今日の夏祭りで、子供達は生まれて初めて金魚すくいをしました。
ま、正確にはすくったのはオットです。
周囲も仰天の、30匹以上をすくいあげたオット。
本当は3匹しかもらえない決まりなのに、なぜか9匹もくださったので、
帰りにホームセンターによって、金魚鉢と藻とお家(?)とエサを買ってかえりました。
ああ、いいものです、夏の金魚は。
見ているだけで本当に涼むの。
こういうのが癒しというのですね。

2004年7月30日(金)  
 昨日は疲れてオットより早く眠ってしまった。これは滅多にない珍事である。それで5時前に目がさめた。腰痛で。
昨日の息子との格闘がかなり響いた模様である。右目のものもらいもまだ完治しきれていなかったみたいで、昨日は何も感じなかったのに、今朝になるとまた嫌な感じでむず痒い。これは腫れる予感。とりあえず起きて、低血圧が上昇するのを待つ。一人でコーヒーをゆっくり味わいながら過ごす朝の時間が、私には何より貴重だ。寝坊するのが好きなのに、時間が足りない、やることがたくさんある、という焦燥感で寝ていられなくなったのは最近のこと。これが年をとるということなのかしら。
掃除と洗濯をして、家族が着るものを用意してから起こす。朝食を食べさせて、後はオットに任せて外出。ひとりで整骨院に行き、肩と腰のマッサージを受ける。極楽〜!!病院をでると雨が降っていた。通り雨とは判ったものの、洗濯物〜!と思い自宅に電話するが出ない。どうせ屋上でビニールプールででも子供を遊ばせているのでしょう、と(後で聞いたら事実そうだった)あきらめて雨宿りにブックオフにはいる。私はあまりこのお店にはいったことがないのだが、最近友人に活用しがいがあることを力説されて考えを変えたのだ。別の友人には韓国ドラマについてレクチャーを受けたし、別の人にはもっと美容ケアをしろと啓蒙されたし、やっぱり人の言うことに耳を傾けるというのは大切なものである。
ま、いずれもあまり言ってくれた友人達の期待には100パーセントは応えていないのだが(ヨン様命にはなれなかったし、基礎化粧品もやっぱりほとんど買ってない)人がいいというものがどんなものか、まず自分も体験してみるという人間として大切な心構えを、この年にして悟った訳である。
ブックオフも増える訳がよく判った。私が最近めっきり本を買わなくなったのは価格と内容が見合わない!と憤慨するものに懲りたからだが、その失敗もここに売れれば多少は埋め合わせがつくというもの。逆に欲しいけど高いなあと思っていたものが半額でそろえられるので魅力である。今まで、人が触ったものが気持ち悪い、という感じも多少はあった。でもなんだかその感覚も薄らいだ気がする。本ばかりでなく、CDやゲームソフトも豊富。この値段なら買ってみてもいいというものがたくさんある。有意義な雨宿りでした。
帰宅して、昼食にビーフシチューを作る。オットと子供は雨降りのさなかもビニールプールでかなり遊んだらしく、仕上げに気持ちよく入浴しているところだった。シチューがおいしくできたので、みんな上機嫌。
娘を幼児教室に連れて行き、オットと息子と3人でその間に大好きな商店街で買い物を楽しむ。¥100ショップでまたいい収穫があり、雑貨屋さんでもお気に入りの小物をゲット。いつもとは違うスーパーで夕食の買い物をして高いことにしかめっつら。でもそういう経験さえもなんとなく楽しい。帰宅して一休み。
夕方からまた家族で出陣。夏祭りである。
娘のお友達ファミリーと合流して一緒に焼きそばを食べた。オットは鬼のように金魚をすくい、周りの人からすごい才能だと絶賛された。そんな才能があってどうするのだ…! 私の友人など、ご主人でほんとうに何でもできる方ねえと感心するから、ええまあと曖昧に仕方なく言葉を濁す。いいえ、自分のパンツも靴下もだしませんと言いたいのをぐっとこらえるあたり、私にも成長がうかがえるでしょう。娘は盆踊りを踊り狂い、私は例によって社交三昧になった。残念ながら今日は私とオットは浴衣を着なかったのだが、娘の浴衣と帯はとてもよかった。帯は特にいろんな人にほめてもらえた。よく見ると、浴衣にも帯にも、当たり前だが作り手である祖母の縫い目が見える。あっ!と思った。そうだ、おばあちゃんの縫い目だ。力強いようでいて、ふっとうまく力が抜いてある。しっかりした仕立てで、でも固くないと、たくさんのお客さんファンがいたおばあちゃんの着物。5月に祖母が他界してから私はまだゆっくり祖母のために泣いていない。祖母が痴呆に入った頃に、既にある意味祖母にお別れをしていたからだ思うのだが、実感もわかなくて。きっとおばあちゃんは今もここにいて、私と私の家族を見てるなと思った。
盆踊りの帰り道、ホームセンターによって金魚のための道具を一式そろえる。家に帰って水道水のカルキ抜きをして、大騒ぎで金魚を新しい家に引っ越しさせる。
それが無性に楽しかった。苦手で嫌いな夏だけど、やっぱりこの風物詩あっての日本人ということかな。今夜は涼しくて過ごしやすい、いい夏祭りの夜だった。空にはぽっかり、綺麗な満月が浮かんでいた。私が狸なら、ここぞとばかりに腹鼓を打ったことでしょう。


「箪笥の肥やし」という言葉がありますが、
それはそのまま私の実家の一竿の箪笥を連想させます。
5月に亡くなった祖母は、和裁が仕事でしたが、それが何よりの趣味でもありました。
祖母は手縫いの着物を身内や親しい人に贈るのが好きで、
娘と孫二人である我が家には着られないほど着物がありました。
その中に、袖も通していない浴衣があったなあとふと思い出し、
母に贈ってもらいました。
私が結婚してすぐに祖母が自ら仕立ててくれたものです。
自分が気に入った反物があるといくらでも欲しがり、せっせせっせと縫っていた祖母。
多分、右ふたつの柄がとても気に入ったので一つに決められず二つも私に縫ってくれたのでしょう。
そして、オットの分までがありました。
丈はぴったりでした。
そういえば、結婚したころ、祖母に私たち夫婦の身長を聞かれたことがありました。
「ふ〜ん、○○センチいうことは、○尺いうことやなあ」
懐かしい祖母の声がよみがえりました。

2004年7月30日(金)  
 お天気だと思ったら夕方にちょっと強めの雨が降った。夕方からの体操教室に行くのはただでも億劫なのに、ますます嫌になる。いっそ休もうかなと思い始める私と、だめだめ、ちゃんと行かなきゃという私が心の中で戦った末、まじめな方の私が勝つ。子供の習い事も夏休みだといいのにな〜(T_T)
ついてみると体育館の中は蒸し風呂だった。しまった、冷房がないことを忘れていた。これを思い出していたら絶対今日も休んでいたのに、と唇をかむ。蒸し蒸しする空気の中で、体育館中走り回る息子を追いかけ回し、飲み物だ、トイレだと世話をする1時間半はかなり辛い。でもね、ほかの先輩お母様方のお話ではうちの息子はかなり聞き分けがよく、おとなしい部類だそうである。幼稚園の先生にもそう言われるのだが、だとすると男の子って本当に大変だ〜(>_<) 秋に生まれる妹の赤ちゃんのことをふと考えて、どっちだろうなあと楽しみになった瞬間だけ少し気持ちが和んだ。体操教室が終わって家路につく頃には、疲労困憊。いつも車で家まで送ってくれる友達がお休みだったのでバスに乗ろうとしたら、そのバスが行った直後で、20分以上待つことになった時点で歩き出した。18分後には家についたのだが、もう運動したくない!という気持ち。ケチらないでタクシーに乗るか、覚悟を決めて車を運転できるようにならないといよいよ駄目だ〜。

実家の母に頼んでおいた浴衣が届く。基本的には私が幼い頃に来ていた浴衣と帯を送って欲しかったのだが、今年は私も浴衣を着てみようと思い立ち、私の分も頼んだのだ。祖母の趣味で都合3、4枚は持っている浴衣のうち、袖を通していなかった2枚を母が送ってくれた。帯も2色ある。が下駄がない。オットのは、帯も下駄もない。買わなきゃ〜(>_<)
実は今日が夏祭りだったのだが、あまりに疲れたので明日の夜の方にいくことにする。娘には、妹が幼い頃に来ていた紫陽花柄の浴衣と、大きな水玉模様の紫の絹の帯を着せるのが楽しみである。浴衣の方は30年前に祖母が仕立てたもの、帯はなんと63年前に祖母が私の母のために用意したものである。娘が3代目となるわけだ。でも和服ってそういうものだよね。子供の頃は自分の浴衣が、とりわけ帯が人と違っているのが嫌だった。みんなと同じように鮮やかな、ピンクや黄色に染め抜かれたポリエステルの兵児帯が欲しかった。後に母がそれを買ってくれたのだが、ある年から私はまた紫の絹の帯を締めるようになった。不意に良さが判ったのだ。
娘がいるというのは嬉しいもの。七五三の着物も浴衣も帯も草履もバッグさえ受け継がれて行く。
箱の中にはまたとびきり懐かしい1枚が入っていた。それは小さな水色の夏のワンピースで、妹が生まれる前だから、3歳の私が大変気に入っていたものである。胸高な位置で切り替えがあるAラインの幼さまるだしのそのワンピースがとっても好きだったことを、今まで忘れていた。母とおでかけ、というと自分からせがんでそのワンピースを着せてもらった。夏は必ず白いサンダルを履いていた。夏の暑い日差しの中でくたびれた私は、長く続く坂を見上げる。でも好きなワンピースを着ていたから、それで気をよくして頑張って坂道をのぼった。神戸のあの坂の道。忘れていたことが、ふとしたきっかけでこんなにも鮮明に思い出されるなんて不思議で面白い感覚だ。
7歳だけど飛び抜けて小柄な娘には丈こそ短いものの、幅はぴったり。スモックブラウスとして着られる。娘がものすごく気に入ってしまって、脱ぎたがらない。体操教室にも着ていくと言い張って困った。
ついでながら、私の実家の古い古いピアノも送ってもらうことを検討中。母がもう捨てるというのだが、それならいっそ送ってもらって、子供達にピアノを習わせようかという気になってきた。でも、何十年も調律されていないあのピアノが、果たして現役復帰できるのだろうか。神戸から東京への送料も気にかかる。今、狭い我が家の(私の人形がかなりのスペースを占めてます、すみません)どこに置くかということも考えなくてはいけないし。
子供達と一緒にまたバイエルからお稽古するのも楽しそう。昔ピアノを教えて頂いていた先生、どうなさっているかしら。おそろしくレトロな洋館がお教室だった。ゴシックだったわ〜。ボロくて薄暗くて、しんとして、かすかな光にすけて埃がたくさん舞っているのが見えた。先生は、背が高くて痩せた、年配の男の方だった。おお、ますますゴシックだったかも。
思い出の引き出しというのは、本当にふだんは錆び付いていて開かないのに、開いたとなると中から次々にいろんなものが出てくるものだ。
次回、娘に譲るのは十三参り(あまりする人はいないようだが、当然、祖母は私たち孫にもそれを強いた)の着物と、成人式の着物だな〜。あ、お正月に着る紅いウールの着物も好きだった。あれも送ってもらおう…考えてふと気づく。これではあの「肥やし箪笥」が実家からまるまる我が家に移動してくるだけだと。


久しぶりにビーズアクセサリーをつくりました。

2004年7月29日(木) 
 昨日より落ち着いたものもらいだが、やっぱり体調万全という気がしない。寝てないからだよと言われればその通りで反省してしまう。時間がいくらあっても足りる気がしなくて、眠るときも後少し、あともう少しと本を読まずにはいられない。今日は台風の影響もあって雨が降り、買い物にもいかなかった。にもかかわらず、すごい勢いで時間が流れて行くことに驚く。一日家にいると、3回は食事をつくる。気がつくと一日中キッチンに立ち、料理を作るか、あるいは食器を洗っている気がする。掃除と洗濯を合間にして、アイロンをかけて、娘と勉強をして一緒に日記を書く。その間も息子はずっと私にまとわりついているし、片手間ではなくちゃんと向き合って遊んでほしがるので、徹底的に遊び相手をする。それでもう夜である。でもこれでもずいぶん時間が空くようになった。それなりに子供達が成長しているので(平均より幼く、甘えん坊なのは否めないが)私の気配が感じられさえすればそれぞれがおとなしく遊んでいてくれる時間が日に数時間は出来るようになったからだ。ま、おとなしく、というのは息子の場合誇張気味かな。頻繁にドゴッ!とかヴァキッ!とかゴン!ズダーン!ガシャガシャッ!…などの激しい音と響きがあるからね。(一戸建てに住んでてよかったと感謝する瞬間です)でもその割には案外ものも壊れず、本人もけがをせずにいる。完璧に気をぬくことはできないけれど、それでもずいぶんな成長なのだ。
目がまだ痒く痛いので気分がすっきりしな。すると返って形に残る生産的なことをしたくなり、先々月に買ったビーズアクセサリーキットをだしてきて二つ作った。それでずいぶん気持ちが満たされた。私が何かを作っていると、子供達も遠慮して邪魔しないように気遣いするようになったことを悟って、それにずいぶん驚く。いじらしく思ったので、ビーズ完成後、3人でホットケーキをつくっておやつを楽しんだ。

今日もネット三昧してしまい、またまた衝撃の一目惚れをしたお人形が。おかげであれこれ検索をかけ、思案を重ね、根本的に一からお人形購入計画を見直す。私が今一番求めているものはなんなのか。
困ったことにお人形は案外シーズンもので、のんびりしているとなくなる、生産されなくなるという不安にたえずつきまとわれる。私は決して「レア」というものにこだわらない。好きなら大量生産品で結構と思っている。でもやっぱり作り手が精魂込めて大切に仕上げたものの素晴らしい魅力に鈍感ではいられないし、そういうものが入手困難になるほど人から求められるのは当たり前のこと。つまり競争相手が多いってことなのよね…。それにどう立ち向かうか。時間、労力、お金。それらのバランスを考え、自分の中で決定をくだす。
こんなとき、オットも人形好きになってくれたらいいのにと本当に思う。精神的にも経済的にも彼のサポートを必要としているのだ。その気になればオットはなんにでもすごい能力を発揮する人なのである。帰宅したオットにそう言うと激しく拒否された。なまじ、その素養があるのが自分でもわかるだけに絶対嫌だそうだ。すでに、ジェニーとキサラ以外の人形の見分けがつくようになりつつあり、値段鑑定もある程度できるようになった事自体、深刻な問題だという。客観的に見て人形にハマっている自分を想像するだけでも耐えられない、と。気持ち悪い人にならないように自分で気をつければいいだけだと思うのですがだめでしょうか。オットに気兼ねしながら邁進する私の趣味生活は厳しいのでなんとか引きずり込みたいのだけど。今日、一目惚れした人形についてもにじりよって買っていいと言ってほしい雰囲気を漂わせてみたが(笑)、オットは気のない相づちを打つばかりであった。一応話は聞くだけ聞きますけどね、という最低限度の彼なりの礼儀なのだろう。でも会社の近くのコンビニにあったからと、食玩のぷちサンプル「夢のアメリカンライフ」を箱買いしてきてくれたオット。ありがとう、これからは理解あるオットと思うことにします。なんでも先日オットは仕事関係で出会った人(女性)が人形好きだということを聞き、ふとこのサイトのことを話したそうだ。その方はここをご存知でなぜか絶句なさったという。
これからは欺瞞にならない程度に.できるだけいいオットだって書くから、私の応援してオット。

 
最近、アリスグッズが少ないディズニーストア、およびディズニーランド。
これは昨年末行ったランドで見つけて購入。
全部欲しかったけれど、オットが顔をひきつらせたので、
さしあたり使用頻度の高いボールタイプの小皿を購入。
とっても重宝しています。
好きなものを使って生活してると、普通〜のことも楽しい。
単純ですね。

2004年7月28日(水)  
 朝起きて、視界がいつもより狭い感じねと思っていたら右目にものもらいができていた。時間を王ごとに腫れてきたので、本日はひきこもり決定。でも冷蔵庫がすっきりしていたので、子供達を連れて買い出しにだけは行く。息子の幼児教室の日だったけれど、私の体調と気分が低調気味で休みたいんですと先生に正直に電話。その頃にはもうちょっとした幽霊のような目になっていた。子供の頃から疲れがたまると、素直に体が反応する。私が今までにひどいものもらいになったのは2回で、いずれも娘、息子を出産した3ヶ月後くらいである。気が抜けて疲労を認識しだしたときだ。夏休みになってやっとほっとしはじめた証拠だろうなと自分でも笑ってしまった。
だからとても久しぶりに、ゆっくりネットした。オークションのお人形ページをほとんど見るなんてこともひさしぶりにやってしまった。でもすごく勉強になった。自分の好み、意識が求めるものを探りあてるのに役立った、というのかしら。ああ、そうか、とふっきれた気持ちになれて、今すぐではなくてもいつかきっとこの子とこの子とこの子とこの子とこの子は買おう、などという恐ろしい決心をしてしまった。その頃はもう子供もすっかり成長して、自分のことは自分でやってるだろうし、私もまた違う人生を歩んでるさ、なんていい方に考えてみる。欲しいと決めた人形の顔を思い浮かべていたら、ぼこぼこと名前が空から降りてきた。神様が認めてくれてるんだと勝手に思うことにした。
それでやめておけばいいのに、勢いが止まらない。ネットの世界をさまよっているのは楽しい。人形だけでも手一杯なんだからよせばいいのにビーズのお店ものぞいてしまう。欲しいキットがゾロゾロあるわ、あるわ。悩んでしぼって、いくつかのキットを注文。あああ、やっちゃった。PCに向かうのはいいが、何かと買い物してしまうのがとにかく悪い癖になっていて、本当に困る。
困るのはお人形だよ、と思考もループしてしまう。
なんだかこのまま大きめのお人形にハマって行くのかな。反面、実は先週、小さめのお人形、ジュンプランニングさんの新作「クラスメイト」の子を2体注文していて、それがまだ届かないのでイライラしている。実物を見て、顔立ちがとても気に入ったのだ。なんで届かないのかな〜、人気のお店だから注文が何かと殺到して、発送作業に時間がかかってるからかな〜、まだ問い合わせちゃ駄目かなあ、と落ち着かない落ち着かない。昼間出歩いていることがとにかく多いので、確実にいる夕方以降の時間に配達指定したのもよくなくて、ちょうどお風呂にはいりたい時間なのに、今届いてはいけないと思うので我慢する。早く届いて〜!
リカちゃんもまだ欲しいものがあり、バービー熱も最近落ち着いてきたとはいえ、心にかけているものが2、3体ある。
でも値段と入手方法の性質上、一番厄介なのがボークスのお人形でしょう。
ずっと楽しみにしている「スーパードルフィーバイブル」はいつ発売になるのかしらん。本を見て気が変わることもある。できればドルパ前(たぶん行かないと思うけど)に発売してほしかったなあ。誌上限定販売のお人形というのも見ると気になる。今までの私の好みから言うと違うタイプなのだが、NoelというMSDの男の子、欧米系で小公子風にしているにも関わらず、顔を一目見るなり私の漏らした言葉は、
「う、ヨン様…!?」
であった。オットは即座に否定。いやいや、目の色とウィッグに惑わされては行けない。垂れ気味ながら涼しい目元、ふっくらした頬、かすかに笑みを漂わせた唇…これは微笑みの貴公子さまそっくりざます。限定、という言葉は嫌いだけど(しかも応募はがき、とあるからきっと抽選)、このピピピ!とくる感じは大変おヤバい。ヨン様といえば、韓国、韓国といえば韓国限定で気になるお人形がいくつかあり、下手な国内に家族旅行するならできれば韓国に行かせてもらえません?とオットににじりよる。その先に何があるか判り切っているオットは決して首をたてに振らない。人形がらみの夢はふくらみ暴走するものだ。

夜中、NHKで再放送しているアニメ「十二国記」を見る。この間、偶然みかけてそのまま見続けてしまい、今日も思わず見てしまったのはなぜかな〜と思ったら女仙たちをはじめとする謙譲語感の強い古風で雅やかな言葉使いがきいていて面白く、かつ心地いいのだ。「二度とタイキ(10歳くらいの男の子)にお近づき申し上げること許しませぬ!」いいわ〜。ハマってみようかな、この世界にも。


更新のために、食玩を広げて撮影中。
ミニチュアに目がない息子は(ドールハウスとかものすごく好き)ずっと虎視眈々。
あやうし、私の食玩ちゃんたち〜!

2004年7月27日(火)  
 最後にプール教室に行ったのは先週の金曜日だが、4日ほど経った今朝娘がいうことには、プール教室でお友達に意地悪を言われたからもうプールには行きたくない、と。娘は何事につけてもトロい。幼稚園と小学校では先生の対応もクラスメートの反応の大きなギャップがあって、娘なりに必死でついていっていて、夏休みになってもそれでは可愛そうだなあと思い、プールプールとうるさくもう言わないようにオットに注意した。
オットという人は「完璧」というのが口癖と言う困った人である。常々、自分は弱点を作らないように生きてきたと豪語し、子供の頃に「苦手」があるのが自分でも許せなくて、苦手なものほどそれをやっつけてやる、という信念を持って、挑戦し、克服して生きてきたと熱っぽく語る。
意識してかしなくてか、彼はそれを娘にも強いているのだ。どうしても嫌なことは今無理にしなくても、という私の考えと合わない。私はなにもそれっきり、苦手をすべて回避しろ、と言っているのではない。そうできるほど世の中甘くないことは、私自身、
身をもってよく知っていますともさ。でも、真正面から休みなくぶつかり続けても、どんどん自分に自信をなくすだけ、ということもよくある。少し冷却期間を置く、というのも大切だ。苦手からすべて目をそらすことは、私もさせないつもりである。
娘の着替えが遅いことを、馬鹿にした口調で言ったと言う女の子は、娘の次に学年で小さな女の子である。保育園育ちで下に弟二人がいてお母さんが多忙なので、いつもなんでも一人でやっている。そんな彼女が先々月イジメにあったことを、私はたまたま知っている。帰り道一緒になった体の大きい二人の女の子が、自分たちのランドセルを彼女に持たせたのだ。雨だったので傘も持たせた。よろよろになって、泣きながら歩いているその子の姿を見た私の友人が注意して、それをやめさせた。その後、親同士、先生同士どう連携したかしらないのだが…そのときイジメられていた子が、今度は娘に言葉の刃物を向けてきたというのが気に入らない。色々な見方はあるので、まずリサーチして、娘が何か相手を傷つけることを言ったか、したか、別のお友達に聞いてみた。そんなことはなく、一方的にT子ちゃんが、じっと娘の行動を観察して急に意地悪を言い出した、とのことだ。
そういうことも娘にとって人生勉強。着替えが遅いことで迷惑を人にかけていないかもしれないが、つけこまれるなら、そんなことがないように、自分で鍛錬するしかない。娘なりに、その事件があった当日から今まで4日間、親にも言わないでじっと我慢して、やっと心が落ち着いたからはなせるようになったのだろう。それだけでもいい成長だ。
でも弱いものがさらに弱いものに悪意をまわして行く、という構図は気に入らない。夏休み明けに早速担任に連絡をとり、相手のお母さんとも話すことに決めた。
そんなこんなで、今日中に更新するつもりが、志半ばで倒れます。
何人かのお母さんと連絡を取り合ったりするのも大切だったけど、とにかく子供達がずっといると3度の食事に2度のおやつ、という感じで一日中、作業は絶えず中断されるのだ。洗濯したり掃除したり、買い物いったり、お風呂にはいったり。人生とは何?と10代の頃思っていた私が、ある女性作家さんの「人生とは早い話が食って寝るだけのことである。あとは死ぬまでの間の暇つぶし」と書いてあるのを見て、目からウロコがボロっと落ちたのだが、その効力はこういうときにも出てくる。私なりに、めいっぱい生きて、でも時にはゴロゴロ、ゴロ寝も楽しんだりなんかして。人を愛して信じて有頂天になって、急に人間不信になったりして。それでも凝りもせずに、小さなことでうれしがりながら、なんとかかんとか生きていくだろう。
不思議なのは、こんなに自分勝手な私を、人は案外見捨てずにいてくれるんだなあと言うことである。
「あなたはいつも誰かに守られてるよ」
午後に届いた友達からのメールに、頭を垂れた。私の人生をほぼ20年以上見ている彼女は私がピンチのときも、上昇気流に乗っていたときも知っているし、私の根性も熟知している。誰かの助けをあてにしながら生きて行くのは、結局自分に跳ね返ってくるからイヤだ。信じて裏切られるのは悲しい。人の好意の上にあぐらをかいて生きて行く醜態をさらしたくない。でも、そんな根性曲がりの私をいつも誰かが「いいよ」と助けてくれた。奇跡を積み重ねて、私はなんとか生きてきた。このご恩は私も人に返します。それが出来てから死ぬようにしなくちゃ。


娘のお食事3点セット。
セレクトしたのはオットです。

2004年7月26日(月)   
 オットが風邪をひいた。熱派ないけれど関節がいたく、脱力感があって、そして何より弱点の腰が、いつもにもまして痛いという。実際に顔色も冴えない。忙しい日が続いていたので疲れていることは明らかだったし、今日は休んだら?とすすめると案外素直にそうすると言って彼は眠り直した。いつも時間をめいっぱい使うことを人生の楽しみにしている人が、こんこんと眠り続けたので実際に体調がおかしいのだろうと思う。
朝から今日は珍しく雷がなって、つかの間だったけれど雨がふった。おしめり程度だけれど空気がそれで少し軽くなった気がした。娘がいつもにもましてプール教室に行きたがらないので、休ませることにする。実際、先週はプールや習い事でまったく暇がなかった。これでは母子ともに身も心も休まりません。
でも午後から息子の幼稚園には楽しくでかけた。トランポリンやほかの玩具をだしていただいて、30分だけのつもりが、あまりに子供達が喜ぶので1時間半も遊ばせていただいてしまった。息子のことを相談できる一番の方が幼稚園の先生方であり、でもやっぱり迷惑をかけすぎているようで、少し悲しい。ただ今だけはたぶん、神様が心を休めてのんびりしていていい、といってくれているのだと思っている。息子が学校に上がったときに、母子ともにいろんなハードルを越えていかなければならなくなるでしょう。何が怖いと言って、一番怖いのは人である。人を幸福にするのは別の人からの思いやりであり、心のこもった優しい言葉や態度であると思う。不幸はその逆だ。人は人を不幸にする力を、ごく幼いうちから持っている。
たとえば娘の通う学校には特別擁護クラスがある。たいていそういうところはお花の名前がついて『〜学級』と呼ばれていると思うけれど、娘の学校の健常児たちは、なにか友達を馬鹿にするときには『〜学級のやつみた〜い』(注:女の子の台詞です)と言う。幼い1年生が少しぼんやりして反応がおかしいと思うとシャカシャカして品のないうるさい感じの女の子(女の子に多いかな)は「ねえ、この子って〜学級の子かなあ?」と侮蔑の表情も露に言ったりする。
そんなひとつひとつの刺が胸に刺さること、小さな悪意が時には行為として大きく現れるのを防がなければという気構えを、再来年からの私は気にしなければならないのだ。
淡々とそんな話をすると幼稚園の先生は悲しそうな顔をなさる。「そのとおりですね」とうなずかれる。人は誰でも心の中に多かれ少なかれ「自分さえ良ければ」という気持ちを持つ弱いものである。ある意味、この地上に生きるものの中で一番誇り高くない。この年になってなぜ宗教のほとんどが、「人は生まれながらに罪の子である」というところから始めるのかが判ってきた。
弱者をいたわり、同士である人を互いに尊敬しあう、友人でない人、知り合いでない人にたいしても礼儀と思いやりある態度で、一瞬しか人生ですれ違わない人であっても大切にする、というのが人間の一番の美しい誇りだと最近思う。メリットがない相手と親しくしても仕方ない、親切にしてもなんのいいこともない、損するだけだという考え方を胸に潜ませている人は、どんな姿形をしていても醜い。
私は人の善意を信じきれず、一旦憎み恨んだ人を許しきれない。そんな私はいかなる宗教の教義をきいても、最初の段階でつまづいてもうそこから洗脳がストップしてしまう。宗教はすべて言う。人を愛し、許しなさい、信じなさいと。私は思わず笑ってしまう。
ただ。地道に、人を馬鹿にせず、自分自身に惚れ込んでうぬぼれることもなく、心に品格を保ちながら生活をこつこつ丁寧にこなしている人の姿を目の当たりにしたときだけ、心が洗われ、信念が揺らぎ、神様への対話が心に生まれる。
これが亡き祖母がよく言っていた「人の姿の中にこそ菩薩さまがおるねん。神様は人の姿をしてその気持ちを伝えてきはるねんで」ということなのだろうかと思う。(しかし祖母は煩悩にまみれ、ふりまわされ、人も振り回す勝手な人生を生きたが)
人を傷つける心の凶器をもった人たちはたいてい、善人の姿をしている。ルール、とか常識とか、そういう切り口上を武器にして自分を正当化しながら、より弱い人を傷つける。
ずっと昔のニュースだけれど。障害者の夫婦が、生活保護を受けながら細々と暮らしていた。夫婦には子供さんが一人あって、義務教育は中学で終わりだけれどせめて高校くらいは卒業させてあげたいと願っていた。夫婦は少ない生活費をさらにきりつめ、なんとか公立高校入学金の10万円程度を貯金した。ところがそれを知った民政委員が、「貯金できるような人間に国の税金から生活費を渡すことはない」と保護を打ち切る手続きをしてしまったのである。委員は自分は正しい、間違っていない、規則だ、決まりだの一点張りであった。たくさんの人が反応し、事件になり、委員の手続きは撤回された。
こんなニュースの中に、私は善人と自分を賞する人の卑小さと悪意を感じるのだ。こういう委員みたいな人って、案外たくさんいませんか?
子供の世界にはたくさんいます。ささいなことでも友達のあら探しをし、それを告げ口をすることが嬉しい。大人に、あの子はちょっと特別なんだよ、だから許してあげなくちゃ、と諭されると口を尖らせる。数日後には自分の家庭で親か祖父母にでも言われたのでしょう、「○○○ちゃんは知恵おくれなんだよね、頭が病気なんだよ」と揚々と発表する。大人げない私は、○○○ちゃんはもう字もたくさん読めて、計算できて、図鑑も暗記できるの、あなたできないでしょ。そうオバさんが言ってたよ、ってあなたのママに今日帰ったら言ってみてね、なんていう。こういう小悪人予備軍を(卑怯な善人という呼び方の方が穏当かな)、せっせと育てることにならないよう人の親は己の心とも向き合わなきゃいけない。親になるというのは面倒なことだ。何より子供への愛に縛られるのが辛い。
今日は誰にも嫌な人に会わなかった、嫌なことはなかった。
いい人に合い、その心の優しさとか生き方の気高さに、ああ、と思った。
いつもこうなら、私の心の黒さもいつか洗い流されるのかなあ。どうも生まれつきの性質だからなおらないとは思うのだけど、でも謙虚になる努力はできると思う。


10ヶ月前くらいから、¥100ショップの消しゴムにこっています。
動物とか果物、野菜が可愛い。
この雀(?)はピンクの子がずっと気に入っていて、
最近水色の子も出てきたので喜んで購入。

「ほかにこういう子達もいま〜す』
我が家の子達のイチオシはハムスターちゃんらしいです。

2004年7月25日(日) 
 「今日はどこにも行かないで、家でのんびりしていましょ」7歳の娘に朝食のときに宣言された。ハイ、すみません。昨夜は久しぶりの偏頭痛でよく眠れず、西原理恵子さんの「鳥頭紀行アマゾン編」を読みふけっていた。お世辞にもアウトドア派とは言えない私には生涯縁がないところだと思いつつ、他人事として楽しんだ。私は旅行嫌いである。でも紀行ものを見たり読んだりするのは大好き。知識はたくさんあるので、よく人には旅行好きと間違われるくらいだが、単に自分にないものに憧れているだけである。今の私がどれくらい旅行嫌いかというと、自分の実家の神戸に帰るのも億劫なくらい嫌いなのだ。そういうとみんなに呆れられるんですけどね…。旅費がったら人形にまわしたい、というくらいのもんです。
そんな私なので、オットが家族旅行を計画をたてようというのを本気で拒む。いいよ、だるいから。
子供達も全然家から離れたがらない。つくづく思うが、子供達は外見はオットそっくり。それで私はしめたと思った。オットのように無神経なほどおおらかに、どこでも眠れて行列も集団も夏の暑さも苦にならない、人生を比較的楽に生きられるタイプに成長してくれることと信じたのだ。ところが中身は全く逆であった。友人達が言うには中身はどうしようもなく私に似ていると言う。とほほ…。
オットも疲れて入るので、朝からのんびりビデオで映画でも見ようと言う。私の好みで頭を使わず楽しめるものを借りた。「キューティー・ブロンド2」である。なんだ、このくだらなさは、とオットは呆れる。そこがいいのよ〜(>▽<)

プーリップのアリスが、まずいことにオットがいるこの日に届きました。また人形を買ったのかと面白くない顔をするオット。人形を買うことで、私のストレスが解消され、ひいては家庭の平和が得られていることを、これからじっくり言って聞かせなくちゃ。


すごく急いでいたときに、雑貨屋さんのレジ横で売っていたアヒル。

とっさに一つだけ買ったのだけど、もっと買っておけばよかった。

2004年7月24日(土) 
 オットは娘のプール教室も休まず欠かさず毎日行くべきだし、公文の教室とピアノともう少し習い事を増やすべきだと言う。毎日私が疲れていると言う事態を把握していない人の、実におおらかな発言である。子供の送迎だけで私の毎日は消費されていく。娘に合わせた行動をとらされる息子も可哀想だが(2番目以降の子供の宿命で、どこのお宅も似たようなものだと思う)その息子と待ち時間を使うのも大変疲れる。やっと週末と思っても、やっぱりあまり私は自分のしたいことができないのだ。そこへオットがさらに追い打ちをかける。部屋が片付いていない。俺はもっと生活感のない部屋が好き……。
私が爆発するのもいつものことで、それから彼はやっと自分の失言に気がつくのだ。
今日は午後にはオットがお疲れなのは全身の態度で示していたから判っていたけれど、ぜひとも私の機嫌をとってもらうべく、普段行きたくても行けないところに連れて行ってもらった。お人形巡りをしてみる。でもたいした収穫はなし。やっぱり今はインターネットショッピングに勝るものはないのかなあと実感。時間もお金も結局節約になるような気がする。ただ、どうかな?と思っていたお人形の実物を実際に目に出来るのは素晴らしい。「やっぱりいらない」と判断できた瞬間、とっても節約できた気になるのだ。
実物を見ていないけれど、今私が欲しいお人形について考える。ずっと欲しいと思っていたけれど、再発売が決まって画像を見ると、なんだかズレがあるような気がする。オークションなどでは大変なプレ値がついていてその名前自体の威光もすごいことになっているようだけれど、だから買える機会に絶対欲しいと飛び込めるほど素直じゃない私。何か違うなあと思う気持ちが自分でも気に入らない。本当に好きな子は、ブランドであろうとなかろうと気持ちがまっすぐに向かって行く、気がつくと買っている。そういう自分の純粋な情熱と、勘を大事にしたい。
そういえば今日、お人形巡りをしていたら至る所で「少し置いておくとオークションで高く売れるから」「この手のタイプは高く売れるよね…」「これって絶対買っておくと得!あとで高く売れるから…」という言葉を耳にした。今の状況から考えてそういうこともあるかと確かに思うけれど、聞いていて嬉しくなかった。前に、行列嫌いの私がブライスの為に並んだことがあるのだけれど、そのときも前にならんでいる人たちが、「もう3時間後にはオークションに出せるよ」とかそんな話ばかりしていて萎えたことがある。昨日、テレビで海洋堂さんがでていらして、想像以上に緻密で細かい作業労働なのが判った。だから生産数に限りがあるのも判る。
でもできることなら愛するお人形たちのために、生産できるものはできるだけ生産して本当に欲しい人の手に渡るようにしてほしい。時間がかかってもいいから、注文生産にするとか…。欲しいと思ったお人形が手に入るのなら、私は3年待ってもいいと思うのだけど。

今回こないなこないなと思っていたら、やっぱり来た、体調不良。1学期間終わるごとに寝込むことが恒例化している私。今週はずっと普段通りだと思っていたら、今朝になってやっぱり貧血、低血圧の症状がありあり。本当は家で寝込んでいたかったのだ。でも悔しいから無理にお出かけ。収穫はそんなになくても、やっぱりお人形巡りは楽しかった。本日思わず買いたくなったのは今年のゆかたリカちゃん。黒髪おかっぱの子。紺地にイチゴとサクランボ柄の浴衣も可愛かった。日本製だったし、やっぱり買ってもよかったかな。どうしていくらでも欲しくなるのか、リカちゃんて不思議で、やっぱり可愛いお人形だと思う。家に何体のリカちゃんがいるか考えて踏みとどまったのだけど、今すでにもうそのことをちょっと後悔し始めている。娘はCD付きアイドルリカちゃんにずいぶんご執心だった。おでこだし、前髪なしワンレンロングのちょっとオトナっぽいリカちゃんを気に入るとは、娘の趣味も面白いと感心した。

夕食はオットおすすめのイタリアン・レストラン。イマイチな感想。ごめんね。


これは全部私の携帯です。ということはなくて

本日の新聞の折り込みチラシでした。
Cali Girl バービーとケンが使われていたので、うれしい驚きでした。

2004年7月23日(金) 
 娘の学校のプール教室がネックでどうにも気持ちも体も休まらない〜。もう私はヘロヘロだ。娘がプールに親しんで泳ぐことが少し好きになったとしても、私がイライラしていたのでは結局良くないのではないかと思い始める。また夏休みになってから子供達がやたらに早起きするのも悩みの種である。おかげでおちおち何かをする暇もない。子供達の母への要求は過大なのだ。今までは2時間程度でも一人になれる時間があったけれど、全くなくなってしまった。しかも外出のたびに息子は同年齢の女の子に絡まれている(笑)今日は娘のプール教室の終わりを待っている間だったがやっぱり同じ立場の、誰かの妹である女の子が息子にちょっかいをだしてきて困った。女の子ってどうして知り合うきっかけに意地悪を言いたがるのだろう。息子は無視。私も無視。で、相手の親も無視だと腹が立つのである。自分の子なんだからちょっとくらい注意すればいいのにと思う。いやがって距離をとろうとする息子にずっとつきまとっては、息子がちょっと花壇の裏に回ったら(花は一切踏んでいない)「あんなところにいったよ。花を踏むんじゃない?」と言ってくる。踏みそうになってから言えっつーの。息子が熱帯魚のいる水槽をおとなしく眺めていると、息子を「のいて!さわらないでよ!」と押しのける。さわってません。その子の親はうつろな顔をしてあらぬ方向を見ている。私は頭に来た。そこへ知り合いの女の子のおばあさまが来た。その方のお孫さんは現在ただいま息子につきまとっている女の子とは正反対で、美形でやさしくおっとりしていて上品。おばあさまが「あんまりのんびりしていて心配」とおっしゃるのでとんでもない、それは素晴らしいことですと私は絶賛した。それをくだんの少女の母親は気を悪くしたように聞いていた。当てこすりがわかるってことは、自覚症状があるってことよね!
帰宅してすぐに昼食の支度をしていたら何気なくつけたテレビを見て思わず「サンヒョク!」と叫んでしまった。『冬のソナタ』で主人公達の恋の妨げ役を担当していた男性、パク・ヨンハさんが来日して徹子の部屋にでていたのだ…。そういえば、ユジン役のチェ・ジウさんも来日したとニュースでみた。
スタイルが良くて本当に綺麗なので感心した。パク・ヨンハさんも清潔感があってきちんとした感じが、最近の日本の男の子にはない雰囲気だと思う。
のんびりくつろいでいたら、英語教室の先生から電話が。本日午後3時から、授業参観レッスンの予定だったが、クラスメートが時間を間違えて1時間早く来てしまったので、差し障りがなければもうきてくれないかとのこと。自宅から徒歩2分なのですぐに行く。しかし、私はあまり参観できなかった。クラスメートの妹である少女がずっと私の膝の上にすわり、絵を描いたり絵本を広げたりしながら1時間半、私に向かってしゃべり続けていたからだ…。私が追いかけられない状態なのを見てとった息子はいたずらにせいを出し、また私はイライラしてしまった。大変疲れたので、夕方からの体操教室に行くのを忘れてしまった。オットが早めに帰ってきたので、夜のファミレスへドライブしてちょっとお茶をして気を落ち着ける。とにかく休みたい〜!


今年の息子の甚平は、風神雷神柄なのだけど、
この写真ではまるっきりわからないですね……。

2004年7月22日(木) 
 この二日間のうだるような暑さの経験のあとでは、今日という日が涼しく感じられたのだから感心する。人間なにごとも鍛錬ということだろうか。うわ〜、鍛錬とか努力ってすっごく苦手(>_<)
私個人はさまざまなことが苦手で弱点だらけで、そもそもそんな人間が母になるということ自体が大間違いだったと思うが、なってしまったものは仕方ない。子供は嫌いなのに自分にできれば可愛くてならず、ちゃんと成長させてあげたいと願い、自分のキャラに反してでも動いてしまう悲しさ。私の友人はそれを「天罰」と言ったが実に的確。愛情を罰として持たせるというのだからやっぱり神様ってすごい。
そんなことに感心しながら、涼しい午前のうちに娘と一緒に勉強をする。昨日、本屋で買い込んだ算数ドリルである。ドリルっていう言葉自体がもう無限になつかしいぞ。娘は遊び感覚で楽しんでこなす。よしよしこの調子。とりあえず、小学校の算数だけはしっかり頑張っておきましょう。あとは適当でいいからね。
それからプール教室に行く。昨日より全然人数が少ない。みんな早くもサボタージュか。私もまじめっこは今週限りにしよう。そうじゃないと本気で夏休みらしくないんだもの、忙しすぎるんだもの。
一旦帰宅して昼食。少し休んで1週間ぶりに息子の幼稚園へ。息子が大好きな担任の先生が日直でいらっしゃるのである。園長先生も副園長先生もいらしてくださって、お話できて楽しかった。担任の先生は優しくて美人で、同性の目から見て申し分ないと思える方である。息子の趣味はものすごくはっきりしていて、知的で清楚でもの柔らかな美人にはっきり弱い。運良く好みのタイプの女性に担任してもらえて幸運である。そのせいか、1学期は毎日幼稚園から帰りたがらなくて困ったものだ。
私は来世というものを信じないし(前世も信じない)あって欲しいとも思わない。物語のモチーフとしては非常に面白いと思うけれどそこまでこの世に執着するほどいいことあるかな?と懐疑的である。でももしどうしても再生ということがあるなら、息子の好むような女性にして頂きたいものである。男は大変そうなので遠慮したい。私の理想の男とは器が大きく、うじうじしない堂々とした人間なのだけど、自分がそうなる自信は全くないんだもん。

レイ・ブラッドベリの名作のタイトルをパクってブラッドベリ氏に抗議を受け、電話で平謝りしたというマイケル・ムーア監督だけれど、「華氏911」はすごいそうだ。最初からブラッドベリ翁に筋を通しておけば良かったのに、83歳のお年寄りだからおとなしく見逃してくれるとでも思ったのかな?でも世界中のブラッドベリファンが、映画のタイトルをきいて「あれ?」と思ったに違いないのだからね〜。そんなつまらないことでミソをつけた印象があるブッシュ政権を批判したその映画、ディズニーが配給を拒否し、その直後にカンヌ映画祭で最高賞をとったことでも話題になった映画が、アメリカ国内で大きな波紋を起こしていると聞いて、唸っている。リンダ・ロンシュタットがコンサートで映画を絶賛し、みんなその映画を見るべきだと言ったらイラク戦争肯定派の一部のファンが暴れたため、その場をロンシュタットさんが矯正退去させられたとか。怖い。なんとアメリカは言論の自由までなくしつつあるのか。しかも彼女は私が聞く限りでは別段なにも不適切な発言らしきことはしていない。人として映画に感動し、その魂や意味することを考え、愛国心を持ってほかの人に映画を見てみて、と訴えただけだろう。めんどくさい、うっとうしいけど、アメリカ国内のブッシュ批判。遅い。でも起きてくるだけまだ良心的かもとも思う。10年後、アメリカが彼を大統領に選んだことを果たして誇りに思っているかどうか。オットはなぜか私に腹をたてたように、ではアメリカがとめなかったら誰がフセインを止められた?と聞いてくる。戦争は、新たな殺戮を生むだけで解決にはならない。フセインの代わりにアメリカがイラク国民を殺しているだけのことにしか、私には見えない。そうなるのではないかと思ったから開戦時に悲しんだ。でももしかして、こんなにも科学が進んだ現代の戦争なんだから一瞬でフセインだけ捕縛して、被害をださずに戦争が終わるかな?なんて甘い夢もあった自分が悔しい。戦争は所詮戦争。畜生道の世界である。
それを批判する人間を弾圧しようとする心こそが一番怖い。
どこかで聞いたような記憶があると思ったら、たくさんの物語に人の心をつかみ、戦争に誘導していく指導者の話があるではないか。狂信的についていく軍隊。そしてその先の悪。地獄。最後には正義の鉄槌という形が多いけれど、それは現実にはどうかな。人というのは物語はもちろん、繰り返す歴史からも学ばないものなのかなあ。
普通に、ただ普通に、人が人らしく生きるということが、なぜそんなに難しいのだろう。



アクアリウムの中で泳ぐ金魚の姿が涼しげで、
親子でしばし見とれてしまいました。

2004年7月21日(水) 
 暑いじゃないですか…。私に死ねと?…と思わず誰彼かまわず、絡みたくなるような不機嫌な夏です。何が腹立たしいと言って学校のプール教室で、1年生は中途半端な11時過ぎから12半過ぎまでという時間帯で母達からはブーイングの嵐状態。自由参加自由休みなので申し込んだものの適当になまけようと決意はしているのだけど(母親失格ですな)、初日くらいは行かない訳にはいかないでしょうと渋々、いやがる娘を説得して出かける。昨日に引き続き冗談ごとではない暑さだった。娘を待つ間、息子となじみのホームセンターに行って喫茶コーナーでソフトクリームをなめさせる。思わず私もかき氷を食べた。私は年間1回くらいしかかき氷を食べずに今まで数十年過ごしてきた。それが今年はすでに3回目である。
恒例のペットショップ見学のあと、娘を迎えて一旦帰宅。もう2度と再び出かけたくなかったが、息子の幼児教室のため、歯を食いしばって外出。教室は楽しいのだ。先生との会話は有意義で心が洗われるようなものがある。でも帰りのバスで嫌なことがあった。小学校2年生か、3年生くらいの女の子が一人でいたのだが、後ろにならんだ我が家の子供達に「なにやってんの?」なんて何度も聞いてくる。娘はただおとなしく立っているだけだし、息子は私のバッグの中のお茶のペットボトルを取り出そうとしていたのである。なにもやってないよと私は応え、それきりその子とは目をあわさないようにして関わりをさけた。その時点でかなりもう機嫌が悪かった。でもその少女の話し方は私には嫌な感じがした。どうしてこんな子がこの時間にここでひとりでバスをまっているのだろうと思ったが、バスが来たときに運転手さんにある病院の前に止まるかどうか確認していたので、まあなにかしら訳ありだなあとは思った。問題はそのあとで、私は一旦我が家の子供達がすわった場所が危ないからと席を替えさせたのである。その少女が、マークするようにぴたっと子供たちにくっついて座っているのも気に入らなかった。その目つきが顔から足先まで視線を移動させるという非常に品のない仕草で、私からみるとそれだけでもう喧嘩売ってるのかしら〜?という感じである。移動するとその子もびたっとくっついてきて、私の後ろに座った。バスがすすみ、もうすぐ家に近くなった頃、私の膝の上に座っていた息子は機嫌良く小声でハム太郎の歌を歌いだした。そのとき、少女が待っていたように「あのう、ちょっとうるさいんですけど!!」と言ってきたのである。2回は黙殺したが、3回目に私は言葉短く、しかし的確に不快感を表明した。バスの中はほぼ満席だった。でも誰も少女をかばう人はいなかった。たぶんみんな彼女の話し方を聞くと一瞬で引いたと思う。少女は顔色をなくし、私は友達になりたがっていない相手にしつこく絡むのはやめなさいねとさらに念をおしてバスを降りた。夏の日の、不機嫌な私に息子のことで絡んでくるとは命知らずにもほどがある。子供は元来残酷なもので、たま〜に息子に「頭の病気でしょ!」と言ってくる子もいたが、なにぶん狭い地域社会に住んでいるので私がそれを友人に愚痴をこぼすと巡り巡って言った子の親の耳にはいり、いい人なら謝ってくるか、品のない人なら知らん顔で、でもこそこそと私を避けるという行動に出る(今のところ、嫌な子供には二人しかあっていないのでデータとしては弱いけど)。でも一応子供は叱るのである。先生の耳にいれれば確実に注意がなされる。たぶんその子は親の前ではそういう言動をとらない子なのだと思う。
学校での日々の問題で母親同士で話し合って、みんなの意見が一致していることなのだが、イジメをする子は親の前ではいい子であることが多い。つまり親が止めること、駄目だよと言うことがちゃんと判っているのだ。親に厳しくしつけられていてその目前では我慢していても、持って生まれた嗜虐性の血が騒いで、親がいないところで己の欲求を解放している、という感じの子がとても多い。親はほかの人から話を聞いて、泣いて謝ったり、でもしまいには開き直っていじめられているのはうちの子の方、といいだしたりする。人をたたいたり蹴ったり、モノを投げつけたりするのも、言いたいことを言えない辛さがさせること、というのである。いや十分言っているし、どう見ても理不尽なんですけどね。
やっぱり自分は子供好きじゃないことを実感。ほんと、生意気でデリカシーのない子供は大嫌い。彼女は多分、私がやさしく「あらあらうちの子がうるさくてごめんなさいね。ほら、このお姉ちゃんがうるさいっていうから、お歌歌うのはやめましょうね」なんて笑いながらいい、それが会話のきっかけになることを期待していたかと思うが、私はそんなふうに言う気には全くなれなかった。子供好きな人ならそういう態度にでるのだろう。でも私はもともとが筋金入りの子供嫌いである。今日出会った少女のようなタイプが私をそうしたのだ。子供とはいえ、私には通り魔のように思えるくらい嫌だった。
どう育てたら、あんな風になれるものかなあ、案外親はすごい善人風だったりすんだよねと思いながら帰宅すると、私が知っている限り多分一番慈愛に満ちて、すべての子供を愛していらっしゃる方から電話があった。あまりにもタイムリー。息子の幼稚園の保育主任大先生である。
神のたしなめの手というのはこんなにもすぐにさしのべられるものだろうか?
長い夏休みに、せっかく好調に園生活を送っていた息子のテンションが落ちないように、息子が馴染んでいる先生方が日直のときには、ちらっとでも遊びにきてくださっていいですよとの、ありがたいお申し出。お休みごとにひたすら感謝する。気がつくと、息子のことを中心にたくさん相談していて、また先生の貴重なお時間を浪費してしまった。恐縮して電話を切る。そのとき、胸がすっきりしていることに気がついた。
でもな〜。やっぱり今あの少女にあっても私はきつい言葉を言っただろう。横に親がいてくれれば、もっと言ってやれたのにとそれが残念。あれ以上言うと、私の方が悪人みたいになっちゃうしね。
暑苦しい日に嫌な人間に絡まれることほど、厭わしいものはない。

夜、テレビ東京の特別番組「クレオパトラの謎にせまる」を見る。仲間由紀恵さんがリポーターである。謎に迫るといっても2000年前のことなのでたかが知れている。私は海底で発見されたクレオパトラの宮殿とされているものの映像が見られることを期待して見たのだけれど、ちらっとしか写らなかった。オットが仲間さんってよく見ると綺麗な人だね、というので呆れた。よく見なくても十分美しい人だと思うが。こういうとき、オットの美の基準に疑念を抱く私である。


今年の夏は、これが雑貨店でたくさん売られています。
豚セットもアヒルセットも可愛くてほしいと思ってるんだけど、
まずはイルカ。
浮き輪はちょうど、リカやベチにいいサイズですよん。

2004年7月20日(火) 
 ついに娘が1学期を終業。ああ、なんて早かったことだろう。そのくせドキドキすることもいっぱいあったから、本当に大変だった。でも一番大変だったのは娘なわけで、初めての通知表を見ながらつくづくねぎらった。可愛い2段階評価で娘はほとんど「できる」に○をもらっていた。二つ「もう少し」というのがあって、それが「はっきりと判りやすくお話する」と「簡単な計算ができる」なのだ。これは親が見てもイマイチなので笑ってしまった。でも先生が書いてくださっているコメントは暖かく、ありがたいものだった。
やれやれとホッとして正午には家に帰り着きずっと家にいる。やっと平和に時間ができた〜!なんかすっごく無駄に使いたいなと思う。でもとりあえずアイロンはかけておく(小心者)久しぶりにドラゴンクエスト?をやった。子供達も喜ぶので。周りではとっくにクリアしてるのに私はやっと青年時代後半に入ったところである。お約束通り、生まれた双子の息子と娘にはミニョンとユジンと名付けたわ。案外のめりこむ。しかし暑い。エアコンが効かないなあと思って、今までで一番最低温度に設定したけど、やっぱり暑い。まさかこれ以上低くは設定できないわと自分の良識と戦って過ごしたのだが、あとで夕方のニュースを聞いたら観測史上最高の「39.5度」を記録したとのこと。聞いただけでクラッとめまい。

どうでもいいことだが、ワールドカップで好きになったオリバー・カーンが離婚した。愛妻家ということもあっていいイメージを抱いていたけれどまた幻想が破られました。奥さんが2番目のお子さんを妊娠中にナイトクラブの女性と不倫。別れて夫婦関係を修復中ときいていたけれどやっぱりだめで、奥さんが離婚届を出した日は、不倫相手の誕生日だったとかで、ふたりでカーンの別荘で過ごしていたそうだ。それも愛なんだよね、きっと。恋する気持ちはとめられないのかなあ。たとえ、不実の限りを尽くし、人の信頼を裏切り、汚れた空気を身にまとうことになっても。恋する二人にだけは世界は輝いて見えるのでしょうか。他人事とはいえ、古来から、人間を呪縛しつづける色恋というものについて、悩んでしまうニュースでした。


人魚姫の助けでも借りないと、涼しくなれない〜!

2004年7月19日(月) 
 行きたいところがたくさんあった。でもどうにも体がボロボロだ。起き上がるとぐらっと部屋が回る。私だけじゃなくオットも顔色が青白い。それでも私に負い目があるオットは、昨日の長時間運転で疲れ切っているのだが大丈夫だから私の行きたいところに行こうという。でもそんな運転で家族で事故にあったらあほらしいじゃないですか。悔しいけどお断りして家にいた。昨日一日洗濯しないだけで、洗濯ものかごはあふれんばかりになっているし、アイロンをかけるものも山ほどある。部屋もなんだか誇りっぽく、庭もすっかりくたびれた様子。もう全体的に冴えない。一応、ビデオで映画ぐらい見ておこうということになり、気になっていた「Love Actually」を見る。オムニバス形式のラブストーリーってどうかな、と思いながらとても良いという噂もほのかにきいていたので気になっていたのだ。オット大感激。私も泣いたシーンがある。ほとんどの人が幸せになったのだけど、一人二人がね…。たまたまこれもまたヒュー・グラントが出ていた。最近、もしかして私はこの人を好きになっているのではないかと言ういや〜な予感がする。私は人間の男に対しては面食いじゃないのだ。ヒュー・グラントがデビューしてきた頃、もちろん私の周りは少年愛ブームと、美少年ブームで湧いていたから、周りにファンがいっぱいいた。でも当時、私は彼に特に内面からにじみ出る何かは感じなかったのだと思う。ジョニー・デップが少しすきだった。でもなんといっても好きだったのはオジサン、トム・ハンクスで(当時は通好みと言われてました…)、それからラウル・ジュリア(故人)。今も好きなのはゲイリー・オールドマンとダスティン・ホフマンなのだ………(言い訳はしないです)そんな私の無視をものともせずにずっとちらつき続けるヒュー・グラントって何。どうしたんだろう。情けない顔が抜群にうまい。かっこいいのにかっこ悪い。彼の演ずるキャラクターはどうにも私にはリアルで、そのせいで居心地が悪くなる。なのでよけいに見入ってしまう。顔立ちが整っているだけの男ではなかったのね。人生経験が表情にでてくるようになった今、彼はとても素敵です。あ、もうオジサンになってるね。やっぱり私はオジサン好きということだろうか。何も知らず、自意識過剰でプライドは高い、青い果実は私には用がないのだ、今も昔も。関わるのがめんどくさいからね、きっと。青くなくなったヒュー・グラントが素敵。
顔にこだわらないはずの私が、昔どうしても気になる顔があった。あれがいわゆる一目惚れというのだろうか。
私はキム・ベイシンガーが大好きである。今をさること多分10年くらい前に、初めてケーブルテレビというものに加入して、WOWOWとかスターチャンネルで一日中映画を見るようになった。広島に住みだした頃である。まだ友達もおらず仕事をしていなかった私は何本もの映画を見て楽しんでいて、番組プログラムを読み込んでは興味ある女優・俳優が出ているものは見るようにしていた。キムの名前をみつけて楽しみに見たその映画は私には面白くなかった…。「クールワールド」というタイトルだったと思う。現実よりアニメ世界が好きな男が、アニメ世界に入っちゃうのである。時々時空の裂け目みたいな現象が起きて、そういうことが起きる、という設定だった。キムはアニメ世界から現実世界に脱出しようとしているちょっと悪めの役である。そういう人を取り締まる若き警官みたいな存在があって、まあその役をしている青年の綺麗なこと。まちがいなく「ハンサム!」と叫んでしまった。話はしょうもなかったが、彼の顔ばかりおいかけて眺めてそっち方面で有意義になった。肝心のキムもその映画の中ではあまり美しくなかったしね。最後のキャストのテロップを必死で拾い読む。ブラッド・ピット。
あれよあれよという間に大スターになった。今も素敵と思うけど別に夢中じゃないです。でもまたいつか夢中にさせてほしいなあ。
ちなみに同じ頃、映画がつまらないとMTVチャンネルを見ていた。私が好きだったのはクラシックMTV
という番組で、可愛い男の子が一生懸命ビデオジョッキーをしていた。ハーフなんだろうなあ、でもハーフだからって必ず綺麗に生まれるわけでもないでしょうし、運のいい子ね、なんて楽しくみていたのは、彼のおしゃべりが明るくて素直で本当に好感が持てたから。ちょっとカッコつけてみせるところもシャレがきいていてキュートだった。決め言葉は
「お相手はあなたのマーク・パンサーだ」
いや、私のでなくていいんですけど(笑)可愛いなと思っていたらやっぱりトップスターになっちゃった。でも今はどうしてるのでしょう?
ちなみにMTVブロックスという番組でジョッキーをしていた鮎貝ケンという方も好きでした。今でもときどき彼のナレーションを聞くと、なんとなく嬉しい。

「Love Actually」の中の1話に10歳の男の子の恋物語がある。相手の女の子の歌が素晴らしい。私はこんなにも、マライア・キャリーの「恋人達のクリスマス」を好きだと思ったことはない。これって吹き替え?それとも実際にあの女の子が歌っているのだろうか。だとしたら第2のローリン・ヒルじゃない?なんてドキドキ。
大昔、やっぱり「天使にラブソングを2」を見ていて、女子高生のあまりの歌のうまさに絶句し、さすがアメリカ、向こうの子役は歌も並大抵じゃなくうまいのね、綺麗なのね、と感激したけど、彼女は後にローリン・ヒルとしてトップアーティストになった。
映画は面白い。時に胸の痛みに直撃して、泣かされることになっても。


オットの家が代々お世話になっているお寺。
将来私のお葬式もきっとこちらで出して頂く予定。

2004年7月18日(日) 
 朝9時にドライブを開始する。まずは渋谷へ向かう。昨夜3時まで起きていたので眠くてたまらない。なんとなく目が冴えたので、お人形棚の中のお人形数体をちょっと動かすだけのつもりが、興が乗ってしまって、本格的に模様替えしてしまったのである。後ろの方に隠れていた子を前面にだすだけでなんと気分が変わることか。改めてお人形の魅力に感じ入ったり、思わずドレスも着替えさせたりとついつい遊びに熱がはいってしまった。
しかし朝早めに出発したせいか、渋谷方面への道はすいていた。うたた寝をする間もなく目的地に到着。本日朝一番の目的は、先日、娘に声をかけてくれたモデル事務所で正式な面接をするためである。事務所がある場所は一等地といっていいところだったが、ビルがレトロでびっくり。なんか柴田恭平が探偵事務所でも開いていそうな雰囲気である(訳がわからない例えでごめんなさい)しかし清潔で、なんども古い壁やドアをきちんと塗り直している感じがするのだった。事務所の方達がまたとてもきちんとしていらっしゃる。しかし娘の面接態度は最悪であった…。ささいなことでパパに対してヘソを曲げたので、ふだん滅多にないほどのひねこびた態度を取る。が、事務所の方は個性的な独特の雰囲気があるので、ぜひ正式に所属してお仕事をしてみてくださいと言う。じゃあやっぱりやってみる?ということにはなったのだが、事務所を出たあとで夫婦で娘を叱りとばした。日頃、とても素直でもの柔らかで、ちょっとおしゃまだけれど、明るく丁寧な話し方をする娘の良さが全くといっていいほど出ていなかったことに心からがっかりしてしまったのだ。しかし思い起こせばこの娘はここぞという節目でそうなりがちであった。昔福岡で幼稚園の面接を受けたときにもまずいきなりへそを曲げ、私がさしだした上靴を庭に投げ捨てた。面接の間もずっとプリプリした顔で無言を貫き、先生の質問に答えず、私にしがみついているだけだったが、最後に園長先生が「○○○ちゃん、この幼稚園に来たい?」と聞かれたときにくるりと振りむいてキッパリと「イヤ!」と言い放った。おのれ、最後まで黙っておればいいものを〜!と夫婦で意気消沈したものである。翌々日に合格通知が速達で届けられたときにはオットがこれはきっと何かの間違いに違いないが、嘘でもいいから取り消される前に入学金を振り込んでおくと銀行に走ったことがあったっけ…。
物思いにふけりながら車に乗り込み、東名高速に入る。オットの実家に行くのである。
ところがすぐに車が止まった。大渋滞である。ここまでの渋滞には今までちょっと出会ったことがない。東京から厚木まで25キロ、小田原にはいってからオットの実家までが、2時間かかった。通常、25分の道のりで、である。こんなこともあろうかと自分の好きな音楽ばかり編集しておいたので、私は途中からすっかり楽しんでしまったのだが、オットの実家に午後3時に着いたときにはさすがにヘトヘトだった。お尻が痛くて、足を伸ばし切ると心からホッとする。おそるべし、伊豆方面渋滞。
義父母の素晴らしいお料理のおもてなしにいつもながら感激し感謝し、いつもよりさらにいっそう美味しく頂く。子供達はおじいちゃんおばあちゃんにあえて大喜び。義父母もこの上もなくかわいがってくれた。息子はオットの生まれ育った町に車が入ってすぐにはっとした顔になり、車を停めるときに、「おじいちゃん、おばあちゃん」と言った。驚いた私が、「○○○くん、覚えてるの!?」と聞くと「あたりまえ」と応える。この言葉にどれほど私たちが驚き感激したか………。すぐにも幼稚園の先生に電話してお伝えしたいと心から思った。
 恒例のお墓参りに行く。ここでも子供達はすっかり手順を飲み込んでいる。長い石段を上り、ものすごく味がある古いお寺の境内に入って行く。正面の本堂の左に淡いピンクに塗られた和風なんだけれど可愛い建物が合って、それがオットが卒園した幼稚園である。外には遊具がいくつかあり、子供達はそれで一通り遊ぶ。それから桶に水を汲んで、石段の中程の横にある墓地に入って行く。娘はお線香を供えるのが好きである。我が家の墓石は6つ並んでいるので、義母は日々の掃除が本当に大変らしいが、さすがによく手入れされていて清々しい様子になっている。お水を備え、墓石に水をかける、それが娘の一番の楽しみである。お手手を合わせて南無南無しなさいというと素直にするのだが、別になにも願うことはないと言うあどけなさ。息子はというと、墓石をジャングルジムかなにかとすっかり混同しており、歓声をあげてよじ上ったり降りたり、墓地全体を格好の遊び場にして走り回っている。私は注意したが、オットも義父も、可愛い子孫によじ上られて、ご先祖様もさぞかし大喜びしているだろうと言う。ううう、どうかバチだけはあてないでください。
それから水着に着替えて(注意:
子供達だけですからね)実家から徒歩5分の海水浴場へ。夕方5時近くだったがとても明るく、暑く、海水浴には十分だった。ところが昨年はあんなに喜んだ子供達が大変な恐がりよう。どうも今日は波が荒く、勢いが強くて怖かったようである。砂浜をすごい勢いで走る、綺麗な青緑の甲羅の蟹をみつけた私が息子を呼ぶと、息子は顔を輝かせて追いかけた。蟹、必死で逃げる。逃げて石の下に隠れたのを息子が追い、手をつっこんで探る。蟹が出たと思った瞬間、息子が指を蟹のはさみに挟まれた。あまりにも絵のような光景に大笑いしてしまった。
帰宅してすぐに入浴、それから持参した浴衣と甚平に着替えさせる。今日はオットの地元でもお祭りの日だったのである。
にぎやかに楽しく過ごして帰宅。帰り道も渋滞気味。安全運転を心がけつつ、帰りも音楽を楽しむ。岡村靖幸、バービーボーイズ、YMO。なつかしめで決めてみた。音楽に酔う。岡村の「どうなっちゃってんだよ?」がものすごくすき。
『どうなっちゃってんだよ。人生がんばってんだよ。ベランダ立って胸を張れ!』夫婦で叫ぶように歌う帰り道は案外楽しかった。義父母からは美味しいお刺身やスイカとみかんなどなど、お土産も山のように頂いた。今度は渋滞をうまく読んで避けて、夏の間にまた行きましょうか。


今年初の盆踊りに行きました。
左から息子、甥、娘。

2004年7月17日(土) 
 オットは自分を「聖人君子」と言う。一番の理由は浮気をしていないから、というのである。それから家族のために働き、仕事が終わるとほぼまっすぐ家に帰っているから、と。それは当たり前のことではない、という認識の彼に違和感を覚えるなあとため息をつく。私もオットに誠実であり、家族中心に生きているのだが、当然のことであってそれほど賞賛してほしいとは思わないのだが…。
ここまでできないだろうと思えることを心をこめてしてくれて、そして一切自慢をしない幼稚園の先生、私が頭を下げることさえやめてくれとおっしゃる先生となぜ対極のことを言うのだ、オット。私の清らかな(笑)日々はごく当然のことで、あなたの毎日はそこまで善行なのか。また一つ、嫌いな言葉が増えたよ『聖人君子』
ちなみに今は、たとえば土曜日の習い事に行くと、集まった子の付き添いの半数はお父さん一人である。まめまめしくタオルやハンカチ、飲み物を用意し、子煩悩に子供の成長に手を貸している。習い事の先生ともきちんとお話しし、私たちほかの父兄への挨拶も立派である。オットが基準に置いてるのはいつの時代の日本男児なのだろうかと思う。大体が結婚するとき、すべては平等にと自分から約束した彼である。家事も育児もできるだけ手伝うと。それがいつから恩着せがましく自慢に思うことになったのだろうか。自分のパンツも靴下もださないのにさ〜。

夕方、子供達に今年初の浴衣と甚平を着せて駅前の盆踊りに出かける。すごい蒸し暑さに意識朦朧。たくさんの知り合いにであって、挨拶をかわす。7人目くらいまでは数えていたけど、その後はよく判らない。

人生は、しょせん死ぬまでの間の暇つぶし、と言う。永井路子先生の著作のどれかで、登場人物が言った言葉である。それが頭について離れない。
愛を知らない人生は豊かとは言えない。愛による喜びは大きい。けれど愛するが故の苦悩も悲しみも大きい。愛するということは執着するということだ。執着は人をゆがめやすいという大きな副作用の力を持っている。愛のすべてが清く正しい訳ではないということもある。
願わくば、ささやかでも歪みなく、誠実を尽くして生きて死にたいと思う。人生はどこかゲームに似ているけれど、派手なゴールでなくてもいいのだ、ぶっちぎりの1位なんて願わない。いろんなことに驚き感激しながら、一日一日の一コマを大切に生きて行って、それで順当に「死」というゴールにたどりつけたら…。でもそれが難しいことだったりするのね。
幸福であるように最善、全力を尽くすことに、ちょっと疲れたりすることがある。


お誕生会という名目で、幼稚園の同窓会をした娘。

2004年7月16日(金) 
 前から計画していた、娘のお誕
生日会を開く。同じ6月生まれの女の子と7月生まれの女の子と合同主催にして、卒園した元クラスメートの女の子達をメインに集まりましょうという趣旨。午前中に一旦、開場としてお借りした教会の1室を借りて支度。午後2時から開催。かき氷器を私が持って行けば、別のお母さんがアンパンマンのわたあめ作りを持ってきてくれるという感じで、これだけで十分子供達は盛り上がり、あとは慣れ親しんだ幼稚園のお庭でシャボン玉や追いかけっこ、ブランコ、砂遊び、水遊びをして遊ぶ。母達はおしゃべり三昧。とてもくたびれたのだけど、充実感があり、これからもできるだけこういう集まりをしましょうということになった。
幼稚園のおつきあいに疲れたことも正直言ってたくさんあったけれど、がんばった甲斐あっていい感じに慣れ親しみ、チームワークを作れたなあと思ってそれがうれしい。
人は誰でも孤独で不安で、母になった女達は皆それがとても激しく、人の目が気になる。自分がやっていることが平均的、常識的なのか、気になる。気にしないと言えればカッコいいけど、やっぱりカッコよくは生きられない。自分一人のことなら変な人と言われてもいいけど、子供をわざわざそうしたくはない。そんな意識もみんな一緒で。
ただ、私が感じて感慨深いことは、女もこうして年をとり、いくつかの経験を経ると「私はさみしい」と素直に告白できるようになるんだなということだ。私は昔から寂しかった。何をどうしていても孤独だった。そんな自分に困惑し、開き直ったり、素直に悩んだり。周りの人はみんな「私には夢があって、何より友達がたくさんいて、ひとりぼっちじゃない」といっていた。
今、同じ立場の女同士話していると、「人間は誰でも独り」と口を揃える。悟り、かしらん。


久しぶりに食玩を更新しました。
あ、お人形もしてます。ここには写っていないMAちゃんです。

2004年7月15日(木)   
 疲れていて眠いのに眠れず、朝からだるい。典型的な低血圧で不眠症。なんて不健康な私でしょう。しかも当然ながら、腹立たしいほどに暑い。朝からオットにも腹をたて、暑さ倍増である。泣きっ面に蜂というのか、昨日食パンを買い忘れていた上に多めにご飯を炊いていなかったので、朝起きたら食べるものがなかった。かなりのショック。子供達の分だけはパンがあったので、救いだったが…。娘の忘れ物を届けに1時限目の終わりを見計らって学校にいったあとは、空腹と暑さで倒れそうになってしまった。それで気づいたのだが、今年はこんなに暑いのに、食欲は減っていない私である。余談ながらお酒も美味しいっす。
オットへの怒りを友人にメールで綴り、コンビニで腹いせに食玩を買いまくってやってやっとスッキリ。オホホ、復讐するならショッピングに限るわね。
 息子はついに終業式。なんだか物足りない。息子が幼稚園を好きな分だけ私もさらに幼稚園が好きで、先生方が大好きだった。お会いできる限りの先生にご挨拶をする。中でも一番に心をこめて感謝をしたいのは保育主任の先生なのに、先生がいつも照れくさがって話を切り上げられるので私のお礼も中途半端になってしまい、大変心残りである。お礼ならいいけれど、たくさんのご迷惑とご苦労をおかけして本当に申し訳ないと頭をさげると、いつも先生はそれをとてもいやがられるのだった。謝る必要はないんです、と。
そういってくださるお気持ちは嬉しい。人として当然のこと、とおっしゃってくださる先生方のお気持ちの気高さに頭がさがる。謝られるようなことじゃないと言ってくださるのはうれしい。けれど私の気持ちとしては感謝と謝罪の心は表裏一体になっている。私が息子のためにできるだけたくさんの刺激を、教育を、環境の変化をと望むたび、それは必ず多かれ少なかれ周囲に影響を及ぼし、波紋をひろげ、誰かの気配りとお世話を必要とすることになるのだ。人間不信と悲しみで胸も頭もいっぱいになり、ある意味生きて行く情熱をなくしてさえいた私に、差し伸べられた先生方の手はどれだけ意外でありがたかったことか、言葉で言い尽くせない。驚いて泣きたくなるほど、息子に向けて頂いた愛情は大きくて暖かだった。嬉しい気持ち、優しくしてもらえる感動はこんなにも胸に痛いものなのだということを、私は初めて知った。人を恋して知るせつなさよりもっと、慈愛に対する感謝は切なくて痛い。息子の登場で、私は自分一人では到底生きて行けない、どう考えても私が人に与えるより与えられるものが多いことにならざるを得ない人間だと自覚して、そのことも一時とっても辛かった。でも先生方の無償の愛を見ていると、いつか私もささやかながら真似をして、見返りを求めない愛を持って人に尽くして、それから死にたいと思う。
普通に息子がすごす幼稚園の一日一日を、私は全然当たり前のことと思えない。息子が顔を輝かせて楽しみきった顔をして帰ってくるたびに、小さな奇跡を見た気持ちになる。だから1学期を無事に楽しく過ごせたということに感動するし、先生方に感謝しても感謝しきれないのだ。新入園児を迎えた1学期、先生方はどんなに大変だったかと端で見ていても十分すぎるほど判っていたが、それでも息子に対する保護は一瞬も手を抜かれることがなかった。親の私よりもずっと、きめ細かくて大きな深い愛で包んでくださっていた。ありがとう、そしてそんなにもお手間をかけさせてしまってごめんなさい。せめて出来る限り、私も子供を愛して幸せにするように努力します。心からそう思ってしまうのだった。

さて、子供二人いれば一人は手がかからないという。いや、我が家はかかる。娘も心配が尽きなキャラクターである。でもよそのお母さんから「しっかりしてらっしゃって」と言われることも多くて、のけぞるほど驚く。それは誰の話ですか!?というのが正直な心境だ。でも、「しっかりしてるわね〜!」と思うことがあった。
お茶だけを頼むつもりではいったいつもの喫茶店でウエイトレスさんがくるなり娘はこういったのだ。
「アサリのスパゲッティはありますか?小さいフォークとお皿をつけてお願いします」
のけぞりました。

なにはともあれ、まずは息子が夏休みになりました。というわけで久しぶりに更新作業をしました。やっぱり更新は楽しい楽しい!もっともっとアップしたいことがたくさん。夏休みは夏ごもりして楽しもう。…長期の休みがくるごとに、家にこもることしか望んでいない。なんとかその願いが叶いますように。

 
私がこの世で一番愛している男性。
こんなに愛した男はほかにいないし、これからも出ないだろうな。

2004年7月14日(水)  
 昨日に引き続き、幼稚園の秋のイベントの小道具作りの会に参加する。ハマる。開き直って薄着するけれど、こう暑いとそう目立たないからいい。っていうか私はあまりにも貧乳なので、露出が多めの服を着てもいっこうに誰もぎょっとしないのである。これだけは大概あきらめがついた年になってもつくづく残念だ。私の母の家系は皆、大変なグラマーである。母もそうなら妹もそう、祖母も叔母も従姉妹も実に豊かで魅力的な、女らしいバストに恵まれている。そんな中で私一人どうにも胸が大きくならないまま年をとってしまい、本人よりも周囲が悩んだと言うくらいのものである。何かの祟りを私が背負っているのだろう、ということで話が落ち着いた、ふん。でもいいことがあった。グラマー女たちは皆そろって全く母乳が出ない質だったのである。ところが超貧乳の私は雌牛並みに母乳がでて、桶谷式などどこ吹く風というくらいだった。それできっと祖母系統ではなく、祖父に似たのであろうということになった。そうじゃなくても私の顔は祖父そっくりなのだ。しかし祖父はもとよりその母も姉妹も死に耐えているので、母乳が出る質だったか、胸が豊かだったかどうか確認するすべはもはやない。
ま、そんな訳で(ってどういう訳だか)私は暑さにかまけて今まで慎んでいたキャミソールやタンクトップで出歩くようになっている。目の毒じゃないと思うんだけど、毒だったらごめんなさい。もう暑くて暑くて、何も考えられないのです〜。
子供の送迎と暑さで意識朦朧。
明日で息子の1学期が終わる。なんとかやり過ごせてよかった。濃い1学期だったなあ、やっぱり。

 
昨日に引き続き、夏っぽい化粧品シリーズ。
見た目の楽しさが好き。

2004年7月13日(火) 
 日に焼けた。ものすごく焼けた。もう私はどうしようもなく茶色い。どこかに遊びにいって焼けたのならあきらめもしよう、受け入れもしよう。しかし、しかしである。ただ単に日常の生活をしているだけでなぜここまで焼けなくちゃならんのだ!日焼け止めも日傘も帽子もがんばったのに……。ああ、でもでも、暑くて暑くてどうしても、長袖着て暮らすのができなかった。タートルネックもとんでもなかった…くすん、それが敗因なのねっ、すべて自分が悪いのねっ…。
しばし鏡の前で落ち込む私。落ち込み落ち込み、落ち込むだけ落ち込むと急に浮上するのが昔からの不思議な癖である。よし焼こう、とストンと決意が胸に落ちた。もう今更白くはなれない(っていうかもともと全然白くないのだ)ならばいっそこんがり焼かれようじゃないですか。いっそサバサバして気が楽だい!
そう思ってさわやかに外にでる。しかし外は爽やかじゃなかった、冗談じゃない暑さだった。死ぬ…。
中身、魂が抜けてしまっても母親としての外殻が残っている以上、義務は追いかけてくる訳で、たとえ今は何がどんなにどうでもよくても、魂がもどってきたときのために下手なことはできない。ので、言われるままにすごすごと幼稚園の秋のイベントに向けての準備のために近くの図書館に出向く。母たちで集まって、お祭り用の小道具をつくる。新聞を芯にして外を和紙で包み、秋の果物や野菜をつくるのだ。これにハマる。ものすご〜く私の性に合っていた。割当の柿、25個を一気に作って皆に絶賛してもらう。抜けた魂も戻ってきました、よかったよかった。
息子の送迎、娘の送迎、娘の英語教室の送迎、息子のソフトクリーム買い食いにおつきあいと、すべての予定をこなしたら夕方だった。再度、魂が抜けていたけれど帰宅してすぐの入浴で復活。しかしもう何をする気力もありません。夏ってあとどのくらい続くんでしょうか…。

 
私は化粧品音痴です。
うたい文句をみては単純に信じる。所詮、化粧3分の人間です。
だまされるなら見た目がいい人。ということでコレ。
綺麗に日焼けするためのファンデーションとのこと。
メロンパンくらいある大きさのコンパクトにびっくり、でもキュートでしょ!
2004年7月12日(月) 
 妻と子供にかまい、関心を持ち、妻が子育てに悩んでいれば時間のやりくり都合をつけて手伝うというのは、そんなに特異でものすごい善行なのだろうか?妻が身を挺してすべてをなげうって家族のために尽くしていることは「みんな一緒」と一蹴されがちなのに?
オットのことをほめられるたびに私の胸の中にはたくさんの思いが溢れ変える。それから人の目なんていい加減なものだなあと思う。でもいい加減な中にも真実の針は潜んでいる訳で、それにチクッ!とさされる前に自分で気づけるようにならなければと戒める。
でもオットが今日、会社を休んだのは私の仕事を手伝うためではなく金曜日からの腰痛のせいだった。
休むついでに私の外出の送迎をしてくれた、そのことがなぜ人に「いいわね〜」と言われるのか判らない。ただそう言った友達とは今までになく腹をうち割った話をするきっかけになった。そして、彼女が「自分の中の黒いもの」と戦っている人だと知った。それは私から見ると大して黒くないのだが、育ちがよく根が善人の彼女にはささいな黒ずみも許せないものらしかった。私に比べたら、あなたは白い子羊よ、と言いたいのをぐっとこらえる。心から私がそう思っていても、言われた人には不快だろうと思うので。
それはともかく母親3人集まって、今週末のお誕生会のための買い出しをした。大変楽しく、有意義なお買い物だった。息子を迎えて待っていたオットと3人でランチする。こんなときいつも、学校で苦手な給食を一生懸命食べているであろう娘を思い、胸がしゅくしゅくと痛む。
その娘を迎えに行くと、どうにも腰痛で計画外に休むことになったオットを見て大変喜んだ。そのまま二子玉川までドライブ。デパートの中の子供美容室で息子のカット。メゾピアノなどセールをしていたので、オットに息子をまかせて、娘とさまよっていたらものすごい息子の泣き声がしたので駆けつける。店内に流れていたのが息子が怖がるビデオだったのだ。オットは息子がポケモンを苦手なのは知っていたので、アンパンマンならオーケーだと言った。でも「空飛ぶ絵本とガラスのくつ」という長編のガラスの巨人が息子はすごく怖いのだ。よりによってそのビデオが流れていたのである。私が行くと息子は泣きながら抱きついてきた。
「ほら、もう魔法がとけて、巨人が王子様に戻れたよ。カボちゃんもシンデレラになれたよ」
と話しかけると目に見えて落ち着いたものの、パニックの余韻は後をひいた。
小さな子供さんには多かれ少なかれある局面だが、オットは息子の自閉傾向のことでくよくよと思い悩む。しかし髪をカットした息子は大変男前になった。やはり髪型というのはなんて大事なものなのだろう。
仕事の打ち合わせが夕方からだったのでその後家族と別れて一人で六本木までいく。これも何年ぶりのことかわからない。ラッシュ時の電車に乗るのも久しぶりだが、六本木そのものが久しぶり。今の私とあまりにもそぐわないので笑ってしまう。正直におのぼりさんだと認めてしまおう。
たまにあるしっくりこない仕事よりも、近所のスーパーでパートした方が、絶対に私に合うんだろうなあと考えているとにわか雨に振られた。さすが雨女と自分に感心。


新しく買ったお鍋が気に入っています。
私には珍しくホーロー製で、お値段も安いです。
私はすべてのものは消耗品だと思っているので、高価なものはめったに買いません。
そう、人形以外は。
 
結婚以来使っていたのはシンプル&合理的なもので、
オットの趣味に合わせたものでした。
でもオットが料理するなんて念に1度しかないし(笑)
年をとると何にでも潤いが欲しくなるものです。
ホームセンターの中で、文字通り花が咲いたように華やかだったこのお鍋コーナーを
自宅のキッチンに持ち込みました。

2004年7月11日(日)  
 オットも私も共にヘロヘロに疲れている。暗黙のうちに今日は外出しないと決めた。しかし綺麗好きのオットは内中を綺麗にしなければ、おちおち寝てもいられないと言う。こうるさく感じながら「じゃあ、これお願い」とクリーナーとぞうきんを渡し、ふだんしたくでもなかなか出来ない家具磨きを任せる。年中子供たちがベタベタ触るし(ま、主に息子だけど)クレヨンや色鉛筆で描いた後もいつの間にか増えているので(ま、犯人は主に息子ですが)その汚れを一気に落とすのは私の念願でもあった。白い家具って子供のいる家には向かないなあと感じつつ、でも家の中が明るくなるから好きなのだ。
家に家族が一日いるということは、3度ご飯をつくり、後片付けをするということである。キッチンに立っている時間が長い。ずっと食器を洗っている気がする。洗濯物ってしてもしても決して消えることはなく(人が生きている限りエンドレスで在り続けるのだろう)ひたすら干す。子供の靴を洗い、掃除機をかける。娘の勉強もオットに任せ、息子をまとわりつかせながらこの息子が週に3枚は破くズボンの繕いをする。洗濯物をとりこみ、アイロンをかけ…やっと休める目処がついたのは、夕食までのわずかな時間だった。実は昨夜、借りてきたDVDでサンドラ・ブロックとヒュー・グラントの「トゥー・ウィークス・ノーティス」を観て私は楽しんだが、オットは眠ってしまっていたので、今観てもいいかと言う。どうぞといいながら、リビングの床の上に横になるとそのまま一気に眠ってしまった。床が固いと思いながらどうしようもなく起きられなくて。
映画が終わりかけた頃に目が覚める。かなり体力が回復していてびっくり。睡眠ってやっぱり大事なんだなあ。忙しいとついつい、睡眠時間を削り取ってしまう。どうしても時間がもったいなくて。少しでも余分な時間があるならやりたいことをやりたい。このサイトの更新用のお人形の写真だって,撮ってからもう2週間たっているのである。あとはページをちょっちょと作るだけなのだ。それができずに半月近く。なのに映画1本分の時間眠ってしまった。がっかりだが、体は喜んでいる。仕方ないか〜。
忙しさもあと1週間だと信じている。子供が夏休みで家にいてくれた方がいっそ楽。ずっと家で涼んでいましょう。きっとそうしましょう……って、甘いのかな、やっぱり。
オットがカレンダーにいろいろ夏祭りに行く予定を書き込んでいるのが気になる。暑い日の人だかり…それって私がいっちばん嫌いなものじゃあないですか!


夏は人魚とパラダイス…だといいな〜。

2004年7月10日(土) 
 朝すぐに動かなくていい、予定のつまっていない日は久しぶりである。それでも習慣通りに目がさめてしまうのだけど、だからといってすぐに起きださなくてもいいのだという幸せにひたりつつ、布団の中でゴロゴロする。体をゆっくり休めているという実感があったのだが、子供たちが置きだして(なんで子供って休みの日に限って早起きするのかね)おなかすいたと騒ぎだしたのと、オットもどうにも腰が不安なので整骨院に朝一番に駆け込みたいというので起きたら、くらっと立ちくらみがした。ふわっと世界に膜がはってあってそれごしにみているようなぼやけた視力、ぐらっとして重たい体。うーん、低血圧きてます。こんなこともあろうかと、朝のひと手間を省くために昨夜遅くに洗濯して室内に干していたのが、我ながら上出来で、さっと外に干し、洗濯のために浮いた時間分、少し座り込む。座っている間に娘の学習教室の宿題を一緒に見る。俳句をつくってくるという宿題があり、これが難しい。娘に俳句の概念を教えることに戸惑った。娘は『せんせい、おえかきとても、たのしかったよ』というのを作った。季語がないけど、人生初の娘の俳句である。
すごく何もしたくない気分だったが、部屋のほこりっぽさに耐えかねて掃除。ハウスダストアレルギーの私は、一日でも掃除をさぼると鼻がムズムズし、目がかゆくなると言う呪いにかかっているのだ。怪しいとおもったらエアコンのフィルターも掃除する。こうなるとついでなので、ガスコンロも磨く。子供たちの手足の爪を切ったり、娘の髪を結んだり、塾の用意をさせているとオットが帰宅。やはり腰がひどい炎症を起こしているので、3日間アルコール禁止、入浴禁止を命じられたと言う。ひどすぎてマッサージもしてもらえず、ひたすら冷やしてもらってテーピングされてきたそうだ。
たかが6.7歳の子供をかかえてちょっぴり走っただけでなんという不甲斐ないことだろうか。
オットには3日間のアルコール禁止が辛すぎたようである。泣きながらスーパーでジュースを大量に買い込む。オットの亡き祖母は家で趣味で駄菓子屋さんを営んでいた。私が彼と結婚したときにはもうお店をたたんでいらしたのだが、なにしろそのおかげでオットは黄金の子供時代を過ごしたという。楽しい思い出は結構だが、ジュース漬けは頂けない。私は100パーセント果汁ジュース以外は滅多に口にしない人生を生きてきた。私との結婚でオットはジュースをあきらめる。今ではポカリスエットだけがオットに許された砂糖いり飲み物である。外見はオットそっくり、でも中身は私そっくりなことが最近ますます明らかになってきた子供たちも、ジュースは口にしない。娘が唯一、リンゴジュースだけ飲むくらいである。しかし、三日間禁酒と言う辛さは察してあまりある。今日はなき祖母の思い出にも免じ、オットにジュースを買い与えた。ささやかに喜ぶオット。ちょっと不憫か?
子供たちの習い事をはしごして、終わるともう夕方なのはいつものことで。
急な仕事の話が入って、今月末はちょっと忙しくなりそうだ。忘れた頃にたまにする仕事なので、いつまでたっても慣れず、緊張感がある。行く前はちょっと憂鬱になったりもする。でも気分転換とわずかなりとも臨時収入は嬉しいからね。うまく決まればいいなあとも思う。
レンタルビデオ店にいくのも、毎週恒例の家族の楽しみになっているけれど、子供達は今日、ディズニーの「ジャイアント・ピーチ」という映画を選んだ。CG アニメと実写の合成である。期待せずにみたら結構楽しかった。トウモロコシを湯がいて食べながら見る。夕方になってやっとまったり。ひさしぶりの雨に打たれる庭を見下ろしながら、少し涼しい気持ちになっているとすっごい睡魔がやってきて、夫婦して気を失う。子供たちはその間、最近こりにこっている「とっとこハム太郎」ビデオを見ていたようである。チャイムで目が覚める。隣家の坊やたちがまた花火に誘いにきてくれたのだ。雨はやんでいた。うーん、夏らしいなあ。苦手だけど。


娘の新しい靴。
小さな子供には洗い替え用に靴がたくさんいります。
これはフェリシモという通販利用。

2004年7月9日(金) 
 やっぱり暑い。うんざり、げんなり。大澤さんが昨日、「大丈夫、夏はもうすぐ終わるから。あ、いやまだ梅雨もあけてないんだよね」と言っていたけれど、ほんと梅雨はどこへ行ったの、しくしくしく。体のだるさがかなりだったので、久しぶりに整骨院に行く。私より一つ年下の先生はほぼ同世代ということで、大澤さんもご存知。当時の音楽のこととか、丙午年のこととか楽しくおしゃべりしながら、もうそこですぅ!と絶叫してしまうくらい気持ちよくツボを押してくださる。極楽〜。かなり体力アップ。炎天下の街を早足で歩く。ゆっくり歩いてるとそれだけクソ暑くてむかつくんだもん。
娘が通っていた幼稚園のある教会で友達と待ち合わせ。近くのケーキ屋さんでモーニングを頂きながら、来週末のお誕生会の計画をざっと練る。もう一人くるはずだったお友達の娘さんが、学校でクラスメートが振り回したプリントが目にはいったという連絡が来たとのことで保険証を持って駆けつけた様子も心配だったが、オットのことも心配だった。
オットはいつも通り、娘を小学校へ送って行く途中、前方20メートル先を疾走していた小1の男の子が派手に転倒する現場に居合わせ、動かなくなったその少年を抱えて学校の保健室に運んだと言う。一時的なショック状態にあっただけで、これといって大事はなかったようだが、その後、駅に向かう途中で虫が目にとびこみ、駅のホームでもがいていたらコンタクトレンズが外れて線路の上に落ちてしまったという。俺、一体今日はどうなってるんだろ〜?と泣き言の電話をいれてから名古屋へ旅立って行った。
ま、ケーキ屋さんのモーニングが美味しく、友達とのおしゃべりが楽しく、私的には暑い意外はほかにトラブルはなかったのだけど。息子を迎えにいって、11時半、娘の幼稚園時代のお友達と、もう午前保育にはいった下の子供たち合わせて10人で昼食会。当初の予定の2倍になった。数少ないクラスメートの半分以上が集まり、なんだかおおごとになった。仕切りは最近ランチの女王と呼ばれている私である。大きめの個室を確保できたのは幸運だった。飲んべえ母達は昼間からビールを飲む。これは私が人生をかなり生きて初めて人並みにできるようになった珍事である。私はビールが飲めない。子供の頃から炭酸が苦手で、それだけでもビールには抵抗があるが、あの苦みと匂いになじめずに今まで来た。それが今年は暑さで早めにどこかの回路がショートしたのか、ふと飲んでみたりする。やっぱり生一杯は多すぎる感じがするのだけどそれでも結構飲める。まさか昼間から冷酒っていうのも問題あるし、ビールはカジュアルでいいな。
朝心配していた友達もやってきて安心。娘さんの目はなんともなかったようである。でも小学校の先生にすれば大事を取ってほしいということで、眼科には行ったそうだ。
息子はそばを一人半分食べた。楽しくおしゃべりして、美味しく食べて、来週は誕生会で合いましょうと約束して解散。別の友達とまた教会に立ち寄って涼みながら尾者べりする。娘を教会の幼稚園にいれて本当によかったと思う。何かと言うと立ち寄れる教会はいいところだ。親しみがあり信頼できる先生方にご挨拶できる喜びもある。卒園しても名残がつきないので、今度から子供を「水曜学校」というのに通わせることにした。そうすると娘も毎週、担任だった大好きな先生にお会いできるのである。私もファンだし、嬉しいし。息子が急にオシッコと言い出してせっぱつまったときにも駆け込める、友達と待ち合わせと言うと立ち寄らせてもらう、本当にありがたい場所なのだ。
それから息子を心理カウンセリングに連れて行く。感覚統合の体操を頑張り、先生に息子の近況をお話する。診察室をでると、懐かしいお友達にばったり会う。再来週あたり、子供たちも交えてお昼を食べる約束をする。
娘を迎えに小学校にいって、夕方近い強い太陽の日差しに炙られんながら帰宅。すぐにお風呂に直行。死ぬほど汗をかいたあとの、お風呂は最高!!
ぬるめのお湯を張ると子供たちは大喜びで入浴を楽しんでいる。全身の汗を流し、お風呂上がりにパウダーをはたき、さらりと肌に気持ちのいいコットンの部屋着に着替えて、エアコンをきかせた部屋でくつろげば、本当に極楽。早めの夕食、子供たちを早めに寝かしつけて私もうとうとしてしまった。
オットからの電話で目がさめる。オットはあれから町田でとびこんだ初めてのお店でコンタクトレンズを買い、名古屋に直行。しかし、もともとヘルニア持ちのオットは今朝、我が子よりはるかに体重の重い男の子を抱いて数百メートル走ったことが相当腰に来てしまい、動けなくなるかもしれない〜と半べそをかくのだった。ちっと舌打ちをしながら起きてオットを待つ。弱り目にたたりめ、バスが渋滞に巻き込まれ、いつも以上に立って待っていなければならなかったという。仕方なしにマッサージしてあげて、一応オットをいたわってみる。
やっと一息ついて、ワインを飲みながらテレビをみて、振り返るとリビングの片隅にあり得ないものを見て絶叫。小さな子供が膝を抱えて座っているのだ。1秒後にそれは珍しく(本当に珍しい!こんなことは今までなかった)途中で目をさまし、暗い寝室で両親がいないことに気づいた娘が寂しくなってそっとリビングに来ていたと判ったのだが、刹那の私は恐怖でいっぱいだった。人間て瞬時に判断するまでの1秒、それが長いのね。長い髪で顔を半分以上たらし、眠さと寂しさでいじけるように声もかけずにそっと膝を抱えて隅っこに座り込んでいた娘はいつもと違う雰囲気で、本気で幽霊かと思ったのだ。ああ、怖かった…。


大澤さんがデザインなさったというTシャツが
思っていたより趣味が良くて、私の好みにあっていたので買っちゃいました。

2004年7月8日(木) 
 あまりの暑さに腹が立ってきた。ここまで暑くなくてもいいだろう!暑さに対してよりもっと腹が立つのは、自分のマゾぶりに対してである。夏ばてするって判り切ってたのに、なんでこんなに約束をたくさんいれてるんだ、わーん、バカバカ!そして。車の免許持ってるくせに、運転できない自分をなんとかしろ!という怒りも湧く。あまりにも至らない自分を責めながら、ジリジリと日に照らされて歩く道は果てしなく遠く、長く感じるのであった。夕方、友人との約束をこなし、子供たちの幼稚園、学校、習い事の付き添いお迎えを終え、帰宅したときには、私の中の何かが終わっていた。なのにまだ予定が残っていた。しかも好き好んで、勇んで、チケットをとったのだ、大枚はたいて。(っていうかま、普通のお値段ですけどね)
大澤誉志幸さんのライブである。
オットに子供たちをまかせ、ふらふらと電車に乗る。地元の駅なのにいきなりホームを間違える私。ずっと駅は工事中なのだが、今までホームはひとつで、なにしろホームにおりさえすれば、どっちの方角行きにも乗れたのだ。そのつもりでいたらホームが二つに別れていた。はっと気づいてトホホと思う。日頃の私の暮らしぶりがいかに狭くて、深いか、ということである。理想は広く浅くなのにな〜。渋谷に降り立つのも久しぶりなら、センター街を歩くのも久しぶりすぎ。クアトロに行ったのももう大昔のこと。少なくとも娘を妊娠してからは行ってないのだから、8年は寄り付いていないということになる。たどり着いた事自体、運がいい奇跡という気がした。
私も20年来のファンなら集まった人たちもみな同じようなもの。年齢層が高い。でもファン度は深く濃いわけである。みなさん、素敵な大人っぽいお洒落をしていらして、雰囲気がいい。どういう入場の仕方なのか判らないまま、列の最後尾に並んだらすぐ後にきた女性に、入場の仕方をきかれてわからないんですと応えた。でもどうやらチケットに書いてある整理番号順だったようだ。それでその女性とチケットを何気なく見せ合いっこしたら、なんとふたり続き番号だった。住んでいる場所、チケットの購入方法も全然違うのに、すごい偶然である。感じのいい方で、せっかくだから一緒に見ませんかと誘っていただき、やっとライブ会場にはいった。
1時間後そこで、私は暑さを忘れた。
このステージにこれた幸運に感謝した。
大澤さんが健在でいてくれることに感謝した。そしていつまでも歌っていてほしいとねがった。サウナに入りすぎて、心臓発作をおこしたりなさいませんように。
私と同じくらい夏が苦手な人、それが大澤さん。
歌の合間合間に、暑い、暑い、暑すぎると叫ぶ。こんなに暑くなくてもいいのにな、とぼやき、
「でも来てしまったものは仕方ない。みんなで迎え撃とう」
と夏らしいナンバーを並べて行く。実は大澤さんの夏っぽい歌は最高に素晴らしい。めちゃめちゃ夏が嫌いな人だからこそ、夏を素晴らしく捉えられるのだろうか。大澤さんの夏ムードのメロディーを聴いていると、暑さに斜めになりきってすっかり真横状態になった私の機嫌もなおりかけたりするのだ。
かっこいい、46歳の男のシャウトに酔う。2時間はあっという間だった。
多少、恰幅がよくおなりになったが、年齢を考えれば十分許容範囲。容貌もそう老け込まず、ましてやハゲることもなく、大澤さんは大澤さんらしく、やんちゃなままでいてくれる。そこが好き。
素晴らしいライブだったけど、ファンも年なのでもうオールスタンディングライブはやめてほしい。お金よけいに払いますから座らせて〜!ちなみに大澤さんはほとんど座ってお歌いでした。むきー!
ライブハウスをでるなり、暑さへの嫌悪感と3時間立ちっぱなしの足腰の痛みがものすごい勢いで押し寄せてきて、もしかして気絶するかも、と思った。ま、正気で帰宅できましたが。
明日は寝込んでいたい。でもみっちり予定をいれている馬鹿な私。しくしく。
でも今日はラッキーなことがいくつもあった。整理番号が100番を超えていたのに、私は前から2列めくらいの端っこの、とてもいい場所にいられたのだ。先に入ったほとんどの人がみんなわずかな座席確保に走ったためらしい。やっぱりファンも年だからね…。夫婦で来ている人も多くて、いいライブだった。話を聞いていると皆、この日のために遠くから上京してきたりしている。ライブ代の何倍もの交通費と宿泊費をかけて。この夏一番のイベントをこのステージだと思い定めて。
それに見事に応えてくれた大澤さんの勇姿を思い浮かべながら寝る。それにしてもこの足腰への来方は半端じゃない。明日から体調最悪になること間違いなしだ〜。


七夕でしたね。

2004年7月7日(水) 
 昨日のメインは娘のクラスの保護者会だったけれど、本日は息子の幼稚園の七夕発表会である。昨年は甘く見て適当に出かけたら大変な行列ができておりすごい熱気に驚いたものだった。しかし懲りずに今年も適当に出かける。どうしても私には、人よりいいモノを狙ってやる!というアドレナリンがだせないのだ…。ただでも熱いのに、これ以上熱くなりたくない。怠け者の一心である。自分の母としての愛情にふと不安を感じる瞬間だが、ま、いいか。ところがやはり早く行くべきだった。早く行けば涼しい、冷房のきいたホールで並べたのだ。後からいくと炎天下のテラスに並ばされる羽目になった。開場までの20分のなんと長かったことよ。しかしどういう訳かすっぽりといい席にすわれたので幸運。息子は出る気配がなかったので、気軽に心底から子供建ちの発表を楽しめた。「冬のソナタ」で号泣できなかった私が、子供たちのあまりにも純粋な歌や踊りに目頭が熱くなるのだから、人間変われば変わるものである。これが昔、子供嫌いで鳴らした女だろうか。鬼子母神の呪いにでもかかったのかしらね。
 しかし。親ってつらい。ホールの熱さは殺人的だった。聞けば今日はこの夏一番の熱さで光化学スモッグ注意報も発令されたという。常日頃から近隣への迷惑に気を配っている園はそれでも、窓を開けないでくださいといい、私たちはうだるような暑さの中に密閉され、子供たちの発表を見ることを余儀なくされたのだ。親は汗だく、子供たちも全身びっしょり。まさに熱演である。発表会が終わったあとに、これでサウナスーツでも着ていたらどんなに体重を落とせたでしょう、せめておなかにサランラップでも巻いてくるんだったわ、と言ったら周りのお母さん方に大変共感されてしまった。
ところで息子は終始登場しなかった。期待はしていなかったのだがどうしたかな〜と思って聞くと、実は練習の段階ではみんなと同じように舞台に立っていたのだという。先生方にはもしかしてこれは本番もいけるかなという僅かなりとも期待があったご様子。しかし娘と違って本番にめっぽう弱い息子は案の定、舞台端で急に座り込んでしまい、きびすを返して冷房の効いた部屋にとびこんでいったという…(汗)冬は床暖房のある部屋から動かず、夏はエアコンのきいた場所にしかいない。なんという子供らしくなさだろうか。実は私にそっくりなんです、とは先生方には言えなかった。
 そんな訳で七夕発表会は私にも息子にもそう緊張するものではなかったのだが、疲れはしたので。親子そろって気温の変化に滅法弱い。私も不機嫌になるけど、息子はストレートにつらがって泣く。ふと思い立って息子と二人きりで近所のレストランでランチすることにした。帰宅の途中で立ち寄った、綺麗でお洒落なガラス張りのレストランは当然ながら冷房が効いていて、一気にクールダウン。サービスもよく、ランチセットも素晴らしく、二人そろって大満足。ほんの少し前までマナーのなっていなかった息子が、きちんといすに座ってサラダ、パスタ、デザートを楽しみ、ゆったりと1時間過ごせたと言う奇跡に、私はとても感動してしまった。今まで娘としかこんな落ち着いた時間は過ごせないと思っていたのだ。満足し、気が済むと彼は自分で帰る身支度をし始めた。幼稚園のバッグと水筒を首にかけ帽子をかぶって、じっと私を見る。可愛さに胸がきゅんとなってしまった。その愛嬌でなんとか生きて行ってください。
娘の小学校まで迎えに行って、バスで帰宅。一息ついて、汗だくの服を着替えさせて息子の幼児教室へ行く。ここでも息子は今までにない素晴らしい進歩を見せたので、先生は感激していたし、私もびっくりしてしまった。もしかして光化学スモッグがいいとか…?
暑さ以外に辛いことがあった訳ではないにせよ、やっと本当に帰宅できたのは夕方5時をとっくに回った頃で、どうにも私はヘロヘロだった。暑い、ただそれだけでこんなにも気力体力を奪われる私って変なのかしら。
 結婚するときに忠告されたことがある。それは何はなくとも料理は頑張れ、ということだった。それさえしていれば、家族はバラバラにならないからと、母ほどの年齢の先輩に忠告されたのだった。自分も食べることが必要である以上、嫌でも料理はする。だからなんとかなると思ってきた。でもね、ここ1週間でとても危機感を感じている。料理をする暇がない。帰宅する頃にはもう子供たちはめちゃくちゃに空腹を訴えているのだ。帰宅途中にあるスーパーがまたよく出来ていて、お惣菜やお弁当が安くて美味しい。手間暇かけてつくるより見かけも味も値段も良いとなると、思わずふらふら買ってしまう。この時点で私は、家に帰ったらすぐに倒れ込みたいという気持ちでいっぱいだからだ。
友人が、母の日に長男に「おかあさん、いつも美味しいおかずを買ってきてくれてありがとう」とまじめに書かれたカードをもらったと言って落ち込んでいたのを笑ったけれど、笑い事じゃなくなってきた。子供の送迎がなくなる夏休みにがんばろう…。


毎年¥100ショップの扇子を買っては息子にこわされていたけど、
これはずっと大切に使うつもり。
息子に触られないように逃げ回ってます。

2004年7月6日(火)
 息子のお迎えが11時になってから毎日とっても忙しい。出たり入ったりで、我が家は園から近いのだけどそれでも忙しくて何をする暇もない。朝連れて行く時間が8時45分というのも厳しくて、このあと郵便局と銀行があくまでみんなブラブラし、それから一気に子供がいないうちに片付けておきたいあれこれをすませるために、母たちは町に散って行く。が狭い町なので、しょっちゅういろんな人に出会うのだ。あっちで5分、こっちで10分と立ち話をしながら、こまごま買い物をしていると(ドラッグストアが一番早いオープンで9時半なのだ)それだけで午前が潰れた。家に一瞬戻って必死で掃除。今週私はゴミ当番なので、ゴミ捨て場の掃除もあるし、そうしていると近所の方にも声をかけられる。携帯にメールもひっきりなしにはいる。息子を迎えて二人で昼食を食べ、一瞬一息かと思ったら電話が何本かあり。久しぶりに仕事をすることになるかもしれず、友達と合同企画の娘のお誕生会も今週末のランチ会も、どんどん人数が増えておおごとになってきてしまった。
14時までは一瞬だった。この後、娘の学校で保護者会があるのが悩みの種で、数日前に友人からいつもたよりにしているベビーシッターさんが家族旅行のため今日は不在だと聞かされていたのである。息子を連れて行くしかないけれど、それではきっと何の話があったか分からないことになり、息子も私に叱られて嫌な思いをする。ほかにも小さなお子さんが来ているだろうが、一緒に遊べないことで2重に親子で嫌な思いをするだろう。いずれは息子の障害のことを公にするしかないのだけれど、幼稚園の先生のご意見でその時期は小学校入学の時、ということにしているので、やはり人に「あれ?あの子は_」と思われる事態をさけたいと言う気持ちもある。だめで元々、もしかして奇跡があるかもと思って土壇場でベビーシッターさんのところに電話をしたら天使がいた。代わりのスタッフの先生がいてくださって、快く引き受けてくださったのである。息子もその可愛い楽しいお家が大好きで喜んではいっていったし、私は気持ちよくほかのお母様方や担任の先生のお話をゆっくり伺うことができた。
 それにしても今日の炎天下のすごいこと。私はあまり肌を露出しないようにしているのだが(見せる体じゃないので)わずかに出てる部分の日焼けがすごい。笑えるのは足で、足首までのパンツで隠れず、靴から出ていた甲の部分だけくっきり焼けているのだ。娘もプールの授業で、人生で初めて水着の形に日焼けしていた。バレエをしている身としては日焼けはうれしくないな…(^_^:)
学校にはエアコンがない。その教室の暑さにお母さん方はびっくりである。先生はすごくて、薄手とは言いながら、スマートなスーツを着ていらして(娘の担任の先生は大変趣味が良い)汗ひとつおかきになっていない。私たち親は暑さでダレダレである。この教室ですごしているだけでも体力を消耗することだろう。
夕方、BOPに行かせていた娘とやっと合流する。保護者会が終わったのが16時30分で、彼女は疲れ切っていて泣き出す始末。小学校から息子を預けた家までは大人の足で17分くらい。3、4歳児に間違われるほど小さな娘には、果てしなく遠く思われるようである。途中で冷たいお茶を買い、飲ませながらやっとたどりついた家では息子は上機嫌で遊んでいた。やはりベビーシッターさんは活用すべし。その方がお互いに幸せだと思った。
歩き出したところで、前方から自転車にのった幼稚園の保育主任の先生がやってきて、びっくりしたり笑ったりしながらご挨拶。息子も喜んで、先生の自転車によじのぼる。疲れてヘトヘトの私より、もっともっとハードなお仕事をこなしていらっしゃる先生の方が、生き生き溌剌なご様子なのを見て反省しつつ帰宅。先生と話が弾んでいたら、娘が疲れた、お家に帰りたい〜と号泣しだしたのだ…。
帰りのスーパーで半額のお寿司セールを見たとき思わず家族分買った。今日はもうご飯をつくる気力はまったくなし。
一息ついてリビングに倒れ込んだ瞬間に電話が。またお誕生会とランチ会のお話で、人数がますますふくれる。また別の日に飲み会をしようということにもなる。
私は人が好きだ。でもね、疲れる。人とあっておつきあいをするのは嬉しい、楽しいことだけれど、どこかでやっぱり失敗しないように、平たく言えば人に嫌われないように気を使ってしまう訳で、それに疲れる。私の母が今、ほとんどの人との付き合いを断って隠遁生活みたいにしているのも、そういう人間関係で若い頃苦労した苦々しい思い出の呪縛にきつくかかっているからである。
母のようにはなりたくないのだが、気持ちはわかるなあと思う。
これも子供のためだと思う。子供の生活を豊かにするためにはどうしても母親同士のネットワークはかかせない。たぶんみんな末永くこの町にすむ人たちである。それは下手をすると孫の代までのおつきあいを意味する。老人介護をうけながら「あのヘルパーさんはさあ」なんて話をするようになるのかもしれない。そんなことを考えると大切な人間関係だよと思い、やはりせっせと携帯電話のメールの返事をうつのだった。
こんな私が社交は苦手といってもあまり信じてもらえない。でも苦手意識はずっと私を苛んでいる。理想はアルムおんじ。そう、アルプスの少女ハイジのね。って同じことをずっと前の日記にも書いてますな。


とても気に入ってしまったミニバッグ。
小さいのだけどマチが深いので、必要最低限度のものははいります。
優雅なものを身につけていると、気持ちがゆったりすることを実感(^^)

2004年7月5日(月)
 気がつけばもう七夕が目前に迫っている。昨年はずいぶん大きな笹の葉を買ったけれど今年はあんまり笹をみかけないなあ、とのんびり思っていた。我が家ではオットが大変なお祭り好きである。イベントの名目がちらっとでもあれば、労を惜しまない。家の中で自分のことはたいていしない主義らしいのに、変わったヒトである。なので彼が帰宅するなり私たちを連れて近くのホームセンターに行き、笹の葉を買うと言い出したときも驚かなかった。
そのちょっと前に友人から電話で笹の葉を売ってるのをみかけないけどどこへいけばいいかしら、と聞かれたばかり。実は笹はそこら中に生えている。古い昔ながらの邸宅には野方図にのびた竹やぶがよくあって、昨年もそういう家が近所の子供に笹の葉をくばってくれたということだった。今年もそうだといいね、といいながら電話を切ったので、もし売ってれば彼女に連絡をしようと思ったのだが、ホームセンターでは七夕セットはすべて売り切れ、笹の葉も今はないという。ただし15分待っていてくれれば、と言われたので子供たちをソフトクリームを舐めながら待つことにした。
夕方のオープンカフェには蚊が多いけど(何しろ自然がいっぱいな地域なので)風に吹かれていい気持ちである。今日は風があって空気がよく動いていたのにもかかわらずむっとする湿気がすごくて、全然さわやかではない一日だったなあ。ほんと、夏が苦手である。
15分の間に、お店の人は竹を伐りにいってくれていたのだった。
ものすごく巨大な笹が、夕暮れの風を受けて揺れていた。¥300でいいですよと言われてオットは大喜び。その横で私は小さく、「いや〜、それの一枝でいいんですけど、一枝で」とつぶやいていたのだが、オットは聞きゃしないのだった。彼一人で大喜びで笹を持って帰り、庭に鯉のぼりをたてるように設置。2階の窓に届く高さである。呆然としている私をせきたててオットが七夕飾りをつくるぞ!と号令をかけるので、家族でせっせと折り紙で色々つくる。花火をしようと誘いに来てくれたお隣の男の子たちも大喜び。にぎやかである…。


昨日、一目惚れして買った帽子。
帽子と言えば無地が当然だったので、初めての模様あり帽子。
素材も好き。
これをかぶっていればきっと、子供にガミガミいう母にならずにすむと思う…(願望)

2004年7月4日(日)
 愛、というか恋ってなんなの、と思う。やはり障害があるから燃えるというのは本当で、あの「冬のソナタ」だってチュンサンとユジンになんの障害も妨害もなければあっさりくっつき、適当にイチャイチャしてけんかして、良くて結婚、悪くすると大学卒業する頃には別れていたのではないかと思われる。結婚しても、ずっとそれで思い合う気持ちが続く保証がないことはいい年すれば明らかなのだが、それにしても保坂尚輝さんは憧れの夫だったので、高岡早紀さんとの離婚はショックである。「僕の方が男で体力があるんだから、二人とも仕事して帰ってきて女が疲れているのは当たり前。さっと体が動く僕の方が飯くらいつくりますよ」とさらりと言ってのけた保坂さん、育児にも積極的に関わっている保坂さんにうんうんとうなづいていたし、彼によりかかって幸せそうに微笑んでいる早紀さんを観ているのも好きだった。でも離婚なのね〜。布袋さんも私は好きだった。今井美樹さんも好きだった。今も歌は好きなのに、なんだか恋を経て結婚して、どうしてなのか、なぜなのか、魅力が減ってしまって、気をつけて歌だけ聞くようにしているのに色々噂が耳にはいって。元凶、というと悪いのだけどもとをただせば恋。それは恋のせいなんだなあ。恋する人は身勝手で、完璧に平熱じゃなくなっているので判断力がおかしい。
私もそういう経験をしてこれはもう嫌だ、別れたりくっついたりを繰り返して生きて行くなんて冗談じゃない、面倒はこれっきりにしようと決めてオットと結婚した。でもそれがゴールではないことに気がついて、いかに自分が甘かったかを悟った。結婚は文字通り新たなるスタートラインで、さらに自分の内容で勝負していかなければいけない世界への入り口なのだ。自分一人ならどうにでも生きて行けるが、家族に対しての責任を常に持ち義務をこなし、こころがけていなければならない。いざとなれば、子供の一人や二人、もしかしたら3、4人だって抱えて生きて行ける気概がなければならない。間違っても養ってもらって生きて行こう、と永久保証のつもりでいてはいけないのだ。自分が家事育児にまみれて色恋の世界から遠ざかっていても、ある日パートナーの方がふと別の女性と恋に落ちてしまって、去って行くこともあるかもしれない。新しい恋じゃなくても、気持ちが冷めて冷えきって、もう一緒に暮らせないという結論になるかもしれない。今現在、結婚生活が円満で安定していたとしても、その上にあぐらをかいてしまうとなぜか神様は意地悪な落とし穴を作る気がするのだ。
私がすきな大澤さんの歌に「Standard Lover」というのがあって、その中の『いつかあっけなく時を曲がり、別れるかも」というフレーズが大変胸にズキンとくるのである。
同じく「Planet Love」という曲がある。最後の方の『時が流れても 僕を素敵にさせる その微笑みを君は忘れちゃいけない』というのがとても、とても好きである。最後の『テレビを消して キスをして Planet Love』という高い声での締めを聞くと、ああ〜好き!と思う(笑)
私は山下久美子さんが好きだった。彼女の「星になった嘘」は今でも私がとても好きな曲である。この頃、彼女は夫となる人と出会い、結婚を決めていた頃だったと思う。デビューしてすぐに輝いてきた新しいバンドのギターの、とても背の高い年下の男の子を彼女が恋したというのが、とても素敵なロマンスに聞こえて、ファンとして心から祝福していた。12年後、彼女はその結婚から潔く身をひいて、それから本を一冊書いた。それをちらっと読んだけれど、素直にありのままに書かれてこそあれ、悪くは書いていなかったように思う。その前夫の現妻、要するに略奪者だけれど「私のこと悪く書いてある!」とヒステリーを起こしたというけれど、家庭を壊されて褒め言葉を書く女がこの世にいるのだろうか。彼女も自分が浮気される立場になり、ブラウン管の中でがんばって「きりっとしていたい」という様子を見ると、痛々しいのを通り越して少しばからしい気持ちになる。歌に私生活は関係ない。ないけど、やっぱり見えてしまう人生に共感したり反発してしまうのが人間なんだなあと自分の心を振り返っても思う。アーティストは表現者である。そして夢を売る人の色恋はやはり特別なのだ。けれど、恋はなんて痛くて、あっけなく人を落とすものなのだろう。
ヴィヴィアン・リーとローレンス・オリヴィエの恋すら、全うされることはなかったことを思うと、韓国映画のオチが昔の日本のドラマのように、主人公のうちどちらかが死んで終わるというのもうなづける。なかなかに、恋を美しいまま昇華させるのが難しいのである。
保阪尚輝さんが結婚をコラボレートだと言った気持ちが理解できない、と今朝の番組でいっているコメンテーターの中年女性がいて逆に驚いた。私自身、オットとの結婚生活および子供を育てることを、彼とのコラボレーションだと思っている。全く異なる個と個が友愛を持って共同の作品「人生」をつくりあげていく。そう、たぶん恋が自然消滅すると残るのは愛で、一番確かなのは友情なんだよね。
私とオットは友達から始まった。恋はびっくりするほど何気なく、私の背後に落とし穴を掘っていてそこにハマって、結婚した。私の自慢はそれだから、オットの気をひくためにいかなる策も弄さなかったということである。オンナとしての自分を売る気がまったくなかったので、すっぴんでしょっちゅう顔を合わせていたし(今も化粧時間3分の私)性格の悪さも隠さず、しょっちゅう怒ったり意地悪を言ったりしていた。家事もしないと言い放ち、一度友達とふざけて作った料理は大変不評だった。極めつけは子供嫌いをきっぱり大声で公言していたことだ。仕事はしていたが、いつでもこんな会社やめてやるわよ的態度だったので、かわいげなど一切なし。しかも大酒飲んでました。
それから考えれば、私も恋をしてずいぶん、本当に変わったのである。オットにあわせて可愛い女になったのよ、ホント。一応ちゃんと家事してるじゃないですか、まあ部屋の隅っこが汚れ気味ではるけれど。でも元を考えて今のこの努力は認めてほしいわっ!
恋ってミステリー。結婚も離婚も、一つの選択。親として望むなら我が子には、赤毛のアンとギルバートのような恋をして欲しいかなあ。そう思ってついお友達のあれこれを物色してしまう母である。


私にしては珍しく細かくセッティングしたつもりなのに、
あんまりな画像になっちゃった今月の写真。
でも気分は人魚、という気持ちは伝わったでしょうか(^_^;)
やっぱり雑な私に、下手な小細工は合わないということがよ〜く判りました。

2004年7月3日(土)
 やっと週末になった…と思える利点はどこなのだろう?と首を傾げながら朝から働く、予定をこなす。ずっと疲れをためて1週間を過ごしやっとの思いの週末はオットがゴロゴロしては色々注文をだし文句をつけるので、平日より手間ひまかかってうるさく、いらいらしやすい。その構造のうっぷんをしっかりオットに説明する。うなだれるオット。しかも昨夜はオットは飲み会で午前様だった。私なりに恨みを晴らすことにして、滅多にしない決断であるが、バーゲンというものに行くことにした。私がいまだにとても好きなブランドさんからプレセールのお知らせハガキを頂いていたのだ。原宿までドライブだけ楽しむつもりで、ちらっとでもお店をのぞくことにして、それを楽しみに土曜日の予定をこなした。
まず息子の幼稚園の遊びの会に参加。オットご推薦の近くのラーメン屋さんにて昼食。ぶっちゃけ私は行列が嫌いで、目くじらたててすごい剣幕で美味しいものを食べにいくのは願い下げです。でもこのラーメン屋はそうでもないのね〜、と思ったらそうでもない味だった。いや、行列はできてるんだけど、私の中の一線を超えなかったのだ。先日オットの強いすすめで行った吉祥寺のラーメン屋さんもそうだったけど、どうやら今日ではっきりした。私の中の基準が動かないのだ。
オットの転勤のおかげで私も地方で食べ歩きをさせてもらった中で、忘れられない味というのがある。広島の「○戒」のお好み焼きの美味しさ!銀山町にある「○○亭」で頂いたごちそうの数々、そして信じられないほど美味しかった竹酒、生酒の味。ここで私は、真の酒飲みは量をこなすことではなく、じっくり味わってちょびちょびとにこやかにお酒を楽しむことに神髄があると悟りを開かせていただいたのである。「リストランテ・マリオ」のガーリックトーストと濃厚なエスプレッソ、スズキの香草焼き、エスカルゴ。ここでも私はお酒を教えられた。それまで「キリッと冷やした白ワインが最高よ〜」なんて言っていた私に、深みある赤ワイン、空気にすこし触れさせた常温の味のその美味しさを丁寧に嫌みなく教えてくださったのである。有意義な食い道楽生活の後、横浜で娘を名古屋で息子を出産、しばしまともに食事をできない日々に追われる。でも福岡は美味しかった…。稚賀恵の辛子明太子、jaquee
eのサバラン…そして。ラーメンの「一欄」これである。もはやこの味は私の中で揺るがない。オットにどこにつれていかれようと、もう私は満足できないのだ。幸い、一蘭は東京にも支店をだしてくださっている。今後はよそでお茶を濁すことなく、まっすぐそこに行くことにします。
 息子の体操教室、娘の幼児教室と送迎し、原宿へオットを走らせる。先日出来心でレンタルしたCD「青春歌謡」の85年版を聞きながら行く。懐かしさで涙がこみあげる。あの年、チェッカーズ全盛期。今は亡きと言ってしまって申し訳ないけど田原俊彦さんも健在ご活躍。C-C-Bの「Romanticが止まらない」を思わず熱唱するオット。安全地帯にALFEEは私が好きな坂崎さんがメインボーカルの「シンデレラは眠れない」そして私の運命の大澤誉志幸「そして僕は途方に暮れる」。このあとにおニャン子クラブの「セーラー服を脱がさないで」が収録されているのは私への嫌がらせだろうか(-_-#)松田聖子さんは「天使のウィンク」「ボーイの季節」そして、菊池桃子、斉藤由貴、尾崎豊の3様の「卒業」がヒットした。すさまじい思い出のフラッシュバック。退屈でやることがない青春ではなかった。毎日が想いであふれていて、父の看病に家族全員疲弊していて、その父を見送って呆然として。悲しみ抜いた後に、新しい出発と言う希望があった。洋楽もたくさん聴いたな〜。あの頃、なんてたくさんの音楽に慰められて生きていたのだろう。
音楽に心を癒されて、原宿に着いた頃には朝のイライラがすっきりしていた。目的の扇子だけ安く買えればいいなあと思いながらお店に行く。マヌカンさんは私のことをよく覚えていてくれたのだけど、お店に年齢があってないからかなあ(^_^;)でも先日テレビをみていたら伊藤麻衣子さんがこのお店の服を着ていらした。オバサンが着ても、そんなに浮かないのは色合いがシックで、それでいて女性が持つ華やかさをだしてくれるデザインのせいなのだと思う。やっぱり好き。目にはいるもの全部欲しい。目的の扇子、バッチリ半額になっていました。ちょっと派手だけど、ま、いいか。母として自信をなくし、落ち込みがちな毎日の合間にせめて華やかさをプラスしようじゃないの。でも目が釘付けになったのは帽子。薄青い薔薇の模様の、透け感ある生地で作られた帽子。買わないわけにはいかないと思った。それからシックな秋色の、こっくりした小豆色がアクセントにきいている薔薇の模様のミニバッグ。小豆色っていうか、白いテーブルに赤ワインをこぼして乾かすとこんな色になるよね、という感じの色。変すぎる例えかしら(笑)オットは黙って買ってくれたのでホクホクとお店をでる。
娘もこのお店が好きでいつもニコニコしている。お店のお客さんとマヌカンさんに可愛いね、とほめられ上機嫌で鏡の前でくねくねとポーズをとっているのをたしなめながら外にでる。駐車場が1時間半無料になるからすぐ帰るのはもったいないね、とオットが言うので、じゃあ改装してから行ってないキディランドに行ってみようと決めた。
当たり前だけど、週末の午後の青山、原宿というのはもんのすごい人出である。ラフォーレを出てGAPの前に信号をわたり、そこからさらにロッテリアの前にわたってキディランド方面へ歩き出す。息子を抱いて歩くオットの少し後ろを、娘の手をつないで歩いていたら、突然、若い女性が「すみません!」と叫ぶ声がした。人ごとのように目をやるとその女性が私と娘の前に回り込んできた。私たちに声をかけてきたのである。綺麗な若い女性とは最近あまり接点がないので、ちょっとどきっとした。聡明そうな美人で、驚いているとさらにびっくり。
タレント事務所のスカウトマンで、娘に声をかけてくれたのだった。ただし、3歳児として。
トホホ、すみません、うちの子学校一小さくて、これでも小1で7歳なんです…。
しかしその方はいいと言う。ぜひ。ぜひ。と重ねて言ってくださる。親として子供をほめて頂くのは嬉しいことである。オットにもきちんと挨拶し、胸を張って自社の説明をしてくださる。オットも何度も仕事をしたことがある有名なちゃんとした事務所だった。オットの勤め先をきいてその方も喜び、決して怪しいものではないということを判ってくださいますねと力説。仕事に情熱とプライドがあるんだなあと感心した。そういう人ってオーラが透き通っていて凛とした潔さがある。
長い人生は何事も経験。娘に興味があるようなら、お話をあらためて聞かせて頂きますと言って、オットと名刺を交換してお別れした。娘はモデルとか何のことか判らないまま、「じゃ、やってみようかしら」なんて言っている。私はお受験ママになれないのと同じくステージママにもなれないと言ったら、相手の方が「でもマネージャーがつきますから!」ときっぱり言ってくれたので、じゃあやらせてみようかな?とも思う。娘になんらかの可能性があるとして、その芽をつぶす理由もなし。オットは小学校に障りがないように配慮してくれるというからいいんじゃないかと既に乗り気。
実は生後5ヶ月のときにもこういうことがあった。事務所に所属したものの、7ヶ月になって娘は人並み以上に人見知りをして、カメラマンを見ては大泣きし、スタッフを見てはひきつけをおこさんばかりに泣くし、オットの名古屋への転勤も決まったので、そのまま道は断たれてしまった。私は全く熱心な親ではなかったのだ(熱心な方は大阪はもちろん、福岡、鹿児島からだって通ってくると当時の事務所の人に言われた。いやなこった、と舌をだした私だった)。これからも違うと思うけど、まあ人生は流れに身をまかせるのも大切と思うからな〜。
原宿には本当にスカウトマンがいるのねえと、シンプルに、そこに一番感動した。ついでに息子もいれてもらえそうな勢いだった。彼はなおのこと、なんのことか判ってないけども。

 キディランドは楽しく、やっぱりお人形を生で見るっていいなあと実感。バービー系をじっくり見て、自分の中の嗜好を整理。ただしジェニー、リカ系は完璧に子供のおもちゃ扱い。この辺、ちょっと見直してほしい。お洒落、センス度が高いと今なんとなく定義されている人形界(って言うのも変だけど)に意見したい。日本人としての原点も忘れずに。ちゃんとした大人のユーザーがたくさんいれば、メーカーだって進化するのだ。愛するリカちゃん、ジェニーのために、大人ファンの声がもっと大きく反映されてもいいんじゃないかな。
シドニー、タイラーまでいっぱいいて楽しかった。BFのマットもゴロゴロいました。この辺は大きくて、まさに「ゴロゴロ」という形容ばかりが思いつく私。やっぱり狭小住宅の我が家には向かないお人形だわ(涙)でもね、実は昨年末からずっとブレンダ・スターが欲しいのだ。キディランドにいなくて良かった…。

あの松嶋菜々子さんも昔はオーディション落ちが多くて売れなかったと言う。スカウトの方も、必ずお仕事があるとは保証できませんが、でもがんばりますからと念をおされる。オットは仕事柄それはすごくよくわかっているので、それも承知で気楽にやってみるかという。どのみち、私の生活はきっとまた忙しくなって、ますます趣味から遠ざけられるのね、そういうことね。
思えば原宿に向かう途中に白川由美さん(ヒロミ・ゴーの元ツマ、リーの母君)を見かけ、野村義男さん(たのきんトリオというアイドルの一人でした。今はジャニーズを離れているのよね?)とすれ違った。今日はなんだか芸能づいている日だったのだ、きっと。


私の新しい友、2代目マウス。
形といい外見といい、好みです。
手になじんできました。

2004年7月2日(金)
 午前中は空気がさわやかでとても過ごしやすかった。私が連想する『夏』というのはとにかく湿度が高く、呼吸さえ辛いような気がするものだけど、それって日本独特のものらしくて、諸外国ではさらっとしていて気温が高くてもここまで不快ではないと聞く。それが多分、今朝のような状態なのだろう。でも午後にはしっかり湿度が盛り返してきましたよ。
リカのドールブックを見ていて、今度はまたリカに気持ちが盛り返す。さすがにもうトナー社などのお人形もおなかいっぱいになってきたよ、という気分なのかもしれない。プーリップの新作に心は揺れるがあれもかさばるお人形である。そうそうゴロゴロ部屋に並べられるほど、贅沢な暮らしを私もしていない。(もうすでに十分贅沢してるという非難の声高し)リカはやっぱり大きさが手頃で、ポージングが自由で、可愛い。なんといってもあの現行のお顔。幼女のようでもあり、大人の色香も見せる不思議な美貌と可憐さ。メイクによって変幻自在、それでいてどんなスタイルをとっていてもリカの根本には私がとても弱いアノ魅力がある。それは「品」。気品をなくさないと言う乱れない美しさ。何をどう気取っても、やっぱりリカちゃんは良家の子女よね、と思うのだ。今まで見送っていて買わなかったリカのあれこれが急に欲しくなってきた。困った。

昨日、息子の園友の女の子から「○○○くんがね、けんかしてないちゃったの。でも先生が来てね『○○○くんはこんなに優しくていい子なのに、どうしてこんなにひどいことするの!』って怒ってくれたからもう大丈夫なんだよ」と言われた。たいしたことない、幼稚園ではよくあること…とはいいながら。すみません、やっぱりあれこれ思い悩んでしまいました。言葉がはなせない息子。今日あったことを私に伝えることができない息子が、私から離れて、私が知らないところで、たとえ一瞬でも言葉か行為で傷つけ合う場にさらされる、ということが、過保護とわかっていても、どうしても切ないんです。
いい幼稚園で、素晴らしい先生に巡り会えて、先生を信じることで私はかなり安心して、一日数時間なりと息子を託すことができ、それによってずいぶん自分らしさを取り戻せたのだから。先生には感謝しているのだけれど、どこまで私に話してくださっているのかしら、とふと思う。毎日たくさんお話させていただいて、事細かに息子のことをきいているつもりだったけど、それでもある部分、それは情報操作状態になってしまっているものなの?なんて罰当たりな思いもふと心をよぎる。
それとも小さな瞬間瞬間の子供の小競り合いを把握していなかったのか。でも先生が仲裁にはいったというから…。悩んでいるよりはと思って、保育主任の先生に聞いてみた。思いがけないほど、先生の反応があった。聞いていない、とおっしゃって、至急でほかの先生方に事情説明を求めてくださった。でもどの先生も心あたりがないとのこと。結局、当のお友達に保育主任先生が直接聞いてみた。ら、昨日はあんなにしっかりしていた彼女のお話があやふやになっていた…。苦笑してしまう。先生、一瞬でも疑ってごめんなさい。海より深く反省しています。
少し前に放送が終了した「光とともに〜自閉症児を抱えて」というドラマについて、私は園で話題にしたことがなかった。というか、ドラマ自体、そんなに見ていなかったのだ。ちらちらと流し見していたけれど、心を強化するフィルターをかけて視聴していたので、いちいちグッとはこないようにしていた。でも園の先生方は皆さんご覧になっていて、かなり気にしてくださっていたらしいのだ。私が口にするまでは話題にしないようにしようと決めていたそうだ。特に保育主任の先生は第1回放送を見た夜は寝付けなかったとおっしゃって目を潤ませてくださった。私はそちらのほうによほどに感動し、ぐっときてしまいましたよ。そんなにも思ってくださる先生方をこれからはさらに信頼申し上げて、息子を託させて頂きます!


今度のリカのドールブックは本当に可愛い。
昨日から夢中で眺めて過ごしています。

2004年7月1日(木)
 7月になってしまったのだけれど、娘のお誕生会を開こうということになりつつある。幼稚園時代のお友達、同じクラスだった女の子を全員集めて、もう一人の6月生まれのお友達と一緒に合同主催で、楽しく同窓会もかねて開催しましょう、という趣旨である。最初はマクドナルドのパーティールームを借り切って、と安直に計画していたのだが最寄りの駅前のマクドナルドは、この春改装してパーティールームをなくしてしまったとのことでガックリ。合同主催するという友人はロンドンに7年暮らしていた人で、あちらのマクドナルドでのバースディパーティーはとても素敵だったらしい。彼女がみんなが喜びそうなパーティーバックを作って(ジッブロック形式のものに、お菓子を数種類つめこんだものらしい)来てくれたお友達にプレゼントしましょうといわれ、楽しそうなので私もうきうきと計画する。幼稚園の時のお友達とはなんとなく、細くても長く、ずっとつきあっていければ楽しいかなと思う。
駅前のケーキ屋さんに新しくモーニングセットが出来たというので、お誕生会の相談をしながら友人とお茶を楽しむ。モーニングセットはお好みのドリンクプラス、4種類のパン類から選ぶものの組み合わせで、パイ生地が大好きな私はアーモンドクリームをはさんだパイをあたたかいアールグレイと合わせて頂いた。小さなクッキーもついていて、それで¥500はとてもお得感があり、友人とうれしがる。ここはコーヒーだけでも¥500を超えるのだからこれはすごい企画。なくなるまで通いつめようと決意(たぶんすぐなくなると思う)
午後遅くになって、やっとサーバーが回復。ほっとした。自分のサイトに入れないって寂しいものなのね、案外。6月はパソコンが壊れて買い替えるという大きなアクシデントに見回れ、思ったほど更新できなかったので自分でもなんだか不完全燃焼である。生活自体がバタついていて忙しかったけど、今月はお人形ライフも手作りもバリバリがんばって自分の生活を充実させたい。
今月のテーマは「人魚」。このサイト、開設当初からよく「人魚姫」と間違われる。今もって「人魚姫拝見いたしました」というメールをよく頂く(^^)人魚は嫌いじゃないので嬉しい。たしかに「人魚姫」のもじりでつけたサイト名ではあるしね。2004年下半期の始まりということで、7月も大切に過ごして行きたいものだ。なんかもうカレンダーは3分の2くらい埋まっているけれど、きっと気のせいだろう。