しつこく大澤誉志幸さん。
このジャケット写真を,今わたしのパソコンのデスクトップにしています。
このアルバムは私が結婚した年に発売されたものであり、
そう言う意味でも思い出深いもの。

2004年8月31日(火) 
 留守番電話はちゃんとききましょう。今日はそういう教訓を得ました。

 朝,確かにすごい暴風の音で目が覚めた。台風16号の名残だったけれど強風は怖い。友達とのランチの約束を二日後にのばし,家にいることにする。しかし正午前から晴れて、風もおさまってきた。でもやっぱり外出はやめてよかったなと思う。というのも、息子が朝9:30から急に咳をしだしたからである。他の風邪の諸症状は見られないだけにその咳が不気味で,何か誤飲したのではないかと何度も口を覗き込む。元気といえば元気だが、いつもより体をダイナミックに使った遊びが少ない。おかしい,妙だ。夕方からの幼稚園の花火大会に行けないかもしれない。
午後、すっかり晴れて風もない暑い日射しの中を娘を英語教室に連れて行き、その間に息子を病院に連れて行った。その途中で幼稚園の前を通ったら,何人かの先生方が花火の準備をしている様子が見えた。
息子はまだ風邪というほどでもなし、強いていえば少し心持ち喉が赤いですかね、との診断。咳止めのシールと粉薬をもらって、娘も拾って帰宅。ここで留守番電話をチェックすべきだったのである。が、それを忘れた。
子供達の空腹を満たしたらすぐにゆかたの着付けに入る。私が着るのが珍しいので子供達が妙にはしゃぐ。息子もすっかり快調な顔をして,自分から甚平を持ってきて着はじめる。
着付け教室をやめて十ン年。文庫結びに手間取ったが(亡き祖母が見たら、どんなに嘆くことでしょう。ピンピン生きてる母も、そばで見ていたらさぞかしけなすことでしょう)なんとか出来上がる.子供達にも浴衣や甚平を着せて髪を結って。夕暮れの道を散歩を楽しみながら園に行くと、そこは人気なく静まり返っていた…。
え?こんなに晴れてるのに?なぜ?連絡網もなかったよ?
ここではっと気付く。自分が外出していた1時間15分の間、留守番電話をチェックしていなかったことに。
帰宅するとちゃんと連絡網のメッセージが入っていた。強風のため、花火大会は中止ですとのこと。15:45は遅いよ〜!しかも風も吹いてないのにぃ!!
悔しいので浴衣姿でオットの帰宅を待ち受けていたら、哀れんで外食に連れて行ってくれた。娘の熱烈リクエストでお寿司屋さんで散財する羽目になり,高く付いたのである。
ああ,留守番電話さえきいておけば!
こんな夏休みの終わり方もあるんですね、しくしく。

 
 
大澤さんのアルバムジャケットで気に入ってるものを撮ってみた。
私が好きなのは大澤誉志幸の顔ではないけれど、
その人の何かを好きになれば顔も好きになるものだとしみじみ思う。
この人は鼻の形がものすごく綺麗な珍しい人だけれど、
口元の下品さが自分でも気に入ってるとのこと。
もともとミック・ジャガーの口元とそっくりなのに、
自分でももっと似せようとしてるから、本当に似てる。

たまにテレビにでると仏頂面で、笑っても不敵。尊大。
思い切りの笑顔は、20年前ファンを魅了したままのやんちゃ坊主でキュート。
ナイーブでシリアスな野蛮人であり、エレガントな哲学者でもある人。
業界の人なら震え上がる数々のやんちゃ伝説を残し、
今、円熟の46歳。

気がつけば,20年好き、というのは私の人生の中で他になく。
つまり私の中で一番長持ちしているfavoriteである人。
結婚生活よりも,人形よりも、ファッションよりも、私の中に長い歴史を刻んでいる。
それはたぶんこれからも続くから、たとえば結婚生活の歴史が、
この人のファン歴を上回ることは決してないということになるだろうか。
十代の頃、この人の歌声を知ったのは私には大きな幸運だった。
ちなみに、私の理想の父親像からはほど遠く、
ましてや夫像でもない。
そう言う求め方をしない。
ただこの人の歌が好き。
この人の天性のカッコよさは、たぶんきっとモーツァルト的。

今,一番好きなジャケット写真は明日の日記で

今、三洋信販のテレビCMで、「STAND BY ME」を歌っているのが大澤誉志幸。

1957年10月3日生まれ 血液型AB 東京杉並区高円寺出身。
1999年引退、2001年comeback。

2004年8月30日(月) 
 エアコンいらずでもう数日過ごしているのだけれど、いい気分。もうそろそろ2学期の支度をはじめているのだけど、娘に新しい防災ずきんを作ってあげるのを忘れていた!痛恨事である。また吉祥寺に行こうといつも思っているのだけれど、一人で行ける時間は夏休みにはまったくなくて、家族で行くと、オットの「まだか、まだか」「何と何を買うの?」責めに会うので一切全く落ち着いて買い物ができないのだ。
オットは,買う物の目的をシッカリきめて、一直線にそれを目指して購入し、さっとお店を出ないと許せないタイプ。何があるかわからない、未知の世界に胸をわくわくさせて、ゆったり気ままに目につくものを楽しみ、その中で気にいったものがあれば買うかどうか決める…という私のリズムをいくら説明しても納得しきれない。好奇心のままに行動してしまう息子を見張り押さえること、娘を守って動くことに疲れ果ててしまうからだ。(子供が出来る前は辛抱強く,私の買い物につきあってくれる人だったのだけれどね)一番いいのは、父子3人を井の頭公園にでもいかせておいて自分一人ショッピングすることである。が、今年の夏は酷暑であった。なのでオットすら公園に行きたがらなかった。どうせなら冷房のきいた店内でお前を待ってるよ、という。それは上に述べたパターンから楽しくないのが判っている。なので、この夏は布も何も購入していません。人形服は何枚かちくちく縫い、子供の簡単服とビーズアクセサリーは6点くらいつくったけれど。
気がつけば肝心の,幼稚園のバザーに提出する手作り3品も作っていない間抜けぶり。
役員の人からビーズものをリクエストされているので、それでもいいかなあと思ったり。
実は今日の午後はビーズリングばかり4つも作ってしまった。没頭していた2時間、あまりにも幸せで,時間よ止まれ!とさえ思ってしまった。何かを作るのは、それがなんであれ楽しい。
あと掃除というのもやり始めたら止まらないもので、磨くという行為に没頭するのも案外、無我の境地に到達できるものだと感心する。

午前中少し小雨が降っていたけれど,午後になって晴れ間があってよかったよかったと思っていたら、幼稚園から連絡網があり、本日の花火大会は中止になってしまった。親子でかなり楽しみにしていたので残念!


本日の子供達の戦利品、ドラムセット。
トイザらスで¥2999。お買い得だったのでオットが即決。
通りがかりのお父さんのほとんどが、子供より嬉しそうに叩いていました。

2004年8月29日(日) 
 雨の降る音が耳に心地よく、汗をかかない肌がすべすべして感じられて穏やかな日曜日だと思う。まあ、家族と一緒にいるとなんやかんやと騒ぎはあるのだが、それらは平常感覚として無視すれば穏やかな一日である。
が、精神的に辛いのは運動不足の息子が力を持て余し、結果的に睡眠時間が短くなっていることだろうか。それはつまり、私が一人でいる時間が削られることを意味しているのだ。
昨日も池袋までの往復のドライブで眠った彼は、夜中の1時半まで騒いでいた!地獄だった…優しい母として一日を終わりたいと常々思っているのだが、私の母親としての心にはタイムリミットがあって、それはどうも14時間限度らしいのだ。つまり子供達は7時に起きて(7時より前には起きるな!)21時には寝ていて暮れるとお互いが幸せなのである。
学校と幼稚園があるときは、子供達は7時より前に起きることなど一切なく、夜は9時以降まで起きているなんてできなかった。それだけとっても通園・通学できるってありがたいことだなあと思うわね、しみじみと。

3日前からまたサーバーがダウンしていてがっかりである。今日になってやっと見られるようになったけれど、ファイルのアップロードができない。こう、出鼻をくじかれた気分ですね。
これも神様からの休め信号かしらん。

ディズニーの「ブラザーベア」がレンタルされるようになったので、DVDを借りてきて家族で見る。うーん、なんというか。流れ的にはアイスエイジに似ていて。アイスエイジの方が面白いし、「ファインディング・ニモ」の方がじーんとくるなあ。話に納得できない両親であった。


本日の子供達の戦利品、ドラムセット。
トイザらスで¥2999。お買い得だったのでオットが即決。
通りがかりのお父さんのほとんどが、子供より嬉しそうに叩いていました。

2004年8月28日(土)  
 オットが知り合いの方から「NARUTO」展のチケットを頂いたから、というので池袋サンシャインに行く。ついこの間も行った気がしたけれど、1年ぶりだった。日曜日のサンシャインなんて嫌だよ〜〜〜、と例に寄って私は拒否したのだが、トイザらスでジェニーにカレンダーガールゴスロリフローラを買ってくれるというのでのこのこ出かける(なんか毎週こんなパターンだが)道も現地もそれほど込んでいる訳ではなく、サンリオの催しでキティちゃん祭りとかトミカ博なども楽しめたから,総合的には良かった。
ウィンドーはすっかり秋物の服に並べ替えられていた。今日は本当に涼しくて、下手をすると寒いくらいの陽気。道行く人も真夏ファッションの人は寒そうに身を縮めていた。そうそう、秋ってある日ガクンと気温をさげてやってきたりするよね。
お昼はすき焼きを食べて,満腹してトイザらスへ。しかし狙いのゴスロリフローラはいなかった。店員さんが問い合わせてくれたのだが、入荷未定とか。え〜,本当?フローラを買って帰る気満々だったので、なんとなくがっかり。大体が、今日はこれが一番楽しみできた私なのに、オットがもう心の余裕電池が切れかけた状態で,早く早くと急かすのだ。それでゆっくり他のお人形をチェックする時間がなかった。
息子が弾丸小僧であるのは、他ならぬ自分自身のの遺伝子を考えても仕方ないことだろうと言いたい。義父母や親類に聞くと、オットは大変に活発で超うるさいガキんちょだったそうである。オットが起きて活動している限り、心が休まるときがなかったと義母は断言している。
常日頃、息子のお守りの辛さを愚痴る私に、でもこんなに可愛い子じゃないかとたしなめ、皆が同じ苦しみなんだから、とか、あるいは生返事で聞き流しているオットだが、土日に「じゃあ、あなたが息子担当してよね!」と私からバトンタッチされると3時間でキレる。好奇心いっぱいで瞬発力があり、馬鹿力の息子は、『ア!』と閃いた瞬間にはもう男親が握った手さえ振りほどいて突撃していってしまう。それを追いまわし、逃げられないように力を込めて息子をコントロールし、込んでいる店舗内を歩き回っているうちにオットは逃げ出したがる。
そんなときに私に「ほら,辛いでしょ?」と言われると大変不機嫌になる。
が、それにしてもそうそうは私が好きなお店に行けないことを知っているくせに、なぜその一番最後にとっておいた楽しみの時間を割愛しようとするのかしらと、私もがっかり。
包容力の問題かな。ファザコン気味の私は,理想の父親像を持って男性を見る癖が抜けない。なのにオットに関してはそこは間違った。もともと、わたしはうんと年上の人と結婚しなければと判っていたのに、まあ三つくらい年上でもいいかと惑ったのが運の尽き。父ではなく、息子か弟と思えば可愛くないこともないのだが…。まあ、がんばって子供達の前では父親らしくしてくださいね!ぷんぷん。


新しく買った下駄と手提げ袋。
とても気に入ったので、ゆかたのときだけじゃなくても着用。

2004年8月27日(金)  
 夏休み終了までカウントダウンの日々だけど、涼しくなってきたので体調が良い。この状態で願わくばあと半月だけでも休みが欲しい…。
 息子の幼稚園に遊びに行く。保育主任の先生がいらして我が子達とさんざん遊んでくださる。息子の喜びようから察するに早く2学期が始まった方がいいみたい。なんのかんのと言いながら、確かに休めたかも。心身ともにだらけきった夏だった。お腹についたお肉をどうしましょう………。暑くてできるだけ家に引きこもりながら,食欲が落ちなかったのが敗因か。通常の生活だと日々2キロは歩いてるもんね。
2学期は行事が山積み。これが怖い。とにかくまっすぐ前に突き進んで、zennbun 全部乗り越えるしかないのだが、考えていると億劫になる。考えるのは9月1日以降にしよう…。
 名香智子先生を信じて「水色童子」の1巻を買う。が、ちょっとがっかり。先生が適当に流して描きました、という感じで歯ごたえがない…。


こんな可愛いヨーヨーができたんですね。
夏祭りの人気商品でした。

2004年8月26日(木)  

 今日ではないのだが、ちょっと前に早朝の新宿に行ったらたくさんの人が並んでいて不思議に思った。並んでいる人のほとんどは女性だったのだが、聞けば『新宿の母』に占ってもらうための行列だと言う。おお、と感心しながらその場を離れたのだけど。
ふと今日、何気ない瞬間に占って欲しいと思ってしまった。単純に占いというものに興味がある。カリスマのある人に興味がある。いつか。ちょっと私も挑戦してみようかなあ。

 18の頃、占いは単なる遊びだった。14歳の頃からそれまでずっと「My Birtyday」という雑誌を買っていた。友達の影響で、タロットカードも買った。それは楽しいごっこ遊びだったのだ。
ある日、父のガン宣告を受けていらい思い詰めていた母が(まあ当然だが)あんたの人を喰った性格は判っているが、それでもお願いだから親孝行だと思ってある占いのところに行ってくれ、一緒に話をきいてくれという。それは懇願だったので哀れをもよおして私は一緒に行った。
対面したのは、もう老衰間近?という感じの女性で、キッと私を見て私の性格を並べ立てた。母が言ったんだろうなあと舌打ちしながら聞いていたのだが、いや、母はそんな風に私をみていないだろう、と思う私の本質的な部分まで本でも読むように言ってのけられたのには興味がわいた。その時点ですでに術中にはまっていたということになるだろうか。
占い師は(大島紬を凛と着こなし、銀色の髪を綺麗に結い上げた老女で、老人ホームをずっと経営しており、そこで人の人生をみているうちにいろんなことがわかるようになって、息子に経営を譲って引退した後占いをするようになった、とのことだった)あなたが私を信じないことはわかっている、あなたはいろんなことを信じないだろう、自分で確信したものしか選ばないだろう,私を試していいから、あなたのお友達の名前を言ってご覧なさい、と言われた。
私は親友の名を告げた。老女が聞くなり「親の身勝手でねえ…可哀想に。親は好いたはれたで結婚していやになったら離婚してすむやろうけど、子供にはええ災難や。この子は被害者や。この子はいっつも寂しがってはる。」と最初の名を聞くなり言った。まだ私は彼女が母子家庭だともなんとも言っていない。そこまで母が先に占いをする老女に告げてあるだろうか。
次にはちょっと考えて、同じ部活で親しくはあるが、電話のやりとりまではしていないから母はよく知らない友達の名前を言った。たまたまその子には生まれつきの股関節脱臼による足の不自由という軽い障害があった。そして中国国籍だった。日本名を通していたから、それを知っているのは少数の仲間だけだったけれど。老女はとたんに
「足の不自由な子やね。生まれついてのもんやな。日本の人やないねえ…中国から来やはったご両親が日本でこの子を産みはったんやな」
と言った。
石油ストーブのたかれた部屋で、こたつに入っての占いだったのだが、寒気が少し、した。もう一人の友達の名前を言った。彼女の特徴も言い当てられてしまって、私は黙り込んだ。
なぜ、そんなに私の友達のことまでを老女が言いあてられたのか今も判らない。オットは何かトリックがあるはずだというし、私もそう思うがよく判らない。ただ私が覚えているのは老女の目の強さだ。射るように、とはこのことを言うのだろうかと思ったものだった。
私は観念して、相手の言葉を素直に聞いた。そして納得してある判断をした。
そうそう、癌と宣告された父の延命を願って、つてをたどってこの占いに母は行ったのだったが、話を始めて即座に「えろう気の毒やけど、この人はもう死にます。助かりまへん」と断言されたそうだ。泣いた母に同情して占い師が、なんとかあんたの上の娘さんを連れてこれへん?その人に、言うてあげたいことがあるんやけど、と言ったそうである。その時点で母は自分に娘が二人あることをまだ話していなかったと言うのだが、いやきっと話していたのだろうと私は一応思っている。
ここで私はわりと大きな人生の決断をしたが、20年近く経つ今も、そのことは後悔していない。むしろ大感謝しているといったところだ。面白い体験ができたことに何より満足しているのだ。
別れ際に老女は「次にあんたが私のことを頼るときには私はもういてへん。もうそろそろ私も死ななあかんから」と言った。
2年後、訪ねたらおなくなりになったとのこと。まあご高齢だったからなあ。
その占い師さんは、いやなこと,不吉なことも断言するので何人もの客を怒らせてきた、と言っていた。嘘は言われへん、でも人はええ話をきける思うて占いに来やはる。そんな人からはお金もらわんとかえってもらいます。と。
ちなみにその時,私の母が払った占い代は1時間で3千円だった。ジェニーのカレンダーガールより安いね。
迷うたびに占い…という発想は私には断じてない。占いは娯楽であり、人は最初からうまくだまして欲しくて占いを訪ねるものだと思う。そう言う意味で私は、ひねくれものの18の小娘をまんまとだましてくれた老女のしたたかさ、そのエンターテイメントぶりに喝采する。
だが大昔から人は占いを選択肢のひとつに入れてもいる。直感というのは理屈で断じ切ることができないものでもある。
占いをあたかも予言のように言われると信用しにくい気がするが、直感力が強い人にその直感を聞いてみる、というのなら面白そうだと私は思うのである。
老女は直感で、私は22歳のときにであった人と結婚すると言った。私の親友は3回結婚すると断言して,18歳の私の度肝を抜いた。
私はオットと22歳になる少し前に出会っている。まあはずれていないこともない。
親友は3回目の結婚をしていないが、2度の離婚を経て今、再婚する気満々で恋人探しをしているので、これは的中するかも知れない。他にも小さなことを諸々、逃げ場のない断言口調で言われた。小さな諸々,というのがいいでしょう。普通の人間はたいていが皆、小さなハプニングを積み重ねて生きているのだもの。面白い。そろそろまたそんなエンターテイメントに触れてみたい気持ちが芽生えている。


リカの可愛いいこと。
何より値段が可愛くて,嬉しくて泣けちゃう。

2004年8月25日(水)  

 「はじめの一歩」という漫画を読み返す。とても好き!16年くらい前?だろうか。オットと婚約した頃の私はオットが毎週買っている「少年マガジン」を一緒に読むようになって数ヶ月経っていた。その頃にこの「はじめの一歩」の連載が始まったのだ。二人ですごく面白いね、と言い合った。そうして歳月は流れ、もう新婚でもなんでもない私たちになり,当時この世に影も形もなかった娘と息子が生まれ、家も8回引っ越したが、やっぱり「はじめの一歩」が好きである。読んでいると血湧き肉踊る。好きなシーンは絶体絶命の一歩の姿に鴨川会長が心の中で叫ぶ。だがあいつには武器がある、幕の内一歩最大の武器、勇気が!というところが今でもとっても好きなのだ(>▽<)オットは笑うのだけどね。
 ビアズ・アンソニーのファンタジー小説、魔法の国ザンス物語の中で確か勇気についてこう書かれていた気がする。「怖いものがあって当たり前、その怖さを認識しながら突き進み乗り越えようとする心、それが勇気なのだ。怖い者がないというのは勇気ではない、ただの愚かさだ」と。まあ、そういうことが書いてあったと思うのだが。それで言うとやっぱり若い頃の私はただの愚か者だったわ。今は臆病者だし、どうにも始末が悪いわね。

家事をこなし、子供の習い事に出かける。そして心は架空の世界に遊ぶ。今日は涼しくて、心も飛翔しやすかったです。


娘は友達が来ると「ほら見て、おもしろいのよ」と
ブライスを見せる。
なのでブライスを一番好きなのかと思っていたらそうではなくて
(「だってこれ、骸骨かと思って面白いんだもの」だって!)
一番欲しいのはこの子よ、私が大きくなったらちょうだいね、と
ご指名を受けたのがMSD美加である杏樹。
うーん、お目が高い…。

2004年8月24日(火)  

 本棚の整理をして、と昨日書いたけれど、この本棚がすごい。我が家はCDもビデオもDVDも本も大変ある家なのだが(泣)そこへ母が、私が青春時代に買い集めた本を段ボールで3箱送りつけてきた。仕方ないので、寝室のクローゼットにいれておいた。実家においてきたとは言え、好きで手放す気がもとよりなかったものたちである。試しに一冊手に取ったらハマるハマる。綺麗に梱包されたまま、いつか余裕ができるまで(そんな日はあと十年は来そうにないと最近予感しているが)置いておこうと思っていたのが、私がだらしなくあれこれひっぱっりだしているうちに崩れて汚くなった。が、なにぶんクローゼットの中である。扉を閉めれば整然とした上面に戻る。案外収納力があるので、自分なりに臨時の整理をして、そこに食玩や人形もいれておいた。中で時々崩れて雪崩状態になることもあるが、まあいいか。そのうち整理整理。と私は安心していた。オットが開けないクローゼットだからである。
しかしある日、オットは虫の知らせを感じたらしい。開けて仰天、衝撃に立ちすくみ、目を潤ませた。彼はとにかく整理が好きなのだ。部屋の埃はさして気にならないらしいのに、物の乱れには心も乱れるらしいのである。そんな彼には許しがたい光景だったわけだ。
私はあわてず騒がず、大丈夫、私の中でちゃんとお片づけ計画は出来上がっており、順を追って実行していく予定だから安心して、またこの扉のことは忘れておくように、と言い聞かせた。
が、ある日(といっても今月の8月1日で、私がドールズパーティーに行って大興奮していた日のことだが)オットは子供達を連れてホームセンターに行き、コンパネという安くて丈夫な板と金具を買ってきて、ハンガーをかけるバーしかなかったクローゼットを棚に改造したのだ。私の部屋に転がっていた衣装箱(中に布やら毛糸やらがつまっている)が再下段に2箱並ぶように計算し、その上にハードカバー本、新書判本、コミック本が、その上には文庫本がずらり、最上段には食玩と人形がいれてあり、微妙な隙間に、持て余していた着物がはいっていた。
大きさと見た目だけに考慮したその棚は私から見たらカオスそのもので仰天したが、なにしろ片付いたことは間違いなかった。なにより、幸福に輝くオットの顔を見ると仕方なく苦笑しつつありがとうと感謝した。
で、夏休みも終わりに近づいた今になって、きちんとその本を並べたのだけど。
本棚を整理するとたいていの人が落ちる罠がありますね。そう、読みふけってしまうという奴です。
それで今日も一日潰しました。むろん、子供のお勉強に2時間つきあい、掃除洗濯料理アイロンかけ、庭の手入れと一通りはこなした上でのことだけれど、それすらもできればしたくない、久しぶりに没頭して読書しました。
今日は佐藤史生先生の「夢見る惑星」全4巻と「死せる王女のための孔雀舞」「金星樹」に浸る。
若かりし頃にだって「いい作品に会えた」と満足していた。でもこれを今読んで唸る。地核変動、ずっと地震がなかった分,矯められた力がある日直下型地震となって地球を揺るがす…これって…これって…。書かれた年代を確かめ,後の阪神大震災や、日本の首都遷都問題を考え…ただ唸る。
何より、登場人物達のなんて魅力的なこと。ただ、主人公とその周辺の人間ばかりが哲学的に聡明で,それ以外は本当に雑魚のように描かれているのが気になるのだけれど…。(でもちょっと前の作品はみんなそうだったよね。だからそれらの本にかぶれる子供達も,自分とその親友だけが世界の中心で賢くて後は愚かな雑魚、みたいな振る舞いをしていた。特にオタクと言われる人たちにはその言動が顕著だったので、オットが以降アレルギーを起こすようになる)それから内田善美先生の「星の時計のLiddell」にも呆然。あの頃より今の方が,ものすごく感覚が判る。驚く。若い、ということの無意味さを私は身を以て知ったと思う。
昔、ガンダムが好きで見ていた私が、今見るとあまりにも無造作に人が死ぬので堪え難い思いをするのと同じ。昔の私はなんて乾いた心と目で、ただ本の中の出来事だけを追っていたのだろう。心は滅多なことでは震えなかったのか。劇的にドラマチックで過激なスパイスを与えられないと、駄目だった。それが若さなのかな、大味な心だったのかな、と。
恥ずかしながらまた「風と共に去りぬ」も読んで、人生で一番感動したりもした。
レットの、あの愛情のなんて深いことかと。客観的に自分という者が見え、注意深く恋愛ゲームを進めようとしながら、本質的に理解しているはずの女の素っ頓狂な行動に意表を付かれてはそれに自分でさらに惹かれてしまい、助けるために気を配り、しまいには仕方なく結婚を申し込んでしまうことになる心の葛藤が可愛くて,笑ってしまう。スカーレットの愚かさと利口さは、若い頃私がした解釈とはまた違っていた。彼女にはあれが精一杯だったのだ、彼女はなんにも手を抜かず、与えられた状況の中でベストを尽くして生きたのだということへの感動があった。昔の私は彼女の愚かさを軽蔑していたのに、今読むと正直「あいたた!」と思うくらい私の中の愚かさに通じているものがあり、これはまたきっと作者の心の痛み、マーガレット(作者)がスカーレットに投影した自嘲だったかとさえ思う。
好きな本は人生で何度も読み返す。再読する気にならない本は手放す。最近は後者が多くて滅多に本を買わなくなってしまったのだが(図書館で借りて読んで,素晴らしさを確認してから買う。というのも一銭も無駄なお金を使いたくないからだ。それらは出来る限り,人形にあてたいのである)昔選んで買った本に間違いがないことに,何より驚いている。


映画もテレビドラマもみていないし、小説もよんでいないけれど、
サウンドトラック盤だけ入手の「世界の中心で愛を叫ぶ」

なぜならこのラインナップ。
物語がどうも、もろに私の青春時代と重なってるらしい。
あの頃…父が亡くなりかけていて、
私はいくつか夢をあきらめて進路を変更して…
忙しい重たい毎日だったけど、やっぱりキラキラしてたかな。

2004年8月23日(月)  

 眠い。昨夜は珍しくオットと一緒にずっとオリンピックを見ていた。いつもなら寝てしまって、翌朝結果を聞くのだけれど、お風呂にはいって布袋寅泰のベスト版CDを聴いていたらアドレナリンが噴出、すっかり元気になってしまい、せっかくだから今度のいつかのドライブにそなえてかねてから自分が好きだった曲ばかり聴けるように編集しようと計画していたものを、今こそ実行しようと決めてしまったのだ。
それをやっていると真夜中を越え、テレビではオリンピック女子マラソンが。途中で気を失っていたオットが目をさまして騒ぎだす。つられて私もうっかり見てしまう.見ると応援せずにいられない。
感動しました、女子マラソンの金メダル。
でも眠いよ〜。

涼しくていい気持ち。本棚を整理してすごす。サイト更新の準備もちょびっとだけします。オットから欲しくて仕方なかったお人形を、また買ってもいいとお許しをもらいました。
Happy!


母が送りつけてきた私の昔の宝物の一つ。
昭和メルヘン収集で有名な方のコレクションページを見ていたら、
本当にほぼこれとそっくりの、ペンダントをみつけた。
私のはブローチで、祖父が神戸三宮そごうで買ってくれたもの。
(もちろん30ン年前のこと)
お出かけのときはいつも母にこれを胸元につけてもらっていました。
娘がどういうわけか気に入って、今では出かけるときに必ずつけてと言ってくる。
遺伝?

2004年8月22日(日)  

 夏休み終了が感じられる日付になり、オットがさらに思い出のひとつにと加えようと、家族で東京タワーにいくことを提案。日曜日のタワーなんていやよ、どうせ人がうじゃうじゃいるのよ、とまた嫌がってダダをこねる私を、途中で「天使のすみか」によってあげるからと言いくるめたオット。思わずでかけました。
アフタードルパ、気になってたの。アナイスと南条くんは速攻売り切れだったようですね。私が行ったときは何人もの方がアナイスの予約をしていらして、嬉しそうだった。
また間近でアナイスを見て、あれ〜と考え込む。ドルパのときは思っていたよりいいわ!と確信して予約したのだけれど、やっぱり最初に画像で見たときに感じた違和感がちょっとよみがえってきた。メイクが濃い…?うーん、なんだろう、私の体調にもよるのかしら!?(>_<)
気になって仕方ないので、夕方帰宅後、あれこれアナイスを検索してみて思うに、私は1stにも一目惚れしたわけではなかったのだ。一目惚れと言うなら、美加とか椿の方がよっぽど強い気持ちだった。(あと、キラはもちろん)どうも、あれこれたくさんの方が素敵にカスタムなさっているアナイスを拝見しているうちに、私の中にある種のアナイス像ができあがって、それにこだわることになったのだと思う。そのイメージが実物とぴったりとは一致しなくて、買おうかどうしようかまでにこんなに悩んだわけで、やっぱりフルチョイスシステムの中に、アナイスヘッドをぜひ入れて欲しいなあ。
せっかく綺麗にプロの方にメイクして頂いているものを落とす勇気がない私のために、いつかぜひ。
ドルパのときにも残っていたが、ここでもユニだけ残っていた。ネットでもそうみたい。可愛いのにどうしてだろう。もし美加に先に出会ってなかったら、私はかなりグラっときたと思うけれど。
結局天使のすみかでは何も買わずに東京タワーへ行く。
タイムスリップしたかと思えるほどのあの塔内の暗さ、レトロ感はもう貴重としか言いようがない。ぜひあのまま保存していただきたい。地下の水族館は一種の穴場だなあとオットと感動した。古い、汚い。でも魚がよく見えて子供達大喜び。値札がついているのに夫婦はびっくり。ほとんどのものを売ってくれるようだ。かなり水槽マニアらしい男性とそのパートナーが食い入るように見ていた(というか女性はほとんど今日見なかったみたい。私に連れられて人形売り場に行く我がオットのうつろな表情とほぼ同じ顔だったからね)
ウツボって本当に怖い、グロテスク。たくさん魚をみていると、やっぱりエンゼルフィッシュは可愛くていいデザインだなあと、史上最強のデザイナーである神の業を思う。
ちなみに子供達が実際に見て一番喜ぶ魚は、ディズニーアニメ「ファインディングニモ」の主役になったあのお魚だ。オレンジと白の縞縞で本当に可愛い。イソギンチャクとセットで飼われるのがおすすめです、たぶん。


このルリマツリの優しいBlueが、暑さを慰めてくれます。

2004年8月21日(土)  

 オットが出勤の土曜日は私にはかなりがっかり。子供達の送迎を歩きとバスで行ったり来たり。少なくとも2往復はこなさなければならないからだ。週末、アッシーとしてこき使えるオットがいない不自由さを痛感しつつ、車を運転する練習をしなければ、と思うばかりで全然実行しない自分に腹を立てる。同じような立場の友達に、ペーパードライバー教習に行こうよと誘われるのだが、その値段を聞くと私の中で人形の映像が浮かび上がり、キラキラと輝くのよね。あきません〜。自力で車が運転できるようになろう!
夕方帰宅したオットが子供達を喜ばせるためにファミリーレストランに行こうという。聞くなり子供達は大喜び、私も週末くらい食事の支度をしたり後片付けをしたりせずに済むなら嬉しいので、のそのそと出かける支度をして全員で車に乗り込んだら、車がウンともスンとも言わない、動かない。JAFさんに連絡。30分後にきてくださった方がいうには、見事にエンジンが昇天していたらしい。すごい。外を走行中でなくてよかった。見せてもらったけれど白い粉を吹いていて、ほほ〜!と何も判らない素人ながら唸る。その場でエンジンを交換してもらって、待ちくたびれた子供達をやっと待望のレストランに連れていったのだが、どうやら色々車の故障、というか老朽化が目立ってきたので、買い替えた方がよさそうだとオットに言われブルーになる。それは私の人形の夢が遠のくことだからあまり嬉しくないのよ、とあからさまに言う訳にもいかず、ひとりでこっそりため息をついた。

妹の出産が迫ってきたので、義妹から譲って頂いたベビーカーやベビーカーシート、ベビー服を含め、我が家からの赤ちゃんグッズも大量に送りつける。
妹は現在逆子で悩んでおり、毎日体のだるさとも必死で戦っているようだ。そしてお腹の中の赤ちゃんは、どうやら男の子らしいと判った。義弟はさぞ喜んでいることと思う。彼は男の子のことしか考えられないと、妹が妊娠する前から言っていたのだ。
妹が内心では女の子を切望していたのを知っている私は、男の子の可愛らしさを熱烈に説いておいたけれど、ちょっとくらいは暗示にかかってくれたかしらん。

子供達を寝かしつけた後、夫婦で映画の一本でも観ようというのが週末の夜の楽しみ。今夜は「愛しのローズマリー」を観た。面白かった。グウィネス・バルトロウがとても可愛く見えて、今まで彼女をそんなにいいと思っていなかったらしいオットもちょっとファンになった様子。お話自体が可愛い。


これもやっぱり5歳頃に買ってもらった、人生初のマイ・ミシン。
でも上糸だけしかないから、本当には縫えなくて、それがとても不満で、
両親が期待するほど喜んであげられなかったホロ苦い記憶があります。
昔のおもちゃって、なんだかこう味がありますね。

2004年8月20日(金)  

 息子の心理カウンセリングに行く。この療法士先生のカウンセリングを始めて10ヶ月くらいだけれど、今日は、息子の成長ぶりから推察するに、あと1年半後の小学校入学時にはおそらくコミュニケーションという面での発達が平均に追いつき、誰に何を悟られることもなく普通に通学できるようになるのではないかということを言われた。
プロの人はなかなか楽観的な言葉を口にしないのが鉄則だと思っていた私はその言葉にきょとんとしてしまったが、帰宅してオットに告げると彼が大変喜んだので、ああ、そうだなあ、本当にそうなるとうれしいかなあ、と。
日々、オットや幼稚園の先生と話し合っているのだが、この症状は本当に難しくて奇妙だ。まれに暴力傾向を出す子がいるというが、実際にはその数は非常に少ない。正常と言われる子供よりはるかに少ない。正常児の方が乱暴で悪意を育みやすく、わがままだとちらっと幼稚園の先生がおっしゃったことがある。
時に私は思う。
この子達は大変頭が良い。そして耳と目、嗅覚、触覚が平均以上に発達している。私たちが数秒眺めて把握することを、ほとんど見たと思えないくらいの一瞬で掴んでいる。動態視力がすごい。息子は友達がぶんぶんこいでいるブランコの間をくぐり抜けては、周囲の人間の肝を冷やすが、どうも本人ははっきりと動きが見え、しかも自分がそれを避ける自信があるようなのだ。これも傾向のひとつの特徴である。息子は特に力の強さと運動神経の良さは体育教師からの折り紙つきで、際立っている。
この子達は概して優しい。が、鈍感ではない。非常に敏感に人の…そう、なんていうのだろうか、オーラを読んでいるようにさえ見える。相手の愛情とか嫌悪感などをすっと読み取り、距離を決めている。息子のその裁定はしばしばあまりに露骨で非情なので、私はいつも大変うろたえることになる。でも他の子たちも似ているそうだ。
そして、学力レベルが高いことが多い。図鑑の丸暗記、方程式の丸暗記、あるいは絶対音感など。この子達には珍しいことではない。
優しいこの子達は争いを好まない。嫌いな人からは離れ、見えないことにする。その存在を十分認識しているのだが、あり得ないものとして見えない聞こえないを決め込むのだ。それは無視される相手に腹立たしさを覚えさせ得るけれど、本人達には都合がいい逃避方法である。
嫌い、という感情が憎悪にまで発展することはない。記憶力が大変いいので、一旦嫌いと思ったことは、人であれものであれ注意深くすべて回避する方向にいく。それでことをおさめてしまう。が、好きという感情は深い愛に成長する。
自閉症、ということに私たち周囲は大変気をもむけれど、実は本人達は害意を向けられ強制されない限り、幸せなのだ。あるがままの世界、いやそれ以上の、この世界の向こうの何か、美しい楽しい何かと魂を分かち合いながら、満たされていて幸福なのである。
ずっと見てきて、時々思う。息子を正常化(この言葉には大変語弊があるのだけれど)しようとするのは、本当はすごいおせっかい、私のエゴなのではないかと。
多種多様な特徴を示す自閉症スパイラルは、もしかしたら人間の進化の過程ではないのかとさえ思う。
もしこういう子たちがもっともっと増えたと仮定しよう。(事実、年を追うごとに増加しているのだから)彼らは身辺自立(飲む、食べる、着替える、排泄・入浴する、掃除する、洗濯する、料理する、働く)はできるわけである。ただ必要以上に深く、他人を気にしたくない、かかわりたくないだけだ。ひきこもりとは違う。で、あれば、人との摩擦はかなり減るのではないか。人間関係がドロドロすることもなく、ただ希薄になる、自然にお互いにおせっかいはやきあわず、過干渉せず、ということになる。まして争いは好まない。そんな人間が増えたら、世の中はどうなるだろう。人類はごく自然に、平和のうちに死滅するのだろうか。それともあるいは静かな人々が増えて行くことになるのだろうか?
神というものが存在するなら。
ある意味、自閉症の子達はその声を聞くのにとても近いのではないかと思えることがある。

そう思いながらとりあえず私は、息子を自分たちの世界に招き寄せようとしている。彼が楽しい夢の国に属しているのを知っていながら、それはでもちょっとなんだからこっちにおいでよ、と呼びかけ続けている。これはやはりエゴなのでしょうね。


5歳の時に買ってもらった初めてのオルゴール。
中身は赤いビロードばりで、鏡面の上をバレリーナのお人形がくるくる踊ります。
当時は人造宝石がいっぱいついたオルゴールがはやっていて、
私もお友達と同じような、そんなのが欲しかったのですが、
母はこの箱がいい、絶対いいと私に熱烈プッシュ。
曲は悲しく「月の砂漠」
お友達のみたいな「エリーゼのために」とか「乙女のいのり」のが欲しかった私は、
それも2重にショック。
が、今こうして30ン年ぶりに出会ってみると、
なるほどこれは味があるなあと感慨深いです。
阪神大震災を乗り越えてもまだ、我が家(私の実家)にはこういうものが眠っています。
なのにお人形はないのね〜(涙)

2004年8月19日(木)  

 本日は娘の英語教室である。十時からという時間がうれしい。習い事はなぜか、一日で一番暑い時間に集中しているので、往復だけで暑さに弱い私は衰弱してしまうのだ。が、十時前後でも暑さはもう半端ではなかった。来年は…そう、夏休みはまるまるどこか涼しい土地に移ってすごそうか、そのためには貯金して夏越しの支度をしなくては、と朦朧としながら考える。
いや、無理。そのお金で人形を買ってしまいそう。っていうかほぼ買ってるね、きっと。


同じ顔なのに、
瞳の色と肌の色、髪の色の違いで千変万化のリカちゃんには
やっぱりいつも恋してしまいます。

2004年8月18日(水)  
 そろそろ、子供達の習い事が始まったので億劫で仕方ない。一旦出かけてしまえばそう嫌でもない、むしろ楽しいのに家を出るまでの間の気持ちが重い。出不精の人はみなこうなんじゃないかな〜と思う。
子供達を赤ちゃんの頃から通わせている幼児教室に今日も行った訳だけれど、そこの室長先生にお願いがあると言われた。最近、通い始めたお子さんがやはり自閉症そのものズバリではないけれどその傾向が認められると言われて、ものすごく悩んでいるお母さんがいるとのこと。その方が私と話をしたいと願っていらっしゃるので、お暇なときでいいから電話をしてあげてもらえませんか、とのこと。3歳児検診を受けてそう言われたそうだからきっとさぞお悩みのことと思う。幼稚園入園も控えている訳だ。なので、いつか電話してみると了解して帰ってきた。問題は室長先生が現在息子が通っている幼稚園をすすめてみた、とおっしゃっていたことだ。
息子が通っている幼稚園は確かに素晴らしい。先生方も自分たちは最善の努力をしているという自負を当然お持ちである。が、その噂が広まって自閉症の子ばかり詰めかけてこられたら困る、と副園長先生が漏らしていると私は聞いた。
実は困るのは私も同じである。息子一人にたいして、どれだけたくさんの人のたくさんの配慮を頂いていることか。親がつきっきりでみていないと最初は不安であるくらい、人とコミュニケーションをとることが苦手な子供は不安なものだ。いや、きれいごとでなく言えば。今、贅沢にふんだんに息子が受けている先生方からの愛を、他の人と分けたくないのね、わたし(^_^;)なので、身近に悩んでいる人が数人いるけれど、けっして今通っている幼稚園のことをすすめない。今のところは幼稚園と相性が悪いようにみえない、とだけ言ってあとは相手の曖昧な解釈に任せている。
幼児教室の先生にもあまり幼稚園の宣伝をしないで、と言っておくべきかしらん。ふーん…と悩みは尽きない毎日である。

 
娘が昨年、交通安全ポスターキャンペーンに参加した記念に頂いたカップ。
なつかしい、田村セツコさんのイラスト付きでした。
交通安全と、どういうコンセプトでつながっているのか判らないけど
ラディッシュ柄。
カップの下に田村さんらしい女の子のイラストをみつけて、
微笑んでしまいました。

2004年8月17日(火) 
 自分がそそっかしいので、人もそそっかしいのだという一面を見ると安心してしまう。なんの予定もない今日、気を抜いているとやはり体が重い。びっくりするくらい重くてだるくて動きたくない。血圧も、今日は下がっていい日なんだなあと判っているようだと思っていると電話が。娘の通う英語教室の先生からで、今日はレッスンじゃなかったですか?とのお問い合わせ。半月前にもう一人の生徒さんのお母さんのご都合で、火曜日から木曜日に変更とのメールをいただきましたが?というと先生はびっくりし、自分でもカレンダーに印をつけてあるのに判らなかったです、ごめんなさい〜と謝られて電話を切った。ふふふ、と笑ってしまう。そういうことってよくある、ある。

お医者様に言わせると私の低血圧はもう宿命的なもので一生つきあって行くしかないそうである。せいぜい血糖値を上げる努力を怠らないことで、スポーツ飲料を朝起きてすぐに飲むなどおすすめですと言われた。夜になると元気になってくるのも当たり前のことで、血圧は夜になるとあがるものだからだそうである。
と、いうわけで今日は昼間使い物にならなかったのに、日が暮れる頃になって体がやっと軽くなってきた。これって主婦としてとても困る体質です。体が言う通りに生活していたら、周囲の人にきっと吸血鬼と疑われることでしょう。子供も私にならって一日ゴロゴロして過ごして、すごーく教育に悪いという自責の念に駆られるし。
オットはオリンピックのおかげで寝不足だけど溌剌としている。血圧が普通の人はいいな〜。


今年の夏ほど、この日射しに苦しめられたことはなかった気がします…

2004年8月16日(月) 
 首が寝違えたように痛い。肩こりがひどい。したいことがたくさんあるのに、何もできない。でもこういうときは、神様からの「休めメッセージ」だと思うことにしているので、のんびりコーヒーを味わいつつ、本を読む。が、娘の勉強に汗を流すことになってしまった。
気楽に本屋で買ってきたドリルをやらせていて、青ざめたのだ。こ、ここまで数字が嫌いとは…!小1ですでにこれではいくら何でもマズい。腹がたつのは、英語国語音楽図工など、生来得意とするものはずば抜けたセンスを示すのに、嫌いとなるとからっきし能力を発揮する努力すら見せず、「判らない」で押し通す頑固さである。ううう………………!!
遠い昔、私もこうだった。こういう性質まで遺伝するものだったとは。
いや、待って。あの頃私が心を入れ替え、苦手なものにもきちんと取り組むよう性格改善をしていたら、子供には遺伝しなかったの??その辺を、神様にきっちり確認させて頂きたいものである。
それはともかく、さしものんきな私もこれからは面倒くさがらずに子供ともっと向き合おうと決意。子供とは向き合いすぎて十分だと思っていたけれど、まだまだ至らなかったようだ。私の経験で言うと、義務教育はやっぱり偉大で、特に小学校の6年をきっちりやっておけば後は何とかなる。子供の自主性に任せるつもりだけれど、私たち夫婦はできれば子供達には義務教育のあとすぐにでも、興味ある専門分野の勉強をきわめて行く形に進んで欲しいと願っている。に、してもである。やっぱり基礎こそキチンとみにつけておくべきものだ。教育ママになるのは将来ではなく、今こそ、なのかもしれないと考え込んでしまった。

また息子の幼稚園に遊びに行かせて頂く。担任の先生に子供達が二人とも大きくなったとびっくりされて、そうかな?と首を傾げたのだけれど。そういえば、眠ってしまった子供を寝床に運んで行くときに、抱いた体を長いなあと感じるようになった。実際に運んでいて、いままで楽に通り抜けていた廊下やドアの間口に子供の体がひっかかって、そこで成長を感じることがある。新生児のときには3キロない体でも重く感じたのに、それが何倍もの重さになってもまだ抱ける自分にも驚くけれど、それもそろそろ限界が近いみたい。
子供は期間限定品のお楽しみのようなものだなあと、くっつきあって眠る夜などに思う。そうしていることがとても気持ちよいのだ。窮屈なんだけれど、なぜか心地良い。動物の本能なのかもね。

 
ティンカーベルの姿が見えるでしょうか。
鏡に移っている模様を綺麗に撮るのって難しいですね。
しかも銀ラメが振ってあるし。
小さな鏡は月や星の形の鏡ともセットです。
子供部屋に向かう階段の踊り場に貼付けました。

2004年8月15日(日) 
 ついに私の呪詛が天に通じたか、今日は涼しくてとても気持ちがいい日だった。明け方からの雨の音で子供達が二人とも
異常に早起きしたのにはなかされたけれど、気温快適で久しぶりにエアコンいらず状態。でも低血圧な私。
夏休みも半分をすぎたのに体調がいつまでたってもいい、という感じにならない。根本的に夏とは相性が悪いようだ。でも私の持病であるぜんそくのことを考えると夏は発作の不安が少なく、いい季節なのだ。

「自閉症だった私へ」を一昨日読み終わってずっと考えていた。これは、子供の発達に悩んでいるお母さんにはぜひ読んで頂きたい。私は自分ではかなり自閉症を含む子供の発達障害について読んだり聞いたりしてきたつもりだった。障害ということさえ難しいこの病気。特に一般人に理解されにくいのは、知的発達遅滞を伴わない自閉症スペクトラムだろう。ここにはありとあらゆる、「頭はいい(か、もしくは普通)でも感じ方、反応の仕方がちょっと違う」という人が含まれる。元気がいい、個性的。そんな言葉で周囲が信じ、ごまかしている間に子供が集団の中で摩擦を起こし、トラブルに巻き込まれ傷つくケースが多い。親も、しつけが悪いねえ、と冷たい目で見られることが多いのだ。これは覚悟して開き直るしかない。でも心は傷つく。
そういうことと私はできるだけ向き合うように生きているつもりだけれど、それでもなお、この障害ある人の感覚をはっきりとつかみ切れていなかったことがドナ・ウィリアムスの著作で実感された。そうだったのか、と本を読みながら思わず身を起こしてしまうことが何度もあった。
息子はドナの様子と必ずしも一致しない。そこが現在複数の医者にかかっても「自閉傾向は認められるが、はっきりそうとはいえない」と言われる部分だろう。なぜなら息子は抱かれることやキスされることが好きだし、自発的に両親や姉、いとこ、幼稚園の先生にそういった愛の行為を示すからだ。甘える、なつくということが自閉症の子には少ないと言うけれど、息子はその点では豊かである。赤ちゃんの頃から体を反らして、抱かれることを拒否するということはなかった。いつも私やオットにぴったりくっついて、気持ち良さそうに安らいでいた。なにより、自閉症の子は人の感情をつかめない、という。でも息子は姉が泣いていれば「○○○ちゃん、大変、可哀想!」とティッシュをもってかけつけ、涙を拭く。人に物を食べさせてあげるのも好きである。相手が美味しいというと、ぱー!っと明るく笑う。その笑顔はまさに100万ドル。それはそういうパターンが刷り込まれ、そうしているだけでしょうという人(医者でもなんでもない、ただの知ったかぶり)もいるけれど、それって案外普通と言われてる人間でもそうじゃないの?それはともかく、はっきり言えることがある。自閉症であっても、心は愛に反応する。これは絶対本当だ。私が息子との毎日を通してそれを絶対的に感じる。そうしてそれは親の私たちだけでなく、幼稚園の先生や親戚の人たちにも広がるようになった。そんな努力を続けてきて、息子が手応えを返してくれるようになって、やっと最近私は腹をくくってこういった本をきちんと読めるようになった。それまでは医学的に事務的に、たんたんと研究されていることが書かれているもの意外は読むのが苦痛だったのだ。感傷的な体験書は感情の渦に巻き込まれてしまうから避けてきた。そんな余裕が私にはなかったのだ。ドナの著作は私が恐れていたほど感傷的ではない。彼女は淡々と事実を並べ、性格に自分がそれらにどんな感情と疑問を感じ、皮膚感覚がどうであったかを綴っている。清冽で理路整然としており、それでいて非常に情緒豊かな文体は、。だから強い力をもって私の心を打つ。改めて息子に対応していく自分について考えさせられる。
ドナの本は最後に、こういう障害を持つ人に関わっているすべての人に、あきらめないでと言ている。。なぜなら、その努力は決して無駄になっていないからだ、と結ぶ。この最後の言葉で、私は一瞬崩れて泣いた。

あと半月休んだら、また人の世界に帰らなくちゃ。2学期の予定を今からあまり考えすぎないようにしている。しているのだけど…。


オットも不思議がるくらい、ディズニーストアであまりないアリスグッズ。
あらゆるディズニーアニメの中で一番好きなアリスなので、
見つけると買ってしまいます。
「これはママ用だから!」
家族に宣言。

2004年8月14日(土) 
 インドの首都、ニューデリーの平均気温は34度だそうですね。今年、東京は何日その気温を上回ったことでしょうか。都内在住インド人もびっくりしているとテレビで言っているのをきいて、すっかりやる気をなくした私です。

 そんな私を気遣う意味もあり、オットも疲れをとって夏休みを満喫したいところでもあり、今日は予定通り家で、テレビでのオリンピック観戦に徹することにした。開会式を見て、日本選手団の明るさに微笑。KENZOのデザインしたユニフォーム、良かったわ。っていうか、毎回私は文句ないのだ。前のレインボーマントもわたしゃ好きでしたよ。お派手で突き抜けてていいじゃないですか。子泣きジジィのようなシルエットに惚れましたけどね。
開会式を見終わったらさっと買い物に行き、食料品を買い込む。ビデオも借りておく。柔道が始まる頃には子供達には借りてきたビデオを見せておき、オットとゆっくりテレビの前に座る。クイーンアリスのロールケーキに舌鼓をうち(普通のロールケーキの半分くらいの大きさで値段は3倍するので、美味しくなかったら怒るけど)、コーヒーをゆっくり飲む。しあわせ。今度はしょっぱいものが食べたくなったので、スナック菓子を食べる。ふと、裁きのジーンズのことが思い浮かぶが気にしない、今日は気にしない。
谷亮子選手、野村選手の金メダルに大歓声。谷と金メダルを争ったフランスのジョシネさん、フェアプレー精神も清々しく、凛として綺麗な人で、敵ながらあっぱれと思った。野村選手の決勝相手のプレーはそれに比べればお粗末。途中からこの人の目標は勝つことじゃなくて、とにかく一本だけはとられないゾ、ということなのかなあと思った。なんとなく…なんとなく。女性の方が堂々、気合いがはいっていて精悍な感じがする人が多いように感じてしまったけれど、それもまた面白い。


久しぶりにディズニーストアに行ったら
¥2000以上でスタンプ1個プレゼントというキャンペーン中でした。
偶然¥2005の買い物をした私。
中身が見えない袋を1個もらってワクワクして開けたらアースラとご対面〜。
お店の人がいれてくれたスタンプのラインナップを眺めると皆可愛い。
アースラだけ悪役です。
ええ、リトルマーメイドは好きです。アースラも愛嬌がある悪役で好きですともさ!
…でも。なぜ、よりによって?
「あれ、中身は全部アースラなんだよ」
と慰めてくれたオットでした。

2004年8月13日(金) 
 しばらく行ったことがない秋葉原に連れて行ってあげようとオットがいう。私ばかりか子供達も、実はオットも食玩好きなので、きっと楽しいだろうと言う。先日、仕事で秋葉原に行ったときに私へのお土産の食玩を探していて、仕事先の人にいいお店を訪ねたら紹介された駅のそばのビルが充実していて、海洋堂があってボークスもあったので驚いたそうだ。朝から低血圧まるだしで体が重く、なぜか目も充血していた私だが乗り気になっていそいそと出かけた。(といってもオットが運転する車の助手席にだらんと座っていただけです)
食玩で子供達大喜び。私もぷちサンプルのプチバーガーセットでなくしたキッズセット分を買えて満足。天使のすみかもさっと見る。ヘッドが展示されているのを見て、最初にこれ好き!と眺めたのは美加ヘッドだった。次にこれもいい!と思ったらキラヘッド。次はめぐヘッド。それからF28。ウィグもなくアイもなく、もちろんメイクがない状態で選んでもこれだから、よくよく私の好みは徹底されているんだなあと自分でも感心してしまった。天使のすみかにいると金銭価値観がおかしくなってくる。オットがこれなら安いと、ピンクのソファを買ってくれた。うれしい♪ドールスタンドは高いから買えない、オレが作ってやると宣言されたので期待していましょう。
母子3人それぞれ戦利品をにぎりしめてニコニコとまた乗車。今度は渋谷へ。スペイン坂のピエトロが子供達お気に入りのパスタのお店で、平日のランチは大変安い。恐れていたことだが、昼間からグラスワインをあおったとたんに血糖値があがり血圧があがり、一気に身も心も軽くなった私である。実は白状すると、朝起きて、オットの前夜の飲み残しのバーボンやワインがグラスに半分残っているのをもったいないのでサラッと飲むと、すっと体が軽くなって大変調子がいい私である。あれだね、お酒って栄養価が高いんだねえ、とパスタを食べつつ言うとオットが蒼ざめ、お前それはやめろ、いくらなんでも朝から飲むなよ?と念を押した。私も自分でも怖いので、午前11時半を過ぎるまでは飲まないように自分に誓っていますとも。酔いつぶれるのが好きではない私は、少量を楽しんでゆっくり飲むのが好きなだけだ。
お店は暑かった。なぜ?と思うほどむっとする。何人かの人はパタパタ団扇で扇いでいる。タバコの煙が充満して、しかも暑い、というとかなり私を弱らせる空気だ。よく見ると空調機の下に、キャミソール1枚だけの女の子が二人いて、どうやら彼女らか寒いんですけど、とお店の人に訴えたらしい。私が扇子を取り出して扇ぎながら「このお店暑すぎるから、早くでましょう」とオットに言っているところをたまたま、店長らしい人が通りかかった。するとその後、エアコンが入り、普通のお店程度に涼しくなったのでみんな一斉に団扇をひっこめた。キャミソール女はスカーフの1枚も持ち歩くようにしましょう。でもあれだね、デブとグラマーって違うよね、とキャミソール女を眺めながらオットと話し合った。実は最近また裁きのジーンズ(太ったかどうかは、このジーンズが診断してくれるのだ)がきつくなってきている私は、今夜の夕食は軽めにしようと決意した。
ロフトで庭用とリビング用のゴミ箱を探したけれど気に入ったのがなく、でもガシャポンマシンがたくさん置かれていたので、ガシャガシャして帰ってきた。パティ&ジミーのちびTシャツが可愛くて嬉しい。誰に着せようか楽しみ。懸案だった浴衣リカもやっと買いました。
素敵なアジア雑貨のお店に寄るのを忘れたことだけが本日の心残り。
帰宅するとまだ夕方早かったけれど、入浴。オットが先に子供達と入ってくれたので、私はあとでゆっくりお風呂に一人ではいる。ああ、この贅沢も1週間ぶり。大澤さんの「Nova-Bossa-nova」というアルバムを聞きながらバスタブの中で目を閉じていると極楽である。思わずオットに「ワイン持ってきて〜!」と叫びたくなったが、自制自制。これと「Summer Breeze」というアルバムが夏に聞くと最高に気持ちいいのだが、いずれも大澤さん引退期間中にこっそり発売されたものである。大澤さんが引退したときは驚き悲しんだけれど、今思うと私が育児に明け暮れて片時も子供から離れられない、一番大変な2年間だったので、私似は実にいい具合だった。大澤さんのライブに行きたいけど行けない、という悩みを抱えていたらあの育児期間中にさらにストレスを増やしていたことでしょう。大澤さんは曲作りがやめられず、結局復活。仕方ない人ねえ、と思いながら育児から少し解放されてたまにはライブに行ったりできるようになった私であった。
そういえば、岡村靖幸もついに復活。Hey!Hey!Hey!を見ているとオープニングトークがプリンスでエンディングテーマと流れるビデオが岡村靖幸。「私のために!?」と言いたくなるようなセレクトである。(他の人たちがついて来れるのか、ちょっと心配…)


また魔がさして、手をだしたチョコパーティー。
アリスものだといいなあと思っていたらチェシャ猫が登場。
うれしい。
で、やっぱりよく出来てます。
ううう、また集めてしまいそうな嫌な予感…。

2004年8月12日(木) 
 昨夜驚いたこと。20時に帰宅してきたオット。まさに子供達を寝かしつけるところだった私は、彼の入浴後の着替えをだし、遅い夕食の支度をしておいてから、子供達を寝室に連れて行き寝かしつけた。添い寝してしばらく本を読んだり、くっついてくるのを抱きしめたり。この辺で私はやや眠くなる。でも一緒に寝てしまうと、なんだか子供との時間だけで一日が終わってしまうし、オットとも会話ができない。子供が十分に寝たのを確認してLDKに戻ると。
私が想像していたのではない、うれしい景色が待っていた。食器が綺麗に後片付けされている。いつもなら食い散らかし、運がよければ食器が流しに下げてあるけど、どうかするとテーブルもそのままの状態だったりするのだ。それが食洗機があるとはいえ食器がさげられ、洗われている。それだけでも飛び上がるくらい嬉しいのに、オットはスイカを切って皿に盛りつけ、フォークをそえて待っていてくれたのだ。
これはかなりの衝撃である。年に1度の珍事と言ってよい。すごい。5年、いやせめて3年前からこれくらいしてくれていたら、我が家の人形は今ほどのコレクションがなかったかもしれない。(あくまでも、しれない、ですが)
その後気分よく、オリンピック最初の種目(でも開会式の前に始まっちゃう競技があるなんて初めて知ったよ)、女子サッカーを応援。すると勝ってしまったではないですか。ああ、驚いてばかり。

 私にはいくつか抱えている悩みがあるのだが、そのうちの一つが「〜〜つくらなきゃ」というものである。ドールハウスしかり、ビーズアクセサリーキットしかり。編みかけの作品数点。が、一番心に重いしこりになっているのが、乳幼児向け布絵本の手作りキットだ。ええ、家の子はもう7歳と5歳。でもね、まだこういうもの喜ぶの!一度作っておけば、孫の代でもまた使えそうだしさ〜。このキット家で寝かしてもう3年になるのだ。子供が4歳と2歳の時、とてもじゃないけどお針箱広げられる毎日じゃなかったのである。ずっと気にしている間に子供は成長し、母の趣味の時間を7,80分は認めてくれるようになった。今こそ作ろう、手作りの布絵本。というわけで取り出す。ご丁寧に3セットも購入してあったお馬鹿な私。
動物が大好きで触感に敏感な息子のために、まず動物絵本から作ろう。キットを開いてみる。
嫌になる。大変うんざりするくらい手間がかかるのだ。気をとりなおしてとりかかる。すごい手間。あ〜、めんどくさ!もっと簡単だったら3年前にさくさく作ってるよな〜。こういう絵本て買うと高いけれどそれなりのことはあるのかも。乗りかかった船だから頑張るけどつくづく判った。たぶん、私とフェリシモの手作りキット(そう、フェリシモで買ったんです)は相性がよくないのだ。この間のビーズアクセサリーも簡単そうなのに作りづらくてイライラしたし。鬼門ってやつかな。
ストレス解消のはずの手作りがストレスになる時、私はとってもがっかりしてしまうのだった。


こんなに甘い甘い腕時計を作りました。
甘い優しい人に憧れて、形から入ろうと思って(^_^;)
年甲斐もないのは承知です。
でも娘が大きくなったら私が使う、と言ってるから、いいか。
製作時間20分で得られる喜びは大きいです。

2004年8月11日(水) 
 夏休みもまだ半分残っているけれど、半分しか残っていないと思うと悲しくなる私って、やっぱり精神年齢が低いのだと思う。今週いっぱいどの習い事もお休みなので、名実共に家に引きこもっていられるので、それは嬉しい。また子供達がそれを嫌がらないのも困ったものだ。息子は多少は体が運動不足でムズムズするようだけれど、家から徒歩2分のスーパーに買い物に行く日課さえこなしていれば、さほどの辛くない様子。庭と呼ぶにはおこがましい我が家の周囲のスペースでもぐるぐる回っていれば、それなりの運動にもなるらしい。娘はそんな運動すらしたがらない、もう完璧な私似である。外出しなくていいのだから、さぞいろんなことが出来るかと思いきやそうでもないのが不思議。もちろん、子供達は片時も私から離れないのだから、一日3度の食事は必須だし、おやつも2回は要求される。二人がそれぞれトイレに一人で行けないので、いちいちついて行かないといけない。これも案外大変。そして3人が3人とも趣味が多く、一人遊び好きで、でもお互いが見えているから(狭い家っていいね)安心して好きなことに没頭していられるのだ。そういえば我が家はオットも含め、誰も退屈という言葉を口にしたことがない。いつもみんな何かにのめり込んでいるので、時間が足りないという気持ちばかりあって、余ったということにならないのだ。そういえば私の母も祖母もそういう人だった。
夏休みは結構どのご家庭もそれぞれ旅行やお里帰りの予定を組んでいられるので、誰とも顔を合わせていなくても「いいのかな〜」という不安がない。
私自身、ずっと家にいたら辛くなるかなあ、そうなったらどこかに行こうと思っていたけれど、全く辛くならない…それはそれで困ったことなのだろうか。でもお家好き。誰にも会わないって気持ちいい〜ん。

久しぶりにテレビのワイドショーを見たら、夏なので怪談特集をしていた。そういえば、週末にオットの実家に行ったときに義母の趣味で霊媒師さんの(有名な方らしい)特番を見たのだけれど、不信心者の私とオットなりに面白かった、いやそう言ってはいけない。感動した、というのが正しいのか。悩みを抱え、不思議な体験の理由を解き明かして欲しくて出てきている人は、皆それぞれに悲しい事情を抱えている。その境遇を聞くだけで、ぐっと来るのである。心優しい霊媒師さんが本物かどうか。それは私たち夫婦にはなんとも言えない。ああいうものは信じたい人が信じればいいので、信じられないなら最初から話もしないだろうしなあ。
ただ見ていて、どこかで見聞きしたようなこのシチュエーション…とか思っていたら、それは私の母の体験だったことを思い出した。
母は30ン年昔、霊媒が行われると言う集まりに知り合いに誘われて参加したのだ。そこに参加する人皆が苦しい事情を抱えていたそうで、決して明るい雰囲気ではなかったと言う。霊媒師はたくさんの霊が集まっていると言ったらしい。
会が始まった。真っ先に降霊してきたのは若い男性の霊だったそうだ。その人は大変な苦しみようで、どうにも胃が痛くてたまらない、お願いだから助けてくれと訴え続けた。その激しさに周囲はかなり動揺したらしい。続けて霊は言った。生まれたばかりの、まだ生後4ヶ月の娘がいる。心配でならない。だから早くこの胃の痛みをとって、帰らなくては。○○子のところへ。
それが母の名前だった。そう、その時母は未亡人になったばかり。私は生まれたばかりだったのである。霊媒師の体を借りて、真っ先に降りてきたのは30代の若さでなくなった父だったわけだ。
霊媒師はそれでさすがに動揺している母に、別に何を売りつけるでもなく、宗教への入会を勧めるでもなく(ちなみにこの会に参加するにも費用は一切とられなかったとのこと)、ただひたすらこの人のために祈ってあげて、と助言した。この人は自分の寿命が尽きたことが判っていない、いつまでも病による苦痛に捕らわれもがいている。これが浮かばれない、ということだ。残された者は懸命に供養して、あなたはもうあちらの世界に行っていい、もうあなたの肉体はない、苦痛を感じる必要はないのだと教えてあげなければ、と。それがきっと残された赤ちゃんの幸せにもつながりますからね、と。
 これが事実かどうかは全く判らない。まあどちらかといえば嘘。たぶん嘘。しかし、当時の母がある意味慰められ、励みになったことは事実なのだから、気まぐれにでもその会に参加してよかったと母は言っている。その後、供養に供養を重ねたので、いい加減父も成仏しているはずだし、とのこと。そうであってくれればよいが、と私も願う。
これってちょっとだけ怪談?
オットがいうにはほぼ嘘だろうとのこと。たぶん、そうでしょうね。


100円ショップで購入の小さなヘアクリップ。
新色をみつけるたびに買って結構たまりました。
このデザイン可愛くて大好き。
シャネルのカメリアみたいで。

ブライスにつけるとこんな感じ。
この子は数あるブライスの中でやっぱり私が一番お気に入りのエクセ・ハリウッド。
名前はシュシュです。
暑い夏には寒色系のシュシュに癒されるの。

2004年8月10日(火)  
 アニメを見なくなって久しい。(幼児向けアニメは毎日たくさん見てますが)オットはというと、アニメと聞くとほぼ拒否反応を起こす人である。でも私が気にするのでレンタルビデオ店で「十二国記」を借りてきて、夫婦で見るようになった。面白いんだか面白くないんだか、最初の2話では判らない。友人に聞くと、それがこの作品の原作者の特徴で出だしがつまらない(ファンの方、すみません)のだそうだ。でもぐっとこらえて読んで行くと3巻目くらいから面白くなるから頑張るのよ!と。道理で10年以上前、この作者の本を一冊だけ読んだ私は床に本を叩き付けて速攻バザーにだしたわけである.我慢が足りなかったのね。ところがこの話も出だしは、十数年前に私が読んだ1冊とあまりに似ていた。平凡だけれど、内心ではどこか周りの世界に違和感を感じている女子高生が異次元トリップし、違う世界で救世主とかあがめられ、偉業を成し遂げるという…ああ、書いてるだけで恥ずかしくなってきた。でもこのかたはこのパターンをずっとせんじ詰め、洗練させて多数のファンを獲得してきたのだろうから、私にもいつかばっと魅力が判る日が来るかもしれない。そう思うととても楽しみ。しかし横でオットは激しく嫌がっていた。やはりアニメが体質に合わないと言う。私はせめてガンダムくらいは知識として知っておくべきだと説得しているのだけれど。
日本のアニメ文化は素晴らしいはずだ。だけどその素晴らしさに何かこう、影を落とすイメージがつきまとうのは…。たぶんアレね。ドルパと一緒で、一部、過激なファンが存在するからかな。

 「世界の中心で愛をさけぶ」という本もいつか読んでみようと思っている。おおまかにあらすじは知ってしまっているのだけど、たくさんの人がどんなところに心を震わせたのか、私の心も震えるのか知りたい、感じてみたい。
16、7歳の頃、私には流行しているものをとりあえず否定するという癖があった。大流行して、皆がそれに熱狂している様子を見るだけで反感を感じたのだ。若さ故かな。でも何か学ぶことがあって、なるほど人が言うことにも一理も二理もあるものだ、一旦は自分で経験してみなくちゃなと思い直すようになった。大江千里さんが「とりあえずは何も否定しないことにしている」と言ってらっしゃるのを本で読んで、不思議に感動したせいもある。否定、はあらゆる可能性を潰す。自分の中の可能性さえも。そのことをあっけなく理解したのだ。さらに当時、通っていた高校の先生が授業中にあからさまに漫画文化をけなしたのだが、私がそれに反論するレポートをだしたところ、その先生は本気でいろんな漫画を読んでから、「感動する作品がいっぱい合ったわ。あれはなんやなあ、ストレートに人の心に飛び込んでくる、力のある表現の世界やなあ。でもあれやでえ、つまらん、しょーもないもんもいっぱいあったでぇ」と頭をかきながら素直に認めにきてくださったことがあったことも大きい。私の倍以上の年齢のしかも男性教師のその率直さに、私は笑い、ふと自分を反省した。先生に噛み付いた私自身もずいぶん片手落ちな決めつけをする部分があるなあ、と。以降、自分の好き嫌いを表明する前に、自分でも経験してみることを心がけている。まあ、純愛はそうそう経験しようと思ってできることでもないでしょうが。人が何をもって純愛だと感心し、憧れるのか興味を持たずにはいられない。恋愛ってたぶん、人類最大の一番の娯楽なんだよね。


50円ちょっとで小さな小さなキューピーが売られていたので
二つ買ったのです。。

ね、小さいでしょう。
ベビーシッターのアルバイトをしている二人。
あと3人くらいキューピーを買ってもいい感じです。

2004年8月9日(月)  
 オットの会社にはお盆休みがない。与えられた数日の夏休みを、同僚達と話し合って仕事に差し支えないように振り分け合って休む感じ。土日につけてまとめて1週間近い連休にするのが基本だけれど、そこまでぽっかり休めない仕事の状態だと、バラバラにとる。オットは今年はバラバラ方式。日曜出勤も多いので、代わりに週末か月曜日に振り分けてとることにして、今日はお休み。
のんびり、ちょっと沿線が違うけれど近い隣町にお買い物に行く。ここには大手とは違う別系統の100円ショップがあって、そこが好きなのだ。髪飾り類がセンスがよくて種類豊富で楽しい。ハンカチもいい。でも今日の掘り出し物はアヒルの首がついた子供用浮き輪だった。すぐ破れるかもしれないけど、今月あと数回使えればオーケー、オーケー。また海に行くのが楽しみになった。
最寄り駅にはない大手の書店があるのも魅力。久しぶりに本を買う。話題になっていたから気になっていた「ダーリンは外国人」の1巻。ふむふむ、くすっと笑えます。あっという間に世読める軽いコミックエッセイ。こういうのが夫婦で好きなので、今度2巻も買うことにした。私としては、英語の勉強の仕方についてなるほど!と思うことがあったのだ。娘と一緒に英語の勉強をやっていこうと思います。
 久しぶりに大和和紀先生の漫画も買った。「紅匂う」という作品の1巻で、京都の芸者さんの半生記が原作である。明るい物語じゃないけれど面白かった〜。
祖母に読ませたかったと本当に思う。祖母は舞妓さん、芸者さんが本当に好きだった。実は自分もなりたかったというのでびっくりしたことがある。驚く私に祖母はキッとなって、あの人らを馬鹿にしたらあかんえ、ちゃんとした家の人やないとなられへんくらい、あの人らは元々は立派な家のお嬢さんらや(元々はそういうものだったらしい)、芸者っちゅうのはええ家の娘やった、という証拠みたいなもんや、身につける芸かて一流、頭の良さも一流、女の中の女なんやえ!!とまくしたてられたことがあるのだが、その訳がよくわかったよ、おばあちゃん。私の母にも今度読ませてあげようと思う。京都弁がなつかしい。読んでいると自然にイントネーションがよみがえる。京都に生まれ育った祖父と、四国出身ながらこよなく京都を愛し謡だ、踊りだ、三味線だと言っては京都に通い詰めていた祖母の会話は、幼い頃は祖父母の住まいが大阪だったから大阪弁だと信じていたが、今にして思うと京都弁だったなあ。
 もう1冊は、ずっとずっと気にかかっていた本。私自身が夏休みの課題図書にして読もうと決めていたものである。ドナ・ウィリアムズの「自閉症だった私へ」である。
私の立場ならもうとうに読んでいなければならない本だったと改めて思う。けれど、最近だからやっと読める気になったのだ。息子の障害を受け入れ、本当に気持ちを前に向けるのに2年以上かかったということになるかな。
読み始めてすぐに、胸が痛む箇所がいくつもあり、なんどか深呼吸をした。人により自閉症の傾向は様々だ。ペラペラとしゃべり、高い知性を示し、人ともコミュニケーションをよくとるのに、身勝手でわがままで団体行動がとれず、じっとしていられない…元気すぎると言われる子から、じっと押し黙ったまま、全く感情を示さない子にいたるまで。自閉症といわれるものの症状の現れ方の幅は広い。その子達が受ける一番の辛さは、周囲の人間からの「協調への要請」だという。要請から強制へ。個性的と認めるのも、わがままときめつけるのも、自閉症の人間に対しては間違っている。医者も教師も親も、皆が理解しようと必死になる。私自身、息子のとびきり大きな澄んだ目を見ながら、何を見ているのだろう、何を一心に思い詰めているのだろうと考え続けてきた。ただ言えるのは、体はここにあるのに、心はベール1枚隔てて別の世界にいるようだった時期と比べると、息子は今はずっとリアルに私たちと同じ世界に心も3分の2くらい所属するようになっている。この、自閉症の人間がこう感じていた、と語るドナ・ウィリアムズの世界観は鮮烈な衝撃を私たちに与えるが、自閉症の人間とまったく関わりがない人が読んだら、実はとてもつまらない本なのかもしれない。私には重い。とても重くて、一度に数ページずつしか読むことができない。2ページ読んではため息をつき、息子との思い出にふけり、あれやこれやと考える。やはり一昨年にでもこの本を読んでおけば、もっと息子にいい育て方をしてあげられたのではないかしら、という後悔がわきおこってくるのが一番辛い。なんにつけても後悔するというのは辛いものだ。だから私の人生目標は悔いがないように生きる、だったりするのだけれど。30歳までは本当に悔いなく生きていたが(私の友人達みんなが力強く肯定するのだから、やっぱり好きに生きていたのだろう)、母親になってから悔いが多い気がする、とため息をつく。救いは子供達の笑顔だろうか。私は良くない母親かもしれないけれど、愛情だけはちゃんと子供達に伝えてあげることはできる。これだけは手を抜かないと決めている。今では息子は親兄弟、信頼する先生やお友達、そのお母さん方から目をそらすことは少なくなった。同年齢の子に比べて言葉は少なく、たどたどしいけれど、会話が成り立ち、こちらのいうことにちゃんと反応する。そしてある部分部分ではずばぬけた能力を示す。その息子の笑顔は素晴らしく明るく、「わ、いい笑顔!」とよく賞賛される。息子は家族に愛されていることを知っている。そして彼も私たち家族を愛してくれているのだ。それが、ドナ・ウィリアムズと我が家の息子の一番の違いである。
不思議なことだが、たまに私は人に「よく子供を可愛がって偉いわね」と褒められる。私が鬼のような形相と声で子供を叱り飛ばしている瞬間を何十回となく目撃している人がそういうから、ますます不思議だ。でも誰かにそう言ってもらえるのは、時に切なくなる子育ての悩みの中で、うなだれた顔をあげる励みになる。幼稚園の先生のように、声を荒げるでなく、ましてやぶん殴ったりすることなく、子供に愛されながら怖がられもしているという、あの極意を教わりたいものだ。


イルカに引き続き買ってしまいました、小豚のセットも。

2004年8月8日(日) 
 オットが仕事で出かけた日曜日である。楽しく過ごしても体が疲れていて重いので、やる気がでない。更新用の人形の写真だけパチパチ撮る。今回は一気に4体アップする予定。
さくさく更新して私の部屋を整理しないと、ちょっと何かをしようと思っても作業スペースがなかったりするのだ。片付けていてつくづく、食玩ももう終わりにしたいんだけどなあと思う。せっかく買った可愛いものは飾っておきたいが、全部を飾るスペースはないし、いつも同じものを眺めているのもつまらないので、一定期間ごとに取り替えて違う飾りを楽しむようにしている。時間とか空間とか心とか、欲しいものはとにかく全部「余裕」だ。
 オットが19時に帰ってくるまで、母子3人でのんべんだらりと過ごしていた。オットが帰宅すると子供達が俄然活気ずく。母の倦怠感と同調してしまっていた子供達がかわいそうになる。でも午前中は確かに娘の顔色もよくなかったのだ。風邪も滅多にひかないだけに、子供が体調を崩しかけるとドキドキする。顔色と様子からまた脱水症状をおこしかけているなと思った。娘は不思議と、具合が悪くなりかけたときほど水分をとらない。いやがるのを無理矢理スポーツ飲料を少しずつ何回も飲ませていたら、昼をすぎて急に、本人が「ママ、気持ち悪いのなおってきたよ」と言い出した。ひとまず安心したのである。オットが夕食を外で食べよう、気分転換は大事だから、というのでのどまででかかっていた「節約」という言葉を飲み込んだ。今日くらいいいかな。レンタルビデオを借りて、美味しい食事をして、楽しい夜になった。主婦にとって、外食はかなり大きな喜びだったりするのよね。


ナイアガラという花火。海の上に通したローブを伝って燃えるんです、

オットの故郷で夏ごとに開かれる灯籠流しのお祭り。
花火がとても綺麗でした。

2004年8月7日(土) 
 オットの実家に行く。朝早めに家をでて早く到着するだろうから熱海の温泉に入って遊んで昼食を食べてという計画でいたのに、東名に乗るなり大渋滞。お盆前なのになぜ、たかが普通の週末でも人はそんなに行楽地にむかうものなの〜?と首を傾げながらの3時間半。新幹線にのっていれば今頃私はとっくにオットの実家ではなく自分の実家神戸に帰って、じゃ、ちょっと天使の里にいってくるわね!なんて勇んでいたくらいの時間である。
途中、いきなり前方の車が止まった。大変トロトロ運転だったので事故にはならず、3車線のうちの中央だったので皆が左右に迂回したのだが、初心者マークを貼って女の子4人が乗ったおベンツがどうにも言うことを聞かなくなったらしく、3人が外にでて悩んでいる。女の子達は首を傾げている。その横をすりぬけるとき、極端にオットはスピードを落とし、こういった。
「ねえ!あの助手席にひとりだけ座ってる子、すごく可愛くない!?加藤あいみたいじゃない!?」
オットとつきあって15年以上になるが、私はオットが誰を美人と褒めても可愛いと褒めても、「そうね、ほんとね」「うんうん、今の子可愛かったね」と率直に応えてきた。怒ったことはありません。が、この瞬間は怒りましたね。オットが馬鹿みたいに女の子の品定めをしているうちにあっという間に前方に30メートル以上の距離ができ、そこに巨大な観光バスとワゴン車がしめたとばかりに入ってきたのだ、ま、当然ですが。私ははっきりと、今の女の子達は単なる化粧仮面をつけてるだけで、まして助手席の子は加藤あいさんとは似ても似つかない、あんたはバカか!と怒鳴った。このパターンははじめてである。
その後も渋滞は続き、前に割り込まれた大型車2台のおかげで前が見えないのでストレスはますます募り、私が怒りが収まらなくなってしまってオットにいやみのオンパレード。仮に、あのエンストおベンツの助手席に加藤あいさんご本人が乗っていたとしましょう。で、あなたは助けるの!?どうやって!?ここまで3時間ちかくかかって、子供も飽きてつらがってるのに、こ〜〜〜〜〜んなくだらないことで1秒でも無駄にするつもり!?私はね、最愛の大澤誉志幸さんご本人があそこで途方に暮れていらっしゃったって、家族のための時間を無駄にはしないわよっっっ!?。
楽しみたいドライブが一気に車内のムード険悪。今までだまって我慢してオット好みの音楽をきいていたのをやめて、私が好きな大澤さんのボサノバタッチのアルバムに変える。やっぱり、大澤さんがエンストで困ってたら、オットも子供も放り出して救助にかけつけるかなと思い始めて
気分がなだめられてきたところで、渋滞原因の事故現場に遭遇。遠い地方のナンバーをつけたワゴン車とバイクが接触したもよう。誰もけが人はいない。でも私たちの横をレッカー車がすり抜けて行って20分後に道が流れ始めたので、バイクとワゴン車で2車線くらいふさいでいたのかもしれない。バイクもワゴン車の運転手もおじさんだったので、オットはすみやかに素通り。とたんにびゅんびゅん、スピードをあげて快適にドライブできるようになる。本当に事故る人って迷惑だ。巻き込まれるのは嫌だよ。
気分が萎えたので義母に電話をすると食べるものがたくさんあるという。ので、熱海の温泉はやめてオットの実家に直行。美味しいお刺身とサラダをたらふくいただき、オットにワインを買ってきてもらって昼間から飲む。
子供達はオットの故郷が好きである。家で水着に着替えてぺたぺたあるいて2分で到着の海岸でかなり遊ぶ。一旦帰っておやつをたべて、今度はお墓参り。勝手をしった子供達はどんどんお寺にはしっていって、かいがいしくお墓の掃除をしたりする。それすらも楽しい遊びなのだ。そんな様子を義父は目を細めてみてくれる。
私にはなかった田舎が、子供達にはあるのだと思うといいなあとしみじみ思う。できれば数年後にオットの実家を建て直し、私たち家族も週末を過ごせる家にしたいという計画がある。今は洋風の家で暮らしているので、田舎の家のテーマは「大正モダン」風の和の家にしよう、というのも決まっている。そこがゆくゆくは私とオットの老後のすみかにもなるのである。義父母が元気なうちに実行できたらいいなあ。
叔父と叔母も集まってきてくれてにぎやかにおいしい夕食。今日はなんだかいくらワインを飲んでも酔わない。わたしがスイスイ飲むので、義父母も叔父叔母も内心驚いているようだが、顔にもでないし足もふらつかない、体調がいいとは言えないはずだが、大丈夫という日があるものである。
そして夕方からが本日のメインイベント。灯籠流し、盆踊り、花火大会である。
海岸にかがり火がたかれ、暗い海に、赤や黄色の灯をともした灯籠が流されて行く。香炉が用意され、みな順番に香を焚いて祈る。
皆で盆踊りの輪にはいり、叔父叔母が子供達に夜店のおもちゃを買ってくれる。ポツポツと雨が降ってきた中で始まった花火大会。海の香りに包まれて、波の音をききながら、打ち上げられる大輪の火の花を見上げると、しばし単純に楽しくなる、美しさに見とれる。
嫌いな季節なのに、どういうわけか私、夏を満喫している気がします。

帰りは1時間15分で我が家に到着。夏休み中にまた、子供達のためにオットの故郷に帰るつもりである。


薔薇の模様のビーズということで買ったのに、
たんにピンク色がうやむやににじんでるだけ。
これが薔薇ですと〜!?(怒)
信用できるビーズアクセサリーキットのネットショップをみつけるのも努力ですね。

ところで、当方に何がどこで売ってるか、当方がどのお店で買ってるかという質問がとっても多いです。
本当にお人形への情熱があって、しかも当方にメールをうてるだけのネット環境があるなら
まず自分で調べてみてはいかがでしょうか。
私はすべて、自力で検索しまくって、探し当てています。
難しくありません、ほとんどGooGle検索です。
私が紹介したお店にトラブルがないとは限らず、
そのことで多少なりとも責任を感じるのは苦痛だという私の気持ちもご了承くださいね。

2004年8月6日(金) 
 中国で開催中のサッカー、アジアカップでの中国人の反日感情によるブーイングなどの報道に胸が痛む。今日が、広島原爆忌であることと、縁合って私が広島に3年住み、地元の企業に勤め、かけがえのない友達と思い出があるというゆかりから、格別の思い入れがあり、それでも言うなら…日本の過去を正視し、罪を認めよ、という日本からの侵略被害を受けた人たちの気持ちが判るのだ。被爆地の悲しみは深い。けれど、まるっきりの被害者であるように言うことに違和感を覚える3年だった。その当時でさえ、戦中に教育を叩き込まれた人たちの、韓国・中国などの人たちへの優越的蔑視発言は、日常生活の中で聞くに耐えないものがあり、あの戦中当時、日本人がどれだけ非人道的な振る舞いをアジア諸国に対してしてきたかの様子を伺い知ることができたのである。
した方は忘れても、された方は忘れられない。日本は原爆を落とされるほどに悪辣な振る舞いをエスカレートさせていったという確かな過去を持つ。
 
「火垂るの墓」というアニメ映画でも有名なとおり、私の故郷神戸にも大空襲があった。戦争によるアメリカからの被害の爪痕は、私が幼い頃にはかなりくっきりと残っていた。ぶっちゃけ、戦争がらみの幽霊話がものすごくあった。けれど、私が小学校で接した先生方、まして少年兵として出陣経験がある男性教諭達はみな、誠意をもって、日本の非を私たち生徒に説き続けたのである。いかにまちがった思想に国民全体が洗脳されていたか、人として人に敬意をもち、人を見下すことなく、あくまでもすべてが対等で平等に生まれついた人々として、弱い人をかばい、賢く優しくいきてくれと、どの先生も繰り返し語ってくれた。
それは私の記憶の中でいつのまにか片隅に追いやられていたのに、湾岸戦争、イラク戦争、そして自分が出産したときに、鮮やかによみがえってきた。
 防空壕の中で赤ちゃんの泣き声がうるさい、敵兵にみつかると周囲の人間に恫喝され必死で泣く赤ちゃんの口を押さえていたら、赤ちゃんを窒息死させてしまって半狂乱になったと言う母親の話を思い出して、大泣きする生後2ヶ月近い娘を抱きながらテレビの終戦記念日の報道をみていた8月15日に、私は本当に泣いた。その話をしたとき、小学校の担任の男の先生がボロボロと涙をこぼして男泣きに泣いていたことを思い出して本当に泣けた。
満州から引き上げてくる日本人の若い母親が力尽きて亡くなっていたその乳房に、小さな乳児が必死でむしゃぶりついておっぱいを飲もうとしていた、という話を思い出して泣いた。哀れさに、たまりかねて、憎くて仕方なかった日本人の子と知りながら、その子を自分の子として育てました、神様からの授かり物とおもっていますと語っていた中国人夫婦の話。
銃後の日本人の苦しみと悲しみは語り継がれるけれど、ここにはとてもかけない、日本兵が中国や韓国の人たちにした残虐な振る舞いをどれだけちゃんと日本人は子孫に語っているだろうか。私が教えをうけた先生方だけ特別だったのだろうか。なぜあの先生方はあんなにも特別だったのだろう。神戸には同和問題と言うほかにも重い問題が実はあった。人が平等に幸福になるという難しさ。人が平等でないように、誰かが不幸であるように、そうはからうのは他ならぬ人間であるという恐ろしさ。
戦争時における非人道的な振る舞いという事実があったことを認めよと言われて、気がつく。日本は公式にそれを認め、謝罪していない。戦争だったから仕方ないよね、とうにゃむにゃと言葉を濁し濁して60年近くごまかしているのだ。した方が忘れたくてもされた方は忘れない。公式に謝罪すれば、次は莫大な補償を請求されることになるという。
戦後、敗戦国でありながらめざましい発達をとげ、豊かな文化を築き、享楽的な国民性を見ると、確かに「せめてお金で償え!」言いたくなるだろう。敗戦国らしく、うちひしがれ、国が後進国であったなら、舌打ちされるくらいだったのかもしれない。運命とは皮肉なものである。
今後、この問題がどのように持ち越されて行くか判らない。ただ、重慶での反日感情むき出しのアジアカップでは、悲しさを痛感した。一人の母親として、過去の過ちを悲しむ。悲劇を悼む。このしこりはきっと、私たちの子供達にも受け継がされて行くのだ。負の遺産である。
公式に謝罪できないならば、せめて今後、胸を張って虚勢でなく真実の姿で、世界に認められる民族性をつくりあげていけるようでありたい。中国の人たちの反日感情はある意味ごもっともながら、ああいう態度が民族性の低さをも露呈してしまう皮肉に、気づいてもらえますように。卑小な人から軽蔑されてもどうということはないが、高潔な人からの侮蔑は痛いものだから。

オットが休みを取ったので、渋々ながら子供の習い事に行く。体操教室に息子、娘と通わせて2時間半。どういうわけか今日の子供達の食欲はすさまじく、朝も昼も私はご飯をとられて夕方にはヘロヘロである。オットに子供の子守りを押し付けて自分の好きなことを仕様という目論見はあてが外れた。忙しく、掃除洗濯料理買い物、子供と勉強、子供と遊ぶ、抱きしめて愛を伝えるだけで、一日はあっという間に蒸発する。疲れたときふと、幼稚園の園長先生、副園長先生、保育主任先生が口を揃えておっしゃる「無駄になることはなにもないんですよ」というメッセージに力を頂く。すべてが面白いことばかりでなくても、ただちにその場で成果が見えなくても、日々の努力は何も無駄ではないからと思うと、ただ年をとってるだけじゃないのね、という慰めになる。これは大きいものですね。
なんでこんなに疲れてるのでしょうと思ったら、昨夜もあんまりよく眠れなかったからだった。
3時半頃あった地震で目が覚めてドキドキして、寝付けなくなったのである。オットは気づかなかったそうだ。そういう図太いところが、私がオットと結婚を決めた一番の理由だった気がするが、時々ちょっと腹立たしい
。ちぇっ。


これがちょっとがっかりな、フェリシモのキットでつくったチョーカー。
でもいつか使うつもり。

2004年8月5日(木) 
 昨夜あまり眠れなかった。まずオットが急に、腹部が痛い、何かに刺されたと言って飛び起きたのである。えええ〜!と私も起きると、何かが俺を咬んだとオットが言う。とっさに寝ぼけ頭に「世田谷の民家にサソリ出没」あるいは「タランチュラ出没」と報道されている我が家が目に浮かんだわね。あたりをざっと見回したところ怪しい生き物はどうしても見つからない。オットの腹部には小さな小さな、針でつついたほどの桃色の斑点がプチとあって、やや腫れていた。さわると本気で痛がる。パジャマでこすれるもの痛くて目が覚めたんだとオットはいう。とりあえずバンドエイドを貼って寝かしつけた。私ももういちど枕に頭をつける。
数十分後だったろうか。娘が激しく鼻をすすりだした。急に鼻水が出てきてつまってきたらしい。我が家はエアコン入れっぱなしで寝る。何しろ、常温ではオットも子供達もも大汗をかいてむずかり、穏やかに寝てくれなくて眠りが浅い私は本当に苦労するのだ。えいっ!と破れかぶれでエアコンをいれたところ、たちまち3人ともおとなしくなってすやすや眠ってくれたところから私も腹をくくり、夜毎エアコンをつけて、自分はしっかり布団にくるまって眠るようにしているのだが、いつかそれで子供が体調を崩すのではないかと心配である。どんなにくるんでも必ず布団を蹴飛ばす娘がついに鼻風邪をひいたらしい。その鼻をすする音の頻繁なことうるさいこと。いらいらと寝る努力をしていた私のその横で、娘の悲鳴が上がった.鼻を強くすすりすぎて、鼻血がピュ〜!っと噴出したのである。。。。これが結構な鮮血で、大量で、娘は泣きじゃくる。オットは平然と眠り続けているので私一人で娘を慰め、ティッシュをせっせと娘の鼻の穴に詰め替えるという作業をしばらく続けた。鼻血もおさまり、鼻づまりにも慣れて娘も寝た。私はもう一度目を閉じる。夜明けまであと1時間半。熟睡できればなんとかなる。
が、息子も家族の一員として、真夜中のお祭りに参加しない訳にはいかないと感じたらしく、悪夢を見て大泣きして私に抱きついてきた。それは夢だから大丈夫といいきかせ、抱き上げて慰め、トイレに連れて行って、お茶を飲ませて寝かしつけた。
 朝、いつも通りにおきられない。私以外の家族は全員爽やかに起床。体がだるく頭が重いこと普通じゃない私はついに、スーパーにも行きたくないというほど外出したくなくなってきた。冷蔵庫をざっと物色したところ、母子3人なんとか今日は生き延びられると言う判断がついたせいもある。時間がもったいないとおもいながらふて寝を決め込む。眠るということはできなかったけれど、体を休めて、ひさしぶりにゆっくり本を読み返していると気がやすまった。子供達もずっと私にくっついている。3匹の猫状態。いい気持ち。
オットが名古屋の日帰り出張(昨今はオットの会社も厳しくて、昔は一泊出張にしてくれたところも日帰りにして、との指示がでている)から帰宅。名古屋オリジナルのお菓子を買ってきてくれるのがいつも楽しみ。
精神病、あるいは脳障害の治療にも使われていると言うモーツァルトの高周波音楽のCDがおみやげ。さっそく息子に聞かせてみるが、退屈だったようだ…。


¥700で買ったかき氷機が大活躍中。
子供のお客さんが来ると、しばらくはこれで盛り上がります。

2004年8月4日(水) 
 二日ぶりに子供の習い事にいくのが面倒で朝から大変憂鬱になる。しかも、お気に入りの扇子を息子がいたずらして折って壊してしまったので、久しぶりに大怪獣に変身した私。オットが電話をしてきてただならぬ気配におびえ、扇子が折れたのくらい俺がボンドでなおしてやるから、というので我に返り、自分でくっつけてみた。一見はくっついたけれどこんなのが当てにならないことくらい経験上知っている。忘れた頃に、外で気分よく扇いでいたら人前でポキッとか折れて恥をかくんだワ、きっとそうだワ(>_<)最愛の我が子を結構嫌いになる瞬間である。何十回となく同じことを注意しているのにどうしてもやるというのは、私のことをなめているのだと思うとますます腹立たしいのだ。まあ、今度という今度はもう2度とやらないと誓ったようだけれど。
8万円のSDが買えるのに2千円ちょっとのゆかたリカちゃんを買おうか買うまいか悩んでいる自分にも腹がたってきた。

気を落ち着けるために編み物をする。中途半端で放っておいた帽子である。適当に自分で考えながら編んでいるので、シルエットを見ておかしければほどき、また違う編み方をしてみ…と繰り返しているのだ。3日で完成予定だったのにもう1ヶ月。まずい。勤勉になって仕上げることを誓う。編んでいると心が安らいできた。オットに頼んで買ってもらった新しいビーズアクセサリーのキットも届いていた。パーツをざっと見た限り(この時点でネットでいいと思った通りのものかそれより落ちるか見当がつく)とても素敵。うれしくなって気分上昇。

ぷちサンプルの「アジアン雑貨」もコンプリート。リーメントは一箱買うと一気にそろうのだが、適当に一個二個先に買われていたりして、なかなか箱買いできなくて悩んでいたのだ。コンプリート目指すならもう一気にどーん!と箱買いがおすすめですよ〜!

夕方家に戻ったときに、玄関先の花にお水をやる。薔薇が信じられないくらい乱れ咲き。ミニ薔薇まで次々に咲くのだ。しかしながら雑草の強さも半端ではない。むきになって抜いていたら汗をびっしょりかいてしまった。

えっと。サイトをお引っ越ししようと思っている。新しいサーバーへ。見てくれる人も増えてきたしもっと判りやすいアドレスのところに引っ越したらと進められてその気になった。上下に広告がはいるのも目障りになってきたし。あくまで自分の覚え書きだからいいんだと思ってこのサーバーを選んだのだけど、今はたくさんの人から感想も頂けるようになったし、私自身の意識が変わった。見てもらうことを念頭において、写真をとりコメントを添えるようになって、第3者の視点を考えるとやっぱり広告が嫌かな〜って。今は化粧品のにかわっていていいけれど、ちょっと前は植毛(人形じゃなくて人間ね!)の絵柄の広告でとっても嫌だった。。。極めつけは年に1度のサーバーダウン。これはかなり辛い。
…ただこのサーバーの管理の方は大変良心的で、こちらが困ってメールをだすとかなり迅速に丁寧に対応してくださる。そのやり取りの中で、私のサイトを褒めてくださったことがあり、
このサーバーを使ってくださってありがとう、と言っていただいたことがあって単純にうれしかったので、ちょっと後ろ髪ひかれる思いがある。
そして気がつくとたくさんの方にリンクしていただいていて、変更をお願いするのが皆様に本当にご面倒おかけして申し訳ないのですが、その時には改めてご挨拶に回りますのでどうかよろしくお願いいたしますm(__)m


ちょっと「お風呂の中でゆっくり音楽が聴けたらいいのに」と呟いたら、
オットが買ってくれたCDデッキ。
これはcasioのもので、たとえ水の中にドブンと落ちてもそう簡単には壊れないらしい。
こういうものは、一瞬の速攻ですぐさま買ってくれるオット。
人形はねだり倒さないと買ってくれないのに…(涙)
そう言えばPCも壊れたその翌日には機嫌良く家電店に行って買ってくれたっけ。
単なる電化製品好き&人形嫌いなのねっ。
でも、湯船につかりながら目を閉じて聞く好きな音楽は最高です。

2004年8月3日(火) 
 昨日に引き続き、ビーズアクセサリーをつくる。子供達とホットケーキを焼き、金魚の世話を焼く。金魚すくいの金魚を長生きさせるのは難しい。悲しいことに順番に天国へと泳いでいってしまうのだ。子供の頃最高1年、金魚すくいの金魚を飼っていたことがあるのだが、あれはどうやって世話をしたかなあ。
夕方、義妹のお宅にお呼ばれして楽しい夕食会。義母が持ってきてくれた新鮮なお刺身に舌鼓。
人形のことばっかり考えていても、体は普通の主婦として母として動くものだ。家にひきこもっていても、やはり一日は短い。

欲しかったお人形の造形者である方の日記に唸る。その方も1昨日のドルパにいらしてあの世界をご覧になっていた。そして人形者というものとその世界についてスパっと切っておられる。その方が、みんなあんなにSDがすきなのになぜその制作会社のことを悪く言うのかもわかった、と書いておられたので、ふーん、悪く言ってるんだと思って検索してみたら、ホント。なんかわりと悪く言ってる言葉が並んでいるところがあった。ふんふん、なるほど。ボークスの社長さんのスピーチのことを皆さん「ドリームトーク」というのねえなんてことも知ってしまった。イベントの仕切りの悪さというものには、あれだけ並ばされれば誰でもいらだつと思うけれど、私はボークスさんは精一杯やっていたと思う。そういえるのは私も昔、こういう企画をしばしば行う世界にいたからで、マニアを集め、イベントをするという難しさは骨身にしみて判るからかもしれない。人形に対するブランド嗜好というのも意見はさまざまあるだろうが、確かに存在すると私も思う。レア、という言葉に人は簡単に踊る。単純にありがたがる。希少価値のお人形だけ集めています、と明記したサイトさんを見かけたことも何度かあるけれど、でもそれもコレクションの一つの方法であり、個人の自由であり。そう言う人の金離れの良さで企業が潤い、どこかの家庭が幸せになっているのだろうからいい循環なのかもしれない。
私はと言うと、欲しいお人形に対して、限定とか言われると腹が立つ口である。そんな希少価値はいらんっ!と思う。だから欲しいと願う人に行き渡るようにしてくれ、それが良心じゃないの!?と熱くなってしまう。好きなお人形でも、いかにも希少価値を高めて人の心を煽ろうとするようなハードルをもうけてあるのを見ると、そこまでされても欲しいお人形かどうか、自分の心の中でかなり葛藤する。素直じゃないのか、素直なのか判らないけれど、そうやって作り手側と戦う心理も必要だと思っている。
アナイスに関しては私は一度はあきらめた。販売方法に対して納得できなかったからだ。素直にがんばって手に入れようと意気込むことができなかった。ただ単純にお人形のことだけ思い浮かべるとやっぱり好きだという気持ちまでは消去できない。実物を見て、今後も欲しいと願い続けるかどうか決めようと思ってそのためにも出かけたドルパである。そしたらあっけなく、あんなに反発していたハードルが取り除かれた。時間はかかってしまいますが、受注生産にしますという。それはまるっきり私が願っていた通りの展開である。今度は素直に予約してきて、私の中でボークスという会社に対するイメージが変わったのだけれど。
ボークスにはフルチョイスという素晴らしいシステムがある。それをもっと活用した方が、企業の発展にもつながるのではないかしら、と思うけれど、ビジネスはそう甘いものでもないのかな。
怖いのは値段で、3年前にSDを知ったときにはその値段に飛び上がって驚いたものである。フルチョイスの値段を聞いたときにも震え上がった。…それが今は妥当かなと納得している。この質感、造形の美と可憐を極めたところ。デザインと製作のことを考えたら、この値段は納得できる気がしてきたのだ。
バリエーション豊かなお人形を見るのは本当に楽しい。
個人的な趣味としては私は媚びが前面にでている顔は好きではない。馬鹿げたほどに大きい目、微笑み、色気を漂わせた表情…いわゆる「男受け」狙いで成り立っているアニメ顔は私の好みからはズレている。私が男に生まれていたらまた違ったのだろうか。判らないけれど、SDの初期顔を見たときは驚いた。よくこの顔立ちがたくさんの人に受け入れられたなあと感心した。でも案の定だんだんアニメチックなSDが増え、その方面での人気が高まる。だから私が次を買うことはもうないなと踏み、初期タイプの特につんとして(紹介では「いちばんのあまえんぼう」となっていたのだナンだったけど)人を突き放すように端然としているキラに惹かれ、この子以外はきっと好きにならないと確信さえして買ったのだ。目とウィッグを変えられるならそれでかなり遊べると思った。。
その気持ちがひさしぶりに揺らいだのは、MSD美加の1stと出会ったときである。気になって、でも即決できなくて。次にショールームを訪れたらもういなかった。それから後悔がおしよせてきた。その後の2dn美加との出会い。1st以上の衝撃で私の信念を揺るがせた。気がつくと買っていた。呆然とした。顔を見て納得。大きな瞳は可憐だけれど、口元に微笑みはなく、物問いたげで憂いのある、なんて微妙な表情だろうかと感心した。思えば日本を代表するファッションドールリカちゃんは微笑んでいない。憂いをおびた表情をしているのだ。初期のバービーもそうなら最近大ブームを巻き起こしたタイニーベッツィーもそうである。実物を手にしてみるとその顔に「むっつりしてるなあ」という印象を持った方もすくなくないだろう。
そうか、私の好みの基本は笑顔じゃないことなのかもね、と安直に思っていたら甘かった。
微笑んでいるMSD椿に転ぶ。中性という設定だけれど、私には少年に見える椿。
少年SDが登場したときのユーザーの大反響はすごく、少年が登場して初めてSDにハマったというファンの方はかなり多いはずである。これはまた見事に「女性受け」のツボをついているということだろうか。ま、実際にはまずこんな少年はいないと思うので、夢くらいみるのは自由だということかしらね。
Kyonさんのイメージで出来上がったお人形は少女も少年も微笑んでいるのに、どこか憂いがある。kyonさんのために作られた訳ではないヘッドを使っていても、このかたの手にかかるとそのお人形の中に深い深い表情が生まれる。すごい才能で崇拝してしまう。
アナイスも「ふーん、今までとは造形が違う、不思議だけれど素敵なお顔ね」とネットサーフィンの中で思いつつ通り過ぎて行く感じだったのに、「もう一回見よう」を重ねるうちにとても好きだということに気がついた。基本的に「綺麗」という造形が進化して、ここにたどりついた、というような魅力を私はアナイスに感じる。
そもそも私が初めてみたSDはKyonさんのサイトで、カスタムされたキラだったということにも思い当たった。もしかして雛鳥の刷り込み現象に似ているのかもしれないが、すり込みだろうがなんだろうが好きなものは仕方ない。
大変、今更なことを言うようであるが、13少年SDの元祖、ルカが好きである。今まで流しに流してきたのに、やっぱり好きだ。いつか、本当にまた数年後でいいからkyonさんnメイクで買わせて頂きたいと、はっきり私のリストに加えることになった。
韓国ボークス限定のリリス&フィリスにも一目惚れ。すごく好きだと思ったら、里フルチョイスMSD6番ヘッドにKyonさまメイクとのこと。そりゃあ…好きになるわよねえ。知らないでみてもこれである。私がもし富豪になったら、何をコレクションするかはっきりしたようなものである。(ま、そんな日はこないでしょうが)


現在、私の愛読書。

2004年8月2日(月) 
 覚悟していたけれどやっぱりどっと疲労感が出た。幸い、今日明日と子供達の習い事が何も入っていない。もう絶対よけいな外出はしないと固く決意し、今日はちょこっとだけ更新作業。ビーズアクセサリー作りにも専念。フェリシモのキットを買ってみたのだが、思っていたほど良くなく、失敗だったなあとため息。ビーズアクセサリーはネットで色々検索して、いくつか好きなお店を見つけたが、やっぱり当たり外れがあるものだ。フェリシモのはどうかな〜と思ってオーダーしてみたのだけど、これでこの値段は高いでしょう!とよけいなところでストレスをためてしまって悔しい。娘は「でも可愛いよ、ママ」と慰めてくれたけれど。
 冷静になって考えるとやっぱり色々思うことがあるドールズパーティー。お人形を好きな人がたくさんいるということはとても嬉しいことなんだけど。でもその人達の気持ちの打ち出し方で、人形というカテゴリーにある種の雰囲気を与えらてしまうことについて、ぐるぐる思いは巡る。道徳的にどうなの?と思う人たちを確かに見かけた。学校でも会社でもなんでもそうだが集団というのは、一部の派手な人が目立つことで全体のカラーを特定されてしまう脆いものだからね。人形初心者でこの集まりを見ていたら、私は足を引っ込めていただろうか。いやそれはないなあ。そういうレベルの好き、ではなくて、もはやたとえ世界中にこの趣味を持っている人間が私一人きりになろうともこれはやめない、という気持ちになっているから。常人離れした感覚を全面的に盾か武器のようにふりかざした一部の人が、常人離れした行動をとって他者を威嚇するかのような振る舞い、一部の自分の友人以外はみんなライバル的な態度をとること、そういう人たちとだけ接点を持たずにいればいい、ということかな。でも一旦そういう人たちを見ると生々しくて、なんとなくネットオークションなどで知らない人と取引をするのも怖く思える気がしてきた。こういう人にあたったら嫌だなと思うわけです。
気になることもあって、南条勲とかアナイス2が受注予約させていただきます、というアナウンスが流れてから逆に列から抜ける人を数人見かけたのだ。後からでも手に入るなら今はイベントを楽しもうということかな、とその瞬間は単純に私は思ったのだが、話をきいていると
「誰でも買えるんじゃな〜」「値がついてもたかが知れてるよねっ」なのだった…。
うーん、人形をめぐって黒い気持ちになるってどうなの?転売狙いってなんかやっぱりどす黒い感じがするんですけど。なんて今日は疲れた体をやすめながら、つらつら考え込んだ次第です。


結局、行ってきました、ドルパ11。

2004年8月1日(日) 
 ドルパ、どうしようと、夕べからさんざん悩んで、オットを引きずり込んで相談に乗ってもらった。オットは我慢してきいてくれて結局、行かなくて後で後悔するほうが辛いだろうといつもながらの判断になり、欲しいお人形のこともじゃあ
頑張っておいでと許してもらって、朝ノコノコとビッグサイトまで出かけたのだった。
でもどこか腰がひけた中途半端な気持ちだから、ついた時間も中途半端。開場には早いけれど、抽選券はとっくに配り終わってなくなっています、という時間。限定の人形の抽選券はもうなくなりました、と案内をきいて、がっかりするよりホッとする気持ちもあった。開場までどこかでコーヒーでも飲んでいようかなと思ったけれど、残っていれば何かいいことがあるかもしれないとも思えて。行けばいいことあるのかなと思ってやってきたせっかくのイベントである。こんなこともあろうかとあらかじめ、最低これだけ買えれば収穫、と思えるリストを自分なりに作ってあったので、そのために天使のすみかshopの待ち列に並ぶ。かなりの長蛇の列に長い時間。最初は木陰で涼しかったからまだいいけれど、炎天下になると辛いと思っていたら、ボークスの人たちの案内がよくて、すぐに会場に並ばせてもらい(もちろん整理券配布済み)椅子にも座らせてもらえたので朝から貧血で倒れずにはすんだ。そして行ってよかったのだ、やっぱり。とてもいいことがあった。途中でアナイスともう一体の限定ドール南條勲が本日のドルパイベント内においてだけ受注生産予約できることになったのである。確実にアナイスが手に入る。それは夢のようなお話だった…。

ただし。ものすごい疲労感。ドルパって私が今までにいったドールイベントより男の人が多くて、全体の年齢層が若くて、熱気がある…っていうかマニアック………。体力、気力ともにオバサンには辛い。思えば私は人形好きになってずいぶん自分の中のタブーを破っている。人ごみ、特に暑い日の人ごみが嫌い、並ぶのが嫌いなのに、人形のためにはたまにはその苦手に渋々ながらもはいっていける自分に驚く。でももう当分ないでしょう。今日はもともとたくさんの集客を見込んでボークスさんも3倍の抽選券を用意していたとのこと。でも7時の時点でもうその数のさらに3倍の人数が集まっていたそうだ。あはは、私のように中途半端な心がけのものが太刀打ちできる訳がなかった。
その人数ゆえに並んだ時間は半端ではなく、それは私のような根性なしにはかなり辛かった。雰囲気にも圧倒されていたし。でもボークスさんの思いやりみたいなものをしっかり感じた。本当にお人形が好きな人の気持ちに、なんとか応えようとしてくれる気持ちを伝えてきてくれて、今日ドルパに行った人はみんな結構報われたんじゃないかな。ドルパ初経験の私はただただびっくりして、足取り重くながらも来てよかった〜、思った。
反面、恐れたいた面も多々垣間見えて、気分的に引く面もあった。小さな空間で少人数で楽しむ分にはきっとしみじみ暖かいセレモニーも、大きな開場で集団でやるとカルト教団みたいで怖い。たまたま取材にきていたらしき男性が「さすがにこれは引くな〜」と呟いていた言葉に、私も激しく共感してしまった。お人形は好きなんだけど、同じ人たちが集まってできるパワーとか雰囲気ってちょっと怖い。次回はもっとさらっと軽く流す程度に楽しみたいです。今日はドルパ初心者にはディープすぎた模様。

立ち続け歩き続けて、足が棒のようになり、疲労感で頭痛も起きてくる。
開場前からドルパにいて、最後までいた。これにはもう自分でもびっくりである。そこからまっすぐに横浜へ。オットと子供達と合流。今日は娘がモデル事務所に所属するための写真撮影の予定が夕方からはいっていたのだ。久しぶりの横浜が懐かしい。子供専門の事務所なのでスタジオにはほかのお子さんがたもいて、面白かった。娘は上手にポーズが決められて、カメラマンやメイクの人がとても褒めてくれてオットは有頂天。私はびっくり。家ではいつも女優モードが入っている娘だが、外では夢から覚めたお姫様状態になるんじゃないかと心配していたのだ。このあたり、娘がしっかりしてると言われるゆえんなのだろうか。私の前では昼までもひとりでトイレに行けない甘えん坊の娘なのに。
これが終わってやっと、今日の長い一日の予定をこなしたことになった。気がぬけるとさらにがんがん痛む頭を抱えてうめく私にオットは、でも好きなことをしてきたんだから良かったでしょと言う。おっしゃるとおりでございます。まともに食事していなかったので、近所のお寿司屋さんのお寿司と抜群に美味しい鴨南蛮うどん、そしてエアコンで冷えきった体に流し込んだ熱燗がしみたしみた。生命の輝きを注ぎ込んでもらったかのようにエネルギー充填。どこかぎくしゃくして戸惑っていた自分の気持ちがやっとすっきり整理できて、改めて幸福な気がしてきたのだった。
それにしても濃い1日だった。ドルパってやっぱりすごいものなのね。すごくすごくお勉強になりました。そして何よりたくさんの目の保養になったし。あんなにたくさんのSDとそのオーナーの方々を見たのは初めて。スーパードルフィーバイブルは9月30日発売だそうだ。誌上限定発売ノエルもしっかりみてきました。印象的な垂れ目のオボッちゃまでした。私は自分が垂れ目なので、切れ長な鋭い瞳に憧れがある。それでいうと、いやん、こういうタイプ(>_<)って思うのに、ノエルはなんだか胸にひっかかる。それはもしかしてKYONさまメイクだからだろうか。当然と言えば当然のことかもしれないけれど、私はKYONさまメイクのSDにはどうにも弱いようなのだ。ネットでも痛感したことを今日、ドルパ会場の中でも痛感した。目に留まるのはアナイスの顔であり、ルカの顔で。あとは美加と里ミニフルチョの6番の子。それから初期SD顔。好みは徹底してこれに偏っている。あんまり翔ヘッドを見かけなかった気がするなあ。里ミニフルチョ6番ちゃんは、本気で可愛くて、見かけるたびにドキっとした。次の目標だなと思っている。神戸が実家であり、京都には亡き父や祖父が眠っている。墓参はいつも気にかかっていることの一つ。それもかねていずれ里詣でということになりそうだ。

そうそう、新しい「Dolly Dolly vol.5」が先行発売になっていたのが嬉しかったのだ。今回もみどころがいっぱい。いろんな方が人形についての思い出や気持ちを語っているコラムがとても面白かった。漫画家やイラストレーターさんが描くお人形の絵ってものすごく可愛い。これをリカちゃんなどお人形のパッケージに使ったらとてもいいんじゃないかしらと思ってしまった。私の思い出の食玩、パピー人形について書かれていてとてもうれしかった。
宇山あゆみさんのポーズ人形がファッションドールとして発売される。一見して大変可愛い。お値段がプーリップ並みなのは可愛いのかどうか…。サイズはリカちゃんだというからどうでしょう。
型紙もたくさんで、1冊でかなり楽しめること間違いない。人形好きな大人の絵本として、とうぶん私の愛読書になりそうである。