もしかしてオット初登場?
これから蜂の駆除に行くところです(^_^;)
6月最後の日記の映像がこんなのとはナサケナイ!

2004年6月30日(水) 
 朝から雷は鳴るわ、このホームページのサーバーはダウンするわ、さんざんである。年に1回くらいサーバーダウンするのだが、これはけっこう凹む。よりによって月末に落ちなくてもいいだろうに!
サイトを開設するときの私の心構えは「メモ」であった。それまでの私は、ノートに普通の写真を貼り、手書きで説明分を書き、得々として自分のお人形日記をつけて喜んでいたのだ。私はそれで大満足だったが、オットは傍で見ていてかなりイライラしたらしく、パソコンを使え、ホームページをつくってみろと言った。とりあわない私に、妹が「お姉ちゃんのiMacOS9にはページミルっていうHP作成ソフトがあるんだから、今すぐできるよ、タダで」と言う。主婦はタダという言葉に弱い。だまされやすい。画像加工ソフトも人のを借りてインストールした。サーバーもカウンターもレンタルした。日記は自分で色々アレンジしたかったので、普通のファイルとして作成することにした。オットがデジカメ買って、撮り方とパソコンへの取り込み方を教えてくれた。
なんとなく自分では半信半疑のままサイト開設に向けて動き出したのだった。
そのときにメモとしてのお人形の記録は多分、私が相当なおばあちゃんになるまで続くだろう、だったら容量が多い無料レンタルサーバーがいいな、と思って探したのが今のところである。人生に予想外のことはつきもので、今も私自身の老後の楽しみという基本理念は代わっていないのだけれど(笑)、たくさんの方が見て楽しんでくださることが判り、ひとりよがりに走りすぎない、お人形を買おうかどうしようか悩んでいる人の判断基準になるようなページ作りをする楽しみが私の中に生まれた。どこかのお人形と誰かを結びつけるきっかけに少しでもなれるなら、こんなに嬉しいことはない。あまり「人形者」という言葉は好きではないけれど(「レア』という言葉もあまり好きではないの。差別用語のようで)あえていうなら人形者冥利に尽きる。
だからサーバーダウンはへこむのよ。

夕暮れ、蜂が活動をやめた頃を見計らってオットが蜂退治に行く。どういうわけか家にタイガーマスクがあったので、それをかぶり、蜂を刺激しないように白い服装がベストだというので、ユニクロで買った安いコートを着て出陣。蜂は案外、ほかの虫より殺虫剤に弱いそうだ。できれば自主的に退去して欲しかったが話が分かる相手でもなく、仕方ないのでお命ちょうだいいたします、ということになった。うちにもお隣にも小さな子供がいるのでね。弱肉強食の自然の理ということで退治させてもらいます。


ずっと欲しかった本を買ってみました。
別に娘に発表会の予定はないのですが、シンプルで素敵なドレスの作り方を
眺めているだけで幸せなのです。

2004年6月29日(火)
 朝、出かける前に洗濯物を干す。急いでいたのでいささか乱暴に思い切りよく物干竿にひっかけたら、とたんにブワッと蜂が、アシナガバチが7、8匹舞い上がってた。仰天してとっさに窓を閉めた。危機一髪。蜂は洗濯物に襲われたと思ってか洗濯物にからみつき、飛び回り、どう攻撃しようか思いあぐねているようす。悲鳴をあげてしまった。2匹以上の蜂の集団って怖くて、おぞましいものです。オットと二人で「巣だ〜」とうめく。外にでてみて眺めると、我が家の外壁に直径7、8センチの巣ができていた。おとといは確かになかった。昨日は色々予定があって、お天気もあやしげだったので洗濯物を外に干さず、浴室に干して行ったのだ。その1日の隙にどこかからやってきたアシナガバチが我が家に住むことを決めて実行に移したらしい。保健所に電話すると、今、蜂の巣の駆除に忙しくて予約でいっぱいなので、半月後まで行けないと言う。業者にたのめば万単位の仕事。すっかり意気消沈。駆除はオットが自らすることになった。ホームセンターで7メートル手前からジェット噴射できるという蜂用殺虫剤を買う。息子の幼稚園の先生に伺うと、巣の駆除は簡単だとのこと。先生はなんでも器用にこなせるし、臨機応変で抜群に聡明、運動神経も抜群なのできっと容易いことなのでしょう…。うちのオットには無理ですぅ。
数年前に名古屋に住んでいたときもマンションだったにも関わらず、緑あふれる環境のせいか、ベランダに蜂の巣が作られかけ、そのときもオットが決死の駆除をしたのだった。あのスリルとサスペンスふたたび、という感じである。
それはさておき、友人とランチ。新しくできたパスタのお店が良いらしいと聞いて初訪問。美味しかったけれど、風変わり。ワインが(午前11:30からお酒解禁ということに決めている私)普通の飲み水用グラスででてくる。暖かい、プレーンなコーヒーと紅茶ではなく、それ以外のソフトドリンクがお変わり自由。店員はみな、沢谷かホスト風。会計レジはもうけられておらず、各自席をたつ前にテーブルで清算をすませる。パスタも面白いメニューが並ぶ。友人が頼んだある川の名前がついたパスタは、それは…ラーメンだった…。それがパスタ風に盛りつけてある。友人は決して味オンチではなく、ましてや無粋な人ではないのだが、ラーメンよ、これはラーメンよと言い張る。私が食べたのは枝豆と生ハムのウォッカソースのパスタ。こってりしてボリュームがあり、美味しかったが平らげる頃にはふわ〜っとなっていたので、やはり伊達にウォッカを名乗ってはいなかったようである。大変な行列ができていて。うーん、ユーニークだけれど、それほどのお店かどうかは納得しかねる。ランチにワインをつけて¥1900というのはまあこの辺の相場である。一番印象が良かったのはお店のひとが男女をとわずさわやかで明るく、親切で丁寧、友人曰く、男の子たちはホスト風ということだろうか。よく考えたら生ホストにあったことがないのではっきりとは断言しかねるのですけれど。
蜂はそれ以降、さほど活動していないように見えた。夕方の時点で、巣がそう大きくなったようにも見えない。しかしやはり迷惑な居候である。早々に退去してくださ〜い(涙


ファインディング・ニモのDVDを買ったらついていたオマケ。
リールみたいになっているて、キーホルダー?よく判りません。

2004年6月28日(月)
 ビーズ以外で自分のものをつくるというのが楽しい。セーターを仕上げた勢いで、懸案の帽子も編み始めた。自我流なので試行錯誤、どんなでたらめのものができるか判らないけど、それが楽しいのだ。編み物のいいところは、家事育児の合間合間にできること。ほかのてづくりものは、私は一気に仕上げてしまいたい、そうでなければしたくないと思ってしまう。育児家事で時間が寸断されるのが苦痛だ。ビーズは少なくとも、1時間しないで完成できるからまだいいのだが洋裁となるとせめて裁断までだけは一気にせずにいられない。ところが一旦集中力が切れてしまうと、あとは縫うだけになっているにも関わらず、もう一度取り組むところまでいくのが大変。今が夏というのもあるかな〜。蒸し暑い日々が続く中、衣類はひたすらコットン。着心地がよく汗をすってくれるからこれぞ人類の友よ、なんて思うのだが毎日洗濯して、そしてアイロンかけが山のようにできる。アイロンをなまけたくて、洗濯物として干すときにピンピンにのばしておくのだが、乾いてみるとやっぱりアイロンでピシッとさせたいと思う。アイロン掛けで結構、時間ばかりか気力と体力を吸い取られてしまう軟弱者の私が、洋裁のまねごとにたどり着けるのはいつだろうか。その点、編み物は寸断されても大丈夫。目数をまちがえないようにさえすれば…ううん、人にあげるものでも、ましてや売るものでもないので、間違えても適当にごまかせる。そんなラフさも私には合っている。

 がんばっているお母さんがいて、全然知り合いではないけれど、同性として、同じ母親として、遠くから好感をもって眺めていた。その方とは偶然、結婚記念日が近いし、不妊に悩んだ、ということも一致していて、私が勝手に親近感を持っているのである。でもその人の具合が最近よくないらしい。噂ではたぶん、その人の子供さんが、うちの息子と同じ状態になってきたということだ。それは私はずいぶん早い時期からそうではないかと思っていたので、かえって皆の口にのぼりだしてからギョッとしたのだけれど。だとしたら。今、その人がどれほどの苦しみの渦中にいるか、私には痛いほど判る。噂でしかないけれど、以前はあれほど元気で、年齢以上に発達の良さと聡明さを見せていたお子さんの姿もついぞ見かけなくなった。その年頃が、いやになるほど私の息子の発症時期(というのかどうか。自閉は先天的障害だから)と一致する。言葉をかわすこともない人だけれど、苦しみはわかるだけ、遠くから祈るような気持ちで応援している。


右側、初代プーリップ、左が今年の4月に発売されたもの。
登場して1年たっていないのに、プーリップの進化はすごい。

2004年6月27日(日)
 今日も朝から忙しい。オットが休みの時はとにかく、彼が一緒のときに限る買い物をする。新居入りする義妹たちのためにささやかなりとも生活必需品の一部くらい持って行ってあげたかったし、私も目新しいものを見たくて、いつもより遠いところにある大きめのホームセンターに行った。何度か足を運んでいるのだがいつも急いでいる状態だったため、必要なものだけさっと買ってさっと出るということしかしたことがなく、ゆっくり見て回るのは初めて。ペットコーナーが大きくて充実していたのでびっくり、子供たちは大喜び。私も思わずセキセイインコのヒナを買いたくなった。いや、これ以上世話するものはダメ〜!と思いとどまったけど。身の程知らずにもオットがそろそろ犬を飼ってもいいんじゃないかなどと言い出す。それはそれは。アナタは結構でしょうともさっ。自分の世話も自分でしてないんだから。オットはパピヨンを飼いたいといい、それくらいなら私も世話しやすいだろうと考えているようだ。パピヨンの方が自分のことは自分でできたりしてね(>▽<)
買い物を終えて義妹の家に向かうとちょうど引っ越し作業の真っ最中で、スーツケースを開けていた。1歳半の甥と初めて会う。可愛い。8歳の姪がすっかりお姉さんになっていることに感激。お別れしたときは幼稚園年長組だったのである。大人にと手は2年半というのはあっという間のことだが、子供にはとても長い時期だし、引っ越しも大きな影響をあたえることもある。子供たちが元気そうでよかったと微笑ましく眺める。とりあえず、義妹ファミリーは時差ぼけで午前1時に目がさめてしまったといい、眠くて辛いと言っていた。でもアメリカの食事のまずさとお風呂の不快適さのお話などで盛り上がる。アメリカの方はあまり食事に興味がないのだという。そうか〜。「大草原の小さな家」シリーズを読んでいると、ローラたちのおかあさんがつくる素朴だけれど美味しそうなお料理がたくさん出てくる。子供の頃から愛読した少女小説は皆そうで、料理と手芸の描写が素晴らしい。着せ替え人形も素敵だし、やっぱりアメリカへの憧れは強いのだけど、私には住み心地悪そうだわ。
帰宅後、オットと娘をメインに、家にあるハリー・ポッターの1、2の映画のDVDを鑑賞。水曜日にふたりで新作映画を見に行くためのおさらいである。主演のみんながすっかり成長していることに、予告を見ては感心していたが、ロン役の少年が来日しているニュースを見て、その感慨を新たに持つ。子供の成長って早いね!
映画を見ながらの手仕事に編み物。サマーニットの袖無しセーターを完成させる。実はこれは7年越しに完成を見たのだ。
これを編んでいる時、妊娠中だった私は前置胎盤であることが発覚、急な大出血の可能性に気をつけ、絶対に家から動かないように、家事はいっさいしないように、できればお風呂にも入ってほしくないくらいだと医者から言われた。急遽、神戸から母を呼び家事を手伝ってもらっていたが退屈なので編み物くらいはいいだろうとしていたら、恐れていた出血がおこり、以降、38週で娘を生むまで5週間以上入院することになった。セーターはその時、私が病院に運び込まれる寸前まで編まれていた形のまま、あとは襟ぐりを仕上げればいいだけの状態でゴム編みをやりかけのまま、収納箱にはいっていたのである。その後の怒濤の育児人生でこのセーターのことは完全に忘れ切っていた。それが先々週、サマーニットで自分の帽子を編んでみようと思い立ったときに、ひょっこり出てきて、私はとてもびっくりしたのだ。どうしてこの存在を忘れていたのかと。
どうなることかと思い、結局命がけで出産することになった娘も先々週に7歳になり、当時は夢にも思い描かなかった息子と言う存在もいる。横浜の家から名古屋福岡と移り住み、東京に戻ってからも家を2軒代わった。そして今やっと多少なりとも安定を感じ始めている。かなり激変した生活をを思い返し、バタバタした毎日だけどこれでも平和なんだと噛み締めながら、襟ぐりのゴム編みを仕上げてセーターを完成させた。私の人生ってなに。

 
実はここ半月ほど、ずっと菜箸なしで不自由していました。
でも気に入るものがみつからなければ極力買い物しないのが私の主義。
やっとこれを見つけ、妥協線に達していたので購入。
若い頃は無理してシンプル&シャープデザインでインテリアを統一しようとしてたけど、
娘の誕生と同時にラブリーの坂を転げ落ちてる我が家。
菜箸も娘が卵焼きを作るときにニコニコする顔が見たくて、選定。

2004年6月26日(土)
 朝から忙しい。オットが休みで家にいる分、雑用が増えるのだ。あれがない、これがない、どこにあるとしょっちゅうきいてくる。それはつまり、私に探せということである。朝食を作ると同時に洗濯機をまわし、子供たちばかりかオットの服も用意して子供には着替えさせ、娘の髪を結い、朝食を食べさせて後片付けをして…という合間にオットからのいろんなつまらない要望がはいる。自分のモノくらい自分で片付けろっつーの。知らないでしょ、イチイチあなたがどこかに置き忘れたものなんか。朝食が済み、自分の用がなくなるとオットはゆったりリビングに座り込み、新聞を楽しんで読む。私は洗濯物を干し、子供たちの上靴を洗い、掃除をする。娘の塾の宿題もさせなければならず、息子がまたオットの血筋をひいた本領を発揮して、さまざまな要求を私に求めてまとわりつく。起きて1時間半〜2時間の間フル回転である。そこへオットが「さあ、早くでかけないと」と声をかけてくる。…爆発である。3分後、まめまめしくオットは自分にできることをしはじめる。最初からしろっつーの。数週間おきに、同じテーマで私に叱られてますな。恒例の子供たちの習い事に付き添いまくり(こうとしか言いようがない)、合間に義妹たちの新居に、我が家の客用布団などを運び込む。アメリカから帰国した義妹ファミリーが我が家からく4キロほど離れたところに引っ越してくることになったのだ。私たちが下見して決めた借家なので妙な愛着もあり、オットは喜んでいる。
すべての予定を消化して気がつけば夕方。ゆっくりお茶も飲んでいないことにため息をつき、夕食前のひととき、リビングにへたり込む。気分転換に頭を使わない痛快な映画を見たくて、「チャーリーズ・エンジェル フルスロットル」を借りてきて観た。馬鹿馬鹿しくて楽しい。でも楽しさは前作の方だったなあ、やっぱり。
これよりヒットだったのは、ナイスジェニー誌が届いたことで、楽しく読みふけってしまった。今度のカレンダーガールは久しぶりに結構買うかも。お人形を買うのって難しい。何気なく売っているといつでも買える気がして購入を先送りし、後で後悔する。昨年も一昨年も、なんとなく買いのがしていたカレンダーガール。これからはきちんとチェックしよう。そう、やっぱり私はジェニーが好きなのだ。
このサイトのドールコンテンツもトップにジェニーを置いているのは、私の人形の歴史の数十年ぶりの再開が彼女との出会いだったため。サイト立ち上げた頃の写真は赤面者のへたくそぶりだけれど、いずれちゃんと撮り直していこうと思っている。
私の中ではジェニーもなおざりにできないのだ。
それにしてもカレンダーガールを見ていて、ゴスロリフローラのしもぶくれぶりにショックを受けた。ピンクの衣装にブロンドヘアと、膨張色なのがあだになっていると思いたいが、私が大好きなフローラはこんなに下膨れだっただろうか???ミツキはいままで一体も買ったことがないのだが、今回初めて購買意欲がそそられた。新キャラのサユリちゃんがダントツで可愛い。絶対買うと思う。オスカルの扮装はぜひ買っておきたいところだけれど、やっぱりあまりに下ブクレなお人形にショック。なぜにあいこちゃんがオスカルに選ばれたの…。
でもナイスジェニー誌を見ていて一番ショックだったことは星沢奈々子ちゃんと、サヤカの見分けがつかなかったことだった。これってオバサン化が進行してるってことでは。現実面でもすでに、若い人の顔の区別がつきにくくなっている。特にグラビアアイドルと言われる人たちの見分けがつかず、いつもオットに同じことを聞いては嫌がられている。(この点、オットは決して間違うことがない。)得意の人形くらいは、ちゃんと見分けがつくようにしておきたいものだ。
いずれにせよ、奈々子ちゃんが可愛い。私はどうも姫カットに弱いのである。子供の頃、朝丘めぐみさんが好きで、「うわさの姫子」っていう漫画も好きだったせいね、きっと。


すごく成長しつつある朝顔。生命の勢いを感じます。

2004年6月25日(金)
 朝、通園の時間になって急に雨が振り出し、それがどんどん強くなってきた。私は歩き一辺倒人間で自転車にも乗らないのだけれど、正直、それで不自由すぎる生活でもない。雨は憂鬱だけど、子供一人だけならそう困ることもない。息子にカエルのレインコートを着せて幼稚園に送りとどけて、それから駅に向かって歩いて驚いた。どこのお母さんも大変なのだろう。急な雨にとまどい、子供を数人つれていれば車を利用したくもなるだろう。とっさの判断で気分が舞い上がってもいるだろう。でも勢い良く一方通行の道に反対から突っ込んできた人はあやうく人身事故を起こすところだったし、お友達のマンションの前で待っていた女性は、大渋滞を巻き起こしていた。いずれの女性も、大変な顰蹙を買い、うまく体制を立て直すのに四苦八苦状態。一旦はまると抜けるに抜けられないのが世田谷の細い細い道である。しかしどのみちもかなり交通量が多い。見た目ののどかさにだまされてうっかり車を止めるとものすごい事態になる。それが判らないのだとすると地元の人間ではないということであり、さらに周囲の人間の目は冷ややかだ。よそ者がここへ来て、迷惑かけてどうしてくれる!という感じである。顰蹙を買う車は駅近辺でよく見かける。それだけ地理に詳しくない人が、急行が止まる比較的有名な駅だからなんとかなるとタカをくくってやってしまうルール違反のあれこれだが、これは周りの人を巻き込むね〜。いずれも大型高級車を乗り回す主婦、という点が共通している。
徒歩の私まで、この2台の車が巻き起こした渋滞のおかげて道で足止めをくい、激しい雨に振られ、迷惑をこうむった。(つまり、車が通りきれずにいっぱいいっぱになるとその横を歩行者がすり抜けることさえ困難なほど、細い道なのだ。ベビーカーと車いすの人はもっと気の毒であった。怒りが収まらない様子だったのも無理はない)足元がびっしょりぬれて、やっぱりちょっとでも雨が降るなら長靴だなあとため息をつきつつ帰宅。とりあえずの家事をこなしたらもう息子のお迎え。午後からは息子のカウンセリングと、娘の体操教室。帰りはいつものお友達に送ってもらう。彼女は地元で生まれて育ったばりばりのジモッティー、信じられない細い抜け道から穴場の駐車スペースまで熟知している。基本的にご主人に頼らずに生きるのを旨としているので(笑)とてもとても頼もしい。私が車を運転するようになったら見習いたい人である。
夜、オットが買ってきたDVDを見る。「踊る大捜査線 the movie 2 レインボーブリッジを封鎖せよ」である。見ていて私の持った感想は「これってなんか、女性を馬鹿にする企画?」であった。今回メインキャストにからむ新キャラとして真矢みきさんが登場、女性警察官僚として事件の指揮をとる。これが大変嫌なキャラである。有能女性として登場するけれど、実際はそんなに出来ない。意地悪と気迫だけで周囲を傷つけ、振り回す。…そして最終的には事態に適応できず、指揮采配とれなくなり、部下に逆らわれ、有能な男性に取って代わられて消える…。同性として迷惑な役です。しかしオットが言うには男女同権を旨とするオットの会社でもやはり、女性、特に既婚子持ち女性が使いにくくて嫌だというのだった。やっぱり唐突に休む、残業せず帰る。育児の苦労は判るので、それは責めないけれど、そのくせ責任ある仕事をやらせてほしいと言う。任せてみると、なかなかやり通せない。だったら育児が終わるまで、しばらくサポートに徹すると決めて、控えめでいてくれればまだいいのだけれど、妻として母として仕事人としても完璧になってみせるという理想を追うばかりで、現実とその夢の間にできるギャップは結局、周囲の人間が埋めるのだと。女性には耳の痛い言葉である。ますます少子化に拍車がかかるかもしれない。でも女性にそういう人が多いのは事実だと私もよく知っている。私が社会復帰しても同じことになるだろう。そして子育ては仕事の片手間にできるほど簡単なものではないということも痛切に感じている。働く人はどこかで絶対、自分が知りようがない子供の側面に目をつぶるという策をとっている。その分のフォローもどこかの他人が代わってしてくれているのである。それも立派なひとつの人生の選択でかまわないのだが、割り切りが肝心だ。仕事か育児か、主軸をしっかり決めてかからないと、中途半端は周囲を巻き込みすぎるのである。実は私も仕事をしたいと思い続けているのだが、時々たま〜にしているのだが、育児を代行してくれる人が身近にいないため、実に中途半端になっている。最低限度、迷惑を他人にかけないようにするのが精一杯で、でも私には「子供の成長を見逃さない」ということが一番の人生テーマなので、仕方ないのだ。
朝からたまたま、女性の行動パターン、判断能力、感情的な部分について考えることばかり続いてしまった。映画の中で真矢みきさんが「だから女が馬鹿にされるの」という台詞をいうのだが、そうならないためにはたぶん、謙虚さと地道な努力を積み重ね、精神状態を安定させる自己制御能力が必要なのだと思う。その上でいい仕事がじゃんじゃんできれば!そういう女性がどんどん増えて行きますようにと、同じ女性として祈らずにいられない。サポートなしに生きられないのは、女も男も同じはずだものね。


夏にはいつもお庭に迎えたくなるインパチェンス。
特にこの新種の八重咲きは小さな薔薇のように愛らしくて、素敵です。

2004年6月24日(木)
 習い事が何もないととても開放感があり、あまり歩かなくてもいいんだなあと思うとスカートなどを久しぶりにはいてみようかという気になる。最近、数年ぶりにはいてみているのだが、不合理でヒラヒラして、なんか媚びまるだしよね〜スカートって、と思いながらも気分がウキウキする感じもちょっとあったりして、ヒールがある靴にも挑戦。少しの距離ならオーケー。うっかり調子に乗って歩きすぎると、足がむくんで大変なのだけど。実は気づいたのだが、活動的でどうでもいい服を着ていると私はものすごく怒りっぽくなるようなのだ(^_^;)多少なりともフェミニンしていると、気持ちに余裕ができる。明らかに形からはいるタイプだった自分のことを思い出した。つまり、優しいお母さん風の服を着ていれば、気分がちっとはそちらに近づくのではないかという…。くだらない夢想ですが。
この数年、自分が何を着るかなんてまともに考えたことがなかった。ひたすら動きやすくて汚れに対応できるもの、としか考えられなかった。それが殺伐のもとだったのかなあ。
息子を園に預け、お昼ご飯用のメロンパンを届けた後のストーキングは小1時間で切り上げ(っていうか、もうやるなって感じ?でも、せずにはいられない〜!)自分一人きりのランチタイムのために、美味しいお惣菜やさんで、ちょっと贅沢なお弁当を買って帰る。お花もいくつか買いたし、夕方庭仕事することにする。家に戻って、掃除して、家計簿つけて、お昼を食べているともうお迎えの時間である。息子を拾って一旦帰宅。一息ついてまた娘を迎えに行く。なんという炎天下。東京の夏ってこんなに暑かったでしょうか?名古屋や福岡に住んでいるときは、暑くて当然なんだ〜と思いながら過ごしていたし、考えてみたら子供が小さくて園に通っていなかったので、午後の一番暑いときはお昼寝を決め込んでいたのだ…。ま、どっちかが絶えずぐずって泣いていたので、そういう意味での暑苦しさはあるけれど。
暑さにとろけそうになるので、かえって急ぎ足では歩かない。ありふれた、でも親しみ深い景色を楽しみながら歩く。年寄りの散歩みたいである。息子は道々虫を拾い草をちぎり、まともに見ているとイライラするので、事故方面にだけ気をつけて目をそむけておくことにする。私の実家の神戸の町よりよほどに緑豊か、自然いっぱいの世田谷区。鳥なんて、鳩と雀と鴉くらいしかみたことなかったので、あららなんだか私には珍しい鳥だなあ、なんて思いながら散歩するのもいいものだ。友達のマンションの裏手に大きな竹やぶがあり、そこにはたくさんのセキセイインコが住んでいると言う。鳴き声がとてもにぎやかで、色鮮やかでとても綺麗で楽しい光景だそうだ。もちろんみんな元は飼われていた脱走鳥である。「世田谷脱走インコの会」でも結成してるのかね。今度、見物にいってみよう。
今の私が神戸の町を歩いても、誰に声をかけられることもないが、今住んでいる小さな町では友達はもちろん、かなりの人が顔見知りである。それを窮屈というより安心感でとらえられるようになっただけ、私も丸くなったのでしょうか。この程度の町並みで満足できて親しみを感じるのだから、そりゃあ赤毛のアンは熱烈に地元を愛したことでしょうねえ、なんてぼんやり思う。
 娘の小学校のプリント類が多く、読んでも読んでもなくならない。あれこれサインしたりはんこを押したり。今日はプールの授業の日でしっかりプールカードを持たせたので自信満々で送り出したのだったが、呆れたおっちょこちょいの私は印鑑を押すのを忘れていた。そのため、プールに入れなくて見学だったの、と泣きべそをかく娘に平謝り。ひえ〜、ごめんなさい!ああ、またあとでオットに叱られるよ。
我ながら自分の失敗にがっかりして、ちゃんと熱も測って、体調についてのコメントもいれてあったんだから、印鑑ぐらい抜けててもプールにいれてくれればいいじゃん?と先生を逆恨みしていたら、娘に「でも先生は優しくお話してくれたのよ」とたしなめられてしまった。反省し、頭を冷やしに小さい庭に出て、お花を植える。今日はアゲラタムとルリマツリ、アメリカンブルー。レモンバームを買ってきたのだ。ほかのお花の様子を見て、窮屈そうな子を大きな鉢に植え替える。それから秋冬用にプリムラポリアンサの種を蒔いた。何色の花が咲くかは判らない。わくわくするな。
アイロンかけて、オットのズボンのポケットの穴を繕って。娘の宿題を見て、息子にねだられてドラゴンクエストを一緒にやって。あっという間に日が暮れる。もうすぐ夏休み。子供が出かけない方が、たぶん私的には楽。あ、夏休みがくるということは、今年ももう半分終わるということなのね。

 
5年前に生まれてからたくさんの経験をさせてくれた息子。
いつか私の手を離れていくとわかっているからこそ、愛さずにはいられない(>_<)

2004年6月23日(水)

 息子が午前保育の日だと、とんでもなく忙しい。特に我が家とは駅をはさんで反対側にあるケーキ屋さん(オットが大学時代から通いつめていたお店で、お菓子の町神戸育ちの私でも美味しいと思う)にバースディケーキをとりに行き、一旦家に帰るという予定をたてていたのでなおさらである。その合間に義父への誕生日プレゼントも発送する。息子の誕生日の翌日が義父の誕生日なのである。朝から娘におじいちゃま宛の手紙を書かせてやっと発送。息子をつれて帰ると彼はまっすぐに冷蔵庫に直行。そこにすでにケーキが入っているであろうことを、はっきり知っていたのである。今すぐ食べたいと騒ぐ彼と、オットと娘が帰るまで待て!と止める私との、またまた激しい戦いがあった。息子との生活では最近、心が安らかになることがない。
義母が、子供たちへと四葉のクローバーを押し花にしたものを送ってくれていたのだが、それを娘が下校したら見せようと、封筒にいれたままテーブルの上に置いておいたら、息子が勝手にとりだしてみて、グシャグシャにしてしまった。あ〜、せっかくの幸福のおまじないがっ!彼は枯れ葉をカシャカシャいわせて崩すのが大好きで、その魅力にあらがえなかったのだろう。それにしてもショックで落ち込んでしまった。可愛いんだけど、ほんとに泣かせてくれるやんちゃである。
その息子を連れて幼児教室に行った。先生と語り合ったのだが、ちょうど5年前の今日、午後2時半に手術室に入って、3時には誕生していた息子。まさにその時間を先生方とクラスメートのお友達が祝ってくださった。
あの幸福を思い出す。立派な男の子ですよ、と告げられる気分はいいものだった。まあ最初に娘を生んでいたから、もう性別はどっちでもいいやという気楽さがあったこともあり、でも実は男子の跡取りを待望していた義父母の期待に応えられたわけで、よかったなあと思った。反面、男の子の母になる、ということに複雑な戸惑いを感じた。生まれてきた息子は笑ってしまうくらいオットにそっくりで、あの瞬間から今の性格が備わっていたように思う。おっとりしているがごまかされることがないという手強い性格。1歳半検診では素晴らしい成長と発達と賛美され、自慢で仕方なかった息子。今だって誇りに思うけれど、2歳半で自閉傾向と発覚したときの衝撃は、それまで安心していた分だけ大きすぎる反動があった。紆余曲折はあったわけで、私が一番もがき苦しんでいた当時、支えてくださったのがこの幼児教室の先生方である。そのおかげで私は毎日をなんとか送って行くことができたし、それが素晴らしい幼稚園と先生方との新しい出会いにつながった。幼児教室の先生方の励ましがなければ、とっくにボッキリ折れてしまっていただろう。
感謝して教室を辞し、娘を迎えにいく途中でオットに合う。家族そろって、お気に入りのお店にでかけてディナー。
そこで、オットが今日ちょっと困ってさと言う。何のことかと思うと、私の親友の一人に絡むお話だった。
その友人は、私が勤めていた頃の同僚である。私とオットは職場結婚で、つまり彼女とは旧知の仲ということになる。私と女の子の同僚二人、オットと同期の男の子二人は男女3人ずつの仲のいいグループになって、一緒にスキーに行ったり、ほかの会社の人たちとコンパしたり、ととても楽しく愉快に遊んでいた。女の子3人の結束は固くて、男の子3人もみんな面白くて頼りになり(みんな仕事もしっかりできて優秀だった)、会社勤めが楽しかった。思えばあの頃が一番、私が調子に乗っていた頃だろう。早々に、私がオットと結婚することになるのを前後して女の子二人も結婚、つまり女の子全員結婚退職し、残る男の子のうち一人も結婚、もう一人はあいにく長年連れ添った彼女と別れてしまったものの、希望の部署への異動が決まり、夢に向かって羽ばたき始めると言う、ドラマのような解散をした。
気がつけばあれから軽く干支を一巡り、最初に子供を二人うんだ(今はもう中学生)友人が離婚という曲がり角を曲がった。
私の友人の半数は独身である。残り半数のそのまた半数が離婚している。それぞれがより幸福になる道を模索してのことだし、いざふっきれた女の底力はすごい。前向きにがんばる人は応援してあげたくなるものだ。しかし、この友人は違った。親友としてかなり愛情を持って見守って、話をきいているにも関わらず彼女はとてもわがままで、ぐうたらだった(^_^;)綺麗な服をきてお化粧をして、会社勤めをする分には素晴らしいのだが、家事はとても苦手で、やりたがらないのだ。下のお子さんが成長してお母さん同士のおつきあいが疎遠になると同時に、彼女は鬱病になった。安定剤と睡眠薬を飲み、もともと苦手であまりしなかった家事をまったくしなくなった。ご主人は彼女が眠っている間に出勤し、彼女が眠ってから帰ってきていたので食事のすべてを外ですまし、子供たちはほぼ自炊していたようである。それは、妻として母としてヤバイんじゃないの、と2年ほどアドバイスをくりかえしているうちに、ついに旦那様に離縁を申し渡されてしまった。彼女はあわてて、自分を変える、ライフスタイルすべてをあなた好みに変えるからと旦那様に懇願したのだが、離婚を口にするまでにご主人は相当考えに考えて決断しきってしまっていたらしく、その気持ちを翻すことはできなかった。ついには彼女もあきらめ、ご主人の最後の思いやりで比較的有利に、離婚した。(オットにいわせると、そこまでしてでも別れたいというのはよくよくのことだという。ちなみにその方には愛人の影は今も全くない)
そこで。彼女は私が恐れていたある行動に、奮然と、ものすごい勢いで進み始めたのである。これは、本当に離婚した友人すべてがとるパターンなので私もたいがい慣れているのであるが…。古いアドレス帳をひっぱりだし、ちょっとでも仲良くお話した記憶がある男友達に片っ端から連絡をとりはじめるのだ…(^_^;)
どうも離婚などで受けた心の傷は、女友達の友情だけでは埋められないもののようだ、とやがて私も納得した。何らかの自信を取り戻したいと思い詰めたとき、それを言ってくれそうな、少しでも親愛感のある男性を求めるというのはきっと本能なのだ。にしてもその友人の勢いはすごかった。私が十数年忘れていたような昔の同僚の名前を言い出し、なんとか連絡がとれないか私のオットにたのんでみてくれという。多少ふざけあった会話くらいはしたかもしれないけど、今まで年賀状すらやりとりもしてなかったんでしょうに、やれやれと思いながらオットに伝えたところ、その人はずいぶん前に会社を辞めていた。それ以上はオットももともとそう親しくもなかったので調べようがないみたいと断ったのだが、彼女は大胆になり、元勤めていた会社(今も私のオットとその同期たちが勤めてます)に直接電話して古い古い知り合いを呼び出し、なんとかその人の行方を探してくれと頼んだのである。驚いた人が親切で、尋ね人してくれて、念願の彼が彼女に連絡をくれた。が、当然ながら家庭ある人であった。。。当たり前だけど。そこで彼女は方向転換をする。かつての仲良しグループのうちの一人、オットの同期である男の子(いや、今はごついオジサンだけど)が離婚して独り身なのを偶然知って、まめまめしく連絡をいれはじめた。そこで、その同期の彼がオットに「折り入って相談が…」と連絡してきて、久しぶりに一緒に昼食を食べながら、彼女を気の毒に思うし、確かに自分も独身だけど、好みなら昔にもうなんとかしてるわけで、今は今で納得できる恋人がいるし…と打ち明けてきたという。大体、メールアドレスを教えた覚えはまったくないのに、なぜ彼女は自分のメルアドを知っているのだろうか?お前か、○○リン(昔、私はそうよばれてたのよ、ポッ)が教えた?とも聞かれ、オットは無実を主張。私も教えていない。その人のメルアド、私だって知らないぞ。っていうか、友人のその気持ちが読めたので、見苦しいまねはしないように釘をさしておいたくらいである。
まあまあ、とオットはとりなし、「彼女も不本意な離婚をして寂しくて気が動揺してるんだよ。私たちお互いに独り身同士ね、ウフ♪って感じでさりげなくきても適当に受け流してやれよ」と言ったところ、彼は苦悩しながら「いや、それが全然さりげなくないんだよ」と唸ったという…。
困った。私としては彼女にわざわざもう一回釘をさしたくない。ここはひとつ、彼に耐えてもらって、適当に受け流してもらって時間の解決を待った方が良さそうだ。
彼女は今「冬のソナタ」のビデオを見ては「昔を思い出すのよ」と涙を流し、サントラ盤を聞いては、物思いに耽るというのだが、あなたいつそんな恋愛したっけ?と思わずツッコミたくなるのを押さえるのに、私も必死である。
昔、偉大なアーティストさまが「欲しいものは欲しいと言った者が勝ち〜♪」とお歌いになり、そうだそうだとみんなうなずいた。でもそうできない人もたくさんいて、そのまま独身の子もいれば、ふといい出会いに恵まれて優しい幸福をつかんだ人もいる。結婚が必ずしも幸福を保証するものでもないし、まして子供がいなければだめということなんか全然ない。絶対幸福になる方程式が存在するなら苦労はないのよ。
一日一日を精一杯誠実を尽くして生きてればいいことあるよ、と言ってみたが、彼女の反応は馬の耳に念仏。「とにかく私ひとりはだめなの、働いて一人で生きて行くのはいや、養ってくれる人をみつけなきゃ、私の子供たちを自分の子として愛してくれる人をみつけなきゃ…!」と思い詰めたフレーズを繰り返す。おそるべし。それは彼女の母の教育の賜物である。
我が家の隣家のお嬢さんは、適齢期をすぎつつあるがオットリとご両親と休日をすごし、ご両親と海外旅行などもなさっている。タカラヅカの大ファンでいらして、お母様とよく観劇にお出かけになっている。ピアノとバレエがご趣味で、ずっと習っていらっしゃるがお勤めは某一流会社である。仕事にも情熱を燃やし、誠実にきちんとがんばっていらっしゃる。何事も焦らず品よく、日々を楽しまれているご様子に私もホッと心が和む。こういうマイペースがいいじゃないですか。物欲しげな恋愛漁りは、ターゲットにされる相手の心の興をも褪めさせるようだし。
ありのままの自分で、日々、楽しんで生きていればいつかきっといいことあるはず。
私自身は何も語るべき恋愛経験がないのでアレであるが、周囲の人をみていると、波長が合う人同士の出会いはまさに、はたでみていてもピピピッ!て運命のアンテナが震えるのがわかって、ちょっとした歴史的瞬間に立ち会った気持ちになる。出会い出会いと、積極的なアンテナを張って張って張りすぎて、本来の姿を失って盛り上がって突っ走り…という恋愛は、勢いがあるままにぎやか夫婦になるか、気持ちが冷めた反動になぎ倒されてもいる。恋、とはいっても全く違う家庭や環境で育った者同士が愛をたよりに寄り添い合おうとする、それはもう、ひとつの大冒険である。無理は禁物というものなのかもね、とオットと話し合った。ま、私たちはもう傍観者でしかないんですけどネ。
帰宅後、息子待望のバースディケーキでお祝いし、プレゼントを開ける。息子のプレゼントは恐竜の図鑑と、ライオンキングのお絵描きセット、子供用トランシーバーのセットである。
にぎやかに過ごして、子供もオットも疲れて眠って。
私はやっと久しぶりの更新作業。イマイチ感がつかめていないけれど、プーリップコンテンツ、見て楽しんでくれる人がいるといいなあと思いながらアップ。
プーリップは怒濤のようにシリーズがでて、第2弾くらいからついて行きすぎないように気をつけるように私は心の中で距離を置くようになった。ファンのありようによってはお人形の流れて行く方向が私のイメージとかわって行くのかなあと思ったのだ。第一印象で、実物を見もしないでファーストを予約購入したのとはうってかわって慎重になってしまったのである。でも赤毛のアンでかなり嬉しい驚きがあり、今また改めて興味深くこのお人形の成長を見つめている。

 
娘はこの界隈では有名なピンク好き。(おかげで我が家は家まで…)
当然長靴も、天下無敵のメゾピアノのピンクで決まりです。
今年のそれは、少しスケルトンで、トロリとおいしい飴な感じです。
2004年6月22日(火)
 台風一過で晴天。っていうか晴れ過ぎ!あまりの暑さにくらくらしながら、なぜ私はこんなに町中をさすらっているのだろうと、途中で意識をなくしかけた。幸い、狭い地域で知り合いが多く、電信柱ごとくらいに知人に会うので(嘘です、大げさです。でもかなり頻繁)正気を失わずにすんだけど。なぜ町中をさすらっているかと言うと、本当に子供の送迎メインでそれだけでもうすでに、朝家をでると夕暮れまで家に帰れないのだ(号泣)もちろん合間に隙間があるのだが、それはほかのお母様との社交と必要最低限度の買い物に割り当てられて終わる。とりあえず買い物だけ済ませて帰るつもりでいても、途中で誰かと会えば、「そういえば話しておきたいことが」ということになり、私も呼ばれるうちが花かな〜と思いながらふらふらついていく。いずれ寂しくなる生活だとみんなが言うから、じゃあ、一応華やかな頃っていうのも作っておいた方が心残りがなくていいのかな、なんて思ったりして。でも確かにこの社交は有益でさまざまな地域情報を知ることになる。たとえば最近あまりにもよく見かけるあるお豆腐屋さんの売り子さん(?)は妙に若くてイケメン&可愛いこちゃんゾロイであるのだが、あれはある宗教団体の青年部隊なんだとか(笑)ま、別にお豆腐買っても勧誘はされないそうですが。
、息子のきかんきとの対決も日々、熾烈を極めるものがあり、乱暴というのではないけど、とにかく私が嫌なことをする。どろんこになるのなぞ、可愛いものである。ついに恐れていたことがやってきたというか、彼は虫にはまりはじめたのだ…(滝汗)私は何が嫌いといって、虫ほど嫌いなものはなく、見るのも嫌、触るのなんておぞましいの極地。それをやってくれちゃうようになったのだ。娘のスケジュールにあわせていると彼には待機時間、移動時間がとても多くてそれは本当に可哀そうなのだが、どのご家庭も第2子の運命は似たようなものである。上だって下のために割を食うことはたくさんあるのだから。しかし息子がみつけた「虫との触れ合い」という気晴らしは、はなはだしく私の神経に障る。あまりにすごくて最近は息子がダンゴ虫を手に1、2匹丸めて持っているのくらい、どうってことないと思えるようになってくるほどに!それほどに神経が麻痺するくらいひどいのだっっ。
手にした虫を息子はいとおしそうに頬にあてる。やめれ!と叩き落とす私の剣幕に一瞬はおどろいても決してめげない彼。母子の戦いは続く。
幼稚園から小学校までの間に、おいしいソフトクリームを売っているところがあり、近くにはペットショップがある。これが息子の降園後の狙いである。私も昨年は慣れない幼稚園で一生懸命がんばっている彼が不憫なのと、娘の帰りに時間を合わせるためとでよく利用していて、冬は寒いからやめて、それを最近再開していたのだが、これが悲惨。ソフトクリームを一時、とても上手に綺麗に食べていた彼なのに、このところの気温の高さで買った瞬間から座る場所を確保するまでの間にもうかなり溶けて流れ出し、手から腕からべとべとでバッグの上にも服にもたれる。コーンをかじるのが大好きなので、ソフトクリーム部分より先に食べてしまう。後はどうなるかというと、流れ落ち、すべてをべたべたにするクリームを野蛮なスタイルで舐めとるのである。ワイルドで素敵?と見とれられるほど、私もおめでたい人間ではない。かなりムカイラしながら横でティッシュを持って待機しつつ、ちゃんと綺麗に食べるように説得するのだが、彼は意に介さない。やっと食べ終わったかと思うとペットを見に行くと言い張る。そりゃあ動物は可愛い。生まれて間もないチワワやパピヨン、ミニチュアダックスフンドのいじらしさには胸がきゅんとなるし、ロシアンブルーやアメリカンショートヘアーなど好みのお猫さま達の優美さを見ると、神以上の造形を人間がすることなど到底できないものだと心から感じる。ハムスターやフェレットなどは値段もお手頃、リスやモモンガも、手乗りだというフクロウも白いウーパールーパーも魅力的だ。が毎日30分も眺めてりゃ飽きる。時間が切れてやっと娘を迎えにいく道を歩くとき、ここまでさんざんわがまま放題しておいた息子が納得して歩くかというと否。もっとペットを眺めて遊びたかった、もうひとつソフトクリームを食べたかったと大声をあげて泣き、座り込み、私に大量の発汗と力の行使を強いるのだ。この世で何が嫌いと言って暑い日に力仕事をすることほど嫌いなことはない(ま、虫よりはましですが)息子の力は幼稚園の先生も驚くほど強い。暴力傾向を秘めた性格でなくてよかったと妙な喜び方をされるくらいである。性格は温和、しかしわがまま!抵抗する息子の重さと戦うとき私は、遠い昔に山道だかどこだかで子泣き爺に引っかかってしまった旅人の苦労を思う。息子を捨てて帰りたいと言う衝動に駆られる一瞬である。そして私は気づいた。
わがままにつきあってもつきあわなくてもこの子泣き爺状態と戦うしかないのなら、ソフトクリームのベトベトだの、ペットをじっと眺めて過ごすひとときだののストレスからは解放されようと。もう寄り道はせん!!
壮絶な戦いは10分以上続く。例によってたくさんの知人とすれ違い、大変ねえと同情される。娘を迎え、家を間近に控えてやっと息子はあきらめる。しかし道々家に着くまでの間、ありとあらゆる自然と触れ合い、地べたととことん存在を確認しあうことを忘れない。ひとたび家にはいると息子の持ち物のどこかからコロンとダンゴ虫がおち、息子の足跡が真っ黒に続く。白い壁にもたれればそこが泥色に染まるものすごさ。風呂場に直行して、シャワーをかけると本当に泥色のお湯がしばし床に広がるのだ…。私のストレスはたまるだけたまり、爆発…すれば家庭が荒れる。のんきなオットは私に世話をして甘やかしてもらうために帰ってくるもう一人の子供である。
誰か私のことも世話して甘やかしてくり。
しかしながら、お風呂に入ってこざっぱりし、おなかもふくれて落ち着いた息子のいとおしさは値千金。もっとも今日はあまりに早くそれをやりすぎたのでパワー全開、冷蔵庫をさらにあさって食べられるものは食べ尽くし、食べこぼしで着替えたパジャマをドロドロにし、そこへお隣の坊やたちが花火に誘いにきてくれたので飛び出して行って、車にひかれそうになって私を激怒させ、汗をいっぱいかいて振り出しに戻られたので、百年の恋もさめた状態ではあるけども。きっとまたあとで寝顔をみるといとおしさで胸が潰れそうに痛むのだ。
そんな息子のために今日はケーキを注文し、プレゼントに前からほしがっていた恐竜の図鑑を買った。あまりにもあふれそうにたくさんな思い出を積み上げて、明日息子は5歳になる。

本屋で最近はまっている漫画「のだめカンタービレ」の最新刊が出ているのを見つけ、神の励ましを感じた。神様、私ってばこんなささやかな喜びで満足できる小さい人間なんです。どうかよろしく甘やかしてください。
あとは子を寝かしつけてゆっくりパックでもしながら、ワインを飲んだくれて楽しむだけさ、ふっ。

 
雨の日の息子といえばカエル。
もうこれは幼稚園でも近所でもすっかり定着してはずせません。
従っておニューの長靴は当然このデザインのものを選びました。
MINI-Kさん、これからもカエルグッズをよろしく。
2004年6月21日(月) 
 低気圧を体が感じたのか、それともこの土日の疲れなのか。大変珍しいことに寝坊をする。いつもオットと娘が出かける時間より15分前に、オットの方が先に目が覚めて大騒ぎしだした。ヒステリーをおこしたオットはわずらわしい。口答えせずもくもくと出かける支度にいそしみ、結局間に合ったのだが。オットは息子が目覚まし時計をいじったせいだろうと納得していたが、実はそんなの関係ない。私はもう何ヶ月も目覚まし時計を使っていないのだ。使わなくても曙を感じて目が覚めてしまう年寄り体質に変化したからである(涙)でもこの週末の疲れ、というか最近の日々の疲れが蓄積されて、いつも眠りが浅い私であってもさすがに体がいつもより余分な睡眠を要求したようだ。
それにしてもオットの大騒ぎぶりすごかった。何があわてたって、彼は昨日のコンサートのために髪を微妙なバイオレットがかったブロンドに染めていたのだが、(もはやオットの髪型と髪色は周囲の楽しみとなり、何かイベントがあるたびに特別なものを期待されるので、オットもそれに応えずにはいられないのである。根っからのお祭り体質なのだ)ウィークデーにはまじめなナチュラルカラーに戻すと決めている。(社内的にはどんな髪型、髪色、ファッションもオーケーだが、社外の人とのつきあいがそれを許さない立場に進化してきたため)それを昨夜しなかったために今朝どうしてもしなくてはならず、5分でやってのけたのだから立派と言うか、最近のヘアカラー製品は優秀というか。あとには惨憺たるありさまの洗面所が残った…。
子供を送り出した後、そろそろ更新をしたいので新ソフトと格闘し、油汗を流す。午後には子供たちを連れて帰ったが、ちょうど大雨が降り出していいタイミングだった。居心地のいい家の中から眺める悪天候って楽しくて素敵。新幹線が止まって何時間も苦しんだ方にはごめんなさい、な発言だけれども。


トイストーリーはすっかり我が家の生活に食い込んでしまい、
これは、と思うものがあると買ってしまいます。
これはyujin社のガシャ。好きだと思うとこの会社のものなのよね。
2004年6月20日(日)
 オットの合唱コンサート。娘が卒園した幼稚園がある教会である。
クラシックのコンサートなど、我が家では長いことタブーだった。息子がじっとしていられないからだが、オットがソロをとるのでどうしても見に来てくれというし、場所があまりにもなじみ深いところなので承諾してしまった。
オットが所属している合唱団は地元の学園の合唱部創立メンバーで、日本が誇るマエストロも憧れたという伝統あるグループである。が、平均年齢がとっても高い。見た目、なんじゃこりゃ?である。しかしそのおじい樣方が白いタキシードをきこなし(一人の方が服飾メーカーの元社長であったため、特別注文)歌いだすとその豊かで素晴らしい歌声に驚かされる。そもそもこの人たちは地元に住み、地元の学園に通った。なおかつ、カトリック信者である方が多く、地元のカトリック教会のメンバーとシンクロしており、たまたま私たちもそこに加えていただけることになった。縁とは不思議なものである。
しかし、通常では軽度の障害と言われる程度の息子には辛かった。彼も常ならぬ雰囲気を感じるのか、興奮してたくさんの単語を甲高い声で口走る。
教会は信者さん(これまた高齢者ばっか)でいっぱいで座る場所がなかった。いざとなればすぐに出て行ける場所でなくてはならない。勝手知ったる教会の中なので、端っこに陣取ったのだが、横にすわっている老婆3人組に露骨に嫌な顔をされた。せっかくのコンサート(無料の素人グループのものである)にどこから来たかわからない親子、しかも小さな男の子にいてもらいたくないという風情ありありでコソコソ話した末、一番上背があり気の強そうな一人の老女が「もっと前の方のほかのお席に行かれたら?」と言ってきた。その悪意に満ちた表情ときたら。これがカトリック信者か?と感心してしまった。道理で長い歴史の中で世界中の信者が諍いをおこしてきたはずである。私の友人もこの教会に多数所属しているが、もめ事が多くて人間関係が大変だと言っていて、私のような素人にはそれではなんのための宗教か判らない、という気持ちにさせていたものだった。こういう手合いねと一目で納得。
老婆たちの言葉を丁寧につっぱねる。
中休みでオットが来て私に具合を尋ねるので「この教会の人は意地悪で、普通の人よりよっぽど冷たいわ」と答えたら、周囲の人がとびあがった。オットも顔色をなくし何があったかというので、簡潔にありのままを答えたら周りがしんとし、あとで神父様にお話に行こうね、と夫婦でまとめたところで最初の老婆3人組は完璧にこちらに背を向けた。別の老女が、急に親切になって、娘をやたら可愛いとほめちぎってくれはじめた。でも何回も娘に住所や通っている学校をきいて、地元の子だと判るとなお親切になった。どういうこっちゃ。
オットのソロは成功。十分いい声がでていた。テノールの本領発揮というところかしら。
コンサートは大成功である。無事に終わってほっとする。ちなみに老婆3人は終わるなり、そそくさそそくさっと出て行き、庭にたむろすることもなく自転車で出て行った。何十年カトリック信者をやっているのか知らないが、性格はどうにもならないと見える。私が入信することはないな、やっぱり。
宗教についてとやかく言うべきではないと思うがその存在の良さをせめて周囲に納得させてほしいものである。いい人もいる、というがそれは宗教やってない人だって同じよ、同じ!

。息子の具合には波があり、今は反抗期のひらめきを見せ、きかん気でやんちゃさかりな時である。それでも彼なりにがんばったのだ。でもいいところばかりを見てほめてばかりいるだけでは、まともな子は育たない。今、私は毎日オニババのようにまなじりをつりあげ、声を荒げて、一日中ダメだしをしている。ものすごく原始的なルールすら、時には無視してやり過ごそうとする息子との日々はまさに戦いで、娘はオアシスである。オットも土日ぴったり息子と過ごすだけで音をあげる。今日はついに日頃の私の苦労を思いやって、人形衝動買いしてもいいよ、と漏らした。ほんと!?


7歳になった娘。
2004年6月19日(土)
 目が覚めると、娘が7歳になっていた。Happy Birthday!

 いつもは空が白むと目が覚める体質となった私だが、このところ忙しくて疲れ切っており、今朝に限って寝坊した。本当は早起きして、掃除も洗濯も済ませてさっぱりした状態で家族を起こして、いい一日にしたかったのに。
昨夜オットは髪を切ってきたのだが、仕事で遅くなるときは食事を外で済ませてくることが多いので、用意していなかった。金曜日の夜は、私は一番疲れている。1週間張りつめていた神経をふっと解放している夜でもあるし、夕方から出かける習い事がきつい。いつも出てしまえば楽しく充実した時間なのだが、出る前の面倒臭さと、帰ってきたときの疲労感が私の心を圧迫する。子供たちも疲れているのでぐずりやすいし、食べさせてお風呂にいれるのが精一杯である。なんとかオットの食事を支度してその後は倒れ込んでしまった。楽しみで見ている「冬のソナタ」のレンタルビデオもいよいよ大詰め。延滞してもいるので、今夜はしっかり見ようねということでがんばって夜更かししたのもよくなかった。
でも娘のニコニコ気分を壊さないようにがんばる。娘はオットと美容室に出かけて、とても可愛くしてもらって帰ってきた。長くなりすぎた髪を10センチくらいシャギーにカットしてもらってきて、と送り出したのだけれど、美容師さんが誕生日と聞いてはり切ってサービスしてくださったらしく、素敵なパーティーヘアにしてもらって、もう娘はニコニコである。
習い事をこなしてから誕生日のケーキをもって帰宅。家族でパーティー。オット、鬼のように写真を撮る。
娘から私たち親への誕生日プレゼントのリクエストは、「オーロラ姫(眠れる森の美女)のドレス」であった。これには苦労した。軽い気持ちで最寄りのディズニーストアに行ったら、どこも売り切れ廃盤終了だったのである。ベルやアリエルならあるのだが、娘はオーロラ姫に強いこだわりをみせ、こうなれば日本中しらみつぶしに探してみせると言うオットの強い意志が働いて、案外すぐに見つかった。といっても岐阜のお店からのお取り寄せになったんですけどね…。それがちょうど娘が美容院に行っている間に届いたので、テーブルの上に載せておく。ポストをのぞくと卒園した幼稚園の先生もカードを送ってくださっており、お友達からもお手紙やプレゼントが届いて、とても華やかで楽しいお誕生日パーティーになった。
夕方、近くのなじみのお寿司屋さんにでかけたら、そこに偶然お隣の家のご家族もきていらして、合同でお祝いしていただく。娘にとっても、その親の私たちにとっても素晴らしい一日になってうれしい。
明日はオットの合唱のコンサートである。ソロを1曲まかされているオット、一応大事をとって、子供と一緒に早めに寝かせる。
新しいPCを毎日少しずついじっていて単純なことに驚くのだが、また世界がひろがったのかも。簡単に映画やドラマがダウンロードできることに驚く。レンタルピデオより安いではないですか。苦労して借り続けた「冬のソナタ」も全部できる。
そう、今日ついに最終回を見たのだった。すごく泣けるときいていたので、オットとふたりで楽しみに今か今かと待ち構えていたのだが、夫婦でさまざまなことにツッコミをいれすぎて、泣くタイミングを逸してしまった。ううう、なんてピュアじゃない私たち。でも最後の最後の一瞬は私はさすがにちゃんと二粒くらい涙が出たから!

娘の寝顔をみながらこのまま何事もなく、普通に、ただ普通に生きて行ければいいと心から思う。何もない毎日の積み重ね、それがとても素晴らしい。


やっぱり箱だしできずに何年間も眺めっぱなしのフランシー。
大好きな彼女を、実はもうそろそろ出してあげようかな、なんて思っていたりする。
2004年6月18日(金)
 暑さにヘロヘロ。PCがなくなった分、どうもこの10日間ほどは、なまものの私とてしての生活が急がしかった。やたらに外食ばかりして、一体どうしたんでしょうと思う。友達がかつての水泳インストラクターの経験を生かして、10年ぶりに近くのスポーツクラブでバイトをすることになったという。もう一人の友人は薬剤師として復活。ああ、手に職があるって素晴らしい、うらやましい。
明日で娘が7歳になる。私の人生で一番大きな記念日だと思う。最高の感動を得た日であり、一番死に近づいた瞬間でもあり。忘れがたい日なのだ。
たくさんの人がこの日付を覚えていてくれて、祝福の言葉ばかりかプレゼントまで用意してくださっていたことに驚いてしまう。娘の人望かな。相変わらず、超マイペースという個性をつらぬいていて、でも純粋であどけない表情は他人に警戒心をもたせない。気の強いしっかり者の友人を作って上手に生きている。でも娘には嫌なことがあれば一目をはばからずに泣ける、泣いて周りに辛さを知らしめるという、かなりの強さがあるのだ(^_^;)
最近、学校で暴力傾向のある子供さんたちのことがよく話題にでる。共通していること、それはその子の親たち自身が自分を哀れみ、子供を哀れんでいること。「体が大きいから、強いから、みんなに誤解されてなんて可愛そうな我が子と私」というテーマを大きく掲げていて、それはちょっと違うだろ!?とみんなに突っ込まれているのだ。
悲しいニュースのせいで子供の教育についての見直しがまたうるさいほどに始まっているし、子供にネットをさせること、それを放任することまでいけないという向きまであるし、なおかつ、加害者の女の子に何らかの病名をかぶせようとしている。
長崎の5歳の男児を殺害した中学生事件のときと同じように。
広域性発達障害。
この言葉は大変にアバウトでかなり広い分野を示すくせに、禍々しい響きを感じ察せるものである。
私の息子も言うなれば、この中に入る。
ある種の良心、善悪の判断を身につけるどころか、わざと削ぎ落として暴力傾向だけ身につけるために成長しようとする子がいるのは事実である。
今現在、娘の身近にもそういう子が片手分ほどの数、存在している。
彼らは自分が悪いといっさい思わない。誰かを傷つけたいと思った、そうしたらそこに弱いやつがいた。だから殴る蹴るひっかく。
まして自分が乱暴を意図せずに振り回した上靴袋がある位置に勝手に立っていたくせに、それがあたって痛かったからって、それのどこがボクが悪いことになるの?
立っていた方が悪いんじゃない。
ある男児ははっきりそう言った。
本当にごくごく常識的な普通のお母さんが普通に育てた子が、人ではない、どこか作り物めいた、でも鋭さだけは人一倍ある目をして、知性にあふれた言葉で自分の暴力を肯定するようになるその恐ろしさ、不気味さ。
そのお母様はあまり学校生活に関わる人ではなく、クラスの親睦会はもとより単なる保護者会にもでないようにして来た方だったが、今は極力学校をのぞきにくるようになって、周りにも心を打ち明けて相談し、SOSをだしている。私たちは我が子をそういう子から遠ざけたいと思う一方、なんとか手助けができればと思っている。この10日間はそういう話し合いの場をたくさん持った日々でもあった。他またまそのときに私のPC生活がストップしていたのは、ある意味よかったのかも。

でも。これは本当に現代病なんだろうか?ひとたび古典をひもとけば、そこには身の毛もよだつような犯罪の歴史が書き残されている。辻切りなどの通り魔、一家皆殺しの盗賊、人さらい人身売買、児童買春…。
時代や世相に関係なく、悪魔の心は世界のどこかしらで時折鮮やかな爪痕を残してその存在を知らしめているようだ。

久しぶりに大好きなタニス・リーの本を読んだ。
「バイティング・イン・ザ・サン」未来が舞台のお話である。「銀色の恋人」以降、SF的な要素の物語が多くなっているように思うし、私は最初に魅惑された昔風のお話が好きだけれど、それでもやはり魅了された。愛とか不滅の魂とか、そういうものについてしばし考える。


開封派の私が、未だに手をだせずにいるお人形の一つがこれ。
松任谷由実さんデザインの和風バービー、「蓮華」
お安く買ったのに、もったいなくて出せない。
もう一体買っておけばよかった、後悔しているものです。
2004年6月17日(木)
 今日は息子の方の集まり。幼稚園のクラス単位で集まって親睦し、秋のバザーのテーマと担当を決めるのである。煩わしいもろもろのことからは、下に小さなお子さんがいる方は最初からはずす。そうしてみて驚いた。過半数の人がまだ乳幼児育児中なのだ。少子化が叫ばれまくっているこの頃のことを考えるとちょっとした驚きである。子供嫌いの私、7年もの間子に恵まれなかった私でさえ二人生んでいることを思うと、授かり物という見方も本当にあるし、生んでみてやっとよさがわかり、さらにもう一人生もうと思う人が多いのではないかと思う。反面、体感してみないと妊娠出産育児の喜びはわかりきれない。端から見ると何もいいことない感じもするだろう。かつての私がそうだったのだ…。妊娠して人生が変わる。出産は命がけだ。育児は自分を映し出す鏡である。その道にはまった人は何度かまた挑む。現に私の友人は3人の育児、あるいは4人という強者が数人いて、「何回生んでも飽きない」という。どの子も皆違う個性があるこの面白さがいいと。
何はともあれ同じ年に子を産み、近所に住み、同じ幼稚園に子供をいれた母親同士、結束を固めておくのはいいことには違いなくて和気あいあいともりあがり、一人のお母さんとはその後ランチまでご一緒してしまった。私、あまりにも外食づいてます。
でもやっとパソコンにも新ソフトにも慣れ、更新の目処がついてきたわ。めでたい!


一昔以上前に、やっぱりアクセサリーを手作りするブームがあって。
親友と一緒に下北沢のお店にパーツを買いに行きました(今はもうない)
これはばかばかしいほど大きなペンダントトップに革ひもをつけただけ。
当時、大ぶりのアクセも革系もブームだったの。
今は到底つけてあるけないしろものだけれど、きれいなので、
窓辺のチャームとして吊るしています。
2004年6月16日(水)
 いつの間にか髪が伸びて、アップにできるくらいになっていた。今日は小学校で役員運営委員会にも参加する日でもあったので、きちんとした装いに気をつけて出かける。でもちょっと体調悪し。不正出血と言う、私らしくもない状態で実はここ数日悩んでいたのだ。もともと子宮内膜気味のあった私だが2度の出産に助けられ、最近は昔のような苦痛もそうないのだけれど、最近も痛みはないのに、でも変。あまりのことに貧血になってきたような気さえして、我が家から原宿は遠くて嫌だと思いながらやっぱり午後をつぶして病院に行った。結果、なんでもないといってもらう。女性は精神的ショックを受けると、こういうことがよくあるヨ、と中国人の名医院長先生に言ってもらって一安心。幼稚園の先生もそうだし、この大好きなお医者様もそうだけれど、なぜこんなにも深みのある言葉で人の心をほぐしてくれるのだろう。豊富な経験と知識にもとずく自信は当然だろうけれど、一番私が感じるのは、人間への大きな愛と理解力だ。見返りを期待しない純粋な奉仕精神。宮沢賢治みたいだなあと思う。
謙虚でいて、誇り高い。気高い。私が最も信頼する人たちである。
体調管理、しっかりできてこその大人。がんばらなくちゃね。
でもこの場合の精神的ショック…それはPCが壊れて買い替えて出費がいたくて、新しいマシンがうまく使いこなせなくて、ソフトも新しく買わないといけなくて、それがまた使いこなすのが難しくて、更新できないよ〜〜〜!!!…という、これにつきるわね、絶対。


友人がプレゼントしてくれた時計。
私の部屋の壁に飾っていつも、彼女のことを思い出しています。
2004年6月15日(火)
 今、私が世界で一番好きな場所であり、人がいるのが息子の幼稚園である。私の長い人生の中で本当にここまで尊敬でき信頼できる先生方にあえたのは初めてだし、その幸福をとても感謝している。今日も朝行くと、保育主任の先生が来てくださって、息子のことをいろいろ話してくださった。そのお気遣いの深さに感動してしまう。
今までの私がさけていたことだが、今日は思い切って息子の保育参観をしてみることにした。息子の園では4月から2ヶ月間、入園や進級で情緒不安定になっている子供たちの心に影響を与えすぎるからと、父兄の参観が許可されない。最近それがやっと解禁されたのだ。ただし当然、カメラ・ビデオ撮影だめ。堂々と姿を現すこともいけない。どうするのかというと、忍びのように、壁から柱へ、棚や物置の裏に隠れて陰から子供をうかがうのである!
昨年もしたけど、中腰の姿勢が続くためかなり辛いものがある。いやでも私も最近だてに息子のストーカーはしていない。中腰で物陰からのぞき続けたこの半年の成果を試そうとがんばることにした。息子のことだから天衣無縫に、超マイペースに我が道を突き進んでいることだろう。それを直視するのかと思っただけで冷や汗がでるので、念のためにハンカチを2枚用意。それ、正解でした…。
わりと子供の態度で悩んでいらっしゃるお母様というのは多く、小学校の授業参観でもあまりの息子の態度の悪さに気分が悪くなり、途中で教室を出た、とお話なさっている方がいたけれど、その気持ちが切実によくわかった(T_T)
息子は楽しそうに自分の世界と、他人との世界を行き来する。その過程で人を傷つけるような行為は見られないのは相変わらず安心要素ではるけれど、コミュニケーションを拒絶するという点でほかの子との間に起こりうる摩擦から、先生方が全力で守ってくださっている。常に語りかけ、息子をみつめ、話し続けて理解しようとしてくださる先生方の姿を見ていると、申し訳なさと感謝を通り越して拝みたくなってしまった。神様というのは空の上にいるのではなくて、身近な人やモノの魂の中に宿っているのだというのが先日なくなった祖母の持論だったけれど、おばあちゃん、私それがわかる気がするよ、なんて思ってしまったくらいだった。
冷や汗をたっぷりかいて時計を見てびっくり。まだ1時間も立っていなかった。そう、いつも保育時間が短い短いと思っていたけれど、園の中で過ごすそれは長いのだ。子供たちはとても素敵で楽しい歌と踊りを習い、バルコニーいっぱいにチョークで線路を描いて電車ごっこをし、たくさんの絵の具をだしてもらって、白いハンカチを染めて干して、遊んでいた。息子はそれらをちらちら見ながらお気に入りの本を眺め、ぬいぐるみを並べ、砂遊びをして。大好きな保育主任の先生に隙があらば胸の中にとびこんでいく。やっぱりどんなに大変でも、一日でも長くこの園には通おうと決めて帰ってきた。友人が園の前まで車で迎えにきてくれたのでそのままランチ。食事は普通でも(超有名芸能人のご両親が経営なさっているレストランだが)おしゃべりはおいしかった。私に「冬のソナタ」を教えてくれた人で、思う存分それについておしゃべりをする。このドラマのお話をしていると話の軸は自然に「純愛」というものになるのだが、ひねくれものの私はこの言葉をうさんくさく思う。「純愛」を「自分勝手」と裏表にしている人をたくさん見てきたと思うからだ。オットはこのドラマのヒロインにいつもとても腹を立てている。ヒロインのおさななじみで婚約者である青年への同情に縛られながら見ている。私だったらどうかな〜。恋愛って苦手で、最初の恋で結婚してしまった私には語るべき言葉はそうないのだけど(^_^;)その一度の恋で結構苦しんだし、もういいやと思っている。
しようしよう、誰かと早く恋しようと思って、焦り合った二人がくっつく話はあまり好きではない。自然に訪れる恋を待ち続けたまま待たされっぱなしの友もいるから、一概にすべてを断言できないけれど、できることなら運命を信じたいかなあ。出会うべき人とはいつかどこかで必ずであってしまう。どんなに固く信念で縛られていても、運命の出会いがあれば心は響き合う。間にどんな障害があっても。それが純愛かと思う。でも。不倫は認めない。不実の恋も、恋は恋、というけれども。


数年前に、通販のフェリシモという会社の、お買い物ポイントをためてもらった
4センチ立方のガラスの箱です。
持っているだけで満足だったけれど、
最近、ビーズのリング入れとしての生き方を確立しました。
2004年6月14日(月)
 お天気がいいのに、さわやかな気候なのに、体調最悪。はい、二日酔いです。7年ぶりくらいです…………。あまりの苦痛にもだえる。もうお酒は飲まない!…こんなには。ああ、こう誓うのも本当に久しぶり。
オットは私の二日酔い症状に気味が悪いほど理解があり、朝からマメマメしく子供たちの世話をしてくれて、辛かったら息子の幼稚園も休ませなさいと言いおいて出て行った。いや、幼稚園はなんとしても行く。くらくらと天地がまわり吐き気がこみ上げ、頭が痛い。すべての物音とにおいが不快。ああ、つわりににてる〜(妊婦さん、ごめんなさい)気合いをいれて歯磨きをし(それだけで吐きそうになるところも悪阻に似てたりして)念入りに酒臭さを抜く。それでも漂っていないか心配だった〜。
息子を幼稚園に送り、いつもの日課としてパン屋に出かけ、メロンパンを購入し、近所の公園で持参したナイフで四つ切りにしてお弁当箱につめて、園の事務所に届ける。帰宅して、さらにひと頑張り。洗濯して、干す!この晴天に洗濯をせずにおくものか。やっと倒れられると思ったら、友人からTEL。お互いの娘の誕生会を合同でしましょうということで相談。やっと倒れ込めるタイミングに成った頃には、すごいもので二日酔いの波が引き、食欲もわいてきたのだった。我ながらこういう部分だけタフだ。
夕方、昨日の飲み友達から電話。お店の決定からメニューのオーダー、お酒の飲み方など全部私が決めたのだが、そのセレクトが完璧で素晴らしかったからぜひまた飲みましょう、とのこと。そうね、次回はもう2合はお酒を控えて飲みましょう…。でも楽しいお酒でした。…飲み過ぎなければね。
さらに別の友人から明日ランチはいかがとのお誘いを頂いた。当分外食は控え、オットに謙虚に反省の意を伝えようとの決意は一瞬で崩壊。ホイホイとお友達と約束する。ま、ワインは抜きで、というところに反省を見せましょう。


¥100ショップで見つけた小物入れ。
お家の形をしている小物にも弱い(およそ、可愛いあらゆるモノに弱いんですけどね)
私の?にヒットです〜。
2004年6月13日(日)
 朝からイソイソ。数年ぶりに!飲みにいくことになっているのだ。子供らをオットに預けて、女同士3人で大騒ぎ。飲み過ぎました…。


今年買って、とっても気に入っているミュール。
歩く距離が少ないときに履いて楽しんでます。
息子が、原始動物から人間へと進化したことを、祝福できる一瞬です。
2004年6月12日(土)
 ついにeMacの初期設定完了!すっかりネット離れし、なんだか仙人のような気持ちになってきた私を哀れんで、珍しくオットががんばってくれたのである。私は横で火事にいそしんでいるだけで、今回全くノータッチ。いつかまた初期化しなければ成らないときには大変でしょう。
新しいPCは予想以上に、以前のものとはすごく手応えが違うのでびっくり。
おそるおそる触って面食らう、面食らう。いきなり突然マウスが扱いにくい。どうしてもうまく目標を定められない。不良品!?と青ざめたら違った。時代は進化していたんですね。私が長年愛用していたマウスは下に玉がついて、それをコロコロかわいらしく転がすものだった。新しいマウスは裏がなんか赤い光、と思っていたらその光で反応するものだというではないか。今までのマウスパッドではうまく反応しないはず、バッドをはずしてみてと言われてはずしたら、本当にスムースに動くようになった。とりあえずネットにつながる。離島から帰国したような気持ち。感涙。

パソコンに名前をつける、なんて変なことだろうか。
私は最初のPCにも名前をつけていた。ベネルディンという。iMacのブルーベリーカラーだったからだ。
このOS9で5色のものが出そろったときの世間の反響は大きく、スケルトンの鮮やかなカラーはいろいろな世界で流行したものである。我が家も長年の懸案事項だったパソコン購入をiMacのルックスのよさに引かれて決めた。
当時、私たち夫婦でシャレのきいた冗談としてはやっているものがもうひとつあった。イタリアのお色気番組「コルポ・グロッソ」というものである。美しいイタリア女性たちがいとも明るくあっけらか〜んと、脱ぐ脱ぐ脱ぐ♪思わず笑ってしまうあほらしいゲームを繰り広げる。ケーブルテレビの視聴をするようになってすぐにこの番組にはまったのだが、たくさん出てくる美女たちの中で、私とオットの好みがぴったり一致していたのだ。その女性の名前がベネルディン。レギュラーはそれぞれ果物をイメージした衣装をまとっていたのだが、ベネルディンはブルーベリーの担当だった。そんな理由で名付け得られていたiMacOS9。
今回の私のPCには購入を決めた瞬間に名前が決まっていた。ブランシュという。
真っ白だから。
これまた古い話だがスーパーファミコン時代に私とオットがとてもはまっていたゲームが競馬育成種ミレーション「ウィニングポスト」というもので、私はこれで血統の良い白馬を生産することに精力を傾けていた(子供がいなくて暇で幸せだった…)その夢の白馬はシンプルに「ブランシュ」という名前だったのだ。ま、おフランス語で「白」というだけのことなんですけどね。気に入っている語感なのである。

ブランシュちゃんともたぶん、5年くらいのおつきあいになるかと思う。がんばろうね、と話しかける。


ここまでお花らしい形は初めて。
無邪気な感じで可愛いです。
(作り手の私は、腹黒で有名ですが^_^)
2004年6月11日(金)
 最近のお天気は全く信用できない。友達とランチの約束で出かける前に洗濯をして、空をにらんで考えた。今日、外に干していくのはやめよう。怪しすぎる。
なのに傘を持たず、子供にも雨の日の支度をしておかなかった馬鹿な私(>_<)
ランチの途中で雨が降り出し激しくなった。ちょうど、午前中に娘の小学校の学校公開に参加して初めての授業参観というのをした興奮もあり、雨の中をしゃれたレストランで、子供抜きでワインで乾杯、ランチという至福にひたっていたのでお店を出るまで心配はしていなかったのだが。ちなみに友人の方は洗濯物を干してきたということで、途中でヤケになっていた(笑)
すぐにやむかなと思っていた雨はだんだんひどくなり、子供たちを迎えてずぶぬれでいったん帰る。娘に誘惑されなくとも、生来が出不精のわたくし、こんな日に再度家を出たいと願うわけがない。ところが出たんですねえ、2回も。
まずは息子の心理カウンセリング。これはどうあっても外すわけにはいかないので、意を決していく。完全な雨支度を整えれば平気。早速おニューの長靴を履いて、子供たちも案外上機嫌。カウンセリングもなかなかいい結果を息子は残した。
問題はこのあとで、時間があるので一旦帰宅せざるを得なかったものの、娘の体操教室があるのである。これは我ながら行きたくなくて参った。娘はもういい、いかなくてもいいのよママとしきりに誘惑するし、息子もあどけなく自分の名前を呼んでは「お風呂」を連発する。そう、最近の私たち母子のブームは雨にぬれた後の暖かいお風呂なのだ。よっぽど休もうかと思いかけたけれど、雨がやんできた。時間を見計らって外に出るとすぐ近くのバス停に、ぴったり目的地行きのバスが止まった。10分もしないうちに、体操教室についていた。
これをこなした後の充実感はすごかった。いつも親切なお友達が車で家までおくってくださるので帰りは楽勝である。用意しておいた夕食を食べ、ゆっくりお風呂に入る。たちまちすごい睡魔が襲ってきて、私にしては珍しくオットの帰りも待たずに寝ることにする。PCの初期設定?そんなの無理無理!


ここまでボリュ−ムあるリングだとは思わずに注文してしまったキット。
でも思いっきりスウィーティーなピンクがちょっと嬉しかったりします。
オバサンもたまには華やぎたいのよ。
2004年6月10日(木)
 気持ちの余裕で、実は最近かなりの久しぶりだけれど、自分自身のおしゃれを楽しんでいる。新しい服を買うわけでもないけれど、女を何十年もやっていると衣装もたまる。もともと極端に流行の型を追わないたちなので、クローゼットにはオーソドックス、ベーシックなものがそろっているのだ。組み合わせは容易い。たいした者はないけれど、それでも少し気をつかうというのは、こんなにも楽しいことだったかしら?
息子が人間へと進化した。これは大きい。私が否定の声をあげれば、汚れた体で抱きついてくることがあまりなくなった。果物やお菓子、あるいはマジックやクレヨンでベトついた手で私に触ることを躊躇するという、大きな進化をとげてくれて、これはものすごく大きい。今までの私の服装の基準はとにかく「惜しまないこと」であった。たとえ○クニロの超安物であっても服をだめにされる心の痛みは大きい。そんな身に「お洒落」はあまりに遠い、憧れすぎる存在だったのだが。
息子の成長、そして娘の成長。子供が親を客観的に見て「ママ、もっときれいにしたらいいのに。▽▽ちゃんのママみたいに」な〜んて言うようになったという環境の変化。私が現在属している社会の中からはみ出さない程度の、久しぶりの自己表現。そうだ、服装とか髪型って、そのために存在してるものだったのよね。
つい最近までの私は飼育員に近いノリがなきにしもあらずだったが、これからは女の子のお母さんらしく見えるように気をつけましょう。でも高価なモノはやっぱり着ない。進化したとはいえ息子、まだまだワイルドですもの。
娘には劣るとはいえ毎朝、私の趣味の許す限り精一杯のおしゃれでぱりっと決めて送り出す息子であるが、幼稚園を出てくると、いい感じに染まり上がっている。私の母がいうところの、「醤油を煮染めたような色」である。園の広いお庭にあるいい感じの斜面を転がり落ちるのはさぞ気持ちいいのでしょう。そのうえ、この園での情操味あふれる教育はすばらしくて、たっぷりの絵の具と筆で思う存分お絵描きをたのしんでくる。きれいに泥色がかった衣服と肌の上、いわばそれは神がつくられた自然の色彩のひとつというわけだが、その上に鮮やかな人の手で作られた色が見事にポイントをきかせて入っているのだ。一目見るだけでその日のにぎにぎしい様子がうかがえるのである。そんな原始的な生き物の母親は、お洒落もちょっとそのつもり、になってみるだけの自己満足である。

夕方、PCが届く。興奮!でもやっぱりくたくた〜。学校でちょっと問題があって、お母さん同士活発に電話のやりとりをしている。情報網大活躍中である。しゃべり疲れたよ〜。

 
PCに触れない間の時間を利用して、ガンガン、ビーズに取り組む予定。
とりあえず、ネックレス。
2004年6月9日(水)
 PCが全くない1日というのはずいぶん久しぶりなような気がする。この状態が少なくともあさってまで続くなんて信じられないが、仕方ないことだから前向きに受け入れようと決意。実際には明日の夕方には新Macintoshが届くはずなのだが、1Fの玄関から2Fのリビングまで私一人で運ぶことなどできないし、明日オットは名古屋への日帰り出張で帰宅が深夜近くなる予定である。eMacを運び上げるくらいのことはできようが、初期設定にとりかかれるとはとても思えない。私はいつも、夜10時以降にはくたくたにくたびれているもの!今までがそもそも奇跡だったのだ。私に初期設定ができる訳がないと言う妙な自信がある。
とりあえず、PCに関わらない分時間が浮くはず、それを楽しもうと決めた。ら、うまくしたもので、信じられないくらい人との接触があり、上手に時間がさばけてしまった。もちろん、いつも子供中心の生活で夕方まではあっという間にすぎてしまうのだけど、そこに第3者がはいってくると、1時間2時間は夢のようにすぎてしまう。でも人付き合いが苦手て出不精で、先天性引きこもり癖の私は強力なサポート猫皮を持っており、いつでもそれを着用する用意ができているので、表面は何事もなげにこなされていく。おそろしき、外面人生だわ、と我ながら感心、感心。


息子愛用の水筒。
  
意外にリアルな絵なので、どうかな〜と不安だったけれど、息子は気に入ってくれました。
2004年6月8日(火)
 昨日、ついに悲劇が起こった。長年、私が分身とも思って愛し続けてきたPCが逝ってしまったのだ。今までにも何度もピンチはあったが、その度になんとかうまく切り抜けてきたと思う。でも毎回、あわやという経験をするたびに今度はだめかもと思うようになってきた。私の操作ミスというよりは、単純に体を壊して衰弱していきつつある人の気配があったからだ。覚悟はしていた。5年。とても長い、濃い時間と経験を私に与えてくれたPC。そっと撫でる。名前を呼ぶ。それから途方に暮れる。
今の私がPCを失うというのは、地図も時計も磁石もなしに、広大な砂漠に取り残されてしまったようなもの。思い残しの多い元の世界になんとかして戻らなければ、という切実な願いがこみ上げてくる。
今日は私たち夫婦の結婚記念日である。
それでオットが決断してくれた。結婚記念日の思い出として新しいMacintoshを買おうと。もちろん、最新型は辛いけれど、私の能力なら型落ちくらいでちょうどいい、それならきっと値段が安くなっているはず!
かくて朝、しょぼくれている私の方を撫でながら決めてくれたオットの行動力のおかげで、あさってには新しいPCが到着の運びとなった。
午前中には娘の小学校での、登下校路確認の集会があった。近所に住む者同士顔を合わせ、確認し合い、共同で子供たちを守るためである。また新しいお知り合いも増えて新鮮な経験だった。
子供たちの習い事をすませて、夕方から新宿のデパートへ出かける。
娘と息子の長靴を買い、おいしいイタリアンレストランでお祝いの食事をしてから、PCを買う。
楽しい記念日になりました。


通園用の帽子の一つとして、近所の雑貨店で購入したキャスケット。
これをかぶると、激プリティ〜!!になってしまう息子。うふ♪
2004年6月7日(月)
 大雨である。月曜日からやってくれるじゃないかと空を睨みながら、完全防水で出かけようとしたら子供達からブーイングが。唐突に、長靴のサイズがきつくなったようである。子供の成長はある日突然っていうことが我が家には多い。長靴も先々週は問題なくはいていたのになあ。
子供のレイングッズを買う楽しみと、お財布の痛みに思いを巡らしていたら、急に雨が止んで明るい陽光が。よろこんでレインコートを脱ぎ、雨傘を日傘に持ち替えて(子供がいない時は、未練たらしくパラソルを使ってます)うきうきとお出かけ。今日はお友達4人と焼肉ランチの約束だったのだ。その焼肉たるや、
「美味し〜〜〜〜♪」
と四重奏してしまうくらいのものだった。おしゃべりも楽しく弾む。明日が結婚記念日だというとさんざんに冷やかされた。どうも我が家は一般に夫婦仲が良いと思われているようだ。他の人と結婚してみたことがないので私にはよく判らないのだが、昨年、綾野小路きみまろというタレントさんがテレビでお客さんに「夫婦ってどういうものですか?」と聞かれた時の答え
が頭に残っている。
『夫婦とはカフェオレのようなものです。一旦混ざるともう2度と、元のコーヒーと牛乳だけには戻れない。別れてもカフェオレが半分になるだけです』
という切り返し。思わず唸ってしまった。忘却と言う便利な頭の機能を駆使しても、消去もできなければ抹殺もできない何かが、お互いの中に残る。結婚てそういうことかもね。
沿い遂げる事だけが幸せだと思わない。結婚も離婚も運命のうち。それがいいのか悪いのか、誰に決めつける事ができるだろう。
すべてはそうだと思うけど、死ぬ時に人生の帳じりがあっているようにさえすれば、それでいいかなあ、なんて、それが私の結婚観である。正しい結婚なんてわからない。会話があるのが幸せな夫婦と言われれば、その点では幸せなのかな。でも一緒にいるぶんだけ傷つけあう事も多い未熟な私達である。私としてはどんな時にも冷静さを崩さず。それでいて人間としての熱い情熱を秘めている優しい男性を夫にしている友人を賢い!と思っているが、彼女もうっかりその辺に離婚届が転がっていたらバン!と判をついて終わっちゃう、なんて言っている。なにごとにも動揺しないところが腹立たしいのだそうだ。彼女は私のオットを若々しくて可愛くて、情熱的でカッコいいと絶賛する。あ、あり得ないだろ〜!!
とまあ、隣の芝生は青く見えることもあるというお話でした。でも概ね、満足しておりますです。

ランチの間にまた大雨がふってきた。その場に入る誰よりも忙しい私(単に幼稚園の降園時間が早いだけですが…)が一足先に抜けようとしたら全員が席を立って付き合ってくれて困る。雨傘をとるのに車で家まで送ってくれ、その後も息子の幼稚園まで送ってくれた。ひたすら感謝!でも「あの人迷惑。今度から誘わないでおきましょ」って思われたかも(T_T)

帰りもじゃぶじゃぶに濡れて、子供達が「お風呂、お風呂にはいろママ!」と言うのに、日本人だあ!と笑ってしまった。でも昼にはいるお風呂って相当気持ちいい。雨が多かった5月から、これが癖になりそうな我が家である。


娘に比べて、全てに手抜きが見られるよ?と指摘されがちな息子。
いえ、そんな。たったひとりの息子が可愛くないわけはありません。
ということで、息子の通園グッズにも気を使っていますよシリーズ。
通園バッグにはこれを現在使用中。
絶対気に入るよね、と買ってきて見せたら、目を輝かせて喜んでくれたのでホッ。

2004年6月6日(日)
 穏やかに休日を過ごして心を整える。もくもくとビーズアクセサリーを作る。半貴石やマーキス、スワロフスキーやチェコなどのひと粒ひと粒に、光が宿っている。何気ない動きの小さなその瞬間にもキラッと光るのを忘れない。テグスに3粒もビーズを通せば、もうそれだけで美しさが際だって輝き出す。楽しい。ただただ楽しい。
 6月に雨が降るのは当然のこと。でもその度に思い出す記憶がある。
 長くて重い話を端折ると、私は生後4ヵ月で実父を失った。私が胎内に芽生えた瞬間にはもう、父は死病に犯されていて、周囲にそれが知れ渡っていたし、本人も悟っていたそうだ。この人の記憶が私には全くない。私の誕生をたいそう喜んでくれたと言うけれど、なにやら物悲しくて切ないお話である。母は私を抱えて随分苦労しながら一人で生きていた。毎度、何かしらトラブルを抱えていた祖父母は頼りにならず、私と二人で生きて行く方がよほどに気楽だったと母は言う。数年後、母に大いに同情した周囲の計らいで、私を連れて再婚した。継父は勇ましい、猪突猛進な男性だった。妹が生まれ、我が家はそこそこの普通の家族の形をとってしばらく過ごす。けれどふたたび不幸が前方に廻り込んで待ち受けていた。継父までが私の実父と全く同じ病に犯されたのだ。
母の悲嘆を想像するにかたくない。この事実は、さすがにのんきな母の親と弟妹をも直撃した。なぜこれほどに不幸が続くのだと、みんなが悲しんだ。
長い闘病生活の果てに継父が逝く前後、母の3人の弟のうち一番下の弟であるT叔父が、男手がなくなった私達家族を一生懸命サポートしてくれた。母が17才の時に生まれたと言う叔父は、実質母の息子のようなものだった。私には兄のようであり、人生の指針と仰いで頼りにしていた。
6月の、ある大雨の日の夜に電話がかかってきた。T叔父が車にはねられ、意識不明の重体だと。
雨の中を、青信号で横断歩道を歩き始めた叔父は、脇に気をとられながら勢い良く右折してきた車にはねられたのだ。目撃していた人のお話だと、それはあまりにも一方的な、理不尽な事故であったという。
叔父の体は5メートル以上飛び、激しい勢いで歩道に叩き付けられた。
駆け付けた私達は、叔父の頭蓋骨がボッコリと、歩道の形に陥没しているのを見た。
私の父…継父が亡くなってわずか半年後の事である。母は、夫を亡くした時より辛いと泣叫んだ。
叔父は命をとりとめた。植物人間として。
加害者は日本一有名であろう総合商社のエリート社員で、出張の帰りであり大変疲れていたと言う。
泣いて泣いて、土下座する彼の後ろで、仕方無さそうに頭だけ下げていたショートカットの奥さんの顔が忘れられない。こんなことで自分の幸福を失ってなるものかという意地が、唇の歪みにでていたよね、と後で親類みんなで話し合った。
6月は、どうしようもなく、永遠に悲しい月になってしまった。父を亡くしたのも、叔父を実質亡くしたのも同じ18才の時である。6月が嫌い。とても嫌い。悲しい月だと当時の私は思った。泣くしかなかった。

20年の歳月が流れた。叔父の事故から6年後の6月に、私は結婚した。それからさらに7年後の6月に娘が誕生した。私は初めて、自分が生まれて来た事に感謝した。意味があると思えた。この子を生み出し育てるために私は生まれて来たのだと、それまでそこにあるとも知らなかった心の穴を埋められる気がした。
さらに2年後に息子が誕生。
今、6月は私の一年の中で一番賑やかで、楽しみ尽くす月になっている。どんな神の悪戯かと思う。

叔父は意識を回復し、奇跡と言われた。が、それは乳児程度の反応を引き出せるということにすぎない。
死ぬより辛い生がある、と、今生きている人達の内、どれくらいの人が知っているだろう。何もない、なんにもない普通の生活が、どれほどの偶然の上に成り立つ儚いものであるかを、どれくらい感じている人がいるだろう。判らない事が幸せなら、私は不幸と言う事になる。喘息の発作や、難産の危機で何度も死にかけた。その瞬間の苦しさを私は忘れられない。継父がその闘病生活でどれほどに苦しみぬいたか、あの生々しさを忘れられない。だからつまらないことで「死にたい」とは言えない。口が裂けても。
絶望したとき、私はただただ消えたい、このまま空気に溶けてしまいたいと思う。臆病風に吹かれっぱなしの私は、これから先も自殺することだけは絶対ないだろう。

それでも私は人生を楽しんでいる。ささやかな人との交流の中に、温もりを見い出し、嬉しくなる。美味しいものを食べ、本や映画、ゲームの中でのバーチャルな恋や冒険を楽しむ。
自由気侭に、激しい思い込みを抱えて周囲を振り回しながら生きた祖母が一番愛したのが末っ子のT叔父だった。神(か悪魔)は不屈の精神の持ち主だった祖母をあざ笑うように、晩年に一番の苦悩を与えたのである。
その祖母が逝って一ヵ月。2番目の叔父からの話が母を通して伝わって来た。どうもT叔父も長くないようだと。覚悟はしておけ、と。

目を閉じると、元気で溌溂とした叔父が、笑顔で私や妹へのお土産を持ってドアの向こうに立っている姿が目にうかぶ。もっと昔は。高校生の叔父にじゃれついて遊んでもらっていた私。受験勉強をしている叔父の膝に這い上り、無理矢理シンデレラの絵本を読ませた。クリームパンのクリームだけ食べたら、残ったパンをこの叔父に渡して食べるように命令していた私は3才。母が私を連れて再婚する時、引っ越しの手伝いをしてくれたT叔父。私が自分の生い立ちをはっきり知った時に、実父のことをとても良く話してくれた叔父。
際だって整った顔だちの、勉強好きで、ジャズ好きだったその青年の年を、もう私は幾つも越した。
時に幸福な人、と呼ばれる事がある私は、時々ただ涙を流す。
祖母はいつかきっと、T叔父の事を呼ぶのだろう。

日曜日だけれど仕事に出ていたオットが帰って来て、娘を体操教室に連れて行った。来ていたお友達のご主人と「冬のソナタ」の話をして夫婦で盛り上がった。レンタルビデオ店で運良く続きを借りる事ができた。夕食をファミレスで楽しく済ませた。美味しくて楽しくて子供達ははしゃいでいて、オットは上機嫌で。子供達を寝かせて夜に夫婦で飲むワインは安くても美味しくて。
T叔父のことも、継父の事も実父の事も、私の心の底に深く深く沈みながら、それでも時々微かな光を受けてはキラっと輝き返してくる。


昨年と同じお店でまたまたキッチュサンダル購入。
アッハンな峰不二子風の柄に一目惚れ。怪し気なきのことお花の爆発にも惹かれました。
2004年6月5日(土)
 義妹家族の帰国が今月末に決まり、家探しも佳境にはいった。オットも私も不動産物件をみるのが大好きなので思いっきり楽しんでしまっている。午前中は、私は息子の幼稚園の遊びの会に息子と参加するために別行動をとった。オットにはレンタルビデオ屋さんに朝イチで「冬のソナタ」(何のかんの言ってすっかりハマっております…)を続きを借りる使命も与え、息子とは2時間園内で遊ぶ。ゆったり見ているとうちの子に限らず、独り遊びを好きな子は多いものだと感じた。先生方とお喋りできるのも楽しい。息子のおかげで、限定メロンパンを買ってみて、その美味しさに感動したと言ってくれる先生もいらして笑ってしまった。
2時間後、オットと合流。10軒ほど見た中で最高の物件を発見したとオット大興奮。私もそこに足を運んで、見るなり、これで決まったなと確信した。
家と言うのは不思議で、私はオットの転勤のおかげでかなりの家に住んできたけれど、やっぱり私には家そのものがとても大事である。便利な場所が必ずしもいい家ではなかったのだ、私には。立地はちょっとだけど、家そのものがとてもいい雰囲気を持っているものがある。そういうところに巡り会うと、その瞬間に肌で判る。
急いで義妹に報告したかったけれど、またパソコンが壊れかけて、どうにも動かない。
ううう、買い換え時を突き付けられて困る。
娘の幼児教室、息子の体操教室。送迎で今日も一日終わった。


手のひらサイズの小物入れ。
屋根が水玉模様なところと、赤い小鳥に惚れて購入。
2004年6月4日(金)
 5月の悪天候はなんだったのと思うくらい今週はいいお天気が続いている。洗濯物がよく乾いて気持ちいい。しかし生活はドタバタしている。子供の送迎だけでかなりの労働になってるのだ、私的には。加えてやはり微妙にお友達付き合いが変化してきて、今のところは誘われるままにどこにでも行くようにしているので、それでぐったり疲れている。子供の頃から猫の被って生きて来た。とても素では外で通用しないわがままな私である。猫の皮も被り慣れれば確かに自分の一部にとけこんでいるけれど、人から「お友達がたくさんいるよね」といわれてもうなずけない。猫の皮にはそれなりにいるようだ、と思うばかり。
私の一番の友達はオットなのかもしれない。
息子がドラゴンクエストをとても好きで、攻略本を毎日丹念に眺めては読みふけっている。ドラクエは素ばらしい世界を持っていて、何より絵が可愛く(モンスターでさえ、可愛い。怖いものでもカッコいい)残酷ではない。子供が親しみやすいというのは本当にいいゲームなのだろう。私にプレイをすすめる子供達。一緒に物語の中を旅する。ちなみに私はベビーパンサーの名前に「アンドレ」というのを選んだのだ。こうなるとおさまらないので、スライムが仲間になった時「オスカル」とつけた。スライムのオスカル…まずいかも?何をいそぐつもりもないのに、カレンダーがどんどん予定で埋められて行く。でもその隙き間を縫うように、自分の好きな事をするタフさも身につけつつある私。
わずかな時間を縫って書店に行ったら、「ハチミツとクローバー」の6巻がでていたのでホクホクと購入。成田美名子先生の「花よりも花の如く」も2巻を購入。夜はオットが「天才!柳沢教授の生活」の新刊を買って来た。読む本がたくさんあるととても豊かな気持ちになれる。
昨日に引き続き、ビーズアクセサリー作りに没頭。今日はちょっと甘過ぎるくらいのピンクのリング。たまにはいいかなと思って。
季節柄か、ビーズのアクセサリーが今とても好きな気分である。


作り始めて一気に完成!と頑張っていたら、なんとパーツがひとつ足りませんでした。
会社に電話したらすぐに送るけれど、普通郵便なので二日ほどお待ち下さいと言われて。
く〜!すっきりしないわん。
2004年6月3日(木)
 娘の小学校で親睦会があり、初めてにして年に1回しかないということでぜひとも参加したかった。しかし息子は昨日の遠足の流れで今日はお休み日となっている。彼を連れて行っては、他のお母さんと親交をあたためる間もない事は明らかなので、悩んでベビーシッターさんに電話してみた。突然だからどうかなと思ったけれど快く引き受けて下さったので胸をなでおろして、いつもよりゆったりした朝を過ごし、のんびり歩いて行く。最短コースは息子の幼稚園の前を通って行くことで、今日はお休みだから誰もいないだろうなあとのんきにあるいていったら、門のところで保育主任先生がジャバジャバと車を洗っていらっしゃった。今日はこれからミーティングだというので、まあお疲れ様ですと御挨拶してお別れすると、息子がいつも面倒を見てもらっている新人先生が「遅刻〜!」という感じで走ってくるのに会って御挨拶。なんかドラマの1シーン、ドラマだとよく主役で新人の子が、遅刻して急いで走ってるところから物語が始まったりするよね〜と思いつつ坂道を上り、ベビーシッターさんのお宅にちかづいたとおもったら、チャリンコをぶっとばしてくるうら若き女性が。どうも学年担任の先生に似ていらっしゃるなあと眺めていたらご本人だった。もっと遅刻?
そんなこんなで息子はすっかり幼稚園に行く気になってしまったのが、ベビーシッターさんの家において小学校へ急ぐ。やっぱり息子を連れて行かなくて正解!部屋が狭かったし、色んな人とお話できたし。小学校は幼稚園と違って滅多にお母さん同士顔を合わせないのだ。お互いに子供の名前と聞いた話を確認しあい、笑ってよろしくと挨拶する。
正午の解散時間にさあ息子を引き取りに、と思ったら別のお母さん方からランチに誘って頂いた。内ひとりは、息子と同じところに子供ふたりを預けて来たと言う。子供同士は同じ幼稚園。きっとなかよくしていることでしょうと安心して、ベビーシッターさんに2時間の延長をお願いして出かける事に。案外みんな街をしらないので、私がお店を決めて案内する。美味しいとみんな感激してくれたのでよかった。
お話は楽しく、面白かったのだがやっぱりなんとなく疲れてしまう私って偏屈なのかしらね〜。
帰宅後、ほっとして気分転換したくなり、買い揃えてあったビーズアクセサリーキットをだしてきて、製作に没頭。ところが、最後にパーツが一つ足りない…。余計にストレスじゃないですか。
子供部屋を片付けようと上の階に上がっていったら、そこには予想以上の惨状がひろがっていた。子供は散らかすものとは言え限度と言うものがある。久しぶりにキレた。子供達は泣きながら片付ける。なぜ私がスイートな声で優しくたしなめている間に自分達でなんとかしておかないのだろう。
そもそもが、私に「子供部屋片付けておいてくれよ」と言ったのがいかん。我が家は暗黙の了解として子供部屋の整理はオットの分担にはいっているのだ。彼が帰宅した時、あまりに私の怒りがすさまじかったので、子供達は泣きながらパパにしがみつき、オットも私に負担をかけないように気をつかったみたい。かなり後でみたら、いつもはぬぎすてっぱなしの服がきちんとハンガーにかかったり、たたんだりしてあった。
…怖かったらしい。
っていうか、やればできるんじゃん!?


本日の江ノ島。
2004年6月2日(水)
 3度目の正直でやっと息子の幼稚園の遠足が決行された。魔の「江ノ島現地集合・現地解散」である。毎年この遠足の日には最寄りの駅に思いつめた顔をした母親と、そのピリピリ感に気押されたようについて歩く子供の姿が多く見かけられる。しかしここは我が家のオットの本領発揮。仕事を調整し、休暇をとって車で連れて行ってくれたのである。オホホホ、それでこそあなたよ!一応ごきげんとりに、彼のすきなおやつも多数用意し、BGMとしてさだまさしさんもかけた。朝8時、ふと「精霊流し」をきいて涙ぐむ。嫌だ、私ってばか?と照れくさく、オットにも笑われる。「今さらこの歌で泣くか〜?さだファンでもないお前が」と。でも悲しい歌だよ、やっぱり〜。年をとって、色々実際に起こる悲劇を見たり聞いたりしながら子供を産んで育てるようになって、何気なく聞き流し、読み流していたものにこめられた物語の重さに感じ入るようになってしまった。年なのね、きっと。
途中ではそんなにひどい渋滞はなかったけれど車の流れが全体的に遅く、10:10の点呼ギリギリに到着。子供達は浜辺で歌ったり踊ったり。我が家の息子は今年もまた走り回り、海に還ろうとしたりしていた。
地引き網をひいて魚をとって、お弁当を食べて、魚をもらって午後解散。ふだんとはまた違った形で、お友達とその御父兄や、先生方との交流があり楽しかった。
先日息子のメロンパンを買いに走って下さったE先生がたくさんお話をしてくださった。ご自分の育児経験をふりかえり、その苦悩を忌憚なく話して下さって、それがとても有り難かった。3人のお子さんを育てられ、うちお一人がとてもナイーブで難しい子だったと話される。そして私の気持ちを理解すると言ってくださる。
「この子を産むんじゃなかった、とまで思ったことがあるんですよ」と柔和で美しい先生が打ち明けてくださったことに驚き、共感し、
「私もです…!」と応えた瞬間に涙が出た。
息子の障害に気付き、覚悟するまでに結局私は1年半ほどかけていると思う。その間に何回「産むんじゃなかった」という考えが心をよぎったことだろう。でも息子を見ると悲しくなる程に愛おしくて、本気でその存在を否定しきれるはずもない。元は私。私の人生をリセットしたい、それが私が当時自分に許した最適の言葉だった…。
でもそんな感情を持つ自分への自己嫌悪はすごくて、完全に鬱を引き起こした。苦しい毎日だった。
E先生はそうでしょう、わかりますよ、と何度もうなずいてくださった。
よく晴れて、湿度も低い爽やかな風が吹くお天気に恵まれた一日、海辺ではしゃぐみんなの中で、先生と立ち話をしながら泣いている私の様子に、事情を知らないほかのお母さん方は遠巻きに驚いていたけれど、ふだん取り繕っている体裁、猫の皮が思わず剥がれることもある。知らず知らずに心にたまる澱のようなものを、どうせださなければならないなら(ださなければ心の中で腐ってしまう)感謝の涙、という形でださせてもらえるのはとても有り難いこと。保育主任の先生もいつも丁寧に見守ってくださって、私はとても心強く思っている。まず最初にこの先生の愛情に反応するところから息子の成長が始まり、私の鬱期脱出のきっかけになったことが、かなり後になって振り返ってみて分った。今日、気になったのは保育主任の先生がいつもと様子が違って何かお元気がなかった事。うちのオットも心配したくらいなので気のせいではない。10年以上、風邪もひいたことがないという先生がどうなさったのか。ドキドキ。この方あっての息子の幸福、ひいては私の幸福である。ぜひぜひお体に気をつけて下さいね、先生。
とにかく息子はこの幼稚園に通える間は幸せ。2年後に、小学校入学のときにまた試練の壁にぶつかるだろう。人生は巡り合わせがすべて。人智ではおよばない出会いもあれば別れもあるし、小さく見えた事件がきっかけで大きく人生が変わる事もある。大波小波の海を舟にのって見えない目的地へ漕いでいくようなもの。どんな波や風がくるか知れず、大船と思っていたものが沈没したりすることもある。小舟でも無事、たどり着ける陸地もあるだろう。心構えを持って生きて行くしかないわけだけれど、せめて今は。この息子に与えられた楽園、つまりは私にも与えられている事になる優しい楽園で心を休ませて、未来に向けて力を貯えておく事にしようとあらためて思う。
地元にもどって娘も迎えに行き、夕方前に帰宅。日もまだ高いのにすぐにお風呂にはいる。オットと子供達がはいっている間にそうじきをかけたのは、驚くほどたくさん、海辺の砂が我が家に持ち込まれたから。さらさらさらさらと夢のように、着ていた服や持ち物について江ノ島の海岸から世田谷の自宅に来てしまった砂達が、家の中でも光って見える。綺麗な砂浜。遠浅の海。今度は娘も連れて行ってあげたいと思わせる、江ノ島海岸はやっぱり素敵なところだ。


早く「2」も揃えたい、ミニチュアアンティークミュージアム。
2004年6月1日(火)
 昨日の暴風に引き続き、今日は結構な雨である。まさに6月に相応しいお天気…なのかな?我が家ではこの月は大イベント3連発で、毎年大騒ぎである。結婚記念日、娘の誕生日、息子の誕生日…。「一度に全部済ませてしまえていいような、残念なようなね?」とおっしゃる方も多いが、甘い。我がオットはそこで手を抜くような男ではない。人生これすべてイベントと心得る体質ゆえにもう6月はここぞとばかりに騒ぎます。デコレーションケーキ3つ食いは恒例で、この月に思いきりケーキを食べるので、どこに引っ越してもすぐケーキ屋さんの顔なじみ。たぶんこれは子供達が巣立つまで続くことでしょう。オットと私とクリスマスにもケーキを頼むので、1年に6個はデコレーションケーキを注文している訳だけど、これって普通の範囲だと思っていていいでしょうか???
 娘の幼稚園時代の友人とばったり道で会い、気の合う数人で今度焼肉屋さんにランチに行きましょうとさそってもらった。焼肉…久しぶり〜(≧▽≦)人形と食玩にばかりお金をかけている私だが、たまにはちゃんと自分にもいい服着せて楽しまなくちゃダメだよね。楽しみといえば「冬のソナタ」(笑)
奇跡的に借りる事ができた1.2巻を返しにいったら、まるで私を待っていたかのように3.4巻だけぽつんとあったので神のお導き?と思って借りてくる。ここにいたって私もオットも、願っていた通りだんだんその魅力にハマって来た手応えを感じる。ペ・ヨンジュンの笑顔にうーむなるほど、とうなりながら物語を追い掛ける。
実は私は彼に興味をあまり向けていなかった。周りにどんなに情報が溢れていてもかなり聞き流していた。でも4月に彼が来日して主演の映画「スキャンダル」の1シーンをちらっと見て、あらっと興味を感じてしまった。爽やかでいて、プレイボーイらしい表情が光って見えた。韓国の宮廷物語でその衣装がかなり素晴らしい。よく聞くとあの「危険な関係」を韓国の宮廷を舞台に置き換えたものだと言う。面白そうだと思っていると、幼稚園ママのヒートアップした話題に触れ、レンタルビデオ店に行ったついでにちらっと韓国ドラマコーナーを見たら入手困難と言われている彼のビデオがあった…と縁が続いている。
「危険な関係」、ラクロワの原作は呼んでいないけれど、1988年だったかに映画を観た。最初に映画化されたものはジェラール・フィリップがやったという役所をなぜにジョン・マルコヴィッチ〜!?と思ったものだが(今でも実はちょっと思っている)面白いお話だった。当時、私はグレン・クローズの目の演技に惹かれていて、彼女が主演だから観たのである。悪女らしい悪女を演じるクローズは素敵だった。マルコヴィッチが下心まるだしで誘惑して来て、それにふらふらとなる女がいるのかいまだに疑問だけれど、彼の演技はどの映画でみても素晴らしいのは判る。今あらためて見るとキャストのすごさに唸る。鉄壁の貞淑な人妻役がミシェル・ファイファー、16才の処女役がユマ・サーマン、彼女に恋する青年にキアヌ・リーブス。
当時の私には「この恋愛ゲームはなんなのよ〜、もう」って感想だったけれど、リメイクしたくなるくらい面白い作品だったかをまた自分の目で確認したくなる。ヨン様の演技と見比べてみたいかも。
 ちなみに、私に一番最初に「冬のソナタ」をインプットしたのは広島に住む友人だった。昨年、『これから冬のソナタツアーで韓国にでかけます♪」という空港での時間潰しによこしたメールで、笑ったものだった。
それで今日も「ついに私もハマりそうよ」とメールを送ったら速攻で返事が帰って来た。
『明日、また冬ソナツアーで韓国に行きます』と。すごい!
はっ。…人形買って来て〜!!って頼むんだった…