2004年の5月が終わりました。
不思議なお天気続きの5月でしたね。
2004年5月31日(月)
 風があるのに暑くてベタベタとした空気、苦手〜(>_<)風が吹いているのに気持ちよくないよと思っていたら、朝から強風貼ろう注意報が出ていたようだ。風がないのも嫌だけれど、ありすぎるのもかなり嫌、だということを痛感。早々に梅雨入りもして、あれ、もう春は終わりなんだなとちょっと残念である。
 朝、一旦息子を幼稚園に送り届けてから、パン屋さんに急いでメロンパンを買う。9時発売だというので時間ぴったりに出かけたのにまだ並んでおらず、お店の人にうるうるした瞳で訴えて(おえっ)一つだけ先に焼き立てのメロンパンを譲ってもらい、飛んで帰って4つに切ってお弁当箱につめ、あらためて幼稚園に届ける。全く、どこの王子様なんじゃ!
それから駅前の不動産屋さんへ。ここは長く地元で開業していて、かなりの範囲の物件を掌握しているといわれているお店である。義妹家族が喜んで住める家をお願いしますとしばし交渉。やはりここでも今はもっとも物件が少ない時期とのことで、いいものはなかった。
帰宅して、息子を迎えに行く合間合間にこのサイトの更新。せっせとお人形をアップしていかないと、私の部屋はもちろん寝室にまではみだした人形と食玩、玩具で部屋が溢れているので、綺麗好きのオットにぐちぐちクレームをつけられて仕方ない。
彼は昨日また整理整頓に燃え、これからは絶対この美しさをキープする宣言をしている。私が仕事で書類を送る準備をしている途中で彼が帰宅して、お腹がすいた、おふろおふろと騒ぐので作業を中断してオットと子供達(ま、子供3人と思ってれば間違いないんだけどね〜)の世話をして、やっと1段落してふと見たら、発送のために準備しておいた封筒も糊もボールペンもない。オットは傲然と、片付けたと言い放った。しかし。帰宅してすぐ脱ぎ散らかした服はまったく片付けていないオット。間違ってるよ!
息子と一緒にのみはじめた数種類のサプリメント効果を気にしすぎているのか、なんとなく体調が良い。息子は反応が変わって来ている。言葉が増え、感情を言葉に替える瞬間もかなり増えているとオットが驚く。もしそうなら本当に素晴らしいサプリメントなのだが。その食品にうたわれている実績を見ると、それならもうとっくに世界中に広まり、正式な治療品として認可されているべきだろうとは思う。日本でもよく言われているアガリスクとかああいう感じのもの。本当にあれで癌が治っているのだったら、それは素晴らしい事に違いない。私達が幼児教室の先生を介して知ったある食品は、本国アメリカから欧州にまず広がってたくさんの効果をあげているという。先進国での近年の、自閉症、ADHD児童の数は、爆発的に増えているのだ。その統計数字を見るとあまりのことに愕然とする。何か、どこかに原因があるとむしろ思える。何もなくて、なぜ先進国にのみこの病気が増えるのだろう。やはり予防注射に含まれる水銀か、あるいは余りにも一般的になった食品の中のなにかか。なんにせよ、自閉症などの原因不明、治療法がないといわれる症状の改善につながる治療法があれば。もし息子が健常と認められる範囲にはいれたら。
私たち家族の人生は大きく変わる。いつも気にかかってならない娘の事。将来的に、弟の分まで人生を負って行くことになるのかと思うと、いたたまれないほど切なかった。その運命を変えるチャンスがあるなら、いつでもできる限り努力したい。
そのサプリメントの効果の行方が、今の我が家の最大の関心事である。


夏は来ぬ。
2004年5月30日(日)
 文句を言いながらもペ・ヨンジュンさまのドラマ「愛の群像」にそれなりにハマって来た私達夫婦であるが、最初の4話をおさめたDVD1巻を返却にいったら奇跡的に「冬のソナタ」の1巻を借りる事ができた。苦笑しながら借りてみる。おおお、でだしからしてこっちの方が断然いいわ。最初の2話をみていろいろ楽しむ。ヨンさま、こちらではそれほどはホッペがふっくらしていない。話の展開は大昔にありすぎて今では使われなくなった古典的手法が軸になっており、それがかえってとっても新鮮。そしてヨンさまの微笑みが光る。うーん、なるほど、微笑みの貴公子かあ。しかしオットは最初と2話目の終わりでは硬派から軟派へと様変わりしたキャラに裏切られた思いだったらしい。夫婦でヒロイン役の女優さんが好みに合い、それもあってドラマにはいりこみやすいねと言い合った。濃すぎない端正な顔だちで上品。私の友達ばかりかその旦那様連中まで最後には泣いたと言う誘いが、否定的だったオットをも興味を持たせたので、ここはぜひとも夫婦揃って最後には号泣させて欲しいものである。
 オットが子供の遊び相手をしている間に、私は庭仕事をする。パソコンの具合が悪くて、ずっとうまく立ち上がらない。もしかしてこれで終わりか、という絶望的な思いを払拭するために花を植え変えていると、気持ちが和んだ。夏の庭の維持は難しい。今年こそうまくやれますようにと祈る思いである。去年植えた朝顔の位置に、今年も種を蒔くつもりでいたらなんともう勝手に芽がでていた。こぼれ種が生きていたのだ。そんなことに大きな感動を覚える。薔薇のつぼみはかぞえきれなほどふくらみ、苺はまっかに熟した赤い実をたわわにつけて風に揺れている。蜂と蝶が、私にぶつかるようにしながらひらひら、ぶ〜んと飛び交う中で、私は深い平安を感じた。
何も大きなことは望まない。ただ平和に毎日がすごせればいいと、30をすぎてからずっと思って来た。子供を産んだからだとは思うけれど。
息子のために、サプリメントに挑戦をはじめた。奇跡が起こると言う。起こらなくてもともと、毒にならないなら試してみようと夫婦で半月話し合って決断した。どうなることやら、楽しみではある。
整理整頓好きのオットがその趣味に埋没している間に私はちょこちょこと手芸。夕方になってやっとパソコンが復調する。うーん、辛くも九死に一生を得た感じ?新しいパソコンとデジカメが欲しい…。


また井の頭公園の栗鼠。
2004年5月29日(土)
 毎年書いている事だが、私は暑さに弱い。暑いのが嫌い。とにかく夏は苦手。心地良い春の終わりに高温多湿で迫ってくる夏の魔手を感じると、いつもかな〜りうんざりする。そんな私がさらにダメなのが、行列、混雑、落ち着かないカウンター席。
それをわざわざつきつけてどうするんだ?オット、と思いながら、午後の一番気温が高い時間に、私はラーメンを啜らされていた。
 テレビでも雑誌でも特集が多すぎるくらいだから、我が家のオットだけの事に限らないのだろうが、とにかくオットは無類のラーメン好きである。仕事で外を廻る日には極力ひとりでラーメン店めぐりをするよう心がけており、しかも詳細なレポートまでつけている。な、なんのために…。そんなオットが最近発掘したお店の中で大ヒットだとピーチクパーチクさえずっていたお店に、ぜひとも妻である私と二人の子供達も連れて行きたいと言う。うっかり承諾してしまったために、私はがっくりと体調を崩してしまった。
なにしろ今日は暑い。ラーメン店では外でかなり待ち、やっと中にはいってもさらに待ったので子供達がぐずりはじめた。汗がだらだらと流れ、込み合う店内の温度をさらに高く痛感する。この時点ですでに私の味覚はもう万全の状態ではなくなっていたわけで、やっとでてきた独自のラーメンは確かに美味しくないとは言わないものの、ここまでして食べたいとはもう思わないよ、というものだった。空気がよどみ、重く厚ぼったく沈んだ中ですするできたてのラーメンで汗を流す快感…私には理解できない。オットも考えればいいのにな〜、と思う。この状態でかつて私が喜んだ事があっただろうか。しかし息子は大喜びでむさぼりくらい、オットも感動を再確認しながら食べる。娘はやっぱりうんざりした様子で麺をすすり、ああ熱かった、まあまあ美味しいけど、と大人びた感想をだるそうに言った。男組と女組で評価は見事に二つに別れたようである。
私が男性に求めるもの、それは完璧にスパートで、それでいて子供っぽい神経質さまるだしにならない洗練された大人の優雅なエスコートである。夏が苦手体質の女に、真夏日の行列混雑ラーメン店のラーメンをたべさせるなっつーの。
機嫌をそこねて口数が少なくなり、偏頭痛も起こし始めた私の顔色を見て、オットはごめんね、うまくいかなかった、ほんとはもっとスマートに食べられたら、絶対あの美味しさがもっとお前にも伝わるはずなんだよ、と言っていたが私はしばらく目を閉じていた。社内のエアコンの冷風が、この時程気持ちよく感じられた事はなかった。
 さて、この出来事と対照的に私が大好きなものの一つが、「物件めぐり♪」である。不動産物件を見るのが大好きなのだ。住宅情報誌などあると、もう一人でかなり遊んでいられる。しかも自分が住んでいる街に限定してもらえれば、丁名をきいただけですぐに街並も雰囲気も思い浮かぶので、楽しさ倍増。そんな楽しみをオットの妹が提供してくれた。
2年と少し、アメリカでくらしていた義妹家族がいよいよ来月中旬に帰国してくるのだ。それにあたっては、我が家とは駅をはさんで反対に位置するあたりの住居を希望していて、物件の下見を任せてくれたのである。そんな訳でデジカメを持ってるんるんで久しぶりの物件めぐりに出かけた。ほぼ2年ぶりのことだが、子供達も昔とった杵柄か、どこに行っても要領よく家の中を探検して遊ぶ。息子が「冒険、冒険」とはしゃいでいる声を聞きながら夫婦で3ケ所の家を検証。妹の条件は厳しくて、該当するものが3軒しかない。引っ越し時期が日本の普通の移動シーズンとずれているので、ちょうど今が一番動きが少ない時期と言うのもある。街としては実は2年前に我が家が家を購入すべく、まず最初に探したところでその当時に売り出された物件は残らず全部知っていると豪語できるが、賃貸物件はまたそれとは違う趣があり面白い。家を貸す事、借りる事、どちらも大変なことなんだなあとしみじみ思えて楽しかった。借家の値段と言うのは自分達の経験を考えてもかなり効率の悪い高さである。たとえどんなに資金に余裕があっても、借り手それっきり、将来なにが手元に残る訳でもないものにここまでお金を注ぎ込んでいいのかな?と思える。落ち着いて暮らしていける家があれば、人間それがいちばん幸せかもね、としみじみ思う。我が家も今までどれだけ借家にお金をつぎこんできたことでしょう…。
100パーセント最高というには、どの物件も帯に短かしたすきに長し。言い換えれば、長所も短所もそれなりで人間のようなのである。
 子供達が大人の事情につきあってくれたので、ご褒美としてリクエストの井の頭公園にドライブする。動物園を楽しみつくし、吉祥寺の街を散策。有名デパートの食品売り場をあるいていたら、いきなり足にドーン!と衝撃を感じて、私は前のめりに倒れこんだ。
買い物カートでめちゃくちゃに走り回る小学生くらいの子供を想像して振り返ったらそこには、薄笑いをうかべた青年が、従業員服を着て立っていた。
浅く首をしゃくれさせるだけで、軽い言葉と態度で謝罪してみる彼。離れていたオットがくるなり顔色がさっと真剣味を帯びる。小さな娘と私だけなら適当にやりすごせるとタカをくくっていたものが、マズい、ヤバイと思い知ったその瞬間の顔。
それを見て、徹底的に苦言をていすることに決めた。食品部マネージャーがとんでくる。二人の上司が体を半分以下に追って詫びる。その横で彼は軽く首をしゃくれさせるだけの謝罪を繰り返す。オットがきれ、マネージャーが彼を殴るように頭を下げさせた。
彼は実習生で、夕方の混雑している客を蹴散らすように、正式に使うべきではない業務用の足の低い台車をおもいっきり調子よく押してつっぱしってきて私にあたったのだ。注意力がない事小学生以下。仕事に関する責任感、自覚ゼロ。
女だけだと思って最初に甘く見たべ?とオットに指摘されて「見てません」と言い返す顔をみると、尊敬される中身もないのに人に敬意を求める典型的なわがままなボンボンの素顔がのぞいた。
キミのおかあさんはどんな人なんだろうね?キミのこと自慢に思ってるんでしょ?私の問いに、彼はうっすらとうなづく。育児の難しさよ。毎日感じている事ではあるけれど、良識・常識は自動的に身につくもの、あらかじめオプションセットされて子供が生まれ育って行くわけではないことを、世の全ての母親は痛感するべきである。
彼の反省心が深まったのを見て時間も惜しいのでさっと引き上げた。マネージャーが追いかけて来て、子供さんにと品物をおしつけようとしたがそんなものはいらないと断った。物品をうけとればこちらの品位がさがる。
彼があの瞬間、大袈裟にでも心から過っていれば、私はオットが来る前に許したのにと思う。キミは極力謝りたくない人なんだね、できるだけ人に謝らないようにして生きてるんだよね。じゃあ、謝らなくていい職業につけるようにするしかないよと言うと、目を充血させてうなずいていたけれど。
面白かったのはレジをうけもっていた彼と同年令くらいの太って化粧きつめの女の子がずっと蒼白の顔で成りゆきをみまもっていたことだ。あきらかに彼女って感じ。剃って整えた眉の形が双子のように彼と同じだったしね。
あとで「私、みてたけど、あんたそんなに悪くないよ〜、運が悪かっただけだよ〜」なんて慰めてるのかね。割れ鍋にとじ蓋ですな。
厄落としに美味しいものを食べて帰宅。義妹に今日の成果を送ろうとしていたらパソコンが壊れてどうにも立ち上がらない。ムキー!!今日の一番のストレスはこれだっ。


毎日歩く、川沿いの遊歩道。
4月には桜、5月はツツジ、そして今、紫陽花が開花しようとしています。
綺麗でのどかな花の道。
2004年5月28日(金)
 この時期、川ではとても楽しい光景が繰り広げられている。鴨の赤ちゃんが誕生するのだ。母鳥のあとをついで泳ぐヒナちゃんたちの可愛いこと!だいのおとなもいかつい男性も立ち止まって目を細めて眺める愛らしさである。今年のひな鳥達は活発で泳ぐのがとても上手だし、たくましい。またお母さんも立派で、1羽で11羽もヒナを孵したお母さんもいるようだ。子育てがんばって!とエールを送る私。それにしてもヒナ鳥たちは可愛いなあ。思わず持って帰って自宅のお風呂に浮かべてみたくなります(オイ!)
 息子を園に預けると、いつもそのままぐるっと園庭の方に廻って子供達が遊んでいる光景をのぞく。子供達の注意をうけすぎないように中腰で見るのがちょっとキツイが、我が子たちの健やかで楽しそうな姿を見たくて、母達はみんな頑張っている。いったんは教室にはいって、鞄をおいてからお庭で遊ぶのが決まりになっているのに、息子はそうしたことが滅多にない。今日も大好きな先生についてもらってずっと楽しそうに遊んでいる姿から、私は目が離せなくなってしまった。先生の気配りはあまりに行き届いていて、仕事とは言えどうしてここまで他人の子を愛せるのかと感動さえしてしまう。ハンデある子を持った母にとって、その子を受け入れ、愛してもらえる喜びは健常児以上のものがあり、どうしても涙腺がゆるむのは避けられない。
我が家の場合、健常児であるはずの娘でさえ、かなり個性的である。今日もやっと週末になったと号泣するので、そんなに学校が辛いのかと改めて本人にも周りの人にもリサーチしたのだが、どう聞いても「可愛がられている」「すごい人気者」というコメントばかり帰ってくるのだ。これにも素直にうぬぼれられない私である。たしかに私の目につく範囲ではいつも誰かに声をかけてもらい、手を繋ぎにきてくれたり、抱き締めてくれたり、言葉の拙い娘の意訳をしてくれたり(涙)する方には事欠かないのだが、それもたまたま優しい人がそばにいてくれた、という気持ちでいる。息子のように普段の生活を覗けないだけに、ある意味、ハラハラ度は娘の方が高いかもしれない。
こんなに年がら年中心配ばかりしていたら、私はやっぱり長生きできないだろう、せめて子供が成人するまで頑張りたいから気分転換って大事だよと自分に言い聞かせながら、花の苗を買って帰り庭仕事をする。花期の終わったパンジーたちにお別れし、ペチュニアやインパチェンスを植える。軍手をしないままやったので、爪が真っ黒になってしまった。
その最中に、宅急便屋さんが門からのぞきこみ人形を届けてくれたのである。ずっと中腰で疲れていたので、途中で庭仕事をほうり出して家の中にはいる。暑くてたまらなかったというのもある。お人形を眺めながら早めの一人ランチでのんびり。結構幸福〜♪
 リフレッシュした爽やかな気持ちで息子を迎えに行った。息子はいつも最後まで出てこない。それだけ幼稚園が楽しくてたまらないのだ。いい顔をして輝くような笑顔で出てくる。その都度、私はいつも感謝の気持ちでいっぱいになるのだが、今日はまたやってくれた息子…。
 最近、お弁当をたべなくて先生方に大変な御心配をおかけしている訳だが、昨日は私のドジでお弁当を忘れたため、応急処置として息子が大好物のメロンパンを買って持って行ったのだ。最初はお弁当と言う言葉に興味を示さなかった息子がメロンパンを認識した瞬間に目の色を変えて、綺麗にたべたというので先生方は大変よろこんでくださったのである。これからは当分これでいいですよと言われたが、それがただのメロンパンではない。チェーン店なのかそれともまったく個人の経営のお店なのか、そういうことに疎い私には定かではないけれど、とにかくこの町には一軒しかない小さなパン屋さんで、午前9時と、午後3時にだけ売り出されるレアものなのだ。本気で美味。ゆえに売り切れ必至。息子にこれを食べさせたのは浅はかだったとしか言い様がない。それまでたいていどこのメーカーにもこだわらずに食べていたメロンパンなのに、息子は以来、このお店のものしか食べなくなったのである。
そんな訳で今日は普通に、といっても固めに茹でたソ−メンと、応急処置としてのバナナ1本という特殊なお弁当を持たせたのだが、保育主任の先生がおっしゃるには。空腹をかんじていた息子はお弁当ときいていそいそと鞄に向かい、「メロンパン♪メロンパン♪」と情熱的につぶやいていたそうだ…。しかし中身が違う事がわかってキレた。嘆いた。どうなだめすかしても食べない(ここで私はすみません〜!!と頭を下げる)その様子をみて先生方は大変哀れみを感じ、中でも副園長先生は昨日のあの輝くような喜びの表情から今の状況を比べるとどうにも可哀想と思し召され、なんと。妹君のE先生にそのパン屋さんに行ってもらってメロンパンを運良く買ってくることができた、それで息子は大喜びでまた楽しいランチタイムを過ごした、というのである…!
 はい?と私は聞き直し、事実を確認して青ざめた。ドコモの携帯電話の絵文字にはムンクの叫びのような絵柄があるが、あれを今ここに欲しい。
 オーマイガッ!!す、すみません〜〜〜〜!
 私は動揺し、絶句し、真っ青になり、ついで真っ赤になった。
 先生はいいんですよ、と笑って下さる。メロンパンのお金もいらないと言われるのをうけとってもらい、ただあえぐ私。E先生はやんごとないお嬢様でいらして、お年を召していても美しい。ピアノとソルフェージュを教えていらして、我が家ではこの先生に娘を預けたいと思っている。そのお方に限定メロンパンを買いに走らせてしまったとは。。。。。うううううう〜(号泣)
 思い起こせば1年前、私はバイオリズムを最低に下げていた。息子を世にだす不安。幼稚園に頭をさげ、何度も面談を繰り返し、副園長先生に「○○○君だけを特別扱いはできませんから」と念を押されて、それで当然です、と了解して入れて頂いた。ところが入園してみると決め細やかなお心づかいの嵐。緊張と感激でぼ〜っと過ごした1学期。その副園長先生自ら息子のためにしてくださる配慮に改めて泣く。こんな幸福が一生続く訳はないけれど、せめて今は神様が優しい人達をとおしてくださる恵みを素直に感謝して受け取ろう。その甘さを今だけでも味わいつくしておこう。
 ここで私の気力は実は尽きていたのだが、その先には息子の心理カウンセリングがあり、これがちょっと辛かった。ぶっちゃけ、臨床心理士さんを100パーセントは信頼できない。なんとなくねえ、向こうも私を色眼鏡でみていると思うが、私も色眼鏡で見てしまうのである。息子の苦痛も大きい。感覚統合のための体操自体は辛くないのだが、人からの制約、コミュニケーションの強制に心底から苦痛を感じる息子にとって、彼女のやり方がベストとは思えない。
1時間終わってうんざりして部屋を出た。このあとにまだ、医師から診断書をもらうための診察がある。初対面なので緊張した。でもこの先生がとても、とても良い方だったのである。一目合った瞬間に分った。子供への愛と仕事への情熱。似ている。息子の幼稚園の保育主任の先生に。そうか、だから園医なんだなあ、って当たり前のことに気付いた。
先生は、一応自閉症と断言した診断書を書くけれども、実際には○○○くんはそうではないと思っているし、成長も著しいとあんじていますからね、ととても私を気遣う言い方をしてくださった。
 娘をやっと迎えて。ひな鳥を書き集めた母の気分で帰宅。実は17時半から体操教室の予定だったが、疲労感がものすごく、娘の顔色も疲れで青くなっていたので休むことにする。
愛と感謝の一日だった…気持ちの良い疲れだけれど、やはり人の愛と親切はどこか胸に痛くて。
障害があり、自分で自分の立場を訴える事ができない子供が、ひそかに幼稚園の先生や同級生達に虐められている、という悲しい話を、体験者の方たちから聞く。それに震え上がって怯えきって、私は生きていた。
人間不信という大きな苦しみ。それはたぶん、生きていく上で一番の苦悩だと私は思う。
だから昨年の1学期、私は今のように息子の園の風景をのぞくことができなかった。息子が嫌がらずに登園し、にっこり笑顔で迎えにきた私を見上げる、先生と片言でお話する、その様子で大丈夫なんだと信じ、うっかり下手な事を知ってしまいたくない、と必至で心を半分閉じていた。
2学期になって、運動会での息子への気配りに、一目をはばかりきれずに泣いてしまった。そのあと、はじめてこっそり息子の様子を見に行った。見守っている人は誰もいない、完全に園内だけの時間で。たまたま外遊びをしている子供達の姿を見た時、やっぱり息子はとても愛されて大切に守ってもらっていたのだ。
頭の中が感動で痺れたような感じ。以来、私はふっきれた。今、私は毎日を幸福に感じている。ささやかだけれど、満足している。大きな事は、心から真正面から子供と向き合えるようになった事。ありのままの子供を愛おしく感じ、神様が私にこの子達をくださったことを本当にありがたいと思っている。子供達を通じて、私は人は独りでは生きていけないということを知った。知らず知らずの高慢、浅はかさを反省できるようになった。素晴らしい人達の愛を感じられるようになった。
このことは大きい。私の人生の中でたぶん今が一番、収穫の時なのではないかと思っている。


昨日、届いた可愛い子の写真を撮りました♪
2004年5月27日(木)
 子供達があんまりにも「ピーターパン2」を見るので、思わずビデオを延滞してしまった。急いで返しにいくためにちょっと遠出することになる。いつもはオットの運転で数分でつく場所も、自力で徒歩とバスでとなると遠いものだ…。免許あるのに、車もあるのに、こんな苦労をしている私ってバカバカ。でも運転する度にわかる私の運転不向きぶり。どうしても不自由となったらタクシーを使った方が、結局人生を長い目で見るとよかったということになる、とまで友にアドバイスされるものすごさだもんね。バス停でバスをまっていたら幼稚園から電話が。今日はお弁当ありの日ですよ?○○○くん、何ももってきてませんけれど…。
ガーン!!!
また大ボケをしてしまいました。息子の好物を買って至急駆け付ける事を約束して、とにかくビデオを返却。延滞料ってかなり痛くて悔しい。手ぶらで出るのももっと悔しいから、どれどれと韓国ドラマのところに行ってみる。おお、すごい量だ。ぺ・ヨンジュンという方のものが断然多い。冬のソナタ、はまるっきり借りられない状況だったけど、たまたま「愛の群像」っていうドラマのDVDの1巻があった。冬ソナとは違うキャラクターでヨン様ががんばっているとか、日本で明るいキャラクターで売れているユンソナさんが、そのイメージとは違う役で出演しているとか、うちのオットでも興味を持ちそうな雰囲気を感じられたので借りることにする。とたんに背後から複数の軽い舌打ちのような気配を感じた。振り返るとそこにはオバさま軍団が!!
それぞれはお知り合いではないようだが、やはりヨンさまビデオねらいで朝一番にお店に駆け付けて来たらしい。私はたまたま、開店1番の客だったのでなけなしのヨンさまビデオを最初に手にとったわけだが。。。あらためてヨン様人気を痛感。ああ、そこまで魅了されるってどんなでしょう。私も魅了されてみたいわ、と期待に胸がふくらむ。
 最近、夜になると登校のことを思ってくよくよしがちな娘を連れて、学校帰りに幼稚園にいった。担任の先生も大喜びしてくれたし、私達母子も綺麗で凛とした先生に御会いして懐かしさと慕わしさで胸がいっぱいになり、随分元気をもらってかえって来た。娘も新生活に圧倒されていたけれど、ちゃんと大好きだった幼稚園も先生も消えずに自分の後ろにいてくれる、ということを確認してとてもホッとした様子である。こういう交流、なくさないようにしよう。
 今日は子供の習い事がない幸せの平日である。せっかくなので好きな事をしなくちゃと意気込む私。私の時間と言うのは結局、子供をなんとか回収(お迎えとも言う)し終わって買い物をして無事に帰宅し、手洗いうがいをすませさせ、連絡事項を聞き出し、プリントを見て確認し、適当なおやつをたべさせて、やっと気がすんだ子供達が個々の遊びに没頭しだした瞬間にのみ発生する。朝の子供達がいない時間はあっ!という間におわるのだ。家事と雑用だけで。下手をすると自分のランチも食べ損ねたりする。子供が夕食を催促する前に下ごしらえにかかる。でないと子供達はわしわしとパンを食べ始めてしまって、本当の夕食はあまり食べなくなったりする。そこで私のフリータイムは終わる。
夕食を食べ終わるともう眠くなったと訴え出すので、必死でお風呂に入る。オットが平日は週に2、3回はいれてくれるようになったので随分助かるものの、下手をするとそこからまた試練で、オット自身がものすごくうるさい。こちらは長い1日を終え、やっと休息を目前にしているのに、脱いだ上着一つハンガーにかけない。なんでも一手間余計にかけられたものを好む生来のおぼッちゃま体質ゆえに、こちらがお風呂上がりの子供達の世話に追われて超ドタバタし、大変運動して気疲れもして、でも娘の髪を乾かしてから寝かせなくちゃ、とドライヤーを手に娘の横に座った瞬間
「箸がないけど?」
などという。確かに箸をだしわすれて悪いと思う。でもオットはかえって来てから子供をお風呂に「いれてやる」という威圧だけして、本当になんにもしていない。ちなみにその時点で私がいた場所は食器棚から3メートル半離れており、オットはぐっとちかくてわず1メートル、ちょっと体を伸ばせば十分自分で箸をとりだせる場所に座ってのんびりビールをのみ、家族の誰も楽しんでいない野球中継を見ていた。こういうところ、いくら喧嘩してもなおらない。本人が自分の事は自分でやる、という躾をほとんど受けていないので仕方ないと、私があきらめるべきところである。相手に変わる事を期待しすぎてはいけないというのは、周囲の離婚経験者から必ず聞くお話でもある。
でもやっと子供達が眠ってくつろいで座り、問題の韓国ドラマを見ている途中にふとオットが私を責めだした。
息子のパジャマのことで私に落ち度があったというのである。私には心当たりがない。結局、息子が自分でしたことと判明。さすがに頭に来て、あなたは帰って来ると何もしないどころかず〜っと私のあらさがしばかり、チェックしては私を裁いている、それで人に愛されると思うか、と怒鳴り付けてしまった。ふんぞりかえっていたオットは背中をまるめ、裁いてなんかない、ただちょっとどうなのかな〜?と思って言ってみただけだよ、と口籠る。
オットが寝た後、パソコンをたちあげネットショップのカートに人形をポイ。へん、だ。これがあるから、私は心の澱みを長引かせずに済んでいるのだからね。これで我慢してあげるわよ。

娘のお友達に一度はプレゼントするものがこれ、

コームがセットになったコンパクトミラーです。
私も子供の頃、こういうのが大好きだったのです。ちなみにこれは私用です、オホホホホ♪
ほかにもティンカーベルやアリエル、おしゃれキャットのものがあります。
2004年5月26日(水)
 気の合うお友達と二人で朝からケーキ屋さんにいき、お喋りをする。午前保育の日は、9時に預けて11時お迎えと言うヘビーさなので、いっそかえらないでこのまま、とさまようお母さま方が少なくない。私は彼女のことをとても尊敬していて、たぶん私が今までに知り合った人の中では一番の社交上手だと確信している。それでいて裏表がなく、でもズケズケサバサバを売り物にしているわけでもなく、あくまで育ちの良さを感じさせる人柄と暖かさで、人に接している。そんな彼女のお子さんたちはやっぱりとっても素晴らしい。優しくて、明るくて、人を傷つけない。子は親の鏡だなあと本当に思う。
楽しいお喋りには2時間でも物足りなかった。
息子を七田のお教室に連れて行く前に、家で昼食の時にお弁当訓練。なぜだか急に、お弁当形式で食事をするのが嫌になったらしいのだ。でも、結局は食べてくれた。幼稚園で今以上、心配をかけないように頑張って欲しいと思う。よく物陰でじっと息子の様子を見ている私の存在を、先生方はさぞ無気味に思っていらっしゃることでしょう…。
息子は今、ドラゴンクエストに夢中。私の膝にのってプレイするのを見ているのが好きなのだ。ドラクエのモンスターはどこか可愛くて愛嬌があるので、息子にとっては新種の動物、と言った感じらしい。娘は愛用の資生堂のばら園のリンスがなくなっているのに、私が買っておかなかったとおかんむり。我が家の掟は厳しくて、私と娘は一本1500円のシャンプー&リンスを使っていルけれど、オットと息子は¥200代のものである。しかし、ばら園のものがなくなるたびに「パパがこっそり使ってるんじゃない?」と疑いのまなざしを向ける娘であった。
夕方、新しいべッツィーちゃん達が届く。わ〜い♪


我が家の周りは、近所の方達と話し合って、
雑草だらけにならないように定期的に草刈りをするのだけれど、
期待できそうな草はそのままにしておきました。
すると、川べりにこんな大輪の花が…なんていう花なのでしょう。
鮮やかです。大きいです。
2004年5月25日(火)
 今はとにかく韓国なのよ!幼稚園ママお二人の熱い会話に圧倒されながら、今日1日は始まった。話題の微笑みの貴公子、ペ・ヨンジュンさまに、同じ園ママ達はしびれ切っており、私が知らない間に大ブームになっていたのだ。やっぱり心が熱くなるものを常に見つけてなくちゃダメなのよね〜〜〜、と頷きあう皆さん。そうねえ、私もそれで今十分趣味に走っていると言うか楽しんでいるけれど。話題過ぎてもはや古い感のある「冬のソナタ」も一応気があるんだけど、いつみてもレンタル屋においていた事がない。朝10時の開店と同時に行くのよ〜!と指示された。えっと、今度がんばります。オットが近々その微笑みの貴公子さま関連の仕事をすることになっているらしいことを知ったのは、夜、オットが帰宅してからのことで、まあ皆さんには黙っていようと言う事にした。別に私が皆さんのためにしてあげられることはないんだもん。でもオットがソウルに出張ということになれば、ついていく覚悟である。だって韓国って今、お人形世界も熱いでしょ!ちなみにオット、明日は超ママドルさまと御会いするそうである。娘はその方の御令嬢の大ファンなのでよろしくお伝えくださいという感じだ。私は毎日地味にひたすら家事育児に邁進しているが、オットは仕事も遊びも楽しんでます。ちなみに園ママたちの一部ではこの際、悔いを残さないためになんとしても冬のソナタツアーに行こうという気運が高まっているようだ。男達に家事と育児を体験させ思い知らせるためにも、自分達の心の情熱を年老いさせないためにも、思いきって数日、家族を捨てて旅にでよう!と。パパたちの送迎姿が目に付いたら「行ったな」と思う事にしよう。
 息子がお弁当を食べない姿を今日はしっかり目の当たりにした。実は今日はお弁当なしの日だったのに、私は持たせてしまったのだ。恥じ入っていたら、私の友人も持たせて来た。類は友を呼んでしまったか…。それはともかく先生が、せっかくなので、ゆっくり息子がお弁当を食べられるように取り組んでみたいとおっしゃってくださる。皆がかえった後、テラスに柔らかいピンクの布の敷物を広げ、そこに可愛いうさぎやテディベア、鳥のぬいぐるみが並び、動物図鑑が何冊か散らばっているところへ入って行った。一目見て、息子空間なのがわかった。傍らの可愛いブルーの木のベンチとテーブルに、美人の先生方二人がお弁当をセッティングしてくれる。見ていて気恥ずかしくなる程、ちやほやしてもらいながら息子の態度はそっけない。食べるより、遊ぶ事に夢中という感じ。結局あきらめて連れ帰ることになり、先生方に申し訳なかった。自宅に戻ると息子はせっせとお弁当を自分のお茶碗とお皿に移して食べ出したので衝撃を受ける。器にこだわりを持ち出したのか。でも極端なこだわりは自閉症の顕著な特徴である。今まであまりそれが見られない事も、私が抱いている希望の一つだったのに…。
とりあえず、もういちどお弁当箱で食べるという基本に立ち戻って練習した方がいいみたい。
昨日、園から求められた息子の診断書のことで即、病院に電話をかけ看護婦さんにお話をしたのだが、それが中継されて今日、毎月2回受けているカウンセリング担当の臨床心理士さんから電話があった。最初から良くない雰囲気の波動を感じたと言うと大袈裟かなあ。
とにかく、息子が昨年うけた病院か、その前の病院で診断書をもらった方がいいとがんばるのである。
私はそれは、彼女をとおした医院長先生の意志なのかと思いドキドキした。その医院長は近くで大人気の小児科医であり、予約をとるのも大変、とっても待ち時間が長いというので私は通ったことがない、面識もない先生だった。ところが息子の園の園医であり、入園以来数カ月に一度の内科医検診のたびに息子の事を保育主任先生が相談し、見てもらっているとのことで、だからそこでのカウンセリングをうけたらどうか、という紹介を園から受けて今、月に2回通うことになったのである。私が、どこの病院にいっても一度診たらそれっきり、「自閉症と断言する程心の壁はないけれど、普通といえるほどでもない。微妙なところですね。家で愛情をもって、うんと大切に見守ってあげてください」と言われて帰されてそれっきり。何か通って訓練みたいなものは受けられないのか、ときくと、もっとひどい人用のプログラムはあるけれど、こういう中途半端な人用の対処はないと言われる、医者にもかかりようがない、と訴えたのを受けて園が配慮してくださったこと、今できる最善の道として開けたものだったのだ。そういう流れで出会った女性の先生だが、何かしら病院との連係がうまくいっていない。私が息子をつれて出かけて行く。まあ普通に時間より10分早めに着くように行くくらいは常識だと思うが、看護婦さんがもう診察室に入れという。いぶかしく思いながらノックすると、彼女は大変迷惑そうに、時間までは来られては困る、というのだ。私が看護婦さんがもう入っていいと熱心におっしゃったんですよ、というと当惑し切った彼女は、変ですねえと言葉を繰り返し、しぶしぶの用に病院再度と自分の意向の間に行き違いがある、とミスを認める。でも、と一言付け加える。やはり決められた時間より早くは来るべきではないです、と。
あまり好きになれない人だと思った。その後もこの手の、単純な行き違いはあり、その度に彼女は落ち度を最終的に嫌々認める感じ。付き合いを重ねるごとに親しみがますより疑問を感じることが多くはなってはいたのだ。
そこへ、今回の診断書の話。私は彼女のみならず園医でもある医院長先生からの否定だと思い、息を吸って確認をした。私は院長と面識がなく、正式な受診はしていないが(っていうかいつかそうしろと指示があるかとまっていたら、彼女はなんの指示もなく6か月だまってきたのだ)息子は入園以来もう1年以上、先生に記憶されているはずである。あなたがおっしゃる前の病院はそれぞれ1年前、2年前に1、2度きり受診しただけでもう来なくていいと言われたくらいだから、向こうも息子の事を覚えてもいないだろう。それに比べたら院長先生の方がよほど息子の状態、日を追った成長の流れをご存知である。現に来月の2週目にも内科検診で園に来られると聞いている。この際なので、遅くなった感はありますが、院長先生に正式に息子を一旦は診て頂きたく思う。園からもそれがいいでしょうとすすめられた。それでも面談もしたくないと院長先生は仰せでしょうか?
すると彼女はしみじみのんびりと、ああ、そうなんですねえ?そういう事情がありましたか。わかりました、そういうことでしたら私が院長に話して、今週末のカウンセリングの時に院長の診察も受けられるようにします、あらためて院長の予約をとってください。と言ったのである。
顎がカクンと落ちるような気持ちになった。
今まで、院長に話していなかったの?最初から彼女は一存で、診断書を書くと言う責任のがれをしようとしていたのである。それどころか今まで私が訴えて来た話の流れも覚えていない。院長に話をせずに自分一人で私の前にたちはだかろうとしていたのだ。最終的に決めたことも、それすでに昨日私が看護婦さんに言われた事とまったく同じ!
心理学を学んだ人だからといって信用できないよ、と以前人に言われた事がある。それは外科医だった。心理学を学んでおいてなんでそこまで鈍感で利己主義なんだ、人に配慮できないどころか傷つけるんだ、と思える同僚はいっぱいいるんだから、と。
ハンデある子供を抱えている親の不安、戸惑いに対して、門前払いしようとする行為の冷酷さを、彼女はどこまで自覚しているのだろうか。それがその組織ぐるみの方針ならば、私も個人的に彼女を攻める気にならないけれど、今回は彼女ひとり「なんだか嫌だわ、面倒そう」と思った様子がありあり。
つまらない心理的戦いをして、がっくり疲れた。娘とそのお友達を英語教室に送迎してやっと迎えた夕暮れ、新たに人生に取り組むためのパワーを求めて、好きなことに没頭していく私だった。えっと、冬のソナタでも借りてみようかな〜。


人形用ボタンやビーズを収納しているケース。
可愛いので買ってみたものの、他に使い道のない私でした…。
2004年5月24日(月)
 心臓が痛いの(心不全?)頭痛がするの(くも膜下出血?)と私を心配させたオットと、学校に行きたくない(登校拒否?)と私を不安にさせた娘、今朝は何ごともなく二人で仲良く手をつないで出かけていった。ホッとしつつ、なんなのよぅ?と思う。二人とも一応、言ってみただけかい!?ま、心配させて頂くと改めて平凡な毎日の有り難さには気づけるけれど。
気を取り直して息子と園へ出かけようとしていたら、園の事務局の先生からお電話があった。園長先生から私にお話があるので、息子を送ったらそのまま別の入り口から園長先生に会いに来て欲しいと。たまたま今日は比較的シックな服を着ていたのでとりあえず安心して出かける。じゃーん。パラソル登場!子供達がうまれる前に愛用していたお気に入りのフリフリちゃんである。7年ぶりくらいだけど、さして歩いているだけでとても優雅な心持ちになれる。こんな一瞬にも子の成長を感じて嬉しいものだ。
 園長先生のお話はまずは、園が都から盲、聾唖、そのほかの障害者養育を引き受けている園への援助金を申請するために、息子が情緒障害である旨、はっきり書かれた医師の診断書をもらってきてください、ということ、そしてそれを了承してくださいとのことだった。気の毒な程に何度も、だからといって息子がはっきり障害者と認定できる人は誰もいない、現時点はあくまで進行形で希望ある形で現に○○○くんは成長していると職員全体で実感しているし、悲観することはないので、これは形式的なものとお考えください、と園長先生はじめ事務の先生も私の心を気遣って言ってくださる。大丈夫、普通じゃないのは理解しているし、私もそうそう絶望になんかひたっていない。どうせいつかは死ぬ身なら、どんな状況であれ楽しんで生きていける方向に、人は足を伸ばすものだ。植物が自然と光ある方に、その身を伸ばして行くように。
用件を済ませた後は園長先生と打ち解けたお話をして、なんと2時間も長居してしまった。実は今日はまたのんびりいろいろ手作りしたいものがあったので、大きな誤算である。でも、有意義だった。児童心理学をまなび、某女子大学でピアノの教授も勤めている(現在は、園長をメインにしていらっしゃるものの、まだ大学にも籍をおいていらっしゃるようである)先生は、音楽をからめた教育の話を始めると止まらない。音楽関係の仕事につき、現にテノールとして趣味の分野でも楽しんでいるうちのオットにもかなり興味がおありのよう。ウィーンやパリのお話なども楽しくした。まあ、私は1回しか行ったことないんだけど。やっぱりウィーンは1ヵ月は住んでみる街ですよといわれ、妄想が広がる。
あの美しい、そしてどこか胸をかきむしられるように懐かしい街並。そこで静かに暮らすのはどんなに私にとって心安らかでしょう。でも人形売ってるかしらん?ケーキとか異常に甘くて鼻血が出そうになり、ザッハホテルのザッハトルテはもっともっと甘いときいて、ツアーに参加した人全員パスする決意をしてしまったというくらい、普通のケーキが甘かった。でも。あのモーツァルトの時代から軽く続いているという楽譜屋さんやカフェ。ウィンナコーヒーは本当に美味しかった。優雅で誇り高いオーストリアの人達。いい思いでがいっぱいである。またいつか行きたいなあと空想にふけっていたら、園長先生は盲目の天才ピアニスト少年のことを一生懸命に語っていらした。素晴らしいお話である。楽譜が全く見えない以上、彼は全て耳で覚えるのだ。どんな小さな音もリズムも全て。そんな彼を全力でサポートするお母さまの愛。
ううう、がんばります。でも私はそこまでだいそれた夢は抱いてません。普通に、いつか息子が普通に人と向き合い、心を通わせ会い、生きていく道を確立していってくれれば。
でも実はそれって、健常者である人でもともすれば難しい事なのだ。
 一旦帰宅して、大急ぎで掃除機をかけ、昼食をかっこむともうすぐ息子の迎えである。本日、息子は園から歩いて30分程の公園に遠足にでかけたはずだった。保育主任の先生に、息子が「イヤ、歩かナイ!」ときっぱり何度も言ったと伺って、申し訳ありません〜!と頭を下げる。前回の遠足でも、女性の副園長先生がたくさんの荷物を抱えて車で行ったのに便乗したのを覚えていて、往復しっかり車ででかけたそう…顔から火がでた。あいかわらずやってくれるよ、息子。
でも初めての言葉をたくさんしゃべって、それがちゃんと会話につながって、表情が豊かで、とても素晴らしかったのだと、保育主任の先生は顔を輝かせてたくさんお話してくださった。園長先生もおっしゃっていたがまさに熱血。芸術性が豊かで、人間への愛に溢れた先生は自分の人生の豊かさを惜しみなく、園の子供達とその父兄にまで降り注ぐ。1年前、すっかり人間不信気味になり、涙でいっぱいの気持ちで息子の挫折を確認するために入園させた、超マイナス志向に支配されきっていた私を、ひっぱってくださった熱意はただものではない。有り難いなあ、といつもにもましてしみじみおもいながら、お話してくださる先生のお顔を見ていたら、どうして息子が最初にこの先生になつき、「オトーサン」と呼ぶようになったか分かるのだ。一方では園長先生が、愛しくてならないように息子を抱き締めて、息子が手を伸ばす先の桜の枝になっている実をとってくれたりしている。これほどの情愛を注がれて、成長しない子供がいるだろうか。
 先生方に感謝し、余韻を残しつつお別れして(もちろん明日からも登園するので、永久の別れではないんである)園が見えなくなったところで泣きわめく息子を空中に飛ばすようにひっぱりながらダッシュ!が、お友達のお母さんから携帯に電話が。
「○○○ちゃんが号泣してますぅ!」はい〜、スミマセン!!娘は待ち合わせの小学校の隣の公園にきて、私がいないので泣き崩れたそうである。息を切らしてかけつけると、たくさんのお友達とそのお母さまがたに慰められて、泣き腫らした顔の娘がいた。深々と皆様に頭をさげ、娘にも詫びる。ごめんよ、でもあの愛情深い先生方の話の腰を折るなんて、ママにはとてもできなかったんだよ…。娘もたくさんの人に構われてよかったこと。学校も楽しかったそうだ。それにしても私達って本当のお騒がせ親子である。。。
 そして私は気付く。ベタベタと私にからみつき、ぶらさがったり抱っこをねだったりしながらの二人の子を連れ、スーパーで買い物をして帰るには、パラソルはあまりにも邪魔だと。さらば、パラソル。また会う日まで。明日から普通のオバサンにもどります。紫外線防止ハットで生きて行くわよ。そうすればいいんでしょ、ふん。
今日は、ビーズアクセサリーを一気に2点はつくりましょ、と決めていたのにこうして私の一日は終わった。明日こそ!


従姉妹にいただいた帽子が、ものすごく気に入っている娘。
2004年5月23日(日)
 朝、オットが急に胸が苦しい、頭が痛いと言い出した。どちらも普段決して口にしないことである。首の後ろをもんでくれと言われて手を当てて揉むと、肩から首筋までガチガチに凝っている。オットは体が柔らかくて、肩凝りも知らないといつも豪語していたのに。心配で不安になりオットが横になって眠るのを見ていたら、色々考えてしまった。オットは午後2時を廻るまで眠り続け、それからもう大丈夫、と言って起きたのだが、やはりいつものように子供と遊ぶ気力も無い様子。夜にまた心臓の動悸が激しくなったと訴えるので、私はとても落ち着かない気持ち。合間合間は元気で話もよくしたのだけれど。
娘は娘で夜になり、明日からまた学校だと確認すると急にしくしく泣き出してしまった。オットが何か嫌なことがあるのか、誰かにいじわるされたのかときくほどに涙をこぼし、そうじゃないけど、ママが心配なの〜と泣く。ママが心配というのは幼馴染みの間では有名な娘の名フレーズで、自分の不安とか、家から離れがたい気持ちになった時に言う言葉である。他のお友達からは娘はいつもみんなに構われて大切にしてもらってると聞くし、お母さんがたもそんな姿をよく見かけるよといってくださる。だから嫌な思いはしていないはず。娘は嫌な事は嫌ときっぱり意思表示できるのだから。ただ緊張感がとても大きいのだ。トロい娘には、普通のことをこなすだけでいっぱいいっぱい、彼女なりになんとか人並みであろうとして多大な努力をしているようである。その緊張感に対する恐怖というのだろうか。その性格は私の遺伝だと思うのでしみじみ抱き締めて、気が済むまで泣かせてあげた。そうしたら本当に気がすんだみたい。
なんのかんのと、心配な一日だった。でもね、「のだめカンタビーレ」を2〜8巻一気読みして、実はとても楽しく充実した一面もあったのさ、ふふふ。ひさしぶりにピアノ弾きたくなっちゃった。ん〜、娘の新しい習い事としてピアノとソルフェージュを検討中。そうだ、来月はピアノを下見にいかなくちゃいけないんだった。それから娘の先生を探して。私も一緒に習っちゃおうかなと目論んでます。


娘の通学用に新しく買ったスニーカー。
2004年5月22日(土)
 息子の園で庭を解放して家族で遊ぶという企画の日である。昨年秋に参加したときにはほとんど参加者がおらず、のんびり園庭を独占して、ゆっくり園長先生ともお話できたりして楽しかったので、オットと娘を残して、二人で出かける。が新年度初めての会ということで、出席者が多かった。息子は喜んだけど、何しろ寒い!(≧△≦)途中で親子で帰りたくなってしまった。しかし息子は、お気に入りの先生にたっぷり遊んでもらってまんざらでもなかったはずである。それは年若い、新卒の美少女先生なのだ。聞けば音大を卒業したばかり、4年間みっちりパイプオルガンを習っていらしたと言う。我が家の隣家のお嬢様もパイプオルガンに魅せられ、習っている方だが、パイプオルガンというのはそんなに人口多いの??あの楽器自体、そうあるものじゃないんじゃ…。それはともかく、息子は最初からこの先生とウマがあったらしい。息子は昨年、ある女性教諭に首ったけだった。清楚で知的、それでいて人をはねつける事ない聖母のような柔和さのある美しい方であった。息子の好みのハッキリぶりに呆れたものである。生後5ヵ月の頃から彼は、松島菜々子さんや水野真紀さんのファンであった。そう、モロに「綺麗なお姉さんは好きですか?」という感じだったのだ。モーニング娘やspeedなどはっちゃけたキュート派には「騒々しいね」というように眉をひそめ、あまり心酔しない様子だった。7ヵ月ではじめて飛行機に乗った時には、スチュワーデスさんに抱っこしてもらってとびっきりの笑顔を見せ、スチュワーデスさんが私に息子を返してくれる時には残念がって泣いた。「おまえというやつは〜」という感じだった。それはともかく、その息子お気に入りの先生がやはり音大出で、声楽の道を極めたいとのご意志でお辞めになって、私はとても残念であり、息子がさぞ寂しがるだろうと思っていた。思っていたのに…もう気持ち、切り替えたのかい!その美少女先生に「○ーく〜ん♪」なんて呼ばれて、生まれてから一度もそんな風に呼ばれた事がないはずの息子なのに、ホイホイと振り返って寄っていく。はじめてみた時は呆気にとられ、それから笑ってしまった。いずれにせよ、将来息子の嫁というものに遭遇したら、こんなことがあるのかなと思う。きっととんでもないニックネームで呼ばれて、当然のように反応する息子を見て、男の子の母というものは子離れするのかもしれない(笑)
娘の幼児教室(いや、小学生になってからはもう学習教室の趣である)では、先生に娘が随分頑張っていると褒めて頂けた。いつも私は不思議でならないのだが、大変な泣き虫でほんやり、半分夢の中で生きてる娘がなぜ「しっかりしている」と言われるのだろうか!?本気で納得できない。それは別人のお話?ときょとんとしてしまう。何かが特によくできるということもなく、言葉も絶対標準以下のたどたどしさである。でも。意志がしっかりしていて、優しいとのこと。体がずば抜けて小さい事でも絶対得をしていて、同級生はもちろん年下の子にまでかばわれることもある。なんというか、親の私も羨みたくなる持ち前の性分のようで、その幼児教室の中でも11人のクラス中9人が男の子なのだが、みんなとても優しく親切で、娘にいつも救助の手をさしのべるつもりで見守ってくれていると言う(汗)そういえば昨日の体操教室でも、ずいぶん周りの子に助けてもらっていた。最近の男の子は本当に紳士なんだなあ、と感心したものだ。幼児教室の先生には「とにかく私、○○○ちゃんが居てくれるだけでいいんです!」と言われた。あ、ありがたい…。
心配で心配で、自立の道ははるか遠くにしか見えない子供達であるが、強がらない自然体ぶりで、それなりに周囲にアピールし、認めてもらっているようである。私は人生って闘って主張して自力で欲しいものを獲得しなきゃだめなの?だる〜、じゃ、もういいよ、という感じで生きて来て、良くて「おとなっぽい」悪くて「根性無し」とそしられていた訳だが、そんな私を母に持っている割には子供達はうまくやっている、偶然の巡り合わせが本当によかった、とやはり見えない力に感謝するしかない。
でもなあ。仲良しの女の子で、しっかりしていてバランスの良い性格のYちゃんが、1週間家から出られなくなったと言う話を聞いたばかり。最初の3日はお腹が痛いといっていて、それから吐き気がすると言い出した。病院にいったけれど何ごとも無く、我が家の主治医でもあるそのドクターが「何か精神的なものがありますよ、きいてみてあげてくださいね」と言われたそうで、必死で語りかけて、やっと5日目に白状させたところ、男の子にお腹を蹴られた、もう怖くて行きたく無い、誰にも会いたく無い、と言ったそうである。これは家族には衝撃である。母である友人はすぐさま先生に手紙を書いた。相手の男の子との話し合いの場がもたれたのだが、その男の子はきょとんとして、全然何も覚えていない、接触した記憶がない、と言ったそうだ。でも友人の女の子は怯え切っているのである。真相がどうしても判らない。蹴られた、というその当日に言ってくれればもっと何か明らかになったと思うのだが、子供にとっての6日間って大変長い、大昔の出来事なのだ。
というわけで、親達を悩ませながら子供達は成長していく。わが子のようにすぐに泣いて、嫌な事は嫌と主張できる子は幸せなんだと分って来た。それはきっと大人だって同じなんでしょう。
夕方になってやっと帰宅、SDキラの唇を塗る。メイク完成。つたない出来栄でも、愛情だけはたっぷり、というのはやっぱりわが子と同じようだ。


雨上がりの庭先、花が喜んでいるように見えます。
狂い咲き?
2004年5月21日(金)
 朝の肌寒さでセーターを着込んでいたお母さん達も、正午過ぎに気温の急上昇でTシャツ姿に、靴下を脱いで幼稚園の母の会に集合。連日、二人の子供のうちどちらかの保護者会が続いている。1時間、2時間は夢のうち。専業主婦でないお母さんって大変だなあと、こうしてみると思う。息子の幼稚園でみっちり1時間半、学年担任のお話を聞く会に参加する。私は普段、関西弁のイントネーションが全くないらしく、何人かの関西出身のお母さんがたに驚かれる。しかし、関西の人にふれると自然に口を付いてでるのだ。東京の人がよくやる嫌味でへんてこな関西弁じゃないのだが、私を東京の人間だと思い込んでいる人達は、私が合わせて関西弁を話すと一瞬戸惑い「からかっとんか、おもたあ」と言う。「それにしてはえらい上手やなあ、おもたけど」と。そして私が楽しく関西弁で話していると、東京の友達が驚く。「あなたが別人に見える」面白い。
それはともかく、担任の先生方のお話をききながらうとうとしていると、おもむろに息子が一人でトコトコ入って来たのでびっくりした。すぐに先生に「あっちであそぼ」と声をかけて連れていってくれたけれど、私はそれで一気に目が醒めた。

 夕方、娘の体操教室への送迎をはさんで、SDキラの3年ぶりのメイクに着手。MSD美加を迎えてから、ずっとそうしたいという気持ちが募っていたのだが、全く初めてでやった頃に難しかった記憶があり、週末の開放感を感じられるこの日まで気力をじっくり溜めてまっていたのだ。思いきって、メイクを全部落とす。
当時、初期SDのキラ、サラ、ナナ、ののしか売られていなくて、限定モノと言えば巫女のの、スノーホワイトののくらいだったかと思う。SDサイトを拝見しながら検討した。今と比べるとかなり濃いメイクが主流だったように記憶している。ロリコン度の強いメイクのお人形も多かった中で(私はどれも否定しない)、自分で絶対これ!という方向がないまま、なんとなく顔を描いた。弓張月のような美しい眉が描きたかった。甘ったれでいかにも男心をくすぐりそうな顔より、近寄りがたいような、はねつけるような緊張感のある美しさに惹かれた。
今だから、ああそうだったんだなあと思うけれど、たまたまキラが私の元に来てくれた時が、私が一番辛い時だったのだ。悲しくて、絶望感が波のように、後から後から、来る朝と同じ数だけやってくる。日射しも風も、けっして心の底まで届かないでいた。そういう心の闇の中に、いつの間にか私は閉じこもっていたらしい。
そんな私の思いを、キラは全部受け止めてくれていたみたい。
ありがとう、いまのところ、かなり大丈夫。
感謝しながら、その当時のメイクを消した。
私が新しい顔を描くのを子供達が目を丸くして見ていた。キラの歴史は、この子たちの成長の記録にも重なる。
何度か描いてみて分った。ああ、キラはこんなに幼い、あどけない顔をしていたのか、と。
最初に描くと、本当に幼女の顔になって、美加のほうが断然大人びて見える顔になってしまった。
キラはあくまで、美加のお姉さんである。消して、再び挑戦。
眉を何度か描き変えた。描く事自体はさほど難しくない。下手の横好きのひとつで、美術部、漫画研究部と入っていた私、学生時代は絵を描いて暮らしていて、その感覚が好きなのだ。結婚して最初の誕生日にオットが送ってくれたのは60色の水彩色鉛筆だった。それが今夜、SDの顔を描くのに大活躍。柔らかく、微妙な色合いをまず肌にのせてみることができる。軽い力ですっと線が描ける。整えた下書きの上から、リキテックスカラーを重ねると、下の色鉛筆の色はフッと溶ける。
子供達が寝静まった頃、何通りか描いて試した後に決定した眉に落ち着き、睫も張りなおした。明日、口紅をさしたら完成。
手をかけていくごとに、キラは私の手の中で成長した。不思議で魅力のあるお人形だと改めて思った。無性に、たくさんたくさんメイクしてみたくなってしまった。これから当分、ヘッドハンター、文字どおりSDのヘッドばかりゴロゴロ買い集める自分の未来の姿が見えるような…。自分が怖い。


連日の悪天候、湿気のせいか
、自慢だったこの髪のカールがとれてきてるタイニー・キティさん(涙)

2004年5月20日(木)
 初めての保護者会、役員決めのときに、担任の先生が「これはとても楽なお仕事です」と言われたので訳が判らないままなってみたある委員。幼稚園の子供がいてもさしつかえないとも言われた。でも…。
今朝、10時からのミーティングでさっそく壁にぶつかる。息子のお迎えが11時なのだが、人にきいてみると委員ミーティングは2時間は楽勝でかかるとのこと。幼稚園のご厚情に甘えるのは嫌なので、きっぱりと休ませ、託児所に預けて出かけた。前に面接に言って素敵なシッターさんだと確認していたので私にはあまり不安はなく、息子は喜んで家にはいってくれた。
で、心置きなく委員会にのぞんでまもなく。大変な世界に知らずに首をつっこんでしまったことが判明…。ひええ、早くも一足早い怪談状態。でも乗りかけた船とはこのこと。なんとか1年がんばるしかない。そう思いながら、学年代表決めに苦しむ。代表ひとりに全ての仕事が押し付けられるのでは無いのだけれど、皆さん尻込みなさるのだ。うじうじするくらいなら私がやる!と本来なら名乗りをあげたいところ。でも実際、我が家の現状を考えるとそれはあまりにも安請け合いというものだし。そのことをお話すると皆さん、確かに、と納得してくださる。なにしろ前回のミーティングで息子が非常ベルを鳴らした騒ぎの印象は強烈だものねえ…(汗)結局、一人の方が仕方なく無くひきうけてくださったのでよくお礼をいい、携帯電話の番号を交換して、なんでも協力しあっていきましょうね、と別れる。その優しい方にも何か事情がおありのようなので、心配…。本当はお子さんが一人だけで妊娠の予定も徴候もなし、専業主婦という方が引き受けて下さると信じていたのに、どんなに切羽詰まった雰囲気になってもその方は決してうんとはおっしゃらなかった。理由は「人見知りするタチなんで」だって。
PTA役員決めも大変らしく、毎年それで揉め事が起きる、さいあくは体育館に全保護者を集め、どうして役員の仕事を引き受けられないか一人一人理由をいわされるという…。マンモス校なのでそれにかかる時間は膨大、組織に属することへの嫌悪感で誰しも気持ちが一杯になると言う。これほど恐ろしい事があるだろうか!
 ま、案外なんとかなるでしょ。私の思考力が最終的にいきつくところはいつもこれである。そう思ってなきゃやってられないし。
 そんな私の弁慶の泣きどころはやはり子供達なのだろう、息子を迎えに行くと、出迎えにでてきてくれた彼の笑顔と抱擁、そしてKissが私の心をとろけさせてくれた。息子はとてもいい子で、知的にひとり遊びをし、泣いている赤ちゃんのそばに行ってティッシュで涙をふいてあげ、よしよしと背中や腕をさすってあげてくれたんですよ、とシッターさんが感激気味の声でおっしゃってくださった。この子はきっと自閉症とは違うと私は思います、と。それが本当ならいいけれど、と私は口元をゆがませる。息子の知性と優しさ、凛々しさを信じているけれど、人とのコミュニケーションが苦手なことは事実だ。いつか何かのきっかけで、ふとその障害が消えることがあれば、と祈りながら日々を送っている。
人は優しいのだなと思う。この数年、私が接して来た人達が、やっぱり皆さんそれぞれに心配してくださって、声をかけてくださったり、情報を集めてくださったりする。中でも幼児教室の先生が渡してくれた資料は素晴らしかった。入念な調査と裏づけをとった、アメリカでうまれ、広まりつつある健康食品について。
夢のように素晴らしい効能がうたわれている。しかも副作用は全くないと。オットとふたり、これは詐欺か、宗教団体ではないだろうか、と何度も話し合った。色々調べて今、気持ちは動きだしている。ダメでもともと、というのも私の座右の銘である。いろんな巡り合わせが重なって偶然私の元へとこの情報が運ばれて来たなら、それはやっぱり天からのメッセージだと思うことにしようかなという気になってきた。
自閉症児を扱ったドラマが大変良い視聴率なのだそうだ。実は私は、あまり熱心に見ていない。でも昨日はたまたま夫婦で見た。そして一緒に泣いた。
中でヒロインが言われる。「子供が自閉症だっていうことを楯にとって、しつけに手を抜いているのではないですか」と。痛い、なんて痛い言葉だろう。ずっとそれを恐れて、必死で育児に取り組んで来た。なりふりかまわぬ私の行動、せっぱつまった表情に、周囲の人達は気押され、引き気味になる人もたくさんいたし、失笑されることも珍しく無く、哀れみもたくさん受けた。昨年の夏、副園長先生に「とてもよくしつけられているから、本当にいい子ですよ」と言って頂けた時には、数年来の努力がはじめて評価されたような気がして(たくさんの人が励ましたり褒めたりしてくれていたのに、私の心の底にそれはしみとおっていなかったのだと後で感じて、友人すべてに申し訳なく思った)感激でとっさに泣きべそをかいてしまった。でも保育主任の先生が「障害が人の目に明らかになるまで、公表しない方がいい」と言われた言葉を守って来た。それが正しかったんだよね、とオットと確認する。根はいい人と言われる人でも残酷な言動をとる人はいる。先入観をてらいもなく人に広めてまわる人も。
そんな無駄な中傷から私達親子を守るために、何より、私が子供の障害を理由に甘えている親に見えないように。先生のお考えの深さを改めて思う。
雨の中、息子を抱き締めて歩いた。ぎゅっと抱くと、ぎゅっと抱き返してくる力、心のキャッチボール。
一緒にソフトクリームをなめて、軽くランチして、それから娘を迎えにいった。3人揃って家に戻って、雨から守られた屋根の下で、幸せだと思った。息子のおかげでわかった幸せ、出会えた幸せがたくさんあることを強く感じる。私自身がいつか、この気持ちを人に与える側になれればいいと思う。少なくとも傷つける側には廻らずにいなければ。
 

私とは違うけれど、雅子さまのことをお気の毒に思い続けている。お世継ぎお世継ぎってバカじゃないの?ああ、「リボンの騎士」の国ってここのことだったのね、手塚大先生はこのことを予見しておられたのね。ジェラルミン大公はいないはずと思いきや。紀子さまに「第3子をお考えいただきたい」と言った人、あなたがそれです。それがどれほど雅子様を傷つける言葉だった事か。私の友達にもいた。結婚して数年、子供ができるまで苛まれ、できたらできたで女の子だったと責められる。挙げ句には弟夫婦に「男の子の作り方を教えてもらえ」と酔った親類の男に言われたと号泣していた彼女。
悲しみは人それぞれにあるだろう。でも人が人を傷つけるのって、本当に良くない、あまりにも無駄なことだ。。。


ス−パ−ドルフィ−パーフェクトカタログ。
SDを開発された方の
「メイクに頼らず、造形的にも最高の表情を出す」
というお気持ちになるほど〜、と頷きました。
2004年5月19日(水)
 台風が迫っているときいて驚いた。5月晴れと呼ばれる日々はどこへ消えたのでしょう。今月の私のテーマは「赤毛のアン」だというのに、これじゃあまるで「嵐が丘」じゃないですか。5月ぽくな〜い!
 息子が幼稚園でまったくお弁当を食べなくなってしまい、先生方に心配をおかけしている。帰宅してからは色々食べているのだが、なぜか幼稚園での食事に興味を示さなくなってしまった。最悪、バナナ1本を持たせてみて下さい、ということになった。子供の食事の嗜好には泣かされるお母さんが多く、ある方などお料理教室の先生をしていらっしゃるのに、お嬢さんは縁を切った食パンにピーナツバターを塗ったものしか召し上がらない。本気でノイローゼになったという逸話である。あるおぼっちゃまは、素麺オンリー。タッパ−に、固めに茹でた素麺を水にひたしたものと別のタッパーに汁を入れて、3年間幼稚園に通われたと言う。みんな親不孝ものだ〜!
 息子の幼児教室に出かける頃に大粒の雨が降り出し、夕方にはすごい雨量になっていた。母子で濡れて冷たくなって帰宅。すぐにお風呂にはいることの気持ちいいこと!日本人だねえ。


雨に濡れながら優しく咲き続ける、ネモフィエラの花。
もうそろそろ花期が終わりそうです…。

2004年5月18日(火)
 どう見ても、遠足はなさそうだと思いながら早起きしてお弁当を作る。電話がかかってこない。天気で言えば先週よりよほど鬱陶しいのだけれど、案外風はないのかなあ、なんて首を傾げていたら先週より20分遅く、連絡網がまわって来た。やっぱり遠足中止。今度は心の準備していたので切り替えも早く、さっと予定を変更。思いきって、ふだんめったにいけない「天使のすみか」に行ってみる事にした。
 それでうきうき歩いていたらお友達に会い、ちょっとコーヒーでも?と誘われてふらふらついていく。相手には小さいお子さんがいて、最長我慢限度が20〜30分。でも40分くらい話してしまった。考えさせられるお話すぎたのだ。
 私達子育て中の親がそこそこ身近に感じていて、でも強いては口にしないようにしている話題に、この先の「老人介護」がある。
来るかな、来るかな、と思いながら、悲観的には考えないようにしましょうという雰囲気。でも実はもうすでにその領域に踏み込んでしまった人もいる。そういう私自身にもいつそれが起こるか判らない。では、それが老年の親ではなく年若い兄妹姉妹に起きたらどうか。
友人の義妹が30を少し越えた若さで脳硬塞で倒れて2年になる。植物状態になると医者に宣言されたが奇跡的に意識の・0%が回復した。文字を読めなくなり、言葉もおかしくはなったが、ある程度意志の疎通ができる。半身は完全に不随となっているが、なにぶん若いので、これからの医学の進歩と合わせて考えればさらなる奇跡を期待できるかもしれない。
彼女の義父母は、いつか幸福が帰ってくると信じて、娘が相手に離婚されないように懸命に心を砕き、2世帯住宅に家族ごと呼び寄せて面倒をみることにした。ところが、そこからの生活が長くて厳しい。病人の世話はもちろん、幼い孫、そして婿の世話に正直言って義母さんは体力・気力限界にきてしまったのだ。(その婿がまた何もしない人だそうだ)
それをしきりに長男の嫁である友人に電話して来て訴えると言う。つまりは遠回しに、彼女の助力を求めているということである。
彼女は子だくさんで、普通の母親の何倍も頑張っている人である。どうせならもう一人、甥の面倒もみてあげると言わせよう、という話の流れをつくろうとしているようだ。
子育ては苦労だけれど、子供の成長という楽しみがある。育て上げると言う輝かしいゴールがある(?)。
でも。老人や病人の介護は…。その最中の苦しみの支えになる夢とはなんなのだろうか。
悲劇は思い掛けないところに、落とし穴のように待ち受けている。彼女の不安は誰にも他人事ではない。
身内の不幸がそのまま、自分の生活を直撃する。ささやかでも、何も無くても、幸せな家庭。子供達を慈しみながら、毎日の生活を楽しみながら暮らしていく大切な大切なもの。それを守るためには「冷たい人」というそしりを受ける必要もあるという苦しみ。
今、ある一定の時間に鳴る電話のベルの音が怖いのだと、彼女は重いため息をついた。
 

考え込みながら「天使のすみか」へ行った。しばし、現実を忘れる。
考えた末に、他のお店で売っていないかな?と思えるウィッグを一つ買う。パーフェクトカタログも何気なく並べてあったのでいい機会なので買ってみた。ドレスが70パーセントオフになっていたので、キラと美加用に1枚ずつ購入。
それから時間の許す限り、思う存分お人形達を眺める。何もメイクが施されていない、ヘッドだけの状態で私が決まって一番異選ぶのが、初期タイプの「キラ」であることが明白になった。やっぱり私は彼女が一番好きだ。
お店の方とお話できたのがとても楽しかった。私の希望や夢をよく聞いて下さって、たぶん、何も焦らなくても大丈夫ですよ、夢が叶う日は近いんじゃないですか、と言って下さった。最近、優しいメールをくださった方と同じことを言って下さって、感動した。
今回も決して「プレミア値」というものとは闘わないことにする。あ、でも帰りにジャンボ宝くじを買ったから、これで3億円あたったら、なんでも欲しいものは買ってみせるけど!
帰りの電車の中でじっくりパーフェクトカタログを眺める。ん〜、これってパーフェクトなのかな?ある程度、SDの世界に知識がある人が再確認するための本、といった趣が強いようだ。逆に初心者とか、SDに対して構えをもっている人の心に訴えかけるには弱いような気がする本である。6月に発売が伸びたと言うバイブルならもっとツボを抑えてくれるのかなあ。
なにしろ見ていて分った。私の好きなのはやっぱり先にあげたキラと、「翔」ヘッド、それからたぶん「綾」も好き。アナイスはメイクをしてくださる人によるようだ。ユニという子もはじめて見た。ん〜、美加とどこが違うのだろう?
それからいつか欲しいなあとやっぱり思ったのは13めぐ、なのである。メイクや髪型を変えていても彼女のヘッドが使われているものには間違い無く私は心を惹かれる。13シリーズがはじめて出て来た瞬間から、私はめぐが好きだった。実はすぐに名前も決まってしまった。…とすると来年、フルチョイスを1体と思う前に彼女を買った方が今後の幸せなのかなあ。
実物でみて、可憐さにたちどまったのは、仲良しのちっちまさんがこのたびお迎えしたばかりというマリーちゃん。本当に素敵な子だった。作家さんもののSD美加も素敵でした。でも私、メイクが濃すぎるのはちょっと苦手…。お店の方には、リアルでナチュラルな子がお好みなんですね、と言われた。あ、そういうことになるのかな。

遠足が中止になったおかげで楽しい時間が過ごせてラッキーでした。パワーが充填できた感じ。
毎日サイト更新したいなと思いながら、残りは家事労働に尽くす。オット風邪気味。いきなりのすごい鼻声。いや〜ん、家族にうつさないでえ。
娘と二人で、「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」のビデオを見る。いつもの就寝時間を過ぎていても、映画と目を輝かせて眠気がとんでしまう様子の娘の中に、つくづく私からの遺伝を感じた。季節はずれだけれど楽しく観た。そうだ、手作り道場のページに、去年のハロウィンにつくったベチ服もアップしておこう。


明日は息子の遠足。天気にな〜れ!
2004年5月17日(月)
 小学校で、私は知らないのだが、あちらは私と娘をよく知っていると言う方に話し掛けられる。最初はフレンドリーに、ああ初めまして、いえ、私は初めてでは無いんです、ずっとお見掛けしてたんですよ、なんて話していたのだが、気が付くと根掘り葉掘り聞かれていた。彼女にとって、私はこの地域で女の子を育てていくための貴重な情報源であり、誤解も合って「真似するといい」とも思われているらしい。恐縮する気配も見せず、いかにも「私って冷静でクレバーでしょ?こういうふうに聞かれると、あなた逃げられないでしょ」と個人的なことをあれやこれや。世間話の域を越えているような。殊にバレエ教室のことなど執拗に、どこにどんな手段で通っているか、費用はいくらくらいか、聞き出すのが自分の当然の権利のように聞いてくる。逆に私が、ところであなたはどちらで何年そのバレエをならってらっしゃったの?ときくと、急に怯み、そのあと反発するような返事をしてきた。あちらは児童館での催し的バレエ教室から本格的なバレエ教室に移りたいと考えてのリサーチらしい。それにしても聞き方、話し方というものがあるだろう。まるで融資を申し込んできた客に、威厳たっぷりに接する銀行員のような態度、頭にきた。
ああ、ではうちがやめた教室はそのお値段の2倍の月謝で、今度移るところは3倍ですねと言ったのだが。事実をありのままに伝えるだけでもいじわるになることってあるのね。それで相手は気を悪くしたように去って言った。あなたの予算に現実があわなかったのは、私のせいじゃないでしょうが。今度はきっと、うちのオットがどこに勤めているか、年収はおいくらほどでしょう、って当然のような顔をしてきいてくるんだろうなあ。それとも後に案外この人と、意気投合して仲良くなったりするのかしらん。まあ、人生はわからないからね。
 つまらないことでストレスを受けた。
 ストレスがたまると、人形遊びがしたくなる。かねてから温めていた自己満足企画、「手作り道場」のページを作ってみた。
なぜかこのページをつくることで、子育ての記憶が怒濤のように脳裏に蘇り、改めて子の成長を思った。
明日はうまくいけば、息子の遠足。クラゲに刺されないように気をつけなくちゃ!


このプチブライスちゃん、ソーイングマイウェイのピンク嬢。
我が家のプチの中では一番地味で、ずっと可哀想に思っていたのですが、
今日、やっとこのドレスを作ってあげる事ができました。
2004年5月16日(日)
 オットには珍しく、映画を3本見ると宣言。雨もしとしと降っているし、私のたっての要望で何も予定を入れていない。だから、かねてよく訳がわからなくなっていた「マトリックス」「マトリックス・リローテッド」「マトリックス・レボリューションズ」を一気に見る事にしたのだ。親子でまったり過ごした訳で、私はその間にちくちく縫ったり編んだりという楽しみも味わえた。だってマトリックスの2作目まではよく覚えているから。(ちなみに作成したのは上の写真のプチブラ用ドレス。手縫いで、レースがいいのが無かったので、ついでに縫っていた糸をつかって編んでしまいました)3作目は不思議だった。あれほど知名度の高いマトリックスが完結するというのに、どうして誰も話さないのだろう?そこから推測される答えは「面白く無いから?」なのだったが、悲しい事にビンゴだった。つまらない(>_<)こんなのってあるだろうか、まさにこれが本当の「尻すぼみ」というものだろう。ただでも日本のアニメ、漫画に多大な影響を受けて(っていうよりほぼ、パクリ)できたというこの映画、物語のオチと基盤はなんと私が愛する漫画、竹宮恵子先生の「地球へ…」だった。昔、東映がこれを恩地英男監督でアニメ映画化したことがある。それも見たんだね?って感じ。
なのでせっかく映画三昧したのに、拍子抜けだった。手作り的趣味としては充実してたけれど。
また子供の成長を感じた。昨年の10月末かなあ。やっぱり発作的に人形服を作った1日があったけれど、その時にオットがいなくて他に子守りがいなかったにも関わらず、子供達は私に好きにやらせてくれたのだ。あれから確実に成長して、娘は「今日中にできる?どんなふうになるの?どの子に着せるの?」と楽しみに待っていてくれるし、息子も私の手元と裁縫箱を見て、用心深く、邪魔しないように気をつけてくれるのだった。ついこの間までは裁ち鋏やリッパーを口にいれようとしたり、目打ちで家具をつつこうとしてたのに。ミシンも大好きだし、編み針では今にも目をつきそうだった。私が何か手作業をしていると、好奇心ではちきれんばかりになって、ずっとまとわりついていたのである。それが今では邪魔しちゃいけないんだね、という顔をするようになった。今日の一番の感動はそれです。


星の瞬くさまを思わせるわすれな草。
宿根草なので、毎年咲いてくれるのが嬉しい。
あまり生き生きとはしてないなあと思いながらも処分しそびれていたら、
春先にぽっぽっ咲いて、感激させてくれました。
2004年5月15日(土)
 一週間を長く感じて夕べは疲労困ぱいだった。いいこと嬉しい事があっても、どこかしら心が消耗していくのは止められないのかも知れない。こういうの、私が生きていくのが苦手だからかな?得意な人って、なんにも疲れは意識しないみたいなんだよね。自分で自分のことがとても好きで、結構ナルシス度が高い人って基本的に心の温度も高くて、生きる事が楽しそう…。いいなあ。
 ぐったりと朝の時間を楽しむ。目はさめてしまうのだけれど体は重い。その重さのままに、しばらくぐったりしていてもいいんだと思えるのが、休日の楽しみ。いつもより1時間遅く横になっていたけれど、決して体が軽くなったから起きたのではなくて、いつまでも重いままでキリがないようなので面倒になっておきたのである。血圧がさがりきっているとそんな感じ。起きてゆっくり動いていると、なんとか血圧もあがってきて人間の顔を取り戻せるような気がする。
 オットがたくさん予定をたてるのでクレームをつける。オットには天気の良い日の洗濯の重要性が分っていない。まるっきりそれを無視して私を動かそうとする。でも天気がいい日は、何がなくとも洗濯だ!オットにとっては衣類などはすべて、いつの間にか綺麗になって乾いてたたまれて、アイロンもかかっているものなのである。一度、一週間くらい衣類から手をひいた方がいいのかも知れない。
よく人に、オットがいい人だと褒められる。そりゃ、そう思ったから結婚したのだけど、してみると生きるための基本スペックはあまりインストールされていない人だった。世話焼きの母と、マメで行き届いた働き者の祖父母に大切に育てられた嫡男は、外では有能な社会人であれば、家の中では何もしなくていいように守られていたようである。
しかし我が家はしばらく共稼ぎであった。私は共同生活の対等な立場のパートナーとして彼に寄り添ったのであって母や祖母、ましてやハウスキーパーではないのである。彼は機嫌よく同意し、なんでも手伝うと言うのだったが、なぜか気付くと食事は私だけが作り、配膳し、後片付けを私がしている間に彼は寝転んでナイター中継を見、お風呂をでると下着とパジャマの用意が遅い、ビールが冷凍庫(冷蔵庫ではもちろん冷やしている、彼が入浴からあがる五分前に冷凍庫に入れてキリっと冷やしておいてほしい、という特別注文である)で冷えていないと文句をいうようになっていた。チャンチャンバラバラの論争の末に、彼はいつも失言する。ほんの一手間、頼んでみただけじゃないか、悪気はないのにそんなに怒るな、そこまで大変なこと、俺は言ってないだろ?
大変か大変じゃ無いか自分でやってみろ、という訳で、朝のゴミ出しくらいはさせるようになった。私がたまに体調を崩して寝込むとひたすらお惣菜をかってくる、出前をとる。かなりの出費である。一冬に最低でも4回はスキーに行きたいと新婚の年に言う彼に、家計簿をつけさせた。以来、毎年スキーに行く計画はたてない。
子供が出来て仕事をやめた私。でも子育てこそ、私の人生で最大の仕事、一番難しい仕事である事に気付くのに時間はかからなかった。もっともっとパートナーのサポートが必要になった。ついでなので、子供を育てるのと一緒にオットも育てる。人間、自分のことは自分でできる、これが基本であり、自分をも周囲の人をも幸せにするコツである。その上で愛情の証として互いに奉仕しあって、気持ちよく暮らせばいいのだから。
自分はできない、知らない、判らないで押し通すのはいかがなものかと思う。
ちなみにじゃあお前がオットと同じだけ仕事ができるのかと聞き返されたらね、オット程優秀ではないにせよ、いい線まで「できる」と答える。やってたもん。それはオットもよく知っているのだ。違う分野では私の方が強かったし。だから私達は対等である。
 でも身近な友人に「ゴミをだしてくれるだけでもいいわよ、すごいわね〜」「ねえ、どうしてあなたはそんなに良くしてもらえるの?」と聞かれるので、私は釈然としない。で、よくよく聞いてみると彼女達は最初の結婚の約束からして間違っているように思われてくるのだ。たとえば「私、絶対にいい奥さんになるね。あなたに後悔させないから」「じゃ、俺も仕事がんばるよ」と合意して結婚したとか。一見、いいお話のように見えてなんとなく穴のある約束をしている気がする。だんなさまは「仕事をきっちりやってるんだから文句言うな、家のことはお前に任せてるんだ」になり、子育てにもあまりタッチしないという。もう一人は「家のことは、たとえ子供ができて忙しくなっても一切あなたには頼まないから安心して」と言って結婚してもらった!(相手が有名医大に勤めるお医者さまで、是が非でもゲットしたかったそうだ)とのことで、でも毎日、帰宅すると子供が熱をだしていようが骨折していようが、「ふ〜ん」と言って自室にひきこもってネットゲームに興じ(医者だよ!?)昨年、彼女が3人目を妊娠中に、切れた電球を脚立にのぼって取り替えようとしている現場に遭遇してもなんにも見えないように通り過ぎていったと言う…。それって愛?それが結婚?わからない。でもまあ彼女達も、誰の命令でも無い自分の意志で相手を選んで恋愛し、結婚したのだからブーブー文句をいいながら幸せのために頑張るのである。
 オットは今までの経験上からか私の反撃にさからわず、私が洗濯をしている間にそうめんを茹でておいてくれた。結婚して11年目くらいからインスタントのラーメンとパスタ、そうめんは作れるようになったのね。それだけでもかなりラク。子供の習い事にも付き添い、戻れば一緒に自転車に乗りに行ったり、近所の人や子供の同級生保護者とも仲良く親交を深めたり。
やっぱりいいオットかなあ。ビールを冷やしておいてあげましょう、枝豆もつけましょう。でもやっぱり、洗濯のやりかたも教えておこう。
そんな私はもちろん、娘だからとか息子だからとか関係なく、大工仕事も料理も両方に教えるつもりでいる。男なんてしょせん、女から生まれて女に育てられるものなんだって、息子を産んでみて分ってびっくりしてしまった。
ある有名俳優さま(アイドル出身。いや、まだアイドルかも?)は自分で何でもできる、返って他人に家の中を代えて欲しく無いので、結婚も必要を感じないそうだ。恋人は必要だけれど、と。ん〜、それもなるほど、です。


バスカ−ド入れとして愛用中。
2004年5月14日(金)
 息子が年中組になって、毎日水筒を持っていってもいいことになった。でも気が付くと息子は水筒を持っていない。娘はピーターラビット、バンビ、ミニーマウスと3種類も持っているのに。ちなみにお弁当箱も娘は4種類持っているが、息子は1種類である。そうじゃなくても毎日、娘のファッションに力が入っているのにくらべ、どうしても息子のファッションは「ま、こんなもんでいいか、男だし」とおざなり感が拭えないのだ。マズイ。
焦って通販カタログをひっくり返して調べたけれど、ポケモンやトーマスなど今一つのキャラものばかり。どうせキャラなら今、息子が目を輝かせるディズニーの「トイストーリー」か「ピーターパン」のものが欲しい。ピーターパングッズ、皆無。トイストーリーものはまばらにある。でもペットボトルカバーはあっても水筒そのものはみつけられず、かくて私はふらふらと小さな地元の街をさまよう旅にでた。
小さなお店で、トイストーリーのお弁当箱とカトラリーセット、カップと、新しい通園バッグとしてバズの絵柄のものを購入。水筒はトイストーリーものはなかったけれど、動物好きの息子にぴったりなジャングル柄をみつけて購入。ついでに自分用の夏の帽子も買っていた。散財、散財。でも息子がとても喜んで気に入ってくれたので良かったのである。
 午後、月に2回の臨床審理士さんのカウンセリングを受ける。これも、実際どれほどの効果があるか判らないけれど。やれることはなんでもやってみる、という主義に従い、ご縁を頂いて通う事になったのだと自分を納得させている。
娘を学校に迎えに行ったのは16時で、どうなっているかなと思ったら案外元気に楽しくやっていたよう。ダウン症の男の子と仲良く遊んでくれたんですよ、とても優しい子ですね、と先生に褒められた。子供でも、いや、子供だからこそか、ハンデある人を露骨に差別し、冷酷な態度をとる子もいるそうだ。最近、つくづく思うが、幼児虐待が問題になっているとはいえ、基本的にみんな子煩悩で子供を熱愛している人は本当に多い。だって出産・育児は命がけだもの、人生かかっちゃうもの。それほどに全ての情熱を注いでいる対象(我が子)は素晴らしくこそあれ、欠陥などない、悪いのは全部他人の子、と思い込んでいる人がたまにいる。でもそういう人に対する噂はすぐに広まり、用心していくように注意申し送りがある。結局親がどれくらい、人間としてのバランス、主観ばかりではなく客観的視野を持っているかどうかが、次世代に影響を与えているのだと思う。
美しい話もあれば醜い話もある。
 言いたく無かった、言い出したら止まらないんだけど、アメリカ兵、イギリス兵によるイラク人捕虜虐待について。あれほど、戦争の醜さをきわだたせる証拠はないだろう。どんな正義を大義名分に掲げたとしても、個人個人はいたらない未熟な人間である。そんな人間に正義という口実と武器、権力を与えたら、犬畜生にも劣る行動をしますよ、といういい見本だ。問題の女性兵は「上司の命令で仕方なく」とインタビューで答えていたけれど、あれほどの楽しそうな驕慢な笑顔は、嫌々ながらできるものだろうか。彼女の親兄弟は、彼女の罪を否定し、彼女ははめられただけだと擁護していると言う。彼女は身ごもっていると言う。生まれて来た子がいつか、彼女が他人にした仕打ちを受けたとしたら、とは考えないのだろうか。それはそれ、これはこれ、ときっちり切り離して、せいせいと楽しく自分の幸せをどん欲に追求していくのだろうか。因果応報、とか、親の因果が子に報い、という言葉が日本にはあるよ、と教えてあげたい。余計なおせっかいでしょうけれど。
 辛いのは、日本自身がかつて、あれ以上に酷い仕打ちをアジア諸国に対してしたという過去であることも改めて思う。ある残酷な事件の犯人が中国人留学生であったと判明した時、私の母は激怒した。そして、どうして中国政府はもっと大騒ぎして謝罪してこないのか、日本もそれを求めないのかと執拗に繰り返した。ああ、母も頭では分っていても心では日本の罪を理解していないクチだなあと思い、日本兵の残虐エピソードをいくつか話したところ、ボロボロと涙を零し、「えらいことをしてくれたもんやなあ、そんなん、永久に中国や韓国の人に憎まれるわなあ」と口惜しがった。日本は大きな負の遺産を受け継いでいる。その贖罪が完了する事があるのだろうか。戦争と言うもっとも醜い行為、人類最悪の罪が。
そんな話を母とした数カ月後にこのアメリカ兵のニュース。やっぱり、と思う。人はかくも醜い。
昨年、私はバービーのアラビアンナイトセットをこのサイトにアップした時に、いかなる理由があろうと戦争には反対するとあえて書いた。それについて、アメリカに住む日本の方からメールをいただいた。気持ちは判る、判るけれども今、アメリカが正義のために立ち上がらなければ、イラクはあのまま独裁政権の闇の中にい続けるのだ、それは認めるべきでは無いと言う御意見だった。私は全く気持ちは変わらず、ああ、これこそがアメリカ政府によるプロパガンダの成果というものなのだろうなあ、とただ感慨深かった。かつて日本を軍国主義に走らせ、国民全てを陶酔状態に導いたような力を、私もかつてマスコミで働いていて体験したことがある。
嘘でも、多くの人の意見はこうですと耳ざわり良い言葉を選び、美しい映像を添えれば、大衆はそれを信じてしまうのだ。早い話がまだ流行していなくて、これから流行させたいと思っているものをうまく宣伝すれば、人はそれを今現在、もうすでに流行しているもの、とあっけなく信じてしまうところがあるのである。これを戦争正当化の力にしたらすごい。
後に幾らでもアメリカ兵の不穏な噂は伝わって来た。何より、政府が必死で隠しているのは戦闘に巻き込まれて非業の子を遂げた老人や幼い子供の、誰でも震え上がるような悲惨な亡骸の写真だ、などということが。
あらためて私は、戦争で果たされる正義なんかあるもんかと思う。高潔な人柄を貫けるほどに強い人間は、そうそういないのだ。
 戦争というなら、人生そのものが不条理に満ちた戦争のようなところが十分あるではないか。
 有名企業のトラックタイヤ脱輪による親子の死傷事故、構造欠陥隠し。これも醜い、あまりにも卑怯な事件だ。あれでなくなった母親と私は子供の年令も近くてとても他人事は思い切れず、やりきれなくて、ずっと忘れられなかった。この事件が風化されていくなんてあんまりだと思っていた。逮捕された取締役たちは間違い無く事件の風化を祈り、信じていたにちがいない。浅ましいこと。それがちゃんと裁かれていくことになり、私はこの世に神仏はやっぱりいるのかなとちらっと思う。でも亡くなってしまった可哀想な母親は、子供達のところへ帰ってくる事はできないのだ…。
 ちなみにこの会社の別系列に知人の夫が勤めていた。システムプログラマーの彼は、後進国に「出張」と称しては年10ヵ月も派遣されていた。出張であって転勤では無いのだから家族の同行は認められない、お金もでない。自腹で妻子がついていくとしても「常識はずれ」のそしりを社内で受けると言う。だから別居は仕方ない事だった。その間に、友人は流産したのだけれど、なにぶんその夫には自分に子供ができたことも、その命が儚く散った事も実感としてない。やっと帰国した頃には「そんなことあったんだっけ」とまるっきり他人事のようにいわれ、彼女は大変な衝撃を受けた。そしてまた夫氏は海外出張に出かけていく。そんな生活を7年続けた末、それきり子供には恵まれないまま(ほとんど日本にいない夫氏は現地妻を持っていたようである)離婚した時、彼女の親御さんは彼女の不幸はあの会社が作ったものだと泣いて悔しがったと言う。会社全体の思想がおかしいのかと思う。
 そんなこんなでブスブスとくすぶっている私に、そうとは気付かぬオットがふと話してくれた話。
 彼の後輩のある男の子は典型的な現代っ子であると見えた。が昨年、その彼の恋人が白血病で余命幾許もないことが判明したのだ。彼はすぐに、彼女と結婚した。そして彼女が亡くなるまで会社を休み、ずっと共に過ごしたそうだ。彼の会社もそれを認めた。古風でシンプルなまっすぐな心根を持ってた奴なんだなあ、うちの会社もいいとこあるなあと思ったよ、と。
やっと。私は泣く事ができた。ほっとした。悲しい、でもひたむきで美しい愛があるという感動。
軍隊なんかつくらなくても、普通の生活の中に正義も愛も信頼もあるよ、絶対に。

 夕方、子供達を体操教室に連れていく。バスにのって3停分。まばらに席があいているのでとりあえず娘を座らせたら、女子高生が譲ってくれようとし、大きなチェロのケースで座席をふさいでいた男子高生も「ここ空いてますよ!」と声をかけてくれた。迷惑をかけなくても十分に座れたので、笑顔でお礼を言い断ったけれど、男の子がふざけて
「人間を信じて下さいネ」
と言った言葉が、なんだかどこかの天使からの言葉のように思えて、笑ってしまった。


毎年、咲いてくれる丈夫な薔薇。

2004年5月13日(木)
 娘、初遠足。天気予報では雨だったけれど、強風ながらそこそこのお天気なので元気に行ったようだ。お迎えに小学校の隣の公園に行き、昨日の彼女に合って、昨日の件には触れず軽くお喋りをしていた。そこへ他のお母さんがたがいらして、昨日の○○○ちゃんはかわいそうだったと口々に話し始めた。BOPに行く時に「私、ママに会いたい」と泣き、仲良しのお友達が一足先に返る時にも「私のママは?」と泣いたと言う。昨日の朝、オットと登校する時にも一緒だったと言う彼女達は、「パパが○○○ちゃん、今日、授業おわったらどうするんだっけ?、って聞いても、○○○ちゃん、お返事できなくてかたまってるのよね」
などと言う。私が「
そうなの、あの子、言葉がたどたどしいでしょう?」と聞くと、皆さんうなづきつつ「でもそこが可愛いのよ」なんてフォローする。「あの子が達者な文章喋ってるの、聞いた事あります?」と聞くとみなさん笑いながら、あまりないわね〜、なんて言った。問題の彼女はとても考え込む様子で私の顔をじっと見ていた。
娘に聞くに、昨日の男の子の言い方が「何回もなの」とのこと。つまりしつこかった。いやで「○○○くん、帰って」と言った。それを彼は意訳し勝手に傷付き、母親にはうちの娘が流暢で適切な、皮肉なコメントをつきつけてきたと報告したのだと推測する。彼はことの流れと娘の気持ちを読み取り(自分でも自分の言い方の高慢さとしつこさを自覚していたに違いない)、そのつたない言葉を膨らませたのだ。そして、母親はそれを鵜呑みにした、と。
でも何年も娘と同じ幼稚園に通った人でなくても、この1ヵ月、入学してはじめて知り合った人達でも、娘が普通に会話するのにも苦労するスローテンポな子だと判られている。例の男の子がそれを訴えても、誰も信じないと私は確信した、その母親以外は。今日の皆さんのお話でも、彼女自身の心の中に息子の言葉への疑いが芽生えたことと思う。
従って、私は必要以上にベタベタと謝らないつもりである。

 幼児教室の先生から、アメリカで開発され大きな効果をあげるが、副作用はないと言うある食品のパンフレットをいただいた。息子に効果が期待できると言う。そのことについて調べまくる。
なんやかんやと忙しい。でも人形遊びはするのだ!


やっと、着せ替えした美加をアップできました。
あとは命名だわ。
2004年5月12日(水)
 娘は泣き虫である。生まれた時から大変泣いた。乳幼児期はどれほど泣いたことだろうか。育児の苦労、と振り返る度に息子の自閉傾向発覚より先に思い浮かぶのが、あの延々と続く、その場にいたたまれなくなる程の赤ん坊の泣き声、耳にこびりつき頭蓋内にいまだに響いている気がするような執拗な泣き声である。結婚して7年、流産を乗り越えてやっと授かった、それも欲しくてならなかった女の子。喜びこそすれ疎んじたりするものかと意地でも頑張った。みんな同じなのだからと思って。でも友達には「知ってる子の中で一番すごい」といわれ、保健婦さんにまで「ちょっと特別ですよねえ。お母さん、大変でしょうから、時々愚痴を零しにでも電話して。それだけでも随分違うから」と言われるにおよんで、ちぇっ、うちだけなのか〜と観念した。一度、ひどく風邪をこじらせて肺炎になりかけた以外は、とても健康だったし、ひどい悪戯もしない、振り返ればいい子だったと思う。ただ言葉がたどたどしくて、いまだにあまりにも幼い話し方をする。小学校になった今では私はそれをとても心配していて、普通に学校であったことを聞き出すだけでも一苦労だ。結局、娘にじっくり向かい合い、その性格と行動パターンを把握しきった保育者が、娘のたどたどしい言葉から全体を推理し、「○○○ちゃんはこうなのね?」と正解にたどりついてやっと、娘も「そうなの」とこくんとうなづく、という日々を繰り返している。文章の接続詞がへん。実はこれは自閉症スパイラルというものをしらべていると、特徴の一つとしてあがる問題である。だから私はゾクリとする。息子だけでなく、娘にも障害があったのかな、と。何度となく今まで相談を折にふれて、いろいろな方にしては、皆さんに違いますよ、大丈夫ですよ、と慰められて来た。
 そんな娘が、仲良しの男の子にきつい言葉を言った、それで彼は傷付いているとその男の子のお母さんに言われた。新しく学校でBOPという制度が始まり、昨日はその子とふたりで初体験だったのだ。BOPというのは早い話が、課外活動というか、授業終了後に構内にあるBOP用の新しい建物と指導員たちが子供達を受け入れ、最高18時まで預かってくれるという制度である。
昨日は息子の幼児教室があったので、いい機会と思って渋る娘を行かせた。行ってみるとお友達がたくさんいて遊んでくれて楽しかったらしい。そこで先生の指導で、男女に別れてビーチボールでバレーをしたところ男の子チームが圧勝したのである。
娘と一緒に私が預かって帰宅することになっていた男の子は繰り替えし、その話をした。とても嬉しかったらしく「女の子ヘロヘロに弱いんだよ、もう、ほんっとうに弱いの!」と言った。その時に娘が小声で何か言ったのだが私は聞き取れなくて。
彼は「なんでそんな威張った言い方するんだよ?」と言い、私が聞くと「○○○ちゃん、僕に帰れば、て言うんだ」と彼が応える。そうなの、ごめんねと私が謝り、娘にもゲームでまける事を悔しがっちゃダメとその場で教えた。その後、二人はふざけあって歩き、楽しく手を振って別れたのだが。その後、彼のお母さんから、うちの息子が○○○ちゃんにチクッと言われた事で悩んでるとメールがあった。彼に対して娘が「ふーん、買ったんだ、よかったわね、じゃあさっさと帰れば!」と言ったと。
 今までの歩み、日頃の娘のことから考えてそんなにすぐに、打てば響くように辛らつな言葉をさらっと言えるとは私には思えない。現にその場に私はいて、娘の言葉は聞き取れなかったものの、そんなに長いセンテンスを喋ったとは思えないのだ。
彼女は、気にしなくていいのよ、うちの息子が自慢し過ぎて○○○ちゃんもカチンときたんでしょう。でも○○○ちゃんらしくない言い方よね、もしかして学校でイジメにあっていて、それで自分がいわれてるようなことをうちの息子が優しくて言いやすいから、言ってみたんじゃない?○○○ちゃんが心配だわ、とメールが返って来た。
それってどうなの?最近、私達母親の間では「ジコ主義に気をつけよう」というスローガンがはやっている。ジコは自己ではなく自子、つまり自分の子に陶酔し、勝手に理想の良い子像を抱いて信じ込んで、お宅の子は悪いけど、うちは悪くないというような人達のことである。その当の彼女も、そんな手合いに苦労すると常々言っている人なのだが。
すっきりせ〜ん!!!!
ストレス解消にパソコンを立ち上げてもネットはしないで、黙々と更新ページつくっちゃったよ。


三つ編みのウィッグを買いました。
古風で可愛くて大好き。
2004年5月11日(火)
 朝6時、様々な予定を前に、一人コーヒーを飲みながら「よ〜し、がんばるぞぉ!」と気合いを入れていたら、電話が。6時である。その時点であららと思ったのだが、案の定、息子の遠足は中止になった。天気はいいのだが、江ノ島海岸の波が高く荒れていて危険だと、地元の網元が判断されたとのこと。遠足は1週間後に延期になった。オットは休みをとっていたのだが、急遽出勤。彼は来週の方が休みやすいと嬉しそうだった。
 それにしても暑い!1時間半後また連絡網がまわってきて「ごく普通に園外保育になったので水筒とお弁当を」とのこと。どこに遠足なんだろう?と気になったが今日は息子のストーカーはしないことにした。朝から急に携帯電話がなくなって真っ青になっちゃったのだ。間違いなく家の中にあるはずなのに、自分がどこに置き忘れたのか判らない。急に途方に暮れてしまった。最近の私は普通の手帳をないがしろにしていて、ほとんど何でもすべて携帯電話に頼っている事が実感された。当然、自宅の電話をつかって携帯にかけてみたが、「電波の届かないところにあるか、電源が入っていません」になる。我が家の中は電波が悪いのだ〜!携帯を探すためも合ってことさら、家の中を整頓し掃除する。家が綺麗になって来た…なのに携帯が出てこない。新しいFOMAを買う事を考えながらもう一度電話をかけてみたのは、紛失したと気付いてから6時間後。今度は奇跡的に鳴った!それは電話ボックスの真後ろに落ちていました…。これだけのことなのに、すっかり神経をすり減らしちゃった…。
暑さの中、息子のお迎えに行く。母親達は大ブーイング。お昼のニュースに「本日の江ノ島」と映像が映っていて、波は穏やかで砂浜で小さな子供達がたくさん遊んでいたそうだ。みんな地団駄を踏んで悔しがった。朝、連絡網がまわって来た時点でお弁当を作り上げていた人がたくさんいるのである。私にしても御飯を五合も炊き、たくさんおにぎりを作ってお重につめようとしていた。里芋やニンジン、鶏肉もいい具合に煮れてホクホクしていたのだ。まあ、この労力は夕御飯として昇華されると信じているけれど。
子供達は歩いて1時間の大きな公園に行ったそうである。この炎天下ではさぞきつかっただろう。案の定、息子の学年は予定より到着がかなり遅れた。みんなヘロヘロである。ところが息子はスッキリと汗もかかず、さわやかに園の庭でさらに遊び回るではないか。どういうこと?と首を傾げたら、ベテランの前保育主任だった先生曰く(もう退職為さっているのだが、園が多望の時にお手伝いとしてはいられる。本日は、私の息子のためにだけきてくださったのだ。ああ、我が家は人の2倍、月謝を払うべきだといつもこういうときに頭を抱える)絶対歩かないと言い張り、座り込み、仕方がないので往復、園長先生の車に乗って快適に楽しんで来たそうだ…。顔から火がでた。
一旦帰宅後、娘と娘のお友達を小学校に迎えに行って英語教室に送り届ける。その間、息子と二人でソフトクリームを買いにいって、大好きな川沿いの遊歩道の石のベンチに座って、泳ぐ鴨を見ながら木陰で涼む。夏が来たのかなあ。また来年も花火をしようね、とお隣のお宅の坊や達と約束したのがついこの間のことのように思えるのに、もういつでも花火できそうな勢いである。若い頃、1年どころか1週間、いや1日が長くてたまらなかった。最も怖いものは「退屈」でそれから逃れるためにむさぼるように本を読み、音楽を聞き、絵を書いたり編んだり縫ったりしてできることはなんでもした。ビーズも刺繍も全部手をだした。それでも時間はありあまり、自分をもてあましていたような気がする。時間もいつか使う時のために貯金しておけるのだったらいいのに。
娘を迎えて帰宅して、やっとほっと一息つく。お人形の写真を撮って次の更新の準備。今度は素敵なお友達の方々が贈ってくださったドレスをアップするつもり。
夕方、アメリカから一時帰国している義弟がやってくる。子供達大喜び。プレゼントの数々に大興奮。私はいつも彼の娘、つまり姪にずっと娘のお洋服を譲って頂いているのだが、今回もどっさり衣服をもってきてくださった。いつもお洒落、衣装もちと羨まれる娘。義妹夫婦のおかげです。ものすごく可愛い帽子とミニバッグに娘はおおはしゃぎ。再来月には義妹家族は帰国してくるので、あらら、実はアメリカ国内限定でした売ってくれないイーベイのセラーさんからお人形を買っておくラストチャンスなのでは?最近、ご縁があればヴィンテージのタイニーベッツィーちゃんを一体だけ欲しいと思っているのだけど…。


家事の合間にチョコチョコやって編み上げたレースの帽子。
これから糊付けして、ピシっと形を整えます。
今までに編んだレースの花瓶敷き(ドイリーっていうのね)やコップ敷きを参考にしたのだけど、
適当すぎました…。
美加のために編んだのに、


彼女は娘の新品のミニタオルハンカチを胸にあてて、
「これ、私にぴったりの大きさみたい。
何かお洋服にできないかしら?」
なんて言っております。
娘はこのハンカチを頂いて、2枚持っているので、快く譲ってくれるらしい。
2004年5月10日(月)
 友達と言うのは不思議なもので、私の今までの人生を振り返って、どう言う訳か最初からすぐ心開いたという人がいない。皆さんよく、一目で気が合うと分ったとか言うのに、私には判らない。基本的に人と向き合うのが怖くて、腰がひけてるからかな。深く関わって、うっかり傷つけあうことになるのが怖い。心の底のどこかで私はそう思っている。生身の人間関係程難しいものはこの世にないと思うので、誰かと嫌いあう事になるくらいなら、親しくならなくてもいいと思ってしまう。
けれど、親友と呼べる人がいつのまにか人生に登場する。最初の印象ではそんな感じがなかった人ばっかりである。
たぶん、相手も私と似ていて最初はお互いに必要最低限度礼儀正しく振る舞う以上の気遣いをせず、性格にメッキをほどこさない状態で関係をスタートさせたからだと、今振り返ると思う。長のおつき合いの親友もそう。むしろお互いに切って捨てる気持ち満々だったというか、全然付き合っていくつもりのないクラスメートだったので、思った事をサバサバ言い合い、適当に距離を置いていたのに、気が付くと心の距離がぐんぐん近付いて友情の絆は一生モノになった。OL時代になってからもそんな出会いがあり「私達、運命共同体だね」と言い合う程の信頼が生まれた。お互いにみんな波瀾の人生を送って中年になったが、信頼と親愛は薄まる事なくむしろ増す一方、携帯電話のメールという便利なものが登場してからは、むしろますます理解を深めあっている。
そんな中で苦手な幼稚園ママ生活、誰と仲が悪い訳でもないけど踏み込み過ぎないように気をつかっている中で、気が付くとやっぱり深い友情を感じる人達ができた。
中でも性格がサバサバしてルックスがスタイリッシュ、細身なのに3人の子持ちの彼女とは、子供の習い事や幼稚園の関係で適当に仲良くしていければとしか思っていなかったのに、日に何回もメールのやりとりをするようになり不思議に面白く思っている。ビーズアクセサリー作りの素晴らしさを教えてくれたのも彼女だし、彼女の長男と私の長女は同級生で、性格がとても似ており、従って親としての悩みも共通するので、話題がつきない。そして私の息子のことを彼女はすんなり理解してくれた。お医者さまの妻であることも少しは知識として役立っているみたいだけれど、根本的に人を差別的に見ないのだ。区別はするみたいだけど(笑)そして今は、偶然にもお互いにプレステ2の「ドラゴンクエスト」」に夢中である。お互いにひそかにこっそりやっていることを知り、ますますメールのやりとりに拍車がかかった。それぞれ、スーパーファミコン時代からこのゲームをやっているクチである。
「まさかここで、ドラクエを語り合える人に会えると思っていなかったワ」と彼女から、子供をお互いに寝かし付けあった時刻にメールが来て笑ってしまった。私も本当にそう思う。友達っていうのも、神様からのプレゼントなんだなあ。

 
ピーターパンはやっぱりヒーロー。
というわけで、今、タイムリーな熱い注目を浴びているこのフィギュア。
着せ替えできるんだったら良かったのにぃ。

2004年5月9日(日)
  寝る前に面白い本を読むのはやめておくべきだと分っているのについうっかり…。昨日はそれで午前2時まで起きていた。
 昨日、整骨院の目の前の本屋さんでふと、ひさしぶりに萩尾望都先生の本を2冊買った
のだ。『バルバラ異界』1、2巻。
魅惑され、悲しみと孤独に引き込まれる。愛する想いの切なさに胸が痛む。
愛の一番つらいところは、空回りする瞬間だと改めて思った。たとえ結果がどうあれ、想いがまっすぐ通じ合う瞬間があるなら、それは幸福な愛と言える。けれど、どんなに強い愛でもすれ違ってしまうもどかしさと運命の皮肉の前には、悲しみに膝をおらずにいられない。それは男女の愛だけとは限らない。実は親子の愛が一番その苦痛にあう可能性が高いのではないか。
そんなことを考えさせられて、また私はふとんの中で読みながら泣いてしまった。その頃には日本酒の酔いはもうとうに醒めていたというのに。
『イグアナの娘』を最後に、私はしばらく萩尾先生の本を買っていない。でも目録をみるとやっぱり「感謝知らずの男」以外はほとんど全部もっている。「残酷な神が支配する」が長期連載だったので、連載が終わったら一気にまとめて読もうと楽しみにしていたのだ。なんでかな〜。『イグアナの娘』がやっぱり痛かったからだろうか。私は子供ができる時にこの物語のことを考えた。幸い、私はイグアナを産んでいない。でも世にそういう親がいることを萩尾先生はしっかりご覧になっていたんだなあと今あらためて思う。辛い話だったのは、私の母が祖母にとってイグアナだったからだ。そのことは母を傷つけ、人生を寂しいものにした。でも祖母だって苦しかったのだ。6人も子供を産めば、必然的にお気に入りができてしまっても仕方ないことだったのだろうか。母は、私と妹を隔てなく愛するように懸命だった。そんなこと、懸命にならなくても当たり前のことなのにね…。
私が祖母が死んだ日に「身勝手な人だった」「一番の被害者は母」と言い切ったのはそのせいである。


 昨日の余韻さめやらぬ娘がまた「ピーターパン2」を観たいと言う。別にいいけど、と言っていたらオットが衝撃の告白。彼は「ピーターパン」がどういう話か全く知らない、ディズニ−映画のそれも観た事がないというのだ!
慌てて、ピーターパンを見せる。それから2へ。オット感動。「でもこれって、ピーターとフックがじゃれあってるだけじゃん?」
うーん、そう言っちゃうとそうなんだけどね。ちょっと待って。数年前、まだ子供がいなかった頃にふたりで、ダスティン・ホフマンとロビン・ウィリアムズの「フック」を観に行ったよねえ?と聞いたら、それもほとんど忘れていた。実は下地を知らないので適当に観ていたそうだ。
 オットは頭がいい。学校は主席だったこともおありだそうである(就職が決まってから遊びすぎて、卒業の土壇場で、総代を2番手の人にもっていかれたというマヌケ)。お勉強は好きでお得意、スポーツも音楽も好き、情緒豊か…でも本や映画にそれほど時間を費やさずに生きて来たようだ。私と出会ってから、随分彼も変わったものだが、先日も、ブラッド・ピットの3年ぶりの主演作映画「トロイ」を観たいね、というと微妙な顔をした。もしかしてトロイって何の事か知らないの?と聞いたら、頷いたので、一応かいつまんでホメロス、というかトロイの木馬のお話をする。ちなみに、この映画でブラッドはアキレス役をするのだが、そのアキレスの話も知らず。有名なアキレス腱の由来を話す。オットは別に感動はなく、馬鹿馬鹿しくて矛盾だらけのエピソードだと思ったようだ。私の話が下手ですみませんねえ。もはやこれもトリビアになる時代なんだろうか?
 また雨の日曜日。でもなんとなくのんびりして浮き浮きの落ち着いた日曜日。オットは仕事でぷうぷう言いながら出かけたけれど、私はやっと念願のレース編みにとりかかれて満足満足。


こんな風に並べて遊ぶだけで、とても楽しいのはなぜなんでしょう?
2004年5月8日(土)
 昨日、娘が下の前歯がぐらぐらすると訴えて来た。なんともう2本目がぬけるの?なんて思っていたら、朝、歯磨きしていたらポロッと簡単に抜けてしまった。小さな小さな綺麗な歯。大切に箱におさめながら、娘本人はきっとこんなの将来もいらないっていうんだろうし、こういうものは私が死んで棺に入る時に一緒に入れてもらいたいなあ、なんてことを考えてしまった。何ももってはいけないというけれど、子供達の思い出をどうせ捨てられてしまうなら私が持っていきたい。
 泣いている娘にこれはおめでたいことなんだからと言い聞かせ、一人で昨日に続いて整骨院に行く。マッサージ最高!帰りに前から目をつけていたブティックで義母への母の日のプレゼントのバッグを買う。ウィンドーに飾ってあったものが素敵だと思って店内に入ったら、そのベージュのものとは色違いのピンクのバッグもみせてもらえた。シックで上品なピンクがモチーフの革細工のお花飾りとぴったりあっていて、お洒落な義母には断然この方がいいと即決。
一旦帰宅して、娘の幼児教室の宿題を一緒にやったあとに家族ででかけてランチ。久しぶりに中華屋さんだ。焼豚炒飯で体力をつける!娘の幼児教室、息子の体操教室とこなして夕方。オットは昼から一人で外出。同じ大学のOBであり、オットが今所属している合唱団の大先輩でもある方が亡くなられて、その追悼式が四ッ谷の聖イグナチオ教会であったのだ。私はお会いしたことがないけれど、知的で気品あるすてきな御老人だったとオットがいう。子持ちの母にはありがたい生協を創始した方の、息子さんである。壮麗な教会の中で故人をしのんで2曲歌って来たオットと夕方合流。子供達のリクエストでレンタルビデオ店に行きく途中、急に車の調子が悪くなった。
プスプスプスっという音がしたあと、車体がガコガコ揺れて、スピードが出ない。人生初めてのパンクを経験か。
幸い。本当に大変幸福な事に、その道を30メートル進んだところに、なじみのガソリンスタンドがあった。なんとかそこまで車を転がして行けてよかったのである。前輪が見事に空気が抜けていた。ガススタンドの人曰く、パンクではなく老衰だそうで…(^_^;)そういえば昨年の車検のときにタイヤがかなり危ないと指摘されていたのだった!
さっそく予備のタイヤに取り替えて、でもこの際、ちゃんと交換することにしたものの、もし、オットの実家へ向かって高速を走っている時等にこうなっていたらと思うと夫婦でゾッっとした。いや〜、神様っているのかな。実は来週の火曜日に江ノ島へ行かなくてはならないのである。その途中でこの事態になっていたらどうなっていたことだろう。大きな事故になっていたことも大いにあり得る。夫婦で再びゾクリ。よくぞ、このタイミング、この場所(なんといってもガススタンドのすぐ手前だったのだから!)でタイヤがダメになってくれたものだ。
オットは今日追悼式に行って来た先輩が教えてくれたのかな〜と言い、私はつい先日亡くなった私の祖母はもとより、オットを実質上育て、たくさんの愛と知恵を注いで育ててくれたオットの亡き祖父母のお導きを感じた。我が家に仏壇はないけれど、今度実家に戻ったらいつもよりもっと念入りにお線香をあげましょう。
 買い物をして車を置いてから、徒歩1分しない場所にあるお寿司屋さんで夕食。1日に2回も外食なんて許されない贅沢だと思うけれど、最近ごぶさたしているので顔つなぎをしておきたいとオットに説得された。夫婦で無類の寿司好きなので、誘惑にはかなり弱い。キリっと冷えた日本酒に、適当に握ってもらうお鮨の美味しいこと。お店の御亭主とその娘さんとの会話も楽しい。他にきていたご家族の奥さんをお店の方が紹介してくださった。同じ神戸出身だというので(^^)寿司屋のご主人、誰がどこ出身が絶対忘れず、共通点があるお客同士を引き合わせるのがお得意なのだ。
意外に、東京はあまり神戸から来た人に会わないところだと私は常々思っているが、その方もそう言っていた。神戸はそれなりに居心地いい街だからかな。昔、私の友人知人は誰も一切上京したいという夢を持っていなかった。私にしても、東京への憧憬を感じた事はなく、一生神戸に住み続ける覚悟だった。今でも時々、なぜ神戸ではないところに自分が住んでいるのか不思議に感じる時がある。その奥さんも同じことを言っていた。
でも住めば都で、私はもう、今住んでいる街が好きだ。たぶん、今までに住んだどの街よりも田舎だと思う。なんといっても自然が豊かなことに驚く。川には鴨が住み着き、鷺をはじめとした知らない野鳥も飛んで来て、鯉もたくさん泳ぎ、たぬきやヘビも出没する。我が家の前の団地の庭には膨大な数のたんぽぽが咲き、今、そこには無数の綿毛がゆれていて、子供達は毎日歓声をあげてそこへ飛び込み、たくさんタンポポの綿毛を摘んでは吹き飛ばす遊びに熱中する。池にはおたまじゃくしやあめんぼがいっぱい。四季折々の花があふれる道。車2台がすれ違うのも困難を極める細くて曲がった道路。まさにたんぼのあぜ道をただそのままアスファルトで覆っただけでできあがってしまった街である。私の実家は海と山に挟まれて、近くに松原と砂浜があったにせよ、ここよりもっとコンクリートジャングルだった。転勤で住んだ名古屋も広島も福岡も便利なところを選んだせいか、これほどに自然豊かじゃなかったし、道が広かった…。
お寿司屋のご主人に、我が家の目と鼻の先に、あの有名な黒沢監督の「7人の侍」のクライマックスシーンを撮影した野原があると聞いてびっくり。今度、さっそく行ってみよう。そういえば、娘のお友達の男の子は病院の息子さんなのだが、そこは昔、田宮二郎さん主演の「白い巨塔」で診察室の撮影に使われていたそうだ。男の子のお父さん(今は院長先生)が高校から帰って来て自宅の方のリビングルームに入ると、そこで田宮二郎さんが座って新聞を読んでいらしたと言う。やはり一度お参りしておきたい(?)場所かも知れない。こういうことはすべて、田舎だからこその醍醐味なんだろうなあ。
 私はひとりで冷酒2合を飲み、その程度で気持ちよく酔い、オットは瓶1本のビールでヘロヘロ状態で帰宅。お風呂にはいってさあ、寝ようとしたら娘が熱烈に、借りて来たビデオを見たいと言う。どうせ途中で眠ってしまうだろうとタカをくくっていたら、娘は見るほどに目を輝かせ物語の世界にはまり込み、眠気も疲れも感じない様子だった。それをみて強烈な血筋を感じた。外見はオットそっくり、中身は私そっくり。トホホ、遺伝子ってこわい。
娘につきあって最後まで観たそれは「ピーターパン2」。今、我が家の子供達の間で大ブ−ムのピーターパンの続編があることを他のビデオの予告で知って以来、娘は毎日観たがっていたのだけれど、こんな疲れた日にそれでも最後までみるとは思わず、そして「シンデレラ2」のようにそれほどには秀作でもないだろうと思っていた私は、2重に驚いたのだが、このお話は楽しくてそしてせつなくてとても素敵だったのである。最後にちらっと、ピーターと大人になったウェンディが会うシーンで、棟がジーンとしてしまった。あのウェンディーが第2次世界大戦下のロンドンで、苦労しているという設定。時代の暗さで子供達が夢を忘れ、ウェンディーの娘ジェーンも、ピーターパンのことも妖精のことも信じない。そこへフック登場。ウェンディーと間違われたジェーンは、そのままさらわれていってしまうのだ、ネヴァーランドへ。
泣き上戸になっていたのか、実は私はちょっと泣いた。娘は映画を観終わるところんと寝てしまった。ディズニーの映画ってやっぱり素晴らしいなあ。。。子供と一緒に、その良さを再確認できてよかった。


プ−リップの赤毛のアン。
この子のために、今月のイメージをアンにしたのだけれど、
期待に応える愛らしさです。
お人形はやっぱり可愛いな〜。
2004年5月7日(金)
 昨日よりはよほど元気に、登校してくれた娘。でもすぐ週末でお休みだと言うと嬉しそう。帰って来た時も楽しかったと言ってくれた。
息子の園はとにかく保育時間が短くて有名なのだが(^_^;)今日はお弁当あり。丸々4時間も空き時間があるという喜びで、まずはひさしぶりに整骨医に行った。最近また左肩凝りと頭痛があるのだ。実はストレッチ体操、サボっているせいだって分ってるんだけれどね。ひさしぶりの治療に体が喜ぶのが判る。特に肩甲骨のくぼみの部分の凝りがひどく、そこを押してもらうと激痛なんだけれど気持ちいい。足のつぼをおされて、いつになく痛いと思ったらやっぱりそこは肩甲骨につながっている部分ということだった。明日も通う事を決意。
帰宅して掃除して、ネットしていたら友人から電話があり、あれこれおしゃべりしていたら気が付くとお迎えの時間になっていた。あらら〜、レース編みでもしようと思ってたのにナ(>_<)
息子は絶好調で幼稚園で遊んでおり、いい表情をしていた。大好きな先生にこころゆくまで甘えている。つくづく、見ていると彼は、自分を可愛がってくれる人から人へ、ひらひらと巧みに泳いでいっては愛を求めて与えてもらう人生を送っている。そんなことでいいんかい?たぶん、彼の生活に落とされる唯一の影は私のカミナリくらいのものなんだろう。でも親として息子にできることは善悪のけじめをビシッ!と教え込んでおくことだと思うので、そうそういつも優しい顔はしていられない。幼稚園の先生方が優しくしてくださることで、息子はバランスがとれているようだ。
娘も元気に帰ってくる。給食の中華おこわがダメだったが、ニラたまスープは飲んでみて美味しかった!と嬉しそうに報告してくれた。でもとにかくお腹が空いているようで(学校では緊張しているせいか、空腹感もあまりないらしい)帰宅して、私が用意しておいたおにぎりを「ママ、これ美味しい、美味しいね!」と大感動しながら食べてくれた…。あの〜、残した給食、タッパーにでも詰めてお持ち帰りさせてもらえないっすかね?我が家ほど、給食代が無駄になっている家はないんじゃないかと思う。せめて私の夕食に…ううううっ(泣)
夕方からの体操教室がだるい。歩いて20分の体育館。バスを待っていたらそれも20分。娘が久しぶりの体操教室で楽しそうに体を動かしているのを見ながら、息子を見張る1時間の長い事。体育館は息子がアドレナリンをどーっと噴出する場所である。広くて、スタンド席の階段を昇り降りしたり、椅子の上をだんだんだんだん!と走ってみたり。うっかりするとスタンドから身を乗り出して、今にも落ちそうになっている。
そのたびに私は周囲の人が息を飲む程鋭い声で止める命令をだし、張り詰めた動きで息子を捕まえにいき、パシッ!と頭をはたいて叱りつける。もう、なりふり構っていられない。優雅、とか、おしゃれ、とかそんな女らしさとは程遠い状態。
息子がいる時に味わうジレンマについてそろそろ諦めないといけなのだが、孤独好きとは言っても、私も他のお母さんとおしゃべりがしたい。たわいない世間話に興じて親交を深めたい。でも、それが息子がいると落ち落ちできないのである。そのじれったさについて、あきらめがついていない部分が私の中にまだあるのだ。そのストレスから逃れるのは「諦め」なんだよね。
人は誰でも実はそうだ、と言いながらも、息子のようなやんちゃ坊主は特に、死と隣り合わせで生きている。どんな一瞬の隙に事故にあうか知れず、死なないまでも後遺症の残る怪我をした子の伝説など伝わる度に母親達は震え上がる。
体操教室終了までの1時間を、無限に長く感じさせてくれるという点で、息子に皮肉にお礼を言った。でも娘はよく体を動かして、楽しかった〜♪と頬を上気させて戻って来てくれたので、それで私の苦痛なんて一気に報われるのだ。また来週くるぜ!と体育館に言い残して去る。
育児で辛い事は、お茶の一杯も味わって飲む暇もないくらいなのに、そのくせ忍耐の待ち時間がちょこちょことたくさんあることだ、と言ったら周り中のお母さんに共感された。忙しいのに、潰さなければいけない時間がある。子供は一瞬の静止にも耐えられず、楽しみと飲み物、食べ物を要求する。はしゃぎすぎて周囲に迷惑をかけ、ぐずっては全体重をかけてこちらの腕にぶらさがってくる。子供は可愛い、可愛いけど、親離れして寂しいなんて、いつか絶対言うもんか!と思う…。
お友達がいつも好意で、帰りは車で送って下さる。背が高くすらっとしていて、知的で優しい彼女は、どこに行ってもリーダー役であり、二人の息子さんは元気だけれど基本がジェントルマン。その男らしさには、大人の女でも思わず惚れそうになる。ああ、うちの息子もこういう風に育てたい。その男の子達に娘の学校での様子を聞くと…あらら、なんだかあんまり心配しなくてもよさそうな感じ。娘なりにうまくやっていて、何よりまた、人間関係に恵まれているようだ。同級生にも上級生にも、心にかけてもらって、いつも構ってもらっているようである。
しかし、後でそれを娘に確認すると「なんのこと〜?わかんないわあ、わたし〜」と間延びした返事が帰って来て、私はがっくりと肩を落とした。頼り無い事、鬼のごとし。一生そのキャラクターで生きていくのか、娘よ。とほほ…。
疲れた私の一番の慰めはやっぱりお人形です。可愛いお人形たちと戯れている間だけ、私の心は自由になるの。これがあってよかった!


ボークスのドレスメーキングブック第2段。
ドレスでザインの素晴らしさは言う間でもないことながら、
私はイラストがめちゃめちゃ気に行ってしまいました。
お人形はやっぱりアナイスが好きな顔であることを実感〜。
MSDの男の子の服のデザインだけなかったのが残念。
2004年5月6日(木)
 連休明け、寒い。娘がブルーな顔をして登校していく。足取りが重い後ろ姿のBGMは「ドナドナド〜ナ〜、ド〜ナ〜♪」って感じだ。典型的な5月病だ。息子の方は絶好調。登園が楽しくて仕方ないらしい。私もオットと子供達がいない時間がひさしぶりにできた。習い事がない日だったので、たくさん写真をとってサイト更新。家事をしながら子供達を迎えにいったり食べさせたりしながら、1日かかる作業だった。でも楽しくていい気分転換。
 娘は楽しかったと帰って来たものの、顔には泣いた後がしっかりあった。涙と鼻水が乾いてますねえ。聞くと、朝、オットに見送られて教室へ向かう途中で「ママが心配で」泣き、給食のクリームスパゲティに「キノコがはいってて」泣き、休み時間に「大きいお兄さんの足に引っ掛かって転んじゃって」泣いたそうだ。3回も泣いたんかい!娘は大人しくて非常に押し出しの齢キャラクターなのだが、泣くとこれがものすごくうるさい。なんかこれって妖力?っていう気がするくらいで、親でさえ堪え難いのだから、今日一日娘のまわりにいた人はたまらなかったことと思う…(T_T) ちなみに最後の大きいお兄さんというのは何年生か判らなかったけれど、娘に丁寧に謝り、娘の膝の擦り傷を水道で洗ってくれ、保健室に連れていってくれたと言う。
娘には「ママは大丈夫だから!」「給食は無理して食べなくていいの。少しずつ慣れればいいんだよ」「全然怪我してないんだから、びっくりしたくらいで『わーん、わーん』って赤ちゃんみたいに泣いちゃだめ」と言い聞かせるが…。それでいいのかな〜。ナーバスになっている娘をどう励まして、ノセればいいのかよく判らない。
少しでも励ましになるかなと思って、娘が今こっているアニメ「プリキュア」のフィギュアのついたお菓子を買ってあげたら大喜び。この辺り、つくづく私の血を引いていると実感するわ〜。そんな私もまたふらふらと食玩に手がでる。「昭和おもひで」シリーズ。タカラの浴玩っす。山積みになってたからつい…。小さすぎて、お人形とはからめられないもののあまりにいい味だしてるこのシリーズ。今回は極小ドールハウスって感じなのだ。昭和の家の再現。お人形の背景に置くだけでいい雰囲気かも、なんて思ったりして。とほほ、だめじゃん〜。またコソコソとオットに内緒でクローゼットに隠す。
そのオットは名古屋に日帰り出張。私が都内のボークスが遠くていけないとブーブー文句を言っていたら、名古屋のボークスで上の写真の本を買って来てくれた♪


こんなに寒くてお天気の悪い子供の日は、子供が生まれてから初めて。
と、思ったら26年ぶりのことだと天気予報で言っていました。
午後になってやっと雨がやんだので、びしょぬれの鯉のぼりと記念撮影。
2004年5月5日(水)
 4月は娘の新入学はもちろん、いくつかの習い事のスケジュールが変わり、交際する人も微妙に変わり、とどめに子供達の嘔吐下痢症でやっぱりアップアップしていたのだけれど、この連休でかなりダメージを回復できたという実感。ビデオやDVDでとはいえ、久しぶりに映画観賞する楽しみも思い出して、今朝も朝から一本見る。北野武の「座頭市」。オットの友達にサンプルビデオを頂いて(業界ではこういうやりとりはしょっちゅうある)前から観るの、楽しみにしていたのだ。でも手に入ると余裕がでちゃってすぐに観たいと思わなくなるんだよね。もらってから1ヵ月半経過してやっと観賞。ありゃりゃ…。ちょっと期待外れ。なんとなく不完全燃焼。亡き父なら「やっぱり勝新じゃなきゃあかん」と言っただろうか。子供の頃よく一緒に観ていたけれど、もうその記憶はぼんやりとしかなく、でもなんかもっとこう、世界が濃密な雰囲気でまとまっていた気がする。これも多少スパスパ、人の手が切られてとんだりするシーンがあって、でも後味をひかないつくりになっていて、その辺はもう現代の常識なのかなあとも思うのだけれど。
午後、久しぶりに外出。お化粧するのも、携帯電話をもつのも3日ぶりだよ〜、とオットに言いながら携帯の履歴を確かめると、5月1日からのメールが開けないままあった。ありゃ、4日ぶりでしたか…。我が家は携帯の電波が悪く(地下鉄の駅ではつながるというのに。地下鉄駅より電波が悪いっていいこと?)1階でいつも電話の充電してるのだけど、そこでは全然電話は反応しない。この数日、携帯電話のことなんかまるっきり忘れていた。家族とずっと一緒だと、必要ないものなんだなあ。
普段は、肌身はなさず持っていて、忘れたりするととても不安になる。幼稚園や小学校からの呼び出しではないかとドキドキする。ほんの数年前までは誰もこんなにも携帯電話を持っていなかったのに、今はやっぱりどうしてもないと不自由だ。
久しぶり、といえば息子に対してドスのきいた声をだすのも4日ぶりくらいかも(T_T)ビデオを返しに行って、息子の熱烈リクエストでその隣のファミレスにおやつを食べに入ったのだが、大声をだすし、食器をカチャカチャ鳴らすし、椅子の上を走り、壁に這い上る。お前は猿か!!優しい甘い声で「○○○く〜ん、やめてねエ。」なーんて言っても、聞きやしないのである。パッと私の顔を見るものの、ニカっと笑って悪戯続行。となると3度目にはもう「いいかげんにしな!」とドスの聞いた声をださなくてはならない。瞬間、息子の動きは止まる。効果はある。このためにこの声は頻繁に使わないように心がけているのだが、今日のファミレスはいつもより年若い高校生グループなんかが多かったので、彼等の動きも一瞬止めてしまいました…。
「こえ〜…!」「おれンかあちゃんも、ああだった。なつかし〜かも」「ああいう風な声って、訓練したら出るのかな?」
と2ケ所くらいから聞こえて来ました、とほほ。ふん、おだまり扶養家族ども。あなた達だって、昔は原始的に動物チックだったはずだよ。きっとお母さま方は並みじゃない気苦労と体力とお金をかけてあなたたちを育ててなんとか人間にしたのさっ。みんなそうなんだよね、きっと…。でもねえ、と時々私は男の子の母たちとため息をもらし、肩をたたきあって慰めあう。本当になんて男ってしょうがない生き物なんでしょう。娘ひとりだけの母なら私は今頃毎日ヒラヒラスカートをはき、ミュールをはいて、マニキュアをした指で、優しい声で話す美しいママになっていたと思う。(妄想です)


甘い缶コーヒーは滅多に飲まないのですが、これはパッケージデザインに惹かれて購入。
上品な甘味で、量がそんなに多くないので(これって商品として褒め言葉なんだろうか)
たまにはいいなあと思ったです。
2004年5月4日(火)
 今日をいれてあと二日しかないゴールデンウィーク。実は家族全員風邪の治りかけ、というくらいの体調なので、なんの旅行の予定もいれていない今回の休日はとても具合よかった。日頃、どういうわけか家にいる時間が少ないので、家からでなくていいというのが、とても嬉しい事に思える。前からチラシにはいっていて気になっていたピザーラのパスタの宅配も頼んでみる。安くないけど美味しくて、エンジェルブルーデザインの陶器の小鉢を二つもらった。4種類あるようで、代表的なナカムラくんとハナちゃんのもの以外に、おほほパンダとスイートデビルちゃんがある。しくしく、いずれのこり2つも揃えなくては。ああ、なにかというとこんなのばっかり。
 数年ぶりにゲームに手を出す。最後にゲームをしたのは、このHP開設の前年の夏から秋にかけてで、「ドラゴンクエスト・エデンの戦士達」だった。幼い子供達を寝かし付けたり、勝手に遊べるように玩具やビデオで工夫したり、時には息子に授乳しながらプレイするというのめりこみようで、オットに注意を受け母に非難され、秋の私の誕生日に開設するつもりだったサイトは結局翌年のお正月明けに延期された。それくらい、私はRPGゲームが好きだ。子育てに支障があるので以降、ドラクエの新作が発売されないのを天の助けと喜び、早いペースででるファイナルファンタジーは我慢し続けてきた。人形と同じでゲームも待ってくれるさ、と思って来たのだが、最近ビーズアクセサリーつくりをはじめて、ふと自分の生活に生まれた余裕に気がついたのだ。ビーズアクセサリーは流行し出した当時、我が家の子供達は小さすぎて、なんでも口にいれる状態。私にずっとまとわりついていて、体がすっきりと空いていた事がなく、細かな作業に着手するのはどう考えてもできないと諦めていたのだが、気が付くと、「ママは今これつくってるから、そばにあまりこないでね。来る時はそっとね?」というと、娘は「うんママ分った。頑張ってね」と応援してくれ、息子まで私が作業しているそばをよけて走り抜けていく気の使いよう。夢のようである。おおお、子供って本当に成長するのねっ!
そんな子供達を横にして、久しぶりにプレイステーション2をDVD再生プレーヤーとしてではなく、主体のゲーム機として起動させてみた。ソフトはオットが先週買って来てくれた「ドラゴンクエスト」天空の花嫁」スーパーファミコンソフトで出ていたもののプレステ2ソフトとしての再販である。子供達はたちまちのめりこんだ。
娘は物語を理解し、コントローラーをぎこちないながらも動かしはじめる。息子はモンスターがでてきて主人公達がやっつける音がするたびに「アイヤッ!」という声をかけ、モンスターが全て倒されると「ヤッタ〜!」と歓声をあげる。長いダンジョンは途中でダメになるものの、十分一緒に楽しめるようになったのだと感無量。
 映画も観る。クウェンティ・タランティーノ監督の「キル・ビル vol.1」を観てびっくり。とろんと眠た気だったオットが一気に覚醒する。非現実的なヴァイオレンス。汚辱を描きながらそれが生々しくない。これって最近の傾向なのだろうか?呆れる程過激で汚く残酷なものに焦点をあてているのに、ある種の美意識で統一されているせいかまとまった一つの世界として突き放して観ることができる。人の生命とその断末魔を軽々しく描くのを非難がましい気持ちでみる必要を感じない。あ、これはひとつのこういう芸術なのね、と納得できる感じ。日頃、私が観ないタイプの映画なので面白かった。ユマ・サーマンが好きだったから観たのだけど、ル−シ−・リュ−も出ていてよかった。ユマってけっこうガタイのいい女だったのね…。なんか少女の頃の彼女の儚気なイメージは崩れたけれど(笑)
ただあまりにも人の首や腕がスパンスパンと日本刀で切り落とされるので、子供達を子供部屋に追い払うのに苦労した。なんていうかね〜、これも人間の性かと感心したのだけど、戦闘ヒーローものさえまともに観たがらない我が家の子供がちがこの映画には惹き付けられてしまったらしく、どんなに「あっちに行きなさい」と追いやってもこっそり戻って来て後ろから観ているのである。まあ、私の親もあまり子供への配慮とか関係無しに、チャールズ・ブロンソンとかクリント・イーストウッド(亡き父が大ファンだったのだ。あと仁侠映画ね…)の映画を私にたっぷり見せてくれたものだけど。私は生来汗臭い男の暴力に対するロマンチシズムには理解が疎くて、この道にはのめりこまなかった。たぶん我が家の子供達も大丈夫だろう…。この世に理不尽な暴力と悪意があるということを映画を通して学習しておくのもいいのかもしれない。
 やっぱり期待していなかったのに面白かったのはジョニー・デップ主演の「パイレーツ・オブ・カリビアン」ディズニー映画で、あのディズニーランドのアトラクションの一つ「カリブの海賊」をモチーフにした映画である。知り合いの男性が「面白くなかったでもジョニー・デップはカッコよかったっすよ」というのが面白かったので観てみようかなと思い、この間のアカデミー賞授与式で見掛けたジョニー・デップが本当にかっこよくて「えっ!?この人、こんなに男前だったっけ!?」と驚いたという動機も重なり、気乗りしないオットを誘ってみる。
またしてもオット覚醒。面白かった!ジョニーの間抜けなカッコ良さ、最高だった。ヒラヒラと踊るような仕種。今まで何本も彼の映画を観て来て、はじめて心から好きだと思ってしまった。メインキャストの一人、ウィル・タ−ナ−役の人が誰か重要な人だった、すごく気になる人と悩み続けて最後まで。私ってバカ。最後にキャストのテロップを見て気付く。オーランド・ブルーム、「ロード・オブ・ザ・リング」のレゴラスじゃないの!嬉しい吃驚だった。
 と、こんな風に休日を過ごすのが贅沢でいい気持ち。亡くなった祖母もきっと「ええねえ」と頷いてくれていると思う。
 祖母は柔軟な人で、大澤誉志幸のビデオさえ一緒に観て「この人のこのかすれた声は、神様がこの人にだけ与えたええ個性やねえ。顔の表情や踊り方がええねえ」とうなずき、私達と一緒にどんなドラマも映画も楽しんだ。
「私は退屈を知らん」
というのが祖母の口癖だった。和裁はもとより、日本刺繍にビーズ細工、木目込み人形作り、千代紙人超作り、貼り絵、ちぎり絵、日本舞踊に謡と三味線、できることには何でも手を出し楽しみつくし、着物の着付けを人に教えたりもしていた。テレビもラジオも観劇も大好きで、住まいの大阪から大好きな京都へと足腰が不自由になるまでせっせと通い続けていた。
「一日が今の2倍あっても私には足りへん」
繰り返し言っていた。6人の子供を育て上げ、祖父が亡くなって一時一人暮らしになっても「寂しい、というよりは気楽。毎日忙しくて楽しい」と言っていた。祖母のあの精神を、もしかしてどこかで私は受け継いでいるのかも知れない…、ほんの少し、少しだけね。


ソニープラザで私の母がひとめぼれして息子に買ってくれた、ドイツの木の積み木。
可愛い街並ができるの。いつかお人形とからめて写真を撮るのが楽しみ。
2004年5月3日(月)
 我が家のCDの枚数は2000枚を超える。そのくせ、メインのリビングにある棚には最低限度のお気に入りCDはわずかで、別に聞かないものがぎっしり詰め込まれている。かねがねこの状況をなんとかしたいと思っていたので、今日は私が主導権をとって整理整頓、掃除。3時間で済むかとタカをくくっていた仕事に丸1日かかってしまった。膨大な蔵書も共にきっちり整理したからだ。
身も心もボロボロ…。でも長年、「あの納戸の一番奥の下に、私が大好きなCDがあるのよお〜〜〜〜!」というストレスな叫びを抱えていたものが解消されて、本当にスッキリ。なんのかんの言いながら子供が成長してくれて、私もCDを聞いたりする余裕が出て来たのね。
災難もひとつ。ううう、普段オットが開けもしないクローゼットを開けて、こっそり隠しためておいた食玩類を発見されてしまった。
「ああっ!お前、シルバニアファミリーにまで手をだしてたのかっ!?」
や〜ん、まだほんのちょっと入り口に立っただけよ〜!なんて余計な汗をかいてしまった。
でもその玩具の数だけ私にもストレスがあるんだからね、フン。あなたは仕事にかこつけて美味しいものを食べ歩いたり、歌いにいったり、なんだかんだいって好きな人としかつきあってないでしょ!?私が毎日、子供をめぐるおつき合いでどれだけ消耗してるか判る?家事は重労働なのよ!
とオットの非難を迎え撃つ言葉の弾丸を用意して待っていたら、オットは何もいわずにパタンとクローゼットのドアを閉めて去っていった。むむむ、結構成長したようだわ、彼も。
でも、ちぇっ。ゴールデンウィークももう半分以上終わり。短いっ(-_-#)


息子の五月人形。おひげが立派な武将さんです。

2004年5月2日(日)
 早朝の電話はいつも、嫌な予感を私にさせる。平日なら朝7時30分の電話はあり得る。子供達が通う園や学校関係の誰かからの連絡などだから。でも今日と言う休日のこの時間の電話は…。
予感は的中。祖母が他界した。

 大正2年生まれ。享年91才。お世辞にも、安穏とした人生だったとは言えない生涯を、ついに祖母は全うした。

 精神はもうとうに、この世を離れていた。元気だった頃の祖母自身がよく言っていた事だ。御長寿とはいえ、体は医学で生かされ続けていても、魂はもうこの世を離れて彼岸に逝ってしまっている人がたくさんいる、と。ああならずに死ねたらいいねえ、というのが祖母の願いだったが、それは果たされなかったのだ。
 最後に私が祖母と話したのは5年前。お正月に私が送った年賀状の、1才の娘の写真が愛らしいと喜び、さらに私が二人目を妊娠しているということを喜んで、大阪から、当時私が住んでいた名古屋まで電話をくれて「電話代なんか気にせんでもよろしい」とたくさんおしゃべりした。
祖母はやはり昔の人なので、「一姫ニ太郎がええなあ」と何度も言った。綺麗で可愛いもの好きな祖母は、女の子が一人はおらな、家が殺風景でかなわんで、その点あんたはもうええ、そやけどねえ、男の子も産まんと嫁ぎ先の家に悪いやろ?お腹の子が男の子やったらこんなに嬉しい事はないわねえ、と言うのが私にはおかしかった。昔の女の勤めはとにかく、嫁してその家の跡継ぎたる男児を産むことだという思想なんだなあ、と実感できて。
そう言いながらフォローに、でも男やからええ、いうもんでもないしなあと、祖母お得意の昔話を披露してくれたものだった。
 半年後、私は息子を産んだが、喜んでくれるである祖母の精神は、その時もうこの世を離れていた。ある日を境に急速に、祖母の魂はたくさんの思い出の人々が待つ涅槃の岸に旅立ってしまったらしいのである。そして後に残された体だけが、5年の歳月をかけて、ゆっくりとその3つの時代にまたがった人生の役目を終える支度についたのだった。

 母と妹から、我が家が今全員体調が万全ではない事、東京から駆け付けなくても、葬儀は最低限度小規模にして(もう祖母が親しくしていた血族も、友人も存命ではないのだ。5年前から誰とも交際していないというのもある)明朝10時からさっと済ませてしまうので、来なくてもいいと言われた。オットと話し合う。母からも妹からも何度も電話があり、くれぐれも無理をしないで、あとでゆっくり墓参すれば良い、位牌はいつでも叔父が持っているからと言われた。結局、葬儀に大阪へと駆け付けるのは断念することを決定。

 朝食を家族に作り、自分も食べ、後片付けをしながら、ぼろっと涙が落ちて来た。鼻水をすすりながら、私は祖母に聞いたたくさんの話の一部を、オットにとりとめもなく話し続けた。
祖母は家事が大っ嫌いで、料理がまずく、掃除下手で有名だった。和裁で何十年も家族のために働き続け、6人の子供を育てたが、仕事である和裁への情熱はすさまじいものがあり、そのために母としては不十分だったと何十年も私は母の繰り言をきかされてきた。祖母は日本の伝統芸術をこよなくあいし、かつ洋画が好き。「わたしなあ、永遠の少女趣味なんよ」というのが祖母の口癖だった。
祖母の昔語りは、私の母やその兄弟達には「嘘ばっかり」と話半分に聞かれていたけれど、不思議に満ちていて、今市子さんの「百鬼夜行抄」の世界に通じるものがあった。ともすればふと、この世とあの世を隔てるものはわずか薄もの1枚の布のようなものでしかないと言い、現実の世界をたくさんの魔物と神が入り交じって歩いている、自在に人に乗り移って気紛れに人をあやつって笑っている、と言っていた。

わがままで、明るくて、のんきで、好きなように癇癪をおこし、身勝手で、でも根本的には人が好きで、気が付いたときには人に対してとても親切な祖母は、周りの人を振り回し続けた。6人兄弟の2番目、長女の母は一番の祖母の被害者で恨み骨髄。でも今朝から号泣しつづけている。

祖母はわたしのことも気紛れに愛した。祖母は自分の血族寄りの顔だちが好きで、その顔を受け継いで生まれた子を愛したが、それは孫にまで遺伝されなかった。私は祖父に激似と言われている。その祖父と祖母はけっして相思相愛でもない、親に決められて結婚した相手であり、祖父が先になくなって10年以上たってもまだ祖母は悪口を言い続けていたものだ。
「でもね」祖母は私に対するフォローでいうのだった。「お前は顔はおじいちゃんそっくりだけど、性質やものの考え方は私の家の人の心だと思うよ」…あまり有り難くなかった…。
 祖母がよく言っていた事のひとつに、「人は死ぬと、自分が好きな年令にもどってその姿形を持つのよ」というのがあった。
 今、祖母はどんな姿をして、誰にまっ先に会いにいっているのだろう。


息子の幼稚園の鯉のぼり。大きくて個性的。
たぶん、手作り。
2004年5月1日(土)
 息子の幼稚園で一足早く、子供の日のイベントがあった。朝から家族で並んで場所とり。おかげで楽しく観覧できて、また息子への幼稚園からの心配りに感動する光景がたくさんあり、嬉しかった。昨年は、みんなと同じ席にいることすら嫌がって、私のもとに駆け戻って来てずっと愚図っていた事を思えば、演技に参加せずずっと動物図鑑に読みふけっていたことなど、ささいなことだ………。主任先生も、その場にいられただけで素晴らしいと言って下さったし、それでいいってことにしておこう(汗)
ちまきを頂いて帰り、近くの商店街でパスタでランチ。オットが妙に¥100ショップに行きたがると思ったら細々とした収納用品を買い、帰宅するなり私のお尻をたたいて冷蔵庫掃除をさせた〜(涙)ひえ〜ん、予定外ですぅ。ゴールデンウィークはのんびりする気満々だったのに!そ、そんなに冷蔵庫のことを気にしていたのオット?
「あれ、なんだ、案外綺麗だな」
だと!?馬鹿にするない!これでも専業主婦、できることは精一杯やって食い扶持かせいでるつもりだよっ。…でもね、干涸びた梅干しとか、もう使えない過去の子供の風邪薬とか、我が家の子供が滅多に食べないお菓子の古くなったものとかでてきて(赤面)結局は綺麗に掃除できてよかったのだけど。ついでだから洗面所の引きだしも綺麗に整頓。気持ちがスッキリしたけれど、体はくたくた。オットが手帳に書き込んでいるスケジュールを見ると、まだまだ私に色々やらせるつもりのようだ…。少しは遊ばせて〜!と思っていたら、映画を1本、観させてくれた。レンタルしてきていたDVDで、メグ・ライアンとビリー・クリスタルの「恋人達の予感」を観る。婚約中にオットと観たのだけど、彼は綺麗さっぱり忘れていて。私は当時よりよほど実感をこめて観た。ユニークな映画であることを確認して満足。
DVDを返しに行って、また新しく借りる。GWの楽しみ楽しみ♪隣のファミレスに子供達がはいりたがったので、そこで早めの夕食を食べさせて夫婦はゆっくりコーヒーを飲んで、スケジュールの確認。母の日のプレゼントについても相談。
 もう1年の3分の1は終わってしまった。新年に際してたてた目標のうち「人形はあまり買わない」は全く守れておらず、早寝早起きも、早寝だけできていない。つまり毎日睡眠時間が短くて、たぶん近い内に体調を崩してしまいそうなので、やっぱりちゃんと寝ることを心掛けようと思う。眠る前の読書に、面白すぎる本を選ぶのは止めよう…。お人形も買うのはやめにしましょうと思っていたら、ショップから激安セールのメールが。ううう、またポチしてしまったよ。だめじゃん〜(>_<)