「のだめカンタービレ」風にいうと、うき〜。
久しぶりのゲームソフトです。
私が人生で初めて体験して、のめりこんだRPG「ドラゴンクエスト」天空の花嫁」
プレステ2ソフトになって帰ってきました。
ゴールデンウィークはゲーム三昧!?

2004年4月30日(金)
 オットが休みをとっているので、いよいよ我が家は本格的にゴールデンウィーク突入です。いや〜、骨休め骨休め…ところがドッコイ、またしてもオットが立てた計画は過酷なものでした。風邪引いて、自分はすっごく体調悪いのにねっ。
オットが娘を学校に送っていく。案の定、彼女は不機嫌で心配させる。登校拒否、いつか来るかもしれないなあとちらっと心の片隅に覚悟を置いておくことにする。実は私も小1の時やったのサ。完全なる五月病だった。
オットはその後、内科医、整骨医、眼科を梯子。一方私は息子を幼稚園に送り、家に戻って掃除洗濯、お友達への手紙書き、今日のオットの予定の下調べ。
息子を昼前に迎えに行く。今日もたくさんの愛を幼稚園でもらっていたらしい息子。最近はもう絶対、最後まで教室から出てこない。とことんギリギリまで遊び抜いて、大好きな先生達とたっぷりコミュニケーションをとるのを楽しんでいる。自閉症は先天性の不治の病であるという。でも今の息子を見ていると、奇跡を信じられる気が少しする。それが卒園までの、あと2年間の神様からの贈り物に過ぎなかったという結果を見るのだとしても。
気がすんだ息子を優しく送りだしてもらって、オットと駅前で待ち合わせ。前からねらいをつけていた中華料理店でランチ。激ウマ!!親子で舌鼓を打ちながら、私もオットも一抹の良心の呵責を感じずにはいられなかった。
娘は2日間の試し給食を経て、今日からついに本格的な給食を体験している頃。それがまた、一般的には子供の好物とされているのに娘が大嫌いなカレーライスなのである…。今頃どんなにあの子は苦闘しているだろうか、と夫婦で言い合うと思わず箸が止まるのだった。でも美味しかったけど。
そんな娘を迎えにいってみると、なんと元気一杯。ちゃんと野菜も食べたと胸を張って顔を輝かせている。ハラショー!(なぜにロシア語)親の私達はあなたの実力をみくびっていたわ、と反省しつつ大喜び。給食当番もつとめたということで、娘は朝の不機嫌顔もどこへやらの生き生きした表情だった。みくびっていたのは娘のことばかりじゃなく、学校という教育のプロのこともかもね。失礼しました〜。
 それから一路青山へ。ラフォーレにはいっている私が大好きなブランド店ででオットが重ね着用チュニックとキャミソール、靴を買ってくれる。ど、ど、ど、どうしたの、この大盤振る舞いはっ、と怖くなる。
 そのブランドのお店は昔から私の好みのツボにハマっていて、育児中ずっと眼を反らすようにこころがけていたのに、久しぶりに訪れるとやっぱり、もう好きでたまらないものだらけ。娘が生まれる2年くらい前に知って、一時ここの服ばかり買っていた。子供が生まれてブランド服なんか着ていられなくなり、このまま私の人生から忘れ去られるかと私自身が思っていたのだけれど…オットの方が覚えていたのだ。
自分を着飾る華やぎを少し思い出しかけた。まあその横で、息子がそこら中を転がったり触ったりしたバッチイ体で私に抱き着こうと虎視眈々としているので、決してのめり込むことはないとは思うものの。たまにはいいかなあと思う。
 オットの靴選びに竹下通りまで足を伸ばしてお店を巡り(でもオットのお眼鏡にかなうものがなかった)ここまで来たら、シャーリー・テンプル本店まで行きたいところを我慢して車に戻り、娘を未知のバレエ学校の体験レッスンへと連れていく。これが本日の一番の命題である。
娘は途中で状況に気付き、私、バレエが嫌いなのよと泣きべそをかく。これは半年前くらいからよく言う台詞である。でも踊り出すと熱心で、レッスン後は必ず楽しかったと言うのだ。思うに、バレエそのものは楽しく、でも教室とフィーリングがあわなくなってるのではないかというのが夫婦で導きだした答えである。
我が家は人より少し習い事が多く、息子のハンデのこともあり、教育に携わる人に関わることが多い。日々、感動するのはその人達が持つ暖かさ、教え子達に対する揺るぎない「愛」である。それでいうと、娘のバレエの教室には物足りないものを感じる。どこかおざなりな雰囲気というのだろうか。下らない事かも知れないけれど、私にはどうしてもひっかかること。世の中そんなに甘くないのが当然なのだとしても、愛を感じる場所を探してみて悪い事はないと思う。今日はその第一歩というところだ。
 娘は着替えながら泣きべそをかき、私に抱き着いて来た。学校は思っていた程おおきくないけれど白くて、金色の装飾と鏡張りの壁で輝いている。レッスン室は広い。当然か。ここが主な場所だもんね。
ゴールデンウィークの合間と言う事もあって、生徒さんの数は少なく、先生はきりりとして、それでいて優しそうだった。父兄は外にだされ、ドアが閉められまったく中の様子は判らない。今にも娘が泣いてでてくるかと思ってドアのすぐそばで1時間過ごした。しかしまた娘は底力を見せたのである。
楽しかった〜。と最後までレッスンを受け切って出て来たのだ。先生にはかなり経験がありますね?と聞かれ、十分ここでやっていけると思いますよ、と言われた。
でもなあ。バレエ教室ってすごく不透明な部分があって、それが怖い。入会費や月謝はすごく穏当で、むしろかなり安いのではないかと思う。でも発表会費となると…。ズバリその部分を聞きたくて頑張ったのだが、明らかな答えは得られず怖さが募る。オットと相談するにこのバレエ学校の規模で言えば推定やすくても30万円、もしかしたら50いく?というところ。ちょっとそこまではしたくないかな〜。娘がバレエに情熱をめらめらと燃やして顔を輝かせて打ち込み、他の習い事は全て止めれば別だけど。
それから今、我が家の習い事があまりに多いため、時間が重なりまくって調整がかなり難しいというのもあるのもある。
さらに雰囲気。ハイソなんだよ〜(涙)私なんか普段着で行ってしまいました…。お母さま方、皆、ひどくお美しい。漂う緊張感と高級志向。タジタジしていると一際美しい方が。おおお、女優さまではございませんか。娘はその方の御令嬢と並んでレッスンを受けたそうで、帰りに駐車場ですれ違った時に、手を振ってもらって、振り返していた。今日はそれが一番の記念かも〜。
 娘に何度も感想を聞くと、楽しかった繰り返す。踊りやすく、つい夢中になったと。いつも通り「でもバレエ嫌い」っていうかなと思って、そのように聞いてみたら「今日は嫌いじゃなかった」と。どう解釈すべきでしょうか。
悩みながら疲労困ぱいの家族を連れてオットは新宿へ車を走らせる。高島屋で予定の買い物をしてやっと帰宅。
20時をまわっていました。なんというハードな一日。オットは風邪でからだが辛くてたまらないと訴える。なのになぜにこんなハードスケジュールを組むのだオット。明日は土曜日だけど息子の園の行事が一つ。朝から早起きだよっ。

 
お人形教室のリカ達。とっても可愛いんです。

半額の¥2100だったエリカ。とてもチャーミング!

新品なのに¥700だったリルブラッツのジェイド。

以上、本日のドールショー12の大収穫。
他にももっととっておきがあります、うふふふふ〜。

2004年4月29日(木)
 起きてみると、子供達は元気になっていたけれど大人達がすっきりしないという体調だった。オットは風邪をこじらせつつあるのが明らかで、私はまた肩凝りと偏頭痛。でも昨日の桃子効果は上がっていて、やっぱり滅多にない好機だし、ドールショーには行かせてもらうことにした。オットは昨日、あんなに高いお人形買ってあげたのにまだこの上人形を見に行くの、と言いたそうだったけれど、面と向かっては反対しない。ただ彼も仕事があるので、早く帰ってくる約束だけはして浜松町へ。11時ジャストに会場についたら長蛇の列。20分まって入場。でもよく整理されていて混雑はなく、みなさん礼儀正しくて気持ちのいいイベントだなあと思う。まっすぐお目当てのりえこさんのブースに向かった。20分も経過していてはほぼダメよね、と諦めていたら奇跡のように可愛いドレスが1点残っていました。即決!これだけでもう今日の目的は達したようなもの。すっかり満足した私はゆったりとイベントを楽しみました。
いや〜、楽しかった。たくさん目の保養をして感心したりうらやましくなったり。プーリップの展示が楽しかった。MSD美加のワンオフモデル2タイプも見ることが出来て、大満足。今度の子はうんとカジュアルにもっとナチュラルに、という感じの路線なんですね。やっぱり美加は好きな子だと実感。
最後にチョビさんにもお会いできて、束の間だったけれど、良かった〜♪素敵なプレゼントをくださって、大恐縮&大感謝。ああ、できることなら三日後のドルパにも行きたいなっ。
 地元に戻るとホッとするのはいつものことで。お昼御飯に大好物の穴子ちらし寿司を買ってホクホクと歩いていたら、息子の幼稚園のお友達親子に会い、娘の学校のお友達親子に会い、娘が卒演した幼稚園の主任先生に会い、息子の幼稚園の副園長先生に会う。副園長先生の暖かいお人柄とお言葉に接して、また心から澱みがスッキリ落ちて、きらきら輝くような気持ちがする。
ああまさに今日は命の洗濯って感じ?
帰宅すると、風邪が悪化してみるからに具合の悪そうなオットが、それでも健気に家の中を片付けてくれていた。顔色が悪くて肌の色つやがなくて、眼が潤んでいて。そういう時に限って休日出勤が決まっているタイミングの悪い人である。
これで明日からまた頑張れるな。娘がもうずっと学校はお休みでいいわ〜、といっているのがちょっと気になるけど。単なる五月病かなあ。嘔吐下痢症は大人でも本当に辛い。単に精神的後遺症なのだったらいいけれど、と思う。昨日のお誕生日パーティーで集まった女の子達のほとんどが、学校が大好き、学校がお休みの日はつまらないといっていたけれど、娘は黙っていた。娘は休みなら休みで嬉しくて、この連休を心から楽しみ、もう行かなくてもいいんじゃない〜?という気になってしまっているみたいなのだ。それを変に学校は楽しいところ、と無理強いするのもよくないと思うので、明日から娘への接し方にもっと注意しようと改めて決心。
「Dollybird vol.3」が到着。見ごたえ十分。また楽しいひとときを過ごした。オットが以外にも「これ、素敵なお人形!」と横で見ていて指差したのが、荒木元太郎さんのユノア。…やっぱりだんだん眼が肥えて来てるのね、オット。momokoはもうおまかせ状態になっているようだ。


オットが愛を示してくれました。ものすごくびっくり!

2004年4月28日(水)
 娘の学校が創立記念日でお休みである。それがどういうことか気付いて憮然としてしまった私。渋谷のロゴスギャラリーへ、今日発売のmomokoを買いに行こうと密かに決意していたのがダメということなのだ。病み上がりの娘はいつもより数段色が白く、目の下に微かなクマがある。それでも今日は午後からお友達のお誕生日会にお招ばれしているのをとても楽しみにしていて、万が一にも体調を崩さないように、幼いなりに自分でも注意しているくらいだ。渋谷まではバスで1本、ただし40分かかる。行ってどれくらい並ぶことになるか。しかも息子の幼稚園のお迎えまであるではないか。それが11時。10時20分までにmomokoを買えたとすればギリギリ帰宅も可能なのだ。私一人ならその予定を決行するところだけれど。青白い娘の顔をみるととてもそうはできないと思った。潔くはなく、がっかりと諦めた。しかもオットに「また人形買うつもりだったのか」といわれ、なぜ私が人形を買わずにはいられないのか答え、ふたたび険悪なムードに…。
 ちぇ!と小石を蹴っ飛ばしながら息子を幼稚園に送っていった。暑いくらいの晴天で昨日の暴風雨から台風一過と言う感じ。帰宅して掃除洗濯をしていると急に空が暗くなって来てあららと思っていたら重たい雨粒の音が。庭に干してあった傘をかたづけ、干しかけていた洗濯物をひっこめ、様子をみていたら雷雨になるではないですか。うそ〜!?天気予報では雨の確率10パーセント。それに「ここって山なのっ?」って聞きたくなるようなお天気の急変ぶり。質の悪い陰陽師が呪い合戦でもしてるのかい、といいたくなるようなお天気の中、娘にレインコートを長靴を装着し、息子のコートも持ってお迎えに出かけていくと、またお天気がよくなった。うーん、やっぱり陰陽師か。世田谷だけ局地的に呪われてたのかなあ。
娘は朝から真っ白なワンピースを着せていて、フリルのカーディガンを合わせて、白い靴をはいて、気分的にはかなり盛り上がっており、元気な様子だったけれど体力が心配で、午後の予定を無事にこなしきれればいいけれどと案じつつ、外出しかけたところへオットから電話が。
昼に仕事で外に出てからまっすぐにロゴスギャラリーに並んでもう1時間たつという!!
やっと順番がまわってきたけど、会場限定のmomokoはまっ先にうれちゃって全然ない、ここまできて何も買わないのはあまりに悔しい、お店の人に言ってちょっと外にださせてもらって(ロゴスは地下一階なので携帯電話の電波が届かなかったらしいのだ)お前に相談するんだけど、残っている中では何が欲しい?と聞いてくれる。ふわ〜!!っと心に羽根が生えました。これは夢かしら?
お誕生会は今後の課題かな。どうも順々にみんながやっていくことになりそうだ。とすれば我が家は再来月企画しなければならない。
娘は本調子でないせいか、たまたまのタイミングなのか。私は息子の幼児教室のために途中で娘をお友達宅に残して抜けて戻って来たのだけれど、女の子達のグループのあとを健気にちょこちょこついていってはじっと見てる感じで、活発な子達の眼中にあまりはいっていない様子にみえた。まだ誰かが寂しそうにしていないか気づかえる年令ではないので、こういう事態は誰にでもしばしばあり得ることなのだけれど、分っていても胸がズキン!と悼むのが親心というものである。帰り道、娘は無邪気にとっても楽しかったよと繰り返すのだけれど、本当にそうなのかなと不安になった。私達夫婦は毎日、娘にその日の感想を聞く。私達が一番娘に求めている答えは「楽しかった」なのである。そう言って、と強要したことはもちろんないのだけれど、言わず語らずのうちに娘なりに私達のその気持ちを悟って応えようとしているのではないか、と痛々しく考えてしまう。
というのも、知り合いのお嬢さんにそういう子がいるのである。
少し年上のその子は優しくて頭が良く、御両親は期待をかけ自慢に思って育てていらっしゃる。でも実はちょっとイジメにあっているのだ。そのことを彼女は両親に決して告げないで、一人で我慢しているのを私はたまたま知ってしまったのである。先生に相談し、何よりママにお話するようにと言ったけれど、少女は怯えたように首を振る。
彼女のお母さんは完璧主義者だ。センスよく暮らすことを信条とし、あらゆる点で隙を見せないように最新の注意をはらい、でもそのことを人に悟らせず、ごく当然のことであるように見えるように気を配り抜く程の、完璧主義者である。人に親切で社交的であり、常に色々な人と交流を持ち、役員も積極的にこなす。でも私は彼女が、ひどく見栄っ張りなことに随分早くから気が付いていて、ライフスタイルをあらゆる人と相互比較しては「勝った」「負けるもんか」と思っていることを感じている。賢い彼女はそれを決して口にしないけれど、どうしてもまなざしや言葉の端に出てしまうのだ。彼女の家族は皆いい人で感じがいいのだけれど、接していると必ず、人の学歴、勤務している会社、住所、賃貸か持ち家か、どんな広さの家か、乗っている車の車種、両親兄弟はどういう経歴をもっているか、どこに住んでいるか…こと細かに調査する癖をもっている!ここまでくると笑えるのだが、本当に性格はいい、善人なのは間違いない。ただただ見栄っぱりで、今流行りの言葉で言うと「人生の勝ち組」というものに対する情熱と執念が人一倍強い、というだけのことなのだ。
そんな彼女が母として娘に求めていることは、明るく元気でいてしとやかで気品があり、自然にふるまっているだけで周囲の人に愛されてお友達が集まってくる人気者、という図なのである。
前半部分はその理想通りの女の子だと私は心から思う。でも…人間関係ってそううまく行くものじゃないから……。
まだイジメは小さいといえるのだろうか。彼女がつけていく髪飾りをむしりとる子達。彼女はそれを「運動していたら自然にとれちゃった」とママに告げているようである。
友達に軽んじられ、いじわるされたりするような自分を、親は気に入ってくれないと幼い少女は感じずにはいられないようなのだ。
私はずっとその子のことが心配だ
そんな風に、親の愛と期待が子供のストレスをその体内に封じ込めてしまう例を知っているだけに、振り返ってわが子のことも反省する。
小学校入学以来、幼すぎる娘にあれこれ厳しくたしなめてばかりいたけれど、また少し甘やかしてあげよう。心が脱水症にならないように、気をつけてあげなくては。

オットが本当にmomoko ver.04SSccを連れて帰って来てくれた!
「この子が一番綺麗な顔に見えたから」と。
40人以上の人が並んでいて、彼としては人形マニアはオタクという偏見があったのだけど、とてもノーマルでおしゃれな人がほとんどだったと、意外そうに感想を言うのも面白かった。
ありがとうオット、一気に名誉挽回です〜!!
私の喜ばせ方、簡単でしょう。momokoはお高いから、普段はピンクボックスバービーでよろしくってよ。
欲しかった「ドラゴンクエスト」天空の花嫁」のプレステ2ソフトも買って来てくれて大盤振る舞いのオット。
実は会社の業績臨時収入、一時賞与が出たんです。
これは上からのオットへの評価がもろに反映される恐ろしいもので(オットの会社には社員のランク付けがあり、恐ろしくシビアなのだ)、オットはずっと悩んでいた。昨年の上司とまったく反りがあわず、低い評価をつけられているのは確実だったからだ。現に昔、ある先輩がやはり上司と反りがあわずにいたら、平均5ヵ月分賞与の時に1ヵ月しか賞与をもらえなかったと言う話を夫婦で聞いたことがある。だから覚悟していた。ところがさらに上の上司がその評価を「事実と反してあまりに私見に走り、不当評価である」と判断してもと上司の方の評価をさげて部署をはずし、オットにいい評価を与えなおしてくれたのだ。オットは男泣きした。その勝利の幸せの私へのお裾分けといいましょうか、それが本日のmomokoというわけです。人生いろいろありますね。


今日はこの2点を製作♪

2004年4月27日(火)
 すごい暴風と雨で一日が始まった。家庭内にも暴風駆け抜ける。
深夜、娘ふたたび嘔吐。昨夕、調子に乗って好物の納豆巻を2本も食べたのが敗因と思われる。まだ胃が本調子ではないのだ。泣いて欲しがる弟を押さえ付け、一口もあげずに食べ切った、見かけによらない豪快さは頼もしい限りだったのだが、胃はまだ弱いのね。
深夜からオットは娘の髪を洗い、私はふたたびシーツ類やパジャマを洗濯する。一寝入りして5時半に起きた時には少し気をとりなおし、娘も落ち着いていたのだが、学校は再び欠席決定。お隣のお兄さんに連絡帳をお願いし(娘の学校は余程でない限り電話ではなく、すべてノートを最寄りの人に預けて学校にしらせるというシステムなのだ〜)、帰りにいつも娘を待っていてくれる女の子二人のお宅にも電話してお休みする旨を伝え、英語教室の先生にもお休みを伝え、いつも一緒に英語教室に行く男の子のお宅にも電話する。これだけで朝は潰れる。
息子を幼稚園に送り届け、掃除洗濯。娘に添い寝して落ち着かせ、スポ−ツ飲料を飲ませたり、りんごを食べさせる。それからよくよく言い聞かせて、はじめての留守番をさせることにした。息子の幼稚園にお迎えにいって帰ってくる。所要時間35分程。でも最近息子はみんなが全員帰ったのを見届けて、一人になったのを楽しみ、特別ゆっくり先生にお別れしてからでなければ帰ろうとしない。それを精一杯急かしてたぶん1時間。衰弱気味(というほどでもなかったけど)の娘を連れていく気にはどうしてもなれず、よく言い聞かせて外出。あまりの暴風に唖然。朝からこうだったらいっそ息子も園を休ませたのだけど。
案の定、息子はすぐに出てこなかった。優しい大好きな保育主任の先生を独占してニッコニコである。ウサギに餌をあげて遊んでいたらしい。やっとひきとって、帰宅。はやりジャスト1時間だった。
娘がいない!!
門はカギがしまっていたのに、玄関のドアは開いており、家中どこにも娘がいないのである。
パニックが再び私を支配する。なんか最近これ多すぎる〜!!
警察っ、警察!!
いや、その前に隣の奥さんにお話してみよう。
きょとんとしている息子を残して隣の家につっかけばきで駆け込むと、娘がいた。
パニックをおこし、泣きながら門の横の植え込みをすりぬけて、隣家のチャイムを馴らしたのだと言う。
20分ひとりでいるのが限度だったのだ。叱らないでおいてあげてね、と言われてハイとうなずいたが、涙が出た。
最近、本当に肝を冷やすことが多く、私はもう確信している。きっと長生きできないと。
暴風の中、適当に家事をすませて、ビーズアクセサリー作りに専念した。


病気になると、余計に、どれだけ大切な存在かわかる子供…。

2004年4月26日(月)
 娘がトコトコ元気に起きて来た。家族協議の結果、危ぶみながら登校させる。不安でいたたまれなくてずっと携帯電話を握りしめて待機していたのだがうんともすんとも携帯は言わずに時間が過ぎて、娘は元気いっぱいで帰って来た。楽しかったよ〜と顔を輝かせるのでまずは一安心。
でもなんか気持ちがスッキリしない私。朝、オットとじつにくだらないことで喧嘩したのだ。もとは気楽に楽しく、ディズニーのトイストーリーやなんかのDVDが安く出るから予約しておきましょ、ついでに子供達がだいすきな「ファインディング・ニモ」も予約しましょと豪快にオンラインでポチしたことが原因である。その時、オットは上機嫌でいいねいいね、と私の肩ごしにモニターを覗いていたのだけど、二日後「何枚頼んだ?」と聞く。トイストーリーが1と2、新しいバズのお話を1本でトイストーリーものは3本、それからファインディング・ニモだよと答えたのだが、今朝になって「お前は全部で3本しか頼んでない、って言ったろ!?」と突然の入道雲のように機嫌をそこねだした。(今、2枚買うと1枚をプレゼントするというキャンペーンをしていることに気付いたのだ)
大声をださないでよ、というと大声はだしてないと大声で答える。声楽をずっとしている彼の声はいつでも誰にでも聞き取れるくらいだし、トーンをあげれば立派な大声だ。そして私が彼の質問を分っていない、ちゃんと答えない、だから自分は勘違いをした、と出勤前にグズグズタラタラ、信じられないくらいに言うので、私はちゃんと答えてるでしょ、と言うといいや答えてないと断言する。呆れてると、お前はどうでもいい友達にはペコペコ謝る癖に、俺には絶対謝らない、いつもそうだ、と言い出したのには切れた。
かつて、オットは私が入院中に看護婦さんと喧嘩して、私の入院生活をせつなくさせたことがある。
バレエ教室のお友達のお母さんの駐車の仕方が悪くて、うちの車が出庫しにくくなったときに、たくさんの人の前で大声でそれを指摘して場を驚かせ、以来、そのお母さんは私と口をあまり聞いてくれない。
小学校入学以来、娘の朝の機嫌が悪くて、お友達が朝優しく声をかけてくれても返事をしないと彼が言うので、私はその子のお母さんに電話をして、Eちゃんのことは大好きなのに、まだ学校に緊張しているからうまく声もでないらしいの、Eちゃんにごめんね、ってつたえておいて、これに懲りずずっと仲良くしてね、ってお願いした。
以上のことはごく一部で、結婚15年暮らしている間には、瞬間湯沸かし器になりがちな彼のフォローに心をすり減らした記憶が山程あるのである。謝らずにすむなら私も謝りたくないけど。
「過去のことを必ずむしかえすだろ!おれは蒸し返したことはない。いつもお前だけが蒸し返すんだ」もしもし?最初から最後までず〜っと蒸し返してますよ〜?
と、こんなレベルの低い朝の会話のあとではすっかり真面目に主婦するのが嫌になった。
でもいつもより丁寧に洗濯して、掃除して、アイロンもかけて、繕い物もした。
愛とか家庭とかについてしみじみ考える。たしか、私は3才年上の男と結婚したはずだったが、年下の間違いだったか。間違えたなら仕方ないなあ、自分の責任だわね、と諦めて息子を迎えに幼稚園に行く。
息子だけが最後まででてこない。
園長先生が遠くからおいでおいでしてくださったので駆け付けると、息子は鳥かごのそばの、涼しいけれど木漏れ日がさして明るい素敵な中庭で、保育主任の先生にゆったりともたれるようにして抱っこしてもらって、たいそう熱心に動物図鑑を熟読していた。慌てて謝ってお礼を言って引き取ろうとしたのだけれど、息子は悠然と動く気配もなく本を眺め続けている。難しい動物の正式名称を読み上げては納得している。保育主任の先生はこのうえもなくゆったりと息子を抱き、「今とてもおちついているからいいんですよ」とその体勢をくずそうとなさらなかった。恐縮した私はもじもじしながら、横で待っていた。
先生とお話した。先生が、「ずっとついていてあげられないから、いつか離れていく時に自立できるようにしてあげたい」「僕が○○○くんに接している様子をみんながみて分ってくれる。今の小1や年長の子達はもう去年ずっとそれを見て分ってくれている。その子達が○○○くんが入学した時に、きっとたすけてくれるんじゃないか、と思っているし、そうなるように僕も努力しています」
私は泣きたかった。なんだか無性に泣きたくなった。でもここで泣いたら見た目ヘンだよねと自分に言い聞かせて、必死で我慢した。
カサカサした心に優しい雨がしみとおっていくように思う。息子は優しい幸福な時間をきっかり1時間も満喫して!急にパタンと本を閉じて先生に返し、バイバイをした。私は何度も何度も頭をさげて帰って来た。

夜、オットはまあまあ御機嫌で帰宅。適当な食事だけだしておく。また人形が1体増えるから!


「お母さんは子育てが忙しくて、なかなか私達のお洋服作れないんだよ」
「僕達なんかいつもハダカだよ!」
「そっか〜、じゃあ、私達なんかましだよね♪」
くくくっ、ごめん!

2004年4月25日(日)
 救急病院で7時間を過ごして日曜日が終わった…。まあ夕べの時点で覚悟していたことではある。この二日間、ずっと苦しんでいた娘は点滴を受け始めてから20分ほどして急に元気になったのだけど、点滴は最後まできっちり3時間40分受けた。前後の待ち時間の長さに辟易したことにくらべれば、点滴中の娘に付き添っているその時間はさほど辛くなかった。新聞を隅々まで読み、疲れると目を閉じて瞑想した。
明日は新入生歓迎会なのでできれば登校させたいというと医師に止められた。入院してもいいくらいなんですよ、と。日頃から好き嫌いの激しい娘は病気になった時に有効なものを口にしたがらない。注射針を死ぬ程怖がっているのに血液検査に血糖値再検査に点滴と、3回も針を刺されて不幸のどん底状態。これもすべて一昨日昨日とスポーツ飲料を飲むことを拒否したつけだと言い聞かせ、看護婦さんも真顔で口から水分も取れないようでは入院するしかない、というので娘は死ぬ気でスポーツ飲料を一本飲んだ。
小学生になった娘は小児医療補助も打ち切られていて、額面通りに支払う。自己負担で¥5500。痛い。
それでも無事帰宅できてホッとする。
オットが買っておいてくれたデザートを食べながら、借りて来たまま見ていなかったビデオを見る。
グウィネス・バルトロウの「スライディング・ドア」。数年前に友人が「考えさせられたのよ〜」と嘆くように言っていた映画だ。うん、考えさせられました。
amazonに頼んでおいたCDと本が届く。CDは「Fly Me To The Moon」で検索して一番良さそうだったのを頼んだのだが、驚いたことに3枚組だった。表題の曲は2枚目にはいっていて、 やっとフルコーラス聴けた喜びにしばしうっとり。この時代の歌って、知らない間に随分体に刻まれているものなんだねえとオットと一緒に感心。
 本も届いた。面白いと評判をききつけて「のだめカンタービレ」という漫画の1巻を買ってみたのだが。笑えて楽しい!深くないところがいいと断言させていただきます。まだ1巻だからこれからどうなるのか知らないのだけど。タニス・リーの本も久しぶりに買った。「バイティング・ザ・サン」という。じっくり腰をすえて、この次の週末にでも一気に読みたいと思う。
今日、娘の点滴に付き添っている最中にオットに家にある本を適当に持って来てと頼んだら、「風と共に去りぬ」の1巻を持って来てくれた。先日、母が実家から送りつけて来た箱の中にはいっていたものだ。さんざん読んで細かいディテールまで十分記憶しているつもりだったけれど、読み始めていきなりびっくり。今の私の感性で読むと思っていたよりもっと深い!ジェラルド・オハラがとても可愛い人物であること、その妻でスカーレットの母であるエレンの悲しみと魅力が生き生きと感じられ、いきなりのめりこむ。そして驚いたことに、アシュレがかっこいいのだ。。。なにより、作者は物語のはじめにいきなりこう切って捨てているのである。「彼女は彼を愛し、彼を求め、しかも彼を理解しなかった」と。
最初にいきなり書いてある部分にアシュレの人柄は集約されて描かれきっており、スカーレットとはなんの共通点もないことも書き込まれている。うーん。面白い。聞きたいCD、読みたい本、見たい映画、つくりたいビーズ細工…たくさんの愉しみがあるときほど、私は忙しいのだけど楽しみがある程、毎日の活力にはなるみたいだ。


自分で作って気に入って、今毎日はめているビーズの指輪。
ビーズアクセサリー作りに、かなり熱がはいりつつあります。
夜、子供を寝かし付けた後小1時間程度で出来るレベルのものだけれど。

2004年4月24日(土)
 今朝になると私の体調も絶不調。本格的に風邪で体の関節が痛いのと、のどがいたいのと。
息子は元気になって来たけれど(とはいえ、一回吐いたのよね〜)、娘は昨日よりひどくなり、大変な苦しみよう。今日に限ってオットは仕事ででかけなければならず、私にコーヒーをいれろ、着る服をだしてよとうるさい。娘が吐いたり、お風呂にいれたあとの服の着せ替えなどの後始末も傍観してる感じ。自分の髪型をたてること(ソフトモヒカンな髪型なのでね)、ソフトコンタクトレンズを装着するのに夢中。そして朝食にはトーストではなく、ラーメンを作って欲しいと言う。
体調が悪い私は我が身を支えているので精一杯なんだけどとクレームをつけると、そうは見えないとオットは威圧するように開き直ってみせた。これが周囲に「優しいだんなさんだよね〜」「愛にあふれてるよお」と言われるオットの家の中の正体なのだが、男ってしょうがないよね。
妊娠中の妹が、定期的に発症するヒステリーを起こして電話をしてきた先月、その理由が、つわりがひどくて御飯が作れず、結婚したばかりの彼に申し訳ないということだったので、御飯なんかはどうにでもなる、それよりあなたがメソメソしないで、明るい気持ちでいることが、彼には一番うれしいはず、と姉として諭したのだが、一昨日、その妹から電話が。曰く、私の助言にしたがってみたところ、義弟は「なんや元気やん!そやったら御飯つくってや!」と言い放ったそうなのだ。しかも親類のおばさん達が「妊娠は病気やないからなあ。ちやほや甘やかさんでもええでえ」と言ったとまで得意げに付け加えたそうである。この話をしたとき、オットは義弟のことをダメな奴だな、それじゃあこの先、夫婦仲がうまくいかないな、と断言したのだけど…。私もイライラしておりましてよ、アナタ!
オットを見送った後、不機嫌で苦しがって大騒ぎする娘をなだめすかし、息子も寝かし付けて、私も横になる。風邪独特の重くてだるい睡魔に身をまかせるのも、どこか心地よく、数時間も眠っただろうか。ふと目がさめると私にくっついている息子の手足が冷たい。思わず呼吸を確認。安らかな寝息だ。それにしても手足が冷たいよ、なんらかの理由で低体温症になってる?と思って熱を計ったらいたって平熱。私の熱を計ってみたら38.3°なんだ〜、私の体が熱いだけかあと一安心。食欲もないのであまり食べず、いいダイエットね、とそれも満足。
オットが帰宅する時に何か食べたいものがあるかと電話してきてくれた。有り難いけど本当に食欲ないからいいよ、と断ったらアップルパイが美味しそうだよ、と言う。アップルパイと聞いたとたんにそれをとても食べたくなった。買って来てくれたアップルパイはとても美味しかった。でも娘の苦しみは続いている。なんとか上手に水分をとらせようと努力しているのだけれど、乾きのあまりに娘はごくごくと一気に飲んでは数分後にそれを吐き、ということを繰り返してしまうのだ。唇がガサガサに乾いている。明らかに昨日より体調が悪くなっている。明日は救急医療センターにかつぎこむことになりそうだ。


疲れた心をいやしてくれるのはお人形だけ。ううう(涙)

2004年4月23日(金)
 疲れ過ぎていてよく眠れない。そんな感じで早朝に目がさめた。体が重くてだるくて、寝返りをうつのもおっくうでどうやったら楽に熟睡できるかな〜と考えている内に面倒になり起き出してしまう。今日も明日も忙しいので、サイトの更新をしようと思ったら家族が起きる前の時間に限る。テレビもつけず、暑くて美味しいコーヒーをゆっくり啜りながら、昨日撮りためた写真の加工などしていると、子供の悲痛な鳴き声とオットの叫び声が聞こえて来た。慌てて寝室に駆け付けた時に目についた惨状は、予備知識がなければ怖かったかも。二人の子供が吐いて、苦しんでいるのである。たまたま一昨日、息子と同じクラスの女の子のお母さんから、今頃嘔吐下痢症にかかっちゃって、家族全員で倒れちゃった〜と聞いていたので、パッと心の準備ができたのだ。そうでなければ毒物!?とか思って怖かったかも。私が冷静なので、起き抜けのオットも気をとりなおし、子供達を慰めてさっと朝から暖かいお風呂に入れてくれた。その間に私は、汚れたパジャマやシーツ、ふとんカバーはもちろんふとんそのものまで洗ってベランダに一気に干す。幼稚園、学校を休む手配をしながらどこかホッとする気持ちもあった。そろそろオーバーヒート状態が出る頃だったよねとオットも言う。彼はもともと午前中休む予定だったので慌てず騒がず、すみやかに子供達を連れて病院へ。結果はやはり嘔吐下痢症。ちっさな風邪をちょこちょこひく、ということはない我が家の子供達だが、どうもこのロタウイルスには弱いようだ。処方された薬と、体がうけたショックのせいもあるのだろうか、とにかく子供達は眠り続ける。オットは本来の休みの目的を果たし、私は通常通りの家事へ。オットの目的は、鯉のぼりをたて、鎧兜をかざることだったのだ〜。午後からオットが出勤したあと、娘の担任の先生の家庭訪問を受ける。こんな日にかさなって残念だけれどかえっていろいろお話できてよかった。娘の幼さ、緊張ぶりをよく理解してくださっている先生に一安心。
先生を見送ったあと、ドッと私も疲れがでる。実は。昨夜からいや〜な感じの微熱がでていて、夕方には相当のどが痛く、関節がだるくなっていました。私のは普通の風邪。気力体力の消耗を回復しておけと、神様に言われているのかなあと思いながら、せいせいして寝込む。子供が体調が良いと、母親はとてもではないけれど寝込めないので、今日はラッキー。子供達も寝込んでるなんて滅多にないこと。今、私、しみじみ熱をだしてます。


毎朝の鴨ウォッチングが登園の愉しみ

2004年4月22日(木)
 やっと週半ばだというのに、もう疲労困ぱいのピークにいる感じの親子。今日は習い事が何もない貴重なフリーの日である。それでも社交にあてる予定だったけれど、呼びたい相手の都合が悪くなったのを幸い、午後はもうどこにも行かないことにする。私は届いたばかりのベッツィーの写真を撮り、子供達はのんびり遊んで全員まったり。実は我が家は全員ひきこもり好きだ。それではイカンといつもそれをはね除けるように予定を組んで頑張っているんだけど、4月から環境が変わっていることもあって、思ったより疲れているみたい…。明日明後日と予定めじろ押し。今日のうちに更新作業しておきたかったのだけど、できないで終わる。というのも、携帯のメールや家の電話がなりっぱなしだったから。結構いろんな人間関係にしばられている私。そういえば、息子を迎えて娘を拾いにいくまで(毎日学校の隣の公園で、子供達がでてくるのを待ち伏せしているお母さんグループに私もはいっているのだ)50メートルおきくらいに知り合いに会うので、本屋でちょっと楽しもうと思っていた時間もなくなってしまったのだった。こういうと友達の多い明るい人のようだが、私はそんなに友達はいないと思っているし、根暗だ。ただ長年猫の皮をかぶって生きているので、その皮にはそれなりに友人がいるようである…。
この度、我が家とは違う幼稚園に子供を入園させた友人から夜に電話がかかってきて、幼稚園でも、小学校の送迎グループでも私達親子のことを知っている人と会うので、会話の突破口に助かっていると礼を言われた。ところが私はその人達の名前を聞いてもパッと顔が思い浮かばない…。なんだか怖い。流されるように生きている私をしっかり見ている人がいて、どこかに話題になるなんて。ああ、身も心もひきしめよう。


町中のあちこちで咲き乱れるもっこうばら。
その場に遭遇するとしばし、足を止めて見入ってしまいます。
クリーム色の花の色がいいの。

2004年4月21日(水)
 たくさん予定が重なっている日なので、朝からせかせかと活動していたら愉しみにしていたビーズ細工をする暇がなくなってしまった。仕方ない、夜にしましょうと思って息子をまず引き取りに言ったら、園の外にパトカーが止まってるじゃないですか!はしって飛び込むとおまわりさんが園内をウロウロ。息子は保育主任の先生にべったり抱かれてでてきた。悪質な電話が園にあり、すぐ警察を呼んだとのこと。息子の園は大きくて人数も多く、送迎の保護者の車や自転車による近所迷惑が大きな問題になっている。園に対して暖かい目で見てくれる人もいるけれど、ほとんど毎日イライラと嫌な母親探しをしては園に苦情を持ち込む人もいるようで、先生方は対応に苦慮している日々だ。恨まれている気が、みんななんとなくしているのである。高級住宅街の一角にある立地も考えれば、悪質な人間に標的に去れやすいとも思える。警備員こそいないけれど、出入りはチェック厳重で、門はいつも固く締まり、送迎時間外に中に入るには事務室を絶対通さなければ入れない。マンションのオートロック玄関のような扉に昨年工事されたばかりなのだ。
普通に考えれば、実際に誰かが侵入して何かをしたということは考えにくいのだが、念のために園では子供をすぐに返した。いつもとは違う時間に、先生方が何気なくお帰りの支度を促し始めた時、息子が急に不安がり動揺したので、保育主任の先生に抱き着くままにしておいてくれたらしい。
世に変質者が多い。いつも思うのだが、そのひとりひとりが親に愛され、心とお金をかけて育ててこられた大切な子供だったはずだ。なぜそういう人が長じて、他の生き物を傷つける存在になりはててしまうのだろう。やはりどこかが間違ったはずだと思うのだ。その原因をだれかに解明してほしい。病気や事故、天災などなどこの世に恐怖と不安は満ちているのに、くだらない人間に傷つけられるのは本当に嫌だ。
たとえば。我が家の前の道路は見通しのよい一本道で国道とつながっており、少し坂になっている。よそから来た人はすぐ判る。あり得ないスピードで気持ちよく飛ばしていくからである。またそうしたくなる道なのだ。いつか何かが起こると思っていたら昨年、あった。
近くに学校は多いのだが、最寄りの大学の、あれは何の集団だったのだろう。極彩色のトライアスロン風ピタピタスーツとヘルメットに身を固めた若者達が毎朝30人程、自転車でかっとばしていく日々があったのである。その数とスピードは威圧感十分で、彼等はいつも楽しくて仕方ないように、坂をざざ〜っと駆け降りていく爽快さに酔いしれているようであり、最初の頃こそ通行人に少しは気をつけているふうだったけれど、いつしかそんな雰囲気がなくなってしまった。気をつけるのは自分達ではなく、通行人の方だ、と言わんばかりな様子になってきたのである。問題だなあと思っていたら、ある日、1台の自転車がひょっこり道を渡ろうとしたお年寄りを跳ねた。我が家の前に救急車が止まり、出てみると道に跳ねられたお年寄りの荷物がとびちっていた。その様子を見ただけでも衝突した瞬間の衝撃が推察できた。数日後、そのお年寄りがなくなった、と聞いた。死亡事故になってしまったのである。
極彩色メンバーは家の前を走らなくなったけれど、辞めてしまったのだとは思えない。たぶんルートを代えただけで毎日、なんらかの練習のために走っているのでしょう。運が悪かった仲間の一人をなぐさめながら。
大切にされ育ってきて、いい大学にはいった若者達。親も自慢でしょう。でも有害な生き物としての1面もある。考えてしまう。亡くなったお年寄りはどんな人生を送って来たのかなあ。70年?80年?その挙げ句に無思慮な若者に跳ね殺される結末とはあまりにも浮かばれないのでは。跳ねた当人は事件を忘れる努力をし、恋愛をして就職をして、幸福な人生を築くのかも知れない。でもいつか、跳ね殺した老人と同じ年になるはずだけど、その時に思い出すだけの善意は残っているかな?
そんな世の中を肌身に感じているので、子を連れて歩いている時の私の人相は限り無く悪い(キッパリ)
小学校から娘を無事にキャッチしてホッと一息する間もなく、息子の幼児教室、娘のバレエ教室とはしごした。娘がすごい鼻水と涙にアップアップしだしたので、気付いた瞬間に病院に飛び込む。
ついに恐れていた宣告が。アレルギー発症。察するにたぶん私と同じくハウスダストが原因だと思う。我が家では私がアレルギーなので、決してふとんやクッション類をバタバタさせないのだが、遊びにいったお友達宅で子供達が派手にやっていて、その時私はとても気分が悪くなり、娘も目がまっかになっていたのよ。あのホコリとカビの入り交じった独特の匂い、アレルギー患者にはすぐ判る。招いてくださるその方はとても社交的で情報通だし(言いふらされる危険も大)おつき合いをやめるわけにもいかず、よくよんで下さるのをどうやってうまく断ろうかと悩む…。
病院で1時間半も待ち、くたびれ果てて帰宅。当然夜。一日は長くて短い、体力に余りがない。でもがんばる。


髪を切った息子。
パパと同じ髪型で通園しています。

2004年4月20日(火)
 息子のお迎えに遅れてしまって走っていったら、息子は大好きな保育主任の先生と、これまた大好きな幼稚園のわんこと、楽しそうに木陰で遊んでいた。1年前の今頃はまだ、通園を悲しんで身も世もなく泣いていたのに、今は私が迎えにいってもまだ帰らないと頑張るくらいの園好きな子供になり、それを言うなら私自身、息子のハンデを気にして暗く沈んで園生活に希望を持たずに入園させたので、その時の気持ちと比べたら今はなんて幸福かしらと思う。人生は本当に出会いがすべてなんだなあ。
仲良しのお友達に遊びに来て頂いてお話すると、幼稚園内のお母さん同士、時々トラブルの火種はあるようだ。私は息子さえ楽しければと思っているし、その子供の園生活に母親の社交が余計な影を落とすことになってはいけないと思うので、他の方との距離には気を使う。人との交際はみんなそうなのかな。私がうらやましく感じるのは誰とでも仲良くできる人。尊敬する人は、分け隔てなく、気分にムラなく人と接することができる人。好き嫌いをあらわにし、「この人すき」「嫌い」と態度を露骨に使い分けて悦にいってるような人は、たとえその人が私に好意を向けてくれていても私自身は批判的な気持ちで見てしまう。あなたは自分のことを「選ばれた人間」とでも思っているの?と。平凡な人生の中で「傲慢」という感情に支配されている人は多い。なるべくそういう人は避けて生きる。せめてどんな人にも朝の挨拶、帰りの挨拶だけは平等にしましょう。そういうことって、それこそ幼稚園で習うことですわね。
 待ちに待っていた荷物がやっと届いた!ストレスが一つ取り除かれたのである。個人輸入の最大の負荷はこの「不安」というストレスだけれど、無事に取り引きが終了した時の喜びは大きい。


今月の初めソニープラザで娘が、私の母に買ってもらったもの。
この頃はまだ、歯はまったくぐらついてもいなかったのだけど…。

2004年4月19日(月)
 小学校で初のPTA役員の集まりがある。それが息子の幼稚園のお迎えと重なってしまうし、誰かにお迎えを頼んで預かってもらうのもかえって気苦労なので、早退させて連れていった。息子は上機嫌だったし、ポジションは最高。集まった場所は出入り口のすぐ脇で、一番後ろだったので不要なテーブルが並べてあり、そこをそっくりお借りして、玩具をひろげて遊んでいる。それでも時々ふらふらと好奇心で一杯の顔をして歩き回るから、時々叱って様子を見ていたのだが、委員会のお話が佳境に入り、私が顔をそちらに振り向けた瞬間に、空気をつんざくような警報が鳴りだし、全員がほぼ椅子から5cmはとびあがった。息子が、非常ベルを押しやがったのである!!!!
押した当人もぴょーん!と飛び上がって驚き、「ごめんなさ〜い!」と叫びながら私の腕に飛び込んで来たが、私はそれを交わしてベルに飛びついた。幸い警報停止ボタンというのがあったのですぐ止める。
あとには嫌な沈黙が。。。。。。。
血の気が引き、次の瞬間血圧がガッと上昇した。お母さま方に深々と頭をさげてお詫びすると、皆さんふと微笑まれて、帰りがけにもたくさん優しい言葉をかけてくださったのだが、わずか1時間の会合が無限の長さに感じられた私は、ろくに顔をあげられなくなっていた。。。
 娘の下校を待つ間、学校の隣の公園でクールダウンを心掛ける。涼しい一日だったけど、ものすごく汗をかいたぞ。冷静になりかけた頃、たよりなげな足取りの1年生達がぽつぽつと帰り始めた。なんと本当にいきなりもう、1年生をほうり出すのだ。待ち受けていた母達もびっくり。幼稚園と小学校のこの落差はもう1段の何かで埋めておくべきではないだろうか?事件がないのはほんの偶然、単なる運の良さにすぎなくて、これではいつか何かがおこるよね、と皆くちぐちに言い合う。娘は、お友達二人にがっちり両手をつないでもらって帰って来た。ホッとしていると、娘の英語教室のお友達の男の子が途方に暮れた顔で先生に手を繋がれてトボトボ歩いてくる。彼は学区外通学でバスに乗るのだけれど、バス停がわからなくなっちゃったというので、私がお預かりしてバスに乗るまで見届けた。そうして良かった。最初に彼が乗ると主張したのは反対方向の駅にいくバスである。「朝はこれに乗ったんだよ」そりゃあそうでしょう。帰りはその逆なのよ、と説明してもう〜ん?と首をかしげる。すでに危ないわね。。。彼をバスに乗らせてやっと帰宅。昼食を食べているとその男の子のお母さんからお礼のメールが届いた。どういたしまして、子育てしてるもの同士、お互い様です、協力しましょ。
お隣のお母さんと坊やたちをお招きして、しばし遊ぶ。引っ越して来て1年。なんで今まで御招待できなかったのか、不思議でならない。幼稚園のおつき合い優先だったからななんだけどねえ。
夕方、噂のベビーシッターさんのお宅に面接にうかがう。
素晴らしかった!!
いきなり私の生活に光が射して来たのが感じられた。この方にせめて1年前に出会えていたら、どんなに私の人生はかわっていたことでしょう。いや、今からでもがんばるわ。でもあと1日早くめぐりあいたかった。そうしたら息子に非常ベルを押されずにすんだのにぃ〜(号泣)
夜、歯磨きをしていたら娘の乳歯が一本、はじめて抜けたので大騒ぎ。おばあちゃんが買っておいてくれた乳歯入れにおさめました。感無量。娘の口に初めてはえたのはこの歯だったの。これはママの宝物にするね、と言ったら娘は不思議そうな顔をした。


清楚なローズコティリオン・ベッツィーちゃんが大好き。
私が作ったビーズリング、見えにくいけれど、持ってもらいました。

2004年4月18日(日)
 長くなり過ぎた息子の髪をカットしに、二子玉川の子供美容室に行く。パパと似た髪型になる。子供服売り場をぶらついて目の保養。でもびっくりするくらい高い。3万円の服や靴…素敵だけどねえ。美味しいパスタを食べて、昨日に引き続き息子の体操教室へ。疲れ果てて帰宅。なんで毎日こんなに忙しいんだ。娘の学校用に雑巾2枚と手提げバッグを縫い上げ、一日が終わる。でも夜にまたビーズのリングを新たに仕上げて満足。ビーズっていいな。短時間ですぐできるし、おかげで達成感がすぐに味わえるの。しばらく病み付きになりそう。また新しくアクセサリーキット、注文したくなってきたよ。


両端のピンクの子達はオットがゲームセンターでとってくれたもの。
¥100で、子供とかなり楽しめました。
(ちなみにこのマスコットは母子でとりあいになり、子供が根負けしてくれたのです)
指輪は¥100ショップで購入したキットを作成したもの。

2004年4月17日(土)
 天気が良くて暑いくらいだったので家族で身軽な服装をする。最近、私は娘とのお揃い服に凝っている。普段は娘にはズボンしかはかせないのだけど、週末はヒラヒラのスカートか、母子でちょっとお揃いという風に決めて楽しんでいるのだ。娘もそれに納得してくれる。やっぱり女の子は楽しい。それにくらべると、息子はやはりどうしても、おざなり感がぬぐいきれない…。そういえば。我が家は今、娘と私だけ1本¥1500のシャンプーとリンスを楽しみ、オットと息子は¥268で1ヵ月は持つという超お得用リンスインシャンプーですませているのだった。「強く生きていこうな」とオットは息子を抱き締めている。
オットが子供達と屋上のチャイルドハウスで遊んでいる間、しみじみとアイロンをかけ、花の手入れをする。ふだんは子供らにまとわりつかれ、なかなかゆっくりできないことがたくさんり、たとえば娘の合っ校に持っていく雑巾を2枚縫うなんていうのもそんな手作業の一つだ。個人個人がそれぞれ、机拭き用、床拭き用の雑巾を持ち、それにループをつけて自分の机の脇にかけておくという。音楽の授業の時は教室から音楽室に移動しますので、縦27センチ、横35センチの布の袋に持ち手をつけたものをつくって持たせて下さいと、それを週末の宿題として言い渡された母親達は「それってバッグじゃん!?」と言いながら、今頃同じようにがんばっていると思う。私も今日のうちにやっておこうと思いながら、玄関先で花の手入れをしていたら宅急便がとどき、それがビーズアクセサリー製作キットだったので、気持ちがそちらに飛んでしまった。
ちゃんと初級者用を頼んだのだが、パッと説明書を見たところ、どうもすんなり理解仕切れない部分がある。午後からは子供の習い事が3つも入っていて急がしかったのだが、幼児教室で感じの10級検定受験用テキストを買うように指示されて書店に出向いたついでに、さっと気に入ったビーズの本を買ってしまった。人形以外のハウツー本を買うのはひさしぶり。あえて今まで見ない触れないようにしていた世界なのだけど、ページをめくっていく程に魅了される。
夕方になってやっと子供の習い事から解放され、家族で愉しみにしていたちょっと離れた街の¥100ショップに行ったら、ビーズの本やアクセサリー製作キットのコーナーがあり、よさげだったので買ってみた。ゆっくり本を見たら、とても素敵なものの作り方がいっぱい。すごいお得かもとホクホク。製作キットは安手のアクリルビーズなので期待はないけど、デザインがシックでいて可愛く、簡単なのに見栄えがするっぽいので、子供達を寝かし付けたら早速作ってみようと決意。
それから家族でデニーズで夕食をとった。夕方のこういうお店は面白い。たまたまなのだろうか、圧倒的にお父さんと子供だけの組が多いのである。さしずめ、お母さんがたまには休息させてもらうからね宣言でもして、お父さんが子供達を連れてトボトボ来る、というところだろうか。日曜日の公園等でも良く見られる光景である。ところが私のすぐ後ろに座った組はそうではなかった。母子3人とおばあちゃんの4人。そこで店員に母親である人が怒り出したのである。
頼んだラーメンとアイスクリームを同時に持って来て、どういうつもりだと言うことで、それは私もそうだよね、と思ったのだ。見るからに混んでる店内を見ると、店員達も少しでも自分達の作業の流れを良くしようと工夫しているのだが、だからといって暖かいメインの主食と、冷たいデザートを出すのはおかしいだろう。そのちょっと前に我が家にも、御飯よりも先にホットケーキが出されたので違和感があったのだが、まあそう困るものでもないし、息子が喜んだのでいいかとしたのである。背後の女性の場合はラーメンとアイスクリームだから怒るのも仕方ないと思った。ところが。このクレームが延々と大変な長時間に渡るので、次第に辛くなって来たのである。言いたいことを言って、相手も店長がやってきて謝罪をし、もうすんだかな〜と思うと「とにかく最初にラーメンと頼んで…」とまた一から話が始まるのだ。それを4回程繰り替えしたと思う。周囲の無関係な人間がすっかり辟易していくのに対して彼女ヒートアップする一方。やっと話が済んだ頃、値引きの交渉をはじめ、それが整った頃カツ丼を追加に頼んだ。数十分後、そのカツ丼のことで彼女は再び怒り出す。前に頼んだ時には確かに絶対、スープがセットでついていたというのである。それに対して店側は、そういう時期もキャンペーン期間として確かにあったが、今はそれも終了していると返答。彼女はそれをちゃんと客に説明しないのが怠慢だ、詐欺だと罵り出す。
滅多にしないことであるが、たまたまトイレへと席を立ちたかった私は通りすがりに彼女の姿を見た。
きちんとしすぎたスーツ、流行りのカットとヘアカラーの髪、眉間の皺、ギュッと引き結んだ口元。ああ、いますいます、こういう人。相手につっかかり不必要に不機嫌で高圧的な態度と言葉遣いで威嚇することが、仕事ができる女だと勘違いしている人。そして子供達は太っていて良く食べ、大声でよく喋り、落ち着きがなくて行儀が悪い。でも彼女は子供達に猫なで声をだす。次に最後の飲み物のクリームソーダに入っている氷の数が、常識を越えるほど少ないと言うクレームで彼女が店長を呼びつけた時、周囲の人は皆、礼儀を忘れて食べる手を止めて彼女に見入ったし、我が家も振り返った。彼女は闘争心の炎の真ん中にいて、もう他のことは目にはいらないみたいだった。おばあさまが悲しく辛そうにぎゅっと目を閉じて、うなだれて座っていらした。お顔が似ているので実のお母さまと思うが、お年を召されて精力的なわが子を怖がっていらっしゃるのだろう。彼等が帰ったあと、周囲からボソボソと批判の声と笑いがもれた。彼女は圧倒的に、食べている時間よりクレームをつけている時間の方が長かったのだ。そして周囲の人間の食事をまずくした。誰が見ても彼女はきっと幸せではない。不幸な人はおとぎ話の魔女さながら、嫌悪感と言う呪を振りまいて歩く。彼女に、昨日私が乗ったバスの中にいてもらいたかったなあ。
 帰宅後、子供達を寝かし付け、オットがプロ野球ニュースを見ている間に、¥100ショップで買った方のアクセサリーキットを作ってみる。楽し〜♪20分かからずできちゃった。基本中の基本の作り方で、でもなんとなくコツがわかったし、安物だから全く期待していなかったのに、なかなか小洒落た指輪ができましたよ。うーん、ハマリそう。


娘が大好きなディズニーの7人の小人のうちのふたり。
これもガーデンアクセサリーです。

2004年4月16日(金)
 息子の幼稚園で父母の会、母の勉強会などがある。時間が娘の小学校のお迎えとだぶってしまう。学校教師の引率による集団下校も本日までだが、幸い幼稚園のそばに、娘が所属している通学路グループの最終地点があり、連絡帳に今日は特別にそこまで引率して来て欲しいとお願いして持たせた。娘にも言ってきかせた。何しろ同じそのグループの中には同じ幼稚園の中から6人のお友達、プラス習い事で一緒のお友達ひとり、とたくさん知り合いがいる。その子達と最後までずっと一緒に歩くのよ、と念をおしておいた。
父母会が長引き、息子の手をひいて幼稚園を出るとまさに目の前を馴染みの子供達が通るではないか。大慌てで駆け付けると、引率の先生が気持ちよくきびすをかえして帰っていくところだったが、娘の姿はない。先生に追い縋って娘のことを訪ねるとさっと顔色をなくし、「いませんか!?」という。結局娘はいつもどおりの場所でグループを離れてしまい、そこで他のお母さま方が娘のことを心配して相談し、娘の連絡帳を読んで事情を察して、こちらに連れて来て下さるところで会うことができた。
その間、2、3分。
私の寿命は3年分くらい縮んだ。
たくさんのお礼とお詫びと、娘への怒りと。
先生も何度も私に詫びていかれたが、その先生は娘の担任であり学年主任でもある。娘は決して決して目立たないとはお世辞にも言われたことのない存在である。先生は娘に「分っていますね?」ときいたら「はい」といいお返事をしたので、それで安心してしまい本人の自主性にまかせすぎた、確認しなくてもうしわけなかった、私が手をつないで連れてくればよかったんです、とといわれ、私は娘が悪いんですと答えたものの、あとで他のおかあさま方が「あの先生、本当に全く確認しなかったわよ!」「こんなにちゃんと○○さんが分かりやすく連絡帳に書いてるのに、不注意じゃない!」「まだこんなに小さいのに」「あの先生が悪いわよ!」と慰めたり、代わりに憤ってくれたりしてくれた。私は予定の友人宅へ子供達と伺いながら、しばらく胸の動悸が収まらず、娘はしばらく泣いていたのだけど、だんだん確かに先生を恨めしく思う気持ちが募ってきた。
万が一の間違いもないように万全の注意を払い、保護することに全力を尽くしてくれる幼稚園と、小学校の間のこの寒い程のギャップはなんなんだ。一歩間違えたらどんなことになっていたか知れないのだ…。電話で報告したらオットが逆上してしまい、ただちに学校に抗議するというのを、初年度しょっぱなから関係を悪くしたくないから、とたしなめたものの、実際今後、くどいほどに気をつけなくてはと改めて思う。
ただ、あとで冷静になって考えてみれば、この件で先生にも娘を要注意うっかりモノとしてきっちり強く印象に残してもらい、今後ちゃんと目を配っていただけるように注意を促すことになったのはよかったかなと思う。そして、周りのお母さん達、お友達の御協力の申し出を受けられたこと、甘えさせていただきますので、どうかよろしくと宣言できたことも、今後のことを考えればよかった。これからは小学校1年生達も一人で下校ということになるのだが、学校の門で待つという他のお母さま方との合意もとれた。
「子育てって大変だよね」
他のお母さまのつぶやきに、みんな大きくうなずいた。

疲れたけれど夕方、友人宅を辞して体操教室に行く。金曜日の体操教室は区の総合体育館で行われる。こちらに向かうバスがまたストレスだ。たくさんのスポーツをする若者達が遠くからこの町にやってきて、バスにのりこむ。はしゃぐ声、楽しそうなお喋りはいいにしても、なんの照らいもなくすべての席を独占し、しまいには大きな図体をシルバーシートにまでおしこめて大声で談笑する。老人が、赤ちゃん連れの人が、松葉づえをついた人が乗り込んでくる。さすがに声はおとなしくなる。でもうつむきながらクスクス笑い、けっして「…いいのかな?」「いいんだよ、下むいてようって!」「シカトしてよ…」とささやきあって、くすくす笑い続ける。私は彼等を携帯電話のカメラで撮影した。周りのサラリーマンがふたり、同じように撮影をはじめた。彼等はうつろに私達を見返し、頬をこわばらせた。
望まれて誕生し、愛されて、親の時間と財力と気力をふんだんに消費しながら育てられてきた若者達、スポーツをするほどに健康にも恵まれた人達。「一応○○○ーです」なんて聞いたけれど。
あの学校の人ってなぜ学校名を名乗る時に「一応」ってつけるのかね?
本気で学校に写真と手紙をおくりつけてやろうかと思う。暇があればね!

体操教室はよかった。娘はよく頑張った。お友達との雰囲気も、お母さま方もとてもいい感じで楽しい。帰りはお友達がまたも車に乗せてくださって、しみじみ感謝。
人に頼らず生きていける日なんて一日もないなあと痛感。
でもやっぱり自分のことは自分でしなくちゃね。
さしあたり、早く車の運転を上手にできるようになって、ストレスバスに乗ることがないようにして、友達に送ってあげるよ、と気を使ってもらわなくてもいいようにならなくちゃ。
長い長い1週間がやっと終わった〜。
でもね、気掛かりが一つ。新しいタイニーベッツィーがまだとどかないの!もうカード請求は来てるのにさ。安らぎたいのに、嫌な感じのアドレナリンがでてきたよ(涙)


ガーデンアクセサリーも、可愛いのを見つけると買ってしまいます。
これは¥100しなくて、可愛いからgood♪

2004年4月15日(木)
 珍しく午前中だけで予定が終わる日だったので何をしようかとホクホクしながら帰って来た。でも体は正直で、ふだんあれだけ動き回っているのに、子供達に昼食をとらせたあとからどうにも重くなってくる。思わずしばらく横になり、夢の中でお人形を買っていました(笑)
眠っていたのはほんの少し。娘がディズニーの「美女と野獣」のDVDを観たいと言うので、それをセットしてベルが野獣の城に捕われることになり、魔法の薔薇を見つけるところまでは一緒に観ていた。気が付くと、野獣とガストンが闘っていた。
おきてぼんやりする頭をスッキリさせるためにネットする。これがいけなかった。つい夢中になってしまった。しかも人形全然関係なしで!
あまり欲望を我慢しているようには思われにくい私だけど(しくしく)、一応、この辺はもう手一杯だからやめておこうと決めているものがあります。たとえばそれはビーズアクセサリーだったりするのだ。
ビーズ大ブームの頃、我が家のお子さまは小さく毎日がもっと原始的に戦争状態だった頃。まして息子はなんっでも口にいれる悪癖が長いこと抜けなかった(今もあやしいよ)。ビーズにハマったら、自分がどこまでも突っ走るのが分っていたのだ。
でも最近仲良くしているお友達が3人の子をもちながら趣味がビーズアクセサリーつくりという人で、とても素敵なものを毎日とっかえひっかえ身につけているのである。とてもうらやましくなってしまった。
最近、ちょっと生活に潤いがある私。小さめのバッグで外出できるし、白っぽい服もたまに来てる。たぶんなんとなくお洒落する気分になってきてるのだと思うのだけど、そんな私に3人子持ちの彼女に優雅さは刺激的で。彼女はユザワヤとかにはいけないから全てネットで材料を揃え、レシピを揃えて夜8時に子供を寝かし付けた後、ご主人の帰宅を待ちながら製作に励んでいると言う。思わず、こわごわネットで検索。おおお。この数年間用心深く避けていた華やかな世界が開けている〜!もともとが大の光り物好き、透き通ったもの好き。ツボにはまるものがいっぱいあって、夕方には結局、白いパールとビーズを組み合わせて花の形にする指輪のキットを一つだけ注文していた。あーあ。でもとどくのが楽しみ〜!
それはともかく私も子供を早めに寝かし付けてがんばろうと思っていたらまたも討ち死に。つまり子供と一緒に力つきる状態。昼寝したのに悔しい。意識がなくなるまで、携帯電話のメールで、あちこちの知り合いから頂いたメールに片っ端から返事を打つ。そのまた返事がきたりして、結局母達がお互いに力つきるまで、メールでおしゃべりを続けてしまって、倒れていく私。


可愛いタッパーを見つけてまとめ買い。
蓋のレトロな絵柄にも、入れ物部分の色合いにも惚れました。

2004年4月14日(水)
 たっぷりと、本当にたっぷりと惜し気もなく、八重桜が咲き誇っている。その艶やかな並木道を通り抜ければ、駅へ続く道にはハナミズキが白とピンクと交互に植えられているのが開花していて、とても美しい。この道は早春の頃は白いモクレンの咲く道だった。のんびりした世田谷の町は、下手をすると地方の都市よりずっとのどかで、素朴である。川には鴨がたくさんいるし、鷺が舞い降りて来たり、時にはタヌキも見かける。友人は庭先でヘビに遭遇し、カエルがのそのそ地面から出て来たのも目撃し、それで春を感じたと言う。川べりには菜の花が咲き乱れ、合間に咲く紫の花はきっとダイコンの一種だと近所の人が教えてくれた。タンポポもポピーも思いっきり咲いてます。いい感じである。やっぱりもうずっと引っ越しはしないでこの町に住んでいようと思う。神戸は遠くなった。私の心の中の神戸と今の神戸はどこか違うようなのだけど…。ちらっと一瞬帰っただけだからよく分っていないかも知れない。
 とても嬉しいメールを頂いて、朝からちょっと泣いた。人の、慈愛に満ちた言葉はどうしてこんなにも、張り詰めた心を溶かしてくれるのだろうと思う。愛するより、傷つけることに熱意を持ってしまうことが多い人の中に、やっぱり天使はいるのだと思える。私は天使にはなれないけれど、痛みが判る人ではありたい。優しくして下さる人への、感謝の気持ちをさらに世の中に広めていけるようにね。
オットはオットで、新聞に紹介されたドラマの記事を読んで、出勤前の喫茶店の中で不覚にも泣きそうになったと本当に涙声で電話して来た。今日から自閉症児を持つ母のドラマが始まったのである。見たいと思う反面辛さもあった。予告でちらっと映っただけの一瞬の映像が、まるで息子の日常を切り取ったもののように見えたからだ。あの子役の子もすごい。玩具を綺麗に系統だてて並べるあの仕種。我が家ではあまりにもお馴染みの光景である。
 その息子、今朝になると昨日切った瞼が大きく腫れていて困った。1時間もすると引いて、目立たなくなったので幼稚園にいかせてみたのだけど、実は出かける直前に久しぶりに自宅の階段を踏み外して転げ落ち、外傷はなさそうだけど精神的に変かも、と先生に御報告しながら、顔に傷あり、階段転落と聞けば、今の御時世ではほぼ間違いなく虐待を疑われるのではないかとさすがに不安になった。以後、ほんっとに気をつけよう!
 午前中、息子の保護者会&役員決め。私のクラスが一番揉める。なんで〜と思うが、うるさい癖に責任被りたくない、と言う人と下に小さなお子さんを抱えた人がたまたま集中しているのだ。私も「やりたいのね!?」と確認されると腰が引けてしまった。やりたいというより、やる人いないなら仕方ないならやりますけど、なんてとっても中途半端な言い方をしてしまって自己嫌悪にどっぷり落ち込んだ。結局、他の人がいやあなたはお姉さんが新1年生さんなんだから、絶対大変だから無理に引き受けなくてもいいよ、なんて言ってくれて。結局じゃんけんかアミダをしようという騒ぎになり、追い詰められた感じで一人っ子のお母さん達二人が、それくらいなら私達でやります〜という決着を見た。なんとも後味が悪い。他のクラスはやりたい!という人が多くて、逆にその調整が大変だったそうなのだけど。
 午後からは娘の方の保護者会。一旦家に帰っている時間もないので、子供達を連れて馴染みのレストランで昼食。古くてお洒落じゃないし、場所も隠れ気味なので地元の中高年くらいしか行かないお店なのに、この界隈では珍しいようなパッチリ目メイク、一分の隙もない威嚇的なファッションの若い女性が二人後から入って来て、食後の煙草をふかしながら険悪な遠慮のない目で私達親子を見つめている。時間も迫って来たことだしそそくさと席を立つと、その女性らがおいかけてきた。息子が忘れていた汚い泥だらけの靴下を持って来てくれたのだ。ぱっと笑ってくれた表情はとても可愛くて女と言うよりまだ少女という感じ、うちの子供達を見ながら「可愛い〜」「信じらんないくらい、かっわい〜!見てえ、こんなピンクのランドセル、私も欲しかったア」と言いながら去って言った。あの怖い視線は好意だったんですか…。怖かったけど嬉しいです、ありがとう。。。
 娘の保護者会中、息子はやんちゃぶりを発揮したけど、異常行動らしいものは見せなかった。でも私は公の場では息子の言動にものすごく神経をはりつめる。そんな中で、クラスの保護者の自己紹介が始まり、ある人が息子さんが自閉症であることを告げた。その人の苦しい切ない不安と祈りが伝わって来て、私はその時点でもうダメだったのだが、担任の先生が、そういう子がいるクラスはとてもまとまりがって、みんなが精神的にとても成長する、現に今もその男の子をみんなが助けているというエピソードを話された。彼を心配していつもそばにいてくれる男の子。先生が彼を見てるから、君はみんなと遊んで来ていいよと先生が声をかけても、彼と一緒にいてあげたいんだよと返事をしたとか、何をするのか状況がわからない彼に、マメに声をかけては支度を手伝う女の子たちとか…。どうにも我慢できなくて涙と鼻水を同時に垂れ流し始めた私は、機嫌よく遊んでいる息子の背中に隠れてタオルハンカチで必死で顔を拭き、やっと顔をあげたらほとんどのお母さん方がやはり涙まみれでハンカチを顔にあてていらした。いいクラスだ!と思った。
案の定、役員選出はすんなり決定。いきなり団結力発揮。担任の先生のことも私は「当たり」だと思った。そんな私も役をひとつ頂いた。
会が終わった後、Tさんというその子のお母さまに話しかけてみた。私の息子、この子も自閉傾向なんですと。その方はまだ心を半分鎧っている感じででもびっくりされたように私を見、息子を見て、
「でもうちの子がこれくらいの年の時にはこんなに普通っぽくありませんでした。もっともっともっと変だったの。今でもだけど…」
と寂しそうに微笑まれた。またお話をさせて下さいね、と言って別れて来たのだけれど、かえってお声をかけて申し訳なかったのかなあとちょっと後悔。でも絶望と希望の真ん中で揺さぶられる毎日の気持ちは、本当によく判るから、これからも少しずつでもお話してみたいと思う。
 死にたいくらい辛いことがどういうことか、やっぱり今日も考える。希望だけが残ったと言うパンドラの箱を抱えるようにして、生きている母親達のことを。
 雨の中を帰宅してどっと寝込む。実は七田の教室とバレエ教室もあったのだが、もちろん休みましたとも!


娘のお友達へのお土産に買った小さな手鏡。
6才の女の子により、その母親に喜ばれること確実な一品。

2004年4月13日(火)
 昨日とは10度近く下がった気温に震え上がる。子供達には用心深く重ね着させ、自分もしたけどそれでも寒かった。オットがわざわざ「なんで俺にも上着きせてくれなかったのよ?」と電話して来て文句を言った。だって、これほどとは思わなかったんだもーん。いつもは暑がりで、上着いらないとかいうじゃないですか。これでも気を使って厚手のシャツを選んだのだけど(v_v)
 お友達をお招きしているので、部屋の掃除を頑張る。すっきりしたと私的には思うが人がみたらどうかな〜と思っていたら、やってきたお友達(♂)に、「テレビの画面がほこりだらけだよ」と指摘される。ガーン………。
 息子が幼稚園保育を終えて帰る時に教室から私の所まで連れて来てくれたのが、久しぶりに保育主任の先生だった。昨日、娘の幼稚園の先生にお会いした時もそうだったが、またホっと気がゆるむような懐かしさと安心感を感じて自分でも笑ってしまう。私は子供がなついた相手に一緒になついているのである、甘えた気持ちになるのだ。どうにも頼り無い母親だわ〜。でも先生の暖かさ、親身さが私を救ってくれるのは本当で、昨年の今頃、不安でいっぱいだった私と息子を、どこまでも包み込むようなお人柄で導いて下さった、たぶん生涯の恩人、私の人生で最大の恩師だと思っている。自閉傾向という個性を抱えた息子を初めて手元から離すために私が持っていた不安とそれによるストレスは大きかった。本当に穴が開いたかと思うほど胃が痛く、血圧は下がった。オットでも配慮しきれなかった私のその心の闇をまさか幼稚園の先生がそんなにわかってくれるとは、全然期待しておらず、先生が一生懸命アプローチしてくれることをむしろどこか困惑して、および腰で接していたくらい、人間不信にもなっていた私。先生が園と私の仲立ちにもなり、他の先生方からも多大な御配をいただけることにもなった。
 子育てに悩み苦しむ瞬間がある。いけないと分っていながら、怯えた子供の表情を見ながら、怒り狂うのを止められない時。最近ではそんな時、必ずこの保育主任の先生のお顔が目に浮かぶ。経験と知性に裏付けされた先生の言葉には本当の深さと重みがあり、私をすんなり納得させてくれるからだ。先生なら、どういう風に叱るのだろうと思うと、つめた息をふ〜っと吐き出し、一瞬黙り込む余裕が生まれる。まさに恩師。でもね、忙しい方なのでここ数カ月お会いすることもなく、ちょっと心細かったのだ。今日は久しぶりにお話相手になってくださって、とても有り難かった。
明日は保護者会づくしの一日になる予定。午前中は息子の幼稚園で、午後は娘の小学校での初保護者会。それも全体のと、クラス別懇談会との2部攻勢。ヘビーだ。
夕方、息子が折り畳みテーブルの下にもぐりこんで、折り畳み部分を勢い良くはずし、はずみで瞼の上をざっくりと切る。パニック!幸い、すぐ息子の血は止まったけれど、私の血は引きっぱなしです…。


Honey♪
サンリオピューロランドのお土産に買ったもののひとつ。

2004年4月12日(月)
 息子の幼稚園に行くと、懐かしい光景が繰り広げられていた。アンギャ〜!!と泣く新入園児たち。幼稚園の門のところで座り込み、母親の足にしがみつく。ああ、なつかしい…。思わず笑ってしまう。その横をいかにもなんでもなさそうに無造作に通り過ぎて出かけていく息子はとてもお兄さんぶって見えて、それもおかしくてさらに笑ってしまった。思えば成長したものである。息子の場合、力があるので、絶対に行かないと決めた彼を園に運び込むのに、幼稚園の先生3人がかりでかついでいかれたこともあった。その光景はなぜか、遠い昔に映画で見た、人夫達がミイラ入りの重いファラオの棺を担いでいく姿を思い起こさせて、私を呆然とさせたものだった…。それが今では率先して通園するのだから、幼稚園の魅力はすごい。
そして今日は早くもお姉ちゃんの幼稚園で同窓会めいた集まりを開催。ランドセルを先生に見せて、みんなで写真をとろうという企画で、これがとっても楽しかった。この1週間、思いつめた顔をしていた子供達が、幼稚園にはいるなり顔を輝かせて生き生きと走り出す。先生の顔を見たとたん甘えたくなったのは子供ばかりではなかった。私もすごく気が和んで、どんなにこの先生を頼りにしていたかを実感した。優しくて毅然として、綺麗な素敵な先生。子供でなくても、同性でも憧れます。
教会付属幼稚園の子供達、特に男の子は繊細で、一クラス16人、全クラス合わせても50人に充たない幼稚園からいきなり1学年172人の小学校にはいり、カルチャーショックでバタバタお倒れになった。発熱はもとより瀕尿状態に陥った子もいて、王子たちの魂の傷が心配される。なんという…まさに硝子の少年。親達も必死である。お弁当を食べながら、食べ終わっても、おやつを食べていても、話は尽きない。娘のランドセルは皆の注目の的になった。目立つという点では確かに素晴らしい。かなり遠くからでも見分けがつくのだから。
 夜、オットが仕事のことで落ち込んで帰って来た。事態はもう悪くなることはなく、上を向いていく感じになっているのでいいようだったけれど…。オットには悪いけれど、私が自分の経験を思い出すだけでも、仕事で嫌な思いをしなかったことなんてない。敵は外にもいれば内に出現することもある訳で、分っていても予想外の攻撃に不意に傷つけられる理不尽な苦しみもある。それで言えばオットの苦悩は実はあらかじめ予想され、心の準備をしていたことの一つだった。そして所詮、仕事の悩みはあくまでもいつか消える悩みなのだ。前に日記に書いたオットの後輩にしても自殺を考える程悩んだと言うが甘い。死ぬ気がないやつに限って、すぐ死を引き合いに出す。死神の気配を感じたことがない人だからこそ安直に口にできる言葉である。本当に苦しい時には、助けを呼ぶ声すら出ないものだ。
たぶん、多くの母親がそんな状態で苦しんでいると思う。子育ての苦しみに比べたら、止めようと思ったら止められる仕事の悩みなんて、軽いけど…と思ってしまうのよね。まして、障害がある子の母親はなおさらにね。児童虐待防止法うんぬんと言うけれど、育児に関する人の意識が変わることが何より大切だと思うから、なかなか難しいことだと思う。愛することだけは、誰にでもできるはずなんだけれど…。人は弱いから自分も愛されたくて。孤軍奮闘な母を助ける覚悟をもって、男性は恋をして結婚して欲しいとつくづく思う。育児に奮闘する母を傷つけるのは時にはもっとも信頼する人であることが多い。実の両親や兄弟、友人、そして夫。。。傷付いた魂の回復は、仕事での問題解決よりもっと難しくて、切実なのよ。


浅草のお店で欲しくなったのは和モノばかり。
鯉のぼり柄の手ぬぐいはぜひ欲しくて買いました。でも¥860は高いよね〜(T_T)
他にも欲しい柄がたくさんあったけど、泣く泣くあきらめたじょ。

2004年4月11日(日)
 オットの誕生日!一緒にお祝するのは16回目くらいかなあ。お天気にも恵まれ、幸先いい感じなので記念にMSDの美加をアップした。ま、オットには関係ないんだけどネ(^^)
 母が明日神戸に帰ってしまうので、思い出づくりのひとつにと、浅草へドライブ。日曜日なので結構な人だったけれど、なかなか楽しくて母も大満足してくれたよう。今度は平日に行きたいな。いいなと思うものがたくさんあったけれど、ゆっくり吟味していられないくらいの人・人・人だったのだ。
夕方には近所のケーキ屋さんでバースデーケーキを作ってもらっておいたのでパーティー。久しぶりに私もじっくり料理に取り組んでみた。安い材料でボリュームをだして美味しくできると、かなり達成感があるものだわね。


娘の入学祝いとして私達が買ったおもちゃの家がようやく届きました。
組み立て簡単なイタリア製です。
ちょっと大きめの犬小屋のようでもありますが(^_^;)
ちなみに、左側の窓からの侵入を試みてるのは泥棒ではなく息子です。。。


これ!my littele lover♪

2004年4月10日(土)
 明日、オットは誕生日を迎える。記念に初めてソフトコンタクトレンズをすることにした。今まで眼鏡オンリーだったので、それがなくてすっきりと見えるという経験をプレゼントということにしようと決めたのだ。母がいてくれるのを幸い、二人でのんびりデート気分でファミレスにモーニングを食べにでかけてから病院へ行く。目に指をいれることになるソフトコンタクトレンズの装着やはずすこと、抵抗がある人はどうしてもできないので、オットはどうかなと心配していたら(本人もかなり気にしていたのだけど)眼科の看護婦さんの教え方がとても上手で、いきなり出来てしまった。そのスッキリした視界に大喜び。ちなみにこの病院の待ち合い室でオットの会社の取り締まり役の方に会う。業界では有名な方だが、光栄なことにオットの顔を覚えていてくれて、その方の方から声をかけてくださったのでオットは大喜び。誕生日イブとしてはいい一日だったかと思われた。けど。その後、私は娘のバレエ教室でトーンダウンする。先生のやり方に半年前から違和感を感じていたけれど、決定的に納得できないことがあり、娘が最近本当に嫌がることも会って、夕方から夜まで4時間悩んで、今月いっぱいでこの教室はやめようと決心した。
その前の体操教室の先生とは対象的に思えるバレエの先生。体操の先生はその体操の技術だけでなく、そのレッスンを通して子供達に心の持ち方、気持ちのやりとりをも教えてくれる。子供達はたいそう教室という幼稚園や学校とはまた違う場の中で成長していくのである。バレエの方は釈然としない。気が強く押しが強い子勝ちで意地悪っ子の天下状態になってきた。自分の娘が端に押し出されている姿を見るのはそんなに爽快なことではない。いじわるな子のお母さんと言うのは決まっていないか、見ていないふりをする。バレエという美しいものを通してみにくい世界を体験するのは嫌だ。バレエそのものはまだ少し続けて娘の財産にしたいので(決してプロを目指すとかではなく)前から考えていた他の教室に変わるつもりだ。また私の生活は忙しくなるけれど…。
ちなみに今後の生活を少しでも楽にするため、今朝もオットを傍らに車の運転の練習。オット絶叫。
「こえ〜!すげえ、こえ〜!」
青くなったり、赤くなったりのオットを見ているとおかしくてたまらなかったけれど、実は笑い事ではない。
「お前…本当に教習所、卒業したんだよな?何時間オーバーだっけ?」
「2時間しかオーバーしてないよ」
「嘘だろ!?あり得ねえ!!」
「ねえ。でもそれで卒業できちゃったんだよね。間違ってるよねえ」
のんびり言いながら走ってると、前の車のブレーキサインを見損ねてギリギリのところで旧ブレーキをかけた。オットは絶句。でも無事にかえって来てよかったよね。
家に帰ると、前から子供達のために頼んでおいたおもちゃがとどいていた。オットが組み立てて、とりあえず我が家の屋上に設置。子供達大喜び。バレエ教室のことでどっぷり悩んでいた私も、ここで風に吹かれて日の光を浴びて、考えを前向きになるように修正しました。


春になると、あちらこちらに咲き乱れるこのお花はなんという名前なんでしょう?
星が瞬いているようで、とても綺麗なんです。

2004年4月9日(金)
 子供達はパパがいない夜にはなれているけれど、朝には違和感を感じるらしい。家事をこなすのに精一杯で殺気立っている私の傍らで、どれだけオットが子供達に語りかけ、撫でたり抱き締めたりして可愛がってくれていたか、その暖かみの大切さを実感した。たまには出張もいいねえ、オット。
そんな訳ではじめて娘の登校についていく。母友達と合流して母子ともにわきあいあいの登校。にぎやかで楽しそうな小学校の雰囲気の中に、娘もごく自然に吸い込まれていった。あ、大丈夫かな、ってとりあえず安心して、今度は息子の幼稚園へ。同じ立場のお母さんとおしゃべりしながら歩いていると、途中で息子の表情が生き生きと変わって来た。朝、いつもパパの膝に抱かれて食べる朝御飯がなかったとグレて機嫌が悪く愚図りがちだったのだけれど、足取りが軽くなって来て、幼稚園の門が見えたとたん「きゃ〜。」と嬉しそうな声をあげながら走り出す。でもまだ開門前なので、もう少し待っていようねと説得していたら、門の向こうを息子が大っ好きな園長先生がぶらぶらと横切ったのが見えた。
「オジイサン!」
息子が走り寄る。園長先生もおおっと来てくれる。二人の間には鉄格子上の門がしまっているけれど、その隙き間から手をさしのべあって、二人はまるでベルリンの壁に引き裂かれた恋人同士のようだった。あと、何かに似てるなあと思ったら、ハイジとアルムおんじの再会って感じ?なんにせよ、こちらも問題なく新しい教室になじみ、先生を受け入れ、可愛いクラスバッジに御満悦で、進級を果たしたわけである。
母の方はちょっと複雑で、やたら他のお母さんたちに持ち上げられるなあと思っていたらどうやらクラス役員をおおせつかる流れになりそうだ…。人望ゆえのことじゃない、単に誰もやりたくないだけである。なぜなら年中のPTAは慣れない新入園時の親や受験と卒園で手一杯の年長の親たちに変わって、文化祭の中心になって仕切り、一番大変な苦労をすることで知られているからだ。どの人も来年なら役員をやるという…。
複雑な気持ちで考えていたら、最近お世話になっている3児の母である方が「みんな幼稚園にこれほどお世話になっていながら、要望をたくさん抱えてもいるくせに、こういう時には腰がひけてるの、おかしいと思う。私は3番目の子が入園したら3年連続で役員をやらせてもらってもいい、というくらいの気持ちでいるわ!」毅然としたそのお言葉にポロッ、と目からウロコ。お世話になっているという点では現在ただいま我が息子がダントツでございます。判りました、もし皆さんが本当にやりたくないならやらせて頂きましょう。
ま、決まるのは1週間後である。それまでに皆も色々試行錯誤するだろうし、どうなるか判らないしね。娘のクラスでも役員決めがあるので、よく考えないといけない。とりあえず、親として役目は果たす覚悟でいれば間違いないかな、と思う。
幼稚園では早速母の会。終わると息子を迎えて先生方と他の御父兄の方にひたすら御挨拶し、息子を連れてダッシュで娘を迎えに行く。一仕事終えた気分でのほほんとしている子供達を引きずるようにしてさらなるダッシュで帰宅。娘を返し、息子をトイレに行かせて幼稚園バッグと名札をはずして、母が
「あんた、いっつもこんな生活しとるん!?」
と呆れ果てた叫びをしている頃には
「そうだよ〜、普通だよ〜〜!」
と答えながらもうバス停に向かって走り出していた。空腹と忙しさに呆然とする息子を連れていった先は児童心理カウンセリング。今日は先生に、今までの息子の成長と変化、まだ正式に調べていないけれどIQが平均かもしくはそれ以上と思われるので(こういう子供にはよくあることなのだ)2年後の小学校もおそらく普通クラスにはいってやっていけると思われる、と言われる。嬉しい、と素直に言っていいのかどうかわからない。今の幼稚園のように暖かい庇護を小学校にまで期待できると信じられる程私も甘くないつもりだ。いざとなれば学校になんか行かせなくても家で教育してやる、くらいの気持ちでいよう。たぶんそれはすごくまた特別な努力が必要なんだろうけれど。
がんばった息子にご褒美に大好きなミスタードーナツの2種類を買ってあげる。彼はそれを大切そうにぎゅっと握りしめて帰った。やっとやや一息。なんか疲れたよ、と呟くと、「そらそうや!」と母に噛み付かれる。実はまだこの後、娘の体操教室なんだけど、と言うと母がヒスった。あのう、ヒスりたいのは私の方です。
そこへチャイムが。なんとオット御帰還。まだおやつ時である。会議がひとつ飛んだので、帰って来ちゃったと笑う。夕方からの習い事はかなり憂鬱だなあと思っていたのだけれど、気分がぐっと楽になり、なんと2年ぶりに車のハンドルを握った私!自宅から体操教室のある体育館までは車で5分ほど。いや、その5分の長かったこと。幸い、ほぼ空いている駐車場ではあまりの奮闘ぶりに警備員さんが心配そうにでてきた。しまいにはオットが横からハンドルを切って停めた。帰りはさらに大変で、娘は緊張で「大変!、パパ、ママと変わって〜!」と何回も叫ぶ。我が家の車庫入れは難しいのだ。オットのつま先を本気でひいた私。幸い、怪我はなし。家の中からそれを見ていた母は卒倒しそうになってたけどね。
 疲れた心を、今日届いたばかりの「Dolly Dolly vo.l.4」を読んで過ごす。楽しい〜。水玉さんのコラムが嬉しかった。私と同じく、大のレイフ好きなんですね♪そう、我が家の人形棚の中では特別の位置にさんぜんと輝いているレイフ。私も彼のノーブルなお顔だちが大好きなのだ。
また欲しいお人形が増えたので、お人形購入計画リストを見直す。楽しいんだけど、気が休まらないかも。


本日作成した、息子の幼稚園の名札台。
これで裏表。息子の大好きなバーバパパの子供達、黄色いのがバーバズー。青がバーバピカリ。

2004年4月8日(木)
 娘も今頃やっと小学校の名前と何年何組か、担任の先生の名前等スラスラ言えるようになり、小学校生活の要領もなんとなく覚えて来つつある。今日のお迎えは11:20と昨日より35分伸びた。
それまで、お隣のお宅にお呼ばれしていて、美味しいミルクティを頂き、お喋りを楽しんでいた。上のお兄ちゃんは娘よりひとつ年上、下の弟君はうちの息子と同級生。もう姉弟でお世話になりまくり。驚いたことに人見知りの息子が、同じように大らかで優しくて甘えんぼの弟くんにはすんなり馴染んで、二人でにっこり笑顔でみつめあって、なんとなく一緒に遊んだりしてくれるので、とても心が和んだ。いつも息子の対人関係に悩んでいる私には大きな救いだった〜(T_T)
実は今日は20日置きくらいに来る偏頭痛の日で朝から憂鬱でならず、薬を飲んでもきかなくて辛かったのだけど、笑顔で過ごすことが出来た。娘も余裕で帰って来て、楽しかったと繰り返すので一安心。オットは名古屋へ出張に旅立っていて、いつも何かしら雑貨を見つけては買ってくる。今日は「久しぶりの一目惚れだよ」と言って何やらディズニーのグラスを買ったらしい電話があった。楽しみなお土産である。
気が付けば息子も明日が始業式。春休みの終わりか!幼稚園バッグや上靴は洗って綺麗にしてあるのだけど、ふとみると名札台がヨレヨレだったので、急に作成することにした。
息子の園では、普通に名札と、園章とクラスバッジの3個を止めた台を、胸に1ケ所止めることになっている。原則的にはこの3つのバッジが止められれば、どんなものでも良いとされているのだが、少子化時代の親達は、宝物のような子供達のためにこういうところにこそ凝るのである。名札台を見ているだけでも飽きない。みんなすごく工夫してあって楽しい。女の子なんかだとぐるっと周りとギャザーレースで縁取ってあったりなんかする。息子にも何か愛着を持って欲しくて、とっさに急に思い付いて大好きなバーバパパのキャラクターにした。形が簡単なんだも〜ん。顔も単純だからさっさかさっと刺繍しちゃえるしね。手作り感溢れるいびつさがまた味があっていいでしょう。不器用なお母さんだなあ、気の毒に、くらい思われている方がやりやすいもの。少なくとも、私から息子への愛は伝わるはずっ(鼻息)
出来上がるまでに何度も息子が覗き込みに来て、「バーバズー!」「バーバピカリ!」と指差していたのだけど、完成して渡すとニコ〜!っと輝くような顔で、鏡の前に持って走っていき、胸に当ててみて改めて私を振り返って笑ってくれた。それだけで、今日は充足。
 こっそりお人形の写真を撮ったけれど、もう更新する時間がなくなってしまった。たぶん、頭痛のせいで体が重くて体が軽やかに動かないのも影響してるかなあ。
 生産的に時間を過ごそう、と躍起になることを諦めて、最近買った本を手に少しソファに横になる。
アマゾンでしばらく品切れになっていたさだまさしさんの短編小説集「解夏」である。「げげ」と読みます。
 さださんについて語るのは避けたい。正直言えば、この方を無視できないのを承知ながら、決して積極的に好きじゃなかった。大昔に「精霊流し」を聞いて子供心になんて暗い歌だとため息をつき、しかしながら美しい歌声と詩に魅了され、でも「無縁坂」でさらに切なくなり。その印象が「雨やどり」や「関白宣言」でも払拭できず、どうも油断して聞く気になれず、でも耳にはいる音楽を無理に拒まないなまでも強いて求めることはせずにいた。が。親友に熱烈なさだまさしさんファンがいたのである。彼女と同じクラスだった2年の間に、かなりのウンチクを聞かせて頂き、卒業後にはもうこれもおしまいかと寂しく思ったり清々したり(ごめん!)その頃には私も自分の音楽の好みの傾向を自覚していて、それはまったくさださんとは対極のものだったのだ。しかしながら。さだまさしは、私の人生から切り離せなかった。
 16年前、私は知り合って間もない男性とコンビをくんで仕事をすることになり、そのお近づきの挨拶代わりに彼に「お前、ミュージシャンだと誰が好きなの?」と聞かれ「大澤誉志幸」と即答すると露骨に嫌な顔をされた。「あいつ、この間オアルバム大コケしただろ〜!」若い私はむっとした表情を出すまいと苦心しつつ「あなたは誰が好きなの?」と聞くと彼は胸を張って「さだまさし!」と即答した。私が露骨に嫌な顔をしたのは言う間でもない。そういう彼のことは最初からなんて変な人だろうと思っていた。
顔がちっちゃい。首が長い。全体的に細い。そして立て板に水のようによく喋る。やたら気がきく。物おじしない。ファッションセンス悪し。髪型、最悪。てっきり大学生のアルバイトだと思い込んでいたら正社員3年目だと言う。ふーん、でも将来性感じないわねっ、なんて思っていたら営業会議が始まってみたらいきなりトップセールスになってるし。うーむ、掴めん。でも間違いないのは、この人は調子いいということだ。さだまさしファンというところで正体が見えた気がすると思ったわね。
気まずい沈黙の後、言葉につまるという屈辱に耐えられない彼は、
「この辺はいい所だよねえ。こんなところに住みたいなあ。この隣の店さ、すっごくセンスいいもの売ってるだろ?見て来た?」
「うん、あのね、私、この近所に住んでるの。隣の店でいつも買い物してるわよっ」
「…」
感じ悪い接近をしあった二人は、1年半後には結婚し、その会話をした場所から徒歩2分のマンションに住んでいて、問題のお店でキッチン用品等を揃えてました。。。
人生、何がおこるかわからない。
愛は歩み寄りです。私はさだまさしを聞いたし、オットは大澤誉志幸を聴き込み、「彼はマジでかっこいい!」と言ってくれるようになった。さださんのコンサート、大澤さんのライブに夫婦で何回も足を運んだ(圧倒的に大澤さんライブの方が多いけどね)私は時々不意打ちされて、うっかりさだまさしの歌を聞いて泣いてしまったことが何回かある。悔しい。私達のドライブ中に聞く曲はほぼ大澤誉志幸だけれど、渋滞などでオットが苛立ったり、単純に疲れてるなあと感じたら、さだまさしさんの曲をかける。オットは見違える程元気になり、一緒に歌い狂う。
しかし今では隠れキリシタンのごとく、さだファンであることをオットH公表していない。オットのセンスをほめられるたびに、私はマイフェアレディのヒギンズ教授のような気持ちになるの、本当に。信じない人には新婚当初のアルバムを見せる。みんな「わっ、全然違う…」と言葉を失う。そこへ、しかも彼はさだまさしの大ファンなのと告げると、皆、嘘〜!っと驚く。
今のオットのイメージに、あまりさだまさしは似合わない…。会社も違うので、社内でもファンだと公表することはしないことにしているようだ。外見的に「バリバリのロックでしょう〜?」と決めつけられて「いやクラシックで。自分でも歌いますよ、テノールです」という感じで相手を裏切るのはOKらしいのだが、さだまさしファン、というのでは収まりがわるいらしい。でも好き、なんである。先々月にNHK衛生でやっていた彼の3時間くらいの特番もチェックし、ベストテンに選ばれた曲についてうんちくうんちく語っていたわさ。
そのさださんが小説を書いたときいてから数年。でも手にとらず。なんとなく予測がついたので。
今度月曜日9時からのドラマになると聞いて、ふと魔がさした。読む。うっかり泣く。やっぱりやられたか。
私の読書量は少ないし、思考も浅いので評論はできない。ただ簡単に感想をいえば、面白いんだと思う。プロの小説家と呼ぶには甘いのかな、完成度は低いのかな、とは思う。けれど文章は水物だ。理論ずくで楽しむことが読書ではない。やっぱり心で感じるものだと思うし、だとしたら私の心には響くものがあり、泣けたという事実が残る。表代作より「秋桜」という作品で泣いたな。嫁姑の話しなんだけれどね。
どのお話も良かった。正直、人間ってこんなに善いものかな、優しいものかな、なんて懐疑心が募りもする。でもその次の瞬間、そうだといいね、と思う。それがさださんの持つ優しさなのかなあとふと考えて、昨年11月とつい先々週に行ったライブでの大澤誉志幸さんの言葉が頭の中に浮かび上がって来た。
 大澤誉志幸と言えば「そして僕は途方に暮れる」なのだけど、私は他にも好きな曲がいっぱいある。いや、全部好きなんだけど、ある青春の一時期、私を支えていた曲があった。「クロール」という。その思い出から遠ざかり、でもまたここ数年ちょっと苦難の波に揉まれたりして、悲しみの中でふとまたこの曲が私の頭の中で鳴り響くようになった。
正式復活ライブということだった昨年11月のライブの出だしの曲がいきなりこの「クロール」だったことに私は心底驚き、まるで、天の配剤のように思えて涙ぐんだくらいだった。
大澤氏はこの曲の詩の一節「愛された思いを、勇気に代えて」というフレーズにメッセージをたくした話をした。先々週も、同じことを言っていた。私はこの曲の中でも別のサビの歌詞をいつも鮮明に頭に浮かび上がらせる。
「たとえ裏切られても…このまま夢をみる」
これに尽きる。さだまさしさんの書く詩や小説程、人が善いもの優しいものかと思うけれど、そうなんだと騙されてみたい。
現実にはあり得ないことだけど、私の中ではシンクロする大澤さんとさだまさしさん。


今年はまだこんなに桜が咲いてくれていて嬉しい。

昨日より、さらにドキドキの初登校。

2004年4月7日(水)
 起きた瞬間から緊張感で一杯の夫婦。娘の初登校なので、手落ちがないか何度も確認する。娘は昨日に引き続いて御機嫌でよかったのだけど、ランドセルを背負って出ていく姿がやっぱりどこか痛々しくて、見えなくなるまで見送ってしまった。ちなみに我が家は子供をひとりで歩かせない方針。送るのはオットが、迎えには私が行くことに決めている。人にどう嘲られようといい。万が一の悲劇に遭ってしまった時に、最終的に辿り着くところはきっと「ちゃんとついていてあげていれば」という後悔だと思うので。
見送って1時間後、すでに会社そばの喫茶店に落ち着いたオットから今朝のルポが届いた。登校時間の8時まで開かない門の前に、新1年生が100人くらい集まっていたこと、自然に同じ幼稚園どうしで固まり、オットが皆の保護者の役割を果たしたこと、娘が仲良しの友達にかばわれるようにして、教室へはいっていったこと。。。
お迎えは10:45。早めに行くと、さらに早めに来ていたお母さまと会い、よろしくと挨拶する。ずっと住んでいると、どこかしらに共通点があるもので、その方は娘のバレエ教室の同期の子と同じ幼稚園であり、別のバレエ教室のお友達の斜向いに住んでいらっしゃるとのこと。そこへ私の友人が来て、紹介しあうとまた微妙なつながりが。東京とはいえ、実にのんびりした小さな地域社会ならではのことで、母親としては安心できる。先生に引率されて子供達が戻って来た。なつかしい子供達の顔が何人も見え「あっ、○○○ちゃんのママ〜!」と抱きついてもらえたりする。気がつくと一番しがみついていたのが娘なんだけれど、とりあえずご機嫌でかえって来て一安心。
帰りに寄ったスーパーでは馴染みの店員さん達に口々に祝福してもらえて、試食品をお祝にとたくさん頂いたりした。娘は大変御満悦。しかし帰宅後、夕べ私が苦心して書いた、担任の先生への2ページにもおよぶ連絡帳を渡さなかったことが発覚。怒ると、おばあちゃんの腕の中に飛び込んで逃げた。母には、初めての学校の初日で緊張して頑張って帰って来たのに、そんなに叱るなと怒られる。ごもっとも。でもさ、そういうお母さん、あなたはいつどんな時でも、朝、学校にいく直前までヒステリーばっかり起こしてたじゃないですか。…という言葉を飲み込む。母はその点まだ全然枯れていないので、そんなことを言おうものならまたヒステリーの発作を起こすこと確実で、面倒臭いからだ。
 息子の幼児教室も新しいクラス編成になり、一番お世話になってきた室長先生がまた受け持って下さることになった。今日分ったのだが、息子は緊張するとヘラヘラひょうきんにふるまう。いつもよりずっと落ち着きがなく、あまり人の話を聞いていないようだが、ずっと体に触れていると、先生やお友達の言葉や行動にピクン、と反応しているのがよく判る。
思いのほか、この教室が伸びて、娘のバレエレッスン開始に遅れた。この教室からバレエ教室まで200メートルくらい。幼児教室でいきなり娘にレオタードを着せ替え、ダッシュして走る。途中で何人もの知り合いに会ったけれど、私の鬼気迫る様子にたじろぎ「やだ、こわ〜い」と怯えられたり、「あ〜…、がんばってね!」なんて応援されちゃったりして。
帰宅後、すでに空腹と眠気でぐずりはじめた子供達に夕食をあてがい、お風呂に投げ込み、寝かし付ける。私も睡魔に襲われてます。でもくそ〜、何もやりたいことやってないのに、寝てたまるか!
とりあえず。本日到着した天使の箱をそっと開いて愛でています(*^^*)


初めての教室に親は緊張。娘はもらった帽子がうれしくて、ぱっと笑いました。

これが必殺のメゾピアノのど・ピンクのランドセル。
ピカピカの1年生。おでこに桜の花びらをくっつけて。
(ちなみに後ろに映っている立派な邸宅、および車は我が家とは無関係です)

2004年4月6日(火)
 明るさで目が覚めて嬉しかった。入学式に雨はやっぱり嫌だもの!娘もご機嫌で起きて、お気に入りの白いワンピースと黒い靴をはけることに大喜び。すっかりお得意のランドセルも背負うといって頑張ったけれど、入学式にはランドセルはいらないのだ。
これから6年通うことになるであろう道を家族で歩く。私の母も景色をかみしめながら歩いていた。途中の道には桜がまだ満開。青空に映える美しさ。風は暖かくて柔らかく、途中で娘はカーディガンも脱いで、ワンピースだけで身軽そうに歩いていった。
校門の前の行列に何気なく並んだら、それは『入学式』と書いた札の前で記念撮影をする人の列で、でもま、いいか、と家族で写真を撮る。オットが三脚を持って来ていて正解。受付に向かう出だしからもう、いきなりどうしていいか判らない私達に、新6年生のお兄さん、お姉さん達が駆け寄ってきてクラス表を渡してくれ、受付に案内してくれ、娘の胸に名札を止めて下駄箱を教えてくれて、上靴をはきかえるのを手伝ってくれて、教室まで連れていってくれた。もうそれだけで、私達両親は大感動、大感謝である。なんて素晴らしい上級生なんでしょう、この学校はいい、絶対いいよ!とうれしがる。
講堂に行ってみるともうほぼ満杯。家族4人分の席はあまり空いてないなあ、あ、ここだけ空いてる、といってみると、たまたまそこには娘の出身幼稚園の人達が固まって座っていて、一気にリラックス。娘のクラスはきっと当たりだと思う。恐ろしいことにクラスカラーがピンクだとか。娘のピンク好きはすごいもので、過去、幼稚園でもクラスカラーピンクのところを引き当てていた。ランドセルも上の写真をご覧の通り………。なんとか林家パー子状態だけは避けております。でも時々、そうなっちゃうんだよね。
入学式は感動した。私は泣きたくなった。娘を産む時の、あの死に神とのかけひきのような一瞬、九死に一生だと鬼のようにこわい看護婦長さんでさえ涙ぐんで喜んでくれた娘の誕生。お世辞にも手のかからない子とは言われたことがない娘だけれど、大切で、ただただ大切で。校長先生の「今までの6年間、さぞ大切に育ててこられたことと思います」という何気ない一言に、本当に泣きそうになった。やっと抱いた生まれ立ての娘の暖かさとあのズシリとした重み。目を開けたといっては喜び、泣いたといっては慌てた日々。思い出すと止まらず、なんとかここまで来れて良かったと心から思い、でもまだまだまたスタート、大切な第一歩とも思うほどに、胸に思いが溢れてくる。
誰も泣いてなかったので、私も我慢した。
帰って来た時には疲れていたけれどハイテンション状態だった。この期におよんでまだ足りなかったものがあり、買いに走る。それは防空頭巾カバー。頭巾そのものは幼稚園で使っていたものをそのままのつもりだったのだが、なんでも、それを入れて椅子にかけ、クッションのようにしておけるカバーがあって、皆それを使っているという情報を友人に教えてもらったのである。学校から用意するものとして渡されたプリントには書いていない。でもこういうことって気になるもので、やはり買っておこうと判断したのだ。
今日、渡された書類書きにも手こずった〜!ハッキリ言えば調査書のオンパレードのような。得に問題はないといえばなく、あるといえばあり。こまごまと書き連ねていると止められなくなり、夕食がすっかり遅れてしまった。おかず、焦がしたし!先生への連絡帳もいきなり2ページ書いちゃった。
ランドセルにひとつひとつ、準備したものをいれていく。果たして大丈夫なのか娘。オットは毎朝娘を小学校に送っていく日々を楽しみにしている。その初日が明日なのだ。うーん、娘の人生で一番ハイライトかも。
明日はMSDもご到着。私的には人形生活もハイライトです。


洗面所用にした時計。
壁紙がよく映ってないけれど、薄いシャーベットグリーンなんです。
そこにこの時計がピタっとハマりました。
こういうコーディネイトって、やってみるとすごく気持ちいいものだなあ。。。

2004年4月5日(月)
 晴れたのは良いけれど、娘が鼻水ズルズル状態になっていたので、結局お友達と井の頭公園でお花見するという約束はキャンセル。まあ昨日、母も来たところでいきなり留守番させるのもどうかなという気もあったので、ちょうどよかった、ということにした。母が大量に実家から送って来た私の本を整理し、なんとかクローゼットにおさめるも、その分でてしまった収納ケースが二つ。ひとつはベビーお布団セットで、間もなく妹にあげるからいいんだけれど、もうひと箱は毛糸のストック。ああ、編み物したいなあ。今、妹のところに10月に生まれる赤ちゃんのために白いベビードレスをちょこちょこ編んでいるのだけれど、もっともっと色々編みたい、縫いたい。母がいてくれる間に、洋裁の細かいことを聞いておきたいと思っているので、その前に家の中のことをできるだけやろうと頑張る。で、気が付いたら日が暮れていた…。ちょっと夏に備えてタオルケットを出して洗濯し、干そうと思ってベランダにでたら、物干竿を拭くだけのつもりが、結局隅々まで掃除するしかなくなったり、土壇場だけど、あまりにもぽけら〜っとしている娘に自覚を持たせるため、決死のランドセル訓練をしたり。
それは何かと聞かれると、ですね。本当に泣けるんだけど、娘は過去6年、スイートな声と仕種で人に守ってもらい、可愛がってもらう人生を歩んで来たので、なんとランドセルひとつ扱えないんですね!ひどい時には遠足で、水筒さえ開けられなかったという。いや、やればできるのである。神様はそういうスペックをちゃんと与えてくれている。でも重い、とか固いということが何より嫌いな娘。適度に荷物を詰め込んだランドセルを渡されただけで「私、これ持てないと思うわ〜」。アホか!持てっ!!
蓋をあけてごらん、というと「うん、がんばってみる」、よいしょよいしょと不器用にランドセルをひっくりかえし、必死でレバーを横にして、ふう〜っとため息をつきながら蓋をあける。所要時間15秒。…ふたたび、アホか。
2才年下の息子の方が普通にやる気があり、手先が器用で力が強くて、自分でなんでもできる。ところが娘は、ものぐさな性格故か、なにか言われると「できないの〜」と体をくねらせる…。
神よ、あなたはなぜよりによって私に、こんな天然ぼけの娘を授けられたのですか。愛さずにいられず、だからこそ心配で胃がねじきれそうじゃないですか。
そのあと、雨が降った日対策として、防水カバーをランドセルにかける練習をする。所要時間10分……………。泣きそうになってきた。もはや、神の御加護を祈るしかない心境である。こんなトロくさ天然ボケ娘でも好きだと言ってくれるお友達がいるのだから、なんて有り難いことでしょう。今時の子はすごくしっかりしていて人間関係も難しいからね。そんな中でひとり別世界をひらひらと、妖精の羽根を借りて飛んでるような娘はある種、いいねえ天然で、と言われるキャラクターのようだ。私が心配しているとよく他のお母さんや、幼稚園の先生から「いいのよ、○○○ちゃんはこのままで!一生このままでやっていけるわよ」と言われたものです。でも不安……。
夕方、幼稚園の友達からの電話で、早くも小学校のクラス分けの情報がまわって来た。娘は1組で、同じ幼稚園から進学する11人のうち、なんと5人と同じクラスだという。女の子二人は娘の仲良しで、とってもしっかりしているので、彼女達から色々情報をきけるだろう。早くも神の助けの手がおりてきたようで、心底ホッとしてしまいました。やれやれ。
 ちなみに母。家事が嫌い、動くのが大嫌いなのに、きちんとした家が好き、という人で、実家の母がきているというと皆に「楽でしょう」と言われるのだけど、ん〜〜〜〜、どうでしょう。どうかなあ。とりあえず、子供の話し相手としてだけ御活躍願っております。あと、留守の時に宅急便の荷物を受け取ってくれるのが有り難いかな。昨日、ピカピカにした水まわりのことはノーコメントで、入ってくるなりいきなりジロっと床をみて、「えらい汚れてるなあ。スリッパはないのん?」と来た。我が家の床は標準的によく使われているものよりかなり色が白目の木材を使っていて、髪の毛一本落ちていても目立つ。その上、息子が歩きながらものを食べると言う悪癖から脱しきれていないため、しじゅう床に食べカスが落ちている。私は一日床にはいつくばって拭いているのだけど(腰が痛いっす)、どうしてもうっかり見落としたものが、果汁なんかがペタっと残っていたりするのだ。その一瞬の隙をつくか、母。
うーん、こうして考えると私っていつ、気をやすめているんでしょう。まあ、いいけれど。私にはお人形があるからさ。
ご報告です。欲しくてしかたなかったMSD、買っちゃいました。わーお!!!!
当分、美容院にも行かず、身をつつましくして生きていくつもりです〜。
今まで色々考えてきて。ボークスのSDというのは私にとって特別なお人形で、美しさも格別なら値段もそれなりという禁断の世界で、キラを得たことで満足、これ以上の深みには落ちるまいと、できるだけ情報すら集めないようにして来た世界なのだ。でもフルチョイスのことをしり、それができればどんなにいいかと思って、夢のまた夢と決めつけていたけど、ここまできたらもはや楽勝ですな。来年、いや遅くとも再来年の前半にはフルチョイスオーダーもしてみたい、それで終わりにしようと思います。
よそ様のサイトであっ、素敵!と思ったアナイスというSDもたまたまオークションで発見したら、すっごい値段になっていた。あのお顔、フルチョイスで再現できるかな?あれ、私、男の子を頼むのかな。女の子を頼むのかな。お人形としては女の子の方が断然好きな私なのだけど。キラ・アンジュのボーイフレンドを作ってあげたい気持ちもあるのだ。


我が家の「青のコーナー」に新しく加わったコレクション。
キラキラのラインストーンの縁飾りがとびきりキュートな鏡。

2004年4月4日(日)
 ぶるぶる。珍しく寝坊してみたら、地震で目が覚めた。そうしたら、また急転直下の寒さじゃないですか。神様、嫌がらせですか?
最近の私に朝寝坊は珍しい。昨日、むきになってキッチン、洗面所、お風呂などの水まわりをピカピカに磨きあげた疲れが残っていたものと思われます。私の母推奨の重曹と古い歯ブラシを使って、隅々まで浄めてスッキリ。明日の午前中は何も予定がないんだよね、と夫婦で確認しあって、夜更かしでテレビを楽しみつつ、お酒もいつもより1杯多く飲んだ。とにかく今、夫婦でブームなのはジントニック。ジンに氷をいれ、トニックウォーターを注ぎ、生のライムを絞り入れる。その香とクールさ!でも甘味がつよいので、そういうのが嫌いな人にはお勧めできないけれど。
寝坊して起きてみると、なんだかやっぱり時間を損した気がしてしまうのは、単なる貧乏性でしょうか。
そして例によってオットがガンガンスケジュールを決めていくので、慌ただしくなってしまう。
昨日、なぜ私がむきになって掃除したかと言うと、母が来るからなんですね〜。文句をつけられまいとがんばったし、オットも家を綺麗にしておこうと張り切る。おかげで家がピカピカになってよかったんだけど、肝心の母が来ない。予定していたより1時間遅れで新幹線に乗ることを確認できるまでに、イライラしちゃった。なんのための携帯電話なのっ。なにはともあれ、母が東京駅に付く頃を見計らって、雨の中、家族で出発。でかけるよと告げたら、子供達は黙って真冬のコートを出して来たので笑ってしまった。それで私もダウンを来たのだけど、全然それでOKでしたね。本当にもったいない桜たち。雨の中散って、葉ばかり目立つ木を見て少し寂しく思い、でもなお満開の桜もたくさんあって、その力強さに打たれたり。
思うのだけど、私は誇り高い人が好き。で、それは俗にいう「負けず嫌い」とは違うのね。今日の新聞の人生相談にも出ていたのだけど、いつも人と我が身、わが家族をひきくらべ、どちらがレベルが高いか低いかばかりの話をしている親のことで悩んでいる娘さんの相談だったのだが、そういう人は私の人生を振り返っても多かった…。そして「私、負けず嫌いだから。○○さんがお医者さんと結婚するって聞いた時には悔しかった。でも絶対子供で見返してやる!とか思って。で、男の子生まれたし、無事私立うかったしさ。ニューヨーク駐在もしたし。かえって着てこの××の街に家を買ってさ。○○さんは今も綺麗だけど、子供うまれないでしょ。子供がいない人の綺麗さって丸みにかけるよね。私、今は負けたとは全然おもってないもん」…などと、言ってしまう手合いです。。。美人で頭が良ければそれに越したことはなく、特技があればさらに申し分ない。けれど人生はそういう人に公平に幸福を与える訳ではなく、そうでない人には幸運を与えない訳でもなくて。だから人は努力する訳で、ただその努力に対して一途であるのはいいと思う。でもその努力を計る効果として、人と比べて表面を見て勝った負けたという人は、どんな理屈をつけてもみっともなく感じる。確かに表面が全く大切でないとは言えないことは私も認めるけれど。人は人、自分は自分。そういう割り切りをもった清清しい人を、私は好きだと思う。でもだからといって、御意見無用、天下ご免、みたいな非常識人ではなくて。ポリシーを持って、凛々しく、我が道を行く人。自分に厳しく他人に優しい人。そういう人のことを、雨の中で咲く桜を見て連想しちゃったのだった。なぜだろう。
 東京駅のホームで母の姿をみつけて、ホッと和む。娘に日記をつけさせることにしてそのためのノートを探しに丸ビルにはいったら、ソニプラならぬミニプラで早速子供達におもちゃを買ってくれた母。帰りにまたオットが迷子の発作を起し、道を間違えて大変な遠回りをしたのだけれど(何十回も東京駅と我が家を往復しているのに不思議で、オットも呆然としていた)母も子供達も眠ってしまったのでよかった。道を間違えたおかげで、オットと新婚時代に住んでいた懐かしい都立大学駅の前を通った。よく歩いて自由が丘に行ったなあ。目黒通りを横浜までドライブした。道沿いにはたくさん家具屋さんが増えていた。私達が住んでいた頃はまだそんなになかったなあ。
帰宅して、大急ぎで夕食を作って。下ごしらえはしてあったのですぐにできたものの、私自身が座ってゆっくり飲み食いできるまでには時間がかかった。主婦ってみんなそうだよね。
明日もまた、お花見の予定がはいっているのだけれど。なんとなく風邪をひいた予感がしています。


フリーマーケットで偶然ゲット!¥1500でした。

2004年4月3日(土)
 近くの住宅街で恒例の「桜祭り」が行われると言うので、朝早々にでかける。甘酒や苗木プレゼントが始まるのは11時からなのだけど、今年はそれにはこだわらないことにして、ひたすら桜を愛でるつもりで10時には到着。まだ露店が始まったばかりというところ。物珍しくてみていたら、バービーが目に飛び込んで来た。それもけっこうたくさん。思わず家族を捨てて駆け寄り眺めたら、上に写真を貼った子が。即決で買っちゃいました。新品箱入りだしね。他のバービーも素敵で心が揺れたのだけど、今は目標にしているお人形があるので、とりあえず我慢。欲しいのは人形ばかりじゃないのが辛いところだし。
実際、桜を堪能し、お祭りもほどほどに楽しんだ後には、かねてからオットと打ち合わせてあった雑貨屋で予定通りのものを買い込んじゃった。キラキラ光り物好きの私の心を騒がせるジュエル時計と(色違いでこれで3つめ)とはじめての壁かけミラー。そしてタッパー3個。レトロチックな絵柄で可愛かったのだ♪時計と鏡は¥2000足らず、タッパー類は¥400足らず。これくらいの値段のものに一番散財しやすい私。塵も積もれば山になると知っていながら、これくらいの値段の雑貨のキュートさは私にとって大きすぎる誘惑で。実はカエルの王様のじょうろも半年前から狙っているのだけど、¥4000近くするのでふんぎりがつかない。そういう人が多いらしく、いつまでも店頭でふんぞりかえっているカエルの王様じょうろ。¥4000ってすごく使い道があるお金だものね〜。
 ついに春休みの終焉を感じるのだけど、子供の習い事が再開された。幼児教室は本格的に学習の趣に。バレエは半月お休みしていたら、すっかり感が狂っていた娘。
帰りはランドセルを娘に背負わせて、桜を背景に写真を撮った。明日には雨が降るというし、これで桜は見納めなのかな。もったいない。あまりにも綺麗でもったいなくて、体中で桜を感じるように、桜・桜、とそぞろ歩く。
 反面、お人形のことで悩んでいる私。改めて欲しいお人形リストを作成。購入計画をちゃんと立ててみる。当たり前のことなのかも知れないけれど、価値観は徐々に変わることもあれば、一つのきっかけで激変する。私のお人形好きは変わらないけれど、重点をどこに置くかには変化があるように思う。
基本は可愛ければなんでも、なので、全然たいした価値観じゃないんだけど(笑)だから量産品のお手頃価格人形で大満足な反面、好きとなったらそれが稀少価値のあるものでも、獲得に走り出してしまう。そんな私だから余計に、自分の愛がどれくらいなのかを見極めなきゃと思うのだ。
昔の私は無知だった。世の中にある着せ替え人形というものは、リカとジェニーとバービー、それにぽぽちゃんだけだと信じていた。だから飛び込んだ人形沼。でも一つ一つのカテゴリーが深い上に、人形趣味というのはほとんど全部の文化に通ずるものがあって、ズブズブ深みにハマって抜けられません。間違いなく、今の私の人生は家族の次に人形に支配されていて、大切なのもその順位。ごめんよ友人達。友達甲斐のない私を許して。


夕暮れの空に浮かぶ綺麗な月を撮りたくて…。
でも桜の美しさに心を奪われて、結局何を撮りたかったか判らなくなってしまいまいした。

2004年4月2日(金)
 今日は娘のお友達の家にお呼ばれして、仲良しの母子4組で楽しんだのだが、皆のテンションをあげた話題を提供したのは私だった。
夕べ、オットが帰宅したのはとても遅かったのだが、その後輩の悩みというのを名前をもちろん伏せて女性陣に話してみた。
彼は仕事で大きな大きな壁にぶつかり、挫折感にうちのめされ、鬱病になった。精神科の医師にすぐに会社を休み、安静にしているようにいわれた。死を考える程の苦しさだった。しかしその時、彼の妻の態度は冷たく、なんのいたわりもなかった。それどころか彼に「なぜ、寝てるだけなの?」「悪く見えないけど!?」「実家に帰るなり一人で旅行にでるなり好きにすれば!?」と暴言をはいたという。精神科業界でも画期的といわれる新薬の登用により、彼は3ヶ月で立ち直ることが出来、仕事に復帰した。人事部のはからいで、合わなくて辛くて仕方なかった部署からも異動できた。今、何ごともないように見える。けれど、どうしても妻を許すことができない。あれほどの苦しみ、悲しみに、なんて冷酷な女だろう。たぶん一生許せないと思う。その怒りを今は出さないようにしているけれど、胸に残る恨みのしこりが辛い………。
とまあこういうお話だったそうである。私は首をかしげる。その夫婦の結婚前からを知っている。奥様は一途に彼を愛し、遠距離を乗り越え、ほとんどおしかけるようにして嫁いでこられ、そんな彼女の情熱を彼もデレデレになって受け止めていたと記憶している。その後、可愛い双子の女の子の誕生にも恵まれた…。
 ここまで話して私の友人達が騒ぎ出す。「おかしいよそれ。なにもなくて、女がそういう態度とるかな?」「普通はがんばるよ?だんなさんと一緒に苦しんだり悲しんだりするよ」「なにかあるんじゃないの?逆に奥さんの方が怒ってることがさ〜。」
女は鋭いね。正解です。くだんの彼は風俗に通っていたのが奥さんにばれた後だったのだ。
常々男女の見解の相違は感じていた私も、改めて唖然としたのだけれど、彼はそれは悪いと思ったものの、たかが風俗(ファッションマッサージとかいうものだそうです)、本気で一人の女にいれこんだわけではなく行きずりのプロの女性とちょっと楽しんだくらいのもの。会員カードを持っているのがバレて激しい怒りをかって以来はもうそういうところとは縁を切ってるし…。ほんと、浮気だなんてとんでもない。まあ強いていえばそれだけが僕が妻に対して持ってる弱味とは思うけど、以後はちゃんとしてるし、仕事も精一杯頑張って、家に帰っていい夫、父であるようにつとめてきたと胸を張ったそうだ。で、オットもそうだよな、たかが風俗にちょっと行っただけだよな、俺は不潔嫌いだから行かないけど、ということを言って調子を合わせたそうだが。
私はそれまで好感をもっていた彼のことを一瞬で見下げたのだが、友人達も聞くなり一言、
「その人、死んでもいいけど」「ふざけるな」「アホ」「奥さん、保険金かけて自殺させておいた方がいいよ」
そうなんだよね。同感なんだ。
その奥さんは私と同じ関西出身。夫である彼だけを頼りに生きていたと思う。慣れない土地で子供をつくり友達を作る。それはね、成功していけば大収穫で人生の宝になるけれど、それまではとても心を削る辛い面もあったりすること。あの、子供が生まれて関わってくる色々な人とのつながり、最初の頃に必要とされる勇気、日々の積み重ね…そのどの一つをとってもなかなかきつい。しかも彼女は双子を産んで、どうしても未熟児としてしか産めなくて、一人の子には先天的に心臓に障害があり、何度もの手術が必要だったそうだ。
どれだけ彼女は死にものぐるいだっただろう。
私でも、子供が3才、1才のころは辛かった。魔の2才児、3才児と言われる時期がある。子供が保育者を振り回す威力はすごい。笑ってばかりいられない。優しいだけではいられない。育児に明け暮れるほどに、家庭や小さな地域社会に縛り付けられることになり、閉塞間が募り、精神のバランスが崩れそうになる。そんな中で誰を頼りにしたいだろう。それは夫である。その夫が、風俗に、会員カードをつくるほどに通っていると分った時に、たいていの女は衝撃を感じるんじゃないか。それでもあっさり謝って簡単に自分の罪を片付けた夫に対して、彼女が飲み込んだものは計り知れないのではないかと思う。
その後、仕事が合わない、死にたいと嘆き、家で寝ていないとなおらないんだよ〜!と甘えられても。
凍った心が溶けないのは当然のように思える。彼女自身がどれだけ苦しんだだろう。死にたかったのはどっちだろう?信頼を得るには長い年月がかかり、壊すには一瞬で足りる。普通の場合の浮気じゃない。彼女が人生の厳しさに直面し、祈るように必死で生まれて来た命を守り育てて行こうと奮闘していた時の裏切りだ。男にもストレスがある、その解消だ、というのなら聞きたい。女のストレスは?その解消には何をしても許されるのかな。
こういう男にならないように私は息子を育て、そんな男と結ばれないように娘を育てようねと皆は誓いあって、また綺麗な桜を見に行った。桜はとても綺麗で、桜越しに見上げる春の空の優しさにはため息がこぼれるほど。まだ日があるのに浮かんだ月の清らかさ。
楽しくお別れして、桜並木を歩いて帰っていく途中でオットからもう帰ると電話があった。スーパーで待ち合わせして歩いて行ったら、ちょうどバス停にバスが止まり、オットが降りて来た。子供達はパパ〜、パパ〜!と叫びながら走りよっていった。
何気ない毎日。大切な普通さ。絶対になくしたくないなあ。


ピューロランドで自宅用に買ったおみやげ。
 
小皿が2枚、セットになているのに惹かれて。
子供に使わせるのにちょうどよかったし、着物着てるキティちゃんが可愛いとも思えたし。
このお蕎麦が美味しいかどうかで、私のピューロランド全体への感想が決まると思う。

2004年4月1日(木)
 朝9時の集合で、近所4世帯の主婦たち共同で、敷地の前の公道の雑草刈りに励む。こういうことって大事だと思う、ということで意見が一致してるので、皆、和気あいあい。全員男の子の母で、育児ネタも尽きない。これからも声を掛け合ってがんばっていきましょうということになった。雑草刈りと言っても、あまり綺麗に花を咲かせているものは残しておく。巨大なミミズやだんご虫、何かの幼虫が出て着て、や〜ん!と泣きべそをあげたりしながら、皆で綺麗にした所を眺めて満足満足。お花見の話でもりあがり、いっそ各家庭で1本ずつ、記念に桜を植えようか、なんてお話にもなったりした。
 4月に入って、いよいよ娘の入学式が近付いて来たと思うと緊張してきたし。のんびりの春休みも明日で終わりのようなもの。明後日からはふたたび、習い事の嵐である。雨の多い春休みだったけれど、それはそれで良かったかな。気のせいか、毎年ごとに桜の綺麗さが身に沁むように感じる。
明日は友人の家にお呼ばれ、天気がよければ娘達にランドセルを背負わせて、桜並木のところで写真を撮ろうと約束していたのだが、天気予報は悲観的。今もしとしと雨が降ってる。雨が家を打つ音は、どこか優しくて好きだ。外を歩かないですむのならね。
 オットの帰りを待つ徒然に、オークションをのぞいてみたらシャーリーちゃん人形がわりとすごいことに。うう〜ん、これからまたノベルティとかで出ても入手しにくくなるのかなあ。
 オットは会社の後輩の人生相談にかり出されている。人事異動の前後はそういう話は多いし、時にはオット本人も悩む。転勤の多い会社なので、地方への転勤が決まったとたん、辞める人が毎年必ずいる。入社する時にすでに、その転勤の多さは告げられてるし、例外はほとんど認められないこと、男女の区別はないことも納得づくのはずなのだが、案外みんな、自分が東京から動くことはあり得ないと思い込んでいるようだ。東京、悪いとはいいません。でも地方もまたよし。人生、何が転機になるかわからないのだから、若いうちはチャレンジ精神を持って頑張って欲しいなあといつも思う。ためらうのは、子供ができてからでいいんじゃないの。我が家は昔、転勤OKを告げていたのでガンガン飛ばされた。行く先々でかなり楽しんで、悔いはなし。ただ娘が生まれてからもついた勢いが止まらなかったので、娘に幼稚園を3回も変わらせたこと、申し訳なく思っている。
今、私はやっと「地元」という言葉を噛み締めている。どこよりもホッとできる場所に、やっと出会えたみたい。よそにでかけて帰ってくると、無性に嬉しくて安心する。たくさんの家に住んで、色んなインテリアを楽しんで来たけれど、たぶん今が一番家が片付かない状況だけれど、でも好きなんだなあ。その感慨も、夫婦でいろんな引っ越しをしてきたからなんだよね、きっと。
 オットがトニックウォーターとライムを買って来てくれるまで、ジントニックが飲めない。困った。