お医者様のお手洗いの中もディスプレイが。
先生の奥様のご趣味らしいです。

2004年12月22日(水) 

 引き続き風邪ウイルス蔓延中につき、娘は本日も学校欠席。明け方、吐き気を訴えるので心配したけれど、だんだん元気になってきた。
午後、息子の幼稚園に読んで頂いて2時間ほど遊ばせて頂く。
これは本当に、入園以来続けて頂いている、園からのありがたすぎるご配慮のひとつである。息子が園を好きになり、慣れ親しんだ感覚をなくさないように、先生方は休暇中も日直の日を利用して、息子と会う時間をつくってくださり、息子の中で園の記憶が薄れないようにしてくださっているのだ。それが息子のような子にとってどれだけ有効か、私は夏に確認している。
娘の学年で、息子と似た子がいるのだ。その子はだれもが以上を感じているのに、ご両親は頑として認めない。あくまで普通の子として入学させ、通学させているのである。私は毎日不安で、彼女に話しかけ続けた。やがて彼女は私を受け入れ、受け答えしてくれるようになった。大きな進歩であり、先生方にも感心されたのだが。40日間の夏休みを終え、2学期になって声をかけるとまた元の無反応に戻っていた。
普通の子にでも休みは長い。けれど自閉という症状を多少なりとも持っている子の時間感覚はもっと長いのかもしれない。記憶にとどまっていても、それに対する対応マニュアルが引き出しの奥に引っ込んでしまうようなのだ。息子を見ていると、記憶力はものすごく良い。けれど人に対して持つ垣根は彼の感覚ひとつで自在に高くも低くも設定され、一旦高く設定したらもう決して息子の世界とその人とのコミュニケーションは成り立たなくなるようなのである。時間の経過に寄るその遮断を防ぐために、先生方が貴重な時間をお心遣いを見せてくださる。
そのことを思うと、いつもただ泣きたくなる。

ぼちぼちと更新。写真だけ撮っていて、なかなかページを作れずにいたけれどがんばって続けて更新なぞしてみたいです。



お医者様のエントランスに飾ってあるクリスマスツリーが可愛かったのでパチリ。

2004年12月21日(火) 

 娘とオットが発熱。息子も咳とくしゃみで眼をさます。なんと元気なのは私一人である。とりあえずお医者さんにレッツゴー。家族3人の診察をすませ、食品を買い込んできたく。オットは仕事を休めないとヨロヨロ出て行った。息子は起きてみると元気でけろっとしている。娘だけがずんずん悪くなる。夕方には38.6度の熱。カロナールという頓服を使う。昨日から、娘が大好きな「冬のソナタ 完全版」をやっているのを録画して、娘と一緒に見ようと思っているのだ。早く元気になってね。
でもあれ、韓国語なんだよね。字幕スーパーを読むのってちょっと嫌だな。チュンサンとユジン、サンヒョクのうだうだを演じ分けなくてはならない。いや〜ん、普通の絵本の方がいいよう。
幼稚園がなくなった息子は大いたずら大会。私が目を離した好きに私の編み物をほどいた。目の前が真っ暗になり、ついで怒りで真っ赤になった気がした。叱り飛ばし、号泣する息子の姿を見てもなお、冷静になるまでにかなり時間がかかった。それなのにまた1時間後、息子は同じことをする。今度は絶望で頭が真っ白になる。
数時間後には息子の部屋から「ママはやく、はやく〜!ごめんなさ〜い!」という声がする。私が叱りすぎたことで、息子が引きつけでもおこしているのかと駆けつけたらそこには無惨に踏み抜かれた玩具のドラムセットが転がっていた。なんにでも乗ってみるのが好きな息子、調子にのって上でジャンプして踏み抜き、気に入っていただけに自分でもショックだし、間違いなく私に叱られると思って自主したらしい。
あまりの連続攻撃に私はどうしようもなくイライラしてしまい、自分のストレスを発散させる場を完璧に見失ってしまった。
結局、家族を寝かしつけ一人になってやっと、ほっと息をついている状態です。なんだか私、すごく疲れてるし。また目の下のクマの色が濃くなっちゃう(-_-#)

気がつくと一人、床暖房に暖められてリビングに転がって眠っていた。とほほ。



ハッピーミールもお庭でクリスマス気分を盛り上げます。

2004年12月20日(月) 

 冬休みに向けてラストスパートの1週間の始まり。が、息子はもうしっかり冬休みである。そして休みの日の法則に従って早起きするする。おかげで朝のんびり一人で味わうコーヒータイムもない。しかも、あんまり乗り気でない仕事の打ち合わせで外苑前まで出掛けなくてはならず、ベビーシッターさんに彼を預けに行った。でも息子はいつもよりのんびりした朝を過ごし、大好きなお家に遊びに行けるので嬉しそうである。息子が嬉しそうだと、私も嬉しくなり、彼を預けた後はさっぱりした気分で仕事に向かった。行くのに40分、内容5分、帰りに40分。済んでしまえばあっという間のことだった。これで仕事が決まることもあるし断られることもある。でもたまにはやる気をみせておかないと、と思って今日は引き受けたのだった。
息子を迎え、娘を迎え、帰宅して編み物などする。冬は無性に編み物したくなる。そんな時に娘が不調を訴えだした。
来た。また偏頭痛だ。困った、毎月1回、同じことになる。鎮痛剤を使うと20分くらいで治まり、一眠りする。あとでなおったと起きてきたが顔色が悪い。ううん?と悩んでいるとオットが風邪をひいた、とよれよれになって帰ってきた。
家族が風邪を引き出すと、本格的に冬が来たと言う気がしますね、ありがたくないけど。

萩尾望都先生の「バルバラ異界」の3巻を購入。数ヶ月前に読んだときとまた感じ方が違う。より怖く、より悲しく。萩尾先生はもうずっと、せつせつとただひたすら、愛の哀しみと切なさを物語っていらっしゃる。愛するということの執着と絶望、そこから来るゆがみを。そして描かれる母性のなんて恐ろしいこと、浅ましいこと。母達は気持ちが悪いほどに利己的で、徹底してなまめかしい女である。そのことに私は驚愕する。私も今、男の子の母になった。男性の妻になった。娘もいる。そして萩尾先生の漫画を見ると、そこに嘘がないことを知る。驚く。いささか極端に強いコントラストで描かれているものの、母達はみな、磯野船さんみたいな実体のないふわふわした存在ではない。自分の意志希薄にただ家族の幸福を祈ってるだけ、なんていう人はいない。愛する対象に執着し、うぬぼれと絶望の間の激しいアップダウンを繰り返しているのだ。そして自分も女だと主張する。女は女であることを基本的には絶対にやめないのだ。愛する対象が息子であろうと娘であろうと関係ない。
女性、というものの怖さについて考える。私はすべての愛の基礎は母性だと思っているのだが(子供がいない女性でもペットを飼って、お母さんを自称するでしょう。お人形にだってそうだったりするし)、その執着の裏側は相手への愛ではなく自己満足な自己愛なんじゃないかとのど元に切っ先を突きつけられているような気がすることもある。そうだろうか。子供達の寝顔を見ながら考える。
愛するために生んだ。愛されるために生まれてきた。人はみんなそうだから、寂しく、悲しく、優しくて残酷な生き物なのかもしれない。その悲しみから目をそらせない以上、直視しぬいてみようと思っているかのような、いつもながらの萩尾先生の作品である。



アプローチ部分はパンジー。

2004年12月19日(日) 

 そういえば、昨日義妹が「大奥」にのめり込んだというので盛り上がったのだが、オットが一昨日、家光役をした西島秀俊さんにお目にかかったのだった。調子がいいオットは「ツマが大ファンです」と言ったらしい…。仕方ないので、小ファンくらいにはなることにする。たまたま新聞で西島さんが「監督に『家光はとらえどころがない感じで演じて』と言われたのでそうなるようにしました」とインタビューされていて、私はエライ、ちゃんとその通りになってたよ〜、とシンプルに感動したのだった。俳優女優さんはたいていそうだが、オットにきくとやはり西島さんもテレビで拝見するよりずっとずっとカッコよかったそうである。オットを嘘つきにしないためにも、私もあのとらえどころのなさのファンに小さくなるようにしよう。
 忙しいときほど本を読んだり映画を見たくなったりする。昨日の義弟の働きぶりで面目をなくしたオットは今朝からとっておきのご機嫌取り作戦を開始した。朝寝坊をして、ブランチを食べに行こうか、というのである。まあ、いい感じだわ♪と家族全員乗り気になった。私は子供が産まれるまでかなりグルメ三昧な日々をおくって舌が肥えていた時期があり、その後、妊娠出産育児の大波小波にもまれる日々の中で、食事はできるだけマシ!という数年を送ってすっかり味覚が落ちたと自認している。が、それでも、では子連れでの食事にふさわしいお店は環境は、という研究は日々、他のお母さん方と一緒に切磋琢磨しているのだ。その私がダントツでやっぱりここだな、と思うのはとある有名ファミリーレストランである。ひたすら美味しい。味付け、セットメニューの組み合わせ、子供向けなどなど本当によく研究してあるなあと感じるのだ。サービスも良くて、なんのかんののキャンペーンのおかげでいつも子供のデザートかジュースなど一品サービスされている。最近は嬉しいことにグラスワインがサービスなのだ。しかし11時前なのにグラスワインで誘惑されて困ってしまった。ポリシーは午前11時半過ぎるまで飲まないぞ、なのに飲んでしまった…。美味しかった。お向かいのレンタルビデオ店でまたしても韓国ドラマ「秋の童話」を借りる。これがまた最近やけに周囲から薦められるのだ。あなたでも泣ける!と数人の人から言われた。まさかまた愛し合う二人が実は兄妹で、という筋書きじゃないんでしょうね?と聞いたらモロにそうだという。それで泣けるの!?と聞くと泣けるから!とみんな請け合うのだ…。じゃあ、試してみます。私って素直だから。
 娘のバレエ教室に行き、帰宅後速攻で夕食入浴をすませて寝かしつけ、さてさてと夫婦でテレビの前に座る。ワインとおつまみを用意しつつ見始めたが………。
あの〜、まだ2話しか見てないからでしょうか、なんだか泣けそうにない雰囲気なんですけど。。。



我が家の小さな門の脇にあるシルバークレストを飾り付け。
シンプルすぎておとなっぽいような気もするけれど、
吹きさらしにしていいクリスマス飾りってなかなかありません。

2004年12月18日(土) 

 やっと、やっと週末が来た!とりあえず朝寝坊したい、朝寝坊〜!心からの願いにすがりつくようにお布団にしがみついていると、耳元で甘くささやく声がする。息子である。彼は私がこの世で一番愛する男性であるが、この瞬間はとほほだった。まだ6時じゃん!?なんでこんなに早起きするのよ〜!?結局7時すぎまで粘ったけれど、悪あがきに過ぎず渋々起きる。頭がぼ〜っとするし、本当に疲労感がたまっていて、朝だというのにちっとも爽やかな気がしない。はっきり言ってむしゃくしゃする。これが私が週末に不機嫌になる最大の理由である。朝寝坊できない、子供達どころかオットも空腹を訴え、ゴロゴロし、私だけが朝食づくりにその給仕、掃除洗濯と走り回っているのだ。家族全員、私がやっとすわれると思った瞬間に交互に何か用事を思いつく。こんなとき私は磯野船さんを思い出すのだが、私は彼女とは出来が違う!この状態を『愛』だなんて受け止められない、人権無視の小間使い扱いされている気がしてくるのだ、特にオットに対してはね。
彼が、どうして自分が八つ当たりされるか判らないというのだが、八つ当たりじゃありません、純然たる怒りだっつーの。
押し殺した不満が我が身にしわとなって刻まれるのも腹が立つ。子供達の習い事2連続のあと、かなり疲れた状態で義妹の家にお夕食を頂きに行く。義父母がクリスマスプレゼントをもって来てくれているのだ。
そこで、義妹のために文句一ついわずかいがいしく働く義弟の姿を見て、はっきりとオットに反省を促した。義妹は結婚以来(私たちは同じ年に結婚した)土日に早く起きたことは一度もないという。「奥様、朝食ができました」と言われるまでがんとして起きない。義弟は必ず朝食を作り、その後子供達を連れて外出することが義務づけられているそうだ。私が、義妹の実兄たるオットの生活ぶりを報告し、さらに趣味の歌、歌、また歌で月2回、土日もおらず、平日も遅くに帰宅し、今回怒り狂わなければクリスマスも潰す気だったと告げるに及んで、非難を一心に浴びたオット。かなり息子溺愛の義母さえフォローできないという様子。彼は逆恨みで、事実を告げた私をにらんでいるが、私は溜飲が下がった。クリスマスプレゼントにしても、私は何も強欲じゃない、かなり謙虚ないい妻だと遅まきながら気がついた。有意義な夕食会だった。
当然ながら帰宅後、オットにがんがんに言い含める。私がやつれ、体調も心のバイオリズムも狂いがちなのは、人生のパートナーの力不足というものだ。オットだけつやつやといい顔色して生きている事自体もう許せん。
それに子供って。どうして私が大事なオークション、あるいはショップでの販売開始を意識して控えている時に限って可愛く甘えてきて、寝かしつけをねだるのだろうか。昨夜も添い寝して一緒にうたたねして失敗。今年はずっとこれだったな。
夜、娘に目の下のクマと皺を指摘され「ママ、それとった方がいいよ」と言われて暴れそうになったのは言うまでもない。私を寝かせろ!楽させて!甘やかしてよ(怒)
このままだと、確実にグレそうな私です。



小さな小さなポインセチアが可愛かったので買ってみました。
開いていたストロベリーポットに植えたらとても可愛く、
小さな庭の中で輝いてます。
でも…寒さに弱いから本当は室内で育てて欲しいそう…!
なんてったってメキシコ産ですものね〜。

2004年12月17日(金) 

 ついに息子の幼稚園の年中組2学期が終了〜。涙、である。
 最後の自由時間をご一緒にと友人と、子供を幼稚園に預けた後速攻で優雅目のお店に入り、ブランチとおしゃべりを楽しむ。年を重ねていいことは、興味の対象が広がり、人生経験が蓄積され、結果、話題が尽きないということもあるかも。楽しくすごしていたらあっという間にお迎えになり、全力疾走して幼稚園に駆けつける羽目になった。汗をかきかき、お会いできた限りの先生方に頭を下げる。
でもこういうときいつも歯がゆい想いをするのもいつものことで、言葉の陳腐さが辛い。どうすれば心からの謝意をお伝えできるのだろう。
謝らないでくださいと言われても、私はやはり先生方には謝りたい。親でも辛い子の相手をしてくださり、普通以上の気配りを手間をかけていただいていることに対しての申し訳なさからくる謝罪の気持ち、そして泣きたくなるような感謝の気持ちと。
謝意というのは両方の感情がこもっているものだ。長々しく言葉を連ねられる時間も間合いも、相手にはかえってご迷惑かとシンプルにご挨拶したものの、なんだか心残りな気持ちで幼稚園を引き上げる。来年まで会いそうにない同級生のお母様方には「良いお年を!」と声をかけあい、そうしてふと、ああ年末なんだな、という想いを強くした。

夕方、待望のピアノが到着。設置はちょっと我慢。これを置くべき場所に現在あるPCを引っ越しさせる、つまり家の模様替えが迫られるのだ。予定としては23日の夜、子供が寝静まってから設置してリボンをかけて、24日の朝にお披露目のつもり。特大のリボンは赤か、ピンクか。我が家だからピンクかな、やっぱり。リボン仕入れにいかなくちゃ。ピアノに結べるほどの幅広のリボンは100円ショップにはないような気がする。

読みたい、でも買うのはどうかな?と思う本を探しに図書館に行く。室井佑月さんのエッセイを初めてまとめて読んだ。『あ〜ん、あんあん』というタイトルである。今までにもところどころでこの方のエッセイを読んだことがあるし、テレビでお見かけもする。前にこの本の書評を読んだこともあって、ずっと頭の隅にのこっていた。日記を読む楽しさに似て、面白かった。女もいろいろだなあとつくづく思う。でもこの方はとてもまっすぐに、人を好きになれる人で、泣いたり笑ったり、悔しがったり、あっけらかんとしているなあと感心した。
ダーリン様にたいしてもある種の感慨を持つ。
もしかして、私が日記を楽しんでつけるようになったのはその方の日記本を読んだからかもしれないのだ。子供のときから日記をつける習慣はあったけれど、人が読んでも面白いものじゃないでしょ、と思っていた。ところが私はこの室井さんのダーリンさんの日記本を読んで、その面白さに開眼したのである。どこへ行った、何を食べた、何を買った、ということが書かれているだけでも、そこに何か興味深いものがあり、漫然と読む楽しさ。後に銀色夏生さんの日記も何冊か読んだけれど、私は異性にもかかわらずこのダーリン様の日記の方が面白かった。
私はあまり男性作家は好きではない。がこの方の日記本は私が大好きな漫画家さまが表紙を描かれていたのでふと手に取った、だけの出会いである。それがどういう人か、全く知らなかった。けれど飛び込んだ一文がなんだか面白いなと思えたので気まぐれに買って読んだ。それ以来、私の中では縁がある人だとずっと、興味を持っていた。たまたまオットと好きな服のブランドが一緒であり、日記の中によくそのブランドのことが出てくる。また当時私たちは夫婦で競馬育成ゲームにハマっていて現実の競馬も楽しんでいた。このダーリン様は競馬にお詳しくて、オットが好きなスポーツ番組にも出演していらした。なので、夫婦で興味を持っていた方であった。
その後私は、立て続けに子供二人を産み転勤転勤また転勤で、競馬ゲームどころでなくなりしばらく本らしい本も読めずにいた日々の果てに気がつくと、室井佑月さんという方が登場し、ダーリン様の元妻、ということになっていたのである。あれれ?奥さんは確か違う人だったはず…しかも、それですでに「元」って何?と思って注目して、軽く事情が判って驚いた。そうか、そのダーリン様。ずっと私たち夫婦は飄々とした風貌に飄々とした性格、と理解していたのだけれど、実はすごく濃く、オトコオトコした方だったのね。さすが、小説家。っていうか、まだそのダーリン様の小説を読んだことがない私。いずれにせよ、今日はまた新たな別世界を知った気がします。それに不倫同棲、結婚、妊娠、出産、とフルコースな女性の生活のエッセイは同性として興味深い。あとがきではすっぱり裏切られたこと、離婚したことを書き、それでも挫けぬ心意気が書かれてある。がんばってね、と満足して本を閉じることができた。それにしてもダーリンさま、おそるべし。



娘のための玩具に親がハマるということはよくあることですが、
ユージン社のガシャ、特にディズニー系にはハマりやすいです…。
今回のメイク用品シリーズもなかなか!

2004年12月16日(木) 

 ピアノの代金を振り込んだら、速攻、もう発送したとお返事を頂いた。なんだか久しぶりにバイエルの曲が思い浮かんだりして、私の方がうきうきしている。後は先生を選ぶだけ…。いや、もう心は決まっているのだが大人気の先生で順番待ち状態なのだ。習い始められるのは来年の4月以降かなあ。7歳と言っても未だ身長106センチの娘の手はこれまた小さくて小さくて、だからあんまり急がなくてもいいような気がする。習い事をするからには発表会もあると覚悟すべきなので、今からその方面の貯金もしておこう。
貯金といえば私が欲しい人形だが、貯金してもしても追いつかない。いっそのんびり、本当に1本に絞って我慢…と思うが、オットもクリスマス当日に私へのプレゼントがないというのは嫌らしく、これでいいだろ、あれでいいだろ、と妥協案を迫ってくる。お人形はどれも好きで嬉しいけれど。でも優先順位を大事にしたいかなあとも思う。が、それが自分の中で判らない。どれを手に入れてもきっと、心はすぐに次の子へ、と急いて行くのではないか。あら、これって浮気性の男性と同じものかしら?
浮気性ではないみたいだけれど、徳川家光をめぐる物語、今日はついに「大奥〜第一章」の最終回だった。私が欠かさず見たドラマはこれだけである。突っ込みどころもいくつかあったけれど、面白いという点では気持ちが変わらない。オットもきちんと邪魔せずに見る。松下由樹さん、本当にまばたきなさらない方。高島礼子さん、私はこれで今初めてファンになりました。ザ・女優!って感じのドラマ、久しぶり。米倉涼子さんの「黒皮の手帳」あいにく身損ねたので、ビデオ化されることを祈ってます。



全長3センチあるかどうかのロディ。
浴玩にはいっていたもの。
最初いきなりシークレットの銀色ロディが出たので、娘が大喜び。
気をよくして買い集めるつもりでいたら、2個目を買った翌日にはもう売り切れでした(T_T)


2004年12月15日(水) 

 神戸への長旅の疲れが出ないかとずっと心配しながら子供達を見守ってきたけれど、どうやら大丈夫そうである。そういう私があぶない。いや〜な感じの腰痛に苛まれて夜明けに目が覚めたので、整骨院に行く。かなり骨盤から歪んでいるそうで、自分でももうその感覚が判る。年のせいか、西洋医学より東洋医学系が体に合うような気がしてきた。風邪をひかないように、漢方の研究でもしようかなと思う。
 今年は結局、インフルエンザの予防注射を受けなかった。息子が産まれて以来初めてのことである。防腐剤として水銀を使っていないワクチンを作っている病院で受けようかとも思っていたけれど、それも結局ためらってるうちに時期を逸してしまった。
何より私がものすごく注射針恐怖症だというせいもある。娘もパニックを起こす。娘はともかく自分のことは不思議。5年前に息子を出産するまでに、私はどれだけ医療関係のお世話になっていたことだろう。ぜんそくの苦しみから解放されるために、娘の年にはもう、発作がおきると積極的に病院に行って、早く注射を打ってほしいと願っていた。ずっと注射針はそれほど恐怖対象ではなかったのだ。さすがに2回の帝王切開は怖かったけれど、それでも切り抜けた。
なのに私は今、健康診断のための採血でさえ看護婦さんが引くほど青ざめるようになっている。3年前のインフルエンザの予防注射がきっかけでパニック障害になって以来、とにかく駄目だ。
それと昨年、1昨年と、予防注射を打っていたのにオットがインフルエンザになったことも不信感を招く。予防注射のおかげで軽くてすんだとお医者様には言われたが、娘の友達にしても毎年予防注射を打っているのに必ず、A型B型両方のインフルエンザにかかる、という子がいる。かたや、産まれてから一度もインフルエンザの予防注射をしていないが、一度もかかったことがないという人達もかなりいて、私が尊敬する園の先生もそういうタイプらしい。ひたすら、うがいと手洗いを丁寧にすることをこころがけていると、インフルエンザはおろか、風邪もお召しにならないとか。ワンダホー!…なので、今年は我が家もその方針でいってみようか、とためらいがちに考えている間に注射のタイミングをのがしたので、もうその方針で決定。
オットだけは一応念のために予防注射を打った。我が家で一番菌にさらされるのは彼なので、このやり方が正解かも。

子供達へのプレゼントにはずっとピアノ、と考えてきた。
かなり考えて相談の結果、初心者としては現代風にお手軽電子ピアノでいいのでは、という結論に落ち着く。色々調べ、手頃で我が家のインテリアに合う白いものを、ついに購入。久しぶりのヤフー・オークションである。義父母のご協力もいただいたので驚くほど安上がりにすんだので、満足。もうあさってには到着予定。
縁というのは不思議なもので、たまたま、ピアノを出品していらしたのは名古屋営業所に勤めていた頃のオットの取引先の一つだった。なので周囲にはそんな高価なものを得体のしれないネットオークションで買って大丈夫なのかと慌てたけれど、絶対的に安心してしまった。オークションついでに禁断の人形方面も見る。欲しいなあと切実に思うのはお人形服。MSDというと少女なんだなあということをしみじみ実感。なかなかカッコいいと思う少年服が見つからない〜!ものすごく好みの少年服は13少年ものばかり。13少年…一度はあきらめた存在。
彼らが初登場した頃、私もやはり心惹かれて実物を見に行った。薔子の隣に並べてあげたかったのだ。ところが、一目見て私は愕然とする。13少年達は大変小顔だったのである、薔子よりもずっと!スタンダードSDより顔が小さい彼ら…。林真理子さんがいつかのエッセイで書いていた。たくさんの結婚式写真をみていると気付くことは、たいていの場合、新郎より新婦の方が顔が大きいことだと。それがサーッと頭の中をよぎって行った。嫌〜!(ムンク)
それだけの理由で、私はいままでずっと13少年の存在に目をつぶってきた。でも最近、まぁいいか?という気になってきている。顔が大きくても薔子は可愛いもんね!



この手の色合いの花束には弱い。
暖色の薔薇のブーケ。

2004年12月14日(火) 

 我に返ると12月も半ば…長かった2学期も息子でいえば今週一杯で終了だし、娘も来週末には終わる。いよいよ冬休みの到来。娘はクリスマスプレゼントにお茶犬のポット型ドールハウスが欲しいというが、それくらいだったらムーミンハウスを買いたいと心から思う私。ムーミンって原作は物悲しいのだけれど、やっぱり好きなのだ。
 友人が、幼稚園のそばの川のほとりの遊歩道で、何かを探している様子の婦人を何度も見かけると不思議がるので、二人でその可能性について考えた。何日も探すのならコンタクトレンズということはなさそうだから、思うに指輪かピアスなどの類でしょう、と。それでモンゴメリのエミリー・シリーズの中にでてくるエピソードのひとつ、「失われたダイヤモンド」の話を久しぶりに思い出した。

実家から毎回、昔の本を持ち帰るのだが、今回はあしべゆうほ先生の「クリスタル・ドラゴン」を持って帰ってきた。今読むと今なりの気持ちで新鮮。アリアンロッド、銀の車輪という名前がやっぱり素敵。ところでこの話って今、完結しているのだろうか?
持ち帰らなかったけれど実家で夜ごと、長岡良子先生の藤原史=不比等シリーズを読んだ。学生時代に読んだこれらの漫画は、ある意味私には新鮮だった。もともと歴史ものは好きだったのだけれど、割合皆、せつない恋ばかりしていてすっきりとは成就しない点で新鮮であった…今は、ある意味リアルかなあと。
テレビドラマなども特にそうなのだが、漫画などの物語も結局大昔のものがいまだに下敷きになっている感じで、新鮮なものってそうポンポン出る時代じゃないんだなあと、古い本を読み返してみて納得する。。古い話を新しい絵柄で再現すると若い世代が気がついて盛り上がるというのはあらゆる業界のセオリーなのか。オットに言わせると音楽業界のメロディラインもそんな感じだという。知人がいっていたが、仕事仲間の若い子がサウンド・オブ・ミュージックの「マイ・フェイバリット・ソング」を聞いて、『あ、この歌なぜかものすごく好きなんです。最高のコマーシャルソングですよね!よくこんな素敵なコマーシャルつくったなあっていつも感心するんですけど』と喜色満面で言われて絶句したとか、ビートルズのことを「なんだか、どっかで聞いたような曲ばっかりで新鮮みがない」と伐って捨てる若者と遭遇したとか、けっこうぎょっとする話を聞く。
それでもこれが温故知新ってやつでしょうか。ちょっと違うか。

息子の学年が今日は遠足ではないけれど、散歩に出る予定と幼稚園から通達されていたので、例によってストーキングする。と言ってもでかける所までであるが。
どうも息子は遠足を嫌がる傾向にある。観察しているとせっかく幼稚園に来たのだから、園は園の愉しみにひたりたい、わざわざまたどこかに出掛けるなんて嫌だよ〜!という様子である。毎回、出掛ける前にひと悶着するというので、陰でこっそり覗いていたら、友人が協力してくれた。案の定、息子ひとり最後まで園に粘り残り、先生がなだめすかして四苦八苦していらした。陰で涙ぐみながらその様子を見守っていた私は、そのあと帰宅して胃薬を飲んだ。子供のことを心配するってもろに胃にくる。神経性胃炎なんて、子供が産まれるまで知らなかったわよ。
振り返れば今年もどれほど謝り、お礼を言う1年だったことか。それでも充実はしていたと思う。来年の抱負は…できれば今より、いろんな意味で楽になりたいと思う。それって、もう頑張りたくない、ってことになっちゃうのかなあ。ぐうたらぐうたらしていたいという、単純な欲望なのだけど。



まだ秋色の景色。

2004年12月13日(月) 

 ハードな旅行のあとなのに、なんと家族全員こともなげに平常の週明けとして活動する。案外丈夫な我が家である。私はと言うと、これまた元気に新宿まで足をのばし、オカダヤを覗いて天すみにいって、ちょこちょこと買い物をして、子供達を回収して帰宅。それにしてもなんで毎日こんなに忙しいのだろうか。今年はインフルエンザの予防注射を受けていないので、こういうふうに体力を消耗したあとは丁寧に慎重に体力回復に勤めなくては。
そして、あれやこれや、これから本格的にクリスマスプレゼントの準備をしないといけなくて。材料を取り揃えて、あとは作りたい気持ちを高めるために瞑想でもするしかない。

実家のお風呂は狭いので、我が家だって広くはないのだが、それでもゆっくりできるお風呂にホッとしながらの入浴が気持ちいい。ものすごく疲れていると、お風呂にはいることさえ苦痛に感じるのだけど、入ってしまうと驚くほど体力が回復する。たぶん疲労感を覚えるのと血行が悪くなるのは同じで、入浴で血行が良くなると疲労感も薄れるからだと思っているのだけれど。それに冷えたワインがあれば最高です。



復路は逆に静岡県にはいるとほっとします。富士山を見ると、ああもう少しだ、と。

さすが霊峰。本当になんて美しい山なのでしょう、富士山は。
いつか、毎日富士山が見えるところで暮らしたいなと思うことがあります。

2004年12月12日(日) 

 せっかく神戸まで帰って、本当に名残はつきないながらも朝のうちにまた出発。夕方には東京着。疲れた…でも楽しかった。旅行好きになった、ということはないけれど。子供達はクルマのなかでかなり眠ったので意外に元気である。大人がへろへろ。これで明日予定通りに日常生活に戻ることができるのか不安…。



港町、という枕詞がつく神戸。
元町の大丸前にある時計の上の風見は帆船です。美しい。

そして、我が家を旅へと駆り立てた今いちばんの主役、
私の新たなる愛の対象の甥っ子。
ご祝儀ににっこり、ごっつぁんです!って感じです(って、違うか)。

2004年12月11日(土) 

 クルマで神戸に帰ってよかったと思った。子連れで歩くとかったるい坂の多い街だし、環境の変化に敏感な我が子たちでも、乗り馴れたマイカーだとリラックスしてドライブを楽しめる。判ったのは、私がいつも心から好きだった冬晴れの空、それは神戸のものだったのだということ。いつも心の中に、幼い頃から、見上げてきた六甲の山並みがある。その上の空の色がある。だから私はいつも東京にいてもどこか違う風景を探しているんだと判った。懐かしい、やっぱり好きな街。
オットの運転で三宮にドライブするのは久しぶり。新婚時代は芦屋で過ごした。その頃は目が覚めるような黄緑色の(昔の公衆電話と全く同じ色だった)のフォルクスワーゲン社のゴルフというクルマに乗っていた。派手好きの関西人をして「派手やな」と言わしめるクルマでものすごいオンボロだったけれど、それでもオットとのドライブが楽しかったことを思い出す。
元町で念願の明石焼を食べ、買い物をする。神戸みやげってなんだか思いつかない。っていうか、どこに行ってもあんまりお土産って思いつけないんだよね。今時、どこにでも同じものが売られていることがほとんどだからかなあ。ワインと牛肉が一番なのかな。美味しいのはケーキだけれど、あの風景と店店の感じ、そうして味わう美味しさをどうやって切り取ってもって帰ればいいんだろう、と悩んでしまう。
買い物後、オットと子供達は我がなつかしの王子動物園へ、私は小豆色が今も変わらぬ阪急電車に乗り、友達二人と会うために夙川まで電車に揺られて行った。ガラガラにすいていたけれど、風景を見たくてドア脇に立ってずっと食い入るように六甲の山並み、その裾に広がる街の景色を眺め続けた。阪急だから当たり前のようにタカラヅカのポスターが満載、売店にもタカラヅカの雑誌がずらっと並んで売られている。物心ついた時から見慣れていたこんな景色ひとつさえ、今の私にはとても懐かしいものだったんだと思って自分でも驚いた。
待ち合わせした友人の一人は幼なじみ、一人はつい先々月まで東京の我が家のそばにいてずっと娘の同級生だった友人。奇しくもこの友人が未知の関西に転勤になり、選んだ引っ越し先が私の旧知の大親友の一件置いたとなりのマンションだったのだ。しかもそれぞれが同級生の子をもっており、親友の子供のクラスから一人転出していった子がいるから、転入生なら同じクラスになるかも、と言っていたらまんまとその通りになった。しかも親友と東京の友人はどういうわけか名前も同じで、親友が急性なら姓も同じだったという、なんだかスペシャルな偶然が重なっているのである。そんな3人でお茶をしたら数時間経つのはあっという間だった。
東京の友人一家は、夙川がかなり気に入って暮らしている様子。何も悪いことはないと十分に適応しつつある様子で言ってくれたので、なんだかとってもほっとした私である。逆に私も戻ってきたくなった。。。こういう望郷の念って年をとればとるほど強くなるものなのだろうか。人間関係はそれなりに融通がきき、流動的なものだけれど、私はひたすらあの阪神間の風景を愛している気がする。あの山があること、海があることが、私の中の大きな大切な礎になっている気がするのだ。子供達の人間関係を思えばもう、私が東京から住まいを移す決心をすることはないと思うのだけど…。
考え込みつつ、でも明るく再会を約束して友人と別れ、また妹の家へ。
甥っ子を抱いていると、息子が本気で嫉妬し、グレた。2ヶ月半の赤ちゃんも、息子のことも面白くてたまらない。甥はもうちゃんと母を認識していて、妹が視界から消えるとなんとなくむずかり、妹の姿をみつけるとなんともいえない安らいだ表情をして、じっと愛情のこもった瞳でママをみつめている。その小さな姿、産まれたばかりの全身から、漂う母への愛の深いこと!見ていて、ああそうだった、まずこれにやられたのだった、と懐かしく思い出す。子供達が無条件に私を求め、降り注いでくれる愛情。すがりつかれることの愛おしさ。思わず頭を垂れたくなるような圧倒的な純粋さで一杯の愛。
だから子供の誕生はおめでたいのだ。命は、喜びと誇りに輝きながら、ただ愛を伝えるために産まれてくる。それを受け止めることができるのはやはり大きな喜びだ。
お腹がすいて、おっぱいをのんできたあとの、満足し切ったおちついた顔も最高だった甥っこ。



西へ走るということは、夕暮れに向かって走るということでした。
雄大な富士の姿を右手に見ながら…。
 
立ち寄った名古屋のツインタワーの前のイルミネーションがとても綺麗で、
心が和みました。

2004年12月10日(金) 

 協議の結果、子供達を普通に学校、幼稚園に送り届けてまず夫婦で整骨院へ。念入りに体をもみほぐしてもらう。東京から神戸へ、軽自動車で9時間はドライブするという、だれがきいても無謀な計画を遂行するためだ。母は怯え切ってしまって口数が少ない。帰宅後、午前いっぱいオットは眠る。私は旅支度をしたが案外早くすんでしまったので、ドラゴンクエスト8をじっくりプレイ。装備を変えると場合によっては映像も着せ替えてくれるので、大変嬉しい。女性キャラの露出度が高いのがちょっとなんなんであるが…。娘などは横で見ていて「このお姉さん、どうして裸なの?」と心配する。いや、裸じゃないでしょ、あふれでそうに襟ぐりが深いだけでさ。おなかも見えてるけど、一応裸じゃないわよ、と言い訳をしなくてはならない。そうか、ここまでは許されるんだ、って思って娘が将来露出度の高い服を着るようになったらちょっと困るなあ、なんて余計な心配もしなくてはならない。それはともかく面白い。私の友人は美形男性キャラ、ククールに夢中である。もはや彼女は不思議な木の実も命の木の実も、力のたねも、ククールにしか使わないのだ。そういう生き方もあるのね。
などと考えているうちに子供達の回収時間が迫ってきた。運良く今日は娘がいつもより1時間早く学校終了。というわけで、午後2時過ぎには東名高速を走っていた。夕暮れの富士山の美しさに感動しつつ、静岡県の大きさをあらためて感じる。走っても走ってもまだ静岡県内なんだもの。でも6時前に名古屋到着。一旦降りて町中へ。インターをおりていきなり、息子を産んだ病院の前を通り過ぎたので、一家で大感動。あの幸福な日々を思いだす。たぶん、私が一番幸せだったのは名古屋に住んでいた1年半だったのではないかと今でも時々思う。オートロックなしのマンションだったのでセールスのおおさには辟易したけれども。
名古屋で2時間休憩してしまったので、芦屋に到着したのは午後11時半。なのに妹の家に行く。義弟は新聞社つとめで帰宅が深夜を回ること、肝心の生後2ヶ月半の甥っ子は今完全に夜型で目をくりくりさせて起きているからである。
甥っ子と初対面。可愛い〜!最近笑うようになったとのことで笑顔の大サービス。君に会うためにここまで来た。会えて嬉しい。産まれてきてくれてありがとう。君がただいるだけで、君のママ、私の妹はもう生涯幸福なのだから、どうか大事にこれからの人生を楽しんで生きてください。
抱きしめてほおずりして、それからクルマで3分の神戸の我が実家に戻った。
疲れた、なんてもんじゃありませんです。



クロス型のリングが欲しくて、さがしまわってみつけたキットで作製。

2004年12月9日(木) 

 買ったまま放置状態だったビーズアクセサリーのキットをだしてきて作り始めた。母がいるうちになんとかしておこうと思ったのである。ブルー系でクロス型のリングが欲しいと思って探して、やっと妥協できるものを見つけて買った割には、日々のあまりの忙しさに作りたい熱が鎮静化されてしまって、なかなか手を付けられずにいたものだ。が、案外手強くて四苦八苦。ひさしぶりに作ったからカンが鈍ったのか。出来上がりもやっぱりなんとなく〜〜〜??な感じ。不完全燃焼してしまいました。ちぇっ。

日々の流れの中でふと気がつくと時間ばかりが経っている、という状況になる。傍目には充実した時間を過ごしているように見えるらしいけれど、私の心の中をまっすぐに覗き込むと、けして満足していない自分がそこに、じれったげに足踏みしているのが見える。あれもしたいこれもしたい、もっとこういう風に一日を過ごしたかった…などたくさんの欲求が渦を巻いている。
今年は昨年と違って、子供達のお友達とのおつきあいをセーブしてみた。それはそれでとても楽だった。我が家の子達は、学校や園から戻ってまで友達と遊びたいとは本当に言わない。集団の中に必ずしもいよう、という必死さがほぼ、ない。一人でいることを好み、友達と遊ぶ瞬間からふと離脱して、一人で風をまとってたたずみながら、ただ風景を見て楽しんでいる。だれとも交流しない、一瞬の自由を楽しんでいる。そんな我が子を物陰から見て身悶えしている私ってかなりバカ。わかっていてもやめられない、あれは母親に似たんだよね、と冷静に友人達に分析されてもやめられない。自分がそういうタイプと判っていても、子供にはわきあいあいと友達と群れている姿を見せて欲しいという、これが母の持つエゴイズム的愛なのかしら。
確かに、親である私の中にも、人と群れていたいという欲求と、煩わしい人との関係から距離を置いておきたいという欲求は私の中に同時に存在している。でもあれこれ考えてみれば結局私は、友達を求めているし、求められたいのだ。一人になる寂しさをよく知っているから、その寂しさに慣れたいという奇妙な武者修行願望に苛まれつつも、自分の時間を切り裂いてでも、友達と過ごす時間を作りたいと思う。
来年もこんな感じかな。
最終的に(それがいつか判らないけれど)やっぱり私は一人になるんだろうと思っている。いつかきっと人と関わらなくなり、ヴァーチャルな愉しみの中に自分を置いて、満足して暮らすようになることだろう。それまで今は、なりゆきにまかせて人との触れ合いを楽しみ、疲れながらも心と心のキャッチボールをしていたい。

たとえば。今、ドラゴンクエスト最新作(?になりますね)をプレイ中だけれど、これも独りで十分楽しめるにも関わらず、家族に見守られていろんな感想や意見をききながらすすめること、あるいは友達と携帯メールで質問しあったり感想をいいあったりしながらプレイすることが、一人でやる以上にものすごく楽しいのだ。
一人好きとはいいながら、結局私は群れに混ぜて欲しい灰色羊である。



寒い季節の主役はパンジーやビオラ。
花がらをマメに摘めば次々に咲いてくれる有り難いお花です。


2004年12月8日(水) 

 そういえばDollyDollyのvol.6がでているのだった、アマゾンで買おうとうきうきとPCに向かう。が。ない。古いのは扱っているのに最新刊がない。そんな〜…。ショックである。アマゾンはカード決済で、すごい時には午後1時にオーダーしたものが6時間後に届いたりする。今、私はほとんどアマゾンで生活している。某お店で取り寄せるにも銀行振込でなくては支払いができず、今日はもう家を出たくないと決めた日だったので嫌になり、いいや、もう、今すぐ読めなくても、とさっさと割り切ってしまった。こういうあたり、私も枯れたなあと思うのである。昔は読みたい本を買わずに待つ、ということがどうしても出来なかった。どれほどの労力を費やしてでも一刻も早く手に入れなくては気が済まなかったのだ。若い頃って万事につけてそうだった気がする…。ま、多少枯れた方が人生気楽でいいわん。
 と、いうわけで今日はのんびりする。本来なら習い事の掛け持ちで一週間で最もハードな曜日なのだが、母がもうすぐ帰ってしまうことを考えると少しでも一緒にいたいという気持ちもあり、1年頑張ってきたことだし、早めに冬休みに入ろうと決めてしまった。母がきてくれてからずっと、ろくに家にいなかったのだ。母にはしみじみと、習い事を整理するように言われる。私もそう思う。減らすっていうか、チェンジしたいのだ。

 ブームはなんにでもあって、食べ物にしてもお酒にしてもお菓子にしても、好きな色の服にしても、凝るものがいろいろある。同じ大澤誉志幸氏の歌にしても、ある1時期はある曲がものすごく好きだったりする。なので、お人形にもブームがあって、ふりかえるとちょっと前は10センチ大のミニドールが大好きだった。いや、今でも好きなのだけど、でも、今いちばん好きなのはMSDサイズである。43センチ前後という大きさにものすごくハマっている。それもSDあってのことで60センチのSDの大きさも、今は実はかなり好きなのだ。遊びでがあるというのだろうか。着せ替えが本格的な感じがして楽しい。今更ながら、小公女セーラの抱き人形エミリーを思い起こす。でもちょっと重いな、大きいなあと感じた頃に<MSDサイズに触れるとそのこじんまりかんに和むのだ。それと程よい少女体型、あるいは少年体型が良い。幼児は今、十分ナマモノでたのしんでいるから、その行く末を彷彿とさせるものに憧れているのだろうか。いや、実は乳幼児体型がなんだか私を切ない気持ちにさせるのだ。子供の純粋さ、一途さにリアルタイムで触れていると愛しくて守りたくてきも狂わんばかりになる。その気持ちから解放されたい時には、子供とリアルマッチしない人形の方が、どうも今の私には気楽らしい。
MSDはたとえば10歳以前という設定なのだろうか?だとしたら悲しい10歳児達である。あまりに美しく、無垢でいて、もう完璧な無知ではない。その子供から大人への螺旋階段の途中に、ふと戸惑ってたたずんでいるような風情が、私を微笑ませる。いつか、ナマの子供達もこんな表情を浮かべる日がくるのだろうと思って。
とはいえ、話題のカスタムハウスさんのプチちゃん達、いずれの日にかはお迎えするだろうなあと思っている。
ただその前に好みのお兄さん、お姉さんを集めてしまいたいと、せっせとリスト作成中です。



そういえば、これが私の誕生日プレゼントだったデジカメ。
茶色く映しちゃいましたたが(汗)色は渋い、渋いけれどピンク、なのでございます。


2004年12月7日(火) 

 オットと子供に見送られて駅へ。もろに通勤ラッシュの急行電車に乗ってみた。急行なのに、スピードはまるで亀の歩み。これって何〜!?途中途中で電車は停止する。急行なら新宿まで15分だと思っていたが、22分くらいかかった気がする…。あとでオットにきいたら、朝のラッシュ時の急行は各駅でいくのと1、2分くらいしか差がないときいた。そんな馬鹿な…!いや、でもそんな感じだった。
そうして病院へ着く。健康診断を受けたのである。年に一度の恒例で、大きくて優雅な素敵な病院なので夫婦で気に入っている。オットも子供達を送り届けた後到着。息子は、パパが休日で朝からクルマに乗せてもらい、姉を学校に送り届けた後に優雅にミスタードーナツでモーニングして、すっかりホリデー気分満喫だったらしい。オットが幼稚園に送り届けようとしたら「嫌だ〜!ずるい、ひどい〜!」と泣き叫んで大変だったという。病院側の配慮でほぼ同時に夫婦二人の検診が終わり、最上階のレストランでとても美味しい懐石風お弁当を頂いた。
院長先生のお話は、私へのエールだったと思った。日頃さんざん体調の不良を訴えているにも関わらず、案の定私は健康体。動悸とか過呼吸の苦しさとか、先生は丁寧にきいてくださる。そして、安心できるような診断をくだしたあと、言ってくださる。自分の兄弟(たくさんいらっしゃる)の中に16歳まで口をきかなかった弟がいる。それがある日、コミュニケーションをするようになったと思ったら、やはり一族のものらしく医者になったのだ、と。
そこまで息子に望んでいる訳でもない。娘にも望んでいない。ただ元気に、幸せに暮らして行けそうだと確信を持ちたいと私は心の底で願い続けているのだ。
けれど、健常に、あるいは健常以上に生まれついても、人はすべて幸せになれる訳ではないと言う事実も、頭ではもちろん判っているのだけれど。

 病院からまっすぐ息子の園に迎えに行く。顔を見れば、今日の保育も楽しかったことが判る。輝くよう、という形容はまさに子供の笑顔のためにあると思えるくらいだ。服ばかりか顔にも点々とついた絵の具を笑いながら指差すと、本人もおかしがって笑う。小学校入学まであと1年3ヶ月。まだそれだけの間、努力できるのだから、猶予はあるのだから、という優しい人達の言葉を今は信じてみよう。そうして少し、休んでいようと思う。

 1時間後、娘の小学校での保護者会に参加。このためにオットに休暇をとってもらったのだ。英語の教室とぶつかっていて、困っていたが、オットが娘とその友達ふたりを私の代わりに送り届けてくれることになったので問題解決。息子の面倒も見てもらえるので保護者会もゆったり参加。皆に協力的なご主人だと褒められ、うらやましがられる。いえ、あれで色々我が儘で、手がかかって、案外薄情意地悪なんですけどね、という言葉を私は飲み下す。まあ花を持たせておきましょうか。

 ところで昨日からまたウリエルちゃんが買えるようになってるのよね。まだ即決できない私。でも人形のことで悩むのは嫌いじゃないから、しばらくお買い物計画で楽しみましょう、っと。



目立つ娘のランドセル。
メゾピアノのものです。
中身は総苺柄でございます。

2004年12月6日(月) 

 息子の幼稚園の月謝を1学期分振り込む。痛い。かなりの激痛が家計に走る。いやいやいや。日頃お世話になっていることを思えばこの2倍払ったっていいといつも本当に思っているのだから、心の底からこれを惜しんでいる訳ではないのだけれど。

疲れて眠いと思いながらビーズアクセサリーを作る。母は私がつくりためたビーズのリングやネクレスをみてとても喜んでくれた。今日は友達と会わないで、母とのんびり過ごそうと決めて帰ってきたのに、子供達がいない午前中なんてあっという間に過ぎる。息子を迎えに行くと、いつもより息子のクラス全体が出てくるのが遅く、4時間授業の娘の方は終了が早かったらしい。幼稚園から小学校へ向かう途中、娘と同じクラスの子達に会い、青ざめてしまった。
ダッシュして横断歩道を勇んでわたろうとした瞬間、左目の端に鮮やかなピンク色がちらつく。反射的に振り向くと、娘の後ろ姿だった。仲良しの女の子に手をひかれて、「一緒に帰りながらママを待っていよう」と誘われて安心して、入学以来初めて自主的に校門を出たのだ。が、私は青ざめた。大人のように携帯電話はもちろん、小銭すら持たせていない。娘と行き違っていたらどうなっていたことかと思う。
けれど明るい娘とそのお友達の顔を曇らせたくなくて、平静を装いながら穏やかに娘とそのお友達にママとの約束は絶対だから、危ないから、遅れたママが悪かったけれど、どうかその場で待っていてねと言う。でも子供達はにこにこしている。
本当に、危険がどんなものか判っていない、自分の絶対的な安全、幸福に自信がある子供達の笑顔。ああ、これにつけこむ悪人がこの世に存在するんだとしみじみ思う。
だから怖い。
お友達のお母さんも途中まで迎えにこられて、あとで電話をしてきて、うちの娘が○○○ちゃんを危険な目にあわせるところでした、ごめんなさい、本当によく言い聞かせましたから、とわざわざ謝ってくださった。今回、何もなくてよかった。本当によかった。
後から来る震えに本当に動悸が激しくなった。それにしても。
やはり子供には目立つ服装、格好をさせておくべきである。娘の色鮮やかなピンクのランドセルに気付かなければ、どうなっていたか知れないのだから。

 子供が自分の意志で判断し行動するのは大切なことである。けれど危険の認知、いや、それ以前に予測をたてられないと言う絶対的な未熟さを、大人達は見過ごしにしてはいけない。全国で犯罪に巻き込まれる子供達は実はかなり家の近く、ひどい子は家の敷地内で何らかのいたずら、暴行を受けている確率が高いのだときいたことがある。大人でも、自宅近くに戻れば緊張が緩む。まして子供なら、完璧に油断するだろう。

昨年、4歳の息子が消えた。娘の幼稚園に伴って、娘の担任の先生と話し込んでいる間、それまでの毎日毎日と同じように園庭で遊んでいた。ずっとそうしていると思っていて、振り返るといなかった。時間にして5分。
パニックを起こしかけた瞬間、同じ園のお母さんが息子を抱いて園の中に走り込んできた。息子はにこにこ笑いながら、「マクドナルド、マクドナルド」と一人で駅方面に歩いていたと言う。園から駅までは徒歩3分。その反対側にマクドナルドがあり、息子と私はよくそこで二人で過ごしたのだ。息子は私なしでも一人で行って、マクドナルドで楽しめるつもりだったらしい。横断歩道の手前でそのお母さんが見つけて連れてきてくださったのだ。
真っ青になった。
怖さが、後から後からこみ上げ、苦痛でどうにもならなくなった。
子育てに完璧に自信がなくなった。サイトを一時閉鎖したきっかけである。
傷ついた心の修復の難しさを、私は今、身をもって体現しているところだ。心の傷は中々乾かず、ようやく薄い膜を張ったと思うとまた破れ、新しい血がにじみ出てくる、という印象である。
それは子育ての中に日々、苦悩のエッセンスがすこしはいっていて、それがどうも傷を完璧に癒しきらないもののようだからだ。
愛するものがあるから強くなれる、耐えられるという考え方がある。が、実は私は心密かに、愛するものがあるから恐怖心が募り、不安が絶えず、弱みができたと感じている。苦笑しながら受け入れるしかない、これが愛という酒に含まれた苦みなのだ。愛はすべて、清濁合わせ飲むもの。愛に弱かろうと強かろうと飲み干すしかない盃かと思う。



チャイニーズな娘。

2004年12月5日(日) 

 どうも疲れがとれない。最近のスケジュールを考えると当たり前なのだけど。
 娘の発表会のリハーサルが午前中からあったのでのんびりもできず、バタバタとでかける。娘はチャイナ娘に変身してとてもご機嫌である。リハーサルがうまくいったので安心して一旦帰宅しかけたところで、駅を通りかかると可愛いボーイスカウトの少年達がユニセフへの募金のために並んでたっていた。見ると娘の同級生で隣の席の男の子がいるではないか。彼にはものすごくお世話になっているので、おもわず募金。少し進むとまた同級生が!…当然、また募金。これもおつきあいですね。
昼食後、いよいよクリスマス成果発表会。娘の出番まで1時間弱待ったが、ん〜、七田式教育って、エンターテイメントとして見せるのはちょっと面白くない感じです〜(^_^;)発表している本人の身内以外、のめりこめないのだ。先々月の娘の学校の運動会に似ている。バレエのお教室もあるし、私はご近所のおくさんと住宅地の掃除もしなくてはならない。なので娘の出番が終わるとそそくさと帰宅。
すべての予定をこなすともう夜だった。また明日から1週間が。
なんだかすごい疲労感。それに母が傍らで常に私の掃除のやり方がどう、食生活がどう、と小言を言っているのにも消耗される。あなただって私たちを育てていた頃、そうそうきちんとしていられなかったでしょ、というと、そうや、だから同じ過ちをあんたにはさせんとこう思て、いうてあげてるのや!と言う。じゃつまり、ご自分の過去よりもっと厳しく私は生きろと強制してるわけね?と言いたくなる。自分ができなかったことを人に求める気持ちが判らないわけではないけれど、やはり思いやりがない言葉にはなるものだ。

ドルパ、行きたかったなあ…。時間を有効に使い、オットに協力を頼めば少しだけでも行けたはずだった。そのためにオットにとばす指示とか、恩着せがましい雰囲気を想像すると情熱が高めきれなくて今日は見合わせたのだけど。つくづく、子育て三昧な毎日に疲れた。休みが欲しいと思ってカレンダーを見ると、本気で全部埋まっている。しかもオットの趣味の合唱の集まりが多いこと多いこと。クリスマスにコンサートをするとかで、やたらに留守にするらしい。私がだんだん不機嫌になっていくのは必定なので、自分でうまく対策をたててもらいたいものだ。
一応、欲しいお人形の画像はしつこく見せ、どうやったら買えるかまで言ってあるのだけど…。



ふと手にした食玩、「アイドルペコちゃん」は
なんと着せ替えができるキーホルダーです。
8種類もあるんだ〜と思いながら買ったら、いきなりシークレットがでた模様。


2004年12月4日(土) 

 夏に娘が青山でモデル事務所の人に誘われて、秋には正式に所属を決めたのだが、本日はその初仕事に出掛けた。とあるバラエティ番組の中で使う1コマのために、小学校の授業風景を撮影するとのこと、娘はその30人の中の生徒役の一人である。私も授業参観している母として後ろに控えろと言われて、面倒くさく思いながら、朝5時にオットと娘をおこし、6時過ぎに出掛けた。撮影開始は7時45分からだった。
9時前には終わったのだけど、まあ興味深かったと言うか。世の中には本当に芸能活動に熱心な親がいるものだと感心。我が子に絶対教室の真ん前の真ん中に陣取れと指示をとばす母親がいれば、絶対に大きな声で自分をアピールしろと言い含めている母もいる。実はオットもおなじことを娘に言おうとしていたのだが、絶対無理、と私がとめた。娘は例によって天然キャラまるだしでぽ〜?っとしているのだ。目立って声をかけられたところで、アドリブが効く器ではないのは母親である私が百も承知していることである。なので私は、本当の学校と同じような場所に座ればとアドバイス。娘はそうしていて、ずっと控えめに、完璧に第3者として撮影風景を眺めていた。それは母の私も同じである。自分も映る気満々で大変気合いの入ったお母さん方もいれば、私のように、いや、そこまではちょっとね、と引き気味に端っこにいる人達もいる。似た人同士集まるのも現実の学校と同じである。
この件で一番大喜びし、終始張り切っていたのはオットだけであった。思えばまだ娘が生まれてもいない頃から子タレにする夢をもっていたオット。あのミーハーな熱さをずっと維持し続けていられるのだから、本当に元気な人だと思う。

 明日、通っている七田のお教室での発表会で娘はまたまた活躍の予定である。李白の「静夜詩」という詩を暗唱するのだが、そのために可愛いチャイナドレスを着せたいねということで、探しまわる。子供用チャイナドレスって必要ない時にはよくみかけるのに、買おうと思ったらないのはなぜなんでしょう。
その娘の七田の教室と、息子の体操教室があったのでドレス探しをあきらめて帰宅。目が覚めると両親と姉がおらず、臨時住み込みのおばあちゃんが控えているだけだったということでグレ気味だった息子の機嫌をとり、だっこして車に乗り込み習い事をこなす。
家に帰ると、息子が夏に愛用していたチャイナスーツがありました。娘と息子は双子と間違われるくらい大きさが同じ。明日の衣装が決定して私は喜んだのだけど、オットはチャイナドレス探しの労力はなんだったんんだと怒る。明日のドルパをあきらめて家族に奉仕しないといけないことを思うと、怒りたいのは私の方ですが。



友人がプレゼントしてくれたポプリ。
とても可愛くて、素敵な薔薇の香りがします。

2004年12月3日(金) 

 昨日の疲れが残り、さらに土日も忙しいのが判り切っているので今日は貴重な憩いの日である。友人と一緒にお昼ご飯をゆっくり食べる。子供がいないランチタイムは母達の至福の時ではないかしらん。
最近よく一緒にいる友達がなんとなく、別に最初はそんなに深く知り合おうとは思っていなかったにも関わらず縁があり、話していると本といい音楽といい子育て観といいものすごく気が合うのだが、今日は吉田戦車の漫画好きまで同じくしていることがわかって二人でウケ、その後さらにお互いに中島らも好きであることも発覚。他にそういう人に会ったことがないという点でも一致してとてもウケた。彼女は貴重なドラクエ仲間でもある。なんとなく、どうも話が合うと思ったら下地がほぼ一緒らしいのだった。そういうこともあるんだなあ。
昔、私は友人達に吉田戦車を布教すべく、誕生日というと「伝染るんです」をプレゼントしてまわっていた。その友人も同じことをしていたという。そんなところまで同じ…(笑)

数ある習い事の中で夕方から出掛けなくてはならない娘の体操教室は一番苦痛である(とほほ)でも天気がよく、母が息子を見ていてもくれるとあってはこんな好条件の揃う日に行かないというのはもったいないでしょうという、分けもない貧乏性に駆られて行く。休むなら雨の日だよね。行ってみると娘も楽しみ、母同士の交流で私も楽しくなる習い事だった。
明日、オット判断で入れた仕事があるのに、すごく早くに家を出なくてはならず、そのために今夜は大変だというのに、オットが帰ってこない。私に指示だけとばしておいて、自分はまたしても趣味の歌の練習にでかけているのだ。俺ってゴルフとかしないからエラいよね、と自画自賛するオットだが、同じだっちゅーの!



ペ・ヨンジュン氏の写真展に行きますと、頂けるポストカードでございます。

2004年12月2日(木) 

 ぺ氏を心から愛している友人にお誘いを受けて、噂の写真展に行ってきた。六本木にいくこと自体久しぶりだし、友達に会えるのも楽しみだし、いい気分転換だな〜と気持ちよく出掛ける。が、なんだかいまだに大変な人気で、早朝から整理券を配っているから、まずはそれをゲットしなくちゃ、とのことで、息子を幼稚園に放り込むなりダッシュで電車に乗る。普段はほぼ乗らない急行に乗って久しぶりに満員気分を体験。約束の時間ぴったりに到着して行くと、本当、もうすごい行列が。ええ?もうぺ氏はお国に去られたあとなのに?もう始まってから1週間近くたっているのに?
驚きながら整理券を貰い、ちょっと並んで入場。すごい。とにかくものすごい熱気。これほどの熱い女性達の集団に紛れ込んだのはいつ以来だろうか?っていうか、過去になかった気がする。もうみんな目がキラキラしている。本当に本当に本当〜〜に、ぺ氏が好きなんだとむしろ私はそのことに感動した。友人もそうだが皆さんほとんど、今回発売された¥14000の写真集をお買い求めである。この展覧会で展示されているパネルはすべて写真集のものなのだ。が、私が見ても「あ、いいな」と思う3、4点の作品がその写真集におさめられていないというので、友人はおカンムリである。なんとかこの写真を手に入れる方法はないものかと悩む。2周くらいすると私はもう十分に堪能した気になり、人がものすご〜く(>_<)増えてきたし、お腹もすいたのでそわそわしてきたのだが、友人はさらにもう2周する。どうにもすごい人だかりなのは、ぺ氏が写真集の中で着用した衣類の展示ケースであった。
やっと友人があきらめて出口に向かった頃には、さながらそこにぺ氏そのものがいるかのように熱い熱い女性達がヒートアップしていた。

友人は美味しいベトナム料理の店に案内してくれ、おしゃべりも楽しくて感激。私の帰りの電車の時刻まで調べていてくれて、息子の園のお迎えに間に合うように配慮してくれている。すごいわね、タレントのマネージャーになれるわよと言うとほほを染め、ぺ氏の日本事務所で働くのが夢だという。ぺ氏ブームが去って経営が潤わなくなったらいつ首を切られてもかまわない、ハングルも勉強しているから韓国出張もいつでもOK、本当にできることならなんとかその道が開けばいいのだけど…。と。
夢はきっと叶うものよ。案外、可能性はゼロじゃないわよ、と私も応援する。

帰り道でつくづく思う。私が今日見た光景、出会った人々はぺ氏のファンの(あ、家族っていうのね)ごく一部にすぎないのだ。に、してあのすごさ。人気があれば反発も食らうのが当然とはいえ、どう反発組がいようがあれほどの愛を注がれるぺ氏というのはやはり綺羅星の運命の下に生まれたのに違いない。
そういえば入場口で、息子の園の1学年上のお子さんのお母様に会ったのでご挨拶したら凍り付いておられた。ファンだったんだなあと私も思ったが、考えてみれば私もきっと今頃そう思われてるわね。あの〜、嫌いじゃないです。案外、誰も騒いでなければ私だけのお気に入りとして深く素直に愛していたかもしれません。大昔のトム・ハンクスのように。

 実は今日はもうひとつイベントがあった。このために母を呼び寄せたのだけど。
夫婦で恵比寿ガーデンホールの大澤誉志幸氏のライブに言ったのである。
ボサ&ソウルというテーマのライブだった。大人の楽しみと言うか。saigenjiという29歳のアーティストとのジョイントで、シックな夜だった。その前にオットと恵比寿で待ち合わせして軽く夕食をとり、ペ氏の話をする。
私の友人もそうだが皆「初めて」っていうのよね、友人は「今まで誰かのファンになったことはないのに、こんなに好きになって自分でも驚いてるの」と言ったのだが、その瞬間、生春巻きで口がいっぱいになっていなければ「え〜!?だって22歳の頃はプロ野球選手のWが好き好き、って球場に通ってたでしょ。それに少年隊のヒガシとは結婚したいっていってたじゃない!お芝居見にいったりしてたわよね!?」と、考えなしに叫んでいたことでしょう。が、生春巻きを咀嚼している間に自制し、ふむふむ、と頷いて彼女のまっすぐな気持ちに水をささないようにしたわけだが、それをオットにいうと、そりゃそうだと笑う。
誰が、恋するたびに「この気持ち、今までと一緒だ!」と言うだろう、前の恋より今回の恋の方が強いの、と言うにしても興ざめである。やはり恋を始める時には「こんな気持ちは生まれて初めて」というのが相手への誠意であり、実際自分でもそう思わなきゃ進められないはずである。恋はいつでも新しいものなのね。
昔見た映画で、「あなたに恋のリフレイン」というのがある。アレック・ボールドウィンとキム・ベイシンガーのロマンチックコメディで、何度も結婚離婚を繰り返すのだ。この映画がきっかけになって主演二人は実際でも結婚したはず。
いろんな恋があっていいのよね。

オットと二人で帰宅したのが22時半。子供達はやはり眠らずに頑張っていた。両親の顔を見てぱたぱたと眠る。母もぐったりしていた。子不孝、親不孝しながら楽しんだ1日でした、おほほ。


 
性懲りもなく、ゴスロリの本を立ち読みしていて
「こういう小物も好きなの♪」とオットに言ったら
速攻、買ってきてプレゼントしてくれました。
感激していたら「じゃ、クリスマスプレゼントはこれでいいってことで」
え〜!?クリスマスプレゼント送りつけ!?
…ま、それは後でまた話し合うとして(喧嘩ともいいますが)
真っ黒なゴスロリ仕様のドレッシングセット。
手鏡はなんとなく、悪い魔女のお妃さま(国王の後妻)風でございます。


2004年12月1日(水) 

 カレンダーをめくって感無量。今年もついに最後の月に突入してしまったのだと。色々なことがあったけれど、過ぎた今ではまるで夢の中の出来事のように思える。きっと毎年、そういう気持ちは強くなるんだろうなあという予感がする。

子供の習い事が二つ交互にはいっている水曜日はかなり忙しい。出たり入ったりで一日が終わる。母がいてくれる分、こまめに用がない方の子供を置いて行けるのはありがたいものだ。私の忙しなさに母がしまいには呆れる。

忙しくてもちょこちょことよく私は並行して本を読んでいるのだが、小説ではアン・ライスの「魔女の刻」シリーズを再読中で、今は「ラシャー」の下巻の後半にさしかかっている。数年前に読んだときより遥かに臨場感があり、面白くも怖くも感じられるのが自分でも意外なのだ。アン・ライスが描きたいと思っていたものを私は今頃汲み取れるようになったらしい。
だからふと絶望もする。若い頃、読んだと思っていたものを、私は果たして本当に読みこなしていたのだろうか?といういぶかしさが何度もこみ上げてくるのだ。モンゴメリやオルコット、ローラ・インガルスものさえ今はもう、子供の頃に読んだものと印象が違っていることへの驚愕。切なさ、痛みが汲み取れてしまう反面、愛の強さにも圧倒される。こんなにも深い愛、慈愛に満ちていたのか、と。
それで最近はささやかな蔵書の再読にハマっているのだ。たくさんの愛の言葉が書物から溢れてくる。たとえば佐藤史生の「夢見る惑星」のなか、主人公の父が亡くなる寸前に最愛の恋人の幻を見ながら、うわごとをいう。
「親もいらぬ 子もいらぬ 天と地の間に 二人きりだ」
と。こんなに深い、慟哭のような愛の告白を学生だった私は軽〜く読み流していたのだ。そのことにとても驚いた。若かった私は、愛のなんたるかを知らなかった。
その頃、愛という言葉はただ綺羅綺羅した、美しいだけのものだった。楽しく、明るく、そして少し軽薄なもの。
今、同じ言葉を聞くと痛みと切なさで胸が疼く。その重みに心が震える気がする。それが私が時の流れの中から汲んできた真実なのだ。愛とは清濁合わせ飲むものだという。
 そして今、文庫化された萩尾望都の「残酷な神が支配する」を読んでいる。連載されていたものをやはり軽く読み飛ばしていた自分の若さに呆れながら。
今日は母が息子をみていてくれたので、娘と二人でバレエ教室にいき、いつものように見学していないで外に出て喫茶店に入った。それでこの物語の、主人公のジェルミの罪を義理の兄であるイアンが追いつめて行く過程を読んでいたのだが、涙が出た。彼らは心の底から憎み、深く深く哀しんでいる。そしてその状況に怒る。そして愛する。守ろうとする。その感情の流れの物語に涙したのだ。
こんなに集中して本を読むことが久しぶりだったせいもあるのかなあ。
 アン・ライスと萩尾望都の「残酷_」読み合わせとしては暗すぎる(-_-)けれどそこに書き込まれた愛の深さに、見入らずにはいられない気持ちになる。
 愛について過去、たくさんの人が語り、そしてこれからも語り続けて行くのだろう。皆が愛に迷い、歓喜し、悲しみもするからだ。同じように迷う私は最近思う。
人を愛する気持ちは、祈りに似ていると。
愛する人の幸せ、その微笑みの永遠を、ただ祈る気持ちなのだと。いい感じに枯れてきたのかな?