文房具屋さんのレジカウンターでいきなりブライスが目に飛び込んで来たのでびっくりしました。
とりあえず、2種類だけあったので確保。これで全部なのかどうか判りませんが、
感バッジ、可愛いです♪
2004年3月31日(水)
 ピューロランドは我が家からは果てしなく遠くて、いきなりドライブ疲れした家族。行ってみると平日だと言うのに結構な人出。で、入場料はタダ券のおかげでかからなかったとはいえ、アトラクションパスポートを家族分買って¥5000以上、昼食のレストランに行ったらまた¥6000以上、キティちゃんと記念写真撮って¥1000、お土産物で¥5000などなど、総額をまず考え、自分的充実度を考えると、もうリピートしないだろうなあ、っていうのが私の感想。10年前、友達と行った時は最低費用で済ませて、簡単な安い食事をしたらドえらく不味くてびっくりした、という記憶ばかり鮮明だったのだけど、今回はわが子の視点を考えてみればアトラクションもそれなりに楽しかったようだし、凝ってる部分があるというのも判る。バイキング式のレストランのものも期待に反して美味しかった、コーヒーもおかわり自由なのがよかった、テーブルもゆったりしていて、よくある隣のお客の会話がつつぬけ、というほど近すぎないのも良かった。でもこのお金のかかりかたには納得しかねるのねん。なんだ私が欲しくて我慢してるもの、いっぱい買えるじゃん、という悔しさが私の中で先に立ってしまう。私の中でも、娘の中でもサンリオがそれほどはじけてないっていうのもあるかな。やっぱり全然ディズニーが好きだし。キキとララ、パティ&ジミーの小物が可愛くて、お土産選びはちょっと楽しかったけど。
 帰りにトイザらスにオットが連れて行ってくれて、それでご機嫌回復!つみれさんがみせてくださって可愛いなあと思っていた新しいリカちゃんの園児しりーずのうち、「りくくん」とジェニーのドレスセット、それからブライスのベンチセットが¥1500に値下げになっていたので買ってもらった♪すごく疲れたけれど、最後のザラスで復活。今日も色々したいことがあったのだけど、10時間におよぶ外出で、帰宅後は呆然と過ごす。
でも帰りのスーパーでどうしても私が執着したことがあった。それはジントニック!3日前のアーティストのイベント会場で飲んだその味が忘れられなくて、ジンとトニックウォーターを買って、作ってみる。美味!しばらく夫婦で凝ることになりそう。


赤いシクラメンのつぼみが、今にも開きそうです。
2004年3月30日(火)
 いや〜、アンメルツって本当に効くんですね。いきなりですけど、実感です。ひさしぶりにまた肩が凝ってきた。昨日、息子と必死の外出をした上に最近ストレッチもサボり気味。反省してももう遅くて、なんだかこのまま偏頭痛になだれこみそうな嫌な雰囲気がありありで嫌〜な感じ。そういえば、なんとなく未開封のアンメルツがあったなあと試しに塗ってみた。若い頃はこれを使うと飛び上がる程痛くて、全く受け付けなかったのに今回はなんともない。で、気が付くと数十分後には肩凝りを感じなくなっていたのだ。びっくり。お風呂にはいるときには忘れていて、ボディーシャンプーを使ったら妙に左肩が熱痛いのでなんだろう?と首を傾げたくらい。ここで初めて、ああやっぱり痛いなあと思った。もしかしてボディシャンプーと化学反応起してませんか?やや不安。
 肩が凝っても止められない、オットが貸してくれたデジカメでとりあえずおもちゃの写真をパチリパチリ。どうも要領がつかめなくて、どう映っているのか不安だけど、なんとか更新できるでしょう。それからいつもやりたくてやれない型紙作りにしばし没頭。子供達もちょうどうまい具合に何かに没頭していてくれたのでよかった。私達母子は本当に家にいるのが好きだ。ちなみに明日はオットが休みで、サンリオピューロランドに連れて行かれる予定。というのも、娘が学習机を買った家具屋さんのキャンペーンで籤をひいたら、家族4人分の無料招待券をもらったからである。とほほ。でも行ったら楽しいのかも知れない。ピューロランドのそばにザラスはあったかな…。
型紙ができたから裁断しようと目当ての端切れ入れに向かったとたん、整理モードにはいってしまった。布の雰囲気ごとにまとめたり、リボンやレース、ボタンやビーズを整頓したり。この作業がたのしくて時が立つのも忘れた。でもそれでちょうどよかったのだ。一昨日、救急外来に行っておいてよかったとしみじみ思うくらい、頭をぶつけた後遺症を感じて辛かったのだもの。先生が、たぶん首や背中が強く張るような症状がでるでしょうけれど、それは大丈夫ですからね、と念をおしてくださっていたのでなんとか平静でいられたものの。そうでなければ、これは怪我の悪い影響かとかなり怯えていたと思うくらい、首に違和感がある。鞭打ちってこれよりもっと辛いのかな〜。ふと、鞭打ちになったというお友達のことが心配になった。


桜と息子。
2004年3月29日(月)
 おそるおそる首を動かすと少し張る感じがあったけれど、頭の打った部分は手で触れば痛い、というくらいになっていた。巨大なたんこぶも消えた。天気は絶好の花見日和。前からの予定通り、娘の幼稚園のお友達7組くらいの母子で近くの公園でのお花見に参加することにする。そう覚悟を決めてうっかり髪にブラシをあてたら、患部を無防備に強く擦ってしまい、痛みにとびあがった(^_^;)
洗濯して干して、お弁当を作っているタイミングで友達が車で迎えにきてくれた。
一言で言えば今日は、桜、桜の一日だった!
あの大きな公園を見渡す限り、淡い色に染める絢爛の花。まさに桜色。これほどの美しさには、たとえ私が愛する薔薇でさえ叶わないのかも知れないとはじめて思った。
昼間の光と風を浴びて揺れる花と遊ぶ子供達。花を見るのに飲み食いは無用、不粋なことと実は思う私なのだけれど空腹には勝てず、つくっていったおにぎりや卵焼きなどの単純なお昼御飯とお茶がとても美味しかった。私の最大の欠点とよく人に言われるのが「ビールが飲めない」ということなのだが、なんと今日は友人が持って来たビールさえ美味しく感じたので自分でも驚いた。ついに嗜好が変わって来たか。オットは毎日クアーズかバドワイザー、コロナを愛飲していて、こんなに美味しいものがわからないなんてと言われていたのだが、なんとなくこれから飲めそうな気がしてきたよ。オットが一番特別なビールとして好んでいるのはドイツのレーベンブロイというもので、近くでは1軒のスーパーでしか置いていない。パッケージが格調たかい趣があっていいなと前から思っていたので、是非今度飲んでみたい。
帰りも行きと同じ友達に送って頂いて、とても助かって嬉しかった。駐車場代など半分だすと言ったのに受け取ってくれない。でも彼女の下のお子さんがもうすぐ入園するのだけれど、その園規定の帽子に、園章ワッペンを縫い付けることができなくて困っているときき、ブランケットステッチならやらせて!と喜んでもらって帰って来た。子供達におやつを与え、夕食の下ごしらえをしておいてから、刺繍糸をだしてきてチクチク。小さなものなのですぐ出来上がり。なんだか気分爽快。やっぱりそうなんだ。なんでもいい、とにかく手芸関係をするとすごく気持ちが満たされて充実感があり、気持ちがリフレッシュするんだよね。
そういえば3学期にはいって間もなくのことだったが、息子のお迎えにいったオットが「ちょっとびっくりした」といぶかしそうに帰って来たことがあった。なんでもふと目の前を、息子に私が手作りしてあげた絵本バッグと上靴入れとほとんど同じものを持った年上の男の子が歩いて行ったと言う。布地はユザワヤで買った人気のトミカの車柄の青いキルティング地なので、同じものを使っている人がいても全然珍しくない。でもオットが言うには持ち手の付け方と、ポケットの付け方、その配置まで全く一緒で、単に持ち手が息子の赤とは対照的な水色に変わっているだけで、それも妙にわざとらしく思え、どうしてなんだ、どうしてなんだと思いながら帰って来たと言う。ふ〜ん、と聞いていてやっと思い出した。それは私が作ったものです!昨年10月の幼稚園のバザー用に、手作り品を出品することになり、息子のために用意した布地の余りで、絵本バッグ、上靴入れ、お弁当袋、コップ袋をつくって出したのだ。持ち手等の色は水色がいいと思って。提出した後すっきりさっぱり綺麗に忘れていた。でも、だれかが気に入って買ってくれたんだね。ちょっと嬉しく思ったものだった。
 家の脇を流れる川沿いに、わ〜っと息を飲む程に美しい桜並木がある。今夜からそこがライトアップされると聞いて、オットが帰宅すると同時に家族で夜のお散歩。綺麗、綺麗。ライトアップとはずらりと吊られた赤い提灯だったのがちょっとなんだったけれと、夜空にうかぶ朧な半月。ほんわりと白い光の布にくるまれたようなその月を見て、そういえば天気予報では明日は雨だったと思い出す。闇に映える淡いピンクの百花撩乱。夫婦で交代で写真を撮ろうとしていたら年輩の御夫婦が「お撮りしましょう」と声をかけてくれた。ありがたく家族でカメラに向かい、お返しにオットが御夫婦の写真を撮る。笑顔で別れた。一瞬出会い、別れて行く親切な人。川の水面は穏やかに鏡となり、鮮やかに地上の桜を映し出す。その光景の美しさ。
できることなら私も束の間座り、こころゆくまで花を眺めたい。その時に、少し唇を示す程の飲み物があれば良いかなとは私も思う。けれど、たんなる遊歩道にテーブルセットを出し、キャンドルをともし、食事を広げてどんちゃんしかけた若者グループ、みっともなかった。声のトーンも振る舞いも、周囲の風景から浮き出ており、行き交う人の視線があまりに冷たくて、彼等も乗り切れない様子だった。変な髪型、変な化粧、頭悪そう、なんて声がちらほら通りすがりに漏れたりしてるのね(笑)それで陽気になれるほど彼等のハートは強くなかったらしくて。女の子達は手鏡をとりだし覗き込みながら落ち着かないようすで、せわしなく髪を撫でたりしており、あれを女が始めると自分が負けたと感じる時なんだよなあ、とおかしかった。綺麗な桜を愛でるには、人も少し一歩ひいて、桜を主役にする思いで、謙虚に自然の恵みをたたえるのがいいんじゃないかな。無礼講は、他人に関係ないところでね。


鮮やかな色に見とれます。

2004年3月28日(日)
 朝からせっせと働く。午後から私ひとりおでかけするためである。オットがSDを買ってもいいよと言ってくれた。愛を感じました、ありがとう。なんだかそう言ってもらえるだけで嬉しい、満たされるような気持ちがあります。
 午後から愛するアーティストさまのファンクラブ再結成のための記念イベントへと出かけて行く。ひさしぶりの銀座。一人で歩いてみてその身軽さに驚く。長いこと駅は恐怖の場所、というかとにかく気を張り詰める危険がいっぱいの場所だったのだけれど、ひとりでいればなんてさっさか階段を昇り降りできるんでしょう。
 ひとりでライブに行く、ということ自体はもしかしたら初めてだったのかもしれない。昔は友達が、結婚してからは常にオットが一緒だった。その最愛のアーティストさまにしてもオットは仕事でおつき合いがあるので、必ず楽屋に御挨拶に行く。でも私は一ファン。もう20年越しの愛だ。今さら一人で行くのなんか平気。行ってみると、おしゃれな大人達の行列が!この方のファンとしては珍しい行動である。それだけ皆の期待が高かったと言うことだろう。素敵だなあと思ったのは着物で来ていらした数人の方。実は私もちらっと「着物…」って考えたのだ。
 素敵なクラブの中にはいるとすでにほぼ満席状態。後ろの席がぽつんと空いていたので、緊張して「ここ空いていますか?」と聞いたらどうぞと行ってもらえたので座る。これが大正解だったのだ。この丸テーブルについた5人の女性たち、意気投合してしまったのである。フリードリンクだったのも幸いで、白ワイン、ジントニック、モスコミュールと気持ちよく飲み、目の前のアーティストの顔を見、声を聞きながらお酒と会話を楽しむと言う、またとない贅沢を体験した。アーティストさまは皆と乾杯しにまわってきてくださった。ミニライブがあり、帰りはひとりひとりと話して握手して軽く抱いてくださった。恥ずかしくていたたまれなかった…。しかし彼は私を見るなりかすかに一歩ひいた。
私が「『突き刺さる太陽』が好きなんです。また歌って下さい」とお願いしたら「あらま!そうだなあ、最近歌ってないですね。じゃ、こんどまた、ね」とすごく短く会話を切り上げて、そしてほとんどかすめるようにしか抱いてくれなかった。私が友達になった人とはすごくリラックスしてたくさん喋り、ぎゅっと握手してしっかり抱き締めてたよ〜!?私、握手もなかったし!!!あとでオットに言ったら「そりゃあ、俺の女房だってわかったんだよ。で、うかつにさわっちゃいかんと思われたんだよぉ」と言われてそうなの!?ってびっくり。じゃあ私はある意味、人生で一番深く最初に愛した男性(マジで初めて『結婚したい!』と思った男性だったのさ)の記憶の片隅に、ほんの少しでも場所を頂いているのかしら。ぽ〜っとなってしまった。
それはさておき、帰りは仲良くなった女性達と住所やメールアドレスを交換して、1時間もお茶をして、再会の約束をして帰って来た。私はこれからも一人でライブに行くと思う。オットが逆にアーティストさまのイベントの仕切りにまわっていなければ。その時は、うーん、大出費覚悟でベビーシッターを雇ってでもいこうかな。
 帰宅して、オットとはなれていた7時間半の間のことをお互いに報告する。オットたちはお花見に行き、心行くまで桜を眺めたそうだ。子供達はこの頃欲しがっていたハーモニカをサンリオで小さくて透き通った可愛いキティちゃんのものを買ってもらって大喜び。一番のびっくりは、大好きなペットショップに行ったら、娘が白いペルシャ猫の子供のケースの前で固まってしまい、じっとみつめあった挙げ句、涙をぽろ〜っと零して泣き出したと言うことだ。
オットが驚いて「どうしたの!?」と聞くと、娘は「だってこの猫ちゃんの目、あんまり綺麗で可愛いんだもの。お目目が硝子みたいよ、とても綺麗よ」と言って、さらに感極まったように泣いたという。その猫が同じケージのなかのアメショに虐められた時には本当にさらに泣いて「やめて、やめて!この子を苛めないで〜!」叫んだと言う。も、もしかして私、SDあきらめて、そのネコを買わなくちゃいけないんでしょうか…?

その後、無事に楽しく一日を終わりかけた時に思いもかけない悲劇に遭遇。オットが子供達をお風呂にいれ、最初にでてきた娘の体を拭き、天花粉をはたいて着替えさせて手をひいて歩き出した瞬間。足の下に何かツルっとしたものを踏んだ。ぐらっと体が前倒しになりさらに足は固くて嵩のあるものにつまづいて完全にバランスを失った。その瞬間、訳がわからなくなった。体が宙をとびガゴンという鈍くて嫌な感じの音が頭蓋内に響き、衝撃に首が震え、激痛が走った。娘の絶叫にオットが飛び出して来た。目の前が真っ白な私の頭に手をあてて「はじめてだ、こんなすごいたんこぶみたことない!」と叫ぶ声がする。顔中がしびれ、すごい痛みに声もでない。これはなんだろう。だんだん痛みがひろがるのか、終いには呼吸器に異常を来すのだろうか。オットが必死で子供達に服を着せ、自分もきて病院数件に電話をする。吐き気があるか、意識があるかと聞かれる。吐き気はない。意識はなんだか…痺れていて尋常ではない気がするものの、ある。なにもないことを確認しようと言って、オットが救急病院に連れて行ってくれた。レントゲンをとり、ヒビなど入っていないことを確認。大丈夫ですよと言われるまで不安だった。家庭内の事故での死亡は少なくないと言う。大好きだった声優さんも階段からの落下で亡くなられた。
私が転んだ原因は、あしたの資源ゴミの日にだすべくオットがまとめてしばった古新聞と雑誌の塊であった。明朝すぐ運びやすいように階段の上に置いておいたのだが、それをまとめたビニールの紐が長く垂れていてまずそれを私が踏みバランスを崩し、さらにけつまずいて一瞬で体がとんだのである。とんだところに柱の角があった、という信じられない出来事だった。頭、すごく痛いです。なんなんだ〜!


ビオラもまたなんて可愛い花なんでしょう。
この色合いが面白くて好き。
2004年3月27日(土)
 間違えて消しちゃいました…。
 六本木ヒルズで事故死した男の子を悼みます。


昨年、安売りの¥88の苗で買って、宿根草とはいえ夏を越せまいと思っていたのに、
ちゃんと咲いてくれたジュリアン。しかも満開。
自然の恵みってありがたいなあ、ってこういうところでも思ってしまうのだけど。。。
2004年3月26日(金)
 ひさしぶりに気持ちよく晴れた。たまたまスケジュール的に今日は活動の日だったのでちょうど良かったわ、とホクホクと外出。もうぱっと桜が咲いている木が一本あって驚く。あの冷たい雨と空気の中、咲いたと言うのだろうか。川にしなだれるように広げたその枝振りはどこか色っぽくて、艶やかで、昨年も随分見とれさせてもらった木だ。
バスに乗ってまず区の総合体育館へ。実は明日は子供達が通っている体操教室の発表会なのだ。通い始めて1ヶ月ちょっとなので息子はパスで、娘のみ参加。あの狂乱のバレエ発表会騒ぎにくらべれば楽勝楽勝、なんて思っていたけれど、親が参加する部分もあるのでやっぱり緊張してきたぞ。しかも、息子はじっと待つのが大嫌い。彼をなんとかセーブしようと努めるだけで一瞬で身も心もボロボロに…。オーマイガッ、体育館という場所は危険が一杯だ〜!満面の笑顔で雄叫びながら走り回るのはまだしもスタンド席に駆け上り、飛び下りる。大人の身長より高く積んだマットの上にのぼり、こちらが助けに走るより早く落ちる。(息子は受け身で落ちるのが得意らしく、人生で階段から3回転がり落ちているが1回だけねんざしただけで、怪我なし)ヒッ、とかキャッとかいう周囲のお母さんの悲鳴にさらに血が上るような血の気がひくような。だきしめていても、私の腕をふりほどいて走り出して行ってしまう。そんな息子を必死でおいかけながら、うーんまた本来の生活に戻って来たなあと思う。思えばこの冷え込んだウィークデイ、随分命の洗濯をさせてもらった。雨が降っていると私はちょっと嬉しいのだ。ぜひとも子供達を外に連れて行かなくては、という強迫観念に苛まれることなく、堂々と家にいる口実ができて心の中は晴れるからである(^_^;)春休みもあと残り1週間だねえ、と友達に言われてちょっとショック。いや〜ん、あと半月くらい欲しいよぉ。
娘との体操より、息子をあやすことに汗を流して、一旦帰宅。大急ぎで昼食、今度は英語教室のイベントであるお菓子づくり講習会とイースターエッグ製作の会に参加するため、再びバスに乗り込む。もう一仕事終わった気分なので、だるいのは親子の共通の気持ちだったが、これも付き合いというか、先生への義理立てである。英語は娘が一番気に入っている習い事だし、今度入学する小学校の4年生の母としても大先輩の先生でもあれば、少しでも仲良くしておきたいとも思うし。英語の先生もこういう企画たてるのって大変だなあ。習い事はする方も大変だけど、先生もただ教えてるだけではだめなものらしい。そういえば家の母が、「習うだけならいいけれど、それ以外のおつき合いもあるから嫌。発表会も大嫌い!」と言ってたなあ。…嫌いなものが多くて人生が大変な母である…あ、脱線脱線。
他のお母さん達にも手伝って頂いて、とても楽しくバナナケーキと苺ムースのカップケーキができた。作るのは大好き、でもたべない我が家の子供達。周囲には不思議がられ、感心される。お菓子を食べないしつけは素晴らしいと。そんな躾はまったくしてない。なぜなら両親揃ってお菓子大好きなのだから。子供の個性って本当に不思議。そのくせ、妙にそっくりで嫌になるところもある。私がせっせと食玩を並べ、写真をとっている部屋の片方で、娘もお気に入りの窓辺にオットがつくっってやった飾り棚に大切なフィギュアを並べ、位置を代えては首を傾げ、物語を作って遊んでいる。床では息子が大好きなミニサイズのぬいぐるみをならべて、やはり何やら物語をつぶやいている…。妄想親子?第3者が見たらかなり妙な光景なのは間違いない。


ネモフィラの花。この色と形がとても好き。
もちろん、薔薇の花は別格なのだけど。
2004年3月25日(木)
 息をするように自然に、息子は悪戯をする。いや、悪戯と言うより彼にとっては行為のひとつひとつが真理を求める探究らしいのだ。息子の好奇心は目に入るもの耳に聞こえるものすべてに及ぶが、ことメカ関係にかんする興味の深さは呆れる程だ。それでも今までは赤子だったからまだよかった。最近は知恵がつき、自分なりに仮説をたててそれを試してみようとする。たとえば、私のパコソン、今となっては御老体のMacOS9のロム口に、
クレジットカードを詰めてみたらどうなるのだろう?何か面白い映像が映るかも知れない。ママのお財布にカードが入っている。そうだテレホンカードもあった。あれなら薄いからかなり奥までさしこめるな。ママのお財布はママのバッグの中、ママのバッグはきっといつもの場所に…ほ〜らね、あったあった。僕は何でもひとりでできるんだ。ビデオだってプレステ2だって起動させられるし、どのボタンがプレイボタンなのかも知っている。1度で覚えちゃった。まあその代わり、ビデオテープを2、3本からませてちぎってダメにしたし、DVDも同じくらい傷をつけて1枚は割っちゃって、ものすごく怒られたけどさ。でもいい経験だったよ、気がすんだ…いや本当はすんでないけど、もっとやってみたいけど、ママの目が釣り上がって、声がものすごくおっかなくなるの、アレはどうしても嫌なんだよ。心臓がどきっってとびあがるもんね。話をしてるうちにほらほら入ったよ、カードが3枚!楽しい〜♪
…という具合。悪気がないのは判る。でも毎月、2、3万相当の電化ものを壊されるのは真剣に辛い。先月はMOを壊されて青ざめた。今朝はデジカメ…………………………。これは修理可能なのだろうか?………(涙)
音がすごくよくて最高のヘッドフォンを壊したのはその前の月で、私の愛するiMacちゃんは、息子の悪戯から奇跡的に回復したものの全快にはいたらず、弱った体をだましだまし、私に付き合ってくれているという哀れな状態である。息子がこわし、買い直したものをこの半年だけで合計しても、軽くSDが買えてしまうでしょう。2体はいけたかと思う。それでも悪気のない大きな目に、私の怒りにふれて驚き悲しむ表情をいっぱいに浮かべ、苦手な言葉をあやつって「ごめんなさい!」とちょこんとお辞儀までして謝る姿を見ると、許してしまう。これは母性ゆえの事。一歩外を出れば通用しないこと。でも息子は悪いことだと分っていないので、してしまう恐れが大。だから人の家へのお呼ばれは苦手。息をつめて息子を見ているだけで、疲れてしまうから。息子は温厚な気質で本当によかったと幼稚園の先生も言うくらい力が強い。加えて手先が器用。そして頭の回転が早い。ほぼ無敵状態。好奇心に取り付かれたら最終的にそのものをこわすまでいじくり回すのを止められない。壊したもののすべてはギリギリまで彼の腕力で可能な限りの力を加えて折り曲げたりひねったりへし折ったりしたもの。家電特有の硬くて丈夫、でも結構しなやか、という部分の材質がたまらない魅力らしい。どの辺で彼が限界まで力を加えてみたいという欲求から解放され、理性でもって「これ以上やったら壊しちゃうな」と悟ってくれるのか。その日が来てもまた別件で私の心労は続くのか、それは判らないけど。
そんな訳で更新がしばらく滞りそうです(号泣)Macと同じくらい古い、今では人前でだすのが恥ずかしいくらオンボロで重くて大きいデジカメちゃんが、奇跡の回復をしてくれることを祈るばかり。


念願かなって水森亜土さんイラストの紙おむつを買えました。
まだ前のがなくなっていないので、開けてないのですが、中身も可愛い様子。
2004年3月24日(水)
 家族の寝顔を見ながら読書するのが好きだ。一日の終わりにふとんの中でほっとくつろぎながら本を読むのはとても気持ちいい。もうさすがに子供達も夜泣きしなくなり、オットもなぜかイビキをかくこともなくなって、3人の寝息を聞きながら満ち足りた思いで束の間、読書に耽る。(ちなみに3人とも全く同じ顔なので笑える。大中小って感じだ)これがいけないのよね〜。春休みだし、朝、お弁当つくらねばっ!という緊張感もないし、ついつい面白い本にチャレンジして夜更かししてしまうようになった。そのせいで毎日眠い。そうじゃなくても雨の日は、なんとなくぼんやりしてしまうのにな。通常は眠る前はあえて、新しい本は読まないのだ。最後まで読まずには寝られなくなったりするからである。でもハリー・ポッターは徹夜してでも一晩で一気に読む。ああ、9月が怖くて楽しみ。…と話はそれたけど、それで朝からコーヒーをがぽがぽ飲む。これも春休みの醍醐味かな。普段はなかなか一杯のコーヒーを飲む時間もないのだ。せっかく入れても、何か用で呼ばれてとんでいって、やっと口をつけた時にはゲッと思うくらい冷め切っているコーヒー。レンジでチンしたりして飲むけど、なんか味気ない。今は春休み、切羽詰まってすぐ出かける用はとりあえずないので、のんびり、なにはなくともコーヒーは頂きます。
 オットが一緒に仕事する人の愛読書らしいんだけど、と少女漫画を一冊持って来た。俺、こういうのだめ、お前読んでおいて、と言われてふんふん。読む。読む。………。なんですか、これは。全然進歩ないじゃないですか。理想の自分を演出してたのに、見抜かれてどうちゃら、これからは本当に自分で勝負、うんちゃら。まだこういうことをやってたの…?今時の高校生はもうこんな話に見向きもしないのかと思ってたのでびっくらだ。完璧に自分を作り上げて悦にいっていたのにそれを見抜かれた相手に最終的に恋をする。とか、自分だけが相手の本当の姿に気付いた、とか。こういうのを面白さを極めて描いたのは川原泉先生だったよね〜。絵柄はせんが硬くて面白みがなくて。やっぱり成田美名子先生は偉大だった。竹宮・萩尾・大島大先生方は偉大すぎるよなあとか、他にもさまざま好きな先生方とその作品のことが思い出される。今時の高校生はもっとこうトッポい感じの漫画を極めているのだろうと想像していたのだけど、こういう作品が本屋で平積みされているあたり、意外にまだ中身は素朴なのでしょうか。まあ出版者も昔の漫画ばっかり延々と増刷してるだけではやっていけないから、巨匠たちの焼き直しでも許可するのかな、なんて思ったり。
こんな私の意見はたいしてオットの参考にはならず、彼は自力で適当にのりきったようである。
 今日の有意義はいくつかあったけれど、単純なところをひとつ。私はどうしようもない粗忽者で毎日あらゆるしょうもない失敗談に事欠かないけど、服にすぐにシミをつける、という癖には本当に我ながら泣かされます。買ってまだ2回しか着ていない春物の白のニットに得体のしれない薄茶のシミがついているのに気付いた時には半日ブルーでした。でもひらめいたのねん。どうせ捨てるものなら、なにをしてみてもいいかも。近くのホームセンターで手軽に買える有名なダイロンという染め粉を買って来ました。ブルーか緑か悩んだけれど、春の若草をイメージしてグリーンに決定。セーターを濡らして、湧かしたお湯に塩とダイロンをいれて溶かして、20分つけこんで拡販。色がでなくなるまですすいで陰干し。やた!セーター再生だよ〜ん♪薄めの色の服が好きな癖にすぐにダメにする私に、ひとすじの光明が見えた瞬間でした。気に入っていたベージュのセーターにできたシミもOKさ。あれはきっとチョコレート色に染めるでしょう。ふふふ、お人形のドレス用に欲しい微妙なコットンレースの色も染めればOK?みたいな。自分で手軽にできることって結構あるんですね。


ガーデンアクセサリーの羊さんとぶたさん。
息子が気に入って、家に持ち込んで可愛がっています。
2004年3月23日(火)
 英語教室も春休みなことに気付き、ものすごく得した気分で家にいた。2日続けて家にいられるなんて夢のよう。今日は久しぶりにゆっくり素材サイトをみて回り、また更新意欲を新たにした。驚いたのは普通に素材屋さんのつもりで訪れると、ドールコンテンツをお持ちのところが結構あること。コンテンツまではなくとも、ブライスや宇山あゆみさんのお人形などの写真素材があったりする。手芸サイトを巡っていても、普通にスーパードルフィーのドレスにいかが、なんてキャプションがついていて、ああ、なんとなくみんなシンクロしてるんだな…と感心した。
母が先日送って来た箱には懐かしい昔のおもちゃがいくつかあって、幼い頃私が得意満面で使っていた小さなウグイス色のミシンがまた娘のツボにはまった。下糸がないので、本当に縫う真似事だけ、早い話が布にぷすぷす針の穴をあけるだけの代物なのだが、娘は真剣に仕立て屋さん気取り。でも縫い終わってニコニコしていたらするるるる〜っと上糸がほどけてしまって、さっと暗い顔に変わる。そうだよねえ、小さな私もそれが嫌だったの。それで強引に母の本物のミシンを使っていたのだったが、娘もそうすると言い出すと困る。最近のおもちゃのミシンってどうなのかな?も、もしかして、案外本格的に縫えちゃったりするのかしら。だったら買ってみてもいいかな、ドキドキ。
オットのシャツのほころびを繕っている横で娘がミシン遊び、息子がぬいぐるみ遊びしているのはのどかでいい光景だったかもしれない。水道をひねって水の余りの冷たさに驚いて、改めてここ数日の気温の低さに驚いたりしたのだけれど。
ひさしぶりにオークションも覗いてみた。欲しい!と思っていたものがでていてドキっとすることがあったけれど、なぜか欲しくないものとの抱合せになっていたりする…。売る方はその方が便利だからだろうなあ、くすん(T_T)
心から好きな、欲しいお人形ができて、すっかり熱にうかされたようになり、今それを手に入れる唯一の手段がたぶんオークションなので、何度も足を運んで眺める。そういう時に限ってその前まで欲しかった別のお人形が出ていたりする。でもそうして改めて自分の心を計ってみる。今の私はどちらをより必要としているのかな、と。人形って不思議なものだ。人形を好きって言うことは結局人が好きっていうことなんだろうなあ。人の形を映し、心を投影させるその魅力。だからこんなにも恋に似た思いを抱いてしまうのでしょう。
夜、オットが「ライオンキング3」のDVDを買ってきてくれたので子供達が狂喜乱舞。お風呂上がりに家族でDVD観賞会。オットと私は好みのお酒、娘は牛乳、息子はお茶。
オット、あのね、プレステ2用のドラゴンクエスト天空の花嫁のソフトも欲しいのよ。これは私にとって始めてのドラクエで泣きながらプレイしたし、これで完璧にロールプレイングゲームにはまったのだ。あの頃は子供がいなくてオットも外で食事してくることが多かったし、会社から帰るとのめりこんでやったりしていたのよねえ…。うーむ、今あの状態になったらマズいか。


「こういうの、好きじゃない?」と知り合いの方がくれたピーターパン。
あの〜、好きなんです、ありがとうございます。
同じハスブロの方のティンカーベルを並べてみました。
2004年3月22日(月)
 春休みを喜びつつ、厚いタートルネックのセーターを家族で着込み、オットを見送ったあと子供達と家に残る。冷たい雨が降り出して気温がぐんぐんさがり、床暖房の上で積み木やブロック、絵本を広げて遊ぶ子供達の横で私も、アイロンをかけたり、家計簿をつけたり、4月の予定をカレンダーに書き込んだりして、ひさしぶりに外出することなく過ごした。心が洗われるような休日です、私にとって。
子供達と朝から、ディズニーの「ピ−タ−パン」を観る。絵がとっても綺麗なことに、見るたびに感動してしまう。アリスとかピーターパン、シンデレラ、眠れる森の美女、そして白雪姫とバンビ…。このディズニークラシックスと言われるあたりの絵柄ってなんでこんなに顔がみんな美しくて動きがエレガントで、色合いがうつくしいんでしょう。輪郭を黒い線で描いていないのがいいのかな〜。あ、娘が言うにはダンボとわんわん物語も忘れてはいけないらしい。息子はピノキオも大事だと主張。
その息子は、周囲の人が「本当に好きなんだねえ!」と感嘆の声をあげるくらいに、無類のぬいぐるみ好き。どこのお宅でもぬいぐるみはあるけれど、そんなには主役の座をしめていない。むしろ「うちの子は全然ぬいぐるみで遊ばない」という方が多いのだが、息子はどこのお宅に言っても「あ!」と声をあげてぬいぐるみをみつけるとお借りし、心を込めてものすごく嬉しそうに遊ぶ。見つめあって、抱き締め、いろいろに並べたり、他のおままごと道具と組み合わせて食事シーンを再現したり。「うちのぬいぐるみ、もう捨てようと思ってたんだけど、○○○くんがあんまり大事そうに遊んでくれるから、こっちも情がわいてきちゃった」とか「このぬいぐるみ達、人生で初めてなのよ、こんなに遊んでもらったの。○○○くんが来てくれてよかったわ〜」などとお母さま方に言われる始末。そんな我が家はというと、ぬいぐるみが二つのカラーボックスにいっぱい、手のひらサイズの動物フィギュアもいっぱいいっぱい。それが家のいたるところに、その日その日の息子の気分次第で並べられているのだ。息子が一番愛を注ぐのは比較的小さめのぬいぐるみなのだけど、くたっとして柔らかい系のぬいぐるみは抱える程に大きくても好きらしい。人間的に直立するタイプのものより、四つ足系統が好みのようだ。オットが帰って来た時などに、1Fの玄関に階段を降りてくる姿、大きめのぬいぐるみの前足を持って引きずりながら階段を昇り降りする姿が何かに似ているな、と思ったら「くまのプ−さん」の冒頭の挿し絵、クリストファー・ロビンの姿にそっくりなのだった。ああ、息子よ、いつまでその愛おしい姿を見せてくれるんでしょう。今はもうめちゃめちゃマザコンで、私に惜しみない愛を注いでくれるし、夜眠る時もぴったりくっついているのだけれど。
娘とはお喋りが楽しく、いっしょにビーズ細工遊びをしたり、着せ替え人形遊びをしたり、娘の指にマニキュアを塗ってあげたりしている。先日実家の母が送ってきた荷物の中に懐かしい服があった。かなり厚めのコットンギャパジンを母が仕立てたベストだ。朱赤に白黒のポップな小花柄で、「こんな雰囲気の布も、今のあなたには珍しくていいかと思ったので」と手紙が添えられていた。それは、32年前、入学式の翌日から学校へ着ていったものなんだけど、色もあせていないし、全然古く見えない。娘はそれをとっても気に入った。私の七五三の時の着物は私の祖母が縫ってくれたもの。それを着る娘の姿がどれだけ、私の母や祖母を喜ばせたか知れない。娘がいると、母から母へと受け継ぐものがあって、そんな時にふと感慨深いものだ。娘は必然的に「ママのものはいつかは私のもの」と思うようになっていて、私が何かアクセサリーなどをみつけるたびに、目を光らせているのがちょっとなんなのであるが…。
寒いので買い物にも出かけず、水に濡れるのが嫌いな3匹の猫のように寄り添いあって一日過ごし、代わりに外で働いているオットにメールをとばして、色々買って来てもらった。夜、子供達にぴったり挟まれて添い寝していると、お風呂上がりに体にはたいた天花粉の香に包まれ(これってなんか幸福の香りなんだよね)、体をくるむ毛布の感触、なにより子供達の体の暖かさ、肌の気持ちよさにうっとり…す〜っと寝てしまってうっかり「プライド」の最終回をほぼ見損ねる。ま、あんまり好きじゃなかったからいいか。このドラマで連発される「メイビー」も「古き良き時代の女」っていう台詞も、かなり寒かった。ひねくれものの私だけかと思ったらオットも聞くのが辛いと訴え、キムラタクヤさま命の友人すら「私でもかなり辛いわよ、あれ〜」というので、本気で寒かったかと思われます。ラストもちょっとぞわぞわ。どうか三十路、四十路の女も満足の、上質のラブストーリーを作って下さい、お願い。たぶん、私世代がターゲットだったと思われる江角マキコ主演の「それは突然嵐のように」も不発だった。主婦が高校生の男の子との恋に迷うお話だったんだけどさ。ちっとも感情移入できず、夢空間モードにはいれませんでした。好きだったのに、そうでもなくなっちゃったよ山下智久くん。ルックスいいけど、演技へた。「カバチタレ!」という数年前のドラマに出てる時が可愛くてよかったなあ。
その後、スマスマを見ていたら浅野ゆう子さんが「大奥」瀧川役で出演なさっていた。26日にスペシャルをやるそうだ。楽しみ〜♪


バービーの着せ替えセットを購入すると必ず思うこと。
たとえばこういう裏面などの見本のお人形達はとっても素敵なのだ。
髪型とかメイクとか。
これをこのまま販売してほしいんですけど…。
2004年3月21日(日)
 疲れが残るだろうと前日から予測されていた朝。ゆっくり朝寝坊したければ、掃除と洗濯を前日の夜にでも済ませておくこと。浴室乾燥機があれば夜の洗濯は全然OKなのだから。
それをしなかった。そして天気がよかった。小心者の私は、起きて洗濯せずにはいられず、家族も空腹ですぐ起きて来たので仕方なく家事をいつも通りに続行。でもこれさえ済めばもう家にいることにしようかな、なんて考えていたけれど、オットの強硬スケジュールは本日も続いた。
まず、私は数人の身内知人に手紙を書き、送るべき品物、写真を添えて郵便局で発送。それから普段と違うホームセンターへ行き、ロベリアの苗を二つ(この花とネモフィラは私の春に欠かせない)と土を買い、そのすぐ近くの体育館で行われている体操教室へ。来週発表会であるため、親子ゲーム、親子体操の練習をする。ヘビー。終了後、娘が幼稚園の友達に聞いて行きたがっていた「ドラえもん のびたのワンニャン時空」なんとかを観に、新百合ヶ丘マイカルシネマへ行く。朝、その予約をインターネットでとるのにオット大騒ぎだったので、結局私がとった。
オットが道を間違えて渋滞に巻き込まれ、まさにギリギリで映画館に滑り込む。最初のパーマンがね〜、なんだか余分な気がしたな〜。別に面白くなかったのよ。ドラえもんは感動はないとは言わないんだけど釈然としない。長篇アニメとなるとなぜのび太は勇気凛々に、ジャイアンとスネ夫も心正しき少年になるのか。長篇の最初の頃はそれも新鮮だったかもしれないけど、今はなんとなく「キャラが違うよ〜」と突っ込みたくなるのだ。
上映後精魂尽きて、同じ建物内で夕食をということになる。ラーメン屋とステーキ屋、オムライス屋と寿司屋があり、夫がどれを食べたいかと聞く。昼食は子供達は焼そば、夫はラーメン、私は卵料理だったので、ラーメン屋とオムライス屋は除外。昨日の私は仕事でお寿司をたべ、帰宅後に夫が買っておいたと自慢してふるまってくれたのも刺身だったので、お寿司に食指は動かない。必然的にステーキが食べたくなった。ちょうど昨日オットが、私と娘が謝恩会に出ている間に自分は息子と二人でステーキを食べたと言っていたのがうらやましく思えてもいたし、数日お肉系を食べていないのも事実だったので。ステーキを食べ、子供達はハンバーグ、オットもチーズフォンデュハンバーグというのを食べて。でも外食は高いね、と言いつつ帰宅。っていうかそもそも、家族で外出すること自体が高くつく、私は家にいたくていたくてたまらないのに、と思ったのだった。
帰宅してからオットがプロ野球の開幕が楽しみでしかたないねと同意を求めるように言うので、私は全然と答えた。一昨年、転勤による遠距離の引っ越し、娘の転園、新たな医者探し(子供が小さい内は予防接種が多いのですごく大きな存在)、習い事探し、友達つくり、公園デビューに疲れ果て、息子の自閉傾向が発覚し、身も心もボロボロになっていた私だったが、そんな私を口先だけで気遣うふりをして、自分は遊びまわっていたオット、その一つの要因になっていた巨人。以来、巨人と聞くと嫌な気持ちになるのが止められない。そのことを言ったらオットが怒り出した。
つきつめて言うには、今日も夕食にステーキ屋にはいりたくなかったそうだ。ラーメンかお寿司がよかったのに、とのこと。じゃあなぜ私に「何が食べたい?」と聞くの、ときいたら「もうこれからは聞かないよ」と宣言した。
 ま、以上の実生活で考えても友達のくっついた離れた話を聞いていても思うのだけれど、人は本当に好きで大切な人とはちょっと距離を置いていた方がいいのではないかと思う。あまり知り過ぎると、欠点にもいつか気付く。恋愛モードな度にある時はそれを許容できる気がしたのに、ある日恋愛の温度が冷えて行った時に、ふと許せなくなるような気がする。モノではない生物だからこそ、身の回りの空間というクッションが大事なのかもしれない。
大好きなアーティストさんがいて、仕事に恵まれていた昔、実際にお会いする機会が何度かあった。私はファザコンで、男性に対しての理想の型があり、夢想していたその人の事も都合良く捕らえていたのだけど、実際に会ってお話してみた感触は当然違っていた。今でもその人の事は大好きで、その人の歌声程好きなものはこの世にないと断言してしまう。その人がつくるメロディーに心が震える、さけびだす。でも実際にその人に近付いていたらいつかたぶん幻滅し、私はこんなにも好きなものを好きだと認められなくなっていただろうと思う。知り過ぎない幸せというものがあるのよね、きっと。
 余談だが、数日前、子供の友達のお母さんに「あなたは結婚が早かったのね」といわれ「そうですね、結婚するっていうことはもう恋愛できないってことなんだって気付かなくて」と答えたら「あら、できるわよ。私はしたもの。海外転勤中の、いい思い出だわ〜」とさらりと言われて狼狽した。人生ドラマあり、ですわねえ。独身で恋人募集中の私の友達にその経験を譲って頂けなかったものかと本気で思いますぅ。


娘の卒園の記念品の一つとして、園から頂いたマリア様の像。
我が家のたからもののひとつになりました。
2004年3月20日(土)
 そうだった…!と痛感した。オットのスピーチは素晴らしかった。彼の輝かしい才能の一つは口先だったのだった…!
 朝、近隣のどれだけの家庭で悲嘆のため息がもれただろう。近くの園はほとんどがみなこの日卒園式である。週間天気予報がこういう時は憎らしい程当たる。たくさんの雨と、そして信じられない程の冷気。
近年の卒園式としては珍しいことだという。そんな中でも式は粛々と始まった。小さくて美しい教会の中の素敵な幼稚園。そこは母子にとって一つの夢のくにだったし、貴重な社会経験の場でもあった。昨日までもう終わりとは思えなかった実感を一気にふくらませたのは、担任の先生の涙だった。凛々しい系美人の先生の袴姿の、なんて素晴らしかったこと。その先生が卒業証書授与のために卒園児ひとりひとりの名前を、涙を流しながら読み上げて行く瞬間。突然、私もつつーっと涙を流した。ヤバい。私はすぐに鼻水に直結する質なのである。できれば泣きたくない。でも園児達の姿をみる程に涙がこみあげてきて止まらない。母達は誰ともなく啜り泣きはじめて、止まらなかった。教会のステンドグラス越しにも降り続ける雨の気配が感じられる。お御堂の中は暖かかったが、すぐ外には意地が悪い程の冷たさが潜んでいるのがわかっており、誰もがこのお天気を恨む気持ちを持っていた。そんな中でオットの登場である。オットは卒園児から園への贈呈品の目録を読み上げる役をおおせつかっていた。園に頻繁に顔をだし、子煩悩まるだしの金髪トサカ頭で有名な父として、卒業委員の方達が最後の花を持たせて下さったのだ。そのためにオットは昨日、表参道の美容室に行き、特別なカラーに染めた(^_^;)目録を読むこと自体は15秒で終わるはずだったのだが、壇上に上がったオットは卒園の祝辞と先生方、関係者への感謝を述べ、本日のこの雨は園児達の成長を喜び、新しい門出を祝う天の流す美しい涙だと思うと言った。予想より遥かに長い出番だった…。オットがそんなに喋るとは聞いていなかったので、ああアドリブだなあ、興がのったんだなあ、と思って私は見ていたのだが、目録贈呈の後に満場の拍手を受けると言う珍しい事態になり、なんだか主役がズレた形だ…。ところが、オットが雨を美しい喜びの涙、と言った舌先三寸の言葉は、皆様に非常にウケがよかったのである。
式が終わるなり褒めちぎられ、謝恩会でもさんざんにもてはやされた。前から原稿をつくってあったのかと聞かれ、いんやと答える。あのお話の上手さは才能だわよ、すごいわよとたたえられる。派手なり、オット。そうです、皆さん、若かかりし頃、その口先の上手さに騙されて、私、結婚しましたの。と真顔で答えるとまた〜!とはたかれた。真実なのに。
謝恩会は長く、予定よりも時間がかかり子供達は飽きてしまったのだけれど、母達は独り独りスピーチをしては泣き、みんなハンカチを手放すことができなかった。あいにく私が最後のスピーチとなったので、もう泣き飽きた頃と思い、今や名実共に天然ボケとして定着した娘の物真似をして思い出を語ったところ、かなりウケました。
謝恩会を一番に抜けて、私は珍しく仕事へ。なんでこんな時に仕事いれちゃうかな〜。自分でもあまりの間抜けぶりに首を傾げながら出かけて、お寿司をたべさせてもらって帰って来た。思うことが余りに一杯で胸が痛い。小さい幼稚園独特の、あまりにも行き届いた素晴らしい卒業アルバムや記念の色紙の数々に改めて園と、担任の先制への感謝の気持ちでいっぱいになり、走って行ってもう一度お礼を言いたい衝動に駆られた。
ちなみに息子も無事に初年度を終了。このことへの感謝も大きくて。
人は独りでは生きて行けない。本当に、たくさんの人に助けられながら生きている。愛を求めずには生きて行けず、また愛を与えないではいられない、そんな生き物なんだと思う。
愛することも愛されることも、どこか胸に痛い。愛を知らない気楽さはある意味とても幸福なのではと思う。
昨日、テレビで、オットの仕事の先輩の離婚が報道された。相手の方が有名人であったばかりに結婚の時も騒がれ、離婚も取りざたされる気の毒さ。私にも思い出深い人で、明るく調子がいい反面すごく寂しがりな人だけれど、どうしているかと思う。同じ会社に務めていて最近離婚した私の友人から早速そのことでメールが入る。離婚して、この世の不幸を一身に背負ったような気持ちでいる彼女には、やや心慰められる事件だったようだ。
出会ったり別れたり、それが当たり前のこととはいえ、どこかやっぱり感無量。


昨年、ベッツィー意外に密かに夢中になっていたシャーリーちゃん。
本日やっと念願のお披露目に向けて更新作業しました。
2004年3月19日(金)
 風の冷たさに、やっぱり片付けかけていたコートを取り出して子供達に着せて出かける。明日が卒園式の娘、終了式の息子、今年度が終わるのだ。娘の卒園と言うのがぴんとこなくて、なんだか変な気持ち。午前中はその娘のクラスのお母さま方と茶話会があり、息子のお迎えギリギリまでいろいろ雑談していた。息子の園に行って明日の事を相談。結局息子は最後の終了式を休むことになった。息子の園で卒園式までに下の学年の子はひきとらねばならず、しかし娘は違う幼稚園で卒園式の真っ最中で私達も抜けることができない。しかたないので、お休みをすることにする。娘の卒園式と謝恩会がすんだら息子の園にも足を運び、今年度のお礼をよくよくしなくてはならない。
娘がお友達の家に遊びに連れて行ってもらったので息子をカウンセリングの先生のところに連れて行く。感覚統合の体操をしてから、自閉症についての話。結局誰も何もわからない、これから開発していく未知の分野だなのだ。
息子のカウンセリングが終わってから娘をお迎えにお友達の家にいく。そちらは現在新居購入計画のまっただ中なので、主婦同士、不動産のあれこれについて、果ては風水のお話でもりあがる。そのお友達は風水占いによって新居の方角を定め、そこで売り出されているのはそこしかないという理由でその家を買うことにしたのだが、築30年の物件でリフォームが必要だと言う。窓を開けるにもドアをつけるのにも、風水によって決めねばならず、聞いている私の気分は安倍清明だった…。お世話になったお礼をしみじみといい、寒さに震えながら帰宅。実はちょこちょこ写真を撮りためて更新作業。うーんリフレッシュ!ところが。
私は時々、本当にたま〜に仕事をしていて、それって気に入った仕事を申し込んで決まるかどうかなのだが、最近は数十連敗しているのだ。で、いつもはマメに結果がどうなったかこちらから連絡をいれるのに、今日はころっと忘れていた。そういう仕事に限って決まっていたりして、事務所の人から電話がかかってきてものすごく怒られた。
年とった独身の女性で、時々どうにも意地悪な、不必要な程に悪意にみちた言動を取る人が昔からいるけれどあれはなぜなんだろう。その人が幸福じゃないのはみんな知っていて、その言動だとますます幸福がよりつかないだろうことも、はたから見ると一目瞭然なんだけどな。
最後の最後でドっと疲れ。でも泣いても笑っても明日は卒園式。おニューのスーツを着てがんばるわよ〜。


こんな可愛いハギレを見つけたのです。
タイニー・ベッツィーにそっくりじゃないですか?
彼女にはちょっと柄が大きいかなと思うんだけど、無理矢理ドレスに仕立てちゃいたいと思っています。
2004年3月18日(木)
 朝、アマゾンに本を3冊注文したら、夕方に届いて超びっくり!す、すばらしすぎる。実家に頼んでおいた古い私の蔵書も母から届き、当分読み物に困らないと思うと一気に気持ちが豊かになった。図書館で借りたい本も目星をつけてるしね。また当分読書ライフを楽しみます。でも欲しくて仕方ない本が一杯。主に、手芸本ばっかり。女の子の発表会ドレスの作り方の本とか、世界一かっこいい男の子の服の作り方、きらめくビーズアクセサリーの本…などなど。無限に欲しくなって困ってしまう。最近の本は装丁もオシャレで素敵〜。
食玩もじわじわ熱があがっていて困ったものです。好きなものが多いっていうのは人生を豊かにするけれど、お財布を貧しくするよ、本当に(T_T)
午後からの冷たい雨に驚いた。昨日と今日のなんていう気温差でしょう。さあ、風邪をひけって神様に意地悪されているような気がする。子供達を拾い上げて幼児教室に行くまでの間、マクドナルドへ。今、ハッピーセットについているおもちゃの「ブラザーベア」シリーズ、息子に大ヒットしてます。店内は暇そうな若者でいっぱいで、席を見つけるのに苦労して。いいなあ、若いことは別にそううらやましくないの。私なりにものすごく充実した青春を送って来て(恋愛経験だけは悲劇的に乏しいです、オットのせいで。乏しいっていうか皆無?)もうこってり、十分って気がしていて、実は今の中年ライフがやせ我慢じゃなく気に入っていたりする。でもね、時間があるのだけは羨ましいわ〜、いいなあ、もてあましてるのならちょうだいっ!
幼児教室では他のお友達がみんなほぼお休みでいつもの半分だった。みんな寒さと雨には弱いのね。私も休めば良かった。わんぱく息子をおさえつける1時間は長くて重労働だったなあ。息子は茶目っ気で若い先生をおちょくるので困る。
今朝、大好きな青いネモフィラと花かんざしの苗を買った。そのことだけでも心がうきうきするから、私って単純だ。


娘と私の最近のヒット商品。ダイソーのピンどめ。
2本セット¥100。
可愛い七宝焼風のチャームがスイングするようになっているのがツボ。
2004年3月17日(水)
 娘のクラス全員の女の子+男の子3人がお友達Mちゃんのお誕生日パーティに誘われているので、朝から親も子もそわそわしている。加えて今日我が家は息子の自閉傾向と水銀反応検査の相談のため、オットも付き添いでK研究所病因に出向くことになっているのだ。息子の園は卒園していく年長児と教諭達とのお別れの日ということで、以下の学年はお休みである。息子と一緒に娘を幼稚園に送って行った後、息子のの好きなことをさせてあげて過ごそうとしたら食べることばっかりだった。彼の最大の楽しみは買い食いなのねん。
娘がパーティに馴染んで楽しく遊びはじめたところで御挨拶をして息子と外にで、待っていたオットと合流、広尾へ。昨夜私は突然の動悸でよく眠れなかったので(どうもストレスがたまると色々体の不調にでる)車の中でよく眠ってしまった。道が空いていたのですぐに着き駐車場に困ることもなく受け付けもスムースでほとんど待たされない。初めての先生も親切だったけれど、やはり自閉症状と予防注射に含まれる水銀との因果関係は考えにくいことを説明された。先生御自身がマスコミの医療関係にかんする報道のあり方に、ほとんど好意をもっていらっしゃらないようで、根底にそのスタンスがあるのが感じられた上でのお話だった。常識的に考えれば、決して水銀の副作用がでる量を子供は摂取していないはずだということ。でもそれは当然ではないだろうか。非常識ならとっくに廃止されていますでしょうに。たくさんの人にとってあまり害がなくても稀に敏感に反応してしまうことがある。それを知りたいのだ。けれど水銀反応検査をしてくれるところはもちろん、水銀排出療法を行う病院も、ほぼ日本にはないらしいことが分って来た。ひたすら研究、追求していくしかない。
帰宅後娘を迎えに行き、買い物をして帰った頃にはまた日がくれていた。今日も写真撮影できず…っていうか、ここ数日お人形とまともに遊んでないわよ〜。どうも疲れがとれないと思った。ううう、サイトの更新して遊びたいな。
子育ては楽しく面白く、よくも悪くも充実した人生かけた一大プロジェクトだと思うけれど、それだけでは息がつまる。視野が知らず知らずにせばまり、付き合う人種も限られる。心がいつのまにか固まって行く気がするのだ。子供への愛にがんじがらめになりすぎることは、親にとっても子供にとっても不幸の要因になりかねない。趣味を持つこと、気分転換をすることが子育て、ひいては家庭平和の秘訣だと思う。
お人形遊びは本当にとてもいい気分転換で、写真を撮り思いを綴るということでいつのまにか記憶も想いも整理され、また新たな意味を私の中でもって生きて行く感じがするのである。そこがとても好きだ。
食玩のページを作りたいけれど、私が持っているコレクションは中途半端だ。ささいなものが好きだし、コンプリートにこだわらないから、バラバラしている。他に食玩ページをもっていらっしゃる方はきちんと揃えられて、まとまりがある感じ。でも作りたいなあ。
毎日たくさんやりたいことだらけ。今は嘘みたいに予定消化に明け暮れる毎日だけれど、春休みは絶対のんびりする予定。花を植え替えて、縫ったり編んだり作ったり、実は禁断のひとつにしていたビーズ細工もしてみたくてたまらない。春夏の薄着になったら、素敵なビーズのアクセサリーがとても映えると思うからだ。これもハマるととことん突っ走ってしまいそうな予感である。
アマゾンで欲しい本を撮りよせ。最近は本屋にも足を運んでいないからこういう時、アマゾンの存在はすごくありがたい。図書館で借りた本は練る前に少しずつ読んでいる。藤本ひとみの「恋情」(普通かな。藤本先生の作品で大好きなのは『予言者ノストラダムス』『逆光のメディチ』なのでこれを基準にすれば、ということだけれど)、たつみや章さんの「月神の統べる森で」。思っていたより面白い。私はどうしても男性作家に偏見があるにもかかわらず(笑)爽やかで可愛い文章だった。シリーズは全部読んでみるつもり。


名前が気に入って買ったお茶のペットボトル。
期待していなかったのに、香がよくて美味しかったです。
おまけにミニお茶缶、その中に煎茶が入ってるので「イイ!」と思っちゃった。
2004年3月16日(火)
 娘が明日、お友達のお誕生日パーティーに招待していただいているので、プレゼントを買いに一人で二子玉川高島屋にでかける。娘の幼稚園の真ん前のバス停から直通で一本。始発から最終まですわりっぱなしのいいドライブである。こんなに近いのに今まで一人で来たことがなかったことを思い、つくづく、本当に育児に明け暮れていたなあと思う。まあ今もかなり明け暮れているんだけれど。プレゼントはなかなか決められなかった。なんでも持っているお嬢さんなので、これ!というツボがうまくみつからない。それでも結局プリンセスグッズを買い、またバスへ。これが地獄。なんと行きは15分とかからなかった道のりが帰りは40分かかったのだ。途中で耐え切れなくなり(好天気で車内の気温は急上昇していた)運転手さんに事情を話して、特別に1分だけ携帯電話を使わせてもらった。娘の幼稚園に電話をしてお迎えにおくれる旨を伝えたのである。バスは5メートルすすんではしばらくとまる。信号と言う信号にはすべてひっかかり、各駅停車でもある。イライラしても仕方ないとあきらめつつ、貧乏ゆすりしたくなるくらいあせってしまった。今日は個人面談日でもあり、必死で幼稚園に駆け込んだ時にはぴったり面談時間になっていた。
娘は意地悪をしたこともなければ、そうされたこともなく、温厚に暮らして楽しくやってきたようだ。年長の女の子ともなれば人間関係も複雑になり、他のお母さんに伺って皆、それなりに悩み暮らしていることを知ったのだけど、むすめはなんにも嫌なことはないと言い切り「○○○は幸せなのぉ〜」と万年ほんより状態。わかってない、周囲にとげとげしい争いが起きても気が付かないようだ…。それが娘の最強の武器であるらしい。先生には私のキャリアの中でも一番といっていいくらいの不思議なこの子のの担任をさせて頂けて、幸せでした。これからも是非、成長の過程を時々見せていただきたいと言われる。ううう、気のせいかとおもうようにしていたけど、やっぱり変わった子なのね(T_T)
園をでると他のお母さん達が待っていてくれて、一緒にランチをすることになった。卒園までの残り少ない日を惜しみ親も子もできるだけ仲良くしましょうと寄り添いあう楽しいひとときである。
息子を迎えて英語教室に行き、帰宅すると山のようにメールをやりとりしたり、ファックスを送ったりする用事があって、それはとっても楽しいことだったんだけれど、日がくれてしまってお人形の撮影をしそこねちゃった(-_-#)
でもボークスのホームページにはみとれてしまった。できるだけ見ないようにしていたのに、SD達のなんて美しいこと。たぶん、私が知る限り最高に綺麗なお人形だと思う。
私は圧倒的に初期タイプが大好きである。今、手元に初期キラがいてくれることを幸福に思う。でも色々見ていて目が肥えて来てしまったのか、初期タイプをのぞけば、一般販売ものよりワンオフモデルの素晴らしさに圧倒的に心がうごく。どうにも私のツボなのはやはりMSDの美加のお顔らしい。彼女がベースになっているお人形をみると一瞬で心を鷲掴みされてしまうみたいなのだ。初期キラとつり合う男の子が欲しい気も…。はっ、いけない。お人形の世界の深みには底がない。


オズの魔法使いと3匹の小ブタのフィギュアをとりあえず窓辺に展示。
オットも子供達も大満足。
えっと、でも私へのホワイトデーのプレゼントのはず。
2004年3月15日(月)
 オットの会社の偉い方が娘の入学祝いにどど〜んとすごい量の文房具一式を贈って下さった。でも半分はもう持っている同じもので、半分は全然好みじゃなかった…。図書券でもくれればいいのに〜!と思いながらオークションに試しに出品してみたら思いのほか、高く売れて(コレクタブルバービーが2セット買えるくらい)ほっとした。モノとはいえやはりこの世に生まれてきた以上は喜びを持って迎えられる方がいいもんね。キャラクターごとにわけて出品したのだけれど、それぞれお嬢さんへのプレゼントになさるということなので、私にできるだけの(つまり大雑把でどうしようもないってこと)ラッピングをして送りだす。幸せになれよ〜!という感じだ。
そんなこんなで午前中は一瞬で終わった。娘を迎えに行き、お友達のお宅にお邪魔する。子供8人、母4人の大人数でがやがやと食事におしゃべり。そこは男の子二人兄弟のお宅なので、我が家から見るとやっぱり新鮮なんである。娘もかなり面白がったけれど、息子の喜びようは半端ではなかった。レゴにもハマるとキリがないとは思いながらかなり素敵なものがあるので、思わず私もチェックしてしまう。息子が目をキラキラさせて遊ぶ様子をみると、これくらいでそんなに嬉しいなら、いくらでも買ってあげて幸せにしてあげたいと思うではないか。
面白かったのはそのお宅で、ミドリガメが飼われていたことで、これがリビングの一等地に居心地のいい水槽の住居を構え、お母さんである彼女に一日一回、オキシフルをひたした綿棒で体の白くなった部分を浄めてもらい、水を入れ替えてもらった上に屋上に連れて行かれてちょこちょこと散歩をし、風と光を浴びる、という超おぼっちゃま箱入り亀であったことである。彼女は思いもかけず、息子と実母が気楽に買ってきてしまった亀を育てることになり、最初の1ヶ月は育児ノイローゼ状態だったというが(マジ)今では愛も湧き、この子を手放すことはないという。うーん、愛だ。亀のほうもここまでの手厚い待遇を受けたらもう、二度と自然に帰る気はなさそうだった。
私が避けている道楽は着物とペットである。オットは車に凝ることを避け、夫婦でスポーツ道楽にハマらないようにも心がけている。世の中には誘惑が多い。でも考えるとお人形はやっぱりいいよ。綺麗だし可愛いし、怪我も病気もしなければ年もとりません。死に目を看取る悲しみもなく、いつもただその存在だけで癒してくれて心配する必要もないしね。
帰宅したのは夕方で、例によってあっという間に1日が終わっちゃったなあと思ったけれど、久しぶりに仕事の話をもらったので、ちょっとやってみようかな、という気になった。オットに協力をお願いしてみる。あんまり気乗りはしない様子だ。私は自分のアイデンティティ確立のためにもこれから自分の仕事を持って行きたいのだけれど、それで子供に極端にしわ寄せをいかせるのは嫌なのである。親との同居について、ちらっと頭をかすめる。義理であれ、実であれ、親もまた個性の強い存在だから、私との共同生活は難しそうだ。子供が一日家にいる分には面倒の見ようがあるけれど、頻繁な幼稚園や習い事の送迎まではこなせないみたい。うーん、やっぱり私の仕事生活は前途多難…。


チョコエッグの世界名作メルヘンシリーズの中の超お気に入りの3匹のコブタ。
小さいパーツなのでうっかり子供に触られたくなく、でも飾りたくて仕方なくて、
大人の目線の高さの、食器棚の絵前に飾っています。
2004年3月14日(日)
 ホワイトデーだし、日曜日だし、のんびりしたいと思いながら忙しい。この1週間、ゆっくり家にいたことがまったくなかった。家が一番好きなのに〜(T_T)体は正直で、疲れを訴えて、あまりきびきび動いてくれない。壊れた洗濯機の修理に電気屋さんが来てくれて、みつもり修理金額の半分以下で済んだことでやっと気分が上昇、体力をひっぱりあげてくれた。
まずは美味しいパスタのお店で家族でランチ。それから体操教室に2日続けて参加。来週の発表会に備えて親子ゲーム、親子体操をするというので不安に思い、練習しようとでかけたのだが、これが予想以上にハード!!幼稚園の運動会の親子ゲーム程度のものを予想していたのだけど、体操教室のそれは遥かにハイレベル。息を切らしながら確実に明後日には筋肉痛になっているであろう体の節々をさする羽目になったよ。なんというホワイトデーでしょう。
オットからのプレゼントは人形じゃなくて食玩セットだった。ぽちぽち集めている途中で見かけなくなったチョコエッグの世界名作メルヘンシリーズのコンプリートセットである。海洋堂の造型を見慣れた目には確かに出来は劣るものの、雰囲気の面白さ、キュートさの魅力は否定できない。欲しくて仕方なかった末っ子ブタのレンガの家を組み立てて、前からあるわらの家、木の家と並べた時には歓声をあげてしまいました。
本当はカツラ付きバービー(ファンならスパ・バービーと言いましょう)が欲しかったんだけどまあいいか。


ワイヤーのプランターカバー。
おしゃれな雑貨もちょっと置いている酒屋さんの店頭で見掛けて気にして1週間。
山盛りあったのが最後の2個になってから思いきって購入。
白く塗られているところ、エレガントなラインがお気に入りです。
2004年3月13日(土)
 人の幸福に色々な種類があるように、不幸にも当然種類がある。たぶん最大の不幸は『死』なのかなと思うけれど、それはよく判らない。生きる上での苦悩に焦点をあてて考えても、私が経験した限り、肉親の死に到る病気を見つめ、その死を看取るという不幸はかなりきつかった。でも生きて行く上でじわじわと心を苛む悩みというのも、「命まではとられまい」とは言っても辛いものである。その幾つかを経験して私がかなり辛く感じるのは、人を「信じることができない」という不幸だった。
病気や怪我を背負っていても、仕事や勉強に息詰まっていても、経済的に逼迫しているとしても、信じることができる誰かを心に思い浮かべることができるなら、きっとどれも乗り越えて行くことができる。けれど信頼を無くした心にはどんな支えもない。崩れ落ちそうな自分に絶望しながらもがいているだけ、それが私が感じた大きな不幸の一つだ。なぜなら人は決して、一人では生きて行けないものだからだ。そのくせ、本来はどうしようもなく孤独でもある。
 昨年の今頃、信じていた人に裏切られて心が傷付いた。その人の謝罪を受け入れ、なんとか前向きに考えようと決めてきたのにその命日ともいうべき日が近付いたせいなのか、心の傷が傷み出した。まだ傷口はふさがっていなかった。乾いてすらいなかった。謝罪を百%受け入れることができていなかったのだ。なぜならもうたいして信じていなかったから。
信頼を積み上げるのには時間がかかるけれど、崩すのはほんの一瞬の時間で足りる。
押し殺していた失望と怒りが再度こみあげてくる、そんな自分に対してうんざりしながらどうしてそんな気持ちに今さらなるのか考えてみる。相手と話し合う。
第6感というものは確かにあるようだ。予感は的中していた。相手はまた謝ることになった。
私は無宗教であるが、神様というものがあるんだなと感じることが本気である。
トラブルを未然に防ぐためにたぶん呼び起こされた感もその一つだし、自然な時の流れと巡り逢いの中で、信頼できる人達をまた見つけることができたこと。それもまた天の配剤という幸福である。
なのに私は「赦す」という心を豊かにする大切な幸福な感情を自分の中に呼びさますことができない。
それだけ受けた心の傷が深いから、という言い訳はできる。
 むしゃくしゃするそんな感情を振り切るように、今日は朝からたくさん歩いた。桜並木の枝を見上げるともう重いばかりにつぼみが膨らみ、中にはちらちらと濃いピンク色をみせているものまである。雪やなぎの茂みは真っ白に燃え、沈丁花の香が空気一杯に辺りを満たしている中を歩いて行ったのは、精神科のドクターのクリニック。年老いて優しい、関西出身のおじいちゃん先生である。パニック障害で通い続けて3年と少し、今日ついに、もう来なくても大丈夫なんじゃない?と言われた。本を一冊貸してくださって、来月それをお返ししにいくのを最後の診察にしようと決まった。
信頼できる人、できない人。人生はめぐりあいが全てだと、昨年息子のカウンセリングをしてくれた精神発達科の女性医師が言った。本当にそうだと思う。
いつもどおりに掃除をし、洗濯をしながら、家族のための食事をつくりながら、子供の体操教室やバレエに付き添い、お母さん友達と喋ったり笑ったりしながら、心のどこかが悲しんでいる。どんなに忙しくしていても、広大な孤独の心の隙き間を埋めることができない。だけど生きて行くのあきらめることまでできるわけじゃない。せめて、私が苦しむ原因に、知らずにとはいえ関わった人に電話をしてその事情を告げたら、悲しみが大きく振動していき伝染した。
風邪は人にうつすと治るというが、私の心の傷の痛みもちょっとそんな感じになってびっくり。
間抜けでのんきな、愛される人柄に憧れて、そんな演技をしながら日々生きているような私だけれど(子供がうまれることになった時に、敵をつくるような言動はつつしむように身内に懇願されたので^_^;)、やっぱり本質はかなりキツイ人間だとしみじみ自覚した。昔はこのキツさで人をふりまわしていたのだった。思い出した。
ため息ついて目を閉じる。


今日は二足早くホワイトデー。
娘の戦利品です。
2004年3月12日(金)
 昨日とはうって変わって冷たい空気に身を縮めて歩く。とりあえず子供達を送っていったら家に帰ろうと思っていたのだけれど、今日はホワイトデーのお返しを渡す日だと気がついた。セーフ、セーフ。でもお店が開くのは10時からである。ひさしぶりに図書館に足を運んだ。近くにあるのにしばらく寄り付いていなくて、言ってみると楽しくて仕方ない。私は気に入った本はくどいほどに何度も読む。時間をおいて読む度に気がつくことが違うことが自分でも面白いのだ。感じ方の違いを通して、自分の過ごして来た年月を計れたりもする。言い換えれば、何度も読み替えしたい程好きな本があるという幸せである。でも全部がそうではない。さっと読んでああ面白かったで済んでしまう作品も多々あって当たり前なのだ。たとえば直木賞をとったある作家様のものもそう。確かに面白い。でも手元において繰り返し読もうと思わない。そんな基準で本を選ぶ。実際「借りたので良かったよ!買ってたらむかついてた!」というのもたくさんあって、まあ作品との相性なんだけれどね。ジェニーやリカのドールブックも図書館で借りてすますという人がいるけれど、これは私はだめ。絶対手元になくてはならない本だ。
そんなこんなであっという間に1時間は過ぎ、お店にむかった。二つの幼稚園、4つの習い事に通っていると道を歩けば知り合いに当たる。あっちで挨拶し、こっちで立ち話しつつ、買い物を済ませてみるとさらに1時間経過していた。今日はお友達の家にまたお呼ばれしていて、別の方とお弁当を買って行く約束をしていたのだった。慌てて待ち合わせ先に向かい、合流してお弁当を大人数人分と子供五人分買う。幼稚園で自分の子らと他のお子さんを預かり、引率してお友達の家へ。昼食、おやつ、おしゃべり。夕方ヘロヘロになって帰宅…………。8:30に家を出てからずっと心は自宅に焦がれているのに、8時間以上帰れなかった(T_T)。おつき合いはとっても楽しかったのだけど、でもなんだか消耗してしまう。今日は娘もホワイトデーのプレゼントを9個もらい、賑やかである。お友達の家のごちそうになったフォションのさくらというお茶、香がきついのも珍しくて美味しかった。あちこちから声をかけていただき、来週の予定もびっちり!と埋まってしまった。
私の母はこういうおつき合いを毛嫌いする人だった。気が着くといつの間にか私は人の輪からはずされていたという記憶がある。我が家だけ、極端に情報不足だったのだ。お友達は家族ぐるみでつきあい、夜店やアニメ映画、お揃いの服を買いにいったり、習い事の見学にいったり、お花見や苺狩りにいったりしていた。お誕生会などには呼んでもらえたけれど、それすらも母は渋った。呼ばれれば呼ばなければ行けない、それが苦痛だというので、「あんた、喘息だから行けないって断りなさい」というのだった…(^_^;)今の私には当時の母の気持ちも判る。でも子供だった自分自身のかなしさ寂しさも忘れられない。どちらを選ぶといわれたら、子供がお友達と一緒に楽しんでくれる方を選ぶ。
私の母はそうではなかった。まず最初に「自分の好き嫌い」ありき、という人だったのだ。その影響がもろに子供の社会にふりかかってきても「だって嫌なんだもの!あんたが気にしなければいいのよ!」と叫ぶ人だった…いや、叫ぶ人なのである、今でも。気が優しく、人に強いことが言えない。で我慢する。その分、家の中では感情の浮き沈みを子に対しても露にする。でもどうしても外に出るとなったら精も根も尽き果てる程に人に気遣い、努力する。そして目眩や偏頭痛をおこして寝込む(とほほ、私そっくり!)そんな母のアンバランスの呪縛から逃れようと必死でもがいている私は、やっぱり母の支配下で生きているということなんだろうなあ。母は私に美しいもの、楽しいものをたくさん教えてくれた。けれど自分の思い込みに満ちた嫌悪すべきものもそのまま信じさせようとした。母のコピーになりきらない私を今でも許しがたく思っている節がある。思えばそれは母の強烈なナルシズムだという気がする。結構、自分で自分のことが好きなんだね、お母さん…(^^;)私は子供が孤立する状況に、私の手で追い込みたくはない。

週末も予定はびっしり。でもオットが日曜日の仕事はキャンセルできたので、私はその日一息つかせていただきたいと願っている。
ちなみにオットはホワイトデーに何をくれるんだろう??どうも
「何かお人形買ったら?」
と言ってくれないんですけど…。


爽健美茶の小さいペットボトルについていたオマケ。
うわ、可愛いチャームだな、SDのアクセサリーにできるよ、と思ってこの二つを選んで買って帰ったら、
レイジースーザンのデザインでした。
説明書をみて他にも欲しくなったので翌日買いに言ったらもうなかったです…。
2004年3月11日(木)
 朝、家を出たらそれきり夕方まで戻れない…。それも辛いものがある。でも2度3度、出たり入ったりするのとどっちがいいかな〜。私には判らない。辛いんだけど楽しくもあるのが人とのおつき合い。辛く感じるのはどこかおかしいのだろうか?息子のカウンセラーの先生は私の日頃のスケジュールを聞いてひとこと「お母さまの自閉傾向もなおりそうでよかったですね」と漏らしたので、私も自閉傾向だと思ってるのね!?と思った。ふんだ、いいもん、子育て終わったら心行くまで閉じこもって暮らすもんね、私の理想はアルムおんじさっ。…それはさておき、自分の性分に合わない生活をするのもマゾっぽい感じで楽しい。気分は女優といいますか、こうあればいいのかな、と思う園児の母の型に自分をはめ込む。ちょっと苦しいけど上手く入ると嬉しい。それが正直な私の毎日の心境だ。
娘のお迎えが11:30、息子のお迎えが13:15、順当に行けば娘と何か買って帰って家に戻って昼食というパターンなんだけどどうしようかな、誰かを誘って一緒にランチしようかななんて考えていたら、誘ってもらえた。一緒にお弁当を買ってお友達の家にお邪魔する。途中、娘が遊ばせていただいている間に息子を迎えに行く。14:30まで遊ばせていただいてそれから幼児教室へ。買い物して帰宅したら夕方で。楽しかった一日、でも疲れてもいる毎日。最近はさすがの不眠症も鳴りをひそめ、夜、子供を寝かし付けるつもりで一緒に寝てしまう。気がつけばもう春休みは目の前だし、もうひとがんばり、って感じ。
 水銀反応検査をしてくれるところは案の定簡単には見つからない。日本の医学は優秀というけれど目に見える病気や怪我に関しての処置の話のようで、それ以外はダメなんだなあという現状がよく分ってくる。はっきり結果がすぐにあらわれる訳ではないから報われることが少ないという雰囲気が医者や医者を目指す人の中にもあるのだろう。けれど外科内科にしてもメンタルケアは必要なわけで、それが不十分なばかりに精神的苦痛を被ったという人の話はしょっちゅう新聞に載っている。ドクターハラスメントという言葉もある。
今日は有名な研究所の病院に電話をした。そこでは発達心理については全く力をいれていないとのこと、けれども水銀との因果関係についての相談にならのれると思う、と、昨日の国立医療センターの女医とは比べ物にならない思いやりに溢れた口調で受けて下さった。相手に期待させ過ぎないように断るにしても、ものは言い様なんだなあと思う。その人の生き方、人生観がにじみ出るようだ。例によって私の心がふと緩む。冷たさには身構えて心を鎧い、強い態度で立ち向かうことができるけれど、優しさには身を守る術がない。泣くのはまだ早い。いつか子供が成長して巣立って行って、一人になれたら泣きたいだけ泣いてみたいものだ。ああでもその頃は、もう泣く理由なんて感じなくなっているのかなあ。

 ニュースを見ると腹が立つ。今日、小学校1年生の女の子が自宅の団地の隣室の男性に殺された。下校したはずなのに行方が知れなくなって、警察が1軒1軒調べて回ったらその男の挙動がおかしくて捜査したら女の子の遺体が男の部屋からでてきたそうだ。私は叫びたい、全国のロリコン変態男に。あんた達の欲望のために苦労して命がけで出産して、すべてを賭けて育ててるんじゃねえ!
神戸の連続児童殺傷事件の犯人、サカキバラも世間にお出ましになる。彼は「悪いのは自分だけなのに、どうして自分の親兄弟まで責められなくてはいけないのか。どうしてそんなに世間は冷たいのか」と言ったことがあるという。百歩譲って、弟達に関してはそうだね、とうなずきましょう。でもね、両親はやっぱり生涯責められて当然なのだ。あんたという化け物を社会に向けて解き放っていたのだから。そんな考え方をしてしまう私の方が間違ってるのかしら。明日にはあんたの子供が加害者になるよ、そうしたらどうする?と言われるでしょうか。そうしたらたぶん…。


本屋でみつけてびっくり。
いつの間にか新刊でてたのネ。
ワイヤーの椅子可愛くて、その作り方まで載っています。
2004年3月10日(水)
 オットが新しいセクションに移って以来生き生きしている。顔色もツヤツヤ。そうだ、もともとこの人はこんなにも活気ある明るい人だったなあと思い、微笑ましく見守っている私って案外いい妻?ま、影でこっそり人形買ったりすることもあるけどね。
久しぶりにまたコートなしで外出することができた。あちこちで桜がちらほら咲いている。モクレンが見事なお庭や紅白の梅が素晴らしいお庭など、よそ様のお庭の景色を楽しませて頂きながら、家を出たり入ったり。我が家は駅から徒歩15分。一番微妙に半端な距離です…。子供の幼稚園、習い事は駅周辺で、とにかく行き来の数がすごい。それをほぼ徒歩で過ごしているので、結構な運動だと思う。私は自転車もあまり好きじゃなくて。というのも、停める場所に悩むことは車と変わらないからである。子供が生まれてベビーカーで出歩くようになって、細い道を、他の人のことなど歯牙にもかけずに停めてある自転車には泣かされたという思いでもある。自分はそうしたくない、と思うものの、私が住む町はほとんど、自転車用スペースなんて考慮せずに施設や店鋪が作られているのだ。そして区から派遣された警備のオジサン達が、眼光鋭く不法駐輪を取り締まっている。めんどうくさいので歩く。でも3往復はちょっとキツイです(T_T)
 自閉症の原因が予防接種に含まれる水銀による反応だという説をずっと調べ続けている。水銀排出療法で効果がでて、健常児になったという人の話を聞くと大変心が揺れる。でもリスクも大きい。「アルジャーノンに花束を」というような結果にならないとはまだ保証されていたいのだ。その療法による副作用について考えるとまっしぐらには飛び込めない。
でも水銀反応だけは調べたいと思い、2年前に息子が受信した国立の病院に電話した。驚いたことに発達心理科のその女医は私の話が初耳だと正直に応え、調べて電話するといった。五時間後にくれた電話の彼女の口調は氷のように冷たかった。まず、その水銀キレート剤を厚生省が認可していないこと。1990年代にイギリスで調査が行われた結果、自閉症との因果関係はないとの結論が出て、以後アカデミックには認められていない。当院は厚生省直轄なのでそこで認められていないことには一切ノータッチです、親切なことを行ってあげられなくて申し訳ないけれど。とのこと。他の病院でお願いするとして何科を受診すべきかとの問いにも「それこそインターネットでお調べになったらいかがでしょうか」との応えだった。
厚生省の認可、なんて笑っちゃう。
日本では数十年、女性の避妊薬ピルが認められなかった。性風俗の乱れにつながるなんてオヤジ議院の堂々とした発言もまかり通り、恋愛と不本意な妊娠のはざまで苦しむ女性がいても、それはその本人の道徳観念のなさによる自業自得の悲劇、と言わんばかりの風潮できたのである。ところが。悩める男性を狂喜させたというバイアグラは申請1年で認可がおりた。それでさすがに仕方なくなり、ピルも申請20数年以上経ってやっと認可されたのである。
それにあの有名な血液精製剤の悲劇はどうだ。輸入血液によるエイズ被害が予想されていながら、その在庫を大量にもっている大手企業が損をしないためにだけ、ストップをかけなかった。そのためにとんでもない悲劇が起きたではないか。スケベで強欲なオヤジに日本は支配されているのが丸わかりのエピソードの数々である。
これを言うと女医は言葉を失った。「色々、考えるべき点があるのは厚生省だけではないです」そう呟いてそっけなく彼女は電話を切った。あなた、厚生省のお役人の娘さん?奥さん?とききたくなった。
アメリカ、イギリスをはじめとした先進国諸国で自閉症児の数は増加していく傾向にあるということをどう考えればいい?何かがおかしい。どこかに原因があるはずではないだろうか?
 洗濯機が壊れかかり、修理の手配をし、バレエのレッスンにでかける。帰りに道の向こうからとても馴染んだシルエットが見えた。いつもよりずっと早く帰って来たオットだった。私達を迎えに来る途中で出会ったのである。子供達は大喜びでパパー!パパー!と叫びながら走り寄って抱き着いた。その一瞬の光景で私は今のままでも十分に幸せだと思った。けれど、息子のためにはできることはなんでもがんばろう、とも誓った。これから納得できる病院との出会い探索の旅に出るつもりだ。
 帰宅後、そのことで幼稚園の先生がお電話をくださった。ひたすら敬服。改めて勇気がみなぎってきた。息子の障害がどの程度のものなのか、それが本当に障害なのかどうかさえ判らない。答えははるか未来の闇の中、という気がする。でも私があきらめたらすぐそこで物語は終わってしまう。息子の人生という物語を、彼が自分で紡ぎはじめるまではその責任は私にあるのだから、だったら私は何もあきらめない。素晴らしい幼稚園、教諭に出会えた、息子はそんな強運を持っているのだ。その運を信じようと思う。


タイニー・アン・エステルの布製の王冠は可愛いです。
大袈裟で色鮮やか、キラキラのラインストーンとフェイクファーの縁取り。
遊んでいて楽しくさせてくれるから、やっぱり着せ替え人形がすき。
2004年3月9日(火)
 息子が遠足に行く時にうちの前を通ると先生に教えてもらった。それで車の影に隠れて息子を見送り、少し遅れて行き先の公園にも行く。遠目から様子を伺い、レストランに入って一人で気軽に早めのランチを楽しみながらふと思った。私のこの生活は、息子のプチストーカーではないか、と。ううう、でも心配でいられないのだ。先生方にご迷惑をかけるのも心苦しく、何かあればすぐに駆け付けられる心構えでいると、自分でもとても安心なのである。
ちなみにストーカーという言葉もプチをつけると可愛いわねえ。
美術館の中をゆっくり見るつもりだったけれど、人形の写真を撮っていたら時間がなくなった。入館料¥800も惜しくなったりして。チリも積もればスーパードルフィー買えるもの〜♪
 昨日お客さまでばたばたしていてろくにニュースを見ていなかったら今朝、鳥インフルエンザ問題で渦中の浅田農産の会長夫婦が自殺したとの報道を知り、大変驚いた。死者を鞭打ってはならないとは思う、痛ましく思う。けれど「死んでお詫びを」という気持ちがあるのなら、なぜ、最初の決断を謝るのだろう。消費者の口にはいる食べ物を扱う人はみな考えて欲しい。どの一瞬一瞬にも人の健康が、もしかしたら生死がかかわっていることを。私は卵が大好きで、ま日絶対食べないではいられないのだけど、さすがに生はやめるようになった。そうすると無性に食べたい卵かけごはん。ほかほかの炊きたて御飯の上に落とした生卵の美味しさを思い出し、のどがなったりする。
自然の脅威のひとつである病原菌。人間はやはり小さい弱いものだと思う。今年はあまりsarsの話題がないけれど、あれは大丈夫なのだろうか?


娘がハマっているもののひとつ、シンデレラのクッキー。
キラキラのイヤリングシールが本気でたまらない魅力らしいです。
2004年3月8日(月)
 子供達が午前保育なので、お友達とランチして我が家にお招きする。みなさん、私の人形棚を見るのをとても喜んでくださるので、最近はお客さまの呼び甲斐を感じている。女の人は割とみんな好きだなあ、お人形。食玩にもいちいち感心してくれるし、説明しながらお茶を飲んでいるだけで楽しい時間はあっという間にすぎる。
楽しい、なのにお客さまが帰るとドッと疲れて、ふらふらする目眩に襲われる私。やっぱり軟弱者だな。
明日は息子の遠足。娘はカレーパーティー。二つの幼稚園の行事が頭の中でシンクロし、手をつないでダンスする。とりあえず毎日ひたすらメモをする。子供達を送り届けてから現地で息子を拾うまでの間、空白の時間がある。それを更新にあてたいとも思うのだけれど、近くの美術館に行ってぼ〜っとしていようかな、とも思う。たまたまそこで、小磯良平氏の展示をしているのだ。神戸が誇る古き良き時代の画家である。
 夜、NHK衛生でこの間の「アカデミー賞授与式」の総集編を観る。単純に感動。私が思い付く限り、一番豪華な世界がこれかも知れない。何気ないショットのどこかにすごい有名人が映っている。女優陣の華麗にして奇抜、ゴージャスなドレス姿にうっとり。目のやり場に困る程の露出度の高いドレスもハリウッドの女優ならではのプライドで着こなしている。観ているだけで嬉しい、楽しい。プレゼンターのコメントも大好きだ。司会のビリー・クリスタルを観て、またも自分の老化を実感。昔から私は彼が好きじゃないのに見入ってしまう。メグ・ライアンとの有名な共演「恋人達の小道」でも彼が相手役で不足だった。つまり全然私の好みの男性じゃないのだ。にもかかわらず惹き付けられる、というのは悔しい。やられた、という気がする。あの映画も若かった私にはただ面白いだけだったのに、今となるとすっごく良く判るし、だからこそあのエンディングもいいなあ、と。あくまで「添える」ということにこだわるメグをちらっと見て、諦観してうなずくビリーの表情。絶妙だなあ。ビリーファンじゃないのに、昔の恋人の愚痴をいいながらグショグショ泣くメグに、無表情でありながらリズムよくティッシュを渡すシーンがとても好きだった。年とった彼のユーモアあふれるセンスの良さを、素直に認められる程に私も年をとったな、と。
数年前に、ロバート・デ・ニーロとアル・パチーノが並んでプレゼンターを務めたことがあったけれど、あれを録画しておかなかったのが私の痛恨の一つになっている。
素のジョニー・デップのハンサムさにびっくりしたり、ニコール・キッドマンの美しさに唸ったり。レニー・ゼルヴィガーの純白の50年代風ドレスに見とれたり。(彼女がまたふっくらぽっちゃりしてるところが可愛くて好きだ。普通、私はスレンダーな美女が好みなのだけど)
なんて色々考え続けて、気がつくと疲れが癒えてます。好きなことにひたるのが、やっぱり一番のリフレッシュ方法だよ。


オットの故郷に向かって車を走らせていると途中でいきなり正面に富士山が見えてきます。
今日のお天気ではどうかなあと思っていたけれど、美しい姿が見られました。
2004年3月7日(日)
 オットの祖父母は、私達に子供ができる直前に相次いで亡くなってしまったのだけれど、それがオットの悲しみになっている。オットは大のおじいちゃんっ子、おばあちゃんっ子だったのだ。私が初めて会社で彼とであった時、恋愛準備中の若い男女に相応しく(笑)それなりに情報開示しあったのだけど、なにかのきっかけで
「オレね、自分のおじいさんおばあさんが一番好きなんだよ」
と言ったのだ、それに驚き、うっかりしたことに感じ入ってしまったのである。その一言で彼の暖かさ、愛された人生が想像できた。家の良さって名誉とかお金ではないと思う。それもあれば結構だけど、家族を愛するという当然の事をどれだけ深くできているかが家の良さだと私は痛感する人生を送っていたので(若いのに苦労してたさ)彼のその一言で、一瞬でいい家の人だと思った。
そんな彼の後悔はほぼ、亡き祖父母にかかわることである。自分の子供達の顔を見せられなかったこともそうだし、最近、自分のランドセルをおじいさんが買ってくれたんだと言うことを知った時も悲しんだ。
「オレ、知らなかったらから、ひとこともじいさんにランドセルのお礼言ってないよ」
笑うなかれ。オットの思いは純粋である。彼は祖父母から受けた愛のひとつひとつに自分で感謝の言葉を述べたかったのだ。優しい人達は彼にたくさんの愛を残して、自分達のやったことをひけらかすことなく逝ってしまった。
そんな愛の思い出をふまえて。さて娘のランドセルである。
待望のメゾピアノのランドセルが一昨日届いたと新宿高島屋から連絡があった。オットはそれを受け取り、そして自分の実家に発送した。そして私達は今日、彼の故郷に出かけた。
娘の入学を祝ってあれこれ送ってくれる義父母に感謝を直接述べたくて。何より娘に、誰が自分の入学を祝い、大切なものを贈ろうと気遣ってくれたかを実感して思い出にして欲しくて。
オットの叔父夫婦もかけつけて皆でやんやと祝う中、娘は取り出されたピンクのランドセルに顔を輝かせ、恥ずかしそうに、でも晴れがましそうに、初めてのランドセルを背負った。その姿を見たとたん、私もびっくりするくらいじーんとしてしまった。新生児室で初めて娘を抱いたことが昨日のように思い出される。家族の愛に包まれた子供の姿を見ることができるって、なんて幸せなことなんだろう。
いつものように、オットの家の代々のお墓に参って、海岸を散歩して、子供達を義父母にたくさん可愛がってもらって帰宅。充実した一日。
自閉症についてのTBSの報道特番を夕方、別の叔母から電話がかかってきて教えられてみた。予防接種に含まれている水銀が自閉症の原因であるという可能性を検証した番組で、私もオットも絶句してしまった。ものすごく…あてはまる。また新しい行動をおこさなければいけなくなりそうだ。


先週、東京に帰って来た夜、首都高速を走る車の中からパチリ。
東京タワーです。
2004年3月6日(土)
 今日は銀座博品館リカちゃんCLUBの「ろくななの日」。毎月このショップ限定の特別なお人形が発売される。今月はまた初代レプリカちゃん3体と10着ものドレスが発売。数日前から悩みに悩み、朝必死で電話。1時間つながらなかったのでダメかな〜と思ったけれど、欲しかった子とドレス、無事に買えました。お財布からっぽ…………。今回のリカちゃんはアップヘアで、いずみちゃんもアップヘア。アップ好きの私には無視できず。ピチピチ風リカちゃんは涙を飲んで回避(アップヘアだったらヤケクソで買っていたけれど、ゆるいソバージュを低めの位置でツーテールにした髪型だったんので)。またへそくりがたまった頃に行って売れ残っていることを祈るばかり。
これがあったから今日一日のせわしないスケジュールを頑張ってこなせた。朝起きたと思ったらもう夕御飯をつくるためにキッチンに立っている自分に呆然としたりして。人とおつきあいするのが苦手で会話下手な私なのに、日に何人の人と会い、言葉を重ねて笑みを交わしあい、情報交換していることでしょう。それは決して嫌なことではない。でも気が付けば私は巨大なネコさんの皮をかぶっているので、帰宅した瞬間にその重さを実感するのだ。
バレエ教室では仕事をしているお母さまが「専業主婦で保育時間の短い幼稚園に行かせているお母さん方って、一日中お茶ばっかりしているんでしょう」と言われた。うーん、その高みから見下ろしたような口ぶりはなんでしょうね。偏見いっぱいですな。そう言われるとこちらにも偏見があります。
小学校などでは特にそうだと言われているけれど、クラスで落ち着きがなく、人間関係をとげとげしくさせている子のお母さんはたいてい働いていて、保護者会にもでてこず、自分の子供の実態を全然把握してないのよ、迷惑よ、産みっぱなしよ、困るわね〜、というヤツです。現にそのバレエ教室の前の体操教室ではまさしくそういう会話があり、のどかな幼稚園児の母でしかない私は、来るべき小学校生活を憂えながらそのお話を拝聴してきたところだったのだ。バレエ教室のそのお母さまのお子さんはね…う〜ん、女の子らしくはないわね。もっと人に優しくてもいいかな?って感じです。うん、くれぐれも他人に対する優越感(大体その優越感に根拠がないし。どれほど立派なお仕事をしてらっしゃるか知らないけどね)を臭わせるのはやめましょう、おとなならね。墓穴掘るわよ。
そんなこんなで一日がこってり過ぎます。最近映画も見てないし、録画しておくドラマも見ないでたまる一方。親にも春休みが欲しいと切望する毎日。


有名な安い靴通販でもう夏用のサンダルを購入。
この夏は脳天気に過ごす予定(願望)
2004年3月5日(金)
 娘が卒園遠足で葛西臨海公園水族館へ。新宿に8:55分集合。たまたまオットは休暇をとっていたので送るのを引き受けてくれる。朝のラッシュに慣れないクラスメートの母子達を立派にエスコートし、株をあげたらしい。あとでさんざんに褒めそやされた。まあ自分のパートナーが自分のレベルと言いますから、値うちをあげておくに越したことはないようです(^^)お迎えは私が担当。他のお母さん達と協力しあうべく新宿高島屋ディズニーストアで待ち合わせ。軽くショッピングしたあと13階のイタリアンでランチ。すみません、私一人だけグラスでワインを頂きました。飲む機会を逃すことができなくなっています、やばいです。でも昼間から飲む酒サイコー。
お喋りは楽しく弾んで、でもそれがうわさ話になるのは女の仕方なさで。言われる立場であることを諦めておけば、聞く方に回っていてもふ〜んそうなんだ〜、と楽しめる。
社交的で明るく、誰からも好かれている人が「わたしってひとりなんだと突然気付く瞬間があって、その孤独がたまらないの」とおっしゃる。最近も同じように社交的な人気者の女性から「外に出ていないとたまらないの。家にいるとドンドンドンドン落ち込むのよ」との話も聞き、私はすっかり感心してしまった。やっぱり人は孤独説がさらに裏付けられて納得したのだ。
「誰でもさみしいの。孤独で当たり前。それでいいんだよ」
と皆で肩を叩きあう。
私は孤独で当然と諦めながら生きて来て、でも一人で家にいるのが好きだ。私には私の世界があって、それはよっぽどの珍事がない限り、私の中で揺るがない。たぶん、他の人より孤独を自覚するのが早かったので、それについて考え、どう付き合って行くかを決める時間が長かったおかげではないかと思う。でもこれから「ああ、私って一人だなあ」と思う瞬間はなくなるのではないかと、今日と言う今日は確信した。皆がそうなら、人間がそういういう生き物だと言うことだと思うし、それならそれで仕方ないし。
女が数人集まれば、3時間なんてあっという間で子供を迎える時間になった。かなり楽しかった。
でも地元ののんびりした、何もない町に戻ったら本当にホっとした。幼い子供達を連れて都会の雑踏を歩き、電車に乗るのはやっぱり緊張感がすごい。帰宅途中にオットが、至急自分と合流しろと電話して来たがふりきって帰宅。オットは世界のマエストロのための番組に後輩の中の一人として出演。マエストロ指揮で合唱し、夢見心地で帰って来た。その方が棒を振ると、魔法のように声がでるのだと。番組収録後、マエストロは帽子をかぶってちゃりんこに乗り、さっそうと近所の御自宅に帰って行ったそうである。そう、撮影はオットの母校で行われたのだ。その小学部の合唱部の歌がまた素晴らしかったそうで、それにも彼は感動していた。しきりに私にも来て欲しかったと言うけれど、日が悪いよ〜。今日は本当に疲れたんだもの。
週末だけれど、カレンダーの予定は来週末、うんにゃ、その先もほぼ隙き間なく埋まっており、それを確認すると急に心の余裕がなくなって、神戸の親友に電話した。懐かしい友達とならいつでも即座に漫才ばりに会話が弾む。彼女の笑い声を聞くと、私も正直、些細なことは笑い飛ばしてしまえるのだ。忙しくてもがんばりましょう。


この色合いも好き。
小さい頃、母が買ってくれた童話の本に、パンジーの形は天使の顔の形、とかいてあった1文が
今もずっと心に残っている事を、パンジーを見る度に実感します。
2004年3月4日(木)
 ひさしぶりに寝坊をしてしまって朝からものすごく驚いた。最近は空が白みはじめるより早く目覚める日々だったのに、急に若返りでもしたのか私!?ンな訳はないのだが、目覚ましをかけ忘れてもいないそうだ。オットは目覚まし時計を止めている私を感じていたと言う。私には記憶がない。
おかげですべての予定がずれこんだ。掃除洗濯をせずして痛恨の出発。子供二人を幼稚園に送り届けて速攻帰ろうと思っていたら、ママ達とのお喋りの輪にはいり、長々と時間をかけてみんなの携帯電話の番号を交換することになってしまう。帰宅して必死で掃除せんたくをし、ゲストブックに書き込みしてくださった方達へのお返事をかいていたらもう、娘のお迎えの時間だ。彼女を迎えて45分の間に昼食を食べ、息子の幼稚園の保護者会に駆け付けなければならない。ミスタードーナツに入るとまたママ友達が。その方と息子の幼稚園について語らってあっという間に時間が過ぎ、ちょっと遅刻して保護者会に出席。1時間後、息子をひきとって、幼児教室へ直行。このあたりから空模様が怪しくなり、急激に寒くなってきた。いやな感じ〜、花冷えってやつ?
帰宅後やっと念願の更新ができました。可愛い子だわ、やっぱり。お人形遊びほど私のストレスを解消してくれるものはないです。早く子育てを終えてお暇をもらって、人形遊び三昧したいよう。その頃はもう欲しいだけのお人形は買って気がすんで、地味になってる予定。あくまでも、予定。
 年をとった人の気持ちが判るなあ、と思う事が年々ふえてきた。その一つが自叙伝をかきたくなるというアレである。いや、別に私にはカタル程の人生はないとは思うものの、ただ出産、育児に関する思い出だけはちゃんと整理して文章にして残したいと思っていた。それをコツコツやっていて、ふとためらっている。
私の息子について語ることはどうなのだろうか、と。息子が自閉傾向だと言われた時の絶望感まではいい。でもその後のわたしの浮き沈みの心情を描くことは…。自閉症そのものではないからまだ希望があると思っていることとか、知的発達障害を伴うことも多い自閉症の中で、息子は幸いそれはないことが分った、むしろ知能指数の高さは評価されつつあってよかったと思ってることとか…。なんでもない人が読めばフ〜ンなことも、実際にそのハンデを背負っている人の目に触れたら、その心を切り裂いてしまうことなんだよね…。
昔、歌手の小泉今日子さんが休暇をとっている間に、実はエイズに倒れたのだという噂が流れたことがある。その事件とは前後しているかも知れないが、私が今でも大好きなクイーンのフレディ・マーキュリーがエイズで亡くなったことにショックを受けていたので、印象が強かった。やがて仕事を再開した小泉今日子さんはインタビューで、「なぜエイズだという噂をはっきり否定しなかったの?」と聞かれ「私は違います、と答えたら、本当にあの病気で苦しんでいる人達をもっと傷つけることになると思ったから」と返事をされていて、私は感心した。もともと、同じ年の彼女が好きだった。でももっと好きになって、今でも尊敬している(離婚しても頑張って!)
彼女のその言葉から考えて、私はやっぱり自分の育児日記を公開するべきではないんだなあ、と思っている。何かのキーワードで検索して辿り着く人を、知らないとは言え傷つけるのは悲しいもの…。


表紙の可愛さに、英語も読めないのに購入してしまいました。
2004年3月3日(水)
 オットがいないと夜更かししてしまう自分の癖を、3年ぶりに思い出した。朝はぼんやりしていたけれど、寝坊せずに起きる。洗濯をしてびっくり。オットがいないとこうも少ないの?そういえばオットは日に2回、下着を取り替える人である。外出用と家で過ごす用にわけているので、最低でもパンツ2枚にTシャツ2枚が1日に一回必ず洗濯物としてだされるのだ。昔、私が出産のために入院している間、実母がオットの面倒をみてくれていたのだがこれには非常に悩んだ様子で「○○さんはパンツを2枚重ねてはいているの?」と聞かれた事があり、大笑いした。ま、綺麗好きな人で私はいいと思っているけれどね。でもふ〜ん、洗濯物はこんなに違うんだ。。。
 水曜日は幼稚園はお弁当がないので、子供達を午前中に迎えに行く。娘の幼稚園のお友達のお母さんと話をしていて(ま、早い話が悪口談義にはいっちゃったんです)、感心したというか呆れたと言うか。ある方が、子供が集団から浮いている、と非常に悩んでいるそうなのだ。
曰く、自分は昔から人から浮いた事がない、むしろ他の子のお母さんに「あの子みたいになって!」とお手本として推挙される側の人間で、OLになってからは「お嫁さんにしたい子ナンバーワン」と言われて、NT○の人を選んで結婚した時も、羨望の的だった。そんな私の娘がどうして幼稚園の先生に「多動症の疑いがあるから一度病院で診察を受けて」と言われる羽目になるのか…うんぬん。
ささ〜っとみんな引きましたね。
「ものすご〜く自分の事を好きなんだねえ」
と思わず感想をもらしたら、みんなに大ウケましたが、それは本来そんなに悪い事じゃないです。ただ物事には表現のしようで感じが良くなるもの悪くなるものが多々あり、その辺を嗅ぎとりながら人と付き合って行く事が人間としてのセンスだと思うのだけど、くだんのお母さまはあまりその辺がよろしくないようで。みんなの意見は
「子供は親の鏡だよね〜え!」
だった。え〜ん、こわいよう。た、頼むわよ、子供達、と今さら取り繕おうとしても始まらないんだけどね。
私的には問題のお母さまに「窓ぎわのトットちゃん」を再読してみるよう、おすすめしたい。
そんな立ち話に時間を費やしていたらあっという間に時間が経ってしまった。今日更新するつもりだったのに、一旦帰宅して昼食作って食べさせて、バレエ教室に行って帰って来たとたん、オットも名古屋から帰って来て。夕方5時半に帰宅なんて私の予定より2時間も早いでないの。その2時間で更新するつもりだったのにな〜(>_<)しかし、主婦のうわさ話を侮ることなかれ。これも重要なコミュニケーションであり、やっぱり自分を映す鏡なのだから。
オットは、帰宅した瞬間に雛祭りのパーティーができると思い込んでいたようで、私のだんどりが悪いといいたげにムッとしていた。一日のスケジュールを説明し、ゆえに今から御飯を作りますと言ったら
「オレは別に責めてないんだよ。ただ、まだ何の支度もできてないね、と言っただけで」
と真顔でいう。あの〜、それ責めてますよ?みたいな(笑)
こういうときは、サザエさんの中のフネさんに憑いてもらうことにして、ちらし寿司とはまぐりのお吸い物をつくる。
幸いとっても美味しくできた。
来年こそは欲しいなと思うものがある。桃の節句用の食器だ。お雛様や桃の模様の小皿などのひとそろい。贅沢だけど、それを使えばきっととても豊かな気持ちになれるでしょう。うん、来年こそは。
娘に着物を着せるとオットも大喜び。写真撮影に我を忘れる没頭ぶり。我が家はアルバム御殿とも呼ばれていて、娘は1才の誕生日までに最高にぶあつくしたアルバムを3冊持っていた。それから6年9ヶ月、もう数えたくもありません。オットの最大の趣味は、写真を整理することだ、というにとどめましょう。
しばらくチェックを忘れていた「天才!柳沢教授の生活」の21.22巻をオットが見つけて買って来た。終戦直後のお話がまだ続く。深い。深いけれど辛い。あまり眠る前に読みたい本じゃない。素晴らしい作品なんだけど、最初の頃の軽さもなつかしいなあ。今月の最新刊でもまだ終戦直後の話はおわらないのだろうか。


ああ、私、本物のアリスを手にいれたんだなあ、と思った瞬間。
2004年3月2日(火)
 オットはもう今では、私が人形を買う事を全然反対じゃないと言ってくれた。昨年の秋に私が体調を崩しきって弱り果てていた時に「どうしても叶えて欲しい頼みが一つある。頼むから俺より先に死なないでくれ」と言ってくれた言葉の次に、嬉しい言葉だった。
ただ家庭は絶対に大事なんだから、良識で判断して買いなさいねと注意され、気合いを入れてコレクションに取り組む覚悟を新たにした。
ふと外で時間が空いた瞬間に、手帳にお人形計画を書き込んでは悩むのが楽しい私。うーん、オタクの真髄?
 今日も息子はお休みで、二人でのんびりくつろいで過ごした。ソフトクリームをなめにいったり、ペットショップの犬を覗いたり。アプリコットプードルが可愛いなあと前から思っていたのだけど、なんと50万円もするのね。値段が可愛くない(>_<)
 ところでお友達のお人形など拝見していると、皆さんとても可愛いお名前をつけていらっしゃる様子。私も触発されて、最近マジで子供を出産前に買い込んだ名付け本とか見ている。ブライスとSDくらいにしか名前をつけたことなくて、そのブライスも最近の2体は仮名のままだ。いかんいかん、やっぱり名前は親が子供に一番最初にあげる愛の贈り物だもんね!ついつい妹が秋に産む赤ちゃんの事も考える。銀っていう名前に前から憧れてるんだけど、ダメだろうなあ。
 4、5人の友達と携帯でやたらにメール交換している毎日。パソコンをあけてもやっぱりそう。こんな私を、携帯もパソコンも持っていない友達は笑う。彼女は古風に手紙をくれる。ポストを開けた時に入っている手紙はまた確かに、メールとは違う感激がある。今日はオットが3年ぶりに出張で名古屋に出かけていていない夜。子供が寝たらゆっくり、彼女に手紙でも書いてみようかな。

妹の結婚式の引き出物。MIKIMOTOの角皿&鯛パイ。


お皿、さっそくお雛祭りに使いましょう。
「鯛のパイなんてあるのねえ」ベッツィーちゃんも感心です。
普通のパイ皮に餡子いりだよ、本当の鯛の身をほぐして入ってる訳ではありません。
2004年3月1日(月)
 3月にはいっていよいよ春かな〜!と期待していたら肩透かし。昨日より気温は一気に10度もさがり、しとしとと冷たい雨まで降っているではありませんか。けれど、オホホ、余裕でございます。息子はどのみち代休だし、娘も休ませちゃおっと夕べからとっくに決めていたのだもの。幼稚園はお気楽でいいな。
洗濯をして、のんびりアイロンをかけて、子供と遊んでお料理して。
毎月1日に必ず更新しようとは決めていません。トップすら変える自信はなかったりして、ただゲストブックだけ簡単なので模様替えくらいしようかな、と思うくらいで。
別に何も気負ってはいないのだけど、最近お人形では嬉しい事が続いていて上り調子なので、今日もちまちまと更新してみた。これが案外ストレス解消。しなくちゃいけない、と思わないで、純粋に自分の楽しみとしてやっているのがいいのかな。ダイエットもそうだしね〜。好き、っていうことが一番大切な私の人生だ。
オットはハードスケジュールのあとの出勤で可哀想だけれど、でも人事異動以来みちがえるように元気になった。彼はやはり動の人である。「静」としてデスクワークに縛られていたこの1年程、精彩を欠いた彼を見た事はなかった。父として早めに帰宅し、一緒にお風呂にはいり、土日にいつも遊んでくれる彼の存在は子供達にとってかけがえがなかったので、決してこの1年が無駄だったとは私も思わないし彼も言わないが、また自分の本領を発揮できる部署に移してもらえたこと自体が彼には幸せな評価なのだ。私もせいぜい足をひっぱらないように頑張りましょう。お人形さ買わせてくれればいいのよ、おほほ。