんと¥300のDVD!
本気で、ちゃんと字幕スーパー入りで、ヴィヴィアン・リーの
「アンナ・カレーニナ」が観られるのです。
かなりショックでした。
版権切れということなのでしょうか。

2004年11月26日(金) 
 土日に行事があるため、その準備日として本日はお休みの息子。いいタイミングで風邪をひいて鼻をぐずぐずいわせている。オットと娘をおくりだし、まったりと二人で午前中を過ごした。つくづく、いくつかの習い事をやめて、こうしてゆったりと家の中で楽しむ時間を増やしたいと思う。
小さいうちにたくさん習い事をしてみて、最終的に子供に合うものを絞ってあとはやめればいいのだと人に聞いたし、自分でもそう思ってとりあえずいろいろやってみているわけだが、やり始めて気付いた。先生がよく、子供も楽しんでいると、あまりにお世話になりご恩を感じ義理に縛られて、とてもじゃないけど「やめる」とは言い出しにくいです…。やる気ない先生なら切れるけど、心から子供を愛し理解し、指導しようと頑張ってくれる人にやめますと言えるほどに強くない私。かくて今や習い事で首が回らない状態になっているの(涙)

 息子をカウンセリングに連れて行って、また成長を喜んでもらって、ゆったりと子供達と遊んで。実は朝から子供がいなくて大のペ氏のファンである友人とメールのやりとりをし続けていた。彼女がいっしょに追っかけをしようと誘ってくれたのを(T_T)息子がいるのでと断る。テレビでこれからぺ氏が六本木ヒルズの自分の写真展に行くというのを聞いたので彼女にメールを送る。彼女は既に向かっているところで、テレビで言われる情報を教えて、の返信。彼女の願いが叶いますようにと祈りながら私は逐一「今、ホテルをでたらしい」「けが人がでたらしい」「ヨン様はワインカラーのジャケットを着てるから車の中でも見分けやすいみたい」などメールを送っていた(^_^;)
彼女の、ぺ氏に向けられた気持ちは本当にキラキラしていて、冷やかすべきじゃないと思ったの、本当に。私だって形こそ違え、好きなものがある。その好きなものについてバカにされたり、冷やかされたり、とにかく軽くあしらわれるのは嬉しくない。聞いてくれて、いっしょに興味を持ってくれる人がいたら嬉しい。実際、私は友人のキラキラした想いに同調するのが心地よかった。できることなら久しぶりに熱中するものを見つけた彼女の夢が叶いますように、と心から思った。残念ながら今日は、ぺ氏が乗っていたという車しか観られなかったそうだけれど、くじけず頑張れとエールを送る。私も今、人形のためなら案外追っかけするしね!

気分よく1日を終わろうとしてニュースで衝撃。3年前、通り魔的に19歳の若い女性を殺した男の裁判の結果を伝えるもの。犯行時にかぶっていた帽子にちなんで「レッサーパンダ男」と呼ばれるその人には、対人関係に困難をきたす障害があり、それゆえに無罪を弁護人が主張しているが…という一文に体が凍り付く。弁護士、というものに対して私はあまりいいイメージを持っていない。極悪人の罪を軽くするゲームをしているかのような風情の人をみると(数年前、どうにも許せない犯罪を犯した少年を死刑ではなく、無期懲役という判決を勝ち取った瞬間に遺族の目の前でガッツポーズをした弁護士の話をきいたからだ)私の中に怪しい奴、という偏見が芽生える。が、レッサーパンダー男の弁護士は目をうるませ、体を震わせて「自閉症という障害がどういうものか知って欲しい」と声をしぼりだすように言っていた。
違う!違う!
声もなく私は叫ぶ。虐められれば虐められっぱなし、リンチされればされっぱなし、ただ泣いて哀しんで怯えるたくさんの自閉症児たち。それを一気に加害者の側におかれると、逆に多くの人が偏見を持つ。
息子の園の先生方が、他の人に息子の障害の話をしないでと繰り返し念をおす心理がわかる。沢山の愛に包まれ、愛を育む幼稚園の先生方が、ベテランであればあるほどの先生方が、人の残酷さを知っているのだ。問題があると(盗難、器物の破損など)障害児がやったのだろうと平気で推測する子供達とその親達のことをちらっと苦しそうに先生方がおっしゃったことがある(結局、犯人は健常児だったということがほとんどだったそうだ)だから、カミングアウトして下手に偏見を背負い込まない方がいい、今は…、と何度も先生方は私に言う。私の息子はものすごく優しい。力が強く手先が器用でいて、暴力に対する傾向、嗜虐性を持たない。その優しさと純粋さがどれほど私をせつなくさせるだろう。
最後に裁判官が「被害者の冥福を祈りなさい」と言ってもレッサーパンダ男は表情を変えなかったとニュースは言う。本当にその病気なら。度合いにも寄るけれど、彼はどこか遠い世界に心を遊ばせているはずだ。まれに、攻撃性を持ってしまう自閉症の人もいる。その性質はさまざまである。犯人の年齢からするに、その両親はもしかしたら病気の自覚、知識を持たず、持て余しながら育児してきたのかもしれない。心に痛みが走る。
 けれど、私はがんばれると思う。これでうちひしがれたくはない。ひとつひとつ注意深くしていけば、たいていの不幸は避けられるはず。避けられない運命ならば飲み下すしかない。健常者である男性二人が行った家族殺害2件の最近のニュースをみても、健常者と障害者のラインはどこにあるのだと思ってしまう。堅実で善良な家庭であるが故に、その道から外れ気味の息子の心に重圧を与える結果になってしまった家族達。その愛の深さ、重さが、悪循環してしまうと言う悲劇に泣きながら、障害は関係ない、相手を許し、理解し、慰める関係、それが家族なんだと思う。裁かれてばかりの子供が、どうして幸せを感じるだろう。幸せじゃない人間がどうして明日に希望を持てるだろう。乱暴ないい方をすれば、心の傷という障害で生き方をゆがめている人はたくさんいるのだ。
だから私は、心が健康な人に憧れる。
そんなふうに子供達が心身健康に育つように、自分の子供だけでなく身近な子供達すべてを宝物のように大切に見守っていってあげるべきだと思う。
微弱であっても努力したいです。社交苦手だけど。

 



私が好きな雑貨はいくつかあって、
ドレッサーと椅子、ベビーカーのミニチュアは
いくらでも欲しくなるのです。
このワイヤー製の小物入れは通販のフェリシモで入手。

2004年11月25日(木) 
 幼稚園ママたちとの親睦会でにぎやかにランチをする。案外楽しく、大人の女同士のつきあいって、さばさばしてるうちはやっぱりいいなあと思った。皆、同じ出産と育児という体験をくぐり抜けてきた戦友みたいな感じである。でも幼稚園の先生に言わせると、それがよくて仲良くなり過ぎ、互いを知りすぎるあたりからウェットになり、人間関係が難しくなるという。そういう風になってしまうのは判らないようで、じつは判りすぎる気もする。
人とのおつきあいには相手への敬意が必要だと思う。最近流行りの言葉の「勝ち組」「負け組」というのが私にはゾッとする響きを持って感じられるのは、どこかに相手への侮蔑が感じられ、冷酷さが察せられるからだ。
人の生き方を勝ちとか負けとか、どこでどう判断するのだろう。
結婚がどうとか、子供がどうとか聞いたことがあるけれど、全く納得できない理由だったような気がする。いずれにせよ、人間関係は相手に不信を感じた時にこじれる。言葉を駆使し、行動力を精一杯発揮しても、スムースなコミュニケーションをとるのは難しいものだ。でも、広く浅く、いろんな人と語り合うのは楽しい刺激で、しょっちゅうでは疲れるけれど、たまにはこういう機会に積極的に参加しようかな、やっぱり。
 
 今朝は朝からあちこちで「もうすぐ…」「いっそ成田…」「まさか成田まで…」などなどの声が聞こえた。話題のぺ様が韓国よりご来日。幼稚園のママ達は本日の正午すぎのどこの航空会社で何便かまで情報を持っていた(息子の園にはお医者様、教職のご子息の次にマスコミ関係者、航空会社勤務の方がおおいからだ)。
やはりぺ人気はすごい。でも私も「スキャンダル」という映画の彼を見てから好きである。いい表情をする素敵な俳優さんだと思う。
一応、ぺ様ファンらしい娘に「今日ねえ、チュンサンが来るよ」と言ったら娘は飛び上がって大喜び。我が家に来ると勘違いしたようだ。


 
またミスドの景品にはまり、貰ったスケジュール帳。

2004年11月24日(水) 
 外を歩いて見かけるたびに何か一つ、気に入ったクリスマスの飾りを買っている。最近は安くて可愛いオーナメントなどが本当によく売られている。また何か発見するかな、と思いながら街を歩くのは楽しい。
でも水曜日は息子が午前保育でお迎えが早いし、習い事ふたつがある。終わるともう夜で、夕食、入浴、寝る〜!と怒濤のようにすぎてしまう一日なのだ。
やはり私はマゾ気があるのかもしれない。ガンガン自分を追い込んでみるのは楽しい。
普段と違うお店にいって、偶然そこがタカラのリカちゃんやジェニーの新作を意欲的に仕入れていることを知った。ほほう、と手にとり眺めて楽しむ。この時期とそして何でもない普通の玩具やさんと言うシチュエーションが30年以上昔の私とレディリカの出会いを思い出させて、なんだか嬉しい。
今日もたくさんの人と会ってお話して、いっぱい気を使って疲れた。でもこれでいいのだ。何も無駄にならず、きっと何か明日につながって行く。
私は信仰を持たないけれど、日々の出会いの中の幸せは信じる。孤独を恐れず、一人引きこもる闇を心の中に持っているのは、けしてそう悪いことじゃない。おかげで微かな光がよくわかるという利点もあるのだ。私はネガティブな人間だけれど、だからこそポジティブな人の善さが判る。その人達の明るいオーラに感謝できます。いい人達に感謝!

   



冬になると飲みたくなるのが昆布茶。
ディズニーストアでこんなに可愛いのを見つけたので買ってみました。

2004年11月23日(火) 
 派遣会社に登録していて、時々たま〜に仕事をしているが、今日は久しぶりに仕事らしい仕事をした。家庭人としての私の意識は消えないし、家族と離れていても一瞬一瞬に家族を思うけれど、それが仕事にプラスになる。特に人とのコミュニケーションに。そしてもちろん開放感もある。普段乗らない沿線を利用し初めての場所に行き、初めての人に会う。仕事して感謝して別れる。一期一会の世界だけどとても有意義な気持ちになる。
いい年して判ったことですごく良かったと思うことの一つは、「この世に無駄なものはない」ということだ。どんなことも無駄にはならない。哀しみも絶望もだ。人に裏切られる傷は痛くて中々完治しないけれど、できれば我が子にそんな傷がつかないことを祈るけれど、私自身は痛い思いもして怖いものが亡くなった面もあり、その強さに助けられたこともたくさんある。だからやはりそれも無駄ではなかったか、と。
今まで私は好きな言葉は?と聞かれたら中学生の頃からだけれど「ゴーイングマイウェイ!」と即答していた。事実そのとおり生きてきたかと思う。もちろん思うように行かず、予想外の展開にきりきり舞いすることもしょっちゅうあったけれど、しょせんは誰しも踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損、という「ま、いいか」精神でいたために、父の死、叔父の事故以下の不幸はすべてどこか楽しんでさえこれた。あの赤毛のアンが想像力で自分を悲劇の主人公に見立ててはしまいに楽しんでしまうのにとても似た気持ちである。あれは絵空事ではない、現実にそうしてしまおうと思えばできるのだ。
が、出産という人生の転機で精神構造が多少変わる。不幸にはできるだけなりたくないものだ。不幸とはなんだろう。望み通りの人生を送れないことか。望み通りの人生とはなんだろう。大切なものは絶対に失わず、欲しいものは欲しいだけ手に入れることかな。
何をどう手に入れてもきりがない。これが地獄のひとつ、餓鬼というものではないかと感じることがある。では欲しがらなくなった時が幸福なのだろうか。一時、私は息子のことでとても哀しんで本当にほとんど何も欲しくなくなったことがあった。着るものは着られさえすれば何でも良く、化粧は一切せず。自分が人にどう思われても構わなかった。ただ息子の障害という苦しみからさえ逃れられるなら。
その中でも子への愛しさは消えなくて、やがてその子らが私を導いてくれた。なんでもないありふれたことだ。雨が降ってるからお家でテレビを見ているのが楽しいといい、実際楽しそうにテレビを見る。花が咲いたと言っては喜び、雪が降るとはしゃぐ。庭に落ちたクヌギのドングリが(これが屋根に降り注ぐと驚くほど大きな音がするのだが)そのまま朽ちることなく、なんと芽吹いてしまうこと。夏の花火、水遊び。
たわいもない遊びが子供の目を通し、感性というレンズをはめた眼鏡を借りると大きな喜びに輝いて見えた。またちょっとしたお楽しみが心の中で息づき始め、買い物が楽しくなった。やはり物欲は生きている証拠なんじゃないかしらん。
そして私は悟る。どうあがいても人は前に進むことしかできない生物なのだと。いくら悔やんでも後に戻ってやりなおすことはできない。あったことをなかったことにはできず、なかったことをあったことにもできない。だから人はきりきり舞いに踊る。やはり踊る阿呆に見る阿呆なのだ。見物して過ごしたなら今度は踊ってみようか。
こうして踊ったり見物を繰り返しながら、私は人生の波を繰り返し漕いで行くのだろうと思う。ふと周りを見回し、人と語らう。そして誰もが孤独であり、友を求めていることを知る。友がいれば救われる。それは本当。でも。心の底の一番深い孤独という闇にはやはり光は届かない。最後の願いはひとつ。その奥底の闇が静かで平安であったならそれが幸せ。
死ぬ瞬間に自分で自分の人生は帳尻が合ったなあ、と満足していたいものである。それを目標にとりあえず生きる。

   



最近、最寄りのスーパーが
可愛いクリスマスグッズを置くので困っています。
これはそのスーパーオリジナルのテディベア。
よく見ると別にクリスマス仕様じゃないのですが、
真っ白でふわふわで、背中に翼が(涙)
か、可愛いじゃないですか。
¥980だけど¥2000以上お買い上げの方には¥500で、との決め台詞に
娘が「可愛い、可愛いわ〜♪」とトドメ。

2004年11月22日(月) 
 昨日悩んだオークションには結局入札せず。最近ずっとオークションに参加していないので、なんとなく気後れしてしまった(^_^;)そういう気持ちになるのもまあご縁のうちだなあと思いながら朝も少しぼんやりお人形のことを考える。
今日は娘は土曜参観日の代休である。するとなぜかオットも休みをとったので、息子だけが普通に園に行く。そのあと歯医者に行って、仲良くデートしていたオットと娘と合流して、家で普通に掃除洗濯して、息子を迎えにいくと。
先生方が沸き立つように嬉しそうに、私を手招きしてくれた。きけば息子の粘土製作がすごいのだという。細かくて丁寧で、一心不乱でものすごい集中力だと。
丸い幌馬車の幌を伏せたテントみたいな空間の中に粘土板をもちこんで、息子は何十頭もの動物を作っていた。確かに、すごく細かい造形。もともと動物好きの彼は数ヶ月前から折り紙であれ積み木であれブロックであれ、実に器用に動物を形作っていた。そして絶対に顔をつける。動物の特徴をつける。
その集大成が今日いきなり園で粘土の時間に開花してしまったらしくて、それに先生方は大喜びしくださっているのだ。
私は嬉しかった。息子のその作品の素晴らしさも本当に胸うつ感動だったけれど、そのことをこんなに大喜びしてくださる先生方のお気持ちもまた、本当に嬉しかった。
他の子にはできないのに、息子にはできるいろんなことを次々に嬉しげに教えてくださる。日常ではその逆のことがよほどに多いと思うのだけれど。
テレパシーが使えたらいいのにと思う。私の感謝の気持ちを言葉にしようとするとあまりにありふれて薄っぺらく聞こえてしまって、それがとてももどかしいから。

 楽しい気持ちで、花を選ぶ。冬の庭作りがこの連休の予定なのだ。オットの大変な労力の末、ついに巨大になりすぎたゴールドクレスト残り1本も撤去に成功。またまた巨大なミミズを今度は3匹も見てしまうが昨日よりは免疫ができた(T_T)
門の外には薔薇なのに桜霞という名前の小さなピンクのつるばらの苗を植える。門の内側には念願のクリーム色のモッコウバラを植える。壁面に張り巡らした真っ白なラティスに、パンジーの鉢をかけていった。パンジーは黄色とオレンジ、濃い紫(この色はまるでビロードの造花に思えるほど綺麗)、青、青紫を植える。ブロックには黄色と紫のコンビのビオラを、それから黒?と思えるほどに濃い深い色の紫のビオラを植える。赤いジュリアン、青いジュリアン。夕方になって真っ暗になるまで夢中でオットと庭作りしていた。ご近所の人が綺麗ね、素敵になるね、と何人も声をかけてくださる。
家を出て行くとき、そして帰ってきたとき、花が咲いているのは単純に嬉しいから、その光景を胸に楽しく思い描いて庭作り。
明日は門の横にただ1本残したシルバークレストを樅の木に見立ててクリスマスの飾り付けをするつもり。

いつも新しいお人形のことを考えてしまうのはなぜなんでしょう。オットに叱られるのはそこである。高価な人形を買ったならそれでしばらくは我慢すべきではないかと。私もそう思う。が、見ると欲しくなるし、見ないようにしていると時代に取り残されすぎているような気もしてくる。でも私なりに慎重に気持ちを見極めているつもりなのだ。それと案外、オットの好みがやはり私と一致するのが面白くて、最近はうまく言いくるめてPCの前にひっぱってきてはお人形の画像を見せてどう思うか聞いてみる。なかなか見る目が確かで、恐ろしいことにほぼぴたりと値段を当てる。オット、人形者としての才能あると思うよ?

   



アクリルのクリスマスオーナメント。
見た目はクリスタルなのでオーケーですぅ。

2004年11月21日(日) 
 家族全員朝から動きが鈍い。やっと休みらしい休みになり、心底気が抜けている。ぼんやり、時計をあまり気にせず座ってられる幸福をかみしめながら午前中ぽちぽち更新作業。愛する初代SD薔子ちゃんの着せ替えを2ページアップ。早くまたメイク直しもしてあげたいなあ。永遠くんにも着せ替えしてあげたいので、韓国のお店からオークションまで一生懸命に探して見る。意外にMSDサイズの男の子服は少ない。悲しい。
オットに12月のドルパに行くつもりだといったら「えっ、また行くの?」と聞かれてすぐにしゅんとなり、そうだよね、私、行き過ぎだよね、と思って数時間後ハッとした。カレンダーを見ればオットだって趣味の合唱合唱、また合唱でカレンダーにめいっぱい書き込んでいるではないか。これだって本来なら家族サービスの時間のはず!ムッとして私もドルパには行くことに決めた。でも本当は遠いところに行くのは苦手だよ…。
薔薇の苗機を植えるべく、もとゴールドクレストが植わっていた場所を掘り返す。巨大すぎたクレストちゃんの根っこは凄まじく、夫婦で掘ってるのになかなか抜けない。カブトムシの幼虫が2匹もいたのでびっくり。最後には私が人生で見た中で2番目に大きなミミズが…!(一番は今年の春、息子が小学校の花壇から掘り出した物凄いヤツである、およよ………)気分が悪くなったので私はリタイア。
昼食を作ってふたたびまったり。娘のバレエ教室に行って今日はおしまい。
でも綿密にいろいろ、お人形のことを計画。オットに悩んでいる2体の人形の画像を見比べてもらったら、あっさり「こっちの方が全然いい」と決断され、内心の私の想いと一致したのでなんだか気が楽になったのでした。やっぱりお隣の国のお人形の顔が最近はツボにハマる。涼しさと憂いの表情がポイントかなあ。目元の表情が、何か心を惹く。お人形好きということは、好きな顔にこだわるということ、もしかして究極の顔マニアということなのだろうか。どうでしょう?

   

   



ケースのデザインが気に入って買った資生堂マジョルカ。
アイシャドーです。
少量しか使わないのでこれがまたきっと10年くらい存在することでしょう。

2004年11月20日(土) 
 昨日とはうってかわって暖かい土曜日だが早起き。娘の小学校の土曜参観日なのだ。朝一で娘と一緒に登校。給食なしの午前授業だったけれど有意義だった。可愛い可愛い1年生達。皆がそう思う、だからこそあの奈良の楓ちゃんの事件がおりに触れて皆の口にのぼる。子供も小学校から登下校時に親の責任で注意をしてくれと手紙をもらってくる。
もはや子供が無事に成長するかどうかは一か八かの賭けの時代なのだろうか。昔は犯罪の脅威がいまほどではなかったのかと思うけれど、古い時代の本を読んでも幼児相手の変質者はいたようでいたましい事件の記録は残っている。今ほど犯罪が多くなかった代わりに医学が未発達であった分、些細な病気で失われる命もあり…結局人類は、人類同士で殺し合うという最終局面に達しているということなのではないかと絶望的に思う。運命は何らかの形で罪もない押さない命を贄にしろと要求してくるものなのだろうかと。事故や病気を屈服させる能力を身につけつつある人類に対して天災と人災。近年のアメリカの犯罪防止率を考えれば、厳罰化による犯罪の抑止効果をもっと考えてもいいと思う。
私にできる最善の努力は、子供から目を離さないこと。それは過保護とは別次元の問題だ。子供が私の手を振り払い、一人で歩くと言い放つその日まで何を犠牲にしてもいいさ、いいさ。ただ無事でいてくれれば。

授業参観が終わってほっとしているクラスメートとその母達との挨拶もそこそこに(オットは地元の大学出身で、同じ小学校に同級生がいることが最近になってぞろぞろ発覚、思いがけない再会に沸き立っているのだが)娘の塾に走る。息子を体操教室に放り込み、娘を迎え、今度は娘を体操教室に息子と入れ違いに放り込む。終了後は家族揃って抜け殻。オットは今日は本当に土曜日なのか?と何度も聞く。会社に行くより疲れると。だから〜!私がいつも疲れてるのが判るでしょ!?
気がつけば家族全員まともな食事にありついていなかった。夕方レストランに腰をおちつけ、むさぼるように食事。ここでポイントカードがたまってるとかで思いがけずボジョレー・ヌーボーを頂く。ん〜?ぶっちゃけ私、いつもあまりこれに興味ないの。こだわりないっていうかね。

という感じで忙殺されている間に気がつくとカスタムさんのウリエルちゃん売り切れになっていて、ほっとする。某さんから小さな天子も誕生するよと手紙をもらって急遽計画練り直しなのだ。ま、ベーシックというからにはウリちゃんとの再会も遠くないでしょう。限りない欲望、限りあるお財布。よ〜く考えなくちゃね!

  



またまた100円ショップでかわいい雑貨を発見。
木の洗濯バサミ。
プレゼントにカードをつける時にリボンにはさんでもいいし、
子供達に可愛いクリスマスの絵をかかせて、
壁に吊るしたロープにこのクリップで止めていこうかな。

2004年11月19日(金) 
 1週間で一番楽しみにしていて欠かさず見るようにしているドラマが「大奥〜第1章〜」なんでございます。まずお着物、舞台が綺麗。前回は浅野裕子さんに惚れ直し、今回はかねがね、素直に好きと言えない、でも気になって仕方ない演技をするユニークにして妖艶な松下由樹さんと高島礼子ときては見ない訳にはいかず、見て、やっぱり魅了されて。でも昨日の新聞の漫画エッセイに、松下由樹の瞬きをしないカッと目を見開き続ける演技がいいとのコメントがあったので昨夜録画したものをじっくり鑑賞。確かに〜!ほぼ瞬きなしでギリリと開いた目で圧倒する演技。もう亡くなって出てこないお江与さまこと高島礼子の下目づかい(上から相手を見下ろす目つきね)も確かに素晴らしかったし。
いいなあ、こういう見せつけてくれるドラマ、好きです。

 雨で寒くて。家を出るなり重大な過ちを自分が犯したことに気付いた。なんとババシャツを着忘れたのよぅ〜!!ひええ、それだけはやってはいけない過ちよ!?と友人達に責められる。寒いよ〜、今日はいつもにもまして寒さが身にしみるよ〜と訴える私に「そりゃそうだよ…」「助けてあげようがないよ_」と有人がちが呟く。ああ、ババシャツのありがたさをのっけから実感。もう2度と忘れないわよぉ!
で、寒さに震えながら娘の小学校に行く。今日から学校公開週間なのだ。一瞬観毎日授業参観なのである。1時間目の途中から3時間目の途中まで見る。そしてクラスのみんなのあどけなさ、いじらしさに感動。娘のマイペースぶり、確固たる強さを確認してそれなりに衝撃、覚悟。娘の幼さを今は思い切り楽しもう。いずれ彼女が羽が生え揃ったら、思いがけないほど遠くに飛んで行ってしまう子なのかもしれないから、と思う。
3時間目の途中で校門で友人達を待ち合わせランチ会に突入。楽しくおしゃべり。でも内心はいつも緊張している私なのだった(-_-;)
息子を園にお迎えにいって、また小学校に戻って娘の授業参観。終了までみて一緒に帰る。寒くて疲れてぼんやりして。どこかしら胸がせつなくて。
疲れていて、すべてを忘れて少し眠りたくて。今日はもうきっちり、習い事はさぼることに決めた。
帰り道のスーパーで美味しいものをたくさん買って帰った。家に帰って子供達とぱくぱくむしゃむしゃ好きなものを食べた。そして暖まった床暖房の上にクッションとフリースのブランケットを用意して、好きなテレビをつけて好きな本を手に持ってゴロリと横になり、いつともなしに眠るに任せた。息子はそそくさと好きな形で私に寄り添い、すーっと眠りに落ちる。最高の幸せだと言う微かな笑みを口元にたたえた寝顔。娘も私にぴったりもたれながら、好きなテレビを見、本を読んでいる。目が覚めてみれば僅かの間のまどろみだけれど、幸せだった。
家の中で聞く雨の音が好きだ。



安くて可愛いので思わず買ったコンパクト。
キスミー化粧品のものです。
子供の頃、こんなコンパクトが欲しかったなあと思って。
パフがえ!?と驚くピンクです。

2004年11月18日(木) 
 奈良県の小1の女の子のことをずっと考えてしまう。2度とこんな事件がおきないように、なんとかできないものか。一人一人がもっとネガティブな発想をしてもいいんじゃないだろうか。テレビではさかんに「ほんの少し前まではまだ幼稚園に通っていた子供だったのです」と言っている。それこそが私の認識である。でもその子も周囲の大人もきっと今までは「もう小学生」と言っていたのではないか。もう、ではない、「まだ」小学生なのだ。しかも1年生!彼女が車で連れ去られたのは自宅から200メートルの場所。未だ行方が判らない昨年大阪府高槻市で消えた女の子も自宅近くで誘拐されている。今年3月にはもう本当に自宅の玄関の前まできて家の隣の男にひっぱりこまれ殺された女の子もいた。私と、何人かのお母さん達はこれらの事件を他人事として捉えず、記憶から消さない。でも多くの人は忘れる。ああそんなことも会ったね、運が悪い人っているんだよね、と。つまりは事件の風化である。
悲しい事件を風化させないことが再犯防止につながるのではないかと思う。
確かに覚え続けているには辛いことばかりだけれど、悲しい歴史が繰り返されるのを防ぐ効果があるなら、繰り返し思い出し学習しなおすべきじゃないか、と。

携帯電話の請求がものすごく高額で夫婦でびっくり!言いたくないけどMSDが楽勝で買えます。調べてみたらある1日だけ、夫婦で大変パケット料を重ねていることが判った。携帯電話を買い替えたその日で、夫婦で大喜びで着うたをダウンロードしまくった日だったの…!あれって結局ほぼ1曲が千円なのだ!この事実をどれくらいの人が知ってるでしょう?怖い怖いと言いつつ落ち込み〜(T_T)
折しもそこへ郵便屋さんが。そろそろ色々なところがカレンダーを贈ってきてくれる季節になったのだが、カレンダーがポストにはいらないので、とわざわざ郵便やさんがインターホンを鳴らしてくれるのだ。その時に普通のお手紙もありますとわたされた封筒が「天使の里だより」
どきどきしながら開封。倒れる。色々なサイズのSDが企画されているようだ。
でも幼天使、精天使が気になる!韓国ドールに対抗する某の新たなる戦略か。大きさとお顔によっては私はゆっくり進めている計画を思い切り変更しなくてはならない!あ−ん、困る〜。もう着うたにはかかわらないわ!
それにしても母SDってなに…。中年のSD?それって画期的かも。人形界にはどう見ても中年に見えるけれど、はっきりそう銘打ってるお人形ってないものね。

   


 
好きな雑貨屋さんで前から欲しかった姫鏡台を買いました。
ベッツィーサイズです。
ベチ達には本当は赤系統が似合うと感じつつも、
どうしてもこのくすんだ青が好きだったでこれに決定。
買おうか買うまいか悩んでいるうちに、この色はこれ1個だけになったので。

2004年11月17日(水) 
 朝と日中の気温差が激しい。朝はうんと冷え込むのだが、これがお昼になるころにはぐ〜っとあったかくなっており、子供達はみな上着を邪魔がる。そう思うので、昼の頃の気温に合わせた格好をさせる私って鬼母?
寒いよ〜、寒いよ〜と呟きながら登校する娘を見送るために門のところに本当に寒くてブルブルしちゃったので、自分が出掛ける時にはついに今年初のダウンコートをだし、ついでにふわふわのファーの帽子までかぶってぬくぬくとでかけたのだった。再び私って…鬼母…?が幼稚園に行くと「うちも同じよ!」と皆で言ってくれるので安心(^^)子らは薄着、母らは厚着。いいの、園も学校も薄着奨励だしやはり子供は肌を鍛えなくては。母達も昔は鍛えたのだ。だからもういいのさ。

いつも会うと仲良くしゃべるんだけれど、機会がなく今までお茶したことがなかった幼稚園ママと今日初めてお茶をする。園が午前保育なのでその間、ということなのだがとても楽しかった。気が合う人とは本当に話題が尽きないものだなあと思う。私よりずっと若いのに気配りの行き届いたとてもいいお母様である。いいご家庭で育たれたんだなあとしみじみ思う。が、彼女も私と同じパニック障害。そう、案外この病気、明るくて社交的、友達も多くて責任ある委員もバリバリしちゃうような人がかかるようである。密かに気疲れしてる、とてもまじめということなんでしょうね。とすると、私もそういういい人?なんてね(≧▽≦)
私は単にネガティブ思考しすぎるだけなのだ。

午後は習い事三昧。息子の幼児教室七田に娘のバレエ教室。オットが迎えにきてくれて、家族で楽しくパスタのお店で夕食をする。子供達もじょうきげん。夫婦もご機嫌。でも帰宅すると疲れている。
悲しいニュースをきいた。奈良県で小1の女の子の痛ましいニュース。誘拐殺人の被害。私の娘と同じ年!悲痛な気持ちになる。
午後1時に下校、母親と携帯電話で話した後消息を絶ち、夜、離れたところで顔を傷つけられた状態で側溝の中で遺体で発見……………………。
泣く。ただひたすら泣く。
その子の恐怖はいかばかりだっただろうか。

息子の園の保育時間は短い。しばしばそのことについて父兄からクレーム、あるいは請願が出る。園のいい分は曰く。幼い子供はまだまだ保護者とともに過ごすことが大切なのであり、園は親だけでは与えられない情操教育、家庭だけでは学べない集団生活のルールなどを教えることで育児のサポートをする場であり、母親を楽させ、母親にサービスするためのものではございません、と。
すると皆たしかに…とうなだれる。私も確かに、と思う。
娘が小学校にあがるにあたっていろんな人にこれで少し楽になるね、と言われたけれど、私は楽じゃないことを選んだ。
ネガティブ思考の私には事件を他人事には思えない。確かに全国の子供の数を考え、犯罪、事故などで怪我もしくは死亡する子の数は日本はそう多くないのかもしれない。比率でいえばほぼ安全である見込みの方が高いのだろう。
が、万が一にでも危険の可能性があるのなら、出来るだけの手はすべて打って、子供の安全のために尽くすことを私は選ぶ。自然淘汰される命も必要だなんて言ってられません。我が子は世界にたったひとつの宝物.
確かに、小1になった娘を一人でどこにでも行かせれば私は楽になる。臆病な娘は外出したがらなくなり、習い事もやめるかもしれない。そうすると月謝もものすごく浮く。お金も時間もぐぐっと楽になり、念願の貯金はできるわ、時間を使って人形遊びできるわ、と私は思い切り楽させていただけるはず。
でも。娘に何かあったら私は死ぬ。絶対に耐えられない。だったら楽ができなくてもいい。出来る限り、本当にもうかなり大丈夫と安心できるまで、人にどんなに笑われようと朝はオットが送り、帰りは私が迎えに行くつもり。
実は他にもそういうお母さんがたくさんいる我が地域なのだった。
被害にあった女の子の住む地域は…ものすごく悪い言葉を使わせて頂く。あえて厳しく。平和ボケしてたんでしょうね。
私が住んでいるところは皆ピリピリしている。我が子が属する社会の子は他の子もみな大切。皆で連携して皆で守る。それが使命だと信じてます。

 



子供の手袋を買いに行って、自分のを買ってしまいました。
非情?

2004年11月16日(火) 
 最近の体調不調は不自然な動悸。ちょっとした動きのあとでかなり長い間心臓がドキドキするので悩んでいる。そうかと思うと、息子を担いで階段を上っても平気なことも多々ある。で考えるにどうせこの動悸もまた自律神経かなんかのせいなんだろうなあ。でも一応そろそろ人間ドックに行くべき頃合いだ。
昨年の秋は大変体調が悪くて見た目も様子がおかしかったらく、たくさんの人に心配してもらいながらドックにいった。そうしたら異常らしきものは貧血くらいしかなく、低血圧ですからね〜、と。しかも。善玉コレステロールが大変多くて素晴らしい、何か特別の健康法をなさってますか?とまで聞かれてしまった。
嬉しいことなのだが、さんざん心配をかけた皆には申し訳なく、本気で気遣ってくれた人に「いや〜、何も異常なくってね。しかも善玉コレステロール?とかが多いからいいんだって」と言うのは面目なかった。以来、あまりみんな心配してくれなくなった…。(思うにコーヒーと赤ワインを毎日結構…いや少々飲んでいるのがいいのかも。最近テレビでよくこれらにはポリフェノールが含まれてる、といってるものね)
自律神経が弱くてね、繊細だからと訴えても、好きなように生きてるくせにとか、明るくて楽しそうに生きてるじゃん!?とか意地悪を言われる。判ってもらえない。辛い人生である。

子供達と接していて日々感心するのだけれど、人間関係ってやっぱり難しいなあと思う。あの精神的な、微妙な力バランスはなんなのだろう。大人が間に入って調整してあげることも相手が幼いうちは確かに必要だと思わざるを得ない。よく物語などで「人間は光と闇とで出来ている」なんてファンタスティックな言い回しで書いてあるが、端的にいえば善悪半々であるということで、親は善なるものとして育てているはずであるが、そうでもない面が強いお子さんも確かにいるのだ。人の痛みが判らず、暴力で相手を傷つけることで快感を得ている明らかな表情。言葉の暴力もそうである。「信じる」という言葉を都合よく、やたらに使いまわすお母さんが嫌いだ。それは見たくないものは見ない、都合のいい部分だけを「信じる」と公言しているようなものである。
暴力がちょっとね、と問題になっている少年がいた。お母様は我が子は気が弱く優しく、到底人に手をあげられるような子ではないので、とさらりとおっしゃり誰にも謝らない。クレームはすべて「先生におまかせしております」華奢な体にもの柔らかな口調、それなのになんて図太いの!と不評の嵐を私も聞いていた。が急に「ザマミロ」連絡網が回ってきた。そのお母様が息子の忘れ物を届けに不意に思い立って学校に立ち寄ったところ、当の息子が女の子にかなり大きめの石をぶつける現場を見て貧血をおこさんばかりに驚いたというのだ。
「わたくし、育児ノイローゼになるかもしれない」
と涙ながらに語ったとの逸話に、皆口をそろえて「ぜひなれ!」と。
女の子同士では雰囲気的ないじめというか。露骨な言葉より雰囲気で相手をはじき出す、というテクニックである。
母達は悩み、声をかけあい東奔西走。我が家の子らはまだ比較的のんびりした世界にいるけれど、いつ何時渦に巻き込まれるか判らないので、私も一緒に緊張する。

私は絶対に悲しいと判っている映画は極力見ないことにしている。だから「忠犬ハチ公物語」も「火垂るの墓」も「ポネット」も見てないのさ。
先々週、特別ドラマとして松田聖子さん主演で放映された「たったひとつのたからもの」も見なかった。あのお話の写真、コマーシャルでみていただけでいつも泣いていたのよ!?ドラマなんか耐えられる訳ないでしょう。
今日はまた更新しようと頑張って作業していたらまたオットがもうPCはやめて家族団らんしようよと邪魔をする。仕方ないのでテレビの前に座ったらたまたまその「たったひとつのたからもの特別編」にチャンネルを合わせてしまって夫婦でくぎづけになってしまった。
見始めて30秒でダーダーぼたぼたと涙と鼻水を垂らしに垂らし、ティッシュの箱を抱え込んだ私。最後はもう号泣を通り越してすすり泣き、眠っている我が子達を抱きしめていた。オットは「ここで小田和正のこの歌を使うのは反則だろう!?」とか叫んでいるし。
このドラマには主役の秋雪くんの友達役で娘の学校の障害児クラスの子が数人出演もしていた。全く何も他人事ではなく…。愛することの喜びと痛みを心から感じずにはいられず、だった。

   

   



昨年、一昨年と子供達が
中身を見たくてプレゼントの飾りを開けて駄目にしてしまったので、
新たに購入。

2004年11月15日(月) 
 朝から景気よくまた雨が降っている。私の友人はダルくなったと幼稚園をお休みした。さすが我が友、それでこそ類友。が私は行く。息子は幼稚園をとても楽しんでいるし、毎日大変貴重な刺激を受けているからだ。
雨は歩く私の後ろから斜めにふりつけ、帰宅した時にはジーンズがぐっしょりだった。丈の長い長靴。それからレインコートならぬレインズボン。すっぽり体を覆うマント。それらを夢見る。もうオシャレも女もへったくれもない.実用第一だ!と叫びたくなる。
家に帰って床暖房の上でしみじみ暖まった。今年はこたつを購入予定!(結婚して以来持ってないのである。私はこたつがあると今以上に人間が堕落するのだ。でも。冷え性にはもう勝てない.年老いたからね〜)

   

  

   


 
やっぱり私はリカが好きなんですね。
今日行ったドールショーでやはり、リカちゃんキャッスルの
お人形教室に張り付いてしまいました。
大人っぽく清楚なリカをゲットできて満足です。

2004年11月14日(日) 
 寝坊する。これですでにもう、お目当てのショップさんのドレスは買えないな〜とあきらめがついたのでのんびりお出掛けする。浜松町でのドールショーである。11時半に着くのが気に入った。これからはいつもこれくらいかも。開場前に並ぶのが前から性に合わず困惑していたの。
それにしてもすごい熱気。思っていたよりたくさんの人出で、所によっては通行不可能な所もある。ご挨拶したいと思っていたブースはいつもながらファンに取り囲まれて、入り込む隙間なし。すごすごと退散。でも大好きなりえこさんのブースには伺えた。ネラッていたジェニーのドレスはとっくに完売。あとで嬉しそうに着せていらっしゃる方を見かけて涙しました。ユノアのドレスが欲しかったけれど、りえこさんに「ユノアお持ちじゃないでしょ」とたしなめられ、金欠だったので思わず、りえこさんにカードで買い物できないですかあ!?と無茶を言って困らせてしまいました。ごめんなさい…m(_ _)m
実は私が今一番欲しいのはMSD少年の服なのだけれど、ちょっと探しきれなくて。でも、悔しいのでリカ以外にこれは素敵と思うドレスを2セットゲットしてきた。家に帰ってしみじみみたらやっぱり素敵で。だからよかったかな〜。
大急ぎで帰宅して家族と合流。ハンバーガーだけで空腹をしのいですぐに娘のバレエのレッスンに付き添う。終わると夜でした。でも楽しい一日だったかと。
宇山さんドールの実物を見られたことがよかったかな。お姫様ドレスの子がでたら買いましょうと決意。最初の子は…うーん、スルーするかも。
セキグチから販売されるmomoko も見てきました。なんとなくちょっと今は違う気がするのだけれど、まあまだまだ期待の余地は十分にあると思うので。
某のSDを類似した商品の持ち込みは禁止ということになっていてつまらないなあと考える。ぜひ韓国キャストドールも見たかった。可愛いチビッこちゃんはいましたね。初めて見たけれどとても可愛かった。欲しくなると困るワ、お高い子なんですもの。

夕方、オットが財布をなくしたと騒ぎだす。それには家の鍵と免許証がついているという。それで私も真っ青に。どちらか一つだけならまだいいが両方一緒ではもう、家に強盗になり難なりはいってください状態ということになるじゃないですか。住所がばっちり判った上で鍵がついているのだから。我が家の鍵は特別なもので、すぐに付け替えるにも1ヶ月かかるのでくれづれも気をつけるようにと建築時にメーカーさんに言われているのだ。チェーンもついていなくて、ドア自体が半開きでロックできるようになっており、家の鍵で解錠できる。鍵をもたれていたらどんなにこちらが中から戸締まりしていても、あっけなく開けられてしまう。SECOMもへったくれもない状態だ。
この財布は数時間後、車の後部座席から見た前の座席の後ろのポケットからみつかる。見つけてみればな〜んだ、娘が大事にしまっておいてくれたのね、という程度の話であるが、その数時間の心痛といったらなかった。大変なストレスだった。それにしてもオットのなくしものの多いこと。一緒に心配してくれた義妹と犬を飼ったらどうだろうということになる。それでオットがなくしものをしたら臭跡をたどって探してもらうのだ。すごく働き者の犬になりそう、きっと嫌気がさして家出するだろうね、なんて言い合う。これのおかげで本日はぐったり疲れて締めくくることに。むき〜!

   

   



通販のフェリシモで買ったはたき。
PCまわりに置いておくと便利。
なにより可愛いので家族全員のお気に入りに。
持ち手が木でペイントがラブリー。
各コーナーにあると便利みたいなので、もう1個くらい買おうかな。

2004年11月13日(土) 
 珍しくオットが疲れているので家族のんびりの土曜日になった。とは言っても子供二人にそれぞれの習い事があるのは相変わらずだったのだけれど。
 午前中ゆったりと家族でくつろいでいたら家が揺れる。地震!?と緊張。舌から突き上げるように揺れる。それが数分置きに何回も。かなり怖いと本気で青ざめた。これは大きな直下型地震が来る!?…がいくらテレビを見ていても何もテロップが出ない。なのに食器棚が揺れ、照明が震え、小さな飾りが倒れるほどの揺れ方を家がする。怖いなんていうものではない。オットが外を見てくるというのを私もついていった。子供達二人の手を握りしめて。外ではのんびり水道工事をしていた。住宅街は落ち着いたものである。まさかこの工事のせい?たしか一昨日は我が家の斜め前をものすごく深く掘っていたけれど、その時はなんともなかった。今日はむしろその時より離れている。怖い怖いと思いながら家に戻る。また何回も揺れがくる。地震の報道はない。数分後、工事がおわった。家は静かになった。マジ〜?こんな経験初めてです(T_T)

運転ができない私だが(免許は更新したけど)ドライブは好き。ドライブしながら聞く音楽は最高で、普通に好きなアーティストのCDを丸々聞くのではなく、あれこれ編集しておくのが好きである。私の青春のメロディものなんかはオットも懐かしさに泣く。男性ボーカルと女性ボーカルとわけて作っているのだが、今、女性ボーカルものを新たに編集中。今日、大量にCDを借りてきた。が、どうしたことだろう。山下久美子のCDが置かれていなかった!彼女の「星になった嘘」という曲が大好きなのだ。実家にはLPでこの曲が入ったアルバム「BLOND」があるのだが…。あとポンキッキーズという昔はやった番組の中で鈴木蘭々が歌っていた「キミとボク」という歌も好きでぜひ私のベストの中にいれたいのだけれど、これもみつからず。執念で探そうとはおもっているのだけれど。
私のセレクトは突拍子もないらしく、オットは時々「お前、こんなのが好きだったの?」と驚いている。オットが好きな女性ボーカリストは中島美嘉と宇多田ヒカル。オットに敬意を表してもちろん1曲ずついれましたとも。

これからオットと借りてきたDVD「王様と私」を見る予定。

   

   



高いと思いながら欲しくて、つい買ってしまったスズランの鉢植え。


大好きな高橋真琴先生のお姫様の絵にはいつも
スズランの花がとんでるんですよね(^^)

2004年11月12日(金) 
 朝からあまりにも景気よくジャンジャン雨が降っているのを見て昨日、庭の華にお水をあげるのを忘れていたからちょうどよかったな、なんてのんきに考えた。
息子の園に送って行く時にはもうほぼやんでいて、彼を届けてからホームセンターに立ち寄った頃にまた雨が降り出す。
ホームセンターにはモッコウバラを買おうと決めて行った。ここ数日考えていたのだ。
門の脇に植えようと、ピンクのアンティークローズ、つるばらの苗木を買ったのだけれど、そのときにモッコウバラも欲しくて、でも猫の額だから植える場所がないし、とあきらめたのだ。でも忘れられない。やっぱり買おうと決意。が。言ってみるとまた気持ちが揺らぎ、並んだ鈴蘭の花が可愛くて鉢を一つ購入。紫と黄色のコンビになっているビオラも3鉢買ってきた。モッコウバラは再度考える。
やはり私には背中を押してくれる人が必要かも。オットがいいと言ってくれると、モッコウバラもなんとかなるでしょ、とあっさり買えるのだ。いや友達でもいい。でも今日は誰もホームセンターには来なかった…。クリスマスっぽいガーデンアクセサリーも買って帰宅。

編み物がしたいので毛糸を買いに行きたいと思う。綺麗な淡い色のモヘアをふわふわ編んでみたい。すぐにも手芸屋に駆けつけたくてたまらなくなった。でも今日は忙しいのだ(>_<)
息子をカウンセリングに連れて行った。大変良くなっていると先生に喜ばれる。自閉傾向をできることなら修正すべく、色々手を尽くしているのだけれど、最近それが功を奏してきているような気がする。喜ばしいと同時に、最近は自閉症というか公汎性発達障害と言われる人の話を多く聞くことで胸が痛い。息子のようにしゃべることを極端に嫌うタイプだとまだ判りやすいのだが、逆に大変言葉が流暢な自閉症児というのが身近に多くなっている。親がその障害に気がつくことが遅くなるケースである。そんなお母さんの話をきいたり直接話したりするうちに、本当に子供を見守る辛さ、いや、子供を授かり育てて行く辛さを思う。みんな大切に子供を見ているけれど、肉体的な病気や怪我にはすぐに気がつけるし、心のケアにも気を配る。けれど脳内の先天的な異常であるものを、そうだと認識する事自体が難しいのだ。最初に認めたくないという気持ちが強く働くのはどうしようもないことだし。親御さんが認めないので普通の子として学校に通っている子がいて、でも親御さん以外の周囲の人間は皆その子をある種の障害があると感じている。誰言う共なしにもう病名が定着してしまった。むしろ我が子の方がまだ人に普通だと思われている。私の認識が早く、園との連携がうまくいっているおかげである。
息子は急に大人びてきた。瞬間の、あまりの少年らしさに時々ハッとして見とれてしまう。そして頼もしくなってもきた。愛すべき男として成長していて、愛嬌も身に付いてきた。人との垣根が少しずつではあるが確実に低くなってきている感じである。同年齢の友達より年上の相手を好む。落ち着いた物腰で暖かく接してくれる大人だともっと好きである(誰でもそうか)
息子の成長を嬉しく、カウンセリングの先生と確認し合ってうきうきと娘を迎えに行く。最近娘も好調。輝くような笑顔で学校から出てきたのを見てさらに嬉しい気持ちになる。いつのまにかお友達もたくさんできたようだ。
でも家に帰るとくたくただった…。まだまだこれから体操教室に出向く。根性!

やはり人生は何事も気合いですすむもののようだ。やるべきことをやって、区切りをつけて、それからぐて〜っとだらだらすることを楽しむ。そんなメリハリのある人間に私はなりたい。

   

   



米国のMAハッピーミールとは比べるべくもないですが、
それなりに今回のプーさんのおもちゃは可愛いです。
小さな子供が大好きな、ゼンマイ式。

2004年11月11日(木) 
 やっとアナイス2をアップできたので、今日はそれでかなりホッ。不器用ものなので、かなりの時間をかけてああでもないこうでもないと呻吟したわりには、たいしたページになっていない。でもそれが愛嬌ってもんだよね、と自分で納得。時間があれば次回更新分の写真も撮りたかったけれど、明日その機会をうかがうことにする。
今週は意識して誰とも約束をいれないようにしてみた。そうしたら今週だけで2回くらい更新できるかも、と思ったのだけれどうまくいかずガックシ。時間があればあったでいくらでも洗濯してしまい、アイロンをかけ、掃除をし、棚の中を整理する。衣替えをして喜び、庭は猫の額ほどなのに手間と時間がかかる。そしてPCの前に座ればいくらでも無限にネットサーフィンし続けられてしまう…。
やはり何かの強制力がないと私って駄目な人間のようだ。しおしお。
どうしてそんなに更新したいかというと、部屋の整理のためである。
私の部屋は「倉庫」と呼ばれオットの心痛の種になっている。
彼は家中いたるところがすべてオシャレでなくては許せないのだ。いくら私が自分の部屋の自由を訴えても聞く耳を持たない。
私は自分が将来「この人形ってどんな風にパッケージされて売られてたんだっけ?」という些細な疑問も気にする可能性がある場合に備えて、ほぼ買った状態から開封していくのを写真に収めておきたいと考えている。
なのでいくらオットが飾るスペースを用意してくれても(このあたり、優しい人だと思う。食玩用の棚もよく作ってくれるし。いや,自分も結構好きだからかもしれない。むむむ)はい、そうですか、とすぐ飾るわけには行かないのである。
時節を考え,自分の気分のノリも考え(これが一番大事)、丁寧に写真に撮って(老後の私のために!)記憶するようにページをつくってからでなくては、人形も玩具も飾れないのだ。が、ご存知のように私の好きなものはどんどんどんどん、すごい勢いで新しいものが登場してくる。このスピードの方が私の整理より全然早いのである。なので買うだけ買っては部屋に積んでおく。ハイ、倉庫のできあがり。
ここをすっきりしないと年が越せない。なので怒濤のように更新したいと思うのであります。

 年内に決めたいあと一つのことは娘のピアノのこと。いや、これは息子もかな。習う先生を決めなくちゃ。本当は息子の幼稚園の先生に習いたいのだけれど、なにしろ人気で予約いっぱい。我が家も長く予約待ちしているのである。その間に,ピアノを先に買わなくちゃ。私もオットもYAMAHAのピアノで育ったクチなので、なんとなく今回もそこで買う?という雰囲気はある。オットのこだわりは色で、白、できれば微かなアイボリー、私のこだわりはスタイルで低めで猫足のもの。色は今は自在に塗れるそうだが、塗装費用だけでほぼ20万円との見積もりだった。我が家の近くの音大を出てピアノを3台所有している友人のお気に入りがアメリカのスタンレー社のもの。素人が聞いても素敵な音だし、スタイルもよかったなあ〜。
でも、子供達が本当に才能を開花させるまでは電気屋さんで買う電子ピアノでいいんじゃないの?という意見も捨てがたいのだ。塗装費用で買えるしねえ。

あ、年内と言うともう大掃除の季節だわ。ずっと窓のサッシの汚れに気付かないフリをしてきたのだけど、もう限界だわ〜(T_T)

   

   



またまた更新できず(T_T)

2004年11月10日(水) 
 可愛いと思っていたマクドナルドのハッピーセットが明日で終了なので、今日とりあえず息子と二人で夕食代わりにマクドナルドにはいる。娘がバレエのレッスンを受けている時間である。たまに食べるとやっぱり美味しいハンバーガー。
この夕方と今日の午前の体調の違いは雲泥の差で、何事もなくこうして息子とマクドナルドにいられることさえ幸せに思う。大げさと人に笑われるかもしれないけれど、私はやっぱり薄氷を踏む思いでいる。
 夜明け前から頭痛で目が覚めた。まずいなあと思いながら体を意志の力で引き上げるようにして起きる。寝室から居間へ移動するにもふらふらとしてどうにも気持ちの悪い吐き気と目眩が襲う。偏頭痛がひどい状態だとこうなる。肩がバンバンに張って固く凝っているのが判る。
オットに言うとまた憂鬱な顔をされるなあと思うから黙って耐える。子供達にもなんとか普通に接して送り出す。
その足で整骨院に行った。肩をもみほぐしてもらう。ものすごく気持ちいい。その直後はかなりよくなった気がした。
宝くじ売り場の前(笑)で園の友達に会い、お迎え時間まであと少しだから(水曜日はお弁当がないので,早い)一緒にお茶していようとミスドにはいる。
お変わり自由のアメリカンの熱さが嬉しかったしドーナーツも美味しく、ポンデライオンのスケジュール帳ももらえたからご機嫌、会話もはずんでかなり面白い情報も聞けたし、精神的になんにも憂いがなかった。絶好調だった。そのはずだった。
なのに突然ドーン!!と恐怖がこみ上げてきたのだ。心拍数があがり過呼吸がはじまる。あまりにもよく知っている、けれど決して馴染みようがないパニック障害の発作。その病気のシステムも、とどのつまりなんでもないんだということもよく判っているのに、どうしても自分の気の病をセーブできない。
でも友達の前で醜態はさらせないというセーブが私にはまだできる。(それゆえ、医者には大丈夫、強い薬はいらないと言われるのだが)
操り人形を動かすように自分を動かす。すっと恐怖が引く。が消えていない。心のそこにひそんでいる、死への恐れが。今もしかして自分は心臓発作をおこしつつあるその過程なんじゃないか?脳溢血の前兆なのでは?ひたすら、やくたいもないそんな不安が胸に残っている。そう思うと手足がしびれ、何より舌が痺れたようになるのが私には一番怖い。そのまま舌が喉に落ちて、最終的には窒息してしまうのではないかとまで思ってしまうのだ。
園に行き、笑顔で人に挨拶をかわす。その瞬間,恐怖は低いさざ波状態で残っている。これはまずい。息子を連れて家に帰って数時間過ごすというのは,家で一人でいるより怖いのだ。自分一人ならどうなってもいい。でもそばに何もできない子を残して意識を失いたくない。(私はまだパニック障害で失神するところまでになったことはないが、かねてよりそうなることも珍しくないときいているので)普通に笑顔さえ浮かべながら息子に昼食を出し、携帯電話を手に取る。手がぶるぶる震える。オットの声が聞きたい。彼の無頓着な、日常生活そのものの声を聞いたら、この非日常的なパニックが心から消える気がするのだ。が、どうしてもつながらない。大事な会議、あるいは商談中はきっちり電源を切る人なのである。留守電に涙声を残すのも嫌だ。あとは私が思い浮かべられるのは、日頃接する誰彼よりも母、遠くに住んでいるけれどどうにも一番我が儘を言える母だけだった。
幸い母は在宅で、素直にありのままに自分の今の恐怖を伝えることができた。母は病気フリークである(苦笑)なのですぐ理解してくれる。最悪、醜態をさらすことになっていい世界でただ一人の人間でもある。
私は薬でさえ怖い。世界中の誰にでも有効な薬でも,私にだけ毒なのではないかと本気で怯える気持ちがあるのだ、笑っちゃうけれど。
こうなるともうとにかく、何もかもがむやみやたらと怖い。その気持ちを訴える。言いながら、ソラナックスという軽い精神安定剤(乳児に授乳中でも飲んでもいいと言われた)とバファリンを2錠飲む。しばらくこうして電話を続けているから,私の反応がなくなったらオットに連絡して、という。母らしくせせら笑うこともなくまじめに相づちを打ってくれる。
その瞬間、母にとても感謝した。母の子として生まれてから文句はいっぱいあるのだが、それらすべてを水に流してもいい、と心から思った。
ここ数年の辛かったあれこれとぽつぽつと母に話した。もちろん母はほとんど知っていることではあるがうんうん、と聞いてくれた。そして今は一時的にせよ、とても楽な気持ちでいることを。でも日常の、ある日突然人に降り掛かる信じられないような悲劇に、他人事と思えず共感し,明日は我が身かと怯えてしまうことを話した
。昔はあんなに怖いもの知らずだったのに、まるでそんな風だった私を罰するかのように,何かが私の中に恐怖を植え込んでしまった気がすると。
20分後には、頭の痛みが引き肩の凝りがほぐれ、動悸も目眩も嘔吐感も消えていた。
悪い夢から覚めたように、私は大きく安堵して電話を切り、部屋を片付けて息子と遊び、娘を迎えにいって二つの習い事を回って一日を終えた。

母は、「私にもできかねてこの年まで来たことだけど」と言った。
人を許さなければ、と。
怒りを感じる人が数人いる。私の真似ばかりしているある女性のこともそうだ。私から視線を外さないくせに、さも気にしていなかったから何も知らなかったというふりをする。だから私のやることをなぞっているように見えてもそれは偶然なのだと。また真似してるよ、と教えてくれる3人がまたその人がかなり仲良く信頼してる人達だったりして、そこにまた人間不信をも感じるのだ。その人達はその人達で、熱心に私に友情を示してくれるし、その気持ちに嘘を感じないからなおさら私は不思議である。
「ま、適当につきおうとったらよろしいがな」
と母が言う。そう、それしかないわなあ。
あとオットへの怒りね(-_-)休暇中私を見ていて「お前忙しいなあ!」と感心していたから少しは判ってくれたのかと思っていたのに、平常通り勤めだすとまた、自分も手のかかる大きな子供になる。
「自分で選んだ人やからしようがないなあ」
嘆息まじりの母の言葉にうなだれた。それでも自分がピンチのとき、やっぱり真っ先に顔を思い浮かべる人だもんね。

   

   



今日もまた、友人から誕生祝いをもらいました。
ずっと製作に励んでくれていたらしいのです。
バラの香りが大好きな私のために、
バラの香りのポプリポット。

2004年11月9日(火) 
 絶対に更新すると決めて朝起きる。すべてのしがらみを断ち切るようにして家に帰宅。
で、つくづく思うが私って本当にテンションをあげるのが苦手な人間でもあるんだな〜、って。
好きなことをするのにさえまずは気合いがいるのだ。特に、大好きなアナイスを撮るという行為が,自分へのプレッシャーになっているようである。
でも不思議なものでいつもお人形さんが助けてくれるのだ。
ああか、こうか、とかなり悩みながら撮っているうちに、人形は自然に光をまといだす。SDは特にドールアイの美しさが命。光に透けたその瞳の色が綺麗にとれたら私にとっては会心。
アナイス2は朽ち葉色の瞳が大変美しい。
私は最初、アナイスなんだから茶色い瞳がいいと思っていた。いつか変えようと思っていた。でも当分はこのデフォルトの色を見飽きるまで見つめていたいと思う。大人の女性に変身してしまったアナイスにも抵抗があったのだけれど、女らしいばかりではないアナイスのすっきりと清冽な面影にとても惹かれた。
本当にこのヘッド、フルチョイスオリジナルの中に加えて欲しい。そうしたら絶対少年アナイスを作るのにな。
 かなり興がのってきたところで歯科医を予約した時間になり、ため息をつきつつ出掛ける。程よく混んでいたので嬉しい。いつも最新の週刊誌が数冊揃えてあって普段ワイドショーを見ることができない私には物珍しいことがいっぱい見られる楽しみがある。韓国芸能人についての特集記事に読みふけっていたら、中から出てきた人と目が合う。知り合いである。お茶したりするほどではないが、二人の子供が小学校(こちらは同学年組違い)下の子が園(こちらは学年が違う)でご一緒であり、子供達が所属している地域班が一緒、というお母様だ。にこやかに挨拶をし、当たりさわりない世間話をしてお別れ。先生と奥様が知り合いだったんですか?となぜか驚かれる。はあ、とつながりを説明すると感心されることしきり。実は先生ご夫妻の一人息子さんが私の息子と同級生で、違う幼稚園に通われているもののそこにも友達がいるのである。子供が二人いると、広いようで狭い社会の中ではかなり密接に、ものすごく交友関係がからまりあう。
友達とも話し合うのだが、一人っ子と二人以上子供がいるのとでは当たり前だが社交の数が倍になるのだ。最終的にはそこに甥、姪もからむこともある(>_<)。
そうこうしているうちにまた知り合いが来た。歯医者の先生に感心される。
なんか私、レイチェル・リンド婦人への道をまっしぐらにすすんでいるのでは…。っていうか、この地域プリンスエドワード島のノリに近くなってきた。
実は知り合いなのは子供ばかりではない。近所のお年寄りはもちろん、子供達の祖父母まで近くに住んでいる方ならお知り合いになる。よく行くお店は当然ながら、毎日会うスーパーの店員さん達、病院の看護婦さん達、最終的には地域担当の宅急便の運転手さんたちともほぼ顔見知りで,街角で声をかけてもらう仲である。うっかり、夫婦喧嘩しながら歩けないなあ、とそれが悩みの私である。(しなきゃいいのに…)
午後、小学生の娘とその友人数人を習い事先に送ろうと思っていたら,友人が車に乗せてくれた。大変ラッキー。が、車に乗っていてもすれ違う車何台かに知人が乗っていて、表情と手振りで挨拶しつづけることに。
でも今日会った人達はみんな名前が判っているからよかった。
実は。1年半以上前から知り合いなのに(つまり息子と同じ園なのよね)どうしてももう名前を聞けない人達がかなりいるのだ…母も名札をつけて欲しい。出来れば子供の顔写真入りで。

大昔から大好きなサイトさまで素敵な編み物の本をご紹介になっていて、欲しくなった。BBSも閉じられたその方にはいつもなんとなくお話したいのにきっかけがない。思い切ってメールを送ってみようかな。返事が欲しい訳ではないのだ。本当にただ、お元気ですか?って言ってみたいだけなんだけれど…ご迷惑かな〜と悩む。

   

 

   



昨日つくったリース。
材料合計¥400。
中央のリボンは
誕生日に友達が焼いてくれたケーキのラッピングに使われていたもの。

2004年11月8日(月) 
 忙しい。おかしい、なぜ!?
そんな思いがぐるぐるとかけめぐる。午後3時になってやっと昼食にありついた時のことだった。

オットの休暇がおわり、平常通りの毎日が始まる。まずは月曜日は習い事がないので、私にとっては祝福である。のんびりお人形の写真なんかとれるのを楽しみにしていた。が、小学校の委員会があった。ちぇっ。
午前10時に集まって白熱のミーティングが終了したのは午後1時。息子のお迎えは1時20分で、学校から園まで10分である。途中で人に会って立ち話する予備時間を含めてギリギリと言ったところ。ダッシュ!案の定、知人に会う。でも同じ園の人だから主婦検診の話などしながら歩く。40歳になったばかりの彼女は初めて40歳検診なるものを受けたそうだが、眼底検査時に刺された2種類の目薬のおかげで目が霞み、道路の白線がまぶしくてまともに歩けないというので大層びっくり。背に腹は代えられないので家にあったサングラスをかけて歩いているのだという。そう、その紫のフレームのサングラスにまずびっくりしたのだ。どうしよう、私はサングラスを持ってない。私も近々うけるからその用意をしないとなあ、と考え込む。
息子を拾ってまた学校へとって返す。娘は本日4時間授業なので1時30分には授業が終わり、その10分後にはでてくるはずなのだ。猛ダッシュ!空きっ腹で辛いよぉ、と半べそかいていたら哀れんだ友人がキャンディーをくれた。大変ありがたかった(^_^;)そうか、いざという時に役に立つからキャンディを常備しておくべきなのね、と実感。
娘も無事に回収してほっとして,スーパーで買い物して帰宅、買い立てのお惣菜を口に運ぶ時には原始的な嬉しさで手が震えたよ(-_-)
しかしお腹を満たしてふと顔をあげると、もはや部屋には夕暮れを感じさせる陰が広がっていた。とても撮影なんかできにゃい!
なので、わびしく掃除機をかけ(うるさくてテレビの音が聞こえないと娘に文句を言われる)しおしおとアイロンをかける。あああ。こんな風に年をとってていいのか、私!?
有意義なことをしようと、針と糸を用意。小さい子のドレスの1枚も縫えば、それで今日は十分に素晴らしい日になるのだ。たとえどんなにヘボな腕でも。
が。絶え間なく電話のベルが鳴り続ける。
次から次に子供達のお友達の母たちからのお電話が。委員の仕事や娘の交友関係上、大切な方々なのでめいっぱい社交。疲れたところへ子供達の空腹を訴える声が。義妹のところへ遊びにきている義母がお刺身を持ってきたと届けにきてくれる。
気がつくと日がとっぷりくれている。
もう何をする暇もない。家事と言うルーティンワークに無限に巻き込まれて行くだけだ…。

でも、11月のカレンダーは10月ほど真っ黒に書き込まれてない。だから私はうきうきしている。そこへまた電話が。珍しく仕事かも…。
11月の祝日がひとつ潰れたことを喜んでいいのか、悲しんでいいのか判らない気持ち。

   

   



先月、書店で見かけてうっかり立ち読み、思わず買ってしまった雑誌。
ゴスロリ服を手作りしましょう、というものです。
お人形好きな人ならきっと一通りは見て楽しめると思います。
私がこれをレジに持って行った時、対応してくれた若い女性店員さんが
とても心配そうでした。
不安がらなくても私は着ませんってば。
そう言いたかったです(言えばよかった)。

2004年11月7日(日) 
 娘はタートルネックセーターを着せると
「あ!チュンサンの服よ♪」
と喜び、今や町中のあらゆる広告媒体にその姿を見せている氏の写真を見ると顔を輝かせて
「あ!チュンサン!!」
と喜ぶ。間違いなくもうすっかり冬ソナフリーク。我が家としては意外な展開であった…。夜毎眠る前に寝室のテレビで冬ソナが観たいとせがみ、じゃあ昨日の続きからねとつけると怒る。オープニングテーマが大好きなのである。それを聞くと安心して話の序盤で眠ってしまう。なので、娘の頭の中では冬ソナの物語の進行は途切れ途切れになっているはずである。が、人間というのはすごいもので、7歳の娘にはもうそれなりの物語としての蓄積があるのだ。主にディズニーの長編アニメで培ったものであるが、単純な三角関係の物語を理解しドキドキはらはらするらしいのである。でもいたずらにサンヒョクを憎まず「こんなに好きなのに,可哀想…」とも呟いたりするので親はぎょっとする。書店で冬ソナカレンダーをみつけたので娘を呼んで見本をぱらぱらめくったら、やはり「チュンサンとユジンだけだわ〜、サンヒョクは呼んであげないの?」と気にするのであった。面白すぎる娘。

 本日の私の目標は家をクリスマス仕様にすることだった。白いクリスマスツリーをだしてみるとショック。黄ばんでいるじゃないですか。とほほ、これって漂白可能?でも子供達は大喜びで飾り付ける。
その傍らで、私は数日前に100円ショップで買い求めた材料を組み合わせて、門につけるリース作りに専念。風雨にさらされても大丈夫な素材を選んだつもり、惜しげのない価格におさえたつもりである。出来ばえには自己満足。でもオットも子供達も褒めてくれたので気をよくする。ハロウィンツリーだったミニツリーをクリスマスモードに着替えさせ、100円ショップのほりだしもの、トナカイツリーと並べて玄関ホールに置いき、クリスマスの小物をあちこちに飾ったら一気に気分が盛り上がった。…暖冬ですけどね。
4年前、福岡に住んでいた時に素敵なクリスマスリースとの出会いがあった。それが白と淡い上品なピンクと銀だったので、以来我が家のクリスマスカラーはそれになっている。
白と薄ピンクと銀。
バレエでいうと、眠れる森の美女のイメージかな?あれは銀ではなくて金でしょうか?

さて、今日はオットがいるので息子を預け、ゆっくり娘のバレエ教室に付き添う。至福。バレエを習っている子供達の様子を見るのが、楽しくて仕方ない。最年少の子のあどけなさには頬が緩みっぱなし。3年前、娘が始めたばかりの頃を思いだす。娘の一挙手一投足に他のお母様方が喜んで手を叩き,褒めてくれた。あどけなさを愛しんでくれた。あの一瞬の思い出を持てただけでも、母親冥利に尽きる思いがする。

 初めての妊娠は不孝な結果に終わったけれど、ずいぶん経って授かった娘はすくすくと順調にお腹の中で育って行った。
私はここでも悪運強くて、なんだかよくわからないうちに、かなり有名な先生に担当していただく成り行きになっていたのである。
当時、不妊治療のために大きな医大付属病院に通っていたのだが,私はそこの雰囲気に好感を持てなかった。集まる患者さん達の表情はまるで宗教団体に心酔している信者のそれと同じに見えた。ここで初めて私は、大病院ならともかく大丈夫だと盲信し、多少理不尽を言われても冷遇されても、頭をさげてでも診てもらいたいと願う類がいることを知り、それに共鳴できなかった。
大事ではないが私にはどうしても筋が通っているように思えないことを言われたのがきっかけで、病院を移る決意をする。(後にこの病院は有名な患者取り違え事件を起こして、世間を震撼させる)
その成り行きを、次に選んだ病院でおずおずと受付で訴えたところ、誤解をされたようなのだ。医大付属病院からの紹介で、難しい患者さんだと。
それでその病院の産婦人科で一番の権威の先生の担当にスポーンと入ってしまったのである。
後に、全前置胎盤ゆえの長期入院をして知ったのだが、その先生に診てもらうためには遠く千葉や茨城から、つてのつてのそのまたつてを頼って紹介状を拝み倒してもらい、やっと診てもらえるようになったという人達がたくさんいたのである。
が、かなりの人が拍子抜けしていた。なぜなら普通の安産なお産では、その先生の腕のみせどころがないからであった。
みんな大丈夫なんだから、きっと私も大丈夫よねとのんきに他人事として傍観していた私は、運命のいたずらで病院に緊張感を走らせるかなり危ない出産をする。誰に対しても相当怖くて厳しい副婦長さんが(お産が辛かったという産婦さんたちに『何言ってるの!あなたなんか超安産よ、まさに犬なみよ!とすごい剣幕で言っているのをいつも私は横で聞いていたのだ)、後に一命をとりとめた私の手を握って、
「あなた、助かって本当によかった。本当によく頑張ったわ!!」
と涙ぐんだので,私も、(私ってそんなに危なかったんだ!)と認識してびっくりした。そしてどの看護婦さんも口々にこっそりと
「○○先生でよかったわねえ。でないと、どうなっていたか…」
というので、ますます後で怖くなったり,自分の悪運に驚いたりしたものである。

そんな危ない橋を渡って苦労をして(生まれた後も一筋縄ではいかない娘であった)授かった娘がくるくるとバレエする姿。感動もひとしおでも仕方ないでしょう。

   

 



スーパーで売っていたクリスマス飾り。
大きめの鈴に硝子の頭部がつけてあって、
見た目も音も可愛いのです。
1個290円くらい。
たくさんの人が手に取っては二つずつくらい買っていました。
私もご覧の通りです〜。

2004年11月6日(土) 
 引っ越してきてから2年近く経つねという話をオットとしていて、もっとLDKを広くできないかというテーマになり、結局朝から汗をたらして模様替えすることになった。
昨夜、『サウンド・オブ・ミュージック』のDVDを観て、とても感動し本当に鳥肌が立ってしまったのだが、その余韻が妙な形で残っていたのか、日頃は午前中低血圧でとても使い物にならない私が、オットの口車にうまうまとのってしまったのだ。
もともと狭いのだからとあきらめていたのだけれど、やってみると案外行ける。適当にはじめたことが夫婦で互いにアイデアをだしあい、意気投合して家具の配置を変えてみるのはかなり楽しいものだった。一見、大胆すぎる!?というような案も二人で検討すると理にかなってるね?ということになり、動かしてみてぴったりハマった時の嬉しさ。
そして以前より広めの空間を確保した時の喜びは大きい。この連休中で2番目の達成感である。(1番は琥珀が来たことです)
子供達も大喜び。家事動線スムースになって私もいい気分である。
で、すっきりしたところで、気をひきしめる。
本日は息子の幼稚園での個人面談日だった。本来なら生年月日順に、20分と厳粛に定められての面談であるところを、6月生まれであるにもかかわらず最終日最終時間に調整してもらい、できればお父様も…とのことだったので、オットにもくれぐれも失礼のないように言い含めて出掛ける。
問題のないお子さんだと、20分ですら時間が余るというが、我が家は6人分くらいお話をさせていただいたのだった…。
再認識したのは、息子は幸せな子だということ。人生で最初の社会で、こんなにも暖かく、愛と理解をもって受け入れてくれる園と先生方にめぐりあえた彼は、稀な幸運を持って生まれてきたのだと思う。
どんな子も、愛をうけて育つ。愛に守られて、目に見えない輝きを帯びながら生きている。それはきっと天使の翼のようなもので、あるのとないのとでは人生大違いなのである。だからこそ親は率先して愛してあげなければいけないのだけれど、親の力だけでは足りないものもある。鉢植えの花もそのままでまとまって美しいけれど、花壇に植え替えるともっとのびのび美しく咲くような感じかなあ。うまく言葉で言い表せなくてもどかしいけれど、子供の成長はそんな感じだ。両親だけでは世界は鉢でしかない。他のさまざまな人からの愛を受けて初めて、子供は広く世界に自分の命を根付かせて行くもののように感じる。
息子は、昨年度できなかったこと、興味をもてなかったことがたくさんできるようになり、新しい世界に開眼した。それは私がどんなに溺れるように息子を愛しても、私の力だけではなし得なかったことだ。息子に、父母の愛とは違う親愛があることを根気づよく教えてくださった先生方、息子ばかりか私たち家族全員のことを気にしてくださるそのお気持ちの深さに感謝し、岐路に立った時の怖さを思う。
もしかしたらこの園にははいらなかったかもしれなかったあの時の迷いと決断。人の運命はそんな風に別れて行くものなんだなあ、と。
 生きて行くということは、毎日、なにかしら決断していく、ということである。私が常にだるくてぐったりしているのは、その決断に疲れているからだ。
でもこうしていい出会いを導く決断をできたことで、少し自分の人生への自信も湧く。だから本当に広い意味でありがたい。
孤独で切ない育児のトンネルを後ろにひきずるようにして障害ある子供を抱いて登場した私に、暖かい手をさしのべてくれた人達がいたことを、忘れないようにしなくてはと思う。いつか私も、誰かに手をさしのべてあげられるようになれたらなあ、とそれが今は一番の人生の目標である。遠いのは確実だけど。

   



ついに到着しました、私の新しい娘。
我が家の新しい人形姫。
アナイス2こと名付けて”琥珀”です。

2004年11月4日(木) 
 朝、起きた瞬間やはりご機嫌ななめの私。なぜなら、さんざん前触れして楽しみにさせられて、あれもできるこれもできると思い描いたリフレッシュ休暇は、不本意な成り行きに怒り狂ったまま、結局半分以上が終わっているからだ。昨夜結局大澤さんのライブに行けたからよかったものの、それですべてを帳消しにできない、というくらいまだイライラしていた。オットは素早く対策を練り、どうせ余り余って使い切れずに消える有給休暇を、家族の危機回避のためにもう一度数日とるからと約束。今度はいかなる気苦労、労力も私にかけないようにするから(あたりまえだよ!)というので納得。やっと和やかに朝が始まった。
子供達を送り出して、オットと合流しようとしたところで携帯電話がなる。友人からかとのんきにだらけきった声ででたら、幼稚園の保育主任の先生だった。思わず背筋が伸びる。息子がどうも情緒不安定な様子でいるけれど、休日の間に何かありましたか?とお答えになる。先生は我が家が熱海に一泊旅行に出掛けたのはご承知である。っていうか過去すべての小旅行はその都度把握してくださっている。にしても、息子が落ち着かない様子だと言う。子供って怖い。それを観察している先生も恐い(T_T)ずっと夫婦喧嘩してたんですと正直にお答えしても今度は先生がお困りになるだけだろうと思ったので、やはり息子が繊細で枕が変わるのが嫌だったようですとお答えする。それだって半分は本当だし。
頭をかきかき先生に謝ったりお礼を言ったりして電話を切りオットと合流。一路府中へ。初回更新者の講習は2時間だと聞いてガックリ。仕方ないので午前いっぱいうけ、やっと新しい免許証を受け取った。講習では悲しい、いたましい事故についての話をたくさん聞き、3件の実例に寄る被害者の生の声を聞くビデオを見て落涙。周りはほとんど21歳前後の若者ばかりなのだが、私くらいの年齢の人もちらほらいて、やっぱりみなさん涙をぬぐっていた。
 オットと息子と一緒に久しぶりに焼き肉ランチ。穴場のお店を見つけてホクホク。安くて満腹になれる、当然おいしい。いいなあ。なのに、混んでないからそれが嬉しいんだけど心配。どうか潰れませんように。
5時間授業の娘を拾って家族で今度は一路銀座へ!ぶらぶら楽しんで帰ってきたら、アナイス2が到着した。
娘とオットと3人で開封して彼女、”琥珀”の顔を見たとき、ふっと私の中から重い負の感情が流れ出して消えて行くのが感じられた。
ああ、もういいや、って。
オットが確かにとても綺麗だと言ってくれたのも嬉しかった。今まで見たドルフィーの中で一番綺麗かもしれないと。
ちなみにオットはSDのパーフェクトカタログを見て「俺が可愛い、綺麗だと思うのはこれとこれだけ」と指さしていたが、それはキャラ博限定美加と椿でした。やっぱりそういう価値観は一緒なのかしらん??

夕べのライブで大澤氏も言っておられたが、最近のニュースは悲しいことが多い。今日は私はまた胸が痛い。イラクで人質となり殺害された青年の遺体が無事にご家族の元に帰ってきたと言う。
子の親になって身にしみて判った言葉に「先立つ不孝」というのがある。亡くなられてしまった青年に同情する。しかし怒る。悔しい。なんという…あえてはっきり言う。なんという必然性のない死だろう!
「何が起きているのかこの目で見ておきたい」というのは、たとえば漫画やドラマの中なら、キャラクターの一人にでも言わせればかっこいい納得できるような言葉である。が、現実問題、ジャーナリストでも医療者でもボランティアでも他に何か仕事があった訳でもない無謀としかいいようがない彼の入国、そして人質、無惨な殺害という流れの中に、憤りを感じてしまうのだ。ご両親の慈しみいかばかりで彼は育っただろう。どれほどの正義感(?)があり、信念があってなのか判らないが、他人に及ぼす迷惑について考えていなかったとしか思えない。まして親への不孝を。
最愛の子を失う人はたくさんいるでしょう。でも失い方にも色々ある。ひどい。ひどすぎる。息子を案じる恐怖、最悪の事態に直面した悲しみ。無惨な遺体をひきとり、なおかつ「国中の人に協力していただき心配していただいてありがとう、申し訳なかった」と何度も頭を下げられたと言う。そこまでしなければならない、なんていう悲しみ。近年まれに見る親不孝ものだと私は思う。

 



今年一番に買ったクリスマスグッズはこれ。
全長5センチくらいの可愛いクリスマスキャンドルです。
自分でケーキ焼く人なんかが刺すんでしょうね。
最近、私の周りでまた手作りケーキブームが起きているので、
もしかしたら私も魔がさすことがあるかもしれないので、
念のために買ってみました(笑)

2004年11月3日(水) 
 明るく差し込む朝の光で目が覚めた。お天気のよい休日は久しぶりのことのように思う。なのに楽しくない気持ちなので、オットが目覚めた時にはすでに私のご機嫌はななめどころではなくなっている。今までにも時折、夫婦で価値観の相違に寄る摩擦を起こしては話し合い、反省を繰り返してきていい年になった。それでまさか私のための休日といいながら、私に逆に奉仕させるようなセッティングをするとは思っていなかった、私も油断していたのだと思うけれど腹が立つ。オットの両親の前で怒りを抑えようとすると自然、口数が少なくなる。姑が具合が悪いのかと騒ぎ、いつも通り、私の血液型を聞いては驚き(同じパターンを15年繰り返している)私の体が締まってきたという。この二つの話題をまた義母が口にしたらアナタをただじゃおかないからね、とオットに言ってあったので、その瞬間オットが息を飲み、絶望で天を仰ぐ様子をするのが見える。義母はうわさ話と、人が太った痩せたのと批判するのが大好きなのだ。自分はかなり肥満型であるが。
人工的に作られた熱海の海岸は綺麗で子供達はとても喜んで遊んだ。漁民一揆のヒーローだったという平七なる人物の銅像と説明の碑文を呼んでいると義母が貫一お宮の貫一でしょ、と何回も私にたずねる。貫一がちょんまげにふんどし姿の訳がないでしょ。義母は何十年も熱海で仕事をしていた人であるはずだ。めんどくさいけれど無視もできず(育ちの良さがでて悔しいわ)深呼吸して気分を整えてから丁寧に義母に説明。その様子をオットが死ぬほどハラハラビクビクした様子で見守っている。
車で10分、オットの実家によりお墓参りをして家路についた。そこにいたるまでも色々あった。普段は私なりに試練と覚悟を決めて行くが、今回はどうにも納得でき状態で向き合っているので、ただイライラする。
帰りにはオットも、もう自分が幸せになれないことを悟り切っていた。どうしてせっかくのリフレッシュ休暇をこんな風に潰してしまったのか、自分でも訳がわからないと言う。私には判る。オットはいつも私さえ我慢すれば全部うまくいくようにセッティングする癖があるのだ。昔、ホワイトデーに自分が欲しがっていたステレオを買ってくれたことがあった。それがいい例のように思える。
帰宅しても腹に据えかねる私はそれでもなんとか建設的な方向に気持ちが向くように模索した。これがかなり苦しかった。思い出し笑いなら楽しいが、考えれば考えるほど怒りが増す、という心理状態はかなり苦しい。
ふと思い立って六本木のスイートベイジルに電話。大澤誉志幸の今夜のライブ、当日券で見られると言う。あと1時間ですが多少お遅れになってもご入場いただけますよ、と。行くっきゃない!!
18時15分に家を飛び出して、19時2分にはライブ会場にはいっていた。大澤さんが歌いはじめたところだった。最近、CMで使われていたスタンダードのカバー曲。「STAND BY ME」。大澤さんを見、生の声を聞いただけで、心の中の鬱屈した思いが粉々に処分されていく思いがする。また注文したパスタのおいしさにびっくり。飲み物は「クラウディスカイ」という大澤さんにちなんだ特別のカクテルを注文。大澤誉志幸氏はそもそも、この名前のバンドでデビューしたのだ。私の好みからするとずいぶん甘いカクテルだったけれど、でも満足。1時間半はあっという間だった。帰宅する頃には数日ぶりにまるで胆石ができたような(って、できたことがないので想像するとこんな感じかな、ということですが)怒りの重さ、痛さがほとんど消えており、オットがことのほか喜んだのだった。
以後、私と大澤さんの間を邪魔しないように。あ、お人形との間もね!

 



またもオマケ欲しさに買ってしまいました。
ディズニーのおにぎりケース2個に、デザートタッパー1個、
スプーンとフォーク…
冷蔵庫にコカ・コーラ社のペットボトルがゴロゴロしてます。

2004年11月2日(火) 
 小学校の委員会に参加し、息子を拾ってオットと3人でランチ。帰宅後旅行の準備をする。娘を迎えに行って英語教室に送り届け、1夜ではあるが留守にする家の準備をしておく。娘を拾って夕方から熱海へ出発。今日は大渋滞にひっかかることなく、スムースに熱海到着。
オットの両親ともぴったり同じ時間に合流できた。オットの会社の保養所はホテルや旅館並みの綺麗さで、料理もおいしい。サービス面に関してはセルフも多いし、ビジネスホテル程度だけれど、日頃質素に暮らしている両親には十分の豪華さらしく、喜んでくれる。
早速の夕食。ここで忘れてはならないのは、部屋に持ち帰り用のワインボトルなどを注文しておくことだ。急角度の坂を上り切ったところにあるので、あとでお酒が欲しいと思っても買いにいけないのである。部屋にミニ冷蔵庫はあるが、バーはないのだ。
夕食、温泉と順調。
でも私にすれば舅、姑と一緒の休日というのはやはり肩が凝るものなのだ。この秋は忙しくて、昨年ほどでなくてもやはり体調を崩しがちなギリギリの線にいる私に、この苦労な休日を押し付けてきたオットの思考回路に疑問を感じる。
両親と、私たち家族の部屋を別々にとったことに、早速義母が不満を表明したので私はかなり呆れてしまった。義父と私が同じ部屋で、どうやって着替えるの?っていうか、それって義母と一緒でも嫌である。オットを睨みつけるとすくみあがった。いつもオットはこうなってから間違いに気付く。
不本意であっても子供達を挟んで身内でので仕方なく、温泉後に両親の部屋でしばらく過ごす。が、ここでオットが私たちの部屋の鍵をなくす、といういつもながらの大騒ぎを繰り広げる。オットは週に3回くらい、お財布、鍵、会社のIDカードをなくした、と騒ぐ。実際に車の鍵はどこかに落としたきり見つからず、新しくつくりなおした。この生活ももう15年。どんなに置き場所を決めても絶対に常に何かをなくして探している。今夜くらいやめて欲しかった…。
友人達に携帯でメールを送りまくり、ことの是非を問うと皆同情してくれた。
『あんたのだんなさん、マメだけど抜けてる。ズレてるわね〜』
その通りっす。
皆が早々に酔いつぶれ、子供達も眠った時間、一人怒りで眠れず起きて時計を見ると、まだ大澤さんがライブハウスで歌っている時間であろうと思われた。本気で悔しくて涙が出てきた。

   



息子の部屋のスイッチプレート。
2004年11月1日(月) 
 今年も残りきっちり2ヶ月だなあとカレンダーをめくってみて思う。慌ただしいのは相変わらずで、まず個人面談週刊のために息子の幼稚園が今週いっぱい午前保育である。我が園の午前保育とは2時間ちょっとなのだ。それは遠くから子供を通わせているお母様方を路頭に迷わせることを意味する(笑)
 幸い、我が家は遠くもない上に今週はオットが在宅である。気楽に車で送迎してもらって、空き時間を利用して歯医者さんに通い、買い物をする。息子を迎えてランチ。娘を迎えて免許の更新へ。
しかし時間を見落としていたため初回更新の講習は受けられなかった(T_T)また出直しである。11月早々にまたおっちょこちょいをやってしまった。
 せっかくなので、二子玉川に出向いて息子の伸び気味だった髪をカット。我が子ながらほれぼれするほど男前に変身。もしかして女以上に男って髪型かも…。

 新しいナイスジェニー誌が送られてきて数日経つが、やっぱりNJのサヤカは買っておこうかと決心しかかっている。白いゴスロリ、可愛い〜♪
今年の着物シリーズもよくて、たまきとサユリにかなりぐぐっときている。
お人形道楽で今年1年を締めくくるのが、私としては正しい生き方かも。